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凱旋-3

 秋月 実様の作品にインスピを受けて書き上げました。お望みの話では無いかもしれませんが、お許しを。

 深い感謝を送ります。

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 その中央に位置する皇城の最重要区画の1つである皇帝の執務室。

 その部屋は深夜遅い時間だというのに、普段以上に多くの者たちが詰めかけていた。多くといっても部屋の大きさからすれば少ない数だ。というのもこの場にまで入室を許される者は、全員が皇帝の信任厚い側近ばかりであり、その才能は皇帝が直々に目をかけたほど。言うならこの部屋こそ帝国で最も優秀な者たちのみが入ることを許される場所だ。有象無象の類では入ることが出来ない。そのために室内にいる者の数は当然抑えられることとなる。

 そして今、そんな広い部屋へと入ってきた騎士に、室内の全員の目が向けられた。向けられたものに眠そうなものは1つとしてない。皆、爛々と輝いている。

 そんな病的な雰囲気すらある視線の束を受けても、騎士に動揺の色は当然見受けられない。

 入ってきたのが帝国最強とされる4騎士の1人、『激風』ニンブル・アーク・ディル・アノックであるためだ。彼のような歴戦かつ死線を潜り抜けてきた者からすれば、この程度の視線でも大したものではない。

 ただし、その端正な顔に浮かんだ表情には、僅かに疲れらしき影が見て取れるが、それは仕方がないだろう。王国との一戦を見届け、すぐに帝都まで戻ってきたのだから。例え飛行する魔獣に乗っているとはいえ、単純に考えれば今日一日での移動距離は半端ではない。

 それだけの強行軍を行った人物に対して、汚れた鎧を拭う僅かな時間すらも与えられなかったのは、この室内に集まった全員が待ち望んだ情報源であるためだ。それを知っているがために、ニンブルもまた疲労した体を押して現れたというわけだ。


「よくぞ戻った、ニンブルよ」

「ありがとうございます。皇帝陛下」


 ジルクニフの優しげな声に対して、ニンブルは深く頭を下げる。


「さて、私は《メッセージ/伝言》で一応聞いているが、この者たちには教えていない。ニンブル。おまえの口から説明するがいい」


 一瞬だけニンブルの顔に怪訝そうな色が浮かんだ。

 なぜ、そんなことを。という疑問だが、それは即座に皇帝に対する忠誠心でかき消される。主人がそういうのであれば、部下である自分の行うべきはそれに従うこと。

 何があったのかを理解し、そしてそれに対しての政策を考える必要がある者たちの、ぎらぎらとした視線を浴びながら、ニンブルは口を開く。

 言うべきは最も重要な部分。帝国の政略に関わってくる最重要点。


「――今回の戦いにおいて王国側の死傷者は恐らくですが、10万を遙かに超えていると思われます」


 その言葉に対し――


「ははは――」


 ――室内に複数の穏やかな笑いが広がった。冗談だと判断した幾人かの闊達な笑いだ。

 常識で考えれば当たり前だ。

 今回の戦いにおいて王国側が動員した兵力は20万を超えるという。その兵力の半分以上をどうやって殺すというのか。

 確かに帝国側の動員した兵力は6万以上。その中には神官や魔法使いなども含まれるので、純粋な戦闘員だけで考えるなら5万前半だろう。そこから単純に計算するなら1人につき2人以上殺せばよい。王国の動員された民兵と、帝国の専業戦士である騎士の実力の差を考えれば不可能ではない。

 しかし、戦争というものは実際はそんな簡単にいくはずがない。一直線に並んで、ただ前の敵を殺せと言うのとは違う。

 正面からぶつかり合えば数の差は大きくのしかかってくるし、命をかけた戦いというのは精神の消耗を激しくさせ、予期せぬ事態を生みかねないものだ。

 人数というのはそれ自体がまさに凶悪な戦略の1つになりうる要因を秘めている。だからこそ、王国は帝国に倍する兵力を動員する。弱い魚が群れを作って強者を追い払うように。

 それだけの兵力差を飛び越え、それだけの殺戮を行うことなぞ、生半可な手段では不可能。

 ジルクニフという帝国の頂点に立つ者の部屋での報告であり、冗談をいうような場ではないと理解した上でも、考察すれば考察するほど、冗談だと考えてしまう。


 しかし、笑い声をあげた者たちはすぐさまその異様な雰囲気を理解する。

 あげた笑い声は尻すぼみに中空に消えていった。


 それは帝国の皇帝たるジルクニフの真剣な表情。そして帝国4騎士といわれる個人としての武勇では最強たるとされる人物たちが決して冗談めいた表情を浮かべてなかったことに起因する。それ以外にも幾人か同じような表情を浮かべる文官がいる。

 それらの表情を浮かべている者たちに共通の事項はたった1つ。


 ――アインズ・ウール・ゴウン辺境侯という人物を目にした者たち。


 静まりかえった室内にジルクニフの声が流れるように響く。


「そうか。それでは詳しい話を聞かせてやれ」


 ジルクニフの言葉に頷いたニンブルに即座に質問が放たれる。誰もがその情報を待ち望んでいたというのが理解できる早さで。


「帝国の軍にも同程度の戦死者が出たと言うことですか?」


 それならば理解できるという雰囲気で、側近の1人が問いかける。それに対してニンブルの答えは明瞭だった。


「帝国兵力に犠牲はございません。死傷者ゼロです」

「…………」


 室内が静まりかえる。

 それから爆発したように騒がしくなった。


「何を言っているんですか、あなたは!」

「どういうことですか! 何をアノック殿は言っているのですか!」

「意味が理解できません! 帝国の兵力に犠牲無く、王国兵士に犠牲が出るなど……王国側のみに災害でも起こったというのですか?」


 すっと手を挙げたニンブルの動作に喧噪がわずかに止む。ただ、側近たちの目には険しいものが浮かんでいた。彼らは皆、文官ではあるが、それでも皇帝が優秀だと目をつけ引き上げた者たち。その視線は歴戦の戦士にも匹敵させるものがあった。

 そこにある感情は変なことをこれ以上言うことは許さないというもの。

 そんな視線を浴びながら、ニンブルは力無く笑う。

 自分もそう感じておりますといわんばかりの、無力感あふれる笑いを。


「今回の一戦はすべて辺境侯の軍勢によって行われております」


 室内の空気が僅かに変化し、幾人かの視線がジルクニフに向かう。それに対して皇帝は微妙な笑みを浮かべたまま口を開く気配がなかった。

 側近たちは新たに貴族となった人物の知られている情報を思い出そうとする。



 アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。

 その人物に関してはまさに未知という言葉が最も相応しい。この部屋に集まっている皇帝の頭脳であり、手足ともいえる側近たち――彼らをしても詳しいことは知らされてない。

 むろん、ジルクニフには何度も情報をほしいという旨は伝えてある。しかし、なぜか言葉を濁されて終わっただけだ。

 そのために帝国上層部において噂されない日は無い、そんな人物にまでなっていた。

 ジルクニフの政略は皇帝という地位についてから、軍事力を背景に貴族の力を削ぐということで一貫している。だからこそ鮮血帝とまで言われているのだ。

 そんな皇帝が自らに次ぐ地位――それも辺境侯という新たに作ってまで――高い地位を与えた人物だ。噂にされない方が変であろう。

 自分たちの陣営に取り込めないか。

 皇帝に対する牽制に使えないか。

 はたまたは辺境侯を経由して皇帝に媚を売れないか。

 無数の思惑が魑魅魍魎として形取っているような、そんな注目の的の人物。その人物が原因の根元にいるとすれば、興味も沸く。



「つまりは……辺境侯は20万の兵力を打破しうる兵力をお持ちということですか?」


 納得はいかないが何とか理解は出来た。そういう匂いを込めながら側近の1人は問いかける。

 いったい、それほどの兵力をこの周辺のどこに隠していたんだとか、一体何者なのだという疑問ばかり浮かび上がる、が。


「何万……いや何十万もの兵力を動員した? いや、何十万程度で可能か? 辺境侯とはどこかの国の王族?」

「亜種族という線も考えられる」

「それよりはそれだけの兵力を帝国国境付近に動かしたにもかかわらず、いっさいの情報が回ってきてないことは不味いことでしょう。皇帝陛下のご意志でしょうか?」

「食料やその他はどこから生み出したのか。私はそちらの方が気になりますね」

「そういうことなのですか、陛下?」


 側近たちの質問に対して、ジルクニフは嫌な笑いを浮かべて答えた。


「まぁ、話は終わりではないだろう。ニンブル続けろ」

「はっ。まず辺境侯ですが、何万もの兵力は有しているとは思います。ですが、その兵力を見たわけではないので、私の勝手なイメージだということを納得してください」

「……そのお答えは変ではありませんか? 持っているからこそ王国の兵力を討ち滅ぼせたのではないのですか?」


 その質問に対し、ニンブルは爆弾を投下する。


「今回の戦いにおいては辺境侯が指揮した軍勢はおおよそ300です」


 沈黙。

 無数の視線にあるのは理解できない感情。そして一部の――アインズ・ウール・ゴウンという人物を見たことのあるごく少ない者たちの、あれならできるという確信にも似たもの。


「……アノック殿はお疲れなのでは?」

「300って……ドラゴンの群れでも支配しているのですか?」

「何を言っている? 300というのは何かの隠喩ですか?」

「皇帝陛下。真実を教えてはいただけないのでしょうか?」 

「確かにその300の兵力はドラゴンにも匹敵するのかもしれません」周囲で起こるざわめきを無視してニンブルは続ける。逆の立場なら自分だってそう思うと考えて。それから1人の人物に視線を向けた「その300はすべてがデスナイトと言われる者たちです」


 ガタッと大きな音がした。

 まずは帝国4騎士の内、ニンブルを除いた3名。そして新たに主席魔法使いの地位についた男だった。その中でも主席魔法使いの驚愕は大きい。

 口をぽっかりと開け、目には異様な光、そして怯えたように身を震わせていた。その異様な姿が300の軍勢がどれほどのものかを充分に周囲の者たちに理解させる。

 デスナイトという未知の存在の強さを肌身で実感させたのだった。


「そんな……馬鹿な……。あんなモノを300も支配しているだと? 辺境侯というのはどれほどの……化け物だ。もはや人間の及ぶところではないぞ。フールーダ様が弟子になったというのも理解できる」

「……主席魔法使い殿。そのデスナイト。強いのですか?」

「桁が違う。……あの凶悪なアンデッドに勝てるのは英雄といわれる領域に足を踏み込んだ者ぐらい。それが300というのは国1つでは討伐できない数だ」


 問いかけた側近の1人に対して、はっきりと断言をした。

 しかし国1つで討伐できない。その言葉の意味を真に理解することは難しい。というのもあまりに想像できないからだ。ただそれでも異様さと強さは充分すぎるほど伝わってくる。

 側近たちの頭にあったのは、帝国4騎士たちと同格の強さを保持する兵士が300人というところ。疲弊という概念を考えず、相手が逃げないと言うのであれば何とかそれぐらいは出来ると、4騎士の強さを知るものは考える。しかし――


「……なるほど。それだけの軍勢を持っているなら10万もの死傷者を生むのも道理かもしれません……ですがそんなに簡単にいきますか? そんなに強い存在であれば王国の兵士も蜘蛛の子を散らすように逃げるでしょう」


 当たり前だ。

 300人で考えれば10万人を殺すのに、1人辺り335人を殺す必要がある。そんなに殺している間に相手が撤退しないはずがない。ならば、という疑問は続いてのニンブルの言葉で、より一層の混乱へと引きずり込まれる。


「……辺境侯はそのデスナイトすらも使ってはおりません」


 室内に静寂が完全に舞い降りた。ほとんどの側近の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいるようだった。

 誰の言葉も無い中、ニンブルがたった一言だけはっきりと宣言した。


「アインズ・ウール・ゴウン辺境侯が行われたのはたった1つの魔法の行使。それだけで王国の軍勢は壊滅したのです。それもものの10分程度で」


 その言葉が室内にいた者たちの脳内に染み渡るまでには結構な時間が必要だった。

 冗談だと判断した方が生易しい言葉。今までの生きてきた、そして勉強してきたすべてを根底から覆すような言葉。それをどうしても受け入れられなかったためだ。

 静寂に支配された時間が経過し、1人の男が最初に口を開いた。


「大変申し訳ありません、皇帝陛下」

「ん? どうした?」

「もはや私がここにいてやることは無いと思われますので、退室してもよろしいでしょうか?」

「何を言っている?」


 不快げに向けられたジルクニフの苛烈な視線を浴びながらも、それでも新たに主席魔法使いになった男は言葉を発する。


「人間の魔法でそれだけの破壊力のある行為を行うことは出来ません。ですので、そのようなことを本当にやっており、しかも仕掛けがないのであるとするならそれは人間の領域には無い者。つまりは神などの世界に立つ存在です。ですので人間の魔法使いである私よりは、神官や吟遊詩人などをお呼びになった方が正解かと思われます」


 自棄と言うよりは、魔法というものに詳しいからこその絶望と諦めだ。


「それとよろしければ私以外の者を主席魔法使いに据えた方がよいかと思います。……皇帝陛下と共に行った魔法使いが私を推薦したという理由がわかりました。あれだけフールーダ様の跡を継ぐことに興味を持っていた奴が何故とは思っていましたが……そんな化け物と多少でも魔法を交えたいなんて思う者がいるはずがございません。そしてそれは私も同じことです」

「それは認められん。おまえこそがフールーダの跡を継ぐだけの力を持つ魔法使いだという調べがついている」

「私ではアインズ・ウール・ゴウン辺境侯の……いえ、確実に足下にも届かないでしょう。研究に次ぐ研究、鍛錬に続く鍛錬。帝国の財と材、それらを使用しても」

「……あれと戦うことの愚かさは重々承知している。あれは……強さと英知を兼ね備えた存在だ。おまえに期待しているのはそういうことではない。もっと別のことであり、帝国の魔法分野での切り札でもあるおまえをそんな勿体ない使い方はせん。だいたい、仮想の敵にかのフールーダがいるんだぞ?」

「……申し訳ありませんでした、皇帝陛下。混乱し、見誤っていたようです」

「かまわない。誰だって生贄にされる、そう思うだろうからな。それでおまえの考えるところ、アインズの強さはどれほどだ」

「先も言ったように人間の領域からは完全に逸脱しています。一言で表すなら辺境侯は魔法という深淵の奥底に潜む化け物です。私ごとき凡才では深さの判別すら出来ない奥底に潜む」

「……なるほど」深く理解したとジルクニフは頭を振り、そらから視線を動かす。「さて、私が《メッセージ/伝言》で得た情報をおまえたちに言わなかった理由がわかったか? こうやってでなければおまえたちは《メッセージ/伝言》の方が偽りだと思ったはずだろ?」


 《メッセージ/伝言》は信用性に欠けるというのが一般的なイメージだ。

 つまりは魔法をかけた相手の認識違いや、嘘を言っていた場合むちゃくちゃな情報が流れることとなる。それら不安から生じる低評価が、一般的に《メッセージ/伝言》による情報伝達網の発展を抑止してきた。


「こういうことだ。さて、アインズという辺境侯がどれほどの存在かも理解したな? ではどうする?」


 楽しげなジルクニフの言葉に返事はなかった。

 神様なみに強い存在が貴族になりました。どうしましょうといわれても、人間では対策なんて考えられるはずがない。黙った側近たちの中、1人がぽつりとこぼした。


「ゴウンという化け物をどのような鎖で縛り付けるのですか? 個の力で国を滅ぼせそうな化け物を」


 それは皆の思いの代弁だろう。自分たちの住む国の中に、桁の違う、人間と見なして良いのか不明瞭な存在が入り込んでくるのだから。それでも通常であれば決して口には出さなかっただろう。しかしそのような言葉を発してしまうと言うこと事態ある意味、辺境侯という地位を与えた皇帝に対しても、わだかまりがあったとも言える。

 しかし――


「いつから」ピリピリとした空気がジルクニフから流れ出す「帝国の重鎮たる辺境侯を呼び捨てにするよう許可が出た? 誰の許可があってだ?」


 がちゃりと金属の音が響く。

 帝国4騎士。その2人が鋼の表情で一歩踏み出したのだ。それは罪人を裁く執行官の顔だ。

 ジルクニフからこぼれ出る鮮血帝たる所以の気配に、室内の殆どの人間の背筋に冷たいものが流れる。


「聞かせろ。帝国の皇帝たる私以外の誰かの許可を得たのか? 私の友人であるアインズの許可でももらったのか?」

「も、申し訳ありません。つい暴言を……」


 ジルクニフの苛烈な視線の先にあった側近が喘ぐように陳謝する。暫しの時が流れ、ジルクニフは軽く頭を振ると口を開いた。


「次はない。アインズの価値を考えればおまえごときゴミにも等しい。それに……どこまでアインズの諜報の手が回っているか不明だ。決して愚かな発言や対応をとるな。アインズはこちらの手も見透かしてくるような英知に溢れる存在だ。変なところを、突っ込まれるような姿も見せるな。お前達の暴言を逆手に取り、帝国内部にナイフを突き入れてくるかもしれないと知れ」


「畏まりました」


 側近達からそう返事が一斉にあがり、その後、訓練していたようにほぼ同時に頭が下がる。その光景にようやくジルクニフは満足げな態度を取り、視線に込めていた鋭いものを隠す。


「先の質問に関しては色々と考えている。お前達が心配することではない。ただ、まず近い問題としては凱旋を祝う準備をしろ。辺境侯の凱旋だ」


 本来であれば将軍や騎士たち――帝国軍将兵ら全員を祝うのが当たり前ではある。たった1人の個人を優先するという考えは異様ともいえた。しかし、この場でアインズという人物の行ったことを知った者で反対意見を述べる者は誰1人としていなかった。


「アインズの軍功面での帝国への貢献は充分すぎるほどだな。そして能力もおまえたちの想定を遙かに上回ることを証明した。これで以後、異論反論に一々対応する必要が無くなったな?」

「理解しました。こればかりは結果を見せられなければ信じられなかったでしょう」

「ただ……少しばかり桁が違いますが」


 側近の1人の呟きに、ジルクニフは苦笑を浮かべる。


「そういうな。私だって王国側の被害はもう一桁少ないと思っていたさ。流石はアインズだな。流石は我らの辺境侯だ」



 そう口にしながら、ジルクニフは内心ではアインズに対して罵声を吐き出したい気持ちで一杯だった。

 ジルクニフの真なる狙いは周辺国家によるアインズ・ウール・ゴウン包囲網の完成だ。しかしこの被害を知ってなお、おいそれとそれに参加しようというものは、もはやいないだろう。特に王国の被害は桁が違う。一気に国力を減少させたことは確実であり、包囲網の一角は既に崩れているともいえる。

 もし、それをアインズが狙ってやったことだとしたら?

 ジルクニフは誰にも悟られないように、頭を小さく振る。

 いや、狙っていた可能性は高い。

 ジルクニフのアインズという存在――化け物に対して最も警戒しているのはその英知だ。あの面識を持った短い時間でこちらの手を読んでくるという。それだけの相手だからこそ、ジルクニフの真の狙いは読まれている可能性は高い。

 それを踏まえたうえで考えれば、そんな魔法――《メッセージ/伝言》でアインズが使った魔法を聞いた時、身震いしたものだった――を使ったのにも理由があるのが見えてくる。

 勿論、あの魔法しかなかったということも考えられるが、そうではないだろう。

 あんな評判を落とすような恐ろしい魔法を使うことの狙い――それはジルクニフ以外にも力、またはアインズという恐怖をはっきりと誇示する目的が考えられた。

 相手は当然、王国であり、そして第三国だ。

 あの戦いはスレイン法国も魔法による監視を行っていただろう。そんな風にあの一戦を注目していた者たちに。


 また一手後手に回った。いや、こちらがアインズの実力を確かめようとしたのを逆手に取られた。

 ジルクニフは舌打ちを抑える。

 一桁少ない被害であれば、ジルクニフの狙い通り、対アインズの包囲網は作れたかも知れない。しかし……。


 ジルクニフは己の顔が歪みそうになるのを鋼の自制心で押さえ込む。

 この場での会議はアインズの耳に聞かれている可能性だってある。だからこそジルクニフはアインズの友人という姿勢を出来る限り崩してはいけない。アインズ自身は見破っているだろうが、対外的にはという意味で。

 ジルクニフは笑顔を見せる。

 アインズへの敵意を巧妙に隠して。そして側近達に心無いことを語る。

 それでも恐ろしい男だという思いまで完全に隠せたかは自信がなかった。



「……しかしながらこれで充分なアピールは成功だ。辺境侯という地位に相応しい力を有していると言うこと。内外への充分な宣伝も。美味そうな匂いが立ちこめだしただろう」

「辺境侯に近寄りたいと思う貴族どもはどうされるのですか? 辺境侯の不快を買っては危険では?」

「問題ない。アインズは智謀の男。何が利益を生み、何が不利益か重々承知している。その辺りでこちらに対して火の粉を振りまいてくるようなことは無いだろう。上手く利用しようとするだろうしな」

「それの方が危険では?」

「違うな。最も恐ろしいのはアインズが自分で動き出すことだ。貴族の馬鹿どもを手足として使うのであればいくらでも監視が効く。それに動きが少しでも掴めれば全体の動きの予測はある程度はつく。インヴィジブルハウンドなどの不可視のモンスターを退治するには水場に引き寄せろと言うそうじゃないか」

「なるほど。それと同時に馬鹿どもを取り巻かせることで重みにするということですね?」

「そうだ。そうやって鎖で縛るように動きを鈍らせる」

「鎖を断ち切ったらどうされるので?」

「派閥を作ったりしないとしても、馬鹿どもが取り巻いていればそれでも充分な抑止になる。無論、それらを囮にしてアインズが動く可能性は非常に高い。あいつは1を見れば、10は看破するだけの眼力があるだろうからな」


 しみじみと語るその姿に、側近達は自らの主人が辺境侯という人物に対して、どれほど高い評価をしているかを深く感じ取る。これほどまでにジルクニフが敬意とも警戒とも知れないものを示すのは、辺境侯で2人目であった。


「それほどまでに陛下は辺境侯のことを高く評価されているのですね」

「ああ。あいつは会った際の少しの会談で、こちらの策を読んできたからな。しかもそれを上手に取ってという反撃までしてくるほどの相手だ」

「それは……」

「まぁ、つまりは決して油断できる相手ではない。……愚痴を言っても仕方が無い。まず私に次ぐ歳費をアインズへの資金として準備しておくよう、財務関係にねじ込め」


 財務関係の管理に関与している者の幾人かが無理難題を押しつけられた表情を一瞬浮かべる。しかし、今までの話を聞いていれば辺境侯という人物がどれほど帝国を揺るがす存在か充分に理解できる。

 嫌なんていえるはずがない。こんなちょっとしたことに、帝国の未来が大きくかかっている可能性があるのだから。


「幾人かの貴族の歳費を押さえてしまっても?」

「かまわん。何が重要かは判別できるだろう?」

「かしこまりました」

「それにアインズの邸宅の準備だ。一等地に最も見栄えの良い館を。幾つかこういう時のために用意していた奴があるだろうから、それらの中で見繕え。それとそこで働く者たち。メイドは見栄えをも重視しろ。……まぁ、あのメイドたちと比べられてはどうしようもないが、な」

「あのメイドたちに勝てる女なんてそういませんよ、なぁ、『重爆』?」

「全くです」


 4騎士の1人、『重爆』のレイナース・ロックブルズが、『雷光』バジウッド・ペシュメルの言葉に静かに同意する。レイナースは4騎士の紅一点である。

 深い青の瞳は極寒の色を称え、表情は固まったように動かない。人形めいた顔立ちは非常に整ってはいる。そんな顔半分を隠すように長い薄い金色の髪が垂れていた。その下に僅かにだが、黒いアザが垣間見える。頬の半分ばかりを覆う黒いアザを、レイナースがあまり外に出したがらないのは誰もが知っている事実である。

 そんな女性は色つやの良い唇を僅かに開く。隙間から真珠のような歯がちらりと覗いた。


「……あのメイドは私たちよりも強く、私が見たどんな女性よりも美しかった。……少々嫉妬してしまうほどです」


 まるで人形のように動かない表情で、さらに平坦な話し方からは嫉妬の色は見えない。しかし、親しい他の4騎士はかすかな感情を感じ取れていた。

 それはたぶん、レイナースが言うように嫉妬という感情だろう。


「確かに」ジルクニフが頷く。「あれの正体は人間以外の生き物だという方が納得のいく美貌だったな。伝え聞く悪魔や天使のように」


 そんなジルクニフの言葉に、側近達の幾人かは男として当然の興味を引かれる。皇帝という地位に立つ、ある意味どんな女でも選べる男の心からの賞賛を聞いて。しかし、この場でそんなことを口に出せるのは4騎士筆頭であるバジウッドのような男だけだ。


「……さて、忘れていけないのが戦勝祝いの贈り物だ。その辺りの準備もよろしく頼むぞ」

「一度に準備しますと、陛下の歳費を超える可能性もございますが?」

「それは仕方あるまい。ただ、それが他の貴族たちに知られるようなことは避けろ。アインズの周りに馬鹿が集まってくれなくては困る。あくまでも私の下にいるということにしなくては不味い」

「戦争の話が漏れ出れば近寄らないのでは?」


 その質問に対し、バジウッドが口を開く。


「そいつは違うとも。軍事力を背景にした陛下の行動のため、各貴族派閥は軍事力の面を補ってくれる存在を求めている。実際俺達や将軍達に軽く声をかけてくる奴は多いぜ。軽くって言っても言葉が軽いだけで目は真剣だからな。てめぇの娘を取引に持ち出す奴なんかごろごろいるぐらいだ。全部受けてたら嫁が今頃50人は超えてるぐらいだぜ。年齢は様々で」


 バジウッドは単なる平民上がりの自分に、色々と声をかけてきた記憶の中の貴族達を嘲笑しながら続ける。


「だからこそ強力であれば強力であるほど魅力的に映るって寸法さ。もちろん賢い奴は近寄らないだろうが、最も賢い奴は足下で腹を見せて転げ回るさ。もちろん、幾人か送り込んで安全を確認したあとにな」


 なるほど、などの声が起こる中、側近の1人が羨ましげに呟く。


「……そんな力を持つ辺境侯は数日内に呆れるほどの贈り物――戦勝祝いとして各貴族の方々から受け取るでしょうね。どれほどの美術品や財が集まるか見てみたいものです」

「くっ! ははははは!」

「へ、陛下?」


 突然の哄笑に側近たちが驚いたように目を丸くする。割れんばかりの笑いがしばし続き、それからジルクニフは己の目尻に浮かんだ涙を拭った。


「すまんすまん。少しばかり面白すぎる冗談だった。財か。アインズの住む居城を見た後で、アインズを感嘆させる財が贈られるとは到底思えなくてな」

「ナザリック……でしたか。そこはそれほどの場所で?」

「白亜の宮殿。神の座する聖地。最高級の物のみで構築されたような場所……だったな。もちろん、すべてを見たわけではないが、会ったときにアインズが身につけていた物の価値の合計が、帝国の国家予算に匹敵すると言われても納得できたぞ」

「それほどの……」


 あまりにも想像できない光景に側近達は言葉に詰まる。荒唐無稽すぎるためだ。そんな中、ある1人が致命的な失態に気がつき、慌ててジルクニフに尋ねる。


「では……贈り物はどうしましょうか? 金銭的な価値ではなく、希少性を重視したものということでしょうか?」

「……確かに。それは困ったな……。誰か良いアイデアは無いか?」

「……ならば勲章を作ってお渡しするというのは? 圧倒的多数を屠った者にしか渡されないような勲章を作って」

「それは悪くないな」


 ジルクニフが頷く。

 部下に任せることで、アインズの不満が生じた場合はそちらに逸らすつもりだったが、勲章であれば価値としては充分だろう。何よりアインズには帝国の勲章はまだ授与されていない。そういったことも考えれば妙案だ。

 本来であれば戦勝の祝いだが、新しい勲章の製作までも考えるなら、充分な祝いになる。


「では勲章の製作にかかれ。どうせアインズしか付けることの無い勲章だ。豪華にやって良いぞ」

「畏まりました。ではすぐに典礼の者などを動員して製作に入ります」

「よし。色々と決めていかねばならないことも多いが、ひとまずはアインズの凱旋を迎える準備を大急ぎで行え。それと平行して王国と会談する準備と草案を作っておけ。戻ってきた将軍たちの幾人かの話を聞いてからだが、最低でもエ・ランテル近郊はアインズに渡すためにもらわなければ話にならないからな」


 エ・ランテル近郊という領土をアインズに渡すことで、帝国は法国、王国に対する備えにもなる。そして彼らがアインズにちょっかいをかけてくれれば向こうから生贄が飛び込んでくれることとなる。


「ではついでにアンデッドの多発する地帯である、カッツエ平野も納めてしまえばちょうど良いですな。あそこに沸くアンデッド討伐に騎士を割くのも、犠牲者が出るのも金銭的に大きな出費でしたから」

「確かに。あそこの警備をしないで良いとなると、そこそこ余裕が出ますね。……どうされました? 陛下」

「ん? いや、あの地をアインズのものにするというのが良いことなのかと思ってな」

「それはどうして?」

「……無限の兵団を作り出してきそうな気がしてな。アンデッドは食料等を必要としないからな。……いや、まぁ、しても仕方が無い不安だな。よし、あそこも当然アインズに渡すとしよう。帝国にまるで損が無いことだしな」

「その辺境侯の領土問題ですが、領土での収益が順調になるまで帝国の支援も必要でしょうか?」

「……必要ない。アインズがどの程度まで行えるか、魔法的手段で解決するのか、その辺りの力は見たいからな」

「では支援の用意はしなくても?」

「まさか。準備はしておけ。アインズが言って来た場合は即座に貸し出し、恩を売る準備をしておくんだ。まぁ、そんなことにはならないだろうが、こちらの腹を読んでくる可能性もあるからな」

「では陛下。辺境侯に渡す領土の線引きをお願いしたいのですが?」

「そうだな。あとは王国側がどの程度の譲歩をするかだが、最低でもエ・ランテル近郊どころか都市そのものを欲しいな」


 幾重も城壁を持つ王国の守りの柱。

 そして3国への街道を持つ重要拠点。それを王国が簡単に差し出すはずがない。しかしながらジルクニフもそして側近たちも手にしたという態度が言葉の端々にあった。何故なら――


「……辺境侯の武を全面に押し出せば問題ない交渉になるでしょう」

「だろうな。いざとなったらアインズにもう一度頼むだけだ」


 側近の言葉にジルクニフは笑う。

 アインズという人物は非常に危険であり、恐怖してしまう存在だが、直面している王国はもっと恐怖だろうと。


「今日は美味い酒が飲める。王国の運命に乾杯だな。あー、鎖の一環としてはアインズに妻をあてがった方が良いかな」

「……陛下。あの方はそのぉ、子供が出来るんですかね?」


 子供が出来るのかという奇怪な質問をしたバジウッドに視線が集まるが、答えを語る気配がないことを確認するだけで終わる。ジルクニフもまた答えそうな気配はない。


「さぁな。しらんよ。ただ、子供が出来るとかそんなことはどうでも良い。妻という鎖で縛れるか確かめてみるだけだ」

「貴族の皆様のそう言ったお考えは少しばかり理解できませんね。結婚って奴は愛し合った者同士って気がするんで」


 その言葉に側近のほとんど、貴族という社会を知っている者たちが苦笑とも嘲笑とも取れる微妙な笑いを浮かべた。その中にあってジルクニフが浮かべたものは違う。決して嫌みなところも計算しているところもない、本当に無邪気な笑い方だ。


「バジウッド。私はおまえのそう言うところは好きだぞ。色々な貴族に娘をどうだと薦められているにも関わらず、断っているおまえの考え方はな。ただ、貴族というのはそうは行かないものさ。家と家の繋がり、そういった物が優先される。もしかするとこのまま行けば、非常に嫌だが、私の側室にあの気持ちの悪い女が送られてくるかもしれない。そういうものなんだ」


 そう言いきったジルクニフを後押しするように、側近の1人が口を挟む。


「どこかの貴族が辺境侯の親族の地位を手にする前に、何らかの手段を執られた方が良いかとは思います」

「そうだな。牽制は必要か。しかし館に招かれた辺りで……夜這いを仕掛けられるアインズの姿は見てみたいものだがな。まぁ、良い。何か考えてみるか。ちょうど良さそうな相手を捜してリストアップしておけ」

「下は幾つぐらいからでしょうか?」

「そうだな。別に気にすることはないだろう。出来るようになるまでは妾でも作れば良いんだから」


 そう命令を下し、アインズの姿を思い描いたジルクニフも疑問を抱く。

 あの服の下は一体どうなっているんだろうか、そして性欲というものはあるのだろうかと。




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