学院-7
遅くなって申し訳ないです。
ジエットはネメルと連れ立って、朝日を背負いながら学院へ向かって歩く。朝日と言っても、時間帯にして八時ほど。ジエットたちと同じように通りを歩く者たちの殆んどが一つの仕事を終えたような、そんな充実感と疲労感が漂っていた。
確かに都市で暮らす者の生活は村で働く者ほどは早くない。
しかしながら八時ともなれば平民が行動を開始するには遅い時間であり、既に一仕事を終えた者たちの朝食が始まる時間だ。食堂は賑わい、姿は当然見せないが賄いを食べている者だっているだろう。
そういった理由もあって、帝都のメインストリートの割には人通りはさほど激しくはなかった。
ジエットは手で隠すが隠し切れないほどの大欠伸を一つする。それから目の端に滲んだ涙を拭った。
「大きな欠伸だね。昨日は普段よりも寝るのは遅かったの?」
隣を歩く幼馴染──ネメルに問いかけられる。
普段であれば欠伸の一つぐらいで聞かれたりはしないだろう。
病弱な母と二人で暮らすために、ジエットが学院が終わるとその足で仕事場に向かい、夜遅くまで働いているのを彼女は前から知っている。欠伸の一つや二つ程度は見馴れたものだ。だが、流石に家を出てからこれで六度目ともなれば話題になるのは当然のことだろう。
「……まぁな。ちょっと……」
そこまで言った辺りで、さぁどうするかと、ジエットは迷う。ネメルを心配させても仕方がない。それも今日みたいな重要な日に。ジエットはわざとらしくならない程度に明るい声を出す。
「ドキドキしてよく眠れなかったんだよ。ネメルはそんなことなかったのか? 試験としてこれから数日間以上、帝都の外、モンスターの跳梁跋扈する場所に行かなくちゃいけないんだから」
そう。今日こそが試験の日。
試験の内容は前に組んだチームで帝都の外に出て、数日間旅を続けなくてはならない。帝国国内は騎士たちの巡回などの甲斐もあって、モンスターと遭遇するに確率は非常に低いが、それでも皆無ではないのだ。
「う、うん。そうだよね。ちょっと怖いよね」
彼女の声が幼馴染ではなければ分からない程度、重みを増す。
(しまった! 何を怯えさせているんだ! えっと──)
「お、お。ああ、そんなことないって。俺たちのチームにはかのパラダイン様がいらっしゃるんだ。俺たちほど安全な──」
「他の人たちも安全ならな……。なんでこんな試験あるんだろう。昔……数年前まではなかったらしいのに……」
暗く淀んだ声にジエットは自分のあまりの愚かさに吐き気がする。
この数日間、あまり睡眠がとれてなく、頭の回転が鈍っているとはこれはないだろう。ネメルの気持ちをまるで考えないやり取りだ。
ジエットは慌てて、慰めるようには聞こえないよう、ごく当たり前のことを告げるように装って言葉を発する。
「俺たち以外、他の奴らだって安全だよ。守ってくれる帝国騎士の人たちと一緒に旅するんだ。それに治癒魔法が使える人だって同行するって聞いてる。大丈夫。数日後、何もなかったように元気な皆に会えるさ」
実際、旅とは言っても帝国騎士のチームが同行するので非常に危険は小さい。しかもチームには野伏や神官としての力を持つ者たちも同行する。いうならば帝国に仕える冒険者チームが警護として付いてきてくれるようなものだ。安全性に関しては十分に留意されている。
「そうだね。騎士の方々が守ってくれるんだからね」
ネメルが笑顔を見せてくれるが、それがあくまでも作り笑いで本心からは笑ってないのが手の取る様に分かった。
当たり前だ。
騎士たちが守ってくれたって、死ぬ者は出てくる。
絶対に安全な旅など存在しない。
村や都市などから外に出れば、そこはもう人の世界ではない。居住地から離れれば離れるほど、危険の待ち受ける確立は高くなる。確かに帝国領内は騎士の巡回あってモンスターや獣の出現率は低いが、今回の旅は安全ではない領域をかすめるように旅する計画だ。
それに学生は魔法を使える者ばかりではなく、使えない者たちや、武器の振るい方を碌に知らない者たちだっている。ゴブリンのような非常に低位のモンスター──亜人なのだが──との遭遇だって、前衛で押さえてくれるであろう騎士たちをすり抜けてくれば、学生を殺すことは容易だろう。
もしかすると数日後、クラスメイトの数が減っていることはあり得る話だし、実際にそういったことが起きたとも聞いたことがある。
(俺たちみたいに……かの大魔法使いがいるチームとは違うからな……)
学友と会えなくなる可能性があると思うと、重い気分がより一層重くなってしまう。とはいえ、肉体の反応は感情に従ってくれない。ジエットは再び大きな欠伸をしてしまう。
「あのね、ジエット。……この頃、良く寝れてないんでしょ?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。隣を歩く幼馴染に間の抜けた表情を向ける。
「目の下にうっすらとクマがあるよ? 何か心配事があるの?」
どきりと一つ、心臓が跳ねた気がした。
ジエットは冷静さを取り戻すよう心掛けながら、表情を取り繕いながら顔を横に振る。
「いや、別にな──」
「──あの舞踏会に行った後からだよね? 何かあったの? 言えないこと?」
被せるように発せられたネメルの言葉に、よく見ているんだな、と思ってから少し照れくさくなる。
実際、ジエットはあの舞踏会以降、あまり睡眠が取れなくなった。さきほど彼女に言ったように、悪夢を頻繁に見るのだ。呪いでもかけられているのではないかという頻度で。
「……う、そういうわけでもないんだ。単純に夢見が悪くてな……」
「そうなんだ……」数秒迷ってから、意を決したようにぐっと手を握ると、彼女は続けて問いかけてくる。「話せないこと?」
ジエットは息を呑んでから、頷く。
「ああ。無理なんだ。これは他人に話すことは出来ない」
「パラダイン様とかにも?」
「……ああ。話せない。自分で解決しなくちゃいけないことだ」
違う。
解決などできない。
解決などすることができない。
そして他人に話すこともできない。
あんな恐ろしい化け物に「誰にも話すな」と脅迫された以上、従うほかない。
ジエットは確かに魔法を少し使えるが、英雄とか言われるような人間ではない。冒険者ですらない、単なる一般人だ。
昨日見た悪夢を思い出す。
フールーダ・パラダインに話した結果、その化け物を退治しようと動き出してくれるところまでは良い。しかし、相手に先手を打たれてしまい、大勢の市民がアンデッドへと変わる。大量のアンデッドが人を襲い、眷属を増やしていくという地獄の中、フールーダが圧倒的な力で殲滅していくが、母親とネメルを心配したジエットは別行動を取る。
そして家まで戻ってきたところで、アンデッドと化したネメルと母親に襲われるのだ。
この数日間見ている夢は大体がそんなものだ。
なんでこんな夢ばかりを見ているのかなど分かりきったことだ。
天秤の片側には帝国の多くの市民が乗り、片側にはネメルや母親が乗る。
傾いている側──重いのは人数の少ない方だ。
ジエットは見ず知らずの人と知っている人であれば、知っている人を選ぶ。博愛主義者でも、命の価値は平等だなどと言う聖人とは違う。
ただし、不安は相手の言うこと、約束は信頼できるのか、ということ。
「ふぅ……」
欠伸の代わりにため息を吐き出したジエットを、ネメルが心配そうに見ていることを察知し、ジエットは笑顔を浮かべる。彼女の心配を少しでも減らそうという笑顔は、彼からすれば会心のものだ。
しかし、その下にある不安を読み取られ、ネメルの表情は晴れない。
「やっぱり、私にも……。う、ううん。アルシェ姉さんにも話せない?」
全て言ってしまいたかった。帝都内、それも学院におぞましいアンデッドが潜入していると。生者を敵視し、憎悪をまき散らすアンデッドが。
だが──
「言えない。ごめん」
「う、ううん。私が無理を言っただけだから」
ジエットは唇を噛みしめ、空を見上げる。青い空が瞳に痛いほどだ。
「大丈夫さ。きっと大丈夫。だから心配しないで良いよ」
ジエットは横のネメルに聞かせるように、自分の心に語る様に呟いた。
◆◆◆
登校してみると校門には普段以上に多くの人の出入りがある。多くの荷物を運搬する商人や、全身鎧で身を包んだ騎士などの姿が見えた。
「じゃぁ、さっそく待ち合わせ場所に行くか」
「うん。早く準備をしないとね」
ネメルと共にジエットはチームの仲間たちとの待ち合わせ場所に向かう。本日は教室に向かう必要はない。校門をくぐった段階で、既に試験は始まっているのだ。ここからの全てが評価につながる。
あり得ないほどの熱気が学院内を包み込んでおり、元気な声が普段以上に聞こえている。
生徒たちへの試験への真摯な態度が熱意へと変わっているのだ。
試験には参加した──メンバーを揃えられた──段階でほぼ昇級は確定している。ならば、ある程度手を抜いて行ったところで問題はないだろう。しかし、そんな姿勢を見せる者は誰一人としていない。
この試験における点数。それはある種のステータスとして卒業以降も付いて回る。当然、良い点を取ればペパーテストの結果などが悪くても、本番に強いなどみなされるだろう。そしてまた逆のパターンだってある。
自分たちの今後の人生を左右しかねないものである以上、この熱気はごくごく当たり前だ。
ジエットもネメルも周りの空気に背を押されたように、徐々に歩運びは早くなっていく。
試験での評価は旅の最中の様々な態度。倒した、もしくは相対したモンスターの強さなどによって多角的に判断され点数がつけられる。当然ではあるが準備が終わらず、遅い出発をする者は評価が低くなる。
逆に早い者は良い点が付くということだ。
若干早く待ち合わせ場所に着くと、丸めた羊皮紙を片手に持った女生徒がいた。
「早かったですね」
ポンポンと羊皮紙で自分の肩を叩きながら挨拶をしてくる女生徒──オーネスティ・エイゼルにジエットとネメルも返事する。
「とりあえず、荷物の準備の方は私の方で先に済ませておきますので、それ以外のことをやってくれますか? 個人的には革鎧を私の分まで借りてきてくれると嬉しいのですが……。あ、幌馬車の方の借り受けは私の方で先に済ませておきましたので、安心してください」
オーネスティは手に持った羊皮紙をアピールしてくる。あれがその関係書類なのだろう。
彼女が荷物の準備をおこなってくれることにはジエットも問題はない。というよりジエットの班で実際に旅をしたことがあるのはオーネスティ一人だけであり、ジエットもネメルも知識でしか知らなかった。
この場にはいない残る二人の班員、フールーダとナーベは旅こそしたことがあるが、至れり尽くせりの、様々なマジックアイテムに包まれたお大臣旅行しか知らないために、旅の準備を任せることは出来なかった。いや、フールーダに雑用をお願いできるはずがない。
「準備って言っても、幌馬車に食料などの積み込みもあるだろ? 一人で肉体労働は辛いだろ? 俺も協力するよ」
「問題ないです。〈浮遊板/フローティングボード〉などの魔法を使えば一人でも問題ないですから」
断られてたが、それでも念のためにもう一度問いかけようとするが、それよりも早く彼女が口を開く。
「こっちの準備は一人で十分。二人は二人の仕事をこなしてください。ネメルさんは地図管理の役目ですよね? 早めに手に入れて、先輩方などから情報を手に入れておいた方が良いと思いますけど?」
「う、うん。そうするね」
「そうした方が良いと思います。皆、自分のできることをしっかりやっていきましょう。では失礼します」
矢継ぎ早に言い終わると、手をピラピラと振ってオーネスティは歩き出す。
その颯爽とした後姿を見送りつつ、ネメルがぽつりと言葉を溢した。
「んー、オーネスティさんってあんな雰囲気だったっけ?」
「いや……あんなに率先して行動するタイプだとはなかったと思っていたけど……大体、あれは苛められるような感じじゃないよな……」
苛められていた彼女が嘘のようだった。ちょっと前のオーネスティはおどおどとした感じで暗い印象があった。確かに口調こそは変わっていないが、話す速度など細かなところが全然違い、雰囲気がまるで違って感じられる。別人が演技していると言われても、否定できないぐらいだ。
(あの舞踏会以来なんだよな……。被っていた猫が取れたというか、素が少し顔を覗かせているというか……)
「仲良くなったからかな?」
「あー、その可能性はあるか。親しくなって安心できたから、元々の彼女の性格が出てきたような感じか」
「うん。そうかもね。……周りに人がいると初めて会った頃に戻るし」
二人でうーんと頭を悩ませてみるが答えが出る問題ではない。
それに別に問題ある変化ではなく、どちらかといえば明るくなったとも言える良い変化だ。二人が心配することはたぶんないだろう。
「うん!」
ネメルが明るく声を出した。
「オーネスティさんにも言われたし、私も役目をしっかりと果たしに行ってきます!」
「ああ! ネメル、頼んだぞ!」
ジエットも釣られたように明るく、覇気ある声を飛ばす。
「はい! じゃぁ、ジエットもお仕事よろしく!」
「ああ。ここであとの二人を待って、革鎧を借り受けに行ってくるな」
手を振ってから駆けていくネメルを見送り、ジエットはそのまま二人──フールーダとナーベが来るのを待つ。
数分ほどしてから見馴れた二人組が歩いてくるのが遠くからでもはっきりと分かった。というのも二人が歩くと人混みが真っ二つに分かれるのだ。怖いものすら感じるほどに。
まさに無人の野を行くように、一直線にフールーダとナーベがジエットの元に到着する。最初に挨拶するのは当たり前だが、ジエットの方だ。深く頭を下げる。
「おはようございます! パラ──フールーダ様! ナーベさん」
「おはよう、ジエット君」
「おはよう」
フールーダの優しげな声とナーベの平坦な声が聞こえ、ジエットは頭を戻した。
「素晴らしい活気に満ちている。一学年とはいえ、百組を超える班が、そして警護の騎士たちが出立するのだから当たり前なのかもしれないが、この中から将来の天才が生まれるのかもしれないと思うと、この老骨の血もたぎるようだ。……さて、他の二人は?」
「既に準備に取りかかっています。お二人と朝の挨拶が出来ずに残念がっておりました」
「約束の時間より早く来たつもりだったが……遅参、すまない」
「あ、私たちは興奮で眠れなかっただけです。お二人が遅いわけではありません」
「そういってくれて嬉しいぞ、班長どの」
フールーダが年寄りには似つかわしくない、若さあふれる笑顔を見せた。
優しげな老人の笑みを前に、ジエットは心が揺れるのを感じる。この心に溜まる、後悔という毒を吐き出したい、という欲望にかられそうになり、ぐっと堪える。
「──あ、あの私がここに残っていたのはお二人と会うというのもそうですが、鎧のことを聞くのを忘れていたためという理由もあるのです。フールーダ様は……鎧などは必要はないと思いますが、ナーベさんは……?」
「私も必要ありません」
この美女も得体が知れない。こっそり眼帯を外して観察したが、幻術を使っている気配はなく、美貌は一切崩れなかった。
「ところでジエット君。……目の下にクマがあるが、何か心配事でも抱えているのかね? 何か手伝えることがあるのなら言ってくれると嬉しいが? 版の仲間だからね」
「あ、ありがとうございます。ですが大丈夫です。今日の試験が不安──あ、違います。フールーダ様がいる私たちの班に不安があるのではなく、他で班を作っている友人たちが無事に帰るかという不安で眠れなかっただけです」
「なるほど……確かにその君の気持ちも分かる。この試験自体、ある意味、帝国の国力向上のためであり、学生には少々酷ではないかとは私も前から感じてはいた。場合によっては、将来花開く天才に害をなす可能性だってあるのだから」そこでフールーダは頭を振る。「とはいえ、陛下の狙いもまた分かるし間違いではない。君はこの試験の裏にあるものを知っているかね?」
アルシェや生徒会長に話を聞いたことがあり、少しは知っている。とはいえ、その話をすることは正しい事なのだろうかという迷いが生じる。平民程度が国家レベルでの計画を知っているということは非常に危険である可能性は高い。しかしながら、情報を大切にする貴族であった二人が話すことだ。平民にも漏らしても構わない情報だとも思える。
ポーカーフェイスを作ったつもりだったが、表情に現れてしまったのだろう。フールーダが一つだけ頷くと、髭をしごいた。
「知っているようだな。ならば構わないか」
フールーダはジエットが止める間もなく試験の裏を話し始める。
元々、試験など言っているが、生徒たちに旅させるということが目的なのだ。
旅をさせることで帝国領内だって安全ではないと教え、国民の団結力を高め、国家に忠誠を誓わせる。さらには騎士を同行させることで、帝国の治安を守る軍事力の重要性を肯定させ、学生たちの就職先としての優先度を上げる。
他にも生徒たちを要人と見做した、騎士たちの警護訓練などもある。
こういった狙いがあるのだ。
フールーダの説明を聞き、ジエットは話には聞いていたことなので、素直に頷いた。
しかし爆弾はそれからだった。
「フールーダ・パラダイン。本当のことは話さないの?」
「ナーベさ……ど……。話した方がよろしいですか?」
「話しておいた方が良いと思うけど?」
ジエットは顔を引きつらせる。知らない方が良いことをこれから聞かされると悟って。
逃げたそうな雰囲気を察知したのだろう。フールーダは薄い笑いを浮かべた。さきほどの優しげな老人はどこにもいない。いるのは社会の裏、闇を知る大魔法使いであった。
「……無知は時には救いになるが、それは真なる救いではない。例えば適当な報酬額を知らず、ピンハネされている者は本当に救われていると思えるかね? ジエット君、君の意志を尊重しよう。どうするかね?」
熟考したジエットは答えを返す。
「……教えていただけますか?」
フールーダが微笑む。それは正しい答えを出した生徒に向ける教師のものだ。
「私は君の判断は正しいと思うよ。なんでもそうだが、正しい答えを求めるべきなのだ。獣とは違い、人は知識を蓄えることが出来る生き物だ。ならば……」徐々に声が大きくなってきていたフールーダは苦笑いを浮かべた。「すまないな。少しばかり興奮してしまい関係のないことを話すところだった。さて、この試験の裏にあるのは、今後高い地位に就くかもしれない、もしくは貴族として当主になるかもしれない雛を、恐怖の中に置き、その傍に信頼できる者を置くことによって信頼性を得る行為。はっきり言ってしまえば洗脳なのだよ」
「……なんですって」
「……洗脳と言うと言葉が悪いかもしれない。しかし帝室への忠誠を高め、一個の組織として進んでいくというのは、人間という劣等種族の存続に関しては正しいとも言えよう」
フールーダを否定する言葉をジエットは持っていなかった。
人間以外に様々な種族がおり、その中でも人間は下から数えたほうが早い強さの生き物だ。本来であれば生存競争に打ち勝つために団結しなくてはならないにもかかわらず、同族同士で争う。人間は愚かな種族だ。
そういう視点からすれば、騎士、そしてそれを支配する皇帝の元、洗脳でもしてでも団結するというのは間違った考えとは決して言えない。
「そんなに考えることはない。大体、何かが出来るわけでもないのだ。ジエット君、君が考えるべきはこの旅を見事に終わらせるように努力することではないかね? ……はは。混乱させるようなことを言った人間の台詞ではないか」
「い、いえ。そのようなことはありません!」
「フールーダ・パラダイン……無駄話が長すぎではない?」
「おお、これは失礼」
ナーベに軽く頭を下げるフールーダ。
この二人を何日も見てきてジエットが理解しているのは、どうやらナーベの方が若干上の立場のように感じられるということだ。
(辺境侯はどんな部下の指導をしているんだ? 彼女の方が先輩だからとかなのか?)
ナーベのものは決してかの大魔法使いに対して許される口調ではない。しかしフールーダ本人が許しているのだから、ジエットが何か言うことは出来ない。大体、辺境侯がそうするように命じている場合だってあるのだ。そこにでしゃばるのは失礼を通り越している。
「……ところで話はまるで変わるんですが、都市内にモンスターが入り込んでいるということはあると思われますか?」
フールーダの目がナーベの方へと動く。それから微笑を浮かべた。
「絶対にないとは言えまい。地下下水道、墓地、貧民街の廃棄された建物。隠れられる場所は無数にある。とはいっても多くの被害が出るようなことは起こっておるまい。……何かあったのかね?」
「い、いえ。ふと不安に駆られまして」
「……はははは。もし君が襲われそうになったら私が守って見せよう。安心したまえ」
ポンポンとフールーダが優しくジエットの背中を叩いてくれる。むずる子供を母親が優しく叩くようなそんな感じで。
「あ、ありがとうございます」
「それに帝都はかなり頑丈に守られているし、騎士たちが巡回している。それほど危険なモンスターが侵入している可能性はないとは思うがね」
ならばあのアンデッドは一体なんだ、と言いたくなってしまったがジエットはそれを必死に抑え込み、作り笑いを浮かべる。フールーダの危険と、ジエットの危険ではレベルが違うというオチだというのか。
「それそろ私たちも行きましょう」
「おお、そうですな。ではジエット君。私たちの役割である他班との挨拶回りをしてくる。もし何かあったら、幌馬車に帰ってきた時に教えてくれるかね?」
「はい。分かりました。面倒でしょうが、他班との挨拶をよろしくお願いします」
「任せてくれたまえ」
フールーダとナーベが歩き出す。
その後姿を見送り、自分も行動を開始しようと思った辺りで突然背後から声をかけられる。
「やぁ、元気そうだね」
何度か声をかけられたが、一度たりとも慣れることはない。この声を聴くたびに胃がきりきりと痛む。
「…………」
「どうしたんだい? ジエット君」
そこに立っていたのは平凡そうな、四枚目の男だ。しかし外見と真なる姿がまるで異なっていることをジエットは知っている。
「これはモモン様お久しぶりです」
「……棘があるな。何かあったのかね?」
「いえ試験を前にして不安に感じているようです私はモモン様の事を誰にも話しておりませんこれで行ってもよろしいでしょうか私も準備がありますので」
「少しぐらいいいじゃないか。……約束を守ってくれてうれしいよ。……そういえば一緒に校門を潜ったのは確か、舞踏会で君の後ろにいた少女だったね。あの時も思っていたのだが、恋人同士なのかね?」
ジエットは黙ってモモンの表情を眺める。
同じ学生が話すような内容だし、表情は好意的なものだ。学生がしそうな恋話をしていると言っても信じられるような。しかし、ジエットは騙されない。あのおぞましい素顔を知っている身としては。
「ありがとうございます。ですが恋人でもなんでもありません。単なる幼馴染です」
「そ、そうなのか? ……脈はあるんじゃないかな? もし協力してほしいという──」
「──必要ないです」
「そ、そうだな。壊れてしまうか──」
「彼女には手を出さないでほしい!」
思わず声が出てしまい、モモンが驚いた素振りを見せた。それから周囲を慌てて窺う。圧倒的強者である彼が常識的に考えれば慌てるはずがない。ではなぜ、周囲の様子に注意を払っているのか。
(……そうか! パラダイン様がいる近くではモモンも!)
「そんな大声を……恥ずかしがって……これが青……若さ……キラキラ輝い……幼馴……登校……エロゲ……その内……距離が迫……妬ま……こんな学生生活……れも……羨ま……」
ぼそぼそとあまりにも小さな声であったために、何を言っているのかさっぱり分からない。
モモンは溜め息を一つ吐き出す。
「まぁ、協力してほしいことがあったら何でも言ってくれ。私は君に借りがあるわけだしな。何かのイベントの日に雪でも降らしてやってもいいぞ? ホワイトクリスマスだ」
ホワイトクリスマスという言葉は聞いたことがない。何かの魔法的儀式の名称なのだろうか。
それ以上に──
「雪を……降らせるのですか?」
「ああ、マジックアイテムを使用すれば容易だしな」
「マジックアイテムですか」ジエットは少しだけほっとする。「とはいえ結構です」
「……別に何か要求したりはしないぞ。君の学生生活が実り良いものになるようにしてあげたいだけだ」
「結構です」
「連れないな……」
悪魔が人の魂を奪う時、甘い言葉を囁くという。リッチも同じようなことをするのだろうか。
ジエットはフールーダに質問してみようか、などと頭の片隅で考える。
「さて、そろそろ待ち合わせ場所に行くとするか。……君も怪我をしないように注意してくれ」
薄い笑顔をモモンが浮かべる。そのおぞましいことを考えていそうな薄気味悪い笑みを目にし、ジエットは異様な不安に駆られ、言うつもりのなかった確認を口にしてしまう。
「……この旅の最中、あなたの手下が私に襲いかかってくるなんてことはないんでしょうね?」
口封じをするのであれば、旅の最中はかなり良いタイミングだ。街の中で行方不明なり、死亡するなりすれば同じチームのフールーダに違和を感じさせることは間違いない。しかし、旅の最中であればモンスターに襲われたとしても不思議ではない。その結果ジエットが死んだとしても嘆きこそすれ、モモンの関与が疑われるのはよほどの時ぐらいだ。
では旅の最中、フールーダという最高の魔法使いがチームにいるジエットを殺すことは可能か?
それは可能だ。
フールーダという最高位の魔法使いがいたとしても、その手は二本しかない。動きを封じ、その間にジエットを殺すことぐらい容易だろう。例えば、非実体のアンデッドであれば、物理攻撃以外の対処手段が必要になってくる。そうなれば騎士たちは役に立たず、フールーダと同行する神官が主戦力だ。
そうやって相手の目を非実体のアンデッド──レイスやゴーストなどに集め、後ろから暗殺用のアンデッドを襲わせるなどの手が思いつく。
嫌な想像をしていたジエットは、自分を見つめるモモンの視線に気が付く。
それは奇妙奇天烈なものを見る目だった。
「なんでそんなことを私がしなくてはならないんだ? ……私は君に借りのある立場。敵対するつもりはないよ? 初めての旅でピリピリしているのは分かるが、疑われるというのは心外だし、流石の私も不快に感じるぞ?」
本当に少し苛立っている雰囲気があり、慌ててジエットは頭を下げる。
相手は化け物。怒らせて良いことは何もない。
「失礼しました。成績を競う最大のライバルでしたので不安に駆られました」
「……なるほど。君のチームメイトを考えれば、私たちが1位、2位だというのは間違いない。そうなると足を引っ張れば、1位が取れるのは間違いない、か。君の立場からすれば警戒も当然か」
成績を競うライバルか、とモモンが口の中で言葉を転がしている。
(その薄い笑いはライバルなどになるはずがない、という優越感のものか?)
「了解した。君の警戒も当然のものだな。取り敢えず約束しておこう。君たちの足をひっぱたりはしないよ。正々堂々勝負しようじゃないか。おっと! 話をしすぎた、私は行かせてもらうよ」
良い勝負をしよう、と言いながらモモンが手を伸ばしてくる。
ジエットはその手を握った。異様な硬さが伝わる。人というかアンデッドの手ですらない。幻術の下に何か硬質なものを嵌めているのだろう。
ではな、と言い残してモモンが背中を見せた。
その姿が遠くなり、ジエットは安堵の息を吐く。
どこまで信じれるのかは不明だ。しかし──
「信じることしか俺にはできないからな……」
◆◆◆
「お帰りなさいませ、モモン様……いえ、モモンさん」
ようやく戻ってきたチームメイトにランゴバルトは頭を下げる。モモンと言う平民以下の名前しか名乗らない男に対し、貴族の息子である自分が頭を下げる。本来であれば矜持を傷つけられるような行為だが、マイナスの感情はこれっぽっちも抱いたりはしない。
いまだ正体は未知であるが、モモンが並みの存在でないことは嫌となるほどわかっている。いや逆にランゴバルトの知識にある何か──大貴族などに当てはめようとしても当てはまらない、規格外の存在だということしか分からなかった。
「待たせて悪い」
「そのようなことはありません。それより……」ランゴバルトは周囲を見渡してみるが、いるはずの人間の姿が見つからない。「モモンさん。奴隷の三人の姿が見えませんが、どうしたんですか?」
「ああ、彼らか……うん。準備を任せていてね。私たちの馬車の方に色々と持って行ってもらっているんだ」
「そうなのですか?」
ランゴバルトは顔を傾け、奴隷として買われた男たち三人のことを思い出す。
ベッチ・アイク。
セルデーナ・イズングリッド。
クアイア・バッシュグリル。
平均年齢二十歳ちょうどの優男たちであり、腕力よりは頭の方に自信がありそうな者たちだった。
面接とまではいかないものの、彼らの性格や能力を知ろうと軽く面識を持った、ランゴバルトの第一印象では、今回の試験においては盾程度の役にすら立たない者たちというものだった。
そればかりか、今回の試験の役には立たないだろうから、モモンと自分の二人で頑張るしかない。
あくまでも人数合わせであり、お荷物を増やしただけだという悪感情までも抱くに至っていた。
特に旅をした経験がないというのが致命的だった。
次に手の皮は柔らかく、剣どころか鍬さえ振るった様子はない。
そんな男達──筋力に乏しく、旅の知識の皆無な者たちに大切な準備の役割を割り振るのは危険ではないだろうか。
確かに最低限の準備は学院の方から用意してくれる。しかし、旅にあった方が便利なアイテムなどは学院に掛け合って準備するのだ。何があったら便利かなどの情報収集も採点の一つということだ。
(まぁ、後でチェックして無かったら帝都を出る前に購入すればいいか……)
父親からはモモンのためのであれば幾らでも金を出しても良いという約束を貰っている。旅に必要なアイテムの購入ぐらい何も問題はないだろう。
「ああ。旅に必要なアイテムの大半は既に買い込んできてある。あれらに任せているのは馬車に乗せる作業だ」
「なるほど! それなら分かります。適材適所ですね」
いくら力がないとはいえ、時間をかけて行えば問題なく準備できるだろう。
(お荷物だと思っていたが、単純作業程度ならば役立つか)
ぼんやりとそんなことを考えていた、ランゴバルトはなるほどと、一つ頷く。
今日、彼らの姿を見た記憶がないのは、学院に来てからすぐに準備に専念させるためだったのだろう。モモンの先見の明に感心しながら、ランゴバルトはしなくてはならないことを一つ思い出す。
「では早く馬車から彼らを呼び戻しましょう。革鎧の貸し出しも始まったころだと思います。早く行かないと、彼らの体格にあったものが無くなってしまいます。サイズが分かっているのであれば、私の方で並んできますが?」
試験に参加する者には、学院の方で希望によっては革鎧などの貸出サービスも無料で行っていた。
ランゴバルトのように一部の貴族はちゃんとした自分用の鎧を持ってきているが、旅をしたことがない奴隷の彼らが持つはずがないので、借り受ける必要があるだろう。
しかし、学院の生徒の大半が鎧など持っているはずがないため、多くの人間が殺到することとなる。とはいっても無限にあるわけではないため、人によっては体格に合わないぶかぶかの鎧を着ざるを得ない場合があった。そういった鎧では想定以下の防御力しか発揮できないので、早めに列に並んで自分にあった鎧を着ることが重要だ。
「いや、彼らの鎧に関しては私の方で準備した。革鎧の貸し出しは受ける必要がないので、気にすることはない」
「そうなのですか? そこまでとは……流石は、と言わせていただきます」
奴隷を大金で雇ったばかりか、彼ら用の鎧まで準備する。どれほどの金銭を持つのかと、ランゴバルトは戦々恐々しながら歩き出したモモンの後ろを続いた。
向かった先にあるのは幌馬車であり、そこには14名の騎士たちの姿があった。
兜を片手に、一列に綺麗に並んだ姿は、まさに帝国の武の結晶たる勇ましさを感じさせた。
周囲には奴隷三人の姿がないようだが、幌馬車には既に荷物が積み込まれているようで、モモンの言ったことは事実のようだ。ならばそう心配する必要もないだろうと、ランゴバルトは騎士たちの様子を窺う。鎧の格好や胸に刻まれた紋章から、彼らの所属や立ち位置を読み取る。
彼らは第一軍第三師団に所属する騎士たちで、七人の一般騎士、騎士位を持つ魔法使いが一人、騎士位を持つ神官が一人、騎士位を持つ野伏が二人、二人の重装騎士、そして小隊長という構成のようだ。
つまりは通常時の帝国領内の巡回に当たる騎士たちのチーム構成ということだ。
ランゴバルトが小隊長と判断した男が一歩前に出る。
「さて、私が君たちと同行することに……。語る前に君たちのチーム全員と合わせてくれるかね? こちらに前もって来た報告書では五人と聞いているが?」
おや、とランゴバルトは思う。ここに奴隷の三人がいるのではなかったのだろうか? 馬車に乗っている気配はなさそうだ。というよりも声が聞こえれば普通は出てくるだろうから。それとも寝ていたりするのだろうか?
不思議がりながらもモモンへと視線を動かすと、モモンがそれに気が付き、自信に満ちた顔で一つ頷いて答えてくれた。
「ああ、そうだったな。出ろ」
(命令が出るまで姿を見せるな、などの命令をしているというこ──え?)
突如、横手に巨大な何かが姿を見せた。何もなかった空間から突如現れる姿にランゴバルトは口をバカのように開けてしまう。
「まさか〈透明化/インヴィジビリティ〉?! ────はぁあ?!」
ランゴバルトの絶叫に被さる様に──
「うぉおおおお!」
「なんだ! 敵か?!」
「抜剣!!」
──一斉に騎士たちが驚愕の声を上げながら、距離を取ろうと後退する。余りに動転してしまい、足が縺れた者や仲間とぶつかって転倒する者さえいる。
それはあまりにも無様な姿であった。
帝国の誇る専業兵士。国家としての柱の一本であり、最も重要な柱を構成している騎士たちが、慌てふためいているのだ。
しかし、だ。
ランゴバルトに──いや、この光景を目にした誰にそれを責めることができようか。
否。できるはずがない。
(あんなのが突然現れて、冷静さを保てる人間がどこにいる! いるわけがないだろう!)
ただ、それでも自分よりも驚いている姿を見ると、意外に冷静になれるものだ。恐怖を呑み込めたランゴバルトは、この場で唯一知っているはずの男に大声で問いかける。
「モ、モモ、モモンさん! あれは一体なんなんですか!」
ランゴバルトが指を突きつけた先、そこに立っていたのは巨大で恐ろしい漆黒の鎧に身を包んだ者たちだった。血管でも走ってるかのように真紅の文様があちらこちらを走っており、棘を鎧の所々から突きたてた、身を守るための物というよりは暴力の具現としての鎧だった。
身長は二メートルはゆうに超えているだろう。体と同じように厚みもかなりあり、その肉体の下の筋肉の隆起を感じさせる。
左手には体の大半を覆えそうな巨大な盾――タワーシールドを持ち、巨大な剣を鞘に納めて腰からつるしている。
ボロボロの漆黒のマントをたなびかせながら、立つその姿は圧倒的な力の塊。首からは似合わないような銀色に輝くプレートを下げていた。
右手には布のようなものを持っている。
「……いや、不思議なことを聞くな、ランゴバルト。君だってこの前会ったじゃないか。えっとアイク、イズングリン? あとはバッシュ……の三人だよ」
モモンが名前を呼ぶたびに、全身鎧に身を包んだ漆黒の戦士が一人、また一人を頭を縦に動かす。見れば首から下げているプレートにはそれぞれの名前が記載されているようで、呆けてしまったランゴバルトは犬の首輪のようだ、などと思ってしまった。
「以上の三名に私──モモンと、彼──ランゴバルトでこの班は成り立っている。以上、よろしく頼む」
「いやいやいやいや! 待ってください! 彼らは人間でしたよ! あれはどうみても人間以外の何かじゃないですか!」
一応は奴隷と面識のあるランゴバルトは突っ込みを入れる。
彼らは決して身長二メートルを超えるような巨漢ではなかったし、あんな重装鎧を着て行動できる者たちは思えなかった。だいたい、放つ雰囲気が異常だ。全身が震えあがりそうになる、鬼気ともいうべき気配を周囲にまき散らしている。
騎士たちですら戦意ではなく恐怖によって武器を身構えているぐらいだ。幾人かは震えが止まらないのか、剣を持つ手がカチャカチャと言う音を鳴らしているがそれをバカに出来る者がいるはずがない。
まるで強大なモンスターと対峙ているような、そんな気配が立ち込めているのだから。
モモンの近くでなかったら、ランゴバルトも全力で逃げただろう。
「失礼だな。単に魔法の鎧を着てもらっているだけだ。あの兜の下は彼らの顔があるぞ?」
ランゴバルトは漆黒の戦士たちをちらりと窺う。
完全に顔を覆い隠すタイプの兜ではあるが、細く開いたスリットの奥、瞳の辺りに赤い光──人間では決して不可能に思われる輝き──が灯っているような気がするのは気の所為なのだろうか。
「兜を外して見せようか?」
「止めてください……お願いです」
もし──その下に彼らの顔がなかったら? よりおぞましい素顔があったらどうすればよいのか。
そしてもし──逆に彼らの顔があったら……それは安心できるのだろうか?
ランゴバルトはちらりと騎士たちの様子を窺う。いや、騎士たちに救いを求めたという方が正解か。
正直に言って、もはや自分がどうにかできる範疇を軽く逸脱している気がしていたのだ。
隊長と言われた男が蒼白の顔で答える。
「……私たちは君たちと同行し、守るのが役目だ。あの三人が君たちの班員で間違いないというのであれば、私たちから言うことは何もない」
ランゴバルトは裏切られた気がした。それと同時に破れかぶれの気持ちへと変わる。
そう──もうどうでもよかった。
「そうですね。うん、そうです。彼らは確かに私たちの班員です。見間違えました。流石はモモンさん。私には到底できないことを簡単にやってくださいますね。じゃぁ、行きましょう。こんなところでのんびりしていてもしょうがありません。さ、とっと行きましょう。自己紹介などは道の途中で馬になりながらでも出来ますよね。それで早く終わりにしましょう。騎士の皆さんも当然異論なんかありませんよね!」
救いを求めるような視線を裏切るのは、次はランゴバルトの番だった。
◆
幌馬車に乗っていたアインズは足を延ばす。
アンデッドであり、疲労とは無縁であるために、行為自体に意味はない。正座を何時間しても痺れもしない身だ。足を延ばして場所を取るというのは迷惑でしかないだろう。しかしながら鈴木悟──人間の精神の残滓ともいうべきものが、こういった行為を行わせる。大きな精神の動きは抑圧されるが、小さな心の動きはそのままである。そのために、リラックスするポーズをとるとホッとするのだ。
これはベッドに横になったり、デスクワークをしている最中に肩を回したりする行為と同じことである。
アインズは足の痺れでも取るかのように、足の曲げ伸ばしなどを行う。先ほどは何にも当たらなかったが、今度は流石につま先が乗れていた荷物にぶつかった。
幌馬車には30人近い人間の一週間分の食べ物が詰め込まれているため、それなりの量となっている。そればかりか──
「動く必要はない。そのままでいろ」
荷物を動かそうと立ち上がったデスナイトの一体に命令を下す。主人の命令に従い、デスナイトは先ほどの膝を抱え込んだ姿勢──出来るだけ邪魔にならない姿勢へと戻る。
デスナイト一体一体が巨大であるため、幌馬車が狭く感じるほどだ。
だからなのだろう。
最初の話では、幌馬車には騎士の中から四人とこちらの班の半数が乗り、残りが馬に乗って旅をするという話だった。しかし実際にはアインズとデスナイト三体。それに騎士からは二名だけしか乗っていない。
ちなみにランゴバルトは外で嬉々として馬に乗っている。
(馬が好きなのか? それともデスナイトの近くは嫌なんだろうか? ……別にオーラを放っているわけでもないが……まぁ、こんな鎧を着た奴の横には居たくないか)
デスナイトの棘の付いた鎧を横目で眺め、アインズは苦笑いを浮かべる。
(やれやれ。本当に無理やりだったな。あそこで兜を取って見せろなどと言われなくてよかった。ランゴバルトには借りが一つだな)
別に本当にデスナイトの中に雇った奴隷が入っているわけではない。殺して皮を剥ぎ取るという案をデミウルゴスが出したが、それは流石にアインズが却下している。
敵や利益のために人を殺すことはなんとも思わないが、雇い人が無実の雇われ人を殺すというのは如何か、と思ったためだ。雇った段階で、アインズには彼らに対する責任が発生しているのだ。それを先に裏切るというのは主人として行うべきではない。
そのため奴隷の三人は現在、アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の館で様々な資料の製作や、計算などに追われているはずだ。
今回、代わりにデスナイトを連れてきたことだが、勿論、アインズとしても自分が馬鹿な行為をしているという自覚はある。しかしこれはどうしても必要な行いなのだ。
元々、奴隷市場で奴隷システムを聞いた際に、アインズが考えたのは人材派遣業である。
特に飲食不要かつ給料を支払わなくてよいアンデッドを使用すれば、全てがアインズの懐に納まる計算となる。これは現在のナザリック大地下墳墓の金銭不足という問題に対する救いの一手になると直感したのだ。
ナザリック大地下墳墓にはかつてアインズが仲間とともに集めた膨大な財がある。そして領地を持ち、将来的にそこから上がってくる収益はそれなりの額になるだろう。
しかしながらナザリック内の宝の山においそれと手が出せない理由が二つほどあった。
一つはユグドラシルの金を使うことは、変な目を集めかねない危険が無いとは言い切れないこと。そしてもう一つは、仲間たちと集めた宝は、使いたくはないという個人的な感傷からだった。
そのせいもあって、ぶっちゃけた話、ナザリック大地下墳墓には余裕ある金というのが驚くほど少なかった。金の卵を産む鶏も今はまだヒヨコ。そのために別の鶏を連れてくる必要があったのだ。
だからこそのアンデッド奴隷だ。
まずはデスナイトの強さを闘技場でアピールする。これによって貴族たちがデスナイトを高い金で雇い入れる。それによってナザリックが潤うという算段であった。
そして実はそれだけではない。アインズは同時にもう一つ狙っていることがあった。
貴族たちが奴隷として使うことによって、アンデッドに対する感情が変化することも計算していたのだ。
アンデッドは死者であり、生者を襲う存在。嫌悪すべき敵。忌避すべき存在。
これが一般的な考え方である。これに対してはアインズも頷くほかない。確かに一般的なアンデッドは敵でしかない。しかし、アンデッドは利用できる存在でもあるという新しい見方を得てほしいと狙っていたのだ。
(実際、アンデッドは飲食不要だし、疲労もしない。単純作業を行わせるには完璧なモンスターだ。元々の世界の機械化の代わりが、この世界ではアンデッド化というだけのことだとは思うんだが……)
こうすることでアインズが領内の様々な所でアンデッドを使ったとしても、嫌悪される可能性は低くなるだろう。そして明確な結果が出れば──それも間違いなく出る──、真似ようとする者たちが出てくるはずだ。
こうすることによって、やがてアインズがそのアンデッドの正体を明かしても、一般大衆に普通に受け入れられるようになるだろう。
アインズにしては真剣に今後を考えた狙いだったのだ。しかし最初の一歩で頓挫した。
(なんでなんだ? どうして誰もデスナイトを雇いたいと声をかけてくれないんだ? 大体、奴隷商人が拘束されるというのはどういうことなんだ? いや、あの王国との戦いで危険な面が強くアピールされたというのがマイナスだった違いない)
アインズが契約した奴隷商人は闘技場で拘束され、いまだ解放されていない。それも帝国の頂点たるジルクニフの命令で、だ。
確かにアインズとジルクニフは友人である。だからこそお願いをすれば彼が曲げてくれるだろうことは間違いない。しかしそれをアインズは良しとは思えなかった。
(友人であるからこそ対等であるべきだ。もたれ掛るだけの関係など間違っている)
アインズは強く頷く。
友人であるということを武器に、願い事をするというのは正しい友人関係とは決して言えない。
だからこそアインズはジルクニフの納得がいく説明を受けながらそれ以外の道を模索する必要がある。
(ジルの話を聞いたが、彼が心配しているのはデスナイトを得た貴族たちが想定外の使い方──ジルにとって有益な貴族を殺されたりはしないか、もしくは反旗を翻したりはしないかなどだったな。ふむー。確かに……納得がいく不安だな。私の命令一つでデスナイトの操作は奪えると言ったが、いない時や連絡が取れない場合の緊急対応が難しいか……。言われてみれば当たり前のことだが……やはりジルは色々と考えているな)
皇帝としての力を示さなくては部下に侮られる。だからといって君の力を借りるつもりは現状ない。
アインズの提案に対する、ジルクニフの答えはそうであった。
ジルクニフの笑顔を思い出しながら、アインズは下顎のあたりを手で押さえる。
(流石はジルだ……。まさに皇帝という立場に相応しい態度。あれは真似るべき、そして学ぶべき点だな。そういえば、あの時、なんで笑顔が堅かったんだ? 腹が痛いはずもないし……分からないが……こっちも笑顔で返したし問題ないだろう)
「それに……」
アインズはぽつりと言葉を零すと、搭乗していた騎士たちがびくりと体を震わせ、慌てた様子でアインズに注意を払ってくる。独り言に強く反応され、なんとなく恥ずかしく思いながらアインズは手を振る。
「独り言なので、気にしないでください」
納得した様子はなかったが、再び視線が逸れる。ただし、生じた緊張感は緩んでないし、臨戦態勢を思わせるピリピリした空気はそこに残っていた。
(なんなんだ、この空気? いや、デスナイトを警戒するのは当然だが……信頼されてないのか? それとも……)
「ところで聞きたいことがあるんですが?」
「なんでしょうか、モモン様」
バッ、そんな擬音が正しいような動きを騎士がした。片膝をつき、頭を下げる姿勢は忠勤の騎士の姿だ。
「あ、いや……。敬称は必要はないですよ。ほら、一緒に旅する仲間だし……」
「滅相もありません。それほどの存在を従えているあなた様に対して仲間など恐れ多い……」
少しだけしょんぼりしながらアインズは自分の立ち位置を考える。
本来であればアインズは騎士たちと協力して旅をする身だ。先ほど言ったように仲間という関係が最も適切だろう。しかし、デスナイトという武力を見せた以上、騎士もそれに守られることを期待している面もあるようにアインズには思えた。
つまりは庇護者と被庇護者の──明白な上下関係が構築されたようだった。
(まぁ、元々デスナイトを連れてきたのは、彼らにその力を示すのが狙いだったからな。……あの戦いに参加しなかった第一軍が警護だったというのは幸運か。ところで──)
「君たちは警護の任務には慣れているのかね?」
「……慣れるなどとおこがましいことはいえません。多少は、と言う程度です」
「なるほど……」
(そういうことか。……警護任務に慣れていないという点もあるのか)
新入社員を付き合いある会社に連れていく際、新入社員から漂ってくる緊張感にも似た雰囲気を思い出し、アインズは苦笑いを軽く浮かべる。
「可愛いものだな」
再び、びくりと幾つもの肩が動く。
可愛いというのは失礼な物言いだったとアインズは心から反省した。彼らも騎士として訓練を積んだ筈だ。恐らくは肉体を鍛えに鍛え、剣の素振りで手の皮だってはがれただろう。そんな男たちに可愛いは侮辱だ。
(そうだな。計画を変更して……しっかり彼らも守ってやるとしよう)
彼らが壊滅しつつデスナイトに助けられれば、などと最初は考えていたが、アインズはその計画を破棄する。デスナイトの強さを知らしめるのが目的ならば、目撃者は多数いた方が良いだろうから。
アインズは慈愛を込めて、優しく見渡す。先輩営業マンが後輩営業マンに対して向けるような視線で。
しかし、騎士たちが怯えたように身震いしたのが少しばかり不思議だった。
ジエットの脳にはホワイトクリスマスは雪の生誕祭と伝わるのかなぁ。それとも雪の性誕祭? ……うん、ファジーに!!