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学院-8 (B面)

 これは12/24投稿2話目です。前話をお読みください。



 馬車の荷台に座り、手綱を握るランゴバルトは胃の辺りにチクチクとした痛みを感じていた。帝都を出発してからずっと続く痛みであるが、ふと疑問を抱く。

 これは本当に旅に出てからの物だろうか、と。

 冷静に思い出してみると、もっと前、モモンという得体の知れない人物と出会った時から頻繁に生じるようになったような気がする。だが、これだけは言える。この旅に出てから急激に悪化していると。そして今も現在進行形で。


(──今度、神殿に行こう。モモン様の所為だと言えばあの父も治療費ぐらい出してくれるだろう。出さなかったら……モモン様にあることないこと……痛……)


 ランゴバルトは胃の辺りを上から押さえながら、周囲を見渡す。状況の変化を確認するためだ。しかし、瞬時に瞳に宿っていた希望という名の光を消失させてしまった。先程馬車を止めた時から、状況は何も変わっていないことを悟って。

 馬車を取り囲むように、息苦しさすら感じてしまう嫌な気配が漂っている。まるでそこだけ夜がいち早く来たようであり、淀みは触ることすらできるのではと思えるほど濃厚だ。

 いや──変わるはずがない。


(あんな腰抜けどもにどうにかできるはずがな……痛い。チクチクする……。痛いだけじゃなく、吐き気もするし、なんか胃の腑に重いものが収まっているような違和感もあるし……最悪だ)


 一行の位置取りとしてはランゴバルトは荷台に座って御者を務めている。その横に騎士の一人──この騎士班の副班長が座っていた。後ろの幌の中にはモモンだ。

 そして騎士たちが馬車の周囲に展開して警護役を務めている。馬車を中心に適切な間隔を取った、警護の教本にも載りそうな見事な陣形だった。

 無駄口一つ立てずに、その顔は正面を見据えたままの姿は、確かに警護任務に就いている騎士としては正しい姿なのかもしれない。例え、草原という遠くから敵が目視が可能な場所においても、油断しないというのは非常に正しい姿ではあるだろう。しかし、まるでそれは人形のようにも映る。

 第一、集中力というのは無限に続くものではない。ある一定以上時間が経過したのであれば、脳を休める時間は必要だ。にも関わらず続けることができるのだから、騎士という職に就いている者はほんとうに凄いとランゴバルトは皮肉げに思う。


 いや──


(逆か。そんな状況を作り出した原因が責任を取らないのだから、最低の類だな。本当に凄いというのはこの嫌な雰囲気を払拭するべく行動する奴のことを言うんだ)


 ランゴバルトは心の中で嘲り笑う。

 今までランゴバルトは騎士に対して含むところはなかった。この旅が始まった直後など、同じ苦労をする同志という意味での親近感さえあったほどだ。しかし、今はない。それどころかこの胃痛の発生原因の一つとして、苛立ちの対象へと成り下がっていた。


 ランゴバルトは空を見上げる。

 夕日が地平の彼方に沈みつつあり、空は気持ち悪いほど真っ赤に染まっている。時間を考慮すればそろそろ野営の準備に入った方が良い。しかし、騎士たちがそれを言い出す素振りは一切なかった。まるで命じられないのであれば、夜を徹して強行軍を続けても構わないと言わんばかりの、頑なな雰囲気がある。

 いや、彼らは休みなく行軍したとしても文句を一言も言わないだろう。


 これは確かにテストである以上、ランゴバルト達の対応の一つ一つがチェックされ、評価につながる。そういう意味ではランゴバルトたちの対応を見るために、口を出さないという強ち間違いでもないだろう。


 しかし──それは決定に口を挟まないということではない。

 学生の選択に間違いがあれば──旅慣れないランゴバルト達がミスをするのは当然だ──助言をすることように命令されているはずだ。危険の多い旅において、致命的な選択ミスが生死にかかわることはあり得る。そのため夜目の効かない人間にとって最悪な状況である夜を迎えるにあたって、提案しないのは許される行為ではない。

 もし夜にモンスターに襲われても、自分たちが適切に処分するからと考えていたとしても、それは傲慢極まりない。ドラゴンが飛来するということだって、絶対に皆無とは言い切れないのだから。


(怯えているのは知っているさ。火球に手を突き出すやつはいない。しかし、叱られることを恐れる子供じゃなく、帝国の誇りある騎士だというのだから、それはそれとして対応すべき──いや、こればっかりは難しいか。同じ立場だったら自分だってこんな態度を取るかもしれないな)


 初めて不快感などの負の感情よりも、憐みなどの同情心が強くなる。その状況下に自分が立たされたとき、同じような行動を取るのではないだろうかという思いからだ。

 しかし間に立つと考えた瞬間、胃の不快感の後に口内に広がった酸っぱい味が浮かび上がった感情を霧散させた。


(誰がドラゴンの巣に入るものか。お前たちの失敗はお前たちで償え)


 彼らのみならずランゴバルトも恐れていた。  

 この旅はある一人の男の気分によって全てが握られている。

 今のところは機嫌の良い様子を見せている。しかし、そんなはずがない。そんなことだったらあんな嫌味なことはしない。楽しげなのは猫が獲物を弄ぶ、そんなサディスティックな感情から来ているのだろう。


「──ランゴバルト」

(……う、吐き気が)


 後ろから声がかけられ、胃がきゅうっと締め付けられる。隣の御者台に座ったまま、長い間何も喋らない騎士が身震いしていた。

 喉の奥の方にこみ上げた酸っぱいものを飲み込み、ランゴバルトは貴族としての人生の中、大量の経験を積んだ自慢のポーカーフェイスで振り返る。


「ど、どうしました、モモンさ、様」


 幌の隙間から顔を出したごくごく平凡な男にランゴバルトは問いかける。戦場のみならず様々な所で戦ってきた騎士ですら震えを隠しきれない相手に対して、声があまり震えなかった自分がとても誇らしかった。


「そろそろ夜になるようだが、野営はどうするんだ?」

「そ、そうですね。どうしましょうか。どうした方が良いと考えますか?」


 問いかけたのはランゴバルトの横に座る騎士だ。

 彼はランゴバルトに非難するような視線を向けてきたが、彼はそれを無視する。


(チャンスはやったぞ。ほら言ってみせろよ)


 危険に飛び込もうとする愚かな相手を安全な場所から眺めるときに感じそうな、性的興奮にも似たものがランゴバルトの体を駆け巡る。

 幾たびか深呼吸を繰り返してから、騎士が口を開いた。


「そうですね、モモン様。私どもはモモン様の指示に従いたいと思うのですが、如何した方が良いと思われますか?」

「早急に野営を開始するべきだろう。……いつも通り、街道脇にある野営地を使えばいいんじゃないか?」

「やはり! 流石はモモン様。私もそれが良いと考えておりました。では次の野営地を見つけたらそこで野営準備に入るということでよろしいでしょうか?」

「良いんじゃないか? ランゴバルトはどう思う?」

「それで良いと思います、モモン様」

「ならば決定だな。野営地は──幸運なことだな。あそこにあるな」


 真っ赤に染まった草原を先に先にと視線を動かしていくと、確かに街道脇に整地された場所があるような感じがした。そこには黒い影が立っているようにも思える。この距離では断言しかねるが、モモンの言うことであれば間違いないだろう。

 まず、今の状況下で嘘をつくメリットは皆無に等しい。

 それに旅の最中よく分かったことだが、彼は人間を超越したような視力を持っている。何らかのマジックアイテムを持っているという線が一番納得がいく線だが、人間以外の血が流れているという線も十分に考えられた。


 例えば──ドラゴンなどだ。


(竜王国の女王は古代の竜の血を引くとかいう話を聞いたことがあった──まぁ、どうでもいいか)


「では班長殿に野営の件を伝えてくださいませんか?」


 ランゴバルトは隣に座る騎士に問いかけると、彼が答えるよりも早くモモンが口を開いた。


「それぐらいであれば私がやろう」

「い、いえ、モモン様がされるほどのことは。ここから大声を出して呼べばいいだけなのですから」

「なぁに、彼らは警戒任務に集中しているようだ。大声を出して彼らの邪魔をするのも悪い。ちょっと行って話してくるだけだ」


 ランゴバルトが遠慮するよりも早く、モモンの顔が幌の後ろに隠れる。馬車の後ろから誰かが大地に降り立つ音が聞こえた。


「行かれましたね」

「行かれたな」

「……さて、それでは聞かせていただきましょうか? ずっと私に何か言いたいことがあるのでは? 今でしたらモモン様に怯えることなく出来ると思いますよ? 勿論、話されなくても結構。私には損にはならないと確信を持っておりますので」


 ランゴバルトは嫌味たっぷりに騎士に問いかける。ここで明確にすべきだろうから。


「ああ。気が付いていたか」

「多分、モモン様も気が付いていたと思いますよ。そうじゃなかったらあんな嫌味は普通しません」


 ランゴバルトがこれ見よがしに視線を後ろにやれば、それがどういう意味を持つかを知っている騎士が苦虫を噛み潰したような表情をした。


「……先にこれだけは知っておいてほしいのだが、別にこれは我々が行ったわけではない。上がそうやって準備しただけで、私たちも被害者だ!」

「声が大きいですね。モモン様に聞こえることを望まれているのですか? ……そんな言い訳がモモン様に通じるか、ご自身の幸運に期待すべきでしょうね」

「……我々としては君の取り成しを得たいのだが。これは騎士全員からのお願いだ」

「勘弁してください。モモン様の怒りが私に向いたら、誰が責任を取ってくださるのですか?」


 初めてそれに思い至ったという表情を騎士が浮かべ、ランゴバルトは己の顔が冷ややかな笑みを浮かべたのを悟る。騎士は自分たちで状況をよくしようとするのではなく、第三者を危険に晒す手段を──彼らにとっては最も安全だからと言って提案したのだ。これほど不快なことはない。


「君と班を組んでいるのだから……」


 言い訳としかランゴバルトには聞こえなかった。


「……ちょうど良いところに道具があった程度にしか思われていないと確信してますけどね。というよりも何を考えて私と班を組まれたかさっぱり分かりませんよ」ランゴバルトは重く息を吐き出す。「さて、予想は出来ていますが、聞きましょう。何を取り成しして欲しいのですか?」

「……馬車の車輪の件だ。うちの魔法使いならば直すことができるんだ」

「でしょうね」ランゴバルトは吐き捨てる。「あまりにもワザとらしい壊れ方です。元々すべての馬車の車輪が時間で壊れるような細工がされているんでしょうね。普通であれば立ち往生だ。そこを騎士団所属の魔法使いが直すことで、敬意や関心を植え付ける。旅が終わった後、学生たちがお互いの旅を語り、細工したことだとばれたとしても、こういった事態への対処を見たかったと言えば、納得できますしね。……モモン様にそのまま言ったらどうですか? なんで言えないんですか?」


 ランゴバルトは鼻で笑いながら問いかける。

 騎士は目を伏せると、ぽつりと答えた。


「怖いからだ。もし試したというのを知ったらどう思われるのだろうと。俺たちは皆殺しにされるのではないか、そんな心配がある」

「そうですね。あんな手段でそのまま旅をしているぐらいですからね。苛立ちは間違いなくありますよね」


 視線の先は幌馬車の後方。壊れた車輪のある辺り。

 車輪はいまだ壊れたままだが、問題なく旅は続けることができている。というものモモンの代案のお蔭だ。


 そう──黒の騎士。


 それが二体掛かりで馬車を持ち上げ、ついてきているのだ。あり得ない腕力と持久力であり、もはや薄々とは悟ってはいたが、人間である可能性は皆無だ。ならばと正体について考えれば、ゴーレムであろうことは確実だが、そうだとするとモモンはどうやって彼らを学生として入学させることができたのか。

 あり得るのは学院長に対する圧倒的なコネを持つことだろう。次点では学院長に近い立場の人間に強いコネがあるというところか。


 それと買った奴隷は何処に行ったのか──そこまで考え、ランゴバルトは己の脳みそから疑問を放りだす。取りあえずは今はどうでもよいことだ。

 問題になるのはあの黒い騎士に運ばせるというあり得ないほどの頭の悪い考えをモモンが行った理由。それは言うまでもなく一つしかない。


「あんな対応、普通しませんよ? モモン様の苛立ちが明白に伝わってきますね。お前たちの力など借りない。そのためであればどれほどの無茶でもやってやるという」


 そうだ。ようは騎士の行いに対して不快感を抱いたからこそ、あんな手段を使っているのだ。


「分かっている!」

「声が大きいですね」


 下唇を噛みしめた騎士に憐みの目を向ける。しかし、同情はしない。どちらに立つのだと言われれば、ランゴバルトはモモンという強者の側に立ちたい。しかし、それにしても彼は一体何者なのか。


 ランゴバルトはモモンを前皇帝の子供、もしくはそれに連なる者だと思っていた。

 鮮血帝によって彼の弟たちは全て粛清されたという話だが、実際は何らかの理由──憐れみなどの感情とは思えないが──で死んだことにされた人物という線だ。もしくは昔から幽閉されていたという線もある。


 ランゴバルト的には後者を押している。

 これは根拠皆無な想像ではない。


 まず、彼はあまりにも物を知らない。そしてあまりにも空気が読めない。そして常識を弁えていない。漂う貴族の品位ともいう物も薄い。確かに礼儀正しさなどは有しているが、知識として教育されただけであり、身に沁み込んでないのだ。

 以上の点から、幽閉され、ごくわずかな人物しか会えなかったとするなら──ならばモモンと初めて会った時の父親の態度の急変も、学院へのコネも多少は納得がいく。

 幽閉された人物を何で知っているんだという疑問には、彼らほどであれば噂などで話を聞いたことぐらいはあるだろうからと答えられる。


 だが、あの黒い鎧兵が謎を生む。


(──モモン様はあの黒いゴーレムに命令を下す際、デスナイトと呼んでいたが、それはあのゴーレムの名前? デスナイトゴーレムというゴーレムの種類?)


 まず、帝国のみならず、ゴーレムという存在は非常に稀である。これはゴーレム作成技術がしっかりと確立しているわけではないからだ。

最弱とされるウッドゴーレムでさえ作り出すには、高位の魔法使いたち複数人を一年は拘束することになるだろう。

 だからこそ強いゴーレムは国の決戦兵器的な存在とされる。

 有名な物であれば、大陸中部のビーストマンの連邦に存在する四体の八メートル級ケンタウロス型ゴーレム──当時は八体──はミノタウロスの国家との戦いにおいて圧倒的な力を見せつけたと言われる。口だけの賢者と言われる存在が残した武器が無ければ、国家がたった数体のゴーレムによって壊滅されたと言われる程だったのだ。

 強いゴーレムとはそれほどなのだ。


 ランゴバルトはモモンの引き連れたゴーレムが、どれほどの力を持つかは知らない。しかし、ウッドゴーレムやストーンゴーレム、アイアンゴーレムよりは強いはずだ。

 ではそんな帝国の秘密兵器に相応しそうなゴーレムは何の理由でモモンに従っているのか。個人で複数体を持つ理由があるのか。それともあれは場合によってはモモンを殺すような命令を受けているのか。


 こういった未知がランゴバルトを混乱させると同時に、騎士たちを怯えさせている。


 モモンは冷静に評価すれば、静かな狂人という言葉が非常に似合う。

 ただし、単なる狂った学生だというのであれば騎士たちはここまで恐怖を感じたりはしないだろう。彼らがそんな感情を感じる理由は、モモンが振るえば騎士を容易く殺し得る鋭い刃物──デスナイト──を持っているためだ。

 狂人がその武器を何時振るうか、どんな理由で振るうか、と戦々恐々しているのだ。


 そしてもう一つ。これは何の証拠もないが──


(──モモン自身、化け物のような気がする。もしかしてかの大魔法使いパラダイン老に匹敵する?)


 幾らなんでもパラダインという伝説級の魔法使いに匹敵するのは無理だろうが、単なる学生の範疇には決して収まらない力を感じさせるのだ。闘技場で強いモンスターを見た時の、肌が泡立つような感じが時折モモンから漂ってきたがための予感だ。

 そしてそれは騎士たちも感じているような素振りを見せていた。


(本当に何者なんだろう?)


 謎が謎を生み、必死に辻褄を合わせようと考えている内に、ランゴバルトの頭の中にはモモンのバックストーリーが勝手に浮かび上がっていた。


 皇室に生まれながらも、その身に圧倒的な魔法の力を持つため、危険だからということで塔に監禁され、碌な教育を受けれなかった。しかし、鮮血帝によって何らかの理由によって解放され、現在学院に入学した──。


(よくある物語とごっちゃにしているな。……しかし、それ以外にどんな線がある? 分かるなら誰か教えてほしいな)


 ランゴバルトは心の中で愚痴りながら、何が最も自分にとって有利に働くかを考える。

 まず、モモンと無事に帰還することだろう。そして──あとは父親に総べて擦り付ければよい。


(ならば最優先事項は父にも言われてはいたが、モモンの機嫌を損なわないことだ。……やはり騎士に味方は愚かだな)


 ランゴバルトは自らの取るべき道を思案している間も騎士の愚痴は終わってなかったようだ。そのあまりにも愚かな態度に腹の底から苛立ちがこみ上げてくる。


「馬車を用意したのは学院ではないか……。なぜ、私たちが……」

「そうですね。だからこそあなた方は無事じゃないですか。私たちが選んだ馬車での事故です。ならば責任は私たちに帰依するところで、あなた方を罰したらおかしげなことになる。ただし、馬車を直す魔法を使用できる人間が警護としてつけられた騎士班の中にいるというのはどんな偶然だということになる。その場合は見え見えの意図からモモン様がどのような手に出るかは……私は見たいとは思いませんね」


 ランゴバルトは肩を竦める。


「モモン様も非常に強い。私はそう確信していますが、どうですか?」

「私たちは帝国を守る騎士であり、私たちに害をなすことは帝国に対して弓を引く行為であり……」


 もし言葉が震えてなければ雄々しいと言えたかもしれない。

 ランゴバルトは自分でも信じることの出来ない慰めを口にする騎士を笑う。


「自分でも信じてない威光に頼って……。そうですね。旅の中、恐ろしいモンスターに襲われて、雄々しく戦った騎士たちは全滅。という話がモモン様からあった場合、私は賛同しますからね」


 騎士が鋼の光を瞳に宿してランゴバルトを見据えた。しかし──


「自業自得でしょ?」


 ──たった一言で力なくうなだれる。


「自分の命は惜しいんです。仲直りはあなた方で頑張ってください」



◇◆◇



 野営地から少し離れた場所にアインズは移動をする。草が吹き抜ける風によってさらさらと音を立てている。

 街道沿いに視線を動かしていくと、星とは違う輝きが遠くに見えた。赤い光はかがり火、もしくはそれに連なる物だろう。おそらくは5キロほど先にある野営地でキャンプをしている者たちがいるのだろう。


(もしかすると同じ学生かもしれないな)


 アインズであれば即座に到達できる距離だが、見に行こうという気持ちや、魔法で調査しようという気持ちにはなれなかった。アインズは肩を落とすと野営地を眺める。

 野営地というのは帝国の主なる街道の脇に時々ある場所で、井戸と屋根しかない小屋のセットのことだ。横殴りの雨だと壁がないため、周りを布で覆うなどの準備が必要であるが──

 騎士たちが総出で慌て準備をしており、アインズの出る幕はない。いや、協力を申し出はしたが、丁重に断られてしまったのだ。


(空気が悪いな。いや、私の所為なのは分かっているんだが)


 だからこそここに逃げ出してきたという面があった。


「今日は雨も振る気配はないし、彼らの準備もすぐに終わるだろう」


 アインズは隣に並ぶデスナイトに話しかける。もちろん、返事は帰ってこない。壁に話しかけるような、自分は何をやっているんだろうという空しさを感じてしまう。これでランゴバルトでもいれば良い話し相手になったかもしれないが、彼は騎士たちの働きを監視している。

 彼曰く「キャンプの指示なども私たちの採点に繋がる可能性があるので、私がやっておきます」とのことだった。


 荷台に乗って手綱を握ってきた彼に更なる仕事をさせるのはアインズとしても気分が悪かった。チーム──班であるのであればそれぞれが協力し、助け合うべきだ。誰か一人に働かせるなどチームメイトの行いではない。

 実際、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー達で誰かに任せきりにするような奴はいなかった。


 アインズは傍らのデスナイトに目をやる。

 これも全て、己の目的がうまく行ってないがためだろう。


(プレゼンテーションは苦手だ……。大体、奴隷制度があるのであれば、奴隷アンデッドだっていいじゃないか……)


 アインズはデスナイトを闘技場で活躍させることで、一般大衆に広く知らしめることが目的だった。しかしそれはジルクニフの口から待ったがかかってしまった。

 一つのプレゼンテーションが失敗したからと言って、諦めるには惜しい。

 だからこそ、次なる手段。騎士たちにデスナイトの凄さを見せることで、口コミで騎士たちに広めようとしたのだ。

 帝国の治安を守る、武の要である騎士たちの口コミで「戦闘能力が高く、更には休みない行軍、野営など様々な面で有益である。騎士団に所属させるべきアンデッドだ」という話が流れ出せば、ジルクニフも無視できないだろうと思ったのだ。

 だからこそ、馬車の車輪か何かが壊れたのをチャンスとばかりに、デスナイトの力を見せつけた。


(あれから雰囲気が急激に悪くなったものなぁ。やはり騎士である彼らの顔を立てた方が良かったか。腕力に自信を持っていたんだろうし……。これもジルが悪い。確かにジルの顔を潰しかねないことをしたかもしれないが、これは個人の友情ではどうにもならないレベルでのメリットがあるからな……)


 アンデッドは非常に優れた労働力なのは間違いない。

 食事せず、疲労せず、命令に盲目的に従う。いうなら機械と同じだ。

 現代社会を知るアインズは機械の素晴らしさをよく知っている。そして機械がどれほど人々の生活に密着したものかを熟知している。だからこそ、アインズは確信していた。アンデッド産業は売れる、と。


 実際、フールーダから聞いた話では、帝国もアンデッドを使用した畑作業などを考えているらしい。ならば、そこに食い込むことは、アインズに莫大な利益を生んでくれるのは間違いがなかった。

 しかも、帝国は実験を繰り返している段階であり、成功と言えるレベルにまで到達してはいない。


(つまり、ここでパイオニア、先駆者となればそのメリットは想像を絶するはずだ。この事業の全てを握るチャンスが目の前に転がっているんだぞ。どんな手段を取っても有効性をアピールしなくてはならない)


 帝国でアンデッド事業が成功すれば、それは間違いなく他国でも有益に使われていくはずだ。

 というのもある国一つが国力を増していく状況を他国が許せるはずがないからだ。確実に自分たちで事業を行うか、アインズの販売するアンデッドを購入しようとするだろう。


 アンデッド産業の非常に優れた点はここだ。

 例えば機械であれば、販売した物をコピーされる可能性は高い。しかし、アンデッドをコピーできる手段など無い。そして新しい技術である以上、実験を繰り返して研究を重ねていくには時間がかかる。となると、帝国との国力の差がどんどんと広がっていくこととなるので、周辺国家は間違いなく、パイオニアであるアインズから買うことを選択するだろう。

 周辺国家に広がったアンデッド産業はさらにその周辺国家に広がり──やがてはこの大陸すべてでアンデッドが様々な用途で使われることとなるだろう。


(市場を完全に独占すれば、そこから生み出される富は膨大なものとなる)


 勿論、ジルクニフがアインズにアンデッド事業を他国に広めないように要望を出してくることは間違いがない。これほど素晴らしい技術を他国に渡すことは非常に損失があるのは確実だからだ。

 それが分からないような人物では、ジルクニフは決してない。

 そうなれば、アインズはジルクニフ──帝国からその分の見返り、金を取るように行動するつもりだった。


(……ジルとは友人だが、私にも自分の領土に対しての責任があるからな。私の土地で暮らす者たちを幸せにしてやる、それが支配者というものだそうだ。たとえ、人間でもナザリックの市民であるならば幸福にしてやる義務がある)


 稼いだ金を使って自らの領土を裕福にし、そこから更に富を生み出して、ナザリック大地下墳墓を強化する。

 これこそが現在のアインズの最大の狙いであり、目指すべきナザリック強化のサイクルであった。


 その第一歩──。


 アインズはぐっと手を握りしめる。


(成功させなくてはならない。大陸を支配できるほどメガコーポレーションができるかもしれないのだからな。まずは騎士たちに上手くアピールだ。旅が終わった後、実はデスナイトはアンデッドだったんだ。アンデッドってすごく役立つんだな。仲間たちに教えてやらないと、と彼らが自主的に行動するように話を持っていかなければ)


 抵抗があるのは把握している。

 機械の進歩によって自分たちの仕事が奪われるのではないかと思った人がいるというのはアインズだって知っている。今後、恐らくはそういった者たちの反対行動があるのは確実だ。

 実際、畑作業などをさせることで、自分たちの仕事が奪われるという農民の声をアインズはエ・ランテルで聞いている。確かにそうなることになるのは事実だろう。

 人の仕事を奪う、いや──


(人の仕事はもっと別のものへと変わっていくというのが正解か。プランテーション化した場所の管理人的立場とか……。騎士であれば指揮官などが生き残る道になるのか? ……良い面と悪い面があるが、悪い面だけをなくすのは難しいな。そうなると頭の良い騎士であれば、そちらが気になってしまうということは十分あり得る)


 アインズは視線をちらりと動かし、野営準備をしている騎士たちを見た。

 一瞬だけ視線が交わったような気がする。


(……しかし、騎士たちにも理解して欲しいものだ。アンデッドの有効性を……。如何すればよいのかな)


 アインズは今後の騎士たちへの歩み寄りについて思いを巡らせるが、有効な手段には程遠いものしか浮かばなかった。賄賂などと考えていたアインズはふと、幻視する。己の作り出したアンデッドが飛ぶように売れていくさまを。


「ふふ……ふはっ……ふはははは。困ったな、アンデッドを作成して暇な時間が取れないぞ」


 風に乗って騎士たちの元まで聞こえる笑い声を上げながら。



 ◇◆◇



 更に数日が経過し、巨大な森がその威容を現す。

 トブの大森林──多様なモンスターが住む、脆弱な人間を拒む世界だ。この地にしか取れない薬草などの宝を求め、様々な者たちが危険を承知で飛び込み、そして帰ってこないことも多い場所。

 木々によって視界は通らず暗い闇が残る地は、こちらを呑み込もうとする巨大な化け物にようにも映る。しかし、アインズ・ウール・ゴウンは何も感じない。騎士やランゴバルトが持つ、死地に飛び込む覚悟など必要ない。

 恐怖を感じない身だというのもある。

 しかし、それ以上にアインズはこの場所に自らを超える敵が存在しないのを知っている。だからこそ散歩に行くような気持ちで森を眺めることが出来る。


「準備は出来たか? では、行くか」


 軽く問いかけ、騎士たちの返事を待たずに歩き出す。歩く足取りは少しだけ普段より早い。ある意味ユグドラシルであったクエストのような物を行っているという実感が湧いてきたためだ。

 確かに旅もクエストの一環だと言えたが、その際は何も感じることは無かった。というのも何のイベントも生じない──馬車の車輪に異常が発生するというつまらない事故は起きたが──つまらない物であったためだし、興味を引かれるような楽しみがなかったためだ。

 旅というもの自体を楽しむということは残念ながら出来なかった。

 アインズの所為でもあるが騎士たちとは一線を引かれ、話し相手となってくれたのはランゴバルトだけだ。しかも旅の苦労というものもない。天候の急激な変化、モンスターの襲来、などの問題は起こらず、アインズはほとんど時間において幌馬車の中で雑魚寝だ。

 野営の準備だって手を出すことを拒まれ、夜間の警護はデスナイトの出番だ。

 そんなお客さん状態で何を楽しめと言うのか。


 ──だが、今は違う。先頭に立ち、モンスターと戦う。


 ふつふつとしたものが心に湧き上がる。


(クエスト番号0001。トブの大森林でモンスターを倒せ。倒したモンスターの強さが評価に繋がるので、より強いモンスターを屠れ……というところかな)


 ギルドメンバーたちと一緒であれば、散開して競おうという話になったかもしれないが、ランゴバルトや騎士たちではアインズが目を離した間に死んでしまう可能性もある。例えデスナイトがいたとしても、この人数を完璧に守れるかは不明だ。


(敵は他の班というところで我慢するか。いや、元々そういう物なんだからな。……フフ。これで私たちがトップに立てば、デスナイトの宣伝にもつながる。個人的にはフールーダやナーベラルが同じ学院にいる関係で目立ちたくはないが、今後のデスナイト販売における良い評判は捨てがたい。肉を切らせて骨を断つだな……うん? 違うか?)


 一歩一歩とアインズは森を進む。

 先頭は当然、アインズだ。その背後を壁のようにデスナイトが進む。


「不味いな」


 森に入って100メートルも歩けば、方角などさっぱり分からない。見上げても、木々の伸びた枝が覆い尽くすように広がっているだけだ。

 はっきり言えばどちらに歩けばよいのか、どうすればモンスターに遭遇できるのか理解できない。

 とにかく前進するという手段もあるだろうし、相手が興味をひかれるような行動を取るというのも悪くはない。しかし、あまりにもスマートではない。

 魔法で捜索系の代わりを出すことは出来るが、出来れば目立たないところでやった方が良いだろう。


「──ランゴバルト」

「はい!」


 ランゴバルトがデスナイトたちの後ろから慌てて駆けてくる。

 ランゴバルトはこの数日で一気に痩せたようだった。食事の際、食べる量が少ないのは前々から気になっていた。


(痛ましいな。旅の疲労や不安が原因での拒食というところか? 私が正体を見せつけることができれば、安心して旅もできたのだろうに……。班員にも正体を明かすことができないとは……許してほしいものだ。どこかで苦労の甲斐があったと彼が思えるような何かの必要があるな……)


 チームメイトのつらそうな顔にアインズは痛痒を感じながら、問いかける。


「ここでゴブリンを狩るのだったな」

「はい。そうすればひとまず旅の目的は終了です。というよりも森の中に入らず、外を回るような形で移動してゴブリン達が現れるのを待っていた方が良かったのではないでしょうか?」

「……何を言っている。ここで倒したモンスターも評価に繋がるのだろ? ならばゴブリンを倒すのではなく、もう少し強いモンスターの方が良いだろう」


 そうだ、とアインズは考える。

 ここでランゴバルトが喜ぶような凄いモンスターを倒せばよいのだ。学院の歴史にも載るような。そうすることが班員に嘘をついているアインズの侘びとなるだろう。

 決意を固めたアインズと、デスナイトを交互に見たランゴバルトが口を開く。


「──そうですね。それがよろしいと思います。ではどんなモンスターを狙っているのですか?」


 ランゴバルトに問いかけられ、アインズは言葉に詰まる。どんなモンスターを倒せば高得点かさっぱり知らないことを思い出して。


(ホブゴブリン、バグベア、ボガードなどのゴブリンの近親種がねらい目なのか。それともゴブリンロードみたいな奴が良いのか。ドラゴンは間違いなく高得点だろうが……いるのか?)


 そこまで迷ってから別にここで知らないということは恥ではないと思い当たる。


「ランゴバルトに聞きたいんだが、今までの試験で高得点だったのはどんなモンスターを倒した者たちか知っているか?」

「……採点基準までは公開されたことは無いので、どんなモンスターが高得点化までは存じておりません」

「そうか……ならば騎士たちは知っていると思うか?」


 人形のように後をついてくる騎士たちに振り返ろうとするが、その前にランゴバルトが答えてくれる。


「恐らくは知らないでしょう。戻って報告をした先でつけられると思われます」

「そうか……」


 学院長に聞いておけばよかったとアインズは考える。


 学院長はあの邪教集団の一人だったらしく、アインズの願いであればどんな手段を使ってでもかなえようとしてくれる。奴隷たち──今はデスナイトが替わりを務めているが──を学生として受け入れてくれたのも彼の力だ。そうでなければ推薦してくれる貴族が必要になったりと厄介な手続きが必要になっただろう。

 とはいえ、これ以上のごり押しは少し危険だ。将来を考えればこれ以上学院長に迷惑をかける行為はよすべきだろう。

 おそらくは彼はアインズの目的を叶えようと行動してくれるかもしれないが、無理矢理な行いは歪みを生む。金の卵を産むめんどりを殺して肉を食べるような行為は慎むべきだ。

 それにしても──


 アインズは含み笑いを浮かべた。


(あの邪教集団も想定以上に役に立つ。横のつながりはないかもしれないが、帝国内の色々な個所に根を張っているからだろうな。経験値を多少消費した甲斐があったというものだ。……しかし、ジルはこういった状況を知っているのか? 注意を一つぐらいしてやるのが友としての役目か)


「……ゴブリン以外のモンスターがいると良いな」

「冬にもなればアゼルリシア山脈からより強いモンスターが麓まで降りてくるという話を聞いたことがあります」

「麓は少し遠いな。あそこまで行く気はあるか?」


 アインズは森に入る前に見たアゼルリシア山脈を思い出す。

 エ・ランテルの方から見れば重なりあって見えるために大したものを感じなかったが、横から見れば連なり合う山脈の影はアインズにもわくわくとしたものを感じさせた。何もすべきことがなかったら、行って踏破したいような好奇心に駆られたものだ。


「命じられれば着いていきますが? ただ、戻りの時間を考えると……少し厳しいものがありますね」

「そうだな。私は問題ないが、ランゴバルトなどはついてこれまい」

「モモン様お一人で行ってもらって、足手まといな我々は馬車で待つという手も取れますが?」

「足手まといなどと、そんな寂しいことを言うな。我々はチームじゃないか。助け合って行動すべきさ」

「……ありがとございます。そう言ってもらえると助かります……。ところでお一つ聞いてもよろしいですか? モモン様はどこの貴族なのでしょう? もしかして皇帝陛下に近い方なのですか?」

「……ランゴバルト、どうして分かった?」

「なるほど理解いたしました。これ以上お聞きするのは止めたいと思います」


 アインズは自分の行動を思い出してみる。どう考えても、ジルクニフと関係を疑われるような行動はとってなかったはずだ。にもかかわらず、ランゴバルトは繋がりを感じ取ったらしい。

 ブラフだろうか。

 アインズは考える。しかし、ランゴバルトの問いかけには自信があったような感じがした。まるで的外れな質問ではないという確信あってのことだろう。


(……どうやって情報を組み立てたのか知らないが、なかなかやるじゃないか。いや、流石は俺の班員ということだな。貴族の三男だという話だし、場合によっては私の配下に引き入れても構わない──ん?)


 アインズのアンデッド知覚に引っかかる者たちがいる。


(距離はあるが……ふむ……それなりの数がいるな。十……三十……なんだこれは数えるのも面倒だぞ?)


 アインズのパッシブスキルのアンデッド探知は大雑把な数と方向が分かるだけで、どれほどの強さを持つ者たちかはわからない。


(これほどの数とは……。森の中だから問題は無いとは思うのだが、殲滅しておいた方が騎士たちへの良い印象に繋がるだろう。それにアンデッドも得点対象だろうからな)


 アインズは即死系などの死霊系魔法などに特化している分、生命が無いモンスターに対しては多少弱体化してしまう。しかしながらフールーダなどから得た情報によって、アインズが苦戦するほどの強いアンデッドがいないことは知っている。

 だからこそ、アインズは自らの知覚に引っかかったアンデッドの足を踏み出した。


 急に向かう方向を変えたアインズに文句を言うことなく、ランゴバルトも騎士たちも後をついてきてくれる。


「周囲に散開。ランゴバルトや騎士たちを守れ」


 無言でデスナイト達が散開していく。アインズを先頭としたひし形を形成し、その中にランゴバルト達を収めるという陣形だ。肩越しに振り返れば、騎士たちが集まって小さくなっている。

 たとえ、騎士と言えども森での行動には慣れていないのか、周りに何かモンスターがいるかのように縮こまっている。明確な怯えの態度だ。

 だからこそ最初に襲われるように、デスナイトを周囲に展開したのを見ていなかったのだろうか。

 アインズは少し疑問を感じたが、同時に沸き上がる含み笑いを抑えることはできなかった。


(悪いが、やはりデスナイトは売れるな。騎士たちは怯えているが、俺のデスナイトはアンデッド。恐怖とは無縁。この辺りもアピールするところだろうな。頼ってほしいんだが……彼らも騎士としての誇りがあるか。嫌いではないな、そういう考えは)


 アインズは薄く笑い、己の目的地に到着する。

 大地に大きな裂け目があり、その周囲には多数のゴブリンが歩き回っていた。


「ゴブリン!」

「違う。ランゴバルト、よく見るんだ」

「え? いや、確か……え? まさか……ゾンビですか?」

「だろうな」


 ゴブリン達には傷があった。喉を一直線に切り裂かれていたり、心臓のある辺りに穴が開いていたりと、致命傷であることが一目瞭然なものばかりだ。


「い、一体、何故、これほどのゴブリンゾンビが?! こんな場所で何があったんでしょうか?」


 ランゴバルトの質問はアインズも抱いたものである。傷を観察する限り、武器という文明の臭いがするものを使用された抗争があった事は間違いない。こんな森の中で、一体、何者なのか。アインズは肩を竦める。

 それは問題ではない。いや正確にはアインズが考えるべき問題ではない。

 遅れて到着した騎士たちがゴブリン達のゾンビに驚いている中、アインズはゾンビたちに向かって歩き始める。念のため、デスナイトはそのまま待機させ、ランゴバルトと騎士たちを守らせる。ゾンビの中に、もしかすると別の種がいる可能性もないわけではない。


「お前たちはそこで待機していろ」


 アインズが姿を見せると、予想通り、大量のゾンビたちが敵意と共に動き出す。

 何者かによって生み出されたわけではないゾンビのような知性のないアンデッドは基本的に、同じアンデッドを同朋と見做し、攻撃を控える傾向がある。そのため、普段であればアインズに対して襲いかかったりはしないだろう。しかし、現在ゾンビがアインズに向かって進みだした理由は二つ。一つは製作者の命令を受けている。もう一つは、アインズがしている指輪の力のためだ。

 アインズは複数の指輪をしているが、そのうちの一つに隠蔽系の力を持つ物がある。それによってアンデッドであるという情報が隠されているためだ。

 アインズは何か鳥が飛ぶような羽音を聞きながら、ゾンビに対して指を突きつける。


「ランゴバルトの疑問も当然の物だ。これだけのゾンビは一体、どういうことなんだ? ここでの大量殺戮における死によって、アンデッドが自発的に出現したのか……。それとも何者かがアンデッド作成の魔法を使ったのか?」考えても答えは出ない。「まぁ、良い。とっとと消えろ。《トリプレットマジック・ファイヤーボール/魔法三重化火球》」


 同時に放たれた三つの火球がゾンビの群れの中でさく裂し、十数体のゾンビの偽りの生命を焼き尽くす。しかし、ゾンビの数はまだまだいる。うめき声を上げながら、アインズに向かって愚直に真正面から進んでくる。あまりにも頭の悪い戦術だが、ゾンビなどその程度の物だ。


「──はぁ! 第三位階?!」

「──それも魔法強化だ! やはり俺なんかより強いぞ!」

「薄々はそう思っていたが……。しかもあの火力……昔見た魔法使いの物よりも強そうだ。下手すると一撃で俺たちを殺せるかもしれない……」

「最悪……」


 アインズの人よりは優れた聴力が、押し殺しつつも驚いている騎士たちの声を聞きつける。

 なぜ驚くのか、アインズにはさっぱり見当がつかなかった。

 第三位階まであればある程度の優秀な魔法使いの範疇で収まるはずだ。そうフールーダも言っていたし、アインズの調べでもそうであった。

 ふと、アインズは自分が学生であることを思い出す。もしかして学生はもっと低位の魔法しか使えないのだろうか。

 ──その可能性は高いと結論を出すが、もはや今更より低位の魔法を使ってもしょうがないだろう。


「《トリプレットマジック・ファイヤーボール/魔法三重化火球》、《トリプレットマジック・ファイヤーボール/魔法三重化火球》、《トリプレットマジック・ファイヤーボール/魔法三重化火球》、《トリプレットマジック・ファイヤーボール/魔法三重化火球》、《トリプレットマジック・ファイヤーボール/魔法三重化火球》。そして《トリプレットマジック・ファイヤーボール/魔法三重化火球》」


 乱れ飛んだ火球が大地を舐めつくすように燃やし尽くす。連なりあった音は巨大な一つの爆音のようにも周囲に響き渡った。

 アインズが魔法を唱え終えた後に、動くゾンビの姿は無かった。


(あの穴からはアンデッド反応は無し……。ひとまずは……どうするか)


「それで──」


 アインズがランゴバルトたちに振り返ると、引きつったような表情が出迎えてくれる。


(少し派手にやり過ぎたか?)


 わらわらいるゾンビを相手に、一体一体魔法を使っていくのも面倒だからの手段だったのだが、ちょっとやり過ぎたようだ。


「お、お疲れ様です」

「ああ、少し……派手にやり過ぎたようだ──」


 ランゴバルトの視線が動き、驚愕の表情を形作る。それはさらに後ろの騎士たちも同様だ。

 確実に何かがいる。それを悟ったアインズは肩越しに後ろを見た。大地に開いた洞窟らしき場所から、巨大な蛇とも蜥蜴とも言えるモンスターが顔を覗かせていた。その数は二体。


「──ギ」

「ぎ?」

「ギガントバジリスク!」


 騎士の驚愕の叫び声に答えるように、蛇の威嚇音にも似た声をモンスターたちが発する。


(さて、どうするか)


 魔獣系のモンスターは面倒なことに体力が高い。一撃で殺すとなると第三位階の攻撃魔法よりは、魅了や麻痺などの無力化するのに長けた魔法の方が賢明だろう。

 問題は二体いるということだ。アインズが本気になれば瞬殺は容易。しかし、少しは苦戦をしないとより一層怪しまれる結果となるだろう。


(さきほどやり過ぎた。彼らの驚きようからすればかなりの強敵。瞬殺しては怪しまれすぎるか。一応は私は学生という事になっているんだしな。第三位階の攻撃魔法でちまちま削っても良いが、片方を相手にしている間に後ろに回られると不味いな。いや──)


 アインズはニヤリと嗤う。

 これこそまさに狙っていたチャンス。

 元々、デスナイトが活躍する所を騎士たちに見せる狙いがあってここに来たのだ。ならば強敵というのは望むところだ。

 この二体をデスナイトが倒せば、目的は達成したのも同然だろう。

 三対二よりは二対二。余った一体は後方──ランゴバルトや騎士たちの警護に付けるのが得策か。


「流石に魔獣だけあって慎重だな。彼我の戦力差が読み取れないから襲ってくるのはもう少ししてからだろう。ランゴバルト離れていろ。あれは私たちが相手をする」

「しかし──」

「二体も相手にできるのか?!」


 騎士の班長がランゴバルトの声を遮る様に叫ぶ。

 少しだけ苛立ちを感じながらも、アインズは鷹揚に頷いた。その瞬間だった。


「行け行け行け!」


 班長の怒鳴り声に合わせて騎士たちが背中を見せて走り出した。一秒たりとも迷う姿勢をみせない見事な逃げっぷりだった。


「──な、何?」


 アインズは呆気にとられる。まさか逃げ出すとは思ってもいなかった。あれほど足が速かったのかと思える速度で木々の間に彼らの背中は消えていく。


「ふざけるな!」


 ランゴバルトの怒声がアインズを冷静にさせた。逃げ出した彼らのことよりは、魔獣の方が心配だ。

 ギガントバジリスクが威嚇恩を発するのは、逃げ出した獲物に対する獣の習性が刺激されたためだろう。しかし──


「──来ない? 魔獣が離れない理由はなん──まさか奴らの巣か? では剣で殺されたゴブリンの死体は? いや、今は良いか。全く面倒なことだ」


 騎士たちの逃走は悪手だ。 

 アインズもユグドラシル時代にやったミスのように、遭遇したモンスターから逃げているうちにより強いモンスターの塒に飛び込んでしまうことがある。特に森のような視界が効かず、一直線に走れない場所だと良くあることだ。

 デスナイトを引き連れた人物の班にいた騎士たちに死者が出る。それはデスナイトの能力を疑われるには十分な結果だ。


 アインズは先ほどの計画をすべて破棄する。

 勿体なかったが、観客がいないのでは、デスナイトがギガントバジリスクを倒したところで意味がない。

 ランゴバルトに一部始終見せて、彼の口から騎士たちに説明させるというのも悪くはない。だが、身内では証拠能力にかける。逃げ出したということで脅しをかけても良いが、できれば友好的に物事は勧めた方が利益は大きい。恐怖で縛るよりはメリットで縛った方が人は信頼できる、とアインズは知っている。

 やはりここは一番は百回聞かせるよりは、一回見せるべきだろう。


「まぁ、もう一度チャンスを探すとして、ランゴバルト、大森林の外まで逃げろ。デスナイト、お前たちはランゴバルトを優先しつつ、あの逃げた騎士どもを守ってやれ」


 ランゴバルトが何か言いたげな素振りを見せたが、デスナイトが荷物でも小脇に抱えるように持つと騎士たちを追って走り出す。木々に隠れ見えなくなった背中から、ギガントバジリスクのつがいに向き直った。


 子供や卵があの塒にあるのであれば、それを奪って、騎士たちの後ろを追ったらどうだろうか? そんなアイデアが浮かんだが、アインズは頭を振った。

 計画というのは無理やり修正しようとしても、無駄に終わる時がある。ここは新たな計画について考えるべきだろう。


「よく分かっていたことではないか。人間が恐怖に脆いということは。なぁ、アインズ。お前の読みが浅はかだったということだ」


 恐怖を知らないアインズだからこそ、人間の感情を読み間違えたのだろう。

 今後はその辺りも注意深く考える必要がある。

 アインズは強く心に刻み込むと、こちらの様子を窺っているギガントバジリスクに向き直った。


「待ってくれてありがたい。本当に運が悪かったな。……久方ぶりに本気を出すとするか!」


 アインズは幻覚を解くのと同時に、スキルを発動させる。

 能力値が上昇することによる全能感にも似た何かがふつふつと心に湧き上がる。

 遊んだとしても、あの程度の敵に負けるはずがない。ではどんな魔法を選ぶべきか。死体が消滅してしまう魔法は不味い。騎士たちにギガントバジリスクの死体を見せつける必要があるだろう。

 ならば──


「《ディレイマジック・デス/魔法遅延化死》」


 第八位階魔法を発動させる。しかしながら目標となったギガントバジリスクに変化はない。だが、何かされたことは理解できたのだろう。ギガントバジリスクが威嚇の鳴き声を上げた。

 アインズは笑う。

 どんな魔法を放たれたか分からない──知識の欠落は時に大いに不幸を生む。

 アインズはユグドラシルでの経験から、遅延化した魔法の発動するまでのタイミングを熟知している。だからこそ、即座にもう一体のモンスターに魔法を発動させた。


「《デス/死》」


 死霊系などの魔法に長けたアインズの即死魔法だ。抵抗など許されるはずがない。

 見事なまでに同時に二対のギガントバジリスクが事切れた。己の腕が衰えていないことにアインズは満足する。


「よし。外傷のない、綺麗な死体だ。……一体ぐらいは私の力でアンデッドに変えて、ナザリックに持って帰るのも悪くは無い……。いや、両方ともそうしよう。この巨体を持って歩くのは面倒だ。自分で歩いてもらえばそれに越したことはない」


 誰に言うまでもなく言葉を紡いだその時──


「神よ!」


 アインズの無い心臓が一つ大きな鼓動を立てたようだった。

 辺りに響いたのは男の大声。

 アインズは己の素顔を隠すということも忘れ、音の出どころを探す。視線が向いた先は、ギガントバジリスクの横。大地に力なく伏したその巨体の横から、男が姿を見せ始めたところだった。


「神よ!」


 穴から這いあがった男が繰り返す。男の視線はアンデッドの素顔を晒したアインズに向けられていることから、アインズを「神」と呼んでいるのは間違いようがなかった。

 外見の整った、こんな場所にいるのが似合わない男にアインズは見覚えが無い。しかし、アインズは男の発言内容から正体を悟る。


(私を……まさか、そういうことか……)


 男が何者かを理解したアインズは魔法を発動させ、黒曜石の玉座を作ると支配者に相応しい態度を持って腰掛けた。それから男に対して鷹揚に頷く。


「そうだ。私がお前たちの神である」

「やはりそうでしたか!」アインズに迫った男が片膝をつき、忠誠の礼を取る。「大罪を犯せし者たちによって放逐されたなど偽りの伝承でしかなかったのですね!」


(……ん?)


 男が何を言っているのかわからなかったが、神であるアインズに意味を問うなど人間じみたことはできない。


「そうだ。お前たちが使える神たる私はここにいる」


 アインズの言葉は望んだ物であったらしく、男は歓喜の涙をその両目から溢れさせた。

「おお、神よ」などと言いながら深々と頭を下げる男に対して、アインズはかなりドン引きしていた。しかし、そんな態度を見せることができるはずがない。

 アインズは足先でひれ伏す男の顎を持ち上げ、男の瞳を覗き込む。


(宗教に狂った……そんな感じだな)


 少しだけ冷たいものをその背筋に感じた。神の命令とあらば、その命を平然と投げ捨てることができる、そんなおぞましい輝きを宿していたのだ。それはもしかするとナザリックの部下たちにも似たところがあるものかもしれない。


(そんな狂人だからこそ、私が上手く操ることができるのだがな)


「この地で私がすべきことは終わった。お前も私を喜ばせられるように、全力を尽くせ。そうすればお前の上にも奇跡は舞い降りよう」

「はは! 我らが神よ! お言葉賜りました」


 深々と頭を下げた男を一瞥すると、アインズは立ち上がる。後ろで魔法を解除したことによって玉座が消失するのを感じた。

 男の横を通り、二体のギガントバジリスクの死体に特殊技術を発動させて、ゾンビへと変える。


 アインズは思念で身を伏せるように命じると、ギガントバジリスクの体に乗った。


「行け」


 ゆっくりとギガントバジリスクが歩き出す。生きていたころの滑らかな動きは欠片しか残っていないが、それでもあの荷馬車よりは及第点を与えることができる。動きは鈍っているが、巨体であるがゆえに歩幅は大きく、それなりの速度が出ている。


(木に当たりそうなんですけど……)


 ゾンビはあまり考えずに木々の中に突っ込んでいこうとする。それをアインズは思念で上手く避けるように命じた。こういった知性の欠如はゾンビの弱点だ。ユグドラシルであれば突っ込ませて敵を集めるなどと言ったことにしか使わなかったが、この世界になって様々な使い方が出たがゆえに、より明確になった弱みだ。

 とはいっても、ゾンビなど重要視するほどのモンスターではない。


 木々の中に入り、前の安全を確認してからアインズは後ろを振り返る。

 もはや木の後ろに隠れて見えないが、恐らくはいまだに膝をついた姿勢のままなのだろう。動いている気配は無い。


「宗教って怖い……」


 男の正体をアインズが看破したのは彼の台詞からだ。

 アインズは自分の読みが間違っていないことを確信している。男と会った時、アインズはその素顔を晒していた。

 恐れられるアンデッドを神と呼ぶ存在などアインズの知る限り一つしかいない。そう──


「いや、驚いたな。……あの邪神教団はこんなところにも出張ってきているんだな。魔法学院にもいたし……大丈夫なのか、帝国。それともあの教団って意外に手を広く伸ばしているのか? だとしたらかなりの拾いものだな」


 ジルクニフの政治手腕に少しだけ不信感を抱くアインズであったが、別の意味で眉を顰める。

 アインズの心の小さな棘が刺さっていた。

 一つだけ違和感が残るのだ。

 あの時、邪神教団の中にはあの男のように若い奴はいなかった気がしたが、少し考えれば、おそらくは出会ってない教団員もまたいたということなのだろうと推測ができた。

 違和感の原因は──


「神……か。あいつらは邪神と呼んでいたはずだが……」アインズは頭を振る。「まぁ、神も邪神も変わらないか」



 邪神と言われた経験があるからこそ、神と言われても疑問を感じない。

 あの邪神の回はここで神と呼ばれても、アインズが変に思わないための回だったりする。

 ちなみに上手く対比が出来てたかなぁ……。強いって駄目なこともあるよね!

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