学院-6
まるで別世界だ。
こういう世界があることは知っていてもジエットはいつでも、そう思う。
煌びやかな貴族の世界への入り口──ロベルバド家の門が少し離れたところに見える。煌々と魔法の明かりが灯る姿は無数の宝石で身を包んだ貴婦人のようだった。
輝かしいスポットライトの下、飾り立てられた貴婦人たちが微笑み、身なりの整った紳士たちが談笑する。そんな世界を幻視する。
分かってはいる。こんな煌びやかな世界に生きる者でも、苦悩はあり、苦労はあることを。自らの母が仕えていた貴族家は取り潰されたように。
それでも必死に働かなくてはならない身と比較すると、嫉妬という黒い炎がジリジリと身を燻る。
人は生まれが殆んどだ。ここで運が良かったものは幸福な一生を、悪かったものは不幸の多い一生を送る。裕福な家に生まれれば、それなりに色々な面で支援が受けられるように。ならば貧しい家の子供であるジエットは──
「……忘れろ」
ジエットは己に言い聞かせ、浮かび上がる感情に蓋をする。
幸福か不幸かを判断する基準は誰かとの比較ではない。自分でどのように感じられるか、だ。
自分で不幸だと感じ、それに浸れば心が歪む。もし不幸だと思うのであれば、沈まない様に足掻くだけの事なのだ。
一度だけ目を閉ざし、数秒してから見開く。
再び煌びやかな世界が視界に飛び込むが、先ほどまでの黒い感情は押し込められていた。
そして切り替わった思考で、唾を一つだけ飲み込む。
自分の生きてきた世界とはまるで違う世界に飛び込むのだ。緊張しても可笑しくはないだろう。いや、平民が緊張しないわけがない。さほど経験したことがないことを行おうとすれば、プレッシャーがあってあって当たり前のこと。
ただ、隣の少女は平然としているようだった。
この少女──オーネスティ・エイゼルは一体何者なのだろうか。
舞踏会への参加状を用意してくれたことは非常に嬉しいが、どうやって本当に手に入れたのかという疑問が頭に残る。彼女は「私の知り合いの人がある大貴族家に仕えていますので、そこ方のツテを頼ればどうにかなると思います」と言ってはいた。
しかし、そう簡単なことではないはずだ。大体、単なる平民にそんなツテがあるはずがない。世の中、コネのコネを頼って行けば、5回ぐらいで皇帝とだって繋がるとは言う。しかし、実際にあり得るはずがない。
生きる世界が違うというのは、思った以上に断絶があるのが普通なのだから。
──そういえば、この少女のことをほとんど知らない。
前にも思った疑問が再び鎌首をもたげる。
懐疑心に支配されそうになる。オーネスティの後ろにいるのはもしかするとかの大貴族、アインズ・ウール・ゴウン辺境侯なのではないだろうか、と。
強迫観念に囚われている可能性は非常に高いが、この頃──大魔法使いフールーダの登場以降、全てにおいてかの大貴族が裏で手を引いているのでは、という思いが頭からどうしても離れない。
それに、ジエットという平民の少年に力を貸してくれそうな貴族なんて、辺境侯ぐらいしか想像できないというのも理由の一つだった。勿論、オーネスティに力を貸しているんだということを除いてだが。
「どうしたんですか?」
「あ、いや、別になんでもない」
突然の問いかけにジエットは慌てて答える。
「何でもない」筈がない、動揺が明らかな返答だったが、オーネスティは特別な反応を示す様子はなかった。おそらくは舞踏会を開いている貴族の家屋の豪華さに息を呑んだとでも思ってくれたのだろう。
「そう……ですか。これから行きますけど、準備の方はよろしいんですか?」
「ああ、問題はないはずだ」
オーネスティの視線がジエットを上から下まで舐めるように動く。数秒の後にすっ、と離れていった。おそらくは合格点は取ったということなのだろう。ジエットの服装の乱れは彼女の恥であり、彼女に招待状を準備してくれた貴族の恥に繋がるのだから。
こういった場所における服というのは一種のステータスであり武器だ。というのも舞踏会などに代表される社交界は貴族の戦場。みすぼらしい服や、流行から遅れた服を着用する者はその程度と見なされ、影で侮蔑される。貴族にとって面子というのは大事であり、見栄もまた甲斐性の一つだ。
これは貴族だけのものではない。平民だってそうだ。
例えば、結婚式などの時にどのような格好をしていくか。この時に非常に貧しい格好をしていけば、その程度の人間だと判断されるだろう。そういうことなのだ。
しかしながら平民にとって、舞踏会に着ていくのに恥ずかしくない格好というのは非常に困難極まりない。頻繁にあるはずがない衣服にそんな費用は掛けられないし、トレンドを追っていくことも難しい。
では平民であるジエットはそんな戦場に対して、恥ずかしくない格好をどのように選んだのか。
答えは簡単だ。
ジエットが選んだものではなく、帝国魔法学院の生徒にとって切り札というべき礼服があるのだ。
それは魔法学院から与えられる礼服だ。
魔法学院の生徒は様々な式典に参加する。入学式や卒業式などから始まり、長期休暇前の式典、建国記念式典などだ。そういった大貴族などが参加する式典に、平民の生徒が貧しい服装をしていては色々な者にとっての恥となる。そのために各員に一着づつ礼服が与えられるのだ。
それほど華美な物ではなく落ち着いたものは、煌びやかな舞台ではみすぼらしくも見える。しかし、この服を着ていれば、貴族たちは特別に何も言ったりはしないし、できない。
というのも数代前の皇帝が選んだという学生用の礼服は、既に数十年以上の重みを抱いているために、由緒正しい衣服であるという評価を得るに至っている。もし仮に貧しいと思っても、それを口に出すという行為は、帝室に対する侮辱となる。
鮮血帝──ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスという圧倒的強者が皇帝であるこの時期に、そんな竜の尾を踏むような愚か者はいないためだ。
ちなみにオーネスティもまた同じ礼服──女性のものを着ている。
(これも謎なんだよな。コネがあるなら服の準備もお願いできるんじゃないか? ……いや、この舞踏会に参加したいというのは、俺への借りを返すためだと言っていたな。追加でコネに借りを作りたくないとか、か?)
「じゃぁ、行きましょう。でもそれは外さないでよろしいんですか?」
「ああ……これか。どうするかな」
ジエットは己の目を覆っている眼帯を触る。こんなものをして行ったら非常に目立つだろう。
数秒間、ジエットは迷い、それから覚悟を決めて外す。家での生活では普段から外しているので、別に解放感があるわけではないが、視界が広がるのと、片目にかかっていた負担が軽減されるために、目の疲れが一気に取れていく気がする。
「……一つ、聞いてもよろしいですか? なぜ、眼帯をされているんですか? どちらの目も何ともなってませんが、何も隠す必要はないのじゃないですか?」
ぼそりと投じられた彼女の質問も当然のものだ。外見だけであればジエットの目はどちらも変わらない。にもかかわらず、眼帯で片目を覆っているのだから異様にも思えるだろう。
「うーん。確かに、な。……ぱっと見た感じはどっちの目も正常に思えるかもしれないけど、実際は生まれつきの異常があって、目が光に弱いんだ。だから日中は悪い方の蔽ってないと疲労しちゃって、悪くなると失明するらしいんだよ」
普段から言い馴れている嘘を付く。
チームの仲間に虚偽を告げるというのはあまり気分の良い物ではない。それもジエットのために招待状を手に入れる様に努力してくれた相手に。しかし──
(──この目のことは隠しておけって言われているからな)
恩人にそう言われて以来、この目のことを知っているのはごく少数だ。学院の友人未満ぐらいの仲間でも知っている者はいない。
ジエットは目を動かして隣に立っているオーネスティを眺める。
その視界に重なり合うように現れるオーネスティの姿はなかった。つまりは彼女は幻術を使ってはおらず、素顔のままだし、見た目通りの年齢だということだ。
そう。ジエットの片目は幻術を完全に看破する瞳なのだ。といっても見破れるだけであり、魔法の効果を打ち破るわけではない。看破できるだけだ。ならば日常でも外して行動すれば問題ないように思われるかもしれないが、たった一つだけの、ただし非常に致命的な理由があった。だからこそ外してはいないのだ。
「そうだったんですか。変な質問をしてごめんなさい」
「いや、気にしないでくれ。よくされる質問だしな。それに──何も変わってなくて安心したよ」
どういう意味なんだと、不思議そうな表情をした彼女にジエットは苦笑いを浮かべる。
冗談の類と判断したのか、答える意思がないことを感じ取ったのか、オーネスティは「そうですか」と答えると歩き出す。
追従してジエットも歩を進める。前にあるのは格子門であり、横手には武装した兵士──この家に雇われた警備兵がいる。それと執事が一人。
警備兵たちは歩いてくる二人に一瞬だけ訝しげな顔をした。
舞踏会に来る者は大抵馬車だ。歩いてくる者は普通いない。
しかし警備兵の疑問は二人が魔法学院の礼服を着用していることで氷解したいようだった。この家の息子が魔法学院に入学していることを知っているのだ。学院の友人──馬車に乗れないような身分の低い──が来たと判断したのだろう。
「ようこそいらっしゃいました」ジエットたちが門の前まで着くと、執事が頭を下げる。「失礼ですが、招待状を拝見してもよろしいでしょうか?」
オーネスティは持っていた小さなバッグから、招待状を一枚取り出す。
手渡された執事はまずは封蝋に押された紋章を真剣に眺め、それから剥すと中から取り出した用紙を上から下まで真剣に眺める。それから深々と頭を下げた。
「確認させていただきました。ようこそお出でくださいました。会場の方は別館となっておりますが、そちらまで案内する者をお付けしてもよろしいでしょうか?」
「いえ、遠慮させてください。あそこでよろしいんですよね?」
彼女の指差した方向に振り返った執事は品の良い笑顔を浮かべる。
「左様でございます。あちらが別館となっております。あちらの入り口でこの招待状を渡して頂ければ、係りの者が会場までご案内させていただきます」
「分かりました、ありがとうございます」
返された招待状を受け取ったオーネスティがぺこりと頭を下げ、ジエットも遅れて頭を下げる。その頃には格子門は開いており、二人は間を抜けるように敷地内に入った。
門を抜け、舗装された道を歩く。
「ふぅ」
別館に向かって歩きながらジエットは小さく息を吐き出す。帝都内であるために別館と言っても遠く離れているわけではない。ちょっと大きな声で話せば、執事たちまで十分に聞こえる程度しかまだ離れてはいない。
それでもため息を吐いてしまったのは最初の難関を突破したような気持ちで一杯だったためだ。
「……舞踏会の会場に着いたら別行動で構いませんか?」
普段より抑えた声で彼女が口を開く。若干聞き取りづらく、ジエットは少しだけ身を屈めた。
「どうして?」
「あまり……睨まれたくないんです。申し訳ないのですが」
「ああ──」
当然だ。ここは大貴族の一人に数えられるだけの家だ。下手な騒ぎを起こしたりすれば、非常に不味い立場になる。
ジエットもその辺は流石に弁えている。
相手のホームグラウンド、生きる世界が違う場所で喧嘩を起こすことの愚くらいは。
今でもそうだが、平民と貴族では生きる世界が違う。よりこの差が激しかった昔であれば、貴族につまらないことで殺される平民もそれなりにいたらしい。今のように無意味に平民を殺せば鮮血帝によって「丁度良い」とばかりに家を潰される可能性がある中で、理不尽なことはないとは思われる。しかし、逆に言えば理由があれば殺されるということだということぐらい。
ここに来たのはあくまでも幼馴染──ネメルが心配だからで、遠くから見守るつもりだ。何か不味いことがない限りはネメルの元に行くつもりもない。
「騒ぎにはしないつもりだ。下手なことをすれば、オーネスティの──招待状を準備してくれた方にも迷惑がかかるから」
オーネスティの目が少しだけ細くなったような気がジエットはした。いや、目の奥が変化したというか、雰囲気が変わったという方が正確なのだろうか。
何か危険な生物がそこにいるような、奇妙な気分を抱く。
(バカか? 彼女だぞ? あの苛められていた。大体、なんで雰囲気が変わったんだ? 何か怒らせたか?)
「気にしないでください。貴方が一人でここで揉め事を起こす分は構わないですから」
「え?」
「もともとここの貴族とはあまり仲が良くない貴族家の出した物です。ある程度の喧嘩であれば笑って許してくれる……と思います。でも負けるとちょっとまずいかもしれません。戦うときは勝ってください」
「おいおいおいおい」
ジエットは微笑を浮かべる。オーネスティなりのエールなんだろうと考えて。
「……騒ぎを起こすようなことを勧めないで欲しいな。もともと、俺──いや私だって好きでやっているわけではないのですから」
「そうですか」ちらりと彼女の視線が、近くになった別館の入り口へと動く「私は会場に入ったら貴方とは別れますので、帰りは……どうしましょう。お互い別々に出たとしても問題はないとは思いますが……」
「どうしてですか?」
「私にも会いたい人がいます。ですので待ち合わせの約束をしたとしても守れるかには心もとないので」
「了解しました。でしたら各自バラバラに撤収に入るということにしましょう」
平民の彼女が会いたいというのは招待状を準備してくれた人と関係があるのだろうか。やはり、オーネスティにはどこか謎がある。
とはいってもその辺りを無遠慮に問えるはずもない。特に今のように無理を叶えてもらった──借りがある立場では。
ふと、ジエットの脳裏にある女性の立場と彼女が重なる。
(ああ──そうかもしれないな)
彼女の正体として可能性があるのは、辺境侯とつながりのある人物、もしくは──鮮血帝に潰された貴族の令嬢か。
ジエットはアルシェ・イーブ・リリッツ・フルトという女性をことを思い出しながら、別館入口でこちらを待っているメイドと目を合わせた。
◇◆◇
案内されたそれなりの大きなダンスホールでは、楽曲が奏でられ、着飾った男女が多数談笑していた。品の良い笑顔の下に毒花が隠れているのが貴族社会なのだが、それとは違う何かがあるように感じられた。確かにあることはあるのだが、ライバルや同じサークルの仲間という雰囲気だ。ただ、貴族社会をほとんど知らないために、その違和感の正答に辿り着くことは不可能に違いない。
これ以上頭を悩ませたところで時間の無駄であると、賢くも判断したジエットは壁の花となるべく端っこを目指して迂回するように歩く。
学院では魔法のみならず様々な勉学を教わる。貴族社会の礼儀作法、紋章学なども当然その一環だ。こういった場所での立ち振る舞い、ダンスマナーなども当たり前のように学んでいる。特に魔法使いとして卒業した場合、時には貴族家に雇われる例もそれなりにある。そのための必須教育の一つだ。
(ダンス一つとってもそうだ。上手くなくても、最低限は踊れないとそれだけで下に見られるからな。貴族社会は羨ましいけどど、影ながらの努力が必要で、ミスると弾かれるというのが怖いよな)
平民と貴族の違いをぼんやりと考えながら、目立たないように慎重に壁際まで移動をする。
その甲斐もあって、貴族たちがちらりとこちらに注意を払いながらも、すぐに興味を無くしたように視線をそらしてくれる。
壁にもたれ掛り、ジエットはふぅと息を軽く吐く。
次にしなくてはならないのは目的の人物を探すことだ。
ダンスホールを見渡す。煌びやかな者たちばかりで、魔法学院の礼服は見つけられない。これだけ煌びやかだと逆に目立つはずなのだが──
「どうしたの! ジエットにも招待状が行ったの?!」
だから、そんな声が身近で上がるまで気が付くことは出来なかった。聞き慣れた声に心臓が喉から飛び出るほど驚き、慌てふためいて声のした方に顔を向けたジエットはより一層の驚愕に身を浸すこととなる。
宝石がそこにあった。
宝石で作られた華ともいうべき輝かしき美。
そこらの令嬢を遥か下に置くような見事なドレス──多少、派手すぎる傾向にはあるが──を着用したネメルがいた。
美しかった。
顔にはうっすらとした化粧をしており、髪から漂ってくるのであろう微かな香水の香りが鼻をくすぐる。
一瞬で顔が紅潮する。
見慣れた幼馴染であればこれほどの衝撃は受けないだろう。しかし今のネメルはジエットの知っている彼女ではなく、見知らぬ美人としてそこに立っていた。
確かにネメルは貴族としての品のある美は持っていない。それでも素材自体はそれほど悪くないのだ。着飾れば驚くような美人になるのは自明の理だ。
愚かな話だ。自分がそうであるのだから、彼女もそうであろうと固定概念にとらわれていた。しかし冷静に考えても見れば、ジエットとは違い、彼女は非常に下とはいえ貴族位を持つ人間だ。最低限度の礼服などは持ち合わせているだろう。
頭の片隅にいる少しだけ冷静なジエットがこれほどの衣装を揃えることができるほどネメルの家は裕福だろうかと疑問を投げかけてくる。
話題を探す。普段であればするりと口から滑り落ちるはずなのに、時間をおいて探さないと出てこない。そんな自分にショックを受けつつも、ジエットは何とか言葉を零す。
「えっと、その、あー、ドレスは一体、どうしたんだ?」
「お姉ちゃんが準備してくれたの。借りているものだから当然返さないといけないんだけどね。……ね、綺麗?」
「あ、ああ。凄く綺麗だ」
この言葉は非常にすっと出た。
「えへへへ──」
幼馴染の勘が働き、お世辞や偽りなど一切なく答えたと判断したのだろう。ネメルが恥ずかしそうに微笑む。
(お! 落ち着け!)
笑顔を目にした瞬間、バクン、と異様な速さで打ち始めた心臓と自分の心に冷静になる様にジエットは叫ぶ。
ネメルが喜んでいるのは、自らが来ている服が褒められた喜びだ。きっと、そうだ、と。
──そんなはずがない。
心の中で聞こえた声に対して、プルプルとジエットは頭を振る。
今はそれ以上にやらなくてはならないことがある。ひとまず、自分の感情を落ち着けるべきだ。数度深呼吸を繰り返す。そこで視界の中に見馴れたくはないが見慣れてしまった男──ランゴバルト・エック・ワライア・ロベルバドを発見してしまう。
(それはいるよな。あいつの家の舞踏会なんだしさ)
二人組で親しげというか──ランゴバルトは若干、緊張しながら、隣の男と話している。ただ、その横に立つ男を目にした瞬間、ジエットは心臓を鷲掴みにされたような気分に襲われた。
「──な、なんだよ、あれ」
「え?」
あれは──化け物だ。おぞましい化け物がいる。
生者を憎み、世界に死を撒き散らかすモンスター。煌びやかな世界が一瞬で色褪せ、錆びついた世界へと変わるような存在感。
干からびた死体のようにも見える顔は、間違いなくアンデッドであることの証拠。
貴族の舞踏会という煌びやかな世界であるがゆえに、異質さがより引き立つ。
「どういうことなんだ?! ここは──いや、あいつだけか」
「え? え? え?」
幻術で外見を変えているのはそのアンデッドだけで、それ以外にいる様子はない。勿論、不可視化などの魔法によって隠れていないことが前提ではあるが。ただ、この場がアンデッドの闊歩する死の世界でないことを確認し、ほんの少しだけ安堵する。
実は自分たち以外全員アンデッドだったりしたら、恐怖にあまり気絶したかもしれない。
(まぁ、食べたり飲んだりしている貴族がいたんだからその可能性は低いとは思っていたけど……)
ならば次の問題はアンデッドがここにいると知った上で、この舞踏会は開かれているのだろうか。それとも知らずにアンデッドが潜り込んでいるのだろうか、ということだ。
前者ならここは虎口だ。仮に後者ならば──生者としてこの場所にいる、アンデッドの存在を知らない者たちに危険を教える必要がある。
だが、単なる平民であるジエットに、貴族たちを説得できる自信はなかった。幻術を看破しているのはあくまでもジエットだけで、それ以外の人の目からは、そこにいるのは貴族然とした男なのだ。常識的に考えれば、狂人の戯言、もしくは平民の無礼な発言と流される確率の方が間違いなく高い。
ではアンデッドに戦いを挑んだらどうなるのか。
ジエットも一応は多少の魔法を使用できる。ゾンビやスケルトンなどの低位のアンデッドならば勝てるだろう。
しかし──
(──桁が違う。幻術を使っている以上、確実に魔法を行使できるアンデッド。ゾンビやスケルトンなどの弱いアンデッドとは違う。更には憎悪を抑え込み、人に紛れ込めるほどの意志と知恵がある。……もしかすると……あり得ないと信じたいけど……多分だが……リッチだ)
リッチ──魔法を使うことで知られる、かなり高位のアンデッドだ。
第三位階の攻撃魔法すら使えるリッチに戦いを挑んだら、ジエットごとき一瞬で殺されるだろう。そしてアンデッドが人の世界に潜り込んで、更には貴族の舞踏会に出るほどの地位を得ているのだ。かなり智謀に長けた化け物であることは確実。ならば正体を明かすことで、日の下に引きずり出すことだって無理だ。ジエットごとき容易く論破されてしまうだろう。
ここでジエットの出来ることなど何一つとしてない。ならば一刻も早く、逃げるべきだ。
それに最も大切な物が何かを考えれば、それ以外に答えはない。
ジエットは横で不思議そうな顔をしている幼馴染をちらりと見る。
そう。ここで助けなくてはならない、最重要人物は今自分の横にいる少女。
心の中でこの場にいる全ての貴族に謝罪する。自分は何も言わずにここから逃げるが許してほしいと。
(第一、ネメルが呼ばれたのも、あのアンデッドに対する生贄ではないと誰に断言できる?)
恐ろしい想像をしてしまい、決心したジエットは逃げる手段に関して思考を巡らせる。
全力で走って逃げた場合、確実に目立つ。それはあまりにも危険だろう。現在、相手は此方のこの目には気が付いてないと思われる。であるならば、上手く逃げ切る方法は相手に悟られないことだろう。
そこまで考えを巡らせ、片目を慌てて閉ざす。
その頃にはもはや遅かった。リッチが周囲をきょろきょろと見渡している。
(遅かった!!)
ジエットの幻術を見破る瞳には一つだけ問題があった。それは幻術を見破った際、幻術を纏っている相手に違和感を与えることだ。無生物であれば何も問題はない。しかしながら生物が幻術を使用していた場合、何かを隠したいということ。下手に見破ったりすれば非常に危険な問題を招きかねない。
──冒険者などとして、遺跡に潜るのであれば非常に役立つが、街中でその眼を使っているのは手に負えない厄介ごとに出くわす可能性がある。それとその眼を役立てて生活していこうとするなら、しっかりとした後ろ盾を得ておかないと、情報の漏洩に繋がりかねないという理由だけで平民のあなたは殺されるかもしれない。出来ればその眼の情報はあまり漏らさない方が良い。
そう、自らの姉的存在に警告された。
だからこそジエットは眼帯をして、決して幻術を見破ろうとはしてこなかった。それが今、最も重要な時に見破ってしまうとは──
(──糞、糞、糞、糞!)
罵声を幾度となく飛ばす。だが、そんなことをしていても事態は良くはならない。必要なのはたった一つ。ここからどのように逃げるかだ。グルグルと思考は回転するばかりだ。
「え? ねぇ、どうしたの? 顔色が凄く悪くなったよ!」
慌てふためく声にジエットは我に返る。それでも何をどのように逃げたら安全なのかが纏まらない。
声が聞こえたわけではないのだろうが、ランゴバルトとリッチの二人組がジエットたちの方に向き直ると連れだって歩き始める。
(来るな! 来るな! 来るな!)
心の中で繰り返し願う。しかし願いは叶わない。二人はジエットの前で立ち止まる。
目の前にアンデッドの顔を背けたくもなる顔があった。
口から上げてしまいそうになる悲鳴を必死に押し殺す。リッチが発動している幻術を見破ったと読み取られてはいけない。
「これはこれは……というかなんで君までいるんだね? というかどうやって入ってきたんだ? 招待状が無い者を入れたりはしないだろうが……」
ランゴバルトの厭味ったらしい口調がまるで天上の音楽のように聞こえる。ジエットは嫌味に耐えかねたような顔を見せた。怒ることで無理矢理ここから逃げる計画だ。しかし、それよりも早くリッチが口を開く。
「ランゴバルト、そんな口調で言うのは止めたまえ。彼に失礼だと思うんだが?」
普段であれば好意を抱くような発言だが、言う相手によっては非常に不快なものにもなる。
(畜生! ランゴバルトを窘めるとは……逃がさない気か?! そんなに慎重に行動するなよ!)
「これは失礼しました」
ランゴバルトがリッチに頭を軽く下げる。その態度はまるで従者のようであり、はっきりとした上下関係を匂わせていた。ジエットは目を白黒させる。この二人の関係を考えてだ。リッチであるという正体を知っての行動か、知らないでの行動かによって大きく分かれる。
前者であればここは獅子の顎。全てに注意を払わなくてはならない。後者であればもしかすると彼を味方に引き込めるかもしれない。
「いや、いや、そんなに遜らなくても良いんだ。私たちはチームなんだからな。それで聞かせてくれないだろうか。そちらのお二人は一体どちら様なのかな? 見慣れた制服を着ているようだが? あ、いや、こちらの少女の名前は知っているな。ネメルさんだったな?」
目をぱちくりとさせてから、ネメルがスカートの裾を持ち上げる、舞踏会時の挨拶を見せる。
「あ、はい。そうです。初めまして」
「よろしく。非常に似合っているよ、そのドレス」
「あ、ありがとうございます」
軽くリッチが手を挙げて答える。まるで親しい友人に対するような演技で。
「それで聞きたかったのはこちらの少年なんだが……」
「……ジエット・テスタニアという単なる平民です」
「ふーん? ジエット? 何処かで……ふむ……。ところで顔色が悪いがどうかしたのかね? 調子でも悪いのかね? 熱に充てられたとか? 涼しい風にでも当たったらどうだい? そうだな。ランゴバルト、手を貸してくれ、同じ学院の生徒だ」
「いや! 結構──です」
触られまいとジエットは飛びのく。
「どうしたんだい? ……ネメルさんの連れだろ? 彼女も心配しているようだよ?」
「ネメルには手は出させない!」
ジエットはネメルを自分の後ろに隠すように動く。相手はリッチ、ジエットを容易く殺せる相手。だからと言ってネメルを危険の前に晒すことができるはずがない。
「……何をしているんだ、お前」
ランゴバルトが冷たく言い放つ。押し殺した声は彼の内心の不快感を表している。舞踏会を開いている家の者として、平民であり、かつ変な態度を取る相手が眼前に現れたとしたら当たり前の態度であろう。
自分が愚かな行動を取っているのは十分承知している。だが、ジエットからすれば必要な行動でもあった。
周囲の視線が自分たちに集まり出す。それは彼らの動きを止める行為に繋がるはずだ。というのも幻術を使って、自分の正体を隠している以上、絶対に人目に付くような行動は取らない──と信じたかった。
「……そう毛嫌いすることもないだ……ん? ジエット? ……それに先ほど感覚……ああ! そうか、そういうことか。なるほど……目か」
心臓が跳ねた。
リッチのおぞましい瞳には理解の色がある。ジエットの能力を一瞬で看破したのだろう。
リッチはアンデッドの魔法使い。知性が高いとは聞くが、たったあれだけの情報から見抜いたとしたなら半端じゃない知力を保持していると思うべきだろう。
「なるほどなるほど。ならば君と二人で話したいのだが構わないよな? 別に君にどうこうするつもりはない。ネメルさんにはあまり聞かせたくはないんだ」
何を聞かせたくないのか。恐怖に震えそうになる体を必死に抑え込む。
「……信じられない。おま──あなたの言っていることは何一つ信用できない」
「困ったな」
リッチはおどけるように肩を竦める。その際にジエットはリッチがネメルを眺めたのを認識した。
脅しだ。
この場で従わなければ彼女がどうなるかは理解できるよな。そうリッチが問いかけてきているのをジエットは直感できた。ならばもはや答えは一つしかない。
「……分かりました。……ネメル、少し待っていてくれるか?」
何か聞きたそうにしているネメルとランゴバルトを残し、ジエットはリッチに案内されるようにテラスに出る。会場で流れる音楽も流石にここまで届かず、開放されるような静寂がある。さわやかな空気が火照った体を覚ましてくれるのだろう──普段であれば。
ただ、ジエットにとっては呑み込むような虚無の闇と、禍々しい瘴気を放つ空気が漂っているような気分にしかなれなかった。もちろん、その理由は自らの前に立つ、死の気配を放つリッチだ。
「さて、最初に名前を告げておくとしよう。先ほど言うのを忘れていたからしな。私の名前は……」
そこまで言いかけてリッチが口ごもる。数秒間、もしくはそれ以上の時間が経過し、ようやくその名を告げた。
「モモンだ」
覚えのない名前だった。
歴史上、幾人──いや幾体か名の知れたアンデッドがいる。“国堕とし”などが非常に有名だが、それ以外にも多くの人を殺した、廃墟都市を支配している、十三英雄と戦った、などと敵役として吟遊詩人の謳われるような強大なアンデッドたちのことだ。その中に名前がないということは、危険度が下がるということである。
しかし、安心はこれっぽちもできるはずがない。
まず、その名前が本名である保証は皆無。実際、リッチ──モモンは語る前に数秒間の沈黙を抱いた。それが偽名を考えた時間だと見做すのはごく当たり前だろう。
次に、ジエットが知る知識はあくまでも学生が教養として学んだ程度のものだ。底が浅いということである。
もしかすると、冒険者などのみが知る深い知識の中で、より危険度の高いアンデッドとしてモモンという名前がある可能性だってあり得る。アンタッチャブル的な存在として。
「それで君の名前は知っている。よく知っているよ、ジエット君」
ごくりと唾を飲み込む。ランゴバルトから聞いた、そう思いたいところだった。
(その眼に関して調べていたんだなどと言われたら凄く怖いからな)
「ここまで呼んだのは大した理由ではない。君に求めているのはたった一つ。私のことを誰にも話さないで欲しいということだ。特に君のチームにいる──者にはな」
ドクンと、一つ心臓が跳ねた。
ジエットには切り札がある。フールーダ・パラダインという名の最高の魔法使い。彼であればリッチ──モモンを屠ることも容易のはず。だからこそモモンはそれを阻止してきた。
(というかどこまで情報を入手しているんだ! ──いや、人間の世界に潜り込んだリッチなんだ、情報網を既に作り終えていると見做した方が良いのか? それともランゴバルトを経由してたまたま手に入れたというのか? さっぱり分からない! 見馴れた制服、同じ学院とか言っていたようだったが、ランゴバルトのことか?)
ジエットは必死になって頭を回転させる。
一番の安全策はここは了承しておいて、明日の朝一でフールーダにモモンの情報を流すべきだ。生者を憎むアンデッドが帝都内にいると聞けば、フールーダであれば的確な対応をしてくれるはずだ。ジエットが導き出せる答えよりも優れた回答で。
だが、だ。
問題は一つ。言葉だけでモモンは了解してくれるのだろうかという疑問。普通、信用できない相手の約束なら、保証を取るはずだ。有名なところで──
(──人質だろうな。ここまで連れてこられた時と同じように! 畜生!)
ここに来た段階でネメルの人質としての価値を教えてしまった。今さら「無意味だ」などと言ったところで信じるはずがない。既に初手でミスってしまったのだ。
頷くしかほかはない。
ジエットにあるのはたった一つの答えだけ。しかしながら収まりがつかない。負けたのは理解しているが、負けっぱなしというのは癪に障る。
ジエットは少年らしい反抗心の赴くまま「嫌だと言ったら」と問いかけようとし──
「ここは静かだし、涼しいな。会場は少し空気が悪い気がする。空気を入れ替えするために、ここへの入り口を開け放っても良いと思うんだが……そうなるとここが騒がしくなって憩いの場にはならないか。君はどう思う?」
モモンの言葉にジエットは額を脂汗でびっしょりと濡らす。
そう、この場所は静かだ。人の気配は無く、つまりは目撃者は誰もいないということ。そんなごく当たり前のことを口にしたのは、ジエットの発言次第で物理的手段で口を塞いでやろうという脅しに他ならない。
忘れてはいけない。ジエットの命。そしてネメルの命。全てをモモンが握っており、ジエットにあるのは生の道と、皆を巻き添えにする死の道の選択権しかないということ。
元々、この場所に何の疑いもなく連れてこられた段階で、もしかするとモモンというリッチを目撃してしまった段階で、勝敗は確定してしまっているのだ。
それらを理解してしまった──心折れかかったジエットにはモモンの望む答えを返す以外の力を持たなかった。
「わ、分かりました。話したりはしません」
「質問に答えてないが……まぁいいか。流石はジエット君……ジエット君と呼んでも良いかね?」
「も、もちろんです。そう呼んでください」
アンデッドに馴れ馴れしく呼ばれるなど気持ちが悪い。しかし、そんなことを少しでも表に出すことの愚ぐらいジエットだって理解できる。どれだけ遜ったとしても、ここはモモンの望むままに行動すべきである。
「いや、感謝するよ。面倒にならずにすんだ。快く受け入れてくれたお礼として何か送らせてもらおう。何か欲しい物はあるかね? 金銭的に解決できるものであれば簡単で嬉しいんだが?」
飴と鞭ということか。
ジエットはモモンの恐ろしさをしみじみと感じる。恐怖だけで、力だけで己が意志を通そうとすれば何処かで破綻が生まれる。それを知るから──人間の社会を知るからこその行動だろう。
ジエットは迷う。
質問に対する答えとして正解は「受け取らない」だ。下手に受け取れば、これを脅しの材料としてより邪悪な願いをしてくるとも限らない。もしくはジエットの心が汚れ、悪に落ちるかもしれない。人は欲望に弱い。清廉潔白な英雄でも山のような金貨、東西の美姫などのよって心が汚れ、闇の落ちるという話は多く存在する。
対策としては目を瞑ること。欲望だって、知らなければ耐えられるのだから。
しかし、それを知りながらもジエットは願いを口にする。
「金銭的ではないですが、た、ただ、お願いしたいのです。内緒にする代わりに危害を加えないでほしいんです。俺とネメル、その家族に」
薄汚い願いだ。
もし多くの人の事を考えるのであれば、モモンの存在を広めるべきだ。例え、自分やネメルがどうなったとしても。しかし、見ず知らずの人間の命よりも、将来の悲劇よりも、ジエットは自分の周りの数人の命を優先する。
「……不思議なお願いだな。それとも欲がないのかな?」
「いえ、そんなことではありません。お願いします。約束して頂けませんか?」
ジエットは頭を深々と下げる。
相手の──生者を憎むアンデッドの約束など信頼できるはずがない。こんなおぞましいアンデッドとの契約を信頼できるのは愚かな者だけだ。しかし、切れそうな糸であろうと今のジエットには掴むしかないのだ。
「安心したまえ。君が何を考えているのかはわからないが、保証するとしよう。君に何もなければ、これぐらいで話は終わりにしようじゃないか」
「いえ、私には何もありません」
「そうか、では行こうじゃないか。あ、それとあの二人とは会いたくはないが、もし君一人しかいないときであれば学院で会った際に気軽に声をかけてくれたまえ」
「……学院?」
前後を考えると理解できない発言だが、聞き違えているのだろう。ジエットはそう判断する。というよりもそれ以外に考え付かない。
「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」
返事を聞き、リッチが邪悪に笑う。弱者を甚振る強者の笑みを。
「それとそろそろ試験だろ? 何か協力してほしいことがあったら言ってくれても構わないぞ?」
「いえ、それには及びません。大丈夫ですので。ご心配ありがとうございます」
「そうか? ……そうか、まぁ、そうだろうな。うむ、あの二人もいるしな」
軽い笑い声をモモンが上げる。ジエットは追従の微笑みを浮かべたまま、握りしめた拳は必死に隠す。
痛烈な皮肉だった。
モモンを倒せる人物たちがチームにいるにも関わらず、話すことの出来ないジエットを嘲笑っている。
誰か、このリッチを屠れる存在はいないだろうか。
そこまで考えたジエットは一人の人物の名前を思い出す。
辺境侯──
切れるカードとしては最強最高。しかし、それは正しい行為なのだろうか。チップの代わりに支払うのは自分の命だけではなくネメルの命も、だ。そんな危険な賭けをしても良いのだろうか。
ジエットは下唇を噛みしめる。血が出るほど強く。
◇◆◇
調子が悪くなったらしいジエットを連れた男が返ってくるのを目ざとく発見した少女は、今まで行っていた盗み聞きを止めて、そちらに注意を向ける。
「まだ調子が悪いみたいね。……帰っちゃうのかしら?」
ジエットの青白い顔はこれ以上ここにいたら不味い、と素人目でも分かるような顔色だ。
情報を集めるのは、湖に魚がいるかを確認するようなものだ。静かな湖面を上から眺めるよりは、石でも投げこんでみた方が反応が分かるというもの。
ジエットという少年はその石の予定だった。
この場に連れてくることで、魚が動くことを期待しての行動だった。
(ということになってるんだけどな)
上司にはそう提案して招待状を用意してもらったのだ。
では実際にそんな状況下になった場合、オーネスティという名前を名乗っている少女は黙認することができたのだろうか。ちゃんとした招待状を使って入った以上、ジエットは庇護下にある。そのために無礼を働いたからといって「平民が!」などと簡単に殺されることはない筈だった。しかし、絶対ということはあり得ない。
「もう少し、何か決定的な情報が得られるまで頑張ってほしかったけど、あれじゃ無理か。……招待状を準備してもらった以上、なんの結果も出さないと不味いんだけどな。どうするかなぁ」
今回のこのパーティーに潜り込んでいる彼女の仲間は一人ぐらいだろう。
普段であればこういった大貴族のパーティーに潜入する者の数からするとあまりにも少なすぎる。これは現在、多くの者が別件に回されているためだ。
彼女クラスの者では詳しいことは知らないが、数日前、非常に重要な会合がどこかで行われるはずだった。それに対して辺境侯が先手を打って脅しをかけてきたらしい。そのために何処かで情報が洩れてないかを全面的に見直すということだ。
「裏切り者か……」
見直すなどという話だが、その裏にあるのは──そして警戒しているのは裏切りだ。相手は魔法において並ぶものがないと言われる存在であり、帝国は最大の魔法使いを失っている。そのために上層部はかなり混乱しつつも、難行に挑んでいるらしい。
安全な場所で眺めている身としては困ったものだと気楽に言えるが、その結果として任務に余波が生じているのだから──
「──困ったものだわ」
ざっくざっくと話を進めていこう! そうしよう! もう枝葉末節はカットだ!