生活魔術師達、冒険者ギルドに挑む
一応、コミック版P129以降もしくは書籍版の第二話終盤とリンクする話になるのですが、単品でも多分大丈夫です。
ただ、前作である短篇『生活魔術師達、ダンジョンに挑む』が前提の作品となっていますので、そちらの方を読了後にお読みください。
エムロード冒険者ギルド支部。
冒険者とギルド職員を隔てるカウンター、その内側の最奥。
受付嬢であるルキア・ユーノスは、上司である窓口部長ムヨー・ゴロネールと向き合っていた。
ルキアは二十代前半、アップにした髪を制帽に収めた美人である。
「ダメダメ、無理無理。これ以上、人を増やすなんてできないよ。今の人員で何とかしてよ」
いつも通り眠たげな目つきをしたゴロネールは、ヘラヘラと笑いながら、手を振った。
四十代半ばほどの、波打った髪と太鼓腹が印象的な、ふくよかな男だ。
ルキアが抗議したのは、カウンター業務を受け持つ人間の増員要請だった。
「それができないから、お願いしているんじゃないですか! あれが見えないんですか?」
ルキアは混雑し、長蛇の列を作っている通常カウンターを指さした。
その横の依頼人用カウンターや鑑定用カウンターも、通常カウンターほどではないにしても、普段よりかなり伸びている。
時刻は昼前、すなわち本来なら冒険者が探索に出かけている時間でこれなのだ。
彼らが戻ってくる時間になれば、どんな惨状になるか……は、既にここ数日、ルキアは味わっているし、できればもう勘弁願いたいと思っていた。
だからこそ、現場の責任者であるゴロネールに抗議したのだ。
けれど、ゴロネールに、ルキアの怒りと焦りはまるで伝わっている様子がなかった。
「見えてるよ。それで君は何をしているんだい?」
「だから、人員を――」
「いやいや、君、窓口係だろう? 早く、業務に戻りなさいよ」
面倒くさそうに、ゴロネールはシッシッと手を振った。
「交代時間です! だから今、このタイミングでこっちにお願いに来たんじゃないですか!」
ゴロネールが昼前にのんびりと今の席に座り、その後すぐに煙草休憩と称して消えるのは、ここのギルド職員ならば誰でも知っている事実である。
そして終業時間間際になって、フラッと戻ってくるのだ。
「だったら交代するのが、君の仕事だろ? そういった問題は、業務時間内にしてくれよ」
「業務時間内にする暇がないから、今ここに来ているんじゃないですか……!」
激務に集中していると、いつの間にかゴロネールは戻ってきて、「お疲れさん」と帰ってしまうのだ。
見つけ、話せる今しか、交渉する時間はないのだ。
なのに、この男と来たら……。
「規則は規則だろう?」
「ぐっ……」
自分は徹底的に怠けるくせに、こういう時には規則を盾に取る。
ルキアはそれが悔しくて仕方がなかった。
しかし、デスクの下でこっそり握り拳を震わせるルキアに、相変わらずゴロネールはヘラヘラ笑いを続けていた。
「とにかく、予算はもう決まってるんだし、人は増やせない。悪いね。あ、そうだ、どうしても増やしたいっていうんなら、君が身銭を切るって手もあるんじゃないかい?」
その言葉に頭に閃くモノがあったが、ルキアはおくびにも出さずにデスクを叩いた。
「そんなこと、ルール的に許されるはずがないでしょう!?」
「いやあ、そういう書類を揃えてくれたら、通してもいいよ。まー、そもそも事務屋なんてそう簡単に見つかるとも思えないけどね」
よっこらせ、とゴロネールは立ち上がった。
「分かっているなら……」
「あ、僕これから煙草吸ってくるから。君も休憩するか、困っている同僚を助けるかしてあげなさいな。じゃ! そういうことで!」
ゴロネールは煙草と賭博新聞を手に取ると、裏口から出て行った。
その夜。
仕事を終えたルキア達、窓口部門の職員達は行きつけの酒場に集まっていた。
ドン、とルキアは半分ほど飲んだ麦酒のジョッキを、テーブルに叩き付けた。
もちろん全員、私服である。
「あんのクソ部長、マジ使えねえ……!」
「ルキア先輩、言葉。言葉遣いがヤバくなってます。冒険者時代に戻ってるんじゃないですか」
「……っと、ごめんね。とにかくみんな……この状況をどう思う?」
ルキアの相談に、皆はうーんと唸った。
「ジリ貧ですね。何とか、現状を乗り切れればいいんですけど、その前に何人かぶっ倒れそうで……」
「休みの人達も、自主的に来てますしね……」
「……おのれ、ブラウニーズ」
原因は、分かっているのだ。
最近登録された、新参のパーティー『ブラウニーズ』。
三人とも魔術師、しかも生活魔術師という変わり種である。
印象的だったのでルキアも憶えていたが、予想以上の成長株だったようで、『試練の迷宮』の未踏破区域の発見を切っ掛けに、黄金級や白銀級冒険者達にもその名が届いている。
若手の活躍に奮起したのか、ここ最近冒険者全体が大きく活気づいてきているのが、冒険者ギルドエムロード王都支部の現状であった。
おかげで、職員達は大忙しである。
「彼らを恨むのは、間違ってるでしょ。おかげでこの冒険者ギルドが活気づいているんだから」
「そりゃ分かっているんですけどねー……とにかく、今の状況はヤバい。人を増やすか何か、解決策を考えないと……」
「そうね。それに問題は、内務だけじゃないでしょ。ほら、外に依頼を聞きに行く場合もあるし」
冒険者が仕事を請け負うのならば、当然依頼をしにくる者がいる。
その中には、様々な事情から冒険者ギルドまで来られない者もいて、こうした場合はルキア達ギルド職員の側が依頼者の方に足を運ぶことになるのだ。
「年寄りとか、マジできついんだよなあ……」
「夜勤も最低限、人員が必要だしねー」
「猫の手も借りたいレベルだわ」
飲み会に参加している職員達から、次々と愚痴がこぼれていく。
「部長は?」
話題は、自分達の上司であるゴロネール部長になった。
「手伝ってくれる訳ないし、されても迷惑でしょ」
「そうね。昼前出勤、重要書類はなくす、必要な報告を忘れる、手柄は全部自分のモノ、失敗は全部部下のせい、どれだけ業務が残ってても絶対残業はしない……ぶっちゃけアレが一番要らないでしょ」
「同感」
職員の誰も、ゴロネールを庇わなかった。
何しろ言っていることは悪口ではなく全部事実な上、ここにいる人間全員が何らかの形でゴロネールから迷惑を被っているのだから、彼の味方になる者など皆無であった。
そして、誰かが疑問を口にした。
「なんでアレが、あのポジションなのさ」
「決まってんじゃない。人脈。上層部に親族がいるからよ」
「最悪すぎる」
「愚痴よりも、これからどうするか考えた方がいいんじゃね?」
ようやく建設的な発言が出たところで、ルキアは口を挟むことにした。
「……一応、解決策ならあるわ」
ルキアが言うと、飲んでいる職員達がざわめいた。
「あるのかよ!?」
「部長が言ってたでしょ。自腹を切るなら許可するって」
つまり、その通りにするのだ。
ルキアやここにいる職員達で自腹を切り、臨時のギルド職員を雇うのである。
そう考えるルキアを、職員の一人がたしなめようとした。
「落ち着け、ルキア。っていうか酔ってるだろ」
「酔っても、アイデアはあんのよ。いい? このままだと誰かが倒れちゃうわ。そうしたらもう、窓口業務は無茶苦茶になるわ。そうなったらあの部長のことよ。現場が無能だって役員会議で言うわ」
「でもそれだと、部長自身の評価が悪くなるだろ」
飲んでいる誰かが、そんなことを言った。
けれど、そこにはすぐに反対意見が出た。
「……そこだけは、すごくうまく立ち回るんだよ。マジで質の悪いことにな。まるで自分はさも全力で努力はしたけれどどうにもならなかった、みたいに言う訳」
「……最悪だ」
「だから、人を増やすのよ。私達で。人を雇って」
「でも、そんな都合のいい事務屋なんていないだろ?」
当然の発言が出た。
事務作業には、それなりの教養が必要だ。
それに、冒険者ギルド内部の守秘義務を守ってもらう必要がある。
契約書は当然用意してもらうにしても、それなりの金額を用意し、人格的にも問題のない人間を探し出すのは至難の業だ。
……ただし、相手の方が募集している場合はどうだろうか。
ルキアには、そんな心当たりが一つあった。
「いるのよ。それも即戦力が三人」
ルキアが言うと、周りは騒ぎ始めた。
「三人?」
「おいおい、その三人ってまさか……」
ルキアと同じ心当たりに行き着いたのだろう、職員達はルキアを見つめた。
「そのまさかよ。私達で、冒険者パーティー『ブラウニーズ』に依頼するのよ。ちょうど明日、彼らが冒険者ギルドに来ることになってるし、話してみるわ」
翌日の昼前。
冒険者ギルドを訪れた『ブラウニーズ』のケニー・ド・ラックは、受付嬢ルキア・ユーノスから大体の状況を聞き終えた。
なるほど、自分達にも多少は理由があるのかもしれない。
また、それとは別に、冒険者ギルドの業務が滞るのは、冒険者としても望ましくない。
今も混雑しているが、これでもルキアにいわせれば落ち着いているのだという。
手助けして、効率化を図れるのなら、お互いのためになるだろう。
もちろん、依頼というからには報酬は頂くが。
「業務一覧が分かる何か、データはあるか?」
「問題点をまとめたモノなら、ここにあります」
ルキアが、ファイルを差し出してきた。
さすが、準備がいい。
「ケニー、そのファイルちょっと分けるわ。貸して」
「ああ」
ケニーが手渡すと、ソーコはファイルを三つに分裂させた。
「時空魔術って、そういうこともできるんですか!?」
驚くルキアに、ソーコは軽く肩を竦めた。
「ええ。一つの物質を三つに分けただけだから、脆くなるけど。リオンとケニーも気をつけてね」
「うん」
「らじゃ」
しばらくして、ケニーはファイルを閉じ、ソーコに渡した。
ソーコがファイルを一つに戻すのを横目に、ケニーは軽く唸った。
「なるほど。こりゃちょっと一日では終わりそうにないかな。ソーコ、書類をまとめてくれ。リオンは『影人』で雑務の手伝いを頼む」
「分かったわ」
「うん。じゃあ、後はケニー君、お願いね」
ソーコがファイルを亜空間に格納し、リオンは『影人』を出現させる。
「ルキアさん、ファイルには目を通したけど、俺は実際に確認していきたい。一番の問題である人手不足は、ソーコとリオンが今からサポートするんで、ある程度楽になると思う」
「は、はい。じゃあ、案内しますね」
ルキアがそう言って、ケニーを促そうとした時だった。
二人の前に、ふくよかな体格の中年男が腰に手を当て、不機嫌な様子で立ちはだかっていた。
「おい、ここは部外者禁止だぞ。ルキア君、困るよ。こういうこと、勝手にされちゃあさ。僕にも立場ってモノがあるんだから」
だけど、ルキアは慌てる様子もなく、ポケットからカードを取り出した。
「心配には及びません。彼は私が私的に雇った臨時のギルド職員です。こちらにネームプレートも用意しました」
「どうも」
ケニーはそのカードを受け取った。
当然ケニーだけでなく、ソーコやリオンの分もあった。
「はぁっ!? 聞いていないぞ、そんな話」
「必要な申請書類は机の上に置いておきましたよ。何分、ご覧の状況ですし、部長自身がおっしゃっていましたよね? 自腹を切るなら認めてもいいって」
「いや、そりゃ言ったけど……は、まさか本当に雇うなんて、思わないだろう? 見ればまだ学生……子どもじゃないか。ローブの色から察するに魔術学院の生活魔術科?」
中年男は、は、と鼻で笑った。
それに対し、ルキアは最早怒りすらせず、むしろ憐憫の眼差しを向けていた。
「……本当に、何にもご存じないんですねえ」
「ん?」
ルキアは、軽くため息をついた。
「いえ。おっしゃる通り、生活魔術科の学生です。つまり、こういう場所に一番ふさわしい魔術の使い手だってことですよ」
「ジョークにしては笑えないね。まあいいや。もしも彼が何らかのミスをしたら、君の責任になる。そこのところは分かっているだろうね?」
「もちろんですとも」
「ならいい。おい、名前は?」
中年男は、顎をクイッとケニーに向けてきた。
正確には顎と思しき首の一部である。
「ケニー・ド・ラック。ノースフィア魔術学院、生活魔術科の二年生です。あっちにいるのがソーコ・イナバ。向こうにいるのがリオン・スターフです」
ケニーは、既に働き始めているソーコとリオンも紹介した。
「三人も部外者がいるのかよ。本当に大丈夫か、これ。……とにかく、余計なことをして、仕事を増やすような真似だけはするんじゃねーぞ。んじゃ、あとよろしく」
顔をしかめた中年男は、煙草と賭博新聞を手に取り、裏口に向かった。
「部長、何処行くんですか!」
「いつもの、煙草休憩。適当に休んだら、戻ってくるよ」
「来たばかりだっていうのに……本当に、もう……」
そして本当に、中年男は出て行ってしまった。
「……さっきのは、一体何者なんだ?」
「この窓口部署のトップよ。ムヨー・ゴロネール部長」
「あれが? あれで?」
確かに、中年男が鞄を置いたデスクには、役職と名前があった。
つまり、責任者である。
ケニーの職業倫理的に、ちょっと信じられない人選だった。
「……参ったな。俺達の知り合いにもひどいのがいるけど、同じぐらいひどいぞ」
「あの部長と同じレベル!? どんな生き物よ!?」
「ルキアさんも、言うねえ。まあ、ひどさは別ベクトルだけどな……」
少なくとも、魔術学院戦闘魔術科の科長であるゴリアス・オッシは、自分の仕事を投げ出さない。
ただし、自分達のために他者の本来得るべき配分を横取りしたり、仕事を妨害してきたりはするが。
うん、やっぱりひどいな、とケニーは思った。
「あの部長は怠惰、オッシ先生は傲慢って感じかね。で、あの人の仕事って何?」
「私達の手柄を奪って自分のミスを押しつけること……ごめん、今の説明で本当に合ってるの」
よほどケニーが信じられないような目をしたのだろう、ルキアは悪くないのに謝ってきた。
さらにルキアの説明は続いた。
「一応、ここの責任者ってことになってるけど、正直、何にもしてくれない方が捗ってる。あれで現場に口出しされたら、本当にここ、潰れちゃうから」
「……ってことは、今のここの問題解決しても、手柄は横取り?」
それは気に食わないなあ、とケニーは思った。
「そうなるわね。多分、次の出世でどこかのギルド支部の支部長になるかも」
「世の中の理不尽を、垣間見た気がするよ」
「そうねえ、改めて口にすると死にたくなってきたわ。っていうのは冗談として……あ、私そろそろ休憩時間終わっちゃうんだけど……」
本当ならルキアが案内するはずだったのだが、今のゴロネールとのやりとりで、時間が潰れてしまったのだ。
「俺はひとまず今日は見学で。今の状況を直に確認していく。明らかにヤバそうなところがあったらその場で手伝うよ。まあそれでも、あの二人が働いてくれてるから、大分楽はできると思う」
「分かったわ。それじゃ、通常の就業時間にまた」
「ああ、また」
ルキアと別れたケニーは、ところどころに落ちている書類を拾いながら、机と机の間を歩いて行く。
そして窓口から出ると、冒険者達のたむろしているホールも、散歩のノリで歩いて行った。
並んだカウンターには、いずれも長蛇の列ができていた。
そして、並んでいる中には短気で気性の荒い冒険者も多い。
「おい、まだかよ!」
こうして、騒ぐ人間も、存在する。
静かにするよう言うべきかなとケニーは足を向けたが、結局やめた。
「……騒ぐんじゃねえよ。テメエが喚いたところで、列が縮む訳じゃねえ」
「何だとコラァ!?」
騒いでいる男が、振り返った。
「何だ?」
後ろにいた屈強で長身の男が、彼を無表情に見下ろした。
騒いでいた男は、顔を引きつらせた。
「……イエ、ナンデモアリマセンデス」
静かになった。
まあ、トラブルは未然に防げたようだが、列自体が短くなるには、当分掛かりそうだ。
「ここが、一番の問題かな……」
再びカウンターの裏側に、ケニーは戻った。
「おい、この書類、字が汚すぎて読めないぞ」
「ねえ、モンスターファイルどこー?」
「ちょっとちょっと、ここ計算合わないよ。誰だよ、計算したのは!」
ホール側では聞こえていなかったが、その裏側のデスクワークは大騒ぎだ。
王都だけに識字率は高いが、それでも読み書きのできない者は多い。
そういう者はまだいい方で、自分の名前や必要項目に書くことはできるが、あまりに字が酷く、読み返すのが困難なケースもある。
担当した窓口係がメモを記すこともあるが、列が長い場合はその余裕もないのが現実だ。
日々更新されるモンスターのデータは、一つのファイルに収まりきらない。他、薬草用ファイル、ダンジョンデータ、周辺地図、デスクワークには多くの情報が必要なのに、雑多で整理されておらず、仮にあったとしても他の人間が使っている場合も多い。
つまり書類の整理ができていない。
する余裕がない。
報酬の支払いには金銭が絡み、当然計算が必要だ。
読み書き以上に、計算のできる人間は限られている。
経理を担当する彼らは仕事の種類こそ絞られるものの、その数は膨大だ。
うっかり数字を間違えると、大変なことになってしまう。
ケニーは、窓口業務を行なっている部署のさらに裏手、いわゆる食堂や休憩室を確認した。
「……この辺りはまあ、問題なさそうだが、改良の余地はあるかな」
食堂と休憩室は一体型になっており、食事を終えた男性職員達は敷物のある床に倒れて、昼寝をすることができる。
いわゆる雑魚寝である。
女性職員には、別室が用意されていて、一応許可を取って確認してみたが、造りとしては食堂の方にある休憩室と大差はなかった。
「……なるほど。大体分かった」
ひとまずの確認を追えたケニーは、経理の方に回った。
ケニーの『七つ言葉』で『正誤判定』を行なえば、計算が合っているかどうか、一発で分かるのだ。
時間になり、ケニー達はルキア・ユーノスに挨拶をして、その日の仕事を終えた。
日が暮れ、冒険者ギルドが夜勤に変わった頃……ケニー達は再び、この建物を訪れていた。
――明けて翌日。
「おはようございまーす」
ルキアは裏口から冒険者ギルドの事務所に入り、挨拶をした。
いつもならそのまま返事があるはずなのに、この日は違っていた。
「お、おはようございます……」
一瞬の沈黙の後、戸惑いがちな挨拶が帰ってきたのだ。
それに皆、まだ職員用の制服に着替えていない。
「どうしたの、みんな?」
「いや、あの、これ」
職員達を掻き分け、ルキアは前に出た。
すると、事務所の中央に、昨日まではなかった物が据え置かれていた。
例えるなら透明な石碑である。
複雑な刻印が施された台形型の台座の上に、人の頭部ぐらいの球体が浮かんでいる。
高さはルキアの肩ぐらいなので、それほど大きなモノではない。
「何これ」
「……あー……おはようございます。うん、順調に動いているようだな……」
キョトンとしているルキアの後ろから、間延びした声がした。
ケニー・ド・ラックである。
「ケニーさん!? これ、もしかして、ケニーさんの仕業ですか!?」
ルキアはケニーに尋ねた。
この謎の石碑を見て、まったく驚かず、むしろ稼働状況を口にしたのだから、無関係のはずがない。
「仕事の邪魔にはならないはずだよ。書類を全部整理して、空いたスペースに設置したし。ちなみにこれは魔水晶とゴーレムの核を組み合わせたモノで、使えば大分仕事が楽になる……まあ、これから使うんで、はずが付け加わるんだけど」
ケニーの説明では、台座部分が魔水晶、球体がゴーレムの核を示していた。
「ゴーレムの核なんて……まさか!」
普通、モンスターの核なんてモノの入手ルートは限られている。
だが、ルキアには心当たりがあった。
ここは冒険者ギルドであり、モンスターの素材が流通している、数少ない施設である。
どうやら図星だったらしく、ケニーは軽く笑った。
「ここには、大量にあるだろ? あ、ちゃんと金は払ってあるし、ちゃんと許可も得てる。ほら、これがその書類」
モンスター素材の解体や管理は、窓口部門とは違う部署だ。
なので、ケニーがそちらとどういう交渉をしたのかは、ルキアには分からない。
ケニーから受け取った書類に目を通してみた限り、問題はなさそうだ。
しかし……。
「なあ、それでこれ、何の役に立つんだ?」
ルキアの内心を代弁するように、職員の一人が石碑を指さした。
「それは……まあ、使ってみれば分かるとしか。名前は『エリーシ』。あと、これ支給品。みんな装着してくれる? 右利きの人は右耳。左利きの人は左耳で」
透明な石碑の裏側にあった薄い箱を引っ張りだし、ケニーはデスクの上で蓋を開いた。
中には、小さな装飾品が並んでいた。
「イヤリング?」
ケニーが配るそれを、ルキアも受け取った。
見ると、ケニーも右耳に同じモノをつけていた。
戸惑いながらも、ルキアはそれを自分の右耳に装着する。
「ケニー君、頼まれたモノ、作ってきたよ」
裏口から、リオンが大きめの硝子瓶を抱えて入ってきた。
中には色とりどりの小さな玉が、幾つも詰まっていた。
ルキアの見た感じ、どうやらキャンディのようだ。
「おー、ご苦労さん、リオン。みんなが手に取りやすい場所に置いてくれるか」
「うん」
『エリーシ』の横にあるデスクに深めの皿を置き、そこにリオンはキャンディを注いでいった。
余った分は、硝子瓶ごと皿の傍に置かれた。
さらに、カウンターの方から、ソーコも現れた。
「こっちも、カウンターの仕込み終わったわよ。でも、使いすぎに注意な代物だから、説明は必要ね。あと、維持する魔力はちゃんと解決したんでしょうね」
「そっちも問題ない。それじゃ、業務の引き継ぎもあるだろうし、俺達は遅めの朝食にしよう」
言って、ケニーはあくびをしながら、職員用食堂の方に向かっていく。
それに、ソーコとリオンも続いた。
「え、ちょっとケニーさん、説明は?」
戸惑うルキアに、ケニーは振り返った。
「ルキアさんは、右利きか。じゃあ、左耳を指でつまんでくれ」
「え……?」
言われるまま、ルキアは左の耳たぶを指でつまんだ。
すると、頭の中に言葉が直に流れ込んできた。
『そのイヤリングは通信器具だ。名前は『繋心』。『エリーシ』を通じて、念話を共有できるようになる。考えたこと全部垂れ流す訳にもいかないから、耳をつまんだ時だけ通信可能だ。あ、距離はせいぜいこの建物内なんで、そこは注意して欲しい』
「うぇっ!?」
頭の流れてきたケニーの言葉に、思わずルキアは変な声を上げた。
この日の窓口業務は、今までとは比べものにならないぐらい、捗っていた。
事務所全体は静かなのだが、『繋心』によって職員同士の意識のやり取りは頻繁に行なわれていた。
『ちょっと、必要な書類がどこにいったか知らない? 依頼の報酬対応表が必要なんだけど……』
『書類なら昨日の間に、全部ファイリングを終わらせておいたわ。書類棚の赤のファイルよ』
『ねえ、モンスターの情報を閲覧したいんだけど』
『それは青の棚』
『ありがとう。助かるわ』
『仕事だから、気にしないで。それに感謝するなら、昨日の内に全部整理してくれたソーコさんに言って。あ、経理に連絡。三番カウンター、次の次が報酬の支払いだから、用意お願いします』
『了解』
こうした『繋心』の中心となっているのが、透明な石碑『エリーシ』である。
魔水晶の台座から、幾つもの太い帯線が敷設され、それらは職員の事務椅子やロビーの方へと延びている。
すなわち『エリーシ』の活動魔力は、この冒険者ギルドにいる職員や冒険者達から、微量の魔力を徴収することで賄われているのだ。
このことについては、窓口業務の効率化の協力要請として、冒険者用の依頼掲示板にも貼られており、冒険者達にも周知されている。
量としてはごくわずかなモノなので、今のところは抗議の声は出ていない。
何より実際、カウンターに並ぶ自分達の処理が早まっているのだから、文句は出せなかったとも言える。
とにかく『エリーシ』と『繋心』による、職員達の意識の共有化は、間違いなく彼らの作業の効率を高めていた。
また、それとは別に、大きく列が捌けているのが、一番端の五番カウンターである。
『クイックカウンター、状況はどう?』
『すごいわ。想像以上』
ソーコが調整したそれは現在、『クイックカウンター』と呼ばれていた。
冒険者が座ったかと思うと、向かい合う職員と早送りのように口や手足を動かし、書類を書き、そして冒険者が素早く立ち上がって出て行く。
それが何回も繰り返されていた。
他のカウンターよりも明らかに処理が速く、五番カウンターに並ぶ冒険者の数は最も多かった。
『説明はちゃんとしてるでしょうね。そこのカウンターは、時空魔術の効果でわずかとはいえ、本来の時間よりも時間の流れが速くなってるの。つまり通常より少しだけ年を取るのが早くなるってこと。それを承知の上で使ってもらわないと、後でクレーム入れられちゃ困るわ』
『今のところはクレームはないわ。それよりも、他よりも圧倒的な速さで列が進むことの方が、歓迎されてるわ』
『そう。ならいいわ』
もちろん『クイックカウンター』の維持に使用されているのは、『エリーシ』の魔力である。
しかし職員の数は相変わらずギリギリであり、時間が経てばやはり疲労は出てくる。
そこで用意したのが、リオンのキャンディであった。
『エリーシ』の傍では、リオンと男性職員が話をしていた。
「リオンちゃん、このキャンディ、ピンクの効果って何だっけ」
「桃味のピンクは、体力回復ですね。イチゴ味の赤が体力強化。柑橘系の橙色が集中力強化。ブドウ味の紫色は眠気覚まし。透明なのはリンゴ味で声の通りをよくします」
男性職員は唸った。
「バリエーションがあって、悩むな……」
「一応、薬の一種なので、使いすぎには注意してくださいね。目安としては一日三粒でしょうか」
「ええー、たった三粒なのかい?」
「お、お薬ですから」
うーん、と考え、男性職員は自分の分を選んだ後、皿の中のキャンディを指さした。
「ウチの子どものお土産にしたら、ダメかな?」
「ルキアさんに、すごく叱られると思いますよ」
「……残念」
リオンに苦笑いで返され、男性職員はガックリと肩を落としながら自分のデスクに戻っていった。
『エリーシ』の反対側では、ケニーがペンを持ったルキアに詰め寄られていた。
「ちょっ、ケニーさんなんですかこのペン!?」
「え、ああ、ビックリした?」
ルキアが持っているのは、ただのペンではない。
ケニーの作った魔道具の一種である。
「ビックリするも何も、冒険者なんてピンからキリで、読み書きまともにできないのも多いんですよ!? この王都はそれほどではないにしても……それが、彼らがこのペンを持った途端、名前も必要情報も全部! 書いてくれて! しかもこんなに読みやすい!」
「そういう魔術を組み込んだ、ペンだからな。字が汚い人でもちゃんと書けるペンだ」
要するに、使用者の思考をトレースしてペンが動き、文字を描く。
そういうペンである。
「……何処で売ってるの、これ?」
「売り物じゃないよ。俺が作った」
「今すぐ量産するべきですよ! 私、十本買います!」
「じゃあ、俺二十本で」
「アタシ二十五本!」
事務所のあちこちから、声が上がった。
「……原価も知らないで、本数を言うのはどうかと思うぞ。ちなみにお値段はそれなり、とだけ言っとく」
「カンパ募りましょう!」
ルキアが大きなカップを掲げると、事務所のあちこちから歓声と拍手が沸き起こった。
「何だ何だ、ずいぶんと盛り上がっているじゃないか。何だ、この変なの」
そんなギルド職員達のテンションを下げる、気怠そうな声がした。
今日も昼前にのんびりと重役出勤の、ムヨー・ゴロネール部長であった。
彼は鞄を自分の事務椅子に置くと、『エリーシ』に触れようとした。
なので、ケニーは注意することにした。
「あ、迂闊に触ると死ぬよ、それ」
「なっ……!?」
ビクッと伸ばした手を戻し、ゴロネールは『エリーシ』から距離を取った。
ケニーは肩を竦め、頭を掻いた。
「嘘だよ」
「お、脅かすな!」
「仮にも冒険者ギルドの職員なら、よく分からない物には警戒するべきだと思うなぁ」
「うるさい! それよりも、何なんだよ、これは!」
ゴロネールは『エリーシ』に指を突きつけた。
なので、ケニーは正直に教えることにした。
「『繋心』の中枢兼魔力蓄積装置兼データベースってとこ」
「……何だって?」
理解できなかったのだろう、ゴロネールは眉をひそめた。
一応説明はしたし、これ以上細かい話は面倒くさいな、とケニーは判断した。
「今の、この現場に必要なモノだってこと。なくなると困るだろ?」
「は、はい。苦情がまた大量に届くことになりますね」
ケニーの言葉に、ルキアはもとより、仕事をしながらギルド職員達も強く頷いていた。
「アンタ、上司だよな。これを撤去して作業が滞った場合の苦情処理、お願いできるかな?」
「げ、現場の苦情処理なんて僕の仕事じゃない! と、とにかく、分かった。どう見ても怪しげな装置だが、仕事の役に立つっていうなら置いていることを許可してやろう」
えらそうに言いながら、ゴロネールは煙草と賭博新聞を手に取った。
「使い方のマニュアルも用意してるけど、読む?」
「いらん! 煙草休憩に出てくる!」
「はい、行ってらっしゃい」
がに股で裏口に向かうゴロネールを、ケニーは素直に見送った。
「……下手に相手をしていると、それだけで仕事の邪魔になりそうだしなあ」
ケニーは思わず、ボヤいていた。
「あ、ありがとうございます!」
頭を下げるルキアに、ケニーは軽く手を振った。
「仕事だからな。さて、ソーコにリオン、残る作業を打ち合わせようか」
「まだ、何かあるんですか!?」
驚くルキアに構わず、ソーコとリオンは『エリーシ』の傍に集まった。
幸いにも今は、リオンの『影人』が足りない人員を補ってくれている。
しかし、それにもリオンは懸念を抱いているようだった。
「うーん、今はいいんだけど、わたしがいなくなった後、やっぱり人手が足りなくなるのがちょっと気になるかなーって。もちろん人を雇うことができれば一番いいんだろうけど、さっきの上司さんが予算を渋っているんですよね?」
「え、ええ、まあ……」
ルキアは言い難そうに、頷いた。
ケニーはソーコに頼んで、ファイルを取り出してもらった。
それを開き、目を通していく。
「その前に、あのオッサンがどっかに異動してくれれば一番いいんだが。でもまあ、心配は要らないだろ。冒険者ギルドには、冒険者が引退してそのまま就職するケースがあるって噂では聞くけど、事実みたいだ」
「ギルド職員の名簿なんて見て、どうするのよ、ケニー?」
ソーコの問いに答えながら、ケニーは書類に載っている求めていた人材を指さした。
「ん? ああ、あった元召喚師。……って、何だ、ルキアさんじゃないか」
ケニー達の視線が、ルキアに集中した。
「えっと……はぁ、まあ、以前は冒険者でしたけど……む、昔の話ですよ?」
「いえ、あの……私、そんなに魔力がなくて、呼び出せるっていっても、そんな大層なモンスターは呼べなかったんですよ? それに現界時間だって、そんなに……」
ルキアはケニー達に引きずられるようにして、裏手の倉庫室に入ることになった。
おそらくソーコが収納したのだろう、普段なら必要なモノもそうでないモノも雑多に積み込まれているはずの倉庫は、ガランとしていた。
代わりに中央には魔法陣の描かれたシーツが敷かれ、その周囲には三体のずんぐりした人型の何かが立っていた。
「ってコレ何ですか!?」
「倉庫に転がってた、廃棄予定だった鎧の残骸」
「……をかき集めて、私とケニーで修復して組み立てたモノね」
なるほど、薄暗くて分かりづらかったが、確かにそれらの人型は、冒険者ギルドの倉庫に転がっていた鎧だった。
ただし部品はバラバラで、むしろ三体もよく組み立てられたモノだと、ルキアは変なところで感心した。
「一応、管理の係の人間の許可も取っといたわよ。だから、再利用は問題ないわ」
「どうせ、捨てるモノだったらしいしな。とはいえ、作業の邪魔にならない大きさで、かつ威圧的にならないようにってデザインの方に、苦労したよな」
そういうソーコとケニーの言う通り、背丈はルキアの腰の辺りぐらいまで、等身も低くどこかユーモラスな鎧達だ。
これなら、ギルド職員達も怖がったりはしないだろう。
「……こういうののセンスは、リオン頼みだものね、私達」
ソーコが遠い目をした。
どうやら、リオンがこの動く鎧もどきのデザインをしたらしい。
照れくさそうに、はにかんでいた。
いや、それよりも、だ。
床に敷かれた大きな模様、これは契約の魔法陣だ。
となれば、元召喚師である、ルキアがこの部屋に連れ込まれた理由は、一つしかない。
「えっと、まさか……この子達を、私の使い魔に?」
「そんなに難しいことじゃないんです。ほとんどの魔力は『エリーシ』持ちですし、この鎧自体はただの依代です」
リオンの説明に、ふむ、とルキアは考えた。
召喚術は、様々なモンスターと契約し、これを状況に応じて呼び出す術だ。
高位のモンスターほど、契約は難しく、そして召喚した際の魔力の消費も大きい。
この召喚した際の魔力、というのには二種類存在する。
一つはモンスターを呼び出しこちらの世界に出現させる時のモノ。
もう一つは、召喚してから帰還するまでの『現界時間』に継続的に消費される魔力である。
「……つまり、私が行なうのは鎧の中に入れる精霊との契約? 起動時の管理者認証に使う魔力だけで、維持できるってこと?」
『エリーシ』は台座部分の魔力タンクと、球体のゴーレム核でできたデータベースで構成されている。
このゴーレム核にはある程度の学習能力があり、ケニーが『繋心』を組み込んである。
つまり理論上、召喚術を組み込むことも可能なのだ。
ただし、召喚術の性質上、精霊と主従契約だけは、どうしてもルキア自身が行なう必要があるが、後の魔力が全部『エリーシ』持ちならば、ルキアの負担はほぼゼロに等しい。
「はい。そうです。正確には、『エリーシ』に魔力がなければルキアさんの魔力を使うことになりますけど……まあ、その心配はないんじゃないかなあって思います」
「さすが、元専門家だと話が早いわね」
リオンが微笑み、ソーコは不敵に笑った。
「宿す精霊のレベルによって、鎧の性能も変化する。……ううん、思考ルーチンも『エリーシ』に託すなら低級の精霊でも充分。……となると、一番必要になるのは、名前かしら」
使い魔となる動く鎧もどきは、全部で三体。
名前を与えなければ、全員が同じ行動をしてしまうことになる。
ルキアの考えに、リオンが同意を示した。
「そうですね。個別に指示を送ることを考えると、それぞれに名前を与えた方がいいと思います。他は、使いながら考えればいいんじゃないでしょうか」
「そうね、そうさせてもらうわ」
とはいえ、三体分の名前をすぐに思いつけ、というのは中々に厳しい。
どうしたモノかな……とルキアが考えている横で、ソーコがケニーに相談をしていた。
「ケニー、休憩室のベッドのことだけど、私は手を出さない方がよさそうだわ。カウンターと同じ時間加速は普通にできるけど、やっぱり老化のリスクが高いわね」
「たっぷり休んで即仕事って意味じゃ悪くないが、生き急ぎって感じだよなあ」
どうするかねえ、と悩む二人の間で、ポンとリオンが手を打った。
「じゃあ、ソーコちゃんはひとまず、書類の整理を終わらせて、そっちはわたしがやろうか。こういうのとか、作ってみたし」
じゃん、とどこから取り出したのか、リオンが前に突き出したのは、大きな枕だった。
何だか、いい香りがするが、中に何か編み込まれているのだろうか。
クン、とソーコが枕を嗅いだ。
「……薬草入りの枕?」
「半分正解」
リオンが苦笑いを浮かべた。
「沈黙効果の魔術が織り込まれてるな。そうか。鼾対策か」
ケニーの指摘に、ルキアは顔を上げた。
「あ、それ分かります。女性用休憩室の方は特にないんですけど、食堂併設の休憩室の方だと時々、そういうの耳にしますし」
休憩室は雑魚寝という形を取っているので、どうしても男性職員の中に鼾を掻く者もいるのだ。
それが静かになるのは、おそらく鼾を掻く者も、それ以外の男性職員も助かることになるだろう。
「とりあえず、試験的に使ってみようか」
「ですね!」
こうして、冒険者ギルドの中身は、どんどんと改善されていった。
『ブラウニーズ』が依頼を受けてしばらくして、冒険者ギルドの作業効率は大きく改善された。
「それじゃ、大体仕事も終わったし、依頼は達成ってことでいいかな?」
「ありがとうございます。お疲れ様でした!」
「「「お疲れ様でした!」」」
夕暮れ時、夜勤との交代が近づこうという時間である。
窓口に並ぶ冒険者もほぼ捌き終え、ルキアを初めとしたギルド職員のほとんどが、ケニー達との別れを惜しんでいた。
このまま飲み会にでも突入しそうな勢いであった。
「いや、仕事なんで」
肩を竦めるケニー達の後ろで、ノソリとふくよなか体格の中年男が動いた。
「へー、ずいぶんとスッキリしたよなあ。みんなお疲れ、ご苦労さん」
ムヨー・ゴロネール窓口部長である。
ニヤニヤと笑う中年男に、さっきまでテンションが高かったギルド職員達も、大きくため息をついていた。
「……お疲れ様です」
ルキアは表情にこそ出さなかったが、目は笑っていなかった。
「まあ、みんなよく頑張ってくれたね。この冒険者ギルドもずいぶんと落ち着いた。おかげでこの現場の責任者である、僕の鼻も高いよ」
「それは何よりです」
アンタは何もしてないだろうが……。
『繋心』を使うまでもなく、職員達の気持ちは一致していた。
しかしそんなルキア達の内心などおかまいなく、上機嫌なゴロネールは鞄からペロッと一枚の書類を取り出した。
「それでだね、その成果もあって僕は出世することになった。何とね、ドラマリン森林領、鬼族地区の冒険者ギルド副支部長だよ。まあ、ド田舎なのが気に入らないけどね。ほら、僕はどちらかといえば都会派の人間だし。まあでもそこで数年上手くやり過ごせば、今度はルベラント聖王国かシトラン共和国かって話だ。楽しみだねえ」
案の定、窓口業務の改善を、自分の手柄として上の方に報告していたようだ。
そういう動きだけは、抜け目のない男なのである。
「ドラマリン森林領……確か、亜人や野生のモンスターの多い国ですよね」
「そう、結構物騒なところだよ。だからさ、それなりの対策は取るつもりさ。確か『エリーシ』って言ったっけ? ……あの石碑とか持っていけば、結構捗ると思うんだよねえ、僕の仕事も」
ルキアの言葉に頷きながら、ゴロネールは『エリーシ』を指さした。
「そんな! あれは私達のノウハウを組み込んだ、大事な魔道具なんですよ!?」
軽い調子で『エリーシ』に触れようとするゴロネールに、ルキアは強い口調で咎めた。
何もしなかったこの部長に、『エリーシ』に触れて欲しくなかったのだ。
ゴロネールには通じなかったようだが、触れるのを防ぐことには成功できた。
「そんな大袈裟な反応することないだろう? ノウハウを組み込んだって言っても、これが設置されたのなんてつい最近じゃないか。新しく作り直せばいいだけの話だろう?」
「こ、この……」
どこまでも神経を逆なでするゴロネールに、ルキアは拳を握りしめた。
これ以上喋らせていたら、元冒険者時代の腕っ節を披露してしまいそうだ。
しかしケニーが間に割って入ったせいで、それは未然に防がれた。
「なるほどなるほど、確かに一理あるかな。新しく一から作り直すより、ある程度情報の詰まった『エリーシ』を持っていった方が効率的だ」
「ケニーさん!?」
とんでもないことを言い出すケニーに、ルキアや周りのギルド職員達はギョッとした。
その間に、ケニーは言葉を続ける。
「でも、さすがにタダで持っていくってことはないよな? 作ったのは俺達。依頼したのは彼女達だ。しかも予算は上が許可してくれないってんで、自腹を切った。それをそっくりそのまま奪っていくっていうのは、さすがに外聞が悪いと思うんだよ」
ケニーが言葉を連ねるごとに、ゴロネールは徐々に不機嫌になっていた。
「外聞……それじゃあ、仮に買い取るとして、いくらなんだい? あんまり高いのは困るんだけどなあ」
「割とお手頃価格だよ。はい、これが領収書」
ケニーは懐から、小さな用紙を取り出した。
「……五十億!?」
ゴロネールは、ギョッと目を剥いた。
ルキア達だって驚きだ。
そこには、『5.000,000,000 カッド』と書き記されていた。
一瞬絶句した後、口をパクパクさせ、何とか言葉を絞り出す。
「ば、馬鹿じゃねーの!? こんなの、払えるわけないだろうが!!」
「じゃあ、買い取るって話はなしだな。あ、半額でいいなら、作り方を教えてもいいけど」
ケニーはあっさりと、領収書を引っ込めた。
「は、半額でも話になるか! 完全にボッタクリじゃねえか! そもそも、コイツらの安月給で払える訳ねえだろ!」
安月給で悪かったわね、とルキアは顔をしかめた。
周りを見ると、何人かのギルド職員がペーパーナイフや鉄製のブックスタンドに手を伸ばしていた。
このままだと、この事務所で殺人事件が起こりそうだった。
「支払いを決めるのは、この人達だよ。まあとにかく、昇進おめでとうございます」
さすがに、ケニーが嫌みを言っているのは気付いたのか、ゴロネールは顔を真っ赤にした。
さっきまでの余裕はもう、どこにもない。
「チッ……ケチくせー野郎だな。本当にそう思うんなら、タダで寄越せよ」
「そこはそれ、冒険者としての契約なんで。さすがに、上に昇る人が契約を反故にしちゃあマズいでしょう?」
「憶えてろよ!」
ゴロネールは自分の鞄をつかんだ。
「分かった。憶えとこう。死ぬまでな」
「不愉快だ。帰る!」
ドスドスと床を踏みながら、ゴロネールは裏口から出て行った。
……事務所が静かになり、ケニーはルキアたちの方を振り返った。
「ちなみに、憶えとくっていうのは冗談だ。どっちかといえば、できるだけ忘れておきたい顔と声だからな」
「で、でも、あの、さっきの金額での買い取りって、本気ですか?」
「はい、経理の人」
ルキアを無視して、ケニーは先ほどの領収書を眼鏡を掛けた経理係に渡した。
経理係は目を細め、受け取ったばかりの領収書をケニーに突きつけた。
「……これ、この二つの点は染みか何かですか?」
「そういうこと。ちょっと消しといて」
「はい」
そうして、領収書は修正された。
金額は『5.000000000 カッド』である。
今度は別の意味で、ルキア達は驚いた。
「五十億じゃなくて、五カッド!?」
「これの『エリーシ』の買い取り金額であって、報酬は別にあるだろ。それでトントンだし」
確かに、ケニー達が提示した報酬は、相場よりも少し高めだった。
けれど、『エリーシ』の素材の買い取りに使った費用を考えると、むしろ報酬としては安い方だろう。
「それとは別に、条件も用意してもらったしね」
「どっちかといえば、そっちの方が本命だしねえ」
そう、報酬とは別に『ブラウニーズ』は、いくつかの条件を要求していた。
それは、冒険者ギルドにしかこなせない条件であり、もちろんルキア達はその条件を呑んだのだった。
旅の冒険者であるその男は、冒険者ギルドのホールに立ち、列がどんどん短くなっている様に驚いていた。
「……ここの冒険者ギルドは、繁盛している割に流れがスムーズだな」
隣にいる剣士らしき青年に、何とはなしに言ってみた。
豆茶を飲んでいた青年は、気安い様子で旅の男に笑ってみせた。
「お、お前さん余所者かい。ウチのギルド職員は優秀らしくてな、色々魔道具を組み込んだりして、効率化を図ってるんだとよ。急ぎなら、あの一番端っこの列だな。時間が加速する魔術をカウンターに仕込んでて、余所より数倍速い」
「時空魔術とか、マジかよ。さすが、魔術学院のある国の王都は違うな……って、おいおい、ありゃ割り込みじゃねえのか?」
男は、ホールの端を進む草色のローブの若い魔術師達を指さした。
臨時のカウンターが設置され、ギルド職員が狐面の娘がどこからか取り出した素材を受け取っていた。
けれど、列に並んでいる誰も、彼らに抗議をする様子はなかった。
旅の男の隣にいる、青年もそうだ。
「アイツらはいいのさ」
「どういうことだ」
「ここの冒険者ギルドの効率化を格安で請け負ったのが、あの三人だ。鑑定や依頼報告の優先権ぐらい、みんな大目に見るさ。名前は『ブラウニーズ』。まだ階級こそ低いが、このギルドじゃ有名人だ。憶えておいて損はないぜ?」
「ほう……」
ところ変わって、ドラマリン森林領。
その名の通り、様々な木々に囲まれた野性味溢れる国の、僻地にある冒険者ギルド。
通路を大きな歩幅で歩く鬼族の上司の後に続くのは、窓口部長から出世したムヨー・ゴロネール副支部長である。
「君のことは聞いているよ。前の職場ではずいぶんと優秀だったそうじゃないか」
「ありがとうございます! こちらでも、頑張らせて頂きます」
揉み手をせんばかりの愛想の良さで、ゴロネールは答えた。
「そうかい。期待しているよ。何しろ冒険者ギルドとはいっても、ここは小さなところでね。前はエムロードの王都支部だったか。あそことは、かなり勝手が違うと思う」
「問題ありませんよ。どこだろうと、僕はいつも通りに立ち回るだけです」
「それはよかった。じゃあ、早速業務に入ってもらおうか。さっきも言った通り、小さなギルドだからね。副支部長といっても、仕事は書類よりも現場作業だ」
鬼族の支部長は、大きく扉を開いた。
事務所には数人のギルド職員。
そしてカウンターの向こうでは……。
「テメエ、ぶち殺すぞ!?」
「ああ、やれるもんならやってみろやゴラァッ!!」
鬼族同士の殴り合いが始まったかと思ったら、さらに棍棒を持った鬼族のギルド職員が二人をぶん殴った。
「ギルド内で喧嘩すんなって何度言ったら分かるんだ貴様ら! また火炎球で丸焼けにすんぞボケェッ!!」
かと思えば、買い取りカウンターでは鬼族の冒険者が、やはり鬼族の鑑定士の胸ぐらをつかんでいた。
「おいおいおい、何処に目ぇつけてんだテメエ!? この獲物がこんな安値の訳ねえだろうが、あぁっ!?」
「っせーな! 文句があるなら余所に持っていきやがれ! 仕事の邪魔すんなら帰れよクソ野郎!」
鑑定士も負けておらず、冒険者に頭突きを叩き付けていた。
そしてここでも殴り合いが始まった。
鬼族の支部長は特に動じる様子もなく、呆気にとられるゴロネールの肩を、ポンと叩いた。
「この、窓口業務の責任者を頼む。何、前歴と一緒の仕事だ。よろしく頼むよ」
「え、あ……?」
あの、マジでここで仕事すんの?
と言いたかったが言葉が出ない、ゴロネールであった。
その襟首を、大きな鬼族のギルド職員がつかみ上げた。
「おう、新しく来た上司か! じゃあ、こっちの窓口に座んな! 昨日職員が一人、冒険者同士の乱闘に巻き込まれて、入院しちまったんだよ。人手が足りねえ」
「い、いや、僕はここの責任者で……」
ゴロネールは何とか逃げようとしたが、襟首を捕まれていて、それも叶わない。
「誰かがやらなきゃ、斡旋も依頼報告もできねえだろうが! テメエ以外に誰がいるんだよ、あぁっ!?」
言い訳しようとしたら、怒鳴りつけられてしまった。
「ひぃっ! す、すみません……!」
「分かったら、さっさとやれ。書類仕事なんざ支部長一人で充分なんだよ。ここはな、何より第一に列を捌くことだ。それが認められたからテメエ、ここに来たんじゃねえのか?」
「そ、それはそうですけどぉ……」
強引に、カウンター席に座らされ、ゴロネールはもう、半泣きだ。
カウンター業務なんて、ほとんどしたことがない。
それもあるが、並んでいるのがどれもこれも、厳つい鬼族ばかりである。
いつまで経ってもカウンターが開かないのに焦れているのか、一番前の冒険者が、食い殺しそうな顔をゴロネールに近づけてきた。
「オウコラ、世間話してねえで、さっさと仕事しろや。トロトロしてっとぶん殴るぞコラァ!」
「あ、ちなみに誇張でも何でもなく、ぶん殴ってくることはあるから気ぃつけろよ。この辺りの連中は、短気だからな」
「ひいいぃぃ……!」
人脈である親戚は遠いところにおり、その力を頼ることもできそうにない。
ここさえ乗り切れば、次は栄転……かもしれない。
しかし、その前に、この職場で潰される可能性の方が圧倒的に高い、ムヨー・ゴロネール副支部長であった。
……本当は、コミック版発売と併せて掲載しようと思ったんですけどね。
元々は三千文字ぐらいの作品を考えていたのですが、思った以上に長くなって、五日遅れとなりました。
申し訳ない。