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学院-5

 ランゴバルトはモモンの後ろを従うように奴隷市場を歩く。

 男や女たちが自分のプロフィールを書いた羊皮紙を広げていたり、筋骨逞しい男であれば力瘤などを作るといったアピールをしている。


「思ったよりも綺麗だな」


 ぽつりとモモンが言葉を零すのが、ランゴバルトに聞こえた。

 ランゴバルトは周囲を見渡す。モモンの言った内容を理解しようとしての行為だ。

 奴隷市場に来た経験はさほどないが、ごくごく当たり前の市場の様子だ。奴隷商人たちは多少見栄えの良い服を着ているが、それはあくまでも商人としてのものであり、華美なところはない。奴隷たちは当然平民の服を着ており、綺麗という言葉には程遠かった。


「えっと何が綺麗なんでしょうか?」


 ランゴバルトはモモンに問いかける。

 本来であれば、これは良い行為とは言えない。相手の考えを見抜くというのも貴族にとっては必要なスキルだ。言葉は悪いが相手におべっかを使うとき、反応を鋭く見抜けなければ逆に不快に思われる。そのため、こういった相手の真意を窺うような問いかけは、よろしいものではないのだ。

 勿論、これはおべっかを使うことが前提の考えであり、そうでないのであれば不要な行いだ。

 つまりはランゴバルトは先をぶらぶらと歩くモモンという人物に、おべっかを使いたいと思っているための不出来な行為ということだ。


 自らの父親に敬意を示されるモモン。彼を不快に思わせればどういったことになるか不明な以上、対等な態度など取れるはずがない。


「いや、奴隷たちが綺麗だと思ってな」

「綺麗ですか? 普通の恰好だと思うんですけど……平民が普段から着る服ですし、汚れは当然無いようですが……」

「あー、まぁそうだな。奴隷というぐらいなんだから麻の貫頭衣を着ているぐらいで、糞尿に塗れて……とか考えていたんだが……」


 ランゴバルトは苦心して内心の感情を面には出さない。

 モモンの考えはあまりにも的外れであり、素っ頓狂すぎた。


 どの世界に薄汚れた商品を買いたいと思うものがいるのだろうか。

 食材で考えれば分かるだろう。

 泥付き大根などの例外はあるが、店頭に並べられる商品はどれも綺麗にされている。もし仮に、牛の糞に汚れている食材などがあったら、それを欲しいと思うものが出てくるだろうか?

 自らの商品を綺麗にするのはごくごく当たり前の知識だ。


 つまりモモンという人物は自分で市場などに出向いて、商品を買ったりしないような、そんな人物だということなのだろうか?


「汚い奴隷はやはり評判が悪いものですから」


 苦心してランゴバルトは当たり障りがないように口にする。


「まぁ、それはそうだな……。しかし……若い男がいないな」

「たまたまでしょう。若い男もいないわけではないですから。それでどこの奴隷商人に会いに来たんですか?」


 モモンがランゴバルトを不思議そうに眺める。


「……奴隷商人に会いに来たんですよね? 普段からお世話になっている商人がいるのではないんですか?」


 モモンからの返事はない。


 おいおいおい。

 ランゴバルトは表情は動かさずに内心で眉を顰める。


「いないで来たんですか?」


 ある程度の人数を抱え込む貴族であれば、御用商人などがいるのが普通だ。こういった者が賄い方も任されていたりする場合があるというと疑問に覚えるかもしれない。何故、メイドなどに買い出しに行かせないのかと。しかし、冷静になって考えれば分かるはずだ。

 大貴族のような大きな家にもなれば、食料もかなりの量になる。その購入に人を割くよりは、安く良いものを大量に買い込んでくる商人を抱え込んだ方が、購入金額という意味でも、人件費という意味でも安く上がる。

 そのため、貴族は何かを買いに行く場合は御用商人の口利きや案内を頼むものだ。


(貴族じゃないのか? ……いや、御用商人に知られると不味い? 家に情報が流れるのが不味いのか?)


 ランゴバルトは黙々と歩くモモンの背中を眺める。


(握手したときの感じも変だった。まるで固い鉄を触ったような……)


 護身用のマジックアイテムの可能性があるためにそれを口にはしなかったが、考えれば考えるほど胡散臭い男だ。

 ランゴバルトが真剣に正体について悩んでいると、モモンの足が止まる。


「ここの店が大きそうだな。入ってみるか」





 普通であれば一見様の飛び入りの客に、店の主人が自ら接客することはないだろう。しかし、二人の着ている服が何かを知っており、ランゴバルトの指輪を目にした使用人がすぐに呼び出してくれた。

 そして今、ランゴバルトの前ではモモンが奴隷商人からたんたんと説明を受けていた

 モモンが欲した奴隷は生きるも死ぬも主人の意思次第で、どんな命令も従う存在だ。しかし奴隷商人は残念ですがという断りを入れてから、現在の帝国での奴隷制度に関する説明を始めたのだ。


「お客さんの望んだ奴隷って三十年ぐらい前ならいましたよ。戦奴とかの類ですよね? だけど今の奴隷はちょっと違うんです」


 現在の帝国でどんな人物が奴隷になるかというと急に大金を必要となった者などだ。ようは自分の人生を売り払うことで、対価を前払いしてもらうのだ。

 身売りではあるが、期間などは帝国法に従った契約で決められている。確かにどんな命令も強制できるが、大怪我をしたり死亡した場合は奴隷の家族に金銭を支払う契約となっている。更には奴隷が大怪我などした場合は、関係所に届け出を出したり、負傷理由によっては罰則さえ存在する。

 しっかりとした契約に縛られた制度。それが帝国での奴隷制だ。

 これは奴隷と言えども元々は帝国の臣民なのだから当たり前だろう。逆に自国の民が奴隷として酷使される状況を許す方が絶対王政下では可笑しい。


 奴隷売買が下火になっている理由もそれらがちゃんと制度したということも理由の一つだ。特に現皇帝の御代になり、奴隷を乱暴に扱った貴族家を幾つも理由を付けて取り潰した状況であれば。


 モモンが「なるほど」と頷いていると、ごく一部の例外について商人が説明を始めた。


「ただし他の国から流れてきた人間は別ですね。特に法国から流れてくるエルフや捕えられてくる亜人種はいい例です」


 彼らは帝国の法によって守られていないのだから当たり前だということだ。ただしドワーフは帝国の法で守られているし、隣国である王国の民は刺激しないという意味もあってよほどしっかりとした文面などが出来ていない限り商品にはなりえない。


「ならそのエルフ──」

「エルフは非常に高額な商品ですので、残念ながらここまでは流れてはこないんです」

「ここは奴隷市場だろ?」

「はい。ただ、やはり高額な商品というのは長い付き合いのある方などのところに優先的に話が回りますので」


 高額商品を手元に置いておくよりは、できればすぐに売ってしまいたい。在庫として持っておくのは損失でもあるのは、経営的な考えれば正論だ。だからすぐに買ってくれる人に話が回るし、逆に予約が入らなければ手に入れようともしない。


「ならエルフを手に入れようとするなら、どれぐらい時間はかかるんだ?」

「そうですね」


 商人がモモンをじっと眺める。金銭や信用。そういったものを値踏みしているのだろう。チラリとランゴバルトへも値踏みの視線が動き、指にしている家紋付きの指輪を眺めた。そしてにこりと顔を崩した。


「1カ月もあれば」

「それでは長すぎる」

「と、申し上げられましても」


 商人が困ったなという顔をしたが、本気で困っているわけではないだろう。モモンやランゴバルトは彼からすればあくまでも客になるかもしれない程度の相手だ。これが最優先に重要視すべき取引相手なら即座に本気で動きだすだろうから。


「どうにか手に入れられないか?」


 モモンの相談を受け、商人がうーんと考え始める。


「難しいと思われますね。時間はどれほど?」

「明日」

「それは無理です」


 モモンの即答に、苦笑した商人もまた即座に答える。


「そうか……それは残念だ。では別の話をしても良いか?」

「どうぞ、どうぞ」

「ならば売ってくれるような奴隷を紹介してほしいんだが」

「畏まりました。ではその前にどういった人物を望まれているか教えていただけますか?」

「魔法使いはいるか?」


 一瞬、商人は動きを止める。

 ランゴバルトは肩を落とす。

 常識で考えれば魔法使いなどという専門職が奴隷まで身を落とすことはめったにありえない。魔法使いならば奴隷にならずとも色々な手がある。


(まぁ、奴隷という言葉が変わっただけの場合もあるけど……)


 それすらも知らないモモンの発言は無知をさらけ出し、相手にその程度と見なされただけだ。

 もちろん、ランゴバルトがいる以上、商人も下手な奴隷を押し付けようとする気はないだろうが、良い奴隷をおすすめされる可能性は低い。ならば別の商人の元に行くべきだろうか。

 ランゴバルトが考え込んでいると、モモンが振り返った。


「どうする? 別の商人のところに行ってみるか? 変なの買ってもしょうがないし」


 ランゴバルトが答えようとするよりも商人が先に口を開く。


「魔法使いを奴隷として売っている者はいないと思いますよ? 魔法使いであればもっと金銭を稼ぐ手段がありますから。特に帝国魔法省は一時金支援制度まで行っていますので」

「なるほどー」


 モモンが軽い返事をする。

 無知を恥ずかしいともしないところが、モモンが何者なのか掴ませない。


 貴族であればこんな行動は決してとらない。

 貴族にとって面子などは重要なものなのだ。そのために無知を晒すなどの下に見られるような行動は避ける。

 ただ、平民だと断言できるはずがない。今までの状況証拠がそれを物語っている。


(何者なんだ……。それとこれが無知の知というやつか? そちらの方が賢い場合もある……。まぁ、父なら下調べしてない段階で問題だと怒るだろうが)


「取り敢えずこちらを見ていただけますか?」


 商人はモモンの前に羊皮紙を数枚取り出す。


「ランゴバルト、見てくれないか?」

「構わないですが……」


 ランゴバルトはモモンの隣で羊皮紙を一緒に見る。

 身長や年齢、どんなことが出来るかが書かれている。しかし、ここに書かれていることだけで誰が良いかなど分かるはずがない。

 見ても、乗ってもいない馬を買うようなものだ。


「もしどのようなことに従事させる奴隷を探しているのかを教えていただければ、より良い人物を提案できるのですが?」

「ああ、そうだな。魔法学院に入学させるつもりなので、それに相応しい人物が良いな。年寄りは不味いかな、ランゴバルト?」

「不味いでしょうね。学院に年齢制限はないですが、あまりにも年齢が離れすぎているのは……」

「そうか……。年寄りは不味いか……」


 前で話を聞いていた商人が目を丸くする。


「いや、それは……入学は無理……」

「試験やその他の問題はどうにかする。年齢が同じぐらいな人間を頼む」


 モモンが言い切ると、商人はより目を丸くした。


「なぜ……そのようなことができ……あ、いえ! 失礼しました」


(モモンが何者だかさっぱり分からなくなっただろう? 無知な部分を見せたのも狙っている? もしかして演技?)


 ランゴバルトはモモンを横目で伺う。羊皮紙を前にしながらも見ている気配がない。まるでもっと別の何かに注意を払っているようだった。考えられるのは商人の反応だろう。

 つまりはモモンの発言は全て狙っていたものである可能性が高い。

 とすると先ほどの無知もまたワザとである可能性も高いと言えた。

 こういった部分が本当に得体が知れない。


 ランゴバルトは背筋を走る冷たい物から逃げるように、商人へと視線を動かす。そして商人の混乱が手に取る様に分かった。

 魔法学院に奴隷を入学させる。そんなこと一般人には到底不可能である。ではそんなことが出来る人物は何者なのか。絶対の権力を握る皇室に近い人物ならば可能だと考えるのはごく当たり前の思考だ。

 そう考えるとモモンの無知な部分が、反転する。


 馬鹿だから知らないのではなく、あまりも尊い人間だからこそ、当たり前のことを知らないのではないか。はたまたは全てどうにかできる力を持つからこそ、無理だと知らないのではないかと。


(現皇帝になって、血族のほとんどが処刑された。でも……生きていた、ということなのかもしれない)


 荒唐無稽だ。しかし、そう考えると色々な面で思い当たる部分がある。

 自分の父親があれほどの対応をする理由。モモンという人物が自分の権力に自信を持つ理由。


(だがそれはエル=ニクス陛下に敵対する行為に繋がらないだろうか?)


 ランゴバルトは考え、頭を振って考えを追い払う。経験の浅いランゴバルトには答えを出すことは出来ないだろうから。


「魔法学院と言いながらも別に魔法を使えない者でも問題ないんだから、まぁ、若ければどんな奴でも良い……か?」

「いや、そんなことはないですね。昇級試験の場合はある程度戦える者じゃないと」

「戦える……?」

「ええ。昇級試験などといってますが、正体は軍事演習です」


 モモンが軽く目を見開いたので、ランゴバルトは昇級試験に関して詳しく説明を行う。


 魔法学院という場所で育成した魔法使いたちが国外に流れたり、冒険者などになられたりするのは帝国にとっては非常に出費となる。帝国としては魔法使いには騎士団、もしくは魔法省などに所属してほしいのだ。特に望んでいるのは騎士団である。

 そのためにチームを作り、騎士団に協力してモンスターを狩るという昇級試験を行う。ここで職業体験をさせ、そして騎士たちからも評価させることで、絶対に手放してはいけない人物を見定めるのだ。

 だからこそチームを作れない人間は評価が低くなるのだ。軍隊にとって団体行動を行うことが出来ない者はそれだけで価値が低くなる。


 そういった側面を持つため、魔法使いがいると戦うことになるモンスターが強くなる傾向にある。そのため奴隷もある程度は自分の身を守れた方が良いだろう。勿論、騎士たちが前で盾になってくれるだろうが、絶対に守り切れるとは言い切れないのだから。実際に昇級試験では非常に稀ながらも死者が出る時がある。そういった時でも魔法使いが死んだという話はないが。


「なるほど。その辺りでお願いしても良いか? 人数は三人だな」

「畏まりました。至急相応しい人物を探したいのですが……御費用の方は?」


 皮袋がテーブルに置かれる。数多くの貴金属がぶつかり合う澄んだ音と共に、袋が重力に引かれて形を変える。


 商人は唾を呑み込みかけるのをぐっと堪えていたが、ランゴバルトには容易く見抜けた。


 客の前でそんな情けないことをするような商人は失格だ。しかし、彼の気持ちはよく分かる。

 手を伸ばし、袋の口を緩めれば、限界まで入っていたのだろう。金貨が毀れる。

 袋の中に入っているのが仮に全て金貨だとしたら、それは破格すぎる額だ。

 大貴族であれば持つかもしれないが、それは当主であり、学園に通う生徒が持つ額ではない。ならばこの目の前の青年は大貴族の当主なのだろうか。

 そう考えている頃だろう。


「調べてもよろしいですか?」

「もちろん構わない」


 数枚の金貨を手に取ると、商人は頷く。


「畏まりました。……残った金額の方はお返しします。それと性別に関してはどういたしましょうか?」


 普通の奴隷は男の方が女よりも高い。しかし、見てくれが良く、若い場合はこの金額は引っくり返るときがある。それに実際のところ、女奴隷の方が意外に簡単に手に入ったりするときがある。

 若い女で見てくれが良くても、強制的に性的なことはできない。しかし互いの同意があれば別だ。奴隷を変えるだけの金銭を持つ者の、妾を狙って、奴隷となろうとする女もいないわけではないからだ。勿論、破れかぶれ的なところがある一部の女に限られるのだが。

 それに異種族の場合も女の方が高い。

 エルフの女奴隷はかなり高額で、冒険者や大貴族のような金持ちでなければ手を出せない。これは言うまでもなく、彼女たちが帝国法で守られていないためである。


 それに対してモモンは即座に答えた。


「男で頼む。それ以外は出来れば頭が良い奴が良いな」

「女の方が良いのかと思っていました」


 ランゴバルトの軽口にモモンがやけに真剣な態度で返答する。


「知らないのか? ランゴバルト、打ち解けていないチーム内に異性がいるとそれだけでチームが崩壊する危険性だってあるんだぞ?」


 実感のこもった言葉だった。冒険者などが言いそうな言葉だ。

 冒険者はチームメイト内に異性がいることをできるだけ避ける。これはモモンが言った理由によるためだ。


「さて、話は終わったが別件で良いか? 私は……戦奴のように使い潰しても構わない奴隷を提供できると言ったらそれなりの金額で売れるか?」

「それは魅力的なご提案ですね」商人の目の奥で真剣な色が宿る。「ですが帝国の法によって──」

「問題ない。その辺りはクリアできる」

「…………その奴隷がどの程度役に立つかによって違いますが」

「戦闘能力であれば比類ないほどだろう。興味あるか?」

「もちろんです」


 商人の答えを聞いてモモンがにんまりと笑う。


「ならばあとで詳しい話を詰めよう。その前にこちらもすべきことを終わらせないといけないからな」

「なるほど……」


 じっと商人が何かを考え込みだした素振りを見せる。


 上手い。

 ランゴバルトは口には出さず、心の中で感心する。


 モモンの取った手は非常に効果的な技だ。

 ようは良い客になるかもしれないと相手に自分を売り込んだに等しい。例えて言うなら「この商品を大量に買い込みますよ。仲良くしていきましょう」と提示したに等しい。

 いま、商人はモモンがどれぐらい本気でさきほどの言葉を口にしたのか。そしてどれだけ自分はモモンに協力した方が良いかを考えているに違いない。


 もし本当に良い取引相手になるのであれば、先に恩を売っておくのは当然だ。つまりは大量に買い込む相手ならば、多少に値引きしますよと提案するのが賢い商人だ。何でもそうだが、互いが利益を取る関係こそ長く続く商売の基本だ。片方ばかりが利益を取る関係はすぐに壊れる。


 これら二つ──モモンが大金を容易く支払ったということと、良い取引相手になる可能性をみせしめたということ──によってつまらない奴隷を売られることはなくなっただろう。


「……もしよければ、明後日までお時間を頂ければより良い奴隷をお探ししますが?」


 商人の提案に、ランゴバルトは表情を動かさない。

 しかし──


(モモンの勝ちだ。完全に商人を自分の側に取り込んだ)


「ならばよろしく頼む……おっと、ランゴバルト。時間の方は問題ないかな?」

「モモンさんのお好きにされると良いと思います。明後日ぐらいであれば問題ないでしょう」


 モモンが商人に首を縦に振っているのを目にしながら、ランゴバルトは額を流れた汗を拭う。

 もしかして、全て、ここに来た時から計算ずくだったのだろうか。

 いや、そうなのだろう。

 だとしたら──


 ランゴバルトはモモンという人物の評価を一気に引き上げた。


 学園の自分の席に座るとジエットは頭を抱える。

 あれから朝まで頭を悩ませてみたものの、答えは何一つとして出なかった。


 結局は自分も招待状をもらって、そのパーティーに出るしかないだろう。

 しかし、単なる平民であるジエットには不可能だ。大貴族の舞踏会への招待状など、金銭で買える物ではない。コネと権力、つまりは手に入れるにはそれなりの貴族の力が必要となるだろう。

 この学園にも貴族の子弟がいるので、八方手を回し、手段を選ばなければどうにかできるかもしれない──が、そこに問題がある。


 貸しや借りが出来てしまうことだ。


 貸しや借りというのは強い拘束力を持つ。特に貴族社会においてはこれは非常に重要なものとなる。

 貴族社会において恩を借りておきながら返さないというのは、その程度──下等な人間とみなされる傾向にあった。貴族たちは平民にも当然これを要求する。その考えの違いが時には喜劇や悲劇を生んだり、時には感涙するような感動話が生まれるのだ。

 一人の村人が貴族にみすぼらしい雨具を貸したら、その村が飢饉で食べ物が無くなった際に、その貴族があふれるような食料を運んだ来たなどの話もあるぐらいだ。

 だからこそジエットは注意をしなくてはならない。


 まずどこに恩を借りるかだ。


 最初に頭に浮かぶのはアインズ・ウール・ゴウン辺境侯であろう。

 かの貴族であれば大貴族の舞踏会の参加状など手に入れるのは非常に容易だろう。しかし、ジエットとしては躊躇う理由があった。


 一言で言えば、かの大貴族からは恩を受けつつある現状にいるということだ。

 フールーダという伝説の魔法使いを送り込んできたのは、ジエットに対する恩を着せるため、もしくは何らかの利益を得るためだと思われるが、それほどの恩は受けていないと言うことは実はできる。

 というのもこれはジエットがお願いした結果ではないということ。

 つまりはあなたが何もしなくても私はどうにかできた、理論だ。

 これは非常に相手を不快に思わせるかもしれないが、貴族社会においては有効だと授業で聞いたことがあった。


 恩などが強く生まれるのは、要求された時だ。ようは相手が望んでいないときにやったとしても効果は薄い。恩の押し付けとみなされる可能性があるといえば分かりやすいだろう。


 だが、今度ジエットがお願いしたらはっきりとした借りを作ることになる。何が相手の狙いか不明瞭なこの時に、これ以上の恩を受けるのは得策ではない。


 では別の貴族にお願いしてはどうだろうか。

 悪くはない。しかし様々なところに借りを作るのは危険だ。


 AとB。二つの貴族に借りを作ったとして、もしこの二つの貴族が喧嘩をして両方が自分につけと言ってきた場合、どうすればよいのか。

 どちらについたとしても、もう片側から恩を受けておきながら裏切った者だとみなされるだろう。そうして生まれる恨みは、恩を受けていないときよりも強くなる。

 だからこそ人は派閥に所属する面を持つ。

 はっきりと自分の陣営が分かれば、色々な面で分かりやすいからだ。

 こういった奇々怪々な貴族社会を上手く泳げるからこそ、貴族なのだ。


 ジエットは頭を悩ませる。


 平民のジエットには貴族社会の生き方は出来ず、最適解を出すことができない。

 そうやって頭を掻き毟っていると、隣に座る生徒の話が耳に入る。


「そういえば家族でこの前闘技場に見に行ってきたんだよ」

「おお、すごいな! この時期だとトーナメントとかやっているだろ? 一人でもそこそこの値段なんだ、家族じゃかなり高いだろう!」


 闘技場の入場料はそこそこの値段がする。とはいっても市民の不満などを解消するという意図もあるため、絶対に手が出せない金額ではない。だが、そういった娯楽に金を出せない人間というのは少なからずいる。

 父親のいないジエットは金を出せない組に入っていた。


「いや、親の金だから金額までは知らないけど、やっぱトーナメントは燃えるな。カッコいい戦いばっかりったし、ゴブリン数十匹以上と冒険者一チームとの戦闘とかカッコよかったね」

「ふーん。それが一番印象に残った戦いか?」

「いや……実は……奴隷商人が奴隷を連れて出てきたんだよ」

「……戦闘奴隷系? それともよくある亜人奴隷と魔獣とかの虐殺もの? 後者なら聞きたくないなぁ。不公平な戦いは好きじゃない」

「お前って結構、公平を重んじるタイプだよなぁ。まぁ、安心してくれ前者のパターンだ」

「ほう。それでそれで?」

「あ、うん……。なんか自分の奴隷をアピールする狙いだったみたいでさ。その奴隷が武王を相手に戦ったんだよ」

「はぁ! あの武王か? そりゃ一瞬で勝負付いただろ?」

「いや、それが違うんだ……結果は引き分け」

「うぞ! 武王と引き分け? どんな奴隷よ? もとS級冒険者とか?」

「それは分からないけど、顔の一切見えない黒い全身鎧を着て、波打つような剣と巨大な盾を持った巨大な戦士。武王よりは小さかったけど、身長2メートルはあるな」

「波打つような剣? なんだろうな? フランベルジェか?」

「さぁ?」

「……しかし武王と引き分けなら、すごいアピールになっただろうな」

「間違いないさ。まぁ、その奴隷商人はすぐに入ってきた『ロイアル・アース・ガード』たちに……連行されたみたいにも見えたけど……囲まれて出ていったな」

「なんで近衛が? ということは皇帝陛下がご覧になってたのか」

「そうみたい。始まる前に貴賓席がざわついていたのも陛下がいらっしゃっていたからかもしれない。神殿旗が立っていたから高位司祭が来てるのかなとは思っていたんだけど……」

「なるほどなぁ。つまりは皇帝陛下が来る日を狙った奴隷商人をアプローチってことか。……それだけ凄い奴隷なんだ、十分な魅力があるだろうし……買い取って騎士に配属ってのもありえるのか」

「その可能性はあるな。近衛に囲まれて出ていくとき、商人は超ほっとした顔をしていたぜ」

「ほっとした顔?」

「多分、武王と良い勝負ができるかわからなかったんだろ? その奴隷商人、最初は緊張のためか震えていたんだぜ。遠くからだってわかったぐらいに大きく」

「分かるなぁ。ばくち半分もあったんだろうな。……でも勝ち組だな。一人でも非常に高額な値がつくだろうし……。あとはその商人が奴隷を手に入れるのに、どれだけ金を払ったのかっていうところか……」

「……実はその戦士以外にもあと二人まるで同じ格好をしていた奴が並んでいたんだよ」

「マジで?! 流石にその他の二人も同じだけの力を持っているとは思えないけど……すごいな」


 世の中というのは不公平だ。そういった凄い力を持つ者がいる一方で、ジエットのように大した力を持たない者がいる。

 もし自分がそんなに凄い力を持っていたら、どんな事に使うのか。

 とりあえず今のような悩みからはきっと解放されるだろう。もちろん、力持つ者には力持つ者特有の悩みがあるだろうことはジエットだって分かる。しかし、力持たない者よりはより悩みも少ないのではないだろうか。

 ジエットがぐったりと机に頭をつけていると、がらりと扉が開く音と共に、一斉に生徒たちが立ち上がる音がする。誰が入室したのかを悟り、ジエットも慌てて立ち上がる。


「おはようございます!」

「おはよう」

「おはようございます」


 先に返事をしたのがフールーダ。そして続いたのはナーベだ。

 フールーダは前より一目置かれているが、ナーベもまた一目置かれていた。

 ナーベという偽名っぽい名前を名乗る女性はフールーダともある程度普通に話しているということと、第三位階魔法まで使いこなせるという自己申告のため、恐らくは一流の冒険者、もしくはワーカーなのではないかという噂が立っていた。


 フールーダと近い人物のために、誰も真偽を問うことはできない。しかし第三位階は才能を持った人間がようやく到達できる領域の魔法であり、凡人では決して到達不可能な世界だ。それをあの若さで使えるということがその噂に信憑性を持たせていた。


 そんな二人が自分の班にいる。

 そんなことに──そしてその二人の後ろに見え隠れするアインズ・ウール・ゴウン辺境侯の存在に胃をキリキリと痛めながら、ジエットは目線が交差した二人に頭を下げる。


 ──この力ある二人も、悩みなどは持っているのだろうか?


 ジエットはぼんやりとそんなことを考えた。



 ◇◆◇



 授業が全て終われば、次は試験に向けてのミーティングとなる。流石にあと十日も切ってしまうと、装備品や運搬する道具などのことで相談する必要があった。

 確かに騎士が数名ついてはくれ、色々と手を貸してはくれるが、試験のメインとなるは自分たちだ。

 最低限度の準備や運搬は自分たちで行った方がより良い成績がつけられると聞く。準備にかかった費用などは学園に請求できる──この購入金額なども成績の一環となるらしい──が、買うところまで自分たちでするのだ。

 御用商人に任せてしまえば問題は解決する貴族たちはこの辺が有利なので少しばかり羨ましいが、基本はみんなで揃って買い出しに行く。


 ただし、だ。


 全員が同じ立場ならともかくとして、ジエットの班にはフールーダのような殿上人がいるのだ。

 同じように荷物を買ってきて、同じように荷物を運んでください、などと言えるはずがない。もし仮にフールーダにも同じように荷物を持たせると言ったら、多くの学生がジエットを狂った人間を見る目を向けてくるのは確実だろう。

 ならば、フールーダの分の荷物はどうするのか。そして──立ち位置をどこに置いたら良いか不明な──ナーベの分はどうするのか。

 そういったところまで二人の顔色を窺いながら、しっかりと決める必要があった。

 しかし、今日は他の三人──ネメル、ナーベ、フールーダが都合が悪いため、ジエットは二人きりとなっていた。

 タイミング的には良いとも言えた。

 ジエットはその辺りの相談をすべく、この部屋にいるチームメイトに顔を向けた。


(こいつもよく分からないんだよなぁ)


 ジエットの視線の先にいるのは、あの時苛められていた少女で、今は自分のチームメイトであるオーネスティ・エイゼルだ。

 彼女は持った本に目をおとして、じっと読みふけっている。

 窓から入る日差しを横顔に浴び、陰影が作られたその顔立ちは、普段よりも魅力的なものがあった。悪く言えば男を誘う蠱惑的な物さえあるような気がする。


(バカか、俺は)


 どうも彼女を見ていると、時折変なことを考えてしまう。なんというか男の獣欲に支配されやすい、容易に自分の物にできそうな雰囲気を放っているような気がするのだ。


(だから……あんな男たちに色々とやられていたんだろうな)


 色々がどこまでのことなのかを聞けるほど、ジエットは頭がおかしくはないので、そのあたりは謎であるが。


 ジエットが疑問を抱く、よく分からないというのは彼女が時折放つ、淫にして陰の雰囲気ではなく、彼女の背後にあるかもしれない情報だ。


 オーネスティはジエットと同学年の学生で、魔法系ではなく、建築系の学生だ。

 苛められていた件もあって軽く話は聞いているし、友人付き合いで得られる程度の情報は入手している。それらから分析すれば怪しいところは一切なく、不審な点も見受けられない。

 しかし、彼女以外のところから疑問があった。

 フールーダという存在がいる以上、苛めていた貴族たちからのちょっかいがないのは理解できる。しかし、それにしてもあまりにもなさ過ぎた。まるでジエットとオーネスティを会わせるのが目的だったように。

 そう。何もなさすぎるのが逆に得体が知れないのだ。

 そこまで考えてジエットは顔を振った。


(何を考えているんだか)


 あまりにも被害妄想が激しすぎる。なんというか無理矢理にでも貴族の陰謀と結び付けようとしている自分を嘲笑う。


(これも全部、辺境侯の所為だ)


 この頃、悪いことが起こると内心ではかの大貴族の所為にしているが、半分ぐらいは本当に辺境侯の所為だろう。

 ジエットははぁ、と息を吐き出す。


「これで6回目」


 本に目を落としていたオーネスティが口を開く。


「何が?」


 何がなど聞かなくても、オーネスティの言いたいことは理解できた。しかし、あまり触れてほしくないという思いからの問いかけだったのだが、オーネスティには通じなかったようだ。


「ため息、です」

「そう」


 連れなくジエットは答える。これで話が終わればいいな、などと思いながらオーネスティの様子を窺うが、本に再び目をおとす気配はなかった。


「どうしたんですか?」


 言っても仕方がないことだろう。この問題は自分でどうにかするべきなのだから。それにオーネスティは平民だ。厄介ごとを聞かされるだけであって、どうしようもない話なのだから。

 拒絶の空気を感じ取ったのか、先手を打って彼女が口を開く。


「仲間ですから」


 その言葉を言われると困る。これで言わなかったらまるで信頼していないようではないか。

 ジエットは若干迷いながら、自分が頭を悩ませている問題をオーネスティに聞かせた。




 黙ったまま話を聞いていたオーネスティが頭を傾げる。


「ジエットさんは……貴族さんなんですか?」

「いや、違うさ。だからこそ困っている──」

「──そのジエットさんの幼馴染さんってジエットさんが頑張って守らなくちゃいけないんですか?」

「え?」


 口調は何も変わってないし、表情だっていつも通りのものだ。しかし何かが違う予感を覚えた。


「それに……貴族であればより上の貴族に見初められて子をなすのが幸せって言われているんですよ? ジエットさんは幼馴染さんの輝かしい未来を閉ざそうとしているのかもしせんよ?」

「かもしれない」


 それはジエットも思うところだ。ネメルの幸せを邪魔しているかもしれないと。

 だが、迷ったのは数秒。すぐにジエットは顔を横に振る。


「あいつはそれを望んでいない」

「……あなたの勝手な思い込みでは?」


 少し声が重いものとなった。苛められていた少女とは思えない、剣呑な気配が宿っている。

 同じ女性として何か感じるところがあったのだろうか。


「……俺はあいつを見てきた。だからこそ自信を持って言える。あいつは決してそれを望んでいない。だから流される前に手を差し出してやる」

「……ジエットさんは彼女さんが好きなんですか? それならあなたの行動の理由もよく分かります。そうなんですか?」


 なんでこんなに拘るのだろうという疑問はあったが、オーネスティの瞳に宿った真剣な光りに、ジエットは真面目に答える。


「分からないんだよ……どうなんだろう? 妹を心配する兄の……長く隣にいたからこそ、家族としての愛情かもしれない」

「……男として愛する女に対する感情かもしれない?」


 わざと言わなかった言葉を口にされ、ジエットは苦笑いを浮かべた。まさにその通りだ。自分でも彼女に対する感情を上手く表現できる気がしなかった。


「……馬鹿ですね……」


 オーネスティが瞼を閉ざし、再び開けた時にはそこにいるのは苛められていた一人の少女だった。


「もしかすると……どうにかできるかもしれません。私の知り合いの人がある大貴族家に仕えていますので、そこ方のつてを頼ればどうにかなると思います」

「そこまでして──」

「──気にしないでください。私をこの班に入れてくださった恩を返さないと、と前から思っていたんです。その恩を返すだけですから」



 ◇◆◇



 去っていくジエットを見送り、誰もいないことを確認してからオーネスティは顔を歪める。


「ガキの糞みたいな思いか。くせぇな。童貞に良くありがちな自分がどうにかしてやる願望かよ」


 普段の自分に戻り、低い声で吐き捨てる。

 どろどろと汚れきった水の中で泳ぐオーネスティにとって、ジエットの態度は侮蔑の対象でしかなかった。ああいった精神年齢が幼すぎる相手は不快でしかない。

 ならばなぜ、自分は招待状を手に入れる約束をしたのか。



 ──もし自分にあんな男がいたら、今のような──



 オーネスティはぼりぼりと乱暴なしぐさで頭を掻く。今、浮かんだ思いを追い出すように。


「ちっ。とっとと上に願い出ないとな」


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