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凱旋-4


「おはようございます、辺境侯」


 朝。再び塔の中にその身を見せたレイがアインズに深い敬礼と共に、挨拶を行う。後ろに付き従った5人の騎士たちも同じような姿勢を見せた。ソファーに座ったままアインズは手を軽く挙げて、挨拶の返答とする。


「さて、レイ将軍、それで今日の予定はどうなっているのか? 王国の軍に追撃を行うのかね?」

「はい。昨晩、あれからの会議で追撃は皇帝陛下のご命令あってからと決定しました。幾つかの軍団でこの陣地を固め、王国側に威圧をかけるという案に決定しました」

「そうか。しかし下手に王国側に圧をかけるのは、ネズミのごとき反撃を食らうのではないかね?」

「問題はないかと考えております。辺境侯のあれほどの力を見せつけられ、それで反撃に出るというのはもはや狂人の領域。流石な王国の者達といえども、そのような手段にはでないでしょう。それに綺麗な死体の回収は辺境侯がされると言うことですが、その他の死体の埋葬作業を行わなければなりません」

「そうだな……」


 アインズは少しばかり悪いことをしたという気持ちになる。潰れた死体の埋葬作業は、作業に従事する者たちにかなり精神的な負担をかけさせるだろう。

 ナザリックからアンデッドの群れを呼び出して作業させようか。

 アインズはそんな案を考えるが、口には出さない。今のアインズがやたらと恐れられていることは理解できる。ならば、あまり下手なことを言ったり、出しゃばったりしない方がよいだろうと判断したためだ。

 アインズは思いを口の中のみでもごもごと言葉にする。


「……アンデッドって良い労働力なんだが……その辺が分かってくれれば良いのだが……。意識改善をしないと駄目だろうな。アンデッドは良い労働力ですって」


「……? ……何かおっしゃいましたか、辺境侯?」

「いや、何でもないとも。それでレイ将軍、他に話はあるかね?」

「はい。それでですが、帝都に先行して帰還する組があるのですが、今回の戦争の最高功労者である辺境侯には先行の組に入っていただきたいのです」

「異論は無いとも」


 軍団と一緒に帝都へ帰還するというのは、一週間以上の時間が掛かることとなるが、こればかりは先行して帰るわけにはいかないだろう。

 アインズはそう考え、鷹揚に頷いた。


「ありがとうございます。それで移動系の魔法をかけることで行軍速度を上昇させたいと考えておりますが、辺境侯の馬車にもかけてもよろしいでしょうか?」

「む? ……そうか。いや、大丈夫だ。こちらはこちらで準備しておこう」

「畏まりました。一切の補給をしないで帰還する予定ですので、3日で帝都に到着予定となっております」

「それは早いな。補給しないと言うのは、食料等は持てるだけ持つと言うことかね?」

「……それなのですが、荷物を軽くするため、食料の大部分は魔法で生み出されるものとなります。そのために辺境侯には非常に申し訳ないですが、味の方がお勧め出来ないものへとなってしまいます」


 食料の大部分を魔法で補うと聞いてアインズはふむ、と頷く。

 こういったところがアインズの知識との差だ。

 アインズがこの世界を大雑把に知って驚いたのは、文明レベルに関してだ。

 最初は中世から近世の欧州というのがイメージであった。確かにそれは一部で間違えていないとも言えた。農村の生活はその程度だ。しかし、ある一面においては近代を遙かに超える点がある。

 それは魔法という技術によって生み出される部分だ。

 例えば燃料や電気などを一切必要としないで、明るい光源を作り出す魔法のアイテム。有限ではあるが異常なほど水を生み出す革袋。膨大な馬の食料を容易く生み出す飼い葉桶。微妙な味の麦粥を無限とも思えるほど作り出す鍋など。

 そういった存在があると、アインズの知識からなる予定との乖離は大きくなってしまう。

 アインズは声を口の中で転がす。


「……ほんと、人と共に暮らさなくてはならないな」

「何かおっしゃいましたか、辺境侯?」

「いや、なんでもないとも。レイ将軍。……食料の件は問題にならない。フールーダ。問題ないな?」


 アインズは元々食料は必要ではない。だから共に連れ立つ食料が必要な人物に確認する。


「もちろんでございます。ある程度の食料であれば師の統べる地より持ち出しております」

「そうか……。それで後ろの騎士達は?」

「はっ。この者達は辺境侯の偉大さにひれ伏した者たちであり、私の忠実な部下達です。帰還の最中、私に何かご用がございましたら、この者達に命じていただければと思います」


 騎士の1人が一歩踏み出す。


「あれほどの強大なお力を持つ、偉大なる辺境侯にお仕えでき、これ以上の喜びはありません。私たちを使い潰す気でなんなりとご命じください」

「……了解した。しかし使い潰したりはしないさ。私は忠実な部下には優しい男だ。なぁ、フールーダ」

「おっしゃるとおりです。確かに師は忠誠を尽くす者にはお優しい方」フールーダの優しげな声色が変わり、目には鋭きものが宿る。向けられた先にいるのは当然騎士達。「しかしだからといって師の優しさに甘えるような者ならば、師がお手を下す必要も無く、私の魔法でその命奪ってやると知れ」

「無論! フールーダ殿。そのようなことは決してございません!」


 慌てながらもはっきりとした口調で騎士が叫ぶ。必死という言葉が似合いそうな感じで。


「あれほどの偉大なるお力を見せられてなお、辺境侯にご迷惑をかけるなど考えられません!」


 フールーダがアインズを伺い、その視線に含まれているものを悟ったアインズは大きく頷く。


「……レイ将軍。見事な忠誠心を持つ騎士を貸してくれること、感謝するとも」

「ありがとうございます」


 レイばかりではなく、騎士達も頭を下げる。


「私に対する忠義は当然褒美を持って答えるつもりだ。おまえ達が忠義を尽くしていくなら、それに相応しいモノをやろう。望むモノを考えておくが良い。……個人的には金貨などのつまらないもので無いことを願っているよ。そんなモノは私じゃなくても手にはいるだろ?」

「…………」


 レイ、そして騎士達から返事はない。

 アインズはその奇妙な沈黙に眉を顰めるが、そのまま言葉を続ける。


「まぁ、ゆっくりと考えておくと良いさ。まだ忠義を欠片も見せてもらってないのだからな」

「お一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 騎士の1人がアインズに問いかけた。それに対してアインズは出来る限り優しい声を出すよう心がける。


「なんだ、言ってみろ」

「はい。へ、辺境侯は……死者の復活も可能なのでしょうか?」


 ざわりと空気が動いたようだった。

 レイを含め騎士達の顔にあるのはそんなことが出来るはずが無いという否定的なものだった。事実、帝国に死者の復活を行える人物はいない。かつての主席魔法使いであるフールーダですら出来なかったことだ。

 帝国の人間達の知る復活の魔法というのは、ほとんど神話の世界の話でしかなかった。

 それに対してアインズは不思議そうに頭を振り、顔をフールーダに向ける。


「スレイン法国ならば可能と聞くな?」

「はい、師よ。スレイン法国の大儀式、もしくは最高神官長クラスの存在であれば可能と聞きます。それ以外にも英雄と言われる領域に上り詰めた神官も」

「だそうだが……、質問に質問で問いかけよう」アインズはソファーに座ったまま、ずいっと体を前に押し出す。「何故、その程度のことが出来ないと思った?」

「っそ、その、そのようなことは!」

「おまえ達の顔にはそうはっきりと書いてあったぞ?」


 図星を突かれ、騎士達に言葉はない。別にアインズ自身はなんとも思っていないが、騎士の怯えたような表情にあるのは侮ったと思われたのではないかという考えだ。アインズに押さえるように一歩下がり、ごくりと喉が動く。

 レイが慌てながら口を挟む。


「部下が失礼しました。あれほどの強大な魔法を見せていただけたのに、辺境侯のお力を信じないようなことを口にしてしまって。この失態は私の方――」

「――良い」


 アインズはレイの早口をたった一言で止める。


「復活は神官の領域。魔法使いである私では使えないと思うのは当然だ。剣のみに時間を費やした戦士に、優秀な盗賊の真似事が出来ないようにな。しかしだ――」


 アインズは薄い笑い声を上げながら、さらに続けた。


「死者の蘇生。それが本当に神官のみの技だと思っていたのか? ……くだらん。知るが良い」


 アインズは手を広げてから、強く握りしめる。返すチャンスを失い、いまだ填めていたワールドアイテム『強欲と無欲』がガチャリと金属音を立てる。漆黒の恐ろしい小手に全ての視線が集まる中、アインズははっきりと言葉にした。


「決して逃れ得ぬ死すらも、この手の内よ」


 静まりかえった室内。そんな中、アインズは戯けるように肩をすくめた。


「とはいえ、死者の復活には膨大なエネルギーを必要とする。これは死という領域から魂を引きずり出した際、その魂にかかる負担だ。この負担に魂が耐えきれない場合は、その肉体は灰と変わる。それは魂の消滅であり、二度と復活できないことを意味する。仮に復活できたとしても、魂にかかった負担はその者の肉体を脆弱にするだろう。……この負担を和らげるには、より上位の魔法の力を必要とする。無論、私ならば使えるがな」


 当然、嘘である。

 まず復活に関する蘊蓄だが、結果的にそうなるからユグドラシルの魔法と比べての勝手な想像だ。もしかするとはずれているかも知れない。

 それに魔法職ではあるが、アインズの魔法系統の中に復活に関わる魔法はない。いや、あることはあるが、アンデッドとしての復活であり、決して騎士が望んだような復活ではないだろう。そして当然神官系の魔法は使えないので、復活の魔法をかけることは出来ない。

 しかしアイテムなら持っているし、ナザリックに帰ればペストーニャがそれを行える。

 そう考えれば満更嘘でもないか。

 アインズはそう思い、最初に質問をしてきた騎士に指を向ける。騎士の体がびくりと大きく動くが、それは無視して言葉を発した。


「そういうことだ。納得したか? ただ、死者の復活の儀式はよほどの忠誠を見せてくれない限りは無理だな。まず復活魔法に使う触媒はかなり高額なものだからな」

「……か、畏まりました。忠義を尽くします、い、偉大なる辺境侯に」


 掠れるような声で騎士が返答すると、ゆっくりと頭を垂れた。アインズは軽く頭を振り、それに答える。


「期待しているぞ。ただ……面倒ごとはごめんだ。私が死者の復活すら出来るというのは極秘事項だ。おまえ達が軽い口を持っていないことを祈るぞ? 互いの不利益に繋がるからな」

「畏まりました」


 レイを含め騎士達全員の頭が綺麗に下がった。

 それを見ながらアインズは、自らの対応は合格点だったな、と内心で自己評価を行っていた。




 3日という時間が過ぎた。


 それだけの時間をかけて、帝都の近くまで騎士達は帰還していた。

 最初の日の数時間。カッツエ平野を進むと言うこともあって張りつめていた緊張感は、いまではその欠片もなくなりつつあった。王国と違い、帝国の街道はかなり安全面が確保されているためだ。

 しかしながら、一行の中、一部の騎士達の緊張感は異様なほど高い。

 ある馬車を中心とした一団は、まさに戦闘態勢に入っていると言わんばかりの警戒心を周囲に放っていた。例え仲間の騎士でも変な行動をしたら斬るとでもいわんばかりの。

 ただ、そんなのは本当に一部だ。たいていの騎士は馬車を故意に視界に入れることなく、帰ってからのことに思いを寄せる。


 そんな緊張感が、騎士達の間で徐々に取り戻されていく。

 そしてそのピークは先頭を走る騎士達が、帝都近郊で自らの前方に見事な武装を整えた一団を発見した時だ。


 その者達の着る鎧は白銀のごとく輝く。ミスリルと鉄の合金鎧に、同じ材質の武器。

 彼らこそが騎士の中でも選りすぐられた精鋭達のみが入ることを許される、皇帝直轄の近衛隊の1つ『ロイアル・アース・ガード』だ。

 それらの者が立てている旗。それは帝国の皇旗。帝国軍でも皇帝に直接率いられているときにしか立てることを許されない、最も尊い旗である。

 騎士達はゆっくりと馬の足をゆるめる。

 少しばかりの信じられない気持ちを一緒に。


 ここに近衛隊が待っているというのは、先触れの知らせで知っていた。しかし、まさか皇帝がいるとは思ってもいなかったのだ。

 近衛隊がゆっくりと2つに分かれ、騎士達はある人物を確認する。


 バハルス帝国の頂点に立つ人物。

 皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 帝国の最重要人物が帝国軍を迎えに帝都の外まで出てきたのだ。それはありえないような行為であり、このような事は恐らくは帝国の歴史を調べても滅多に出てこないだろう。

 最高位に立つ者が自分の部下を出迎えるなど。

 その後ろには4人の騎士が追従する。完全ミスラル製の希少鎧に身を包んだ『重爆』『不動』『雷光』『激風』の4騎士だ。ある意味、皇帝が直轄軍を率いて出迎える最高の形だ。


 考えれば大勝した軍を労いに出てきたと考えることは出来る。しかし、そんなことを思う騎士は何処にもいなかった。

 当たり前だ。誰にだって分かる。帝国軍を迎えに出たのではない。

 皇帝が出迎えに来たのはたった1人。その1人のためにここまで来たと。


 ぐるっと視線が動き、後方に見え隠れする馬車に視線が向かう。

 そう。

 アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の馬車に。


 軍というものは命令があって初めて行動をするものではある。しかしながらその瞬間にあって誰もが何も命じられることなく、自発的に行動していた。

 軍勢が割れていった。アインズの乗る馬車に道を譲るように、分かれていったのだ。


 そんな中をアインズの馬車は進み、ジルクニフの前までたどり着く。隣に平行して走っていたレイもまた同じように。



 アインズは馬車を降りると、ジルクニフと向かい合う。

 その瞬間、この頃よく感じる気配がアインズを包み込んだ。

 それは周囲の騎士達から向けられた視線の圧力だ。身をくすぐられるような気さえしてくるほどの。


 アインズは仮面の下、表情の浮かばない顔を顰める。周囲から向けられる視線に動揺している己が身を嘲笑って。

 精神の強い動きは直ぐに押さえ込まれるが、弱いものは種火のようにアインズをくすぐる。その結果の微かな動揺。もはやこれは慣れるしかないと知っていても、どうも慣れる事のできない感覚だ。

 ただ、それは許されないことだ。


 アインズは視線をジルクニフに向ける。

 堂々たる姿勢であり、王者の気配すら立ち込めていた。浮かべている友好的な笑顔も、また王者に相応しい威圧をも含んでいるようだった。

 アインズの心に嫉妬ともいうべき感情が微かに沸き上がる。

 今まで生きてきた人生経験の豊富さと言う差はあるが、同じ支配者として段違いの姿を目にし。


 軽く――出ない息を吐き出す。

 臣下の数などの差はあっても、アインズも友と作り上げたナザリック大地下墳墓の支配者。そして友のいない間はアインズこそが代表として、ナザリックを背負って立っている。だからこそ恥ずかしい姿を見せることは出来ない。そんなことをしては友達たち――かつてのギルドメンバーたちが眉を顰めてしまうだろうから。


 アインズは背筋を伸ばし、堂々と見えるように歩き出す。

 後ろに遅れてフールーダ、そしてレイが続く。


「陛下」


 アインズはジルクニフの前まで来ると、臣下としての礼を取る。後ろで同じように気配が動くのが感じ取れた。


「よくぞ、無事に戻ってきてくれた、辺境侯」


 ジルクニフがアインズの元に近寄り、手を取ってアインズを立たせた。


「ありがとうございます」

「そんなに堅くならないでくれ、我が友、アインズよ。君の圧倒的な力は話で聞かせてもらったよ。まさに君こそ帝国の最高の戦力だ。私は君という友人を持てて、これ以上の喜びは無いとも」

「ありがとうございます」


 再び、そんなに他人行儀しないでくれとジルクニフは朗らかに言うと、後ろで控えるフールーダに視線を向ける。


「それにじ――」ジルクニフは咳払いを1つ。「フールーダ。調子の方はどうかね? 我が友人、アインズの元で魔法の研究は進んでいるかね?」

「残念ですが、陛下。わが師の教えは深遠であり、私が今まで生きてきた中で得てきた知識では灯火にすらなりえないほど。進んでいるとは決して申せません」

「そうか……私としては魔法院などで教師の役目を少しでもしてもらえないかと考えていたのだがね?」

「無理でしょう。わが師の教えを理解できるような位置にいる者は、私がいた頃はおりませんでした。深すぎる知識は身を滅ぼすだけでしょう」

「そうか……残念だ」


 ジルクニフは最後にレイに視線を向けると、即座に興味を失ったような軽い素振りで何も言わずに逸らす。


「さて、アインズ。君の帰還を祝い、パレードといこうじゃないか」

「パレード?」

「ああ、そうだ。今回の戦いにおける帝国の勝利を祝う国民たちに、その姿を見せてやって欲しいんだ」

「……なるほど。了解しました……ジルクニフ」


 ジルクニフはアインズの言葉にニコリと笑うと、手を大げさに広げる。


「今回の戦いにおける最高の勲労をした辺境侯の帰還だ。派手にいこうじゃないか。国民に先触れは行っているか?」

「はい、陛下。既に連絡済です」


 ジルクニフの後ろに控える4人の騎士の1人が返答する。


「騎士達の装備は整っているか?」

「はい、陛下。完璧に整っております」

「ではアインズの馬を引け。辺境侯に相応しい馬を」


 聞き逃してはいけない言葉を前に、アインズは言葉を失う。

 それが何故か。

 理由をはっきり言おう。


 馬に乗れる自信が無かったためだ。

 ユグドラシルにおける騎乗スキルというのはドラゴンやワイバーンなどの飛行系モンスター等変わったモンスターに乗るためのもの。単なる馬であればスキル無しに誰でも普通に乗れた。

 ただ、乗れると言っても所詮はゲームであり、コントロール操作による非常に簡単なものだ。実際に馬を操るのとはまるで違う。

 もしアインズに汗が流れたならば、滝のように流れていただろう。まさか馬に乗れないなんてカッコ悪いことは言えないし、乗ったとしても馬が暴れたりしたらどうなるというだろうか。特に落馬なんてしたら。

 こんなに多くの者の目がある前で。

 そんなことになればどんな評判が立つだろう。今まで自分が作り上げた全てが一気に崩れ去る可能性だってある。

 ある程度の地位にある者は馬に乗れるのが当たり前と言う、この世界の考え方はアインズだってもはや知っている。フールーダとの会話の中で得た情報の1つだ。

 ある程度の地位の人間で馬に乗れないと言うのは、いうなら成人男性で自転車に乗れないと言うのと変わらない珍しさを持つ。しかし、それでも乗れるかどうかの確認はあってしかるべきだろうと、アインズは微かな八つ当たり気味の苛立ちと一緒に考える。


「……ジルクニフ。そのような馬よりももっと別のものを召喚して、それに乗ったりしないか? 馬ではな……」

「……それは勘弁して欲しいのだ、アインズ。これより多くの市民が君の凱旋を祝うために集まっている。その中、騒ぎは一層起こるようなことは避けて欲しいんだ」

「そ、そうか」


 そういわれてしまうと、何も言えない。確かに良い意味での騒ぎなら良いが、これ以上悪い意味での騒ぎはあんまり起こしたくは無い。

 気がついたら後ろが崖だったような気分で、アインズは仮面の下の顔を引きつらせる。


「勿論、アインズの言っている意味も分かる。君ほどの力を持つ魔法使いであれば、自らの召喚した強力な魔獣に乗れないことを不快に思うのも。だからこそ侘びというわけではないが、君に似合った馬を用意させてもらった」


 ジルクニフのこちらに、という声に会わせてアインズの前に一頭の馬が引き出された。

 8本の足を持つ馬だった。見事な純白の毛並みで、それに相応しいだけの鞍が付けられている。その体躯は見事であり、何処までも駆けていくであろうという雰囲気を感じさせた。

 そんな馬が引き出された時に起こったのはどよめき。まるで信じられないとでも言いたげな雰囲気だ。

 それらが意味するところ。

 馬のことは何も知らないアインズですら容易に推測が立つ。それはこの馬が非常に高額なものであるということだ。


「さぁ、受け取ってくれアインズ。私からのささやかなる贈り物だ」


 友人に自慢の贈り物をする人物に相応しい笑顔で、ジルクニフがアインズに馬を指差す。


「あ、ああ。感謝す、するよ、ジルクニフ。こ、こんな素晴らしい馬をもらえて」

「そんなに感動しなくても良いともアインズ。気にしないでくれ。色々と考えたのだが。これ以上君に相応しい馬がいなくてね。スレイプニール種の中でも何百頭の一頭しかいないといわれる白毛だ。……気に入ってくれているみたいで嬉しいよ」


 その笑顔に対してアインズは『こんちくしょう』と言いたく気持ちをぐっと抑える。

 ジルクニフの笑顔がアインズが馬に乗れないことに対する嘲笑のような気さえし始めていた。

 魅了系の魔法と言う線もあったが、アインズは残念ながら人間種以外に対しては修めていない。巻物で所持はしているが、皆の前で巻物を取り出して魔法では変に思われるだろう。

 アインズは助けを求めるようにフールーダの方に顔を動かす。


「師よ、お気にされず。私は適当な馬でも貸していただこうと思います」

「そ、そうか……」

「ああ、アインズ。心配しないでくれ、フールーダにもちゃんと馬の準備はしてあるさ。流石にアインズの馬ほど立派ではないがな」

「皇帝陛下。師に対してこれほど素晴らしい馬をいただけること、弟子としても感謝しますぞ」

「気にしないでくれ。友人の我が侭を聞いてもらうんだ。この程度は当たり前のことさ。まぁ、凱旋を祝っている気持ちもあるがね」


 アインズに対してジルクニフは微笑を浮かべたままウィンクを1つ。

 そんなジルクニフの親しみを込めたお茶目な仕草は、普段であれば大して何も思わないであろう。せいぜい『良い歳なのに外見の良い人間がやると違うな』程度。しかし今のアインズからすると、やたらと不快だった。


「さぁ、アインズ。馬に乗って凱旋と行こうじゃないか」


 敵しかいない。

 アインズは初めてここが敵地だと理解した。タイミングよくナザリックから救援が来るはずが無く、フールーダの助けは無い。そしてよい切りかえしや、逃げる手段も浮かばない。

 ならば覚悟を決めるしかなかった。

 アインズは自分ならやれると根拠無く必死に思い込むと、出もしない唾を飲み込み、スレイプニールに近寄る。

 そして――


 急に立ち位置を変えたスレイプニールの――蹴り上げられた蹄がアインズの顔面に真正面から炸裂した。



 絶句。

 まさにその言葉が相応しかった。

 アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の頭部が潰された。

 それがその光景を見ていた誰もが思ったこと。


 魔獣であるスレイプニールは、通常の馬よりもより強い筋力を持つ。そんなスレイプニールの蹄の一撃は強力かつ、致命的なものだ。顔面が潰れて御の字、ほぼ確実に頭が弾けるのが普通と言っても良い一撃だ。

 仮に兜を被っていたとしても潰され、平たいミートパイの出来上がりだろう。

 スレイプニールは馬ほど臆病ではないが、保有する馬を超える肉体能力は単にじゃれて来ただけでも人間が死ぬ可能性がある。だからこそしっかりと躾けられる。

 それにも関わらず、何故にスレイプニールが暴れたか。いや、暴れたというよりあれは拒絶のようにしか思えなかった。


 そのために騎士たち、近衛隊たちが絶句したかと言うとそうではない。


 事実と直面し、眼を疑わない者はいなかった。

 その即死の攻撃を受けたはず――死体があるであろう場所に、平然とした者が今なお立っていた為に。

 避けたのではなく、防いだのでもない。一撃を真正面から受けてなお、平然としていた。

 それはまさにありえないような光景であり、その一部始終を見ていた誰もが信じることの出来ない光景であった。

 理論的に判断すればどう考えてもおかしいのだ。しかし、事実は事実として変えようが無い。そのあまりの矛盾が思考を狂わせる。

 しかし、その攻撃を喰らった人間のことを考えれば、その空前絶後の光景も当たり前に思われる。


 そう――あの、大虐殺をたった1つの魔法で行ったアインズ・ウール・ゴウン辺境侯ならばそれが当然ではないだろうか、と。

 スレイプニールの蹄ごときで死ぬはずが無いのでは、と。



 ただし、その光景を初めて目の当たりにする皇帝直轄の近衛隊は別だ。

 ヘルムの下では驚愕に目を見開いていた。



「このスレイプニールを殺せ!」


 そんな周囲の静寂を切裂き、怒号がジルクニフから上がった。


「我が友に害をなそうとする馬なぞ必要は無い! 直ぐに殺して侘びとせよ!」


 その声に即座に周辺にいた近衛隊が、驚愕を忠誠心で叩き潰し動き出す。その先頭に立つのはニンブル。手には既に抜き放たれた剣があった。

 そしてそれだけではない。フールーダも魔法を放つ準備をしている。何かあれば即座に魔法をスレイプニール目掛け放つだろう。

 周辺に漂う殺気にスレイプニールが興奮したように身震いするが、暴れようという気配は見せなかった。今まで自分を育ててきてくれた人間に対する信頼があるためだ。

 ニンブルが一気に踏み込み、その剣をスレイプニールに突きたてる。その絶妙な瞬間――


「まぁ、待ってくれないかね?」


 ――平然とした口調でアインズは止める。

 仮面を撫で回しながら、歩き出した足取りに狂いは無い。

 それはアインズが一切損傷を負ってない証。スレイプニールという魔獣の一撃を顔面で受けて、それでいながら怪我を一切していないという証明。もはや驚くことが無いと心の底から思っているニンブル、そして大虐殺を見た騎士たちでも連続する驚きのあまりに心が麻痺している。

 ある意味慣れた者たちですらそうなのだ。

 近衛隊は違う。はっきりとした動揺――いや混乱があった。何か途轍もなくおぞましい――もしくは強大な力の持ち主を前にした、哀れな小動物のように。

 そしてたった一人の貴族のために、自らの主君が率先して都市の外まで迎えに出向いた理由を強く実感する。


 これは――この男は単なる貴族とかそういうレベルで考えて良い類の者では無い。


 そんなことを考える者たちを前に、アインズは平然とした口調を崩さない。崩すようなことは一切起こっていないのだから当たり前だ。アインズからすれば今のはなんでも無い――風が顔に吹き付けてきたというのと、まるで変わらない出来事なのだから。埃が目に入れば嫌な思いはするだろうが、だからといって暴れるというほどのことではない。


「ジルクニフ。この馬は私にくれたものだ。何も殺す必要は無いだろ?」


 スレイプニールはアインズの防御を超えるだけのレベルを有した魔獣ではない。そのために蹴られたが、それでも強く押された程度のものしかアインズには感じられなかった。だからこそ不快感などは一切無い。

 逆に攻撃されたと言うのは良いチャンスだと判断していた。


「しかし、アインズ。君に攻撃したスレイプニールをそのままにしておくのは」

「気にしないとも。こんな体だ。この馬が怯えるのも分かるというもの。ゆっくりと慣らしていくさ」


 アインズはそういいながら仮面を手で拭う。幸運なことに汚れもついてないようだった。ならば別にアインズが怒るほどのこともない。


「そうかね? それで君が良いというのであれば構わないが……時間をくれれば別のやつを用意しても良いが?」


 アインズは内心慌てながら、続ける言葉を考える。

 別の馬を用意します。それに乗ってくださいでは完璧な計画が崩れてしまう。

 そう。アインズは馬に乗らなくても良い策を決行する必要があるのだ。


「……気にしないとも。多少刃向かってくれたほうが……楽しいじゃないか」


 アインズの言葉にジルクニフの瞳の奥に僅かな揺らめきがあった。

 まるで己の策を利用してきた相手に対して、敵意を示すように。

 非常に巧妙に隠されたそれは、生半可な洞察力では決して悟れないほど。事実アインズはそれには気が付かない。


「……そうか……。うん、アインズがそれで良いというのであればそれで構わないとも」

「感謝するよ、ジルクニフ。ではこの馬は私の方でナザリックに送るとしよう。流石に私に慣れない馬に乗るわけには行かないだろう!」

「確かにそうだな。では別の馬を用意しよ――」

「――いや、それには及ばないさ! 流石に他の馬にまで蹴られるのは勘弁だ。それに君からもらった馬以外を使うと言うのは失礼だろ? だから問題なければ馬車を引いてもらおうと思う!」

「なるほど……わかったとも」


 ジルクニフが頷き、アインズもまた頷く。落としどころとしてはちょうど良く、両者共に利益があった。


「それで馬車を使うのは問題ない。ただ、たとえ仮面で顔を隠しているとはいえ、今まで君が乗っていたような姿が見えないような馬車は少し困る。こちらで馬車を用意するまで少し待ってくれるかね?」

「いや、それには及ばないとも。馬車の一台ぐらいこちらで用意させてもらおう」

「そうか……何から何まで迷惑をかけるな。それにしても今回は本当に申し訳ない。まさかこのようなことが起こるとは想定外だった。許してくれ」


 アインズに対してジルクニフは軽く頭を下げる。下げると言っても大したものではない。本当に軽くだ。

 ただしそれでも周囲がどよめくだけの効果はある。自らの皇帝、バハルス帝国の頂点に立つ人物が、臣下に頭を下げたと。

 その行為ははっきりと物語っていた。

 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスがアインズ・ウール・ゴウン辺境侯をどういう存在と見なしているかを。


「いや、いや、気にしないでくれ。私はこの通り動物には愛されない男なのでね」


 そして自らの主君の謝罪を平然と受け入れる辺境侯。

 そこには誰の目からしてもはっきりとした両者の関係があった。


「……ちなみにアインズ。スレイプニールに蹴られた顔は痛くは無いのかね? 治療の必要があったら直ぐにさせてもらうが」

「さて、どう思う? ジルクニフ」

「さっぱり想像が付かないな。君の感じからすると、一切の傷を負ってないようだが……魔法か何かで防いだのかね?」


 ジルクニフの質問に対してアインズはおどける様に手を広げ、それには答えず別の答えを返した。


「秘密さ。ではすまないが少しばかり時間をくれないか。準備をさせてもらおう」




 サブタイトルは馬に蹴られた俺tueeee!! ……すいませんでした。

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