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学院-4

 ランゴバルト・エック・ワライア・ロベルバドは家に帰る。

 家は貴族の邸宅に相応しく立派なものだ。

 モモンが隣で「へー」などと感嘆の声を上げながら周囲を見渡す姿は、余りにも恥ずかしい。運が良いことに使用人がたまたまその場におらず、目にしたのは自分だけということに安堵する。

 普段なら強く窘めただろうが、今日に限っては言う気が起こらなかった。自分がリーダーとして支配していると思った班員たちから反逆され、追い出された身としてショックを受けていたからというのが一つ。

 もう一つは、唯一のメンバーである彼の機嫌をあまり損ねたくないという打算的な部分だ。

 ランゴバルトはモモンを窺う。

 間の抜けた賢くなさそうな顔立ちの人物だ。


(彼は一体、何者なんだ?)


 思い出すのは庭園での出会いのシーンだ。

 初めて会った人物であるために、ランゴバルトは自らの名を名乗った。初対面の人物と名を交わす。ごく当たり前の姿勢に思われるかもしれないが、貴族社会であればもっと別の意味も多々含んでくる。

 たとえば、相手と自分の家の関係、力や派閥などを判断するという意味がある。そこから互いの立ち位置を決めるための、丁々発止が始まるのだ。どちらが上かというのを明確にするのは貴族社会であれば非常に重要なこと。いや、一般社会でも同じことだろう。船頭多くて船山昇るということわざがある様に、集まりの中でリーダーを決めるのは必要なのだ。

 ランゴバルトがモモンに名を聞かせたのも、そういう理由あってのことだ。


 しかしその結果はあまりにも理解不能な事態だった。


 モモンは最初はぴんと来てなかったようだが、突然、何かを思い出したように幾度も頷いていた。ランゴバルトはどちらが上からを認識したためのものかと思ったのだが、どうやらそれは違ったらしかった。

 なんというか突如、打ち解けたような態度──悪く言えば馴れ馴れしい態度に変わったのだ。


 突然、そんな態度を取られればランゴバルトも不機嫌になっただろう。しかし、彼もその態度をひとまずは受け入れるしかない理由があった。

 まずモモンが馴れ馴れしくなったという理由を考察すれば、想像される答えの一つはランゴバルトよりも上位者であるからだろう。

 ただ、その場合、問題になるのはモモンの返答だ。


(……一体何者なんだ?)


 ランゴバルトは心中で同じ疑問を繰り返す。それから再びモモンの平凡な顔を眺めた。貴族のようなある種、品のある顔立ちとは違う。平民にありそうな顔だ。ただ、どことなく単なる平民ではないような気がした。

 特に異国、南方の血が混じっている感じがある。


(モモンか……)


 自分が名乗ったにも関わらず、モモンという名前しか名乗っていない。

 貴族は四つからなる名前を持つ。平民でも二つだ。では一つしか名の無い者はいったい何者なのか。それは身分不肖な人間や、己の家名を捨てた人間など後ろ暗いところがあるものだ。

 よくいるのは冒険者だ。彼らの場合は、かっこよいからという理由で名乗ったりする場合もあるが。

 ではこの眼の前の人物はなんなのだろうか。

 冒険者という線もないわけではない。しかし、そうだとしたら理由が分からない。学院に入り、そしてあんな場所にいた理由が。


 家に得体の知れないチームメイトを連れてきたのは、彼が父親に会いたいと言い出したからだ。

 いつもの彼であればすべなく断っただろう。

 しかし、今の自分の置かれている状況では強く出ることは出来ない。それにもしモモンが本当に自分よりも上位者であった場合、すげなく断るのは不味い立場に追い込まれる。

 だからこそ父が忙しかったり、いなかったら勘弁してもらうという条件を付けて連れてきたのだ。


 ランゴバルトがモモンという得体の知れない人物に関して考えていると、かつりと足音が響き、年の召した品の良い男が顔を見せた。

 髪も品よく生えた髭も白いものが多く混じっている男だ。その横にはランゴバルトと顔立ちが似た若者──ただし年上の──が付き添っている。


「帰ってきたのか」

「はい、帰りました、父上。兄上」


 二人に頭を下げると、白髪の混じった男──父親はそうか、と答えると、すぐに興味が無くなったように目を動かす。

 隣の兄は尊大そうに頷いて答えた。


「そちらの学生は」

「はっ。私の学友です」


 ランゴバルトの返答は簡素であり簡潔なものだ。互いに肉親の愛情というものがほとんど感じられないと、第三者が見れば判断するやり取りだ。実際、親子というよりは上司と部下という感じである。

 これは彼があくまでも三男であるという理由によるものだ。

 貴族社会における子供というのは家を存続させるための道具とみなされる面がある。次男、三男などは嫡男に何かがあった場合の代用品的な意味合いすらあるのだ。だから順当に成長した嫡男さえいれば、三男などは邪魔ですらある。

 複数人の子供がいたとして、その子供たちに家の財を分ければ、分散することによって家の力が削がれることになるだろう。子供が多くいると、家が割れる場合だってあるのだ。勿論、養子に出すなど血の繋がりを有効に活用できる場合などの例外はあるが。

 それでも彼の場合は普通の貴族家とは違って、ある一定の立場を得るにまで至っていた。


 それはランゴバルトが魔法の力を有し、ある程度は高いレベルで使用できるためだ。

 つまりは魔法使いとして大成できるのであれば、それは家をより強くするための有益な道具として使える。ならば何も追い出すように扱うのではなく、より高く売れる先を探しておくべきだろうという商人たちが行いそうな判断によるものだ。

 だからこそランゴバルトは学院でも、それ以外でも自分の家の権力を行使できた。


「もう少し選べなかったのか?」


 一瞬言われたことが理解できなかったが、ランゴバルトは即座に納得する。先ほどまでのモモンの顔を思い出せば、父親の言葉にも合点がいく。兄が苦笑いのようなものを浮かべているのが視界に入った。

 謝罪すべきだろう。

 しかしモモンの前では流石に不味い。

 モモンの心象を損ねたりして、チームを解消を提示されたりしては不味いのだ。

 昇級試験を受ける資格を失うというのは、結果としてランゴバルトの最高の取り柄であり、最も価値が付く部分である、保有する魔法の力という点に傷をつけてしまう。そうなって、家にメリットなしと判断されれば、変なところに売り飛ばされたしする可能性でってある。

 勿論、奴隷ではないのだから普通の平民よりは恵まれた人生を送れるところに向かわされるだろうが、それでも自分を高く売りたいのは誰だって思うことだ。


 それにモモンが本当に上位者なら、今の発言は危険であろう。

 もちろん、高位の貴族である父に、学生の身であるモモンが対等の地位にいられるはずがないが、モモンの親が同格以上の地位にいる可能性だってある。ただ、ランゴバルトはモモンという名の高位貴族嫡男の名は聞いたことがないが。

 それでも得体の知れない人物であるモモンを不快にさせないように、対処すべきだ。

 しかしその手段が全く頭に浮かばない。ランゴバルトが板挟みになっているほんのわずかな時間にモモンが口を開いた。


「すまないな」


 ランゴバルトの体内の血液が音を立てて下に落ちた気がした。

 父親が眉を吊り上げる。モモンのそれは貴族に対する言葉づかいとは思われない。

 ランゴバルトは慌てて制止しようとするが、それよりも早くモモンが再び口を開く。


「ところで一つ質問だ。奇跡の時間はお前にとって短かったか?」


 突如、落雷でも浴びたかのように父親が硬直した。ランゴバルトにはどういう意味の質問なのかさっぱりわからなかったが、父親にとっては違ったらしい。

 喘ぐように口をパクパクと動かし、その眼はこぼれ落ちそうなほど大きく見開いていた。

 生きてきた中で一度も見たことのないそんな表情だった。

 隣に立つ兄を盗み見するが、兄も自分と同じような驚いた表情であり、思い当る点はないらしい。


「それで……二人だけで話したいんだが、空いている場所はあるか?」

「う、うむ。あ、いや、はい。……そうだ、いや、そうですね。……応接室が。お前たち、そちらで……私はこの方と少し話をする。誰も近寄らせるな」


 モモンの言葉に我に返った父親は、額に汗を滲ませながら返答をする。

 大いに慌てふためく姿は、普段の父親からは想像もできないものだった。

 モモンを案内するように歩く父親の姿を残った彼は見守る。

 来客だとしても父親が自ら案内する姿など見た記憶がない。

 実際にあり得ないのか、と誰かに質問されれば、父親が案内する貴族だっていないことはないと答えるだろう。ただし、それは父親よりも上の貴族が相手で、モモンという得体の知れない人物は対象外だ。


「あのモモンというのは一体何者なんだ?」


 兄の質問にランゴバルトは答える言葉をたった一つしか持っていなかった。


「……さぁ?」

 仕事が終われば、ジエット・テスタニアの魔力はほとんど底をついている。肉体的な疲労とは違う、体の中央に貯まっている、目にはできない何かが抜け出たような、奇妙な脱力感を覚えながら、家まで帰る。

 だが、その足取りは軽い。懐に入った金銭の重みという以上に、十日間、学院で面倒事が一切起こっていないという状況によって生じたものだ。


 問題は確かにないわけではない。

 かの大魔法使いフールーダという人物を班員としたことで、一般的な生徒たちから話しかけられなくなったという面があるある。話しかけてくる生徒たちのほとんどが貴族の子弟であり、ジエットをカードの一枚としてどれだけ有益か判断しようという、貴族のゲームの駒にしようと考える者たちだ。


 ジエットは身震いをする。貴族社会の権力闘争などの一端を目にした、一般人が起こしそうな身震いを。

 生き馬の目を抜こうとする世界は大人の世界であればよくあることだとも言える。しかし、子供の内から代理戦争を行い始めているというのは、少しばかり恐ろしい。

 今まで見えなかった、世界が違うと思っていた学院の裏が見えてしまったような感じだった。


 しかしそれらも今のジエットからすれば許容範囲だ。

 フールーダという巨大な存在が後ろにいてくれる間はジエットは彼らよりも上位者。物理的にも精神的にも圧力をかけてくるような相手はいない。ここで図に乗ると愚かなことになるので、いなくなった時のことを考えて、誰にも接近しないでいれば安全だろう。


 ただ、唯一の心配は超越者──アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の動きだ。


 ジエットは瞳を眼帯の上から押さえる。

 勿論、貴族として高みにある人物が動き出したら、ジエットに出来ることなど何もないのだが。

 せいぜい、どうやればもっとも自分を高く売りつけられるかなどを考えるぐらいしかないだろう。


(一度会ってみたいな。……噂に聞く大貴族)


 もちろん、会ったところで自分に何ができるなどとは考えられないが。


 同級生などからパレードの事を聞いたジエットが、辺境侯がしていたという素晴らしい身なりについて考えていると、家が見えてきた。

 到着し、扉をノックしようとして手を止める。中から人の気配がある。勿論、母親と共に暮らしているので、人の気配がないはずがない。特にジエットの母親は病気であるために、外に出ることはほとんどないのだから。

 ただ、普段とは違って扉越しの気配は明るい。

 来客だろう。では誰が来たというのか。

 扉から微かに聞こえる話声。それは女性のものだ。

 ならば誰が来ているのかの予想はすぐにつく。ジエットの家に来る女性など一人ぐらいしかいないのだから。ただ、違和感を覚えるのは声が一人分しか聞こえないということ。まるで独り言を呟いているみたいだ。

 ジエットは疑問を抱きながらも、扉を開ければすぐに答えは得られると判断する。


「ただいま!」


 ジエットは扉に向かって声をかけるとノックを数度行う。

 鍵の外れる音と共に、扉が開かれる。逆光の中、一人の女性の姿が扉の所に浮かぶ。母親とは違う輪郭の持ち主はジエットの予想通りの人物だ。明るい声がかかる。


「お帰り」

「ああ、ただいま。ネメル」


 ジエットは家の中に入ればそこは、台所兼リビングの狭い部屋だ。奥の母親の部屋への扉が開かれており、ベッドの横になっていた母親と目があう。ネメルはリビングで、母親はベッドで横になったままお喋りをしていたのだろう。だからこそ独り言に聞こえたのだ。


「ただいま、かあさん」

「お帰り、ジエット」


 ジエットは起き上がろうとした母親を手で押しとどめる。


「良いって。別に起きてこなくても大丈夫だって」

「そう? じゃぁ、私はちょっと寝かせてもらうわね」

「あ、ごめんなさい、おばさん。お喋りに夢中になっちゃって」


 ネメルが謝ると、母親は体を軽く起こして、そんなことはないと頭を振る。


「ううん。この子はあまり学校の話とかしてくれないから、ネメルちゃんのお話はすごく面白かったわ。この子が学院ではどんな感じなのかがよく分かったし」


 ジエットは眉を顰める。自分のいないところでどんな話をしていたのかと、嫌な予感や気分を抱いてしまうのは仕方がないことだろう。特に幼馴染はジエットの行動を美化する傾向にある。誰だお前、と問いかけたくなるような貴公子が生まれている可能性だってあった。

 ネメルがそんなジエットに慌てたようで、手をパタパタと振る。


「へ、変なことは言ってないよ!」


 はぁ、とジエットは溜め息を一つ吐き出す。言ってもしょうがない。昔から何も変わってないのだから。

 ジエットが椅子に腰かけると、ネメルが台所に置かれていたシチュー皿を持ち上げる。


「ジエット、食事するよね?」

「ああ、え? 何か持ってきてくれたのか?」

「じゃがいもゴロゴロのシチューだよ。おばさんには先に食べてもらったんだ。もう取り分けてあるから、温めるだけで食べられるよ?」

「おお! それはいいな。もらえるか?」

「じゃぁ、すぐに温めちゃうね」


 ジエットの前に中身の入ったシチュー皿が置かれる。そこにネメルが魔法を発動させた。すぐにシチューが暖まり、湯気が上がる。

 ゼロ位階、または生活魔法と言われる魔法にもならないような魔法だ。皿一枚を温める魔法。魔力の消費は第一位階と同じだけ使うので、ぶっちゃけ役に立たないとされる程度の魔法だ。

 安いマジックアイテムなどでも代用できるが──この場合はコマンドワードに従って中身を温める皿などがある──そういったアイテムを買うことの出来ない身にとっては時折役に立つ。というのも薪代がかからないのだから。


「おお、良い匂いだ。美味しそうだな」

「うん。すごく美味しいよ。パナシスお姉ちゃんが務めている先の貴族家からもらってきた食材で作ってあるんだけど、どれも良い食材ばかりだったんだよ?」


 ほろほろに煮込んだジャガイモをジエットは口の中に放り込む。ほぐれてすぐに崩れていくジャガイモを飲み込む。


「へぇ。傷ありなどをくれたんだろうけど、結構大きな貴族みたいだな。なんていう名前なの? というかそんなに頻繁に帰ってこれるものなのか? 確か、この前のそんな話をしていたけど……」

「うん。詳しくは聞いてないんだけど、かなり大きな家みたいなの。しかも数日働くと休みをもらえるみたいでね」

「へー。そりゃ珍しい家だな」


 ジエットはお喋りの合間にも次々シチューを腹の中に収めていく。固くなったパンを持ってきてもらって──これはジエットの家に元からあったものだ──シチューに浸して柔らかくする。

 全部が胃に収まるまでにそれほど時間はかからなかった。


「あー、美味かった」

「お粗末様」

「さて、時間も遅いし、家まで送ってやるよ」

「うん。ありがとう」


 繰り返し行われたやり取りのため、送らなくていいよ、などとネメルが言うこともない。

 帝都の治安度を四等分して評価するのであれば、ジエットの住居がある辺りは三の中ほど。歩いていて襲われたりなどの事は少ないが、騎士の見回りも大雑把な物であって、絶対に安全だなどとは言えない。

 特にこの時間帯にもなれば女性一人を返すわけにはいかなかった。

 もちろん、ネメルは魔法が使える以上、弱いわけではない。魔法というのはある種の武器だ。放つだけで筋骨たくましい男を容易く殺すことだってできる。しかし殺すための技を持っていようとも、それが振るえるかどうかは別問題だ。


(だからこその昇級試験なんだけどな)


 母にお願いして鍵をかけてもらい、ジエットはネメルと連れ立って夜の帝都を歩く。

 全行程の半分ほど歩き、治安の良いエリアに入った辺りでジエットは問いかける。


「それで何があった?」


 普段と何も変わってないネメルだが、それは幼馴染の目からすれば何かに迷っている姿にしか見えなかった。特に夜に治安の悪いジエットの家に付近まで来ることを嫌っているのに来たのはそういう理由あってのことだろう。

 昔からネメルはこんな感じだ。


「う、うん。あのね。舞踏会への招待状が来たの」

「招待状?」


 ネメルの家も貴族である。舞踏会の招待状が来たとしてもおかしいことではないだろう。同じぐらいの貴族家で行う、パーティー的な集まりには彼女だって参加しているというのは聞いたことがあった。

 参加状が来たとしてもおかしいことは何一つとしてないだろう。

 そんなジエットの疑問を見抜いたようにネメルが続けて口を開く。


「差出人の家がすごく上の貴族家なの」

「派閥とか、上司とか、そういった関係じゃないのか?」


 ネメルが頭を振り、ジエットはネメルの言いたことを理解する。 


「差出人の貴族家は何処だ?」

「──ロベルバド家」


 ゴウン家と言われたらどうしようかと思ったがそうではなかったようだ。ジエットは安堵の息を吐きつつ、さて何が最も最適なのかと考える。

 ロベルバド家と言われれば思い当たる貴族は一人しかいない。そんな家がなぜ、ネメルを招待するのか。

 考えられるのは一つ。フールーダが自分たちの班に参加していることにちなんだことだろう。


(あいつがやっていたことを聞きつけて、ネメル経由で仲介してほしいということか?)


 行くななどとは言えない。貴族社会とはそんな子供っぽい考えでどうにかなるものではない。

 家と家の繋がりというのは、平民が考えるよりも重視されている世界だ。ここで断ることによって将来的にネメル達の家が悲惨な運命をたどるかもしれないのは十分にあり得る。


「……行くんだろ?」

「うん」小さな返事が聞こえた。「いかないと不味いから。それにお父さんたちも乗り気だし」


 娘が大貴族の舞踏会に招かれたなどというのは、父親たちからすれば歓喜の感情を抱くのは当たり前のことだ。


 そして自分の中で結論付いているにもかかわらず、ネメルがジエットに聞いてもらいたかったのは単に不安なためだろう。彼女自身、特別な理由があってではないはずだ。

 自分とはまるでかけ離れたところから招待状が届けば不安にもなる。


「なるほど、分かった」


 そのまま互いに何も言わずに、ネメルを家まで送り届ける。

 ジエットは帰り道、頭を高速で回転させる。

 別にネメルが舞踏会に行ったところで何かあるわけはないだろう。逆に客として招く以上、非常に丁重に扱ってくれるはずだ。ジエットが何かするまでもない。しかし──


 ──心配だという思いがなくなることはない。

 それにネメルが招待されたのは間接的に自分に理由があるはずだ。確実にフールーダに関する事態であるとしか考えられなかった。ならば向こうがどんな狙いがあって招待したかを掴むのは、自分がしなくてはならないことではないだろうか?

 しかしそれを平民である自分に出来るだろうか。

 力を貸してくれる人として頭に浮かぶ、フリアーネ・ワエリア・ラン・グシモンド生徒会長にお願いをするのかあまりしたくない。彼女にこれ以上力を貸してもらうのはあまり良いことではない。というのも取り込まれる可能性もあるためだ。


「どうすればいいのかな……」


 ジエットの呟きは夜闇の中に溶けて行った。

 応接室から出て来た父親はランゴバルトを目にすると一直線に歩いてくる。そして両肩をがしっと掴んだ。

 顔は紅潮し、鼻息は荒い。

 後から出てきたモモンは先ほどと変わらないぼんやりとした顔だ。


(怒らせたか)


 勘弁してくれよ、とランゴバルトは心の中で悲鳴を上げる。


「よくやったぞ!」

「…………は?」


 思わず自分でも間抜けだなと思うような声が漏れてしまった。しかし、父親はそんなことを気にせず、強く肩を握りしめる。


「いいか、あの方のためにしっかりと働け!」

「あ、え、ええ。はい」

「あの方のためであれば、お前が死んでも構わん! 分かったな!」


 血走った眼で鋭く睨みつけられる。ランゴバルトはこくこくと頷いた。信じられないがあの御方とはモモンの事だろう。

 ランゴバルトは横目でぼんやりと此方を眺めているモモンを盗み見る。まさか本当に彼は自分よりも上位の人間、大貴族である父と対等クラスのものだというのだろうか。


「は、はい。分かりました」


 良しとだけ言うと、父親はランゴバルトから離れてモモンに近寄る。そして揉み手でもしそうな雰囲気でモモンの問いかけた。


「ところでモモン様。今日は我が家で過ごされてはいかがでしょうか?」


 様、という言葉にランゴバルトは硬直してしまう。父親と同格などではない。父親よりも上位の人間だ!

 あり得ないという思いにランゴバルトが動きを止めている間にも、二人の会話は先に進む。


「いや、行かなくてはならないところがあるので、これで帰らせてもらう」

「そ、そうですか。それは残念です。……では見送りをさせていただければ」

「……別にそこまでする必要はない。私は班員の名前に覚えがあったので会いに来ただけだ」

「おお! 覚えておいてくださるとは!」

「誰が最も私を喜ばせてくれるか、我が祝福を与える時を私も楽しみにしているからな」


 歓喜の表情を浮かべていた父親が、一瞬で迫力ある顔へと変わり、ランゴバルトに向けられる。


「息子! モモン様のためにしっかりと働け!」


 はいというよりは、はひぃという返事を上げ、幾度も頭を振る。そんな態度に不満げな表情を父親が浮かべる。


「──お前!」


 迸る憤怒を浴び、ランゴバルトの体がびくりと震える。

 貴族として高い地位にいる父親の叱責は、常人のものよりも迫力にあふれている。


「モモン様がいらっしゃる場でなんという腑抜けた態度を!」


 普段以上に激しい怒りで詰め寄ってくる父親の姿に、ランゴバルトが硬直していると、横から静かな声がかかった。


「──家族のしつけにまで口を挟む気はないが、私のためだというのであれば、それぐらいにしてほしいものだな。何より、彼は私の班員だぞ?」

「こ! これは失礼しました!」

「謝る相手が違うんじゃないか?」


 父親がランゴバルトに軽く頭を下げる。


「すまなかったな」


 あの父親が自分に頭を下げていると思うと、驚きのあまりに口がきけない。

 ただ、縦に頭を振るので精いっぱいだった。


「ではランゴバルト、行こうじゃないか」


 先を歩くモモンに追従し、ランゴバルトは歩く。

 何も見た目は変わってなどいない。来た時と同じ平民然とした雰囲気だ。しかし、その下に見えない何か途轍もないものが蠢いているような気がする。


「……そ、それでこれからどうされるんですか?」


 ランゴバルトが恐る恐る問いかけると、やはり何も変わらない平凡な顔が見返してくる。


「さすがに二人では試験を受けるのは無理だから、メンバーを増やそうと思うんだが……どうだろう?」

「は、はい。それは良い考えだと思います」

「それで……誰か知り合いはいる?」


 ランゴバルトは考える。今の自分に協力しようという人物がいるとは思えなかった。

 横に頭を振ると、モモンがさびしそうに笑った。


「気にするな。そういうこともある」


 モモンは再び前を見ると、呟くようにアイデアを口にした。


「奴隷を買って、チームメンバーにしよう」


 ランゴバルトは何も言えなかった。あまりにも右斜めにぶっ飛んだアイデア過ぎる。頭に蛆でも沸いたのか、と問いかけなかったのは先ほどの父親の姿が脳裏をチラついたためだ。

 しかし──


(なんでここまで自慢げに言えるんだ? 常識で考えれば絶対に無理だろうが……)


 学院に入学するための様々な条件──入学金、身分、能力。これらをどうやってクリアするというのか。

 大体チームメンバーを増やすために、学院に新入させれば良いというのは常人の考えることではない。狂人の考えではあるが──


(もしかしてそれほどのことができる……大人物なのか?)


 だとしたら先ほどの父親の姿も納得がいく。


(だが、それでも奴隷を買って、チームメンバーにするはないな……)


「さて異論はないようだな。では奴隷市場に行くとしようじゃないか!」


 モモンの声は明るい雰囲気に満ちており、満足げな何かがそこにはあった。


(……なんで彼は嬉しそうなんだ? 奴隷を買うことが、なのか? それとも奴隷市場に行くことが? いや……まさか意見を……)


 ランゴバルトは頭を振る。意見を受け入れてもらったから、などあり得ない想像だ。いや妄想の域に等しい。

 ランゴバルトは自分が得体の知れない何かに巻き込まれたような気持ちを抱きながら追従する。幾度か横に並んだら、と声をかけられたが丁重に断りつつ。




※謎の転校生モモンさんたちとジエット君では時間軸がちょっと違います。パーティーで合流するよう、短めの更新です。12月中にもう一回は更新したいなー。でも会社で昼飯を食べながらこっそり打ち込みたくはないです……。

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