学院-3
50kを超えましたが、活動報告で聞いた限りは問題なさそうなので、1回で更新です。
携帯の人、ごめん! 丸山は携帯の人が頑張ってくれると信じてます!
かの伝説の魔法使いをクラスメートの一人として迎えいれてから数日という時間が経過していた。
さすがにこれだけの時間が経過もすれば、多少は慣れというものが生じていた。
確かにフールーダが最高の魔法使いであるのは、わずかな会話からもひしひしと伝わってくることだし、実技ではその圧倒的な力を見せつけられる。しかし、だからと言って暴君であったり、恐怖を撒き散らすようなことはしない。
気難しそうではあったが、ある意味、賢者然とした人物だ。
そこまで怯えなくても良いのではないかという、共通認識が生徒間で生まれた結果であった。
もちろん、無駄話が驚くほど少ないということは変わっていないし、多少空気が緩んでいるのは同じクラスの生徒ばかりであって、他クラスの生徒たちはフールーダの前で、非常に緊張した素振りを見せる。食堂がどれほど静かかは言うまでもない。
共に数日を過ごした同じクラスの生徒であっても、親しげに話しかけたりするような者がいないのだ。フールーダという人物を書物や像や絵などでしか知らなければ、ごくごく当たり前の反応だろう。休み時間などでこのクラスの前を歩く者の姿は驚くほど少ない。遠回りしてでも避けているぐらいだ。
それに指導する教員たちの緊張感は一切、緩んではいない。特にフールーダに指摘を受けた教員たちの緊張感は増すばかりであった。
ただし、それでも大きく変わったところがあった。
それは──
扉がノックされ、一人の生徒が入ってくる。
全員の視線が動き、またかと判断する。
その生徒は静かな教室内を見渡し、一直線に歩を進める。
向かった先にいたのはフールーダである。
「初めまして、フールーダ様。私の名はジーダ・クレント・ニス・ティアレフと申します。」
貴族特有の、平民には真似のできないような品の良いお辞儀を見せた。
「ふむ……。私に何か用かね?」
「はい。フールーダ様のチームに私を入れてほしいと思ってまいりました」
これだ。
この二日間、学院の中でも指折りの生徒たち──魔法を行使できるという意味で──がフールーダに自分を売り込みに来ているのだ。より正確に言えば、フールーダのチームに入れてもらいに来ているということか。
実際、今来ている生徒も魔法行使能力でもかなり上位に位置し、ジエットでも顔を知らなかったが名前ぐらいは知っている。
そんな生徒が、ジエットが見ている間にフールーダに自分をチームに入れてもらうよう懇願していた。
ジエットは本気で感心してしまう。
嫌味などではない。
フールーダのチームに入れてもらおうと来る者は高貴な家柄の、優秀な者ばかり。そしてこれ以外でも伝説級の魔法使いに魔法のことで問いかける者は、皆、学院内でも名の知れた者であった。
それらの生徒に共通したのは、優秀さでは無いとジエットは判断していた。
それは意欲。
もしかすると欲望なのかもしれない。つまりはジエットのようにある程度の場所で満足するのではなく、より上を目指すという意欲に燃えた者。貴族として生まれ、優秀な魔法の力という潜在的な能力を保有し、それでもなお自分を高める努力をする者。
それに感心せずに何を感心せよというのか。
確かにジエットは自分で好きで今の場所を好んでいる。誰かを追い落とし、何かを犠牲にしてまで自分を高めることを求めていない。それでも自分の出来ないことをする者に、尊敬の念を抱けないほど狭量ではなかった。
やがて生徒のプレゼンが終わり、フールーダの裁定が下る。
「君の思いは十分に伝わった。しかし……」
その後は何時もの繰り返しだ。
君の思いは伝わった。しかし、君を私のチームに入れる気はない。君が非常に優秀なのは分かったが、そういった人物を私のメンバーに入れることは将来の帝国の不利益につながる。この試験では優秀な人物は上に立たなくてはならないのだ。君は上に立つ者として他の仲間を引っ張りたまえ。決して私の下で引っ張られてはいけない。
私が望むのは出来れば普通の者がいいな。引っ張るのではなく、どちらかといえば引っ張られる側の。そんな人物が私をどのように引っ張るかが興味のあることだ。
そして最後に──
「君の名前は覚えておこう。ジーダ・クレント・ニス・ティアレフ君」
「ありがとうございます、フールーダ様」
ここまでは既定の流れだ。
生徒が深い礼を見せてからさっそうと──貴族出身の生徒はやはり品が良い──教室を出ていく。
なぜ、自分なのか。
ジエットは考える。
話の最中、チラリと動いたフールーダの視線の先に自分がいるのは間違いがないだろう。
(……大体の予想はつくんだけど……)
納得がいかなし、理解ができない。
(やはり先輩に協力を仰ぐしかないか。いや、協力じゃなく、交渉という方が正解だけど……っと、そんなことを考えている時間はないか)
ジエットは立ち上がると、静かな教室から廊下へと出る。ネメルと約束をしているためだ。歩く速度は何時もよりも早い。というのも約束の時間に遅れているためだ。ジエットもネメルも大抵約束の時間よりも若干早めに着くように行動する。そんな彼が今回遅れてしまったのは、あの状況下で堂々と教室から出ていくことが出来るほど、空気が読めないわけではないためだ。
こういった点がかの偉人を迎え入れて困る事態だ。ありとあらゆることに気を回さないと不味いということが。
心の中で愚痴を呟きつつ、約束の場所が視界に入り、ジエットは表情に敵意が現れるのを必死で抑え込む。
ネメルがいたのは良い。問題は彼女を壁に押し付ける様にしている男がいたことだ。廊下を歩く生徒は見て見ぬふりを行っている。男の方が大貴族の子息であると知っているための処世術だ。
助けを求める様に動いたネメルが、ジエットを発見し、その顔を明るいものへとする。眼前の少女の急激な変化に誰が来たのか理解したのであろう、男は薄い笑いと共にジエットへと顔を向けた。
「何してるんだ……ですか?」
「いやいや、彼女とちょっと話をしたくてね」
「そんな恰好で話さなくても良いんじゃないですか?」
「色々と秘密裏に話したいことがあったからね」
ネメルはランゴバルトが離れると、すぐにジエットの元に駆けてくる。その駆け寄ってくる姿は幼馴染の昔を思い出し、より一層強い憤怒がジエットの心を燃やしていく。
拳であれば負けないだろう。
しかし、そんなことをすればジエットは退学となり、ネメル自身何をされるかわからない。
彼の立場上、家の権力を全力で使えないかもしれないが、軽くはたく程度の力でも平民と下級貴族には巨大な鉄槌となってしまう。ランゴバルトが玩んでいると思わせる程度に留めなくてはならないのだ。
殴り飛ばすなどという多くの人の前で恥をかかせる行為をしてはいけない。
「……さて」
ランゴバルトは髪をかきあげると、ジエットの方に向かって歩き出す。
一歩だけ前に出るとランゴバルトをジエットは睨んだ。
「……ふん。別にどうこうしようという気はないさ。君のクラスに用があってね」
それがどういう意味か、予想はできた。フールーダへチーム参加希望を出すつもりなのだろう。
その瞬間、ジエットは光が輝いた気がした。
毒を逃れるために猛毒を飲む行為なのかもしれない。しかし、もしかするとこれは一発逆転のジエットの最高の手である可能性は十分にあった。
今はまだネメルを守れる。しかし、今後、それがどうなるかは予期できないところだ。問題は生徒会長であるフリアーネが卒業した後──。
ランゴバルトの後姿を見送りながら、ジエットは覚悟を決める。
「あのさ、ネメル」
「うん? 何、ジエット? あ、でもその前にありがとう助けてくれて」
「……別に……俺こそ遅れてごめん。もしもっと早く来てれば」
「ううん。でも……だんだん近寄ってきてる気がする……」
それがどういう意味か。
ジエットは胃の辺りがムカムカとしてくる。
「……あのさ。もしかすると俺は間違った手段を取るかもしれない。でも信じてくれるか?」
「ん? よくはわからないけど、ジエットのすることなら信じるよ?」
無邪気ともいえそうな信頼の満ち満ちた瞳がジエットに向けられる。
ならば──
「すまないけど一緒に来てくれ」
ちょうど教室に戻った時、中からはフールーダの断りの言葉が聞こえるタイミングであった。
ジエットは迷うことなく扉を開ける。その音でフールーダの返事が途切れることも理解したうえで。
幾多の非難の視線が集まる。特に強いのは振り返ったランゴバルトだ。普段の平民を見下している彼から想像もできないほどの、はっきりとした敵意がそこにはあった。
ネメルは横で空気に当てられたように硬直している。
一息吐き出すと、覚悟を決めたジエットは口を開く。
「フールーダ様!」
「どうしたのかね?」
「よろしければ、私たちとチームを組んで下さらないでしょうか?」
動揺がさざなみとなって広がる。「馬鹿か、こいつは」という視線が幾多も自分に向けられているのをジエットは感じ取る。教室内のある程度はジエットと親しいクラスメイトからもだ。
狂人と見做されても可笑しくないことをジエットは言っていると自分でも理解している。実際、自分も第三者的な立場であればそう思っただろう。
これ以上の上がないと知られる最高位にして伝説の領域である第六位階魔法までを使う──大魔法使いフールーダ・パラダインに対して第一位階を使うのがやっとという学生が願うことではない。
己の分をわきまえろ。
視線に含まれた言葉はそれ以外に考えられないだろう。
「まだ、人数が少なく、私ともう一人。彼女しかいません。ですので、フールーダ様が入っていただけたとしてもあと最低二人を探す必要がありますが……」
横のネメルは石像と変わっていた。そして視界の端でランゴバルトが嗤っているのが見えた。
当たり前である。フールーダという人物には不釣り合いすぎる。
これはある意味、博打だ。
もし断られれば、横からしゃしゃり出た平民に対して、自分の顔が潰されたとランゴバルトが今まで以上の攻勢を仕掛けてくるだろう。そればかりか、この学院内の貴族子息たちに不快感を与え、庇ってくれる者が皆無になるだろう。
もし本当に賢く行動するのであれば、こっそりと行動すべきである。このタイミングでなくてもいいはずなのだから。
しかし、この瞬間こそが最高のタイミングでもある。攻撃という意味では。
──次の瞬間、教室を驚愕が揺らす。
「良いぞ。では君のメンバーに入らせてもらおう」
「ありがとうございます!」
ジエットは深く頭を下げる。
そして上げた時、視線を動かし、ランゴバルトに向ける。
そこには信じられないものを見たと浮かんでいた。驚愕に目を見開き、口は喘ぐように半分開いていた。高貴な血族には似つかわしくない間抜けな態度ではあったが、嫌っているジエットですら馬鹿にしようという気は起らない。
あまりにも理不尽だろうことが彼らの前で起こったと知っているから。
(取りあえず、これでネメルは安全だ)
フールーダのメンバーであるネメルや──そしてジエット──にちょっかいを出せば、それはフールーダに対する妨害に取られるだろう。学院に入学したことのある者で、かの大魔法使いの身内に害をなそうなんて考えれる者がいるはずがない。それはどんな大貴族であろうが、同じことだ。
確かに平民であり、貴族社会について詳しくないジエットには、絶対とは言い切れない。しかし、それでも何も手を打たないよりは安全だと思われた。
虎の威を借りる狐。
情けないとみなされるかもしれない。しかし、本当に情けないことというのはなんだろうか。悪意から幼馴染を守れないこと、無力であるということを突きつけられること。
大貴族の権力などから守るためには、平民であるジエットの出来ることなど、たかが知れている。ならば守るための手段として、汚水を浴びることに躊躇してどうするというのか。矜持を投げ捨てることすらできない男の方が情けない。
ランゴバルトは真っ青な顔で数歩後ずさった。
もしフールーダが「彼と話している」とでも言えば、彼の立場は守られただろう。しかしそうではなかった。つまりはランゴバルトとの話よりもジエットとの話を優先させたということに等しい。
それがどういう意味を持つのかを理解できない上流社会の者はいないだろう。
ジエットはいまだ凍りついたままのネメルの背中をポンと叩き、フールーダに紹介すべく歩き出した。
◆
ジエットは情報の大切さをよく知っている。
情報というものは金銭的な価値を持つ。実際にジエットは情報を上手く使ってこれまでの生活を有利に運んできた。
幼馴染に近寄る悪意の発見、自分に迫る敵意の誘導などだ。
ただし一つ問題がある。
それは現在自分が握っている情報に、金銭的な価値がどの程度あるか不明だということ。正直、一般市民であるジエットにとっては貴族の社会にかかわってくる情報の価値が分かりかねた。
もしジエットに貴族の友人がいれば歪曲に聞き出すことで、価値が推し量れただろう。しかし、ジエットが目をつけられているという理由より、多少はいた貴族の友人たちは少しばかり離れてしまっていた。
あとは売り手の問題もある。
だからこそ選んだのは一人の女性。
フリアーネ・ワエリア・ラン・グシモンド。
学院の生徒会長であり、大貴族グシモンド家の令嬢だ。彼女であればジエットの知りたい情報を持っている可能性は高い。しかし、だ。彼女が教えてくれる可能性は低いと言えた。
フリアーネがジエットに親しくしてくれるのは、彼女の──魔法の──ライバルであった生徒がジエットのことを頼んでくれたからだ。「ほんの少しの慈悲で良いから、ちょっとだけ目をかけてやってほしい」と。
そのおかげもあって財力やコネなどの一切ない平民の生徒は、幼馴染や自分の身を守れてこれた。
ただし、それはあくまでも学院生活の支援だ
決して、帝国貴族社会に関することではない。
放課後、生徒会室に入ると、幸運なことにいたのは彼女一人だけであった。
普段通りの笑顔は親しい後輩を迎え入れるのに相応しいもの。
ジエットは唾を飲み込む。
フリアーネは優しい。しかし、それは生徒会長のものであり、
質問を投げかければ、今までのフリアーネが決して見せたことの無い彼女の一面が姿を見せるだろう。
それが怖いのだ。
予測はできたといえども、親しくしてくれた先輩の冷酷で恐ろしい姿はみたいとは思わない。
そして質問を投げかけたとしても、平民である彼にその情報を聞かせるメリットがフリアーネになければ、教えてくれるはずがない。それが情報の価値を知る──貴族であれば当たり前だろう。
つまりは虎の尻尾を踏むだけという結果に終わる可能性が十分にあった。
「どうしたのかしら? んー、何も用事がないなら……悪いんだけど……」
口ごもったジエットにフリアーネが優しく語りかけてくる。
しかし、その瞳には普段のフリアーネが浮かべないような硬質なものが含まれているのを、ジエットは察知する。彼の態度から、どのような目的で来たのかを鋭敏に読み取ったのだろう。
生徒会長ではない彼女に会いに来たと知って、単なる平民である彼に魅力を感じないための冷たい反応だ。
これは当たり前のことだ。平民であるジエットに、フリアーネを驚かしたり、利益をもたらす話を提供できるはずがない。そう、普段であれば。
「フールーダ様は私に会いに来た、そのためにこの学院に入ったと言ったら……狂人の戯言でしょうか?」
「間違いなく」
笑顔でばっさりとフリアーネが切り捨てる。
あまりにも荒唐無稽な話だ。帝国最高の大魔法使いが、一生徒になんの理由があるというのか。しかし、ジエットは何も言わずにフリアーネを見つめる。
そんなジエットの反応に、フリアーネの目に別の色が強く混じりだす。それは興味だ。
ジエットの性格を知っている彼女だからこそ、断言しながらもジエットがそう判断している何らかの理由があると認めたのだろう。
ジエットは掌にかいた汗をズボンで拭う。
最初の話の持っていきかたとしては間違っていなかった。まずはこちらに興味を持たせるという交渉の第一段階が終了だ。次に対等の立場まで持っていく必要がある。対等の立場でなければ、情報を安く買いたたかれてしまう。
「理由があるんです」
そこで言葉を閉ざす。そしてそのまま口を開いたりはしない。
知りたいと、フリアーネの口から言わせる。決して自分から情報を垂れ流したりはしない。
そんな取引を望んでいるジエットの意思を認め──生徒会長はそこにはいなくなっていた。
まるで別人であった。
大貴族令嬢──家との結びつきのためだけにいる道具ではない、大貴族としての教育をしっかりと受けた貫禄ある人物がそこにいたのだ。
しかし、大貴族令嬢たるフリアーネはすぐにいなくなり、生徒会長としてのフリアーネが戻ってきていた。いや、それは本当に生徒会長のフリアーネなのだろうか。大貴族令嬢が生徒会長の仮面を被っているだけなのではないだろうか。
「……んー、貴方の勘違いだと思うけどね。なにかあったの? 聞かせてくれる?」
生徒会長として生徒を心配しているの、そう言葉の後ろにつきそうな感じではあった。しかし、それは違うとジエットは判断する。
(仮面だ。生徒会長の……優しくしてくれたフリアーネ先輩ではない……)
黙ったままのジエットを眺めていたフリアーネの視線がふっと動き、天井へと向けられる。無防備な姿は、フリアーネという一人の女性を感じさせた。
「見破った? 少しだけ……あなたを過少評価していたみたいね」
やはり優しげな声色ではあったが、その後ろに一本の冷たい鋼が隠れているのが感じられた。いや、これは故意的に見せているのだろう。
「……ねぇ、ジエット君? 今まで私にあれだけの恩を受けながら……まさか、私と交渉したいとか言わないわよね? 普通、あれだけの恩を受けながら、対等の立場になろうなんて考えないよね? そうだとしたら、どんな恩知らずなのかしら?」
薄い笑みが浮かぶ。それと同時に圧力がかかるようだった。あり得ないようだが、フリアーネから風が吹き付けられるような気分をジエットは抱く。
「それとも私まで敵に回したいの? ……私が止めなくなればアレは暴走するかもしれないわよ?」
ジエットはようやく自分が対等の交渉の立場に立ったことを理解する。これは決して脅しではない。そうすべきとと判断したらフリアーネは口だけではなく行動を起こすだろう。しかし、どちらが上かを知らしめる行為というのは、はっきりとさせるためにするのだ。どちらが上かはっきりしていれば、そんな行動は取らない。
だからこそ、対等なのだ。
より大きな利益を得るようにフリアーネが行動し始めたということが、ジエットの交渉の仕方が間違っていないことを意味している。
ジエットは自らの持つ最大の切り札を切る。
こここそが最も効果的だと判断して。
「先輩。私のチームにはフールーダ様がいます」
「……そうなの。初耳ね」
「そうでしたか……。ならば、そういうことです。私たちのメンバーには彼女も入ります」
「わかったわ。先ほどの言葉は少し過ぎたみたいね。ごめんなさい、謝るわ」
ぺこりと頭を下げるフリアーネだが、初耳であるはずがないだろう。知っていながら圧力をかけてきたのだ。ジエットがうまく札を切れるか、それを確かめる意味も含めて。もし、切り返しを上手く行えずに無様な姿を見せれば、そこから有利に運ぶように行動したに違いない。しかし、そうはいかなかった。
つまりはフリアーネの攻撃に対して、ジエットの切り返しがうまく決まり、ダメージを与えたということだ。
他力本願な切り札ではあったが、やはりこのカードは最高の意味を持つ。
もちろん、当然のことだ。
フールーダという大魔法使い(カード)を安く見れるギャンブラーなどいるはずがないのだから。
(……これが貴族としての先輩か)
優しげな笑顔を浮かべているが、決して今までのフリアーネではない。
ジエットは先ほど拭ったはずの手がびっしょりと濡れているのを感じていた。
正直に言えば怖い。しかし、彼女以上に信頼できる情報源がないのも事実だ。
「先輩……私の知っていることを全て話します。ですので先輩の知恵を貸して欲しいのです」
「そう……。ならば……最後にあなたと親しくしている先輩からの警告を発するわね。ここからの会話は私にとって有利にするためのものである可能性が高いわ。注意してね」
もって回った言い方であり、真意が一見掴み辛い。しかしジエットはフリアーネが何を言っているのか、理解できた。
そして最初に抱いた感想は「優しい」というものだ。
生徒会長は自分の家の有利になるように──場合によっては曲解させるように──話を持っていくだろうし、得た情報を有効活用すると宣言してきたのだ。だからこそ頭を使って話せと。
ようは慈悲をかけてくれたのだ。
(ありがとうございます、アルシェお嬢様)
フリアーネがここまで優しい対応をしてくれるたった一つの理由に感謝の念を送る。自分の母親が仕えていた家の令嬢の名前に呼びかけ。
「……先ほどの話になりますが、フールーダ様は私のメンバーになるためにこの学院に来たのではないかと思っております」
「……根拠は?」
ジエットはフリアーネにフールーダが来る前、夜に自らの家に来た貴族の使いの話をする。
自分がチームを組めずに進学が難しいかもという話をして、すぐにだ。あまりにもタイミングが良すぎる。
これがまるで別のクラスで、たまたまチームに入るよう声をかけられたりしなければ、そうは思わなかった可能性はある。しかし、同じクラスであり、ジエットに幾度も声をかける姿勢が、あり得ない話だが、そうなのではないだろうかという確信を抱かせるまでに至った。
だからこその疑問がジエットにはある。
いったい、裏にいるのは誰だということだ。
確かに、伝説級の魔法使いであり、知らぬ者がいないといえるほどの存在。フールーダ・パラダインに学生をやれなどと命令することのできる──悪く言えば頭のオカシイ人物がいるとは到底思えない。命令できるであろう唯一の人物──現皇帝は特にそんな人物であるはずがない。
では第三者の介入しない、フールーダという人物の判断かというと正直あり得ないと思われるし、あり得ないだろう。幾らなんでもあれほどの人物が学生を望んでやっているとは思えなかった。
考えられるのはたった一つ、フールーダに学生をやらせるほどの何者かがいるとしか思えなかった。
では、その人物はどれほどの権力者だというのか。
ジエットは思う。それは確実に皇帝に近い権力の持ち主であろう。だからこそ恐怖を感じて、情報を集めに走っているのだ。
対して黙って聞いていたフリアーネの態度は奇妙なものだった。
目が鋭くなったり、大きくなったり、あまりにも先ほどの姿からは逸脱した態度だったのだ。
それほど驚くほどだったのだろうか。ジエットが疑問を抱いた時、一方的に聞くだけであったフリアーネが初めて質問を投げかけていくる。
「その……騎士の名前は聞いたのかしら?」
「確か……レイと言っておりました」
「レイだけでは分かりかねるわね。どんな人なの? 外見など、覚えている限り教えて」
ジエットはその人物の外見を思い出せる限り、口にする。
普段であれば記憶にも残らなかった可能性はあったが、あの初めての体験──自分を雇いたいなどという驚きが、強く印象を残してくれたおかげだ。
答えたジエットに、さらにフリアーネがいくつかの質問を投げかけてくる。それはその騎士の細かな外見的な特徴であり、それは誰かと結びつけるためのものに思えた。つまりはフリアーネはその騎士の正体に心当たりがあるということだ。
人相風体を十分に聞き出したフリアーネが大きくため息を吐いた。その瞳に宿る感情は複雑であり、得体のしれない感情のこもった物。
「……フールーダ様とそのレイという騎士をつなぐ一本の糸があるわ。……でもそれこそ荒唐無稽としか……」
ぽつりと言葉を零す。
ジエットは知っている。貴族が笑顔の下に自分の本当の感情を隠すすべに長けているということを。別にフリアーネほどの高位の貴族でなくても、ある程度の貴族家の者であれば基本的に行える技とも言うべきそれだ。
そんなフリアーネが、今、心からの動揺を表にしている。
勿論、動揺すらも演技である線はないとは言えない。しかし、ジエットは本心からの感情のように感じ取れた。
「……辺境侯、アインズ・ウール・ゴウン。この名前に聞き覚えは?」
突然、貴族の名前を告げられ、ジエットは己の記憶を探る。
一応、紋章学などを含めた貴族知識は学院の授業の一つにある。しかしながら教本で読んだ記憶のある名前ではない。ただ、どこかで聞いた名であった。特に辺境伯ではなく、辺境侯などという耳に新しい地位の貴族家を──
記憶を探り、ジエットはようやくその名前に思い至る。
「あ、つい最近の貴族様……ですよね」
そうだ。新しい貴族家として帝国に迎えられたという、御触れが出たという話を耳にしたことがある。
「その程度? 目にした記憶はないの? ……パレードをしたんだけど、陛下の横にいた貴族……知らないかしら?」
「……戦勝を祝ってパレードがあったとは知っておりましたけど、私はそれは目にしてないので」
その時のジエットは忙しく働いていたために、そちらを見に行く暇はなかった。伝え聞く話であれば、すごい豪華そうな衣装に身を包んだ方だったらしい。
「では、あなたは辺境侯に関しては何を知っているのかしら?」
「……大したことは。魔法使いで、新たな貴族位に就いたということぐらいでしょうか」
「了解したわ。一般的にはそれぐらいしかまだ知られてないのね? ではまず……帝国の第8軍の将軍にレイという名を持つ人物がいるわ」
「レイ将軍ですか? 第8軍はグレガン将軍では?」
「それは2年ぐらい前でしょ。グレガン将軍は今では6軍だったはずよ。違ったかしら?」
分かりませんとしか答えられなかった。
帝国軍の詳しい将軍位など平民であるジエットの知るところではない。勿論、帝国軍に就職を望む人、それも上に行きたいと願う者であれば違うのかもしれないが、ジエットは下の方で安全な裏方を希望だ。そのため縁のない世界だと思って、気にも留めてなかった。だからこそそうなんだーという程度のものでしかない。
「それで辺境侯とレイ将軍、そしてフールーダ様に難からの繋がりがあるんですか?」
「そう。これは貴族社会の危ない話に属するところだけ……聞く?」
知りたくもない。
ジエットは心の中で叫ぶ。
何らかの理由でジエットが捕縛等された際、変なことを知っているとより一層厄介になる場合がある。特に単なる平民が貴族社会の裏話を知っていたりしては怪しいのは確実なのだから。とはいっても彼から問いかけたことだ、止めてほしいですと逃げても良いことはないだろう。ここは覚悟を決めて踏み込むべきだ。
ジエットはそう決心し、頭を縦に振る。
「……レイ将軍は辺境侯にすり寄っているという話よ。そしてフールーダ様は辺境侯の絶対的な魔法の力に敬服して、下についたわ」
言われた内容を理解し、ぞわりとジエットの背中を何かが走り抜けた。
現皇帝がその力を誇示するため、すなわち絶対的な権力を誇示するための武器である帝国軍。それを指揮する最高位者の一人である将軍が、皇帝以外の人物にすり寄る。さらにはその人物に帝国の歴史上の最高位魔法使いが服従している。
確かに貴族社会は複雑であり魑魅魍魎の住む世界だ。所詮は一般人であり、権力闘争などに詳しくないジエットでは確かなことは言えない。しかし、それでもそれぐらいはわかる。
それは下手すると、皇帝の絶対的な権力に罅を入れるということになるのではないだろうか。
「それって……」
大きな内乱の可能性があり得るということではないだろうか。
言葉にはならない質問が胸の内で生まれる。ジエットは平民であり、己の感情をうまく隠すすべを知らない。だからこそ面に現れているだろうが、それを認識しているだろうフリアーネは答えたりはしない。
別の質問を投げかけるだけだ。
「あなたにはどんな価値があるの? なぜ、あれほどの超越者があなたに目をかけるの?」
超越者──アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。
それはいったい、どれほどの人物なのか。いや、あの大魔法使いを敬服させる超魔法使いともいうべき者なのだから、よほど恐ろしい存在なのだろう。
ジエットはそんな強大な存在に、すでに目をつけられている可能性が高いという状況に身震いし、そして思い当るたった一つの理由を答える。
指差したのは眼帯だ。より正確に言うのであれば、その眼帯の下にある目なのであるが。
「一つしかないと思います。この眼です」
「……どういう意味? その眼に何があるの?」
「この眼は一つの能力を持っているんです。それは幻覚を見破るという力です」
「……特異能力?」
ジエットは頷く。
どんな幻覚であってもこの眼は見破る。そんな特殊な力を有していた。それ以外単なる平民である彼を、それほどの大魔法使い貴族が欲しがる理由がほかに思いつかない。
いや、それでもかの大魔法使いを学生にして送り込んでくるほど価値のある物なのだろうかという疑問はある。もしかするともっと別の使い方や狙い、理由があるのだろうか。
そんな疑問で頭を一杯にしていると、更なる疑問が生まれた。
一体、どうやってその情報を入手したのだろうかという疑問だ。
この眼のことを知る者は少なく、大抵の場合、眼が弱いためという理由で隠してきた。それなのに、いったい、辺境侯はどうやって知ったというのか。
(……いや、フールーダ様より優れた魔法使いであれば、なにかすごい魔法で発見したということなんだろうか?)
あとは知っている者──彼の母が仕えていた家の令嬢──などから聞き出すほかないだろうが、二人が線で結びつかない。
「なるほど……ならば……理解したわ。それであなたが聞きたいことは何?」
「はい。アインズ・ウール・ゴウン辺境侯に関して教えてください。警戒するためにも」
単なる平民にしか過ぎない彼にはもはやどうしようもない相手のように思えた。いや、フールーダという人物を送り込むほどのできる相手なのだから分かりきった結論ではある。それでも危険はできるだけ避けたいし、知らないよりは知っていた方が賢い。
「分かったわ。ある程度のことは教えてあげる」
◆
アインズ・ウール・ゴウン辺境侯の話を聞き終えたジエットが一礼をすると部屋を出ていく。
扉が閉まり、少ししてからフリアーネは息を吐き出した。
まさかこんな話になるとは思わなかった。
それが彼女の真なる思いであった。
「ジエット君との付き合い方を変えて方がいいんでしょうけど……」
どちらに変えた方が賢いのかが分からない。
辺境侯に恩を売る形にするのがベストなのだろうが、狙いが掴めないために判断しかねた。
ジエットはフールーダを送り込んだのが辺境侯だろうと判断しているようだが、フリアーネは違った。別の何者かが間にいるとみなしていたのだ。
「だって……あまりにもバカっぽいじゃない」
フールーダを同じクラスに、それも生徒として、しかもそのタイミング。あまりにも物事を考えていない人物のように思われたのだ。
「でももし、かの辺境侯であれば……別の狙いがある?」
鮮血帝と称される英才が、辺境侯を警戒しているという噂は大貴族で流れる信憑性の高いものだ。そしてその噂は辺境侯の持つ軍勢でも魔法の力でもなく、恐れているのはそのあり得ざる叡智だという話で結ばれていた。
それほどの人物が自分やジエットで読み切れるような手を打ってくるはずがない。
「……私だけでは無理だわ。お父様とお兄様に相談してみないと……」
はぁ、と息を吐き出し、フリアーネは室内を見渡す。
もちろん、誰もいない。しかし、誰かがいるような嫌な感じ──辺境侯がこちらを窺っているような気分を抱いたのだ。
あり得ないのは分かっている。
辺境侯ほどの存在が、自分のような小娘まで監視しているはずがない。しかし、一度覚えた不安は消えないのもまた事実であった。
フリアーネは視線を動かし、扉を向ける。
ジエットに話した辺境侯の話は一部を故意的に喋らなかったものだ。
「……教えることのメリットが判断できない以上……語るべきではないでしょうけど……」
アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。
その本当の姿──アンデッドに類似する存在であるということを。
その正体が帝国内上層部に知られることによって、様々な者たちが、多様な目的を持って動き出しているということを。
そして──
「神殿関係者を中心にした敵対派閥が生まれつつあること……」
◆
生徒会室を出て、廊下を歩く。
前を見据えながら真っ直ぐに歩を進めていたが、その姿勢とは裏腹に、ジエットの頭の中はかなり混乱状態だった。
フリアーネから聞いた辺境侯の情報。
帝国で現在最も力のある貴族。軍事力、個人武力、叡智、財力を保有し、想像を絶する美姫を幾多も従えた人物。
そんな頂に住まう人物が、自分に興味を持っている可能性は高いという事実。
「そんなにこの眼に価値があるのか?」
頂に立つ人物がジエットを気に入る理由などこれぐらいしか心当たりはない。
しかし──
冒険者であれば役に立つかもしれない。警備兵なら、門の警備なら──。
それが彼を導いてくれた女性の言葉だった。
実際、他の人々が持つ雑多な能力よりは有益なものかもしれないが、それほど効果的なものではない。彼女の言ったように何かを守るような職に就くのであれば、非常に役立つ能力だろう。しかし、それ以外という面では微妙としか言えなかった。
大体、幻術の看破はアイテムや魔法でもどうにかできるもの。彼の能力は非常にレアなものだというわけでもないのだ。
初期費用の投資などが必要ない程度にしか過ぎないと、ジエットは今まで考えてきていた。多少の付加価値がある程度だと。
だからこそ納得がいかなかった。単なる学生にあれほどの金額を提示する以上、初期費用の軽減などの理由ではないはずだ。
「……実は幻術の看破はこの眼の能力の一面でしかなく、隠された──もしくは本当の使い方があるとか」
先ほどちらりとフリアーネに言ったことだが、ジエットは繰り返しその可能性について考え、吹き出してしまう。どこかの英雄譚で歌われそうなネタだと思って。だが、あの時に感じたやばい案件というのは正確なところを掴んでいたのかもしれない。
どんな狙いがあるのか情報が集まった段階でも、さっぱり見当がつかないという辺りが。
ジエットは「はぁ」とため息を吐き出し、頭を軽く振る。そして脳内からひとまずは辺境侯のことを追い出そうと腐心した。
推測しても答えはでない。だからジエットはひとまずは忘れることにしようと。
それよりもしなくてはならないことがあるのだから。
そのまま廊下を歩いていると、前方の角の辺りが騒がしいことに気が付く。
視界が通らないために何が行われているのかは不明ではあったが、複数人が揉めている気配が伝わってくる。それも決して良好な感情によるものではない。
どうするか、とジエットは考える。
このまま進むと厄介ごとに巻き込まれる可能性は高い。しかし、いちいち遠回りして教室に帰るというのも面倒だ。大体、自分に関係ないだろう面倒で、なんで自分が割を食わなくてはならないのか。
ジエットはある意味、頑固な子ども的な考えを持って、足をそのまま前に進める。一応、念のため、大きく角を迂回するようなコースを取るのは最低限の防衛だ。
ただ、責めているのが男の声で、責められているのが女の声でなければ踵を返したかもしれなかったが。
そしてジエットが角を曲がろうとした瞬間、そのタイミングを計っていたかのように、少女──ジエットと同年齢ぐらいだ──が倒れてきた。大きく迂回していたために、助けることはできなかったが、あまり力が入ってなかったようで、少女は尻もちをついた程度ですんだ。
ジエットは険のある目で何をしているのかと睨む。
そこにいたのは4人の男──彼らはジエットよりも年齢が上に思われた。そして倒れた少女。
見覚えのある者は誰一人としていない。
男たちもジエットと同じように鋭い視線を送ってくるが、別に恨みがあるとかでなく、とっとと失せろ的な意味合いを持っているのが読み取れた。
ジエットは視線を動かし、床に座ったままの少女に向ける。そして青い瞳と交差する。
怯えたような瞳だ。
それがジエットが最初に思ったことだった。
容姿は整ってはいるが、おどおどとしたところがあるためか、暗いイメージを最初に擁かせる。濡れたような瞳がそれをより一層強めた。雰囲気的には貴族というよりは平民という感じがする。
対して男たちは貴族的な雰囲気を宿していた。
「……なんだよ、お前。とっとと行けよ」
顎をしゃくって廊下の先を示す男にジエットは低い声で問いかける。
「……お前ら、何してんだ?」
その声に含まれた感情を認識した男たちが、嘲笑うような顔をする。一部の貴族たちが平民に向ける、良く見馴れた表情だ。そしてジエットの非常に嫌いな表情でもある。苛立ちが憤怒に変わるが、それはまだ表に出さない。できる限り抑え込む。
とはいっても、平民であるジエットの演技など、貴族らしき彼らからすれば容易く見破れるものでしかないだろう。
「お前には関係ないだろ? 違うか?」
男の一人の言葉に、ジエットは内心で頷いてしまった。
(おっしゃる通りです)
確かに関係はない。ここで面倒ごとを抱え込む必要なんてこれっぽちもない。ただでさえ厄介ごとを抱えている身だ。これ以上のしょい込んだら潰れてしまう。
それに学院という場所にあっても、社会のしがらみはついて回る。例えば、この少女の肉親が、この男たちの家に仕えているなどのなんらかの関係があった場合、横から口を挟む方が迷惑となる可能性だってある。それにこの男たちが大貴族の子息である場合だってあるだろう。
小さな親切、大きなお世話になりかねない。
ならばここはどう出るのかが正解か。
容赦なく見捨てるべきかと迷い、ジエットはチラリと少女の様子を窺う。
救いを求めるようなおどおどとした姿が、幼馴染──ネメルに被さるような気がした。
だからこそ決心する。
いつでもそのまま歩き出せるようにしていた姿勢を変え、真正面から男たちを睨む。
「関係なくないな。同じ学院の仲間だからな」
「はん! 試験メンバーでの打ち合わせに外部の奴が口出しすんなよ」
「これが打ち合わせだというのか?」
「そうさ。いろんな打ち合わせの方法はあるもんだからな、な!」
男の低い声に、女の肩が震える。
その姿はどう見ても強制されたものだ。
ジエットは舌打ちを一つ。それもはっきりと聞こえるように、だ。
男たちがはっきりとした敵意を浮かべる。一人だけ、じっとこちらを観察するような男がいるが、あれがリーダーなんだろうか。
(……しかし、貴族の割には浅い奴らだな)
ジエットの知っている貴族は大概が感情を隠すのがうまい。それも上の家柄であればあるほど。
そういう意味では彼らはそれほど高い貴族家の人間ではないのだろう。
「てめぇ、調子に乗るなよ」
一人の男が拳を握りしめると一歩前に出る。分かりやすい態度だ。ジエット的には非常に好感が持てる態度でもある。というのも権力や財力、家柄などで来られるよりも分かりやすいためだ。
ジエットも拳を握りしめる。
状況は最悪だ。運の悪いことに周囲には中立的な立場の観客がいない。喧嘩すれば一方的に悪者にされるのは確実だろう。
(また、あのお方の力を使うのは……)
ワイルドカードをジエットは持っているが、それを切った場合、後ろにいる人物、アインズ・ウール・ゴウン辺境侯に大きな借りを作ることになる。
先ほどまでの無知な頃であれば使用しただろう。ばれなければ問題ないと。
しかし知ってしまうと迷ってしまう。
伝説級の大魔法使いの名を出せば、それが真実か情報を求める者は確実に出てくる。そうなれば大貴族の中の大貴族である辺境侯の耳に届くのは確実だろう。そこから芋づる式でジエットのところまで行き着くだろうし、ジエットがフールーダの名前を使用したことも掴むだろう。
フールーダという人物の名前を使用することは、蜘蛛の巣で暴れるようなもの。
おぞましく恐ろしい巨大な蜘蛛が動き出す可能性は高い。
しかし──
座り込んだままジエットをじっと眺める少女の様子を窺う。
両手を組んだ姿勢は、まるで神に祈りを捧げるようでもあった。
覚悟を決めたジエットはせめてもと思って、先に殴らせる覚悟を決める。一発殴らせてからカードを切った方が効果的だからだ。
「……おい。ちょっと待て」
一触即発の状況下、先ほどのこちらを観察するような視線を送ってきた男が静止した。
やはりこの集りの中では力が強いらしく、ジエットに向かって歩き出そうとしていた3人の男たちの足は止まる。
「オーネスティ」
「は、はい」
返事をしたのは少女だ。
「お前から言ってくれないか? これは私たちの話であって、部外者には関係がありませんって」
「っ!」
ジエットは苦々しげに顔を歪め、男はにやりと勝ち誇ったように笑う。
「え、え、あの」
少女は目をきょろきょろと動かし、周囲を伺う。それから下を向いた。髪によって顔が隠れる。
(やられたな……)
少女が関係ないと言ってしまえば、そこで終わりだ。しかし、少女は口を開こうとしない。そういう性格のためとも、少女が嫌がっているからだと取れる沈黙だ。
そんな少女にリーダーらしき男が苛立ちを隠そうともせずに、低い声で語りかける。
「お前みたいな役立たず、誰がチームに入れると思うんだ?」
「……俺が、俺たちがいる」
「お?」
ジエットはここが攻め時だと判断し、優しく語りかける。ここで手を取ってくれなければ終わりだ。
「ちょうどよかった。実は俺を合わせて3人しかいないんだ。君が入ってくれると嬉しいね」
少女が驚いたようにジエット見上げた。青い瞳が大きく見開かれ、その中に自分が写っているのが見えた気がした。瞳に宿る煌めきはすぐに黒いものに覆われていく。
「あ、で、でも。私は役に……」
「おい!」
怒鳴る男を無視しして、ジエットは再び優しく少女に語りかける。
「3人なんだよ。メンバーが集まらなければそれで終わりだ。君が入ってくれるだけで、ほら、役立たずじゃない」
そして手を出した。
「いつまでも座ってないで立とうよ」
「おま! そんな役立たずに!」
「なぁ、ちょっと黙れよ。俺は彼女と話しているんだからな。君は役立たずなんかじゃないさ。さぁ」
迷った彼女が自分でその手を取る。女性の細い手だ。貴族のような綺麗な手ではなく、ざらざらとした平民の手だ。
彼女の意思をしっかりと握りしめ、ジエットは彼女を引っ張り上げる。
「それで、俺のチームの仲間に何か用があるのか?」
後ろに隠し、男たちを睨むと、男の一人が大きな舌打ちをする。
「そんな役立たず連れていって後悔すんなよ?」
「しないね」
ジエットはざっくりと言い捨て、彼女の手を引いて歩き出した。
◆
「あ、あの助けてくれてありがとうございます」
男たちと離れ、歩き出してから少しして彼女が話しかけてくる。勇気のないようなおどおどとした話し方だが、声が小さいということはない。ただし話し方が早く、抑揚がないためにちょっと聞き取り難いのも事実ではあった。
「いや、さっきも言ったんだけど、メンバーが足りてなかったからこっちとしても助かるんだ。ただ……あと一人がいないんで、もしかすると助けたんではなく迷惑をかける結果になるかもしれないんだけどな」
ジエットはおどける様に肩を竦めようとして、自分が今でも彼女の手を引いていることを思い出し、握りしめた小さな──体温の高い手に羞恥を感じた。
ジエットたちと同じように廊下を歩く生徒たちに好奇心や嫉妬に満ちた視線がこの時になってようやく気が付く。一体、どれぐらいの間、こうして歩いてきてしまったか。
「あ、ごめん」
慌てて手を放すと、少女が少し寂しそうな顔をしたのはジエットの気のせいではないだろう。
少女はジエットが掴んでいた手を胸元まで上げると、もう片手で抱きしめる様にする。それはそこに何か大切なものがあるかのようで。
ジエットは自分の顔が赤くなっている気がしていた。周囲からギギギと歯の軋むような音が聞こえた気さえする。
「いえべつに悪いことなんかなにもないです」
「あ、うん。あり……がとう。それで……あー、名前を教えてもらえるかな? 俺あー、私はジエット・テスタニア」
「私はオーネスティ・エイゼルです」
聞いたこともない名だ。
学院がある意味コネクション作りなどにも使用される関係上優秀な生徒の名はよく知れ渡る。見たことがなくても名前は知っているということが起こるのだ。
しかし、彼女の名前はジエットは聞いたことがなかった。
だからジエットは自分の教室などを教えるのと同時に、彼女の教室などを聞き出す。そしてさりげなく、彼ら──先ほどの男子生徒──の関係を聞いてみる。
非常に早口ではあったが、要約してみると
彼らは同じクラスの生徒で、友達がいなかった彼女をチームメンバーにしてくれたということ。それで色々と嫌なことをされて困っていた。
そんな話だった。
色々という所で非常に暗い表情をしたので、深く通級することはできなかったが、ジエットは腹の底から苛立ちを抱く。
それと同時に、チームをどうにかして作り上げないとまずいと強く決心した。もしチームメンバーの数が足りず、解散ということにでもなかった、ジエットやネメルよりオーネスティが非常に厄介になることは予想できる。
そしてもう一つ大事なことは、彼女をフールーダに紹介することだろう。
自分の一存で決めてしまったが、フールーダが否定的な意見を発した場合が厄介だ。しかし、本当に辺境侯がジエットを欲しくて、フールーダを送り込んだのであれば、ある程度は引いてくれる可能性が高い。
ただしその場合は辺境侯から恩を買う形になるが、それはあそこで彼女を見捨てられなかった以上、仕方がない出費であろう。その額が小さいことを祈るしかないというのがあれなのではあるが。
「それでちょっと時間を割いてもらっていいかな? 実はあとの二人が教室にいるはずなんだ。よかったら来てほしいんだ」
「あ、わかりましたいえ私のほうこそ行かせてくださいよろしくおねがいします」
フールーダを見た時、彼女はどんなことを思うのだろうか。
◆
答え。
ぎょっとして目を見開く、だ。
当たり前の反応だといえよう。誰もが知る偉人が教室にいれば驚愕に目を見開くだろうから。
「あのえっとうそですよねなんらかの幻術だとしたらまずいですよ一部の偉人を幻術などで生み出すのは罰則があったはずです」
教室に戻ってくるまでの会話に倍する速さで、オーネスティが濁流のごとくジエットに話しかける。
学食で見たり、噂に聞いたことがないのだろうか、と疑問を覚えるが、知らない者がいてもおかしいことはないとジエットは納得する。特に彼女のように知り合いが少なそうな人物であればあり得る話だ。
「いや、違うから。あれご本人だから」
「……!?」
目を白黒させているオーネスティを無視し──相手にしていたらいつまでも話が進まない予感を覚え──こちらを伺っている二人に話しかける。
二人とはもちろん、フールーダとネメルだ。生徒会室に向かう前、打ち解けてもらおうとネメルを教室に呼んだ結果だ。
残念ながら二人の間にある空気は、打ち解けたといえるほどの軽いものではない。それにネメルの背筋はピンと伸び、顔は微妙に引きつっている。それでも初めて会った時よりも、遥かに慣れた気配があった。
「戻りました、フールーダ様」
「お帰り、ジエット君。ところで君の後ろにいるのはどちらかな?」
「はい。私たちのチームに入れようと思う少女でオーネスティ・エイゼルと言います。入れてもよろしいでしょうか、フールーダ様?」
「私は君が良いというのであれば構わないとも」
ジエットはオーネスティの腰を押し出し、フールーダの視線の前に出す。
「あ、あのかのフールーダさまにおあいできこれ以上の喜びはありません!わたしのなまえは紹介にありましたようにオーネスティ・エイゼルと申します凡才の身ではありますが同じ班としてフールーダ様に失礼が無いように頑張りたいとおもいます!」
「気にすることはない。それに同じチームとして助け合っていけばよいのだ。私に失礼がないように頑張るのではなく、このチームで良い結果が出る様に頑張っていこうではないか」
「は!っはひ!」
ペコペコと頭を下げるオーネスティから幼馴染に視線を動かし、違和感を覚える。
見馴れた幼馴染であるはずなのに、別人のような感じを一瞬だけ感じたのだ。そんな気配は瞬き一回程度で薄れ、そこにいるのは何時ものネメルだった。
「オーネスティ。あっちがネメ──」
そこまで言いかけた時、後ろでドアが開く音がした。
振り返ってみると、見たことの無い少女が入ってくるところだった。顔立ちはごく普通であり、長い金髪をサイドテールで持ち上げている。そして一直線にジエットたちの方に歩いてきた。
「私の名前はナーベ。あなたたちのチームに入りに来たの」
それが少女──ナーベの第一声だった。そして彼女は指に嵌めた指輪を外しだす。それがどんな意味を持つかはさっぱりジエットには分からなかった。
(もしかして金銭とかでお願いするつもりか? でもそれをフールーダ様の前でするか?)
平民である彼に金銭を支払うことでフールーダと同じチームに入るという寸法だ。しかし、それを皆の前でする考えが分からない。
目を思わず点にする中、ぶっと吹き出す音がする。音の発生源に視線を動かしたジエットはあり得ないようなものを目にした。
かの大魔法使いが驚愕で目を丸くしていたのだ。
「反対意見がないと嬉しいんだけど?」
まるでほぼ確定事項のように告げてくる少女にジエットは直感する。
(フールーダ様の反応を考えると……辺境侯に関する人物と見たほうが正解かな? だったら……)
「いや、残念だけど、人数は埋まるかもしれないから難しいね」
ジエットの反対を受け、ナーベがぐるっと顔を動かしジエットを見据えてくる。この辺りでは珍しい黒の瞳に宿った感情は困惑なのだろうか。
「フールーダ様。どうしましょう、難しいとは思われませんか?」
「い、いや……入れても良いのではないかね? 私は彼女で構わないと考えるよ?」
「……フールーダ様がそうおっしゃられるのであれば、私も彼女をチームに入れることに賛同いたします。二人とも構わない?」
コクコクとまるで双子のようにネメルとオーネスティが頭を振る。
ジエットは自分の目論見通り事が進んだことに安堵した。
先ほど反対したのも、フールーダに聞いたのも、借りを返す的な意味合いでだ。つまりは自分はオーネスティをメンバーに入れた。それに対してフールーダの意見でナーベを入れたということを明確にしたかったのだ。
(なんでこんなことまでいちいち考えているんだろう……。流れに身を任せて、行き着くとこまで行ってしまいたい)
魅力的な思いが頭の中を走りぬける。単なる学生に超大貴族とも言うべき相手と戦える力はないのだから、無意味な抵抗である可能性は非常に高い。しかし、それでも相手の狙いなどが明確でない以上、できる限りの深入りは避けた方が安全だろう。
ジエットは無駄な抵抗とは思いながらも努力する気でいた。
「そちらの四人で少し自己紹介をしていてくれるかね?」
フールーダはそれだけ言うと、教室の隅へと歩いていき、懐から取り出した板のようなものを操作しだす。そんな姿に軽く目をやってからジエットはナーベにいくつか質問をしようと話しかけるのであった。
◆
取り出した板には何の意味もない。マジックアイテムを操作していると演技をするための道具である。
というのもフールーダが離れたのは、彼に対する魔法──〈伝言/メッセージ〉が発動したためである。勿論。使用者は自らの師だ。本来であれば即座に反応したかったが、彼らの前では少々問題だろう。師の言葉は頭の中で響くが、こちらの声は口に出す必要がある。
無音でやり取りできる魔法の開発が色々なところから望まれてもいたが、そんな魔法が作られたかどうかはフールーダも知らないところだ。
頭を下げたくなる気分を抑えて、フールーダはアインズと連絡をつける。
「師よ」
『うむ、フールーダよ。ナーベラルを送ったのだが、これで四人揃ったわけだな?』
「いえ、五人揃いました」
『……え?』
「──え?」
暫し──まるで空間が凍結したかのような静寂が広がった気がフールーダはした。いや、もしかするとあり得ないようなことかもしれないが、実際に凍結しているのかもしれない。〈伝言/メッセージ〉の魔法越しではあるが、常識外の力を持つ、自らの師ならばそれぐらいは可能であろうから。
というよりも師の力の限界は理解できない領域にある。もしかすると不可能がないほどなのではと思えるほど。
『い、いや、人数が揃ったのか?』
「は、はい。師がナーベ……さまを送って下さったおかげです」
少しだけ前もって教えてくれればもっとうまく演技できたのに、と心の中で声が上がるが、そんなことを師に告げれるはずがない。
もし何らかの理由があって、緊急事態で送り込んできたのであれば、そこまで読みとれない自分の馬鹿さ加減を伝えることになる。他にも自分の行動に対するお目付け役だという可能性だってないとは言い切れない。
(優れた叡智をお持ちの師のお考えだ。なんらかの理由があってのことだろうしな)
『……四人ではなくか?』
「は、はい。幸運なことに一人、その前に参加しまして」
『そ、そうか。そそれはよかった。心配していたのだぞ?』
「心配していただき、ありがとうございます。ですがこちらは何とかなりそうです。お世話をするナーベ様を御貸出しいただき感謝に耐えません」
『う、うむ。そ、それでは頼んだぞ』
あまりにも異様であった。
冷静沈着であり、全てを見通すほどの存在。巨大な魔力を身に宿し、恐れる物は何もないとも思える師が動揺らしきものを浮かべたのだから。それも話していてわかるほどの、だ。
(どういうことだ? 何があった?)
考えられるのは想定外の何かが起こったということ。しかし、かの超越者が動揺するほどの異常事態など単純なことではないだろう。では一体、何があり得るというのか。
フールーダは脳を全力で回転させる。
幾多の案が生まれ、即座に破棄される。アインズ・ウール・ゴウン辺境侯という超越者が動揺するほど何かが浮かばないためだ。
フールーダは基本に戻って考える。すると一筋の光が暗雲から差し込んだ気がした。
「もしや……」
四人ではないということに驚いていたということは、たった一つしかあり得ない。
「つまりは五人目に何かがあるということですな……」
それが何かは不明だが、そうとしか考えられないだろう。
フールーダがちらりと視線を動かすと、ジエットの連れてきた少女──オーネスティの視線と交わる。たまたまこちらを見ているだけという態度ではあった。
フールーダも普段であればそう感じただろう。フールーダという帝国でも名の知れた魔法使いに対して、好奇心の視線を向けることはごくごく当たり前のことだから。
しかし、先ほどの師の態度を考慮すれば、それは別の意味でフールーダを窺っていたものだと明白に思われた。
流石は師。
フールーダは心の底から敬服する。
おそらくはこのタイミングで5人目が参入したことに、離れていたとしても何かを読み取ったのだろう。もし、あの態度がなければ、騙されるところであった。もしかすると〈伝言/メッセージ〉解除後に廊下を走る音が聞こえたような気がしたが、それも何か関係があるのかもしれない。
ならば問題は一つだ。
(一体、正体は何者……。しかし、師が動揺されるほどの相手だとすると……あり得ぬとは思うが法国の人間……か? 魅了などの魔法で情報を収集するのは危険か。出来る限り深入りは避け、様子を窺うとしよう。もしかするとナーベラル様を送ってこられたのも……? タイミング的に先手を取られたから驚かれたのか? とすると相手は師に対する叡智の……ここは恥を忍んで、師に……いやデミウルゴス様に聞いてみるとするべきか……)
◆
静かな庭園に人の気配はない。時間によっては噴水が起動音とともに水を撒く──魔法のアイテムによる働きだ──のだが、その時間ではないようで、目の前の噴水は静かなままだ。
はぁ、とランゴバルトはため息を吐き出す。
今の自分の立場があまりにもまずい状態で。そしてそれ以上に自分が逆に追い詰められるという事態に嘲笑を浮かべてしまう。
ランゴバルトは先ほど昇級試験のメンバーを追い出されたのだ。彼がリーダーを務めているチームを追い出された理由は非常に簡単だ。
彼がジエットたちとやりあっていることはチームの仲間も知っていた。だからこそランゴバルトがフールーダの怒りを買うのでは、と恐れたのだ。そして自分たちにも降りかかってくるのではないかと。
そんな彼らの取った行動はランゴバルトをチームから切り離すという行為だった。
不快ではある。
苛立だしい行為である。
しかし、貴族であれば当たり前の行為でもある。
ランゴバルトは側室の子供であり三男だ。
家を継ぐべき長男は魔法の力こそは有していないものの、なかなか優秀な人物であり、ランゴバルトに家の相続が回ってくることはあり得ない状況だった。そんな彼が家の力を使えるのは、一概に他の兄弟たちが魔法の力を使えないために、そちら方面で家の強化に?がると判断されているためだ。
そんな彼が魔法面で役に立てないと判断された場合、家の力を一切失う事態となるだろう。勿論、そうなる可能性は非常に低い。幸運なことにランゴバルトは魔法の才を持っていた。それもかなり高いものを。就職先に困ることはないだろう。
ただし、フールーダと敵対したともなれば、就職先があるとは思えなかった。
この学院には貴族たちが多く在籍する。つまりはランゴバルトの現状は、貴族たちに流れ、様々なところに流れるだろうから。
いや、就職先がない。それで済めばいい。場合によっては家に迷惑を与えたと見なされ、最悪のパターンではあるが殺される可能性だってある。
そう、そんな未来がないと誰に断言できるだろうか。
「……噂が広まれば、敬遠する人間が増えるだろうから……今までのコネクション作りが全部瓦解するだろう。そうなると誰かに協力を仰いでというのも難しいか……」
新たに昇級試験のメンバーを集めることは難しい。落第などしたらもはや完全に自分の立場はないだろう。
八方ふさがりであり、現状を打破する手段はない。
そこで再びため息を吐き出し──もう一つのため息を重なる。
ランゴバルトが視線を動かせば、そこには一人の青年がいた。
平凡な顔立ちは品がなく、貴族の血が流れているとは思えなかった。それにランゴバルトが必死になって覚えた、自分の家と同程度の貴族家の学生リストには載っていない容姿だ。
平民だろうと判断し、自分のすぐ近くにいることに多少の不快感を覚える。そしてそんな自分を嘲笑する。
平民の学生と今の自分。どちらの方が立場的に優れているのだろうと思って。
「……ほら」
ぽつりとその青年は言葉を零す。
「憧れていたんだ。危ないところを助けて、手を差し出してくれるような人物に。だから……タイミングが悪かったんだろうな。チームに参加できなかったのは。数がいるのに俺も入れてって……かっこ悪いものな。彼女に内緒にしていたのは良かったのか悪かったのか」
何を言っているのかはさっぱりわからない。彼も自分に教えたくて告げているのではないだろう。
ようは独り言の類だ。思わずこぼしてしまった言葉でしかない。しかし、そこには深い何かが籠っていた。
ランゴバルトには話の全貌は分からなくても、彼がおそらくは昇級のためのチームに参加できなかったというのは理解できた。
「チームを組んでくれる者に心当たりはないのか?」
青年が一瞬だけ息を飲んだようだった。それから水の出ていない噴水をぼんやりとした顔で眺める。
「いないな。ここでもいない。メンバーに心当たりは。だからもう帰ろうかな、と思って」
寂しげに青年は告げ、その声にランゴバルトは閃く。
そして考える時間もなく、ランゴバルトの口を動かした。普段であれば少しはメリットとデメリットに関して考えただろう。しかし、この瞬間だけはそんなことをしたりはしなかった。おそらくだがその理由は二つだ。
一つは言うまでもなく、これからメンバーを組む心当たりがないため。
そしてもう一つは自分が今の立場になって、同じであろう青年の思いが理解できたためだ。
「もし後がないなら……私と組まないか? ……私と組むと非常に厄介ごとに巻き込まれるだろうけどな。それでも良いというのであれば……組もう」
数秒か。それ以上の時間かもしれないだけの静寂が流れ、青年は一つ頷く。
「それも悪くない。これで帰ったら……あまりにも悲しいものな」
「そうか、それは良かった。では名前を聞かせてくれるか? 私の名はランゴバルト・エック・ワライア・ロベルバドだ」
「あ、私はモモンだ。よろしく頼む」
謎の転校生モモンさんの「何をしたんだ、貴様!」「なんてすごいことを!」などの話は、裏なのでダイジェストでお送りします。こっちの方が面白いけどな! 気が付くと闘技大会に優勝していたり、奴隷を買っていたりします、きっと。
あと、webのナーベラルさんは、書籍のナーベラルさんよりもまだまともです。より正確に言うと演技できます。人間軽視を隠せるというか……。あっちのナーベラルさんはダメだと思う。でもどっちにしても隠し事とか裏がない分、可愛いかもしれない。
久方ぶりに書いたけど、設定では彼女は口調はざっくりなんですね。こんなところから書籍とは違ったりします。
あー疲れた。1日で8kとかは色々とすり減ります。
次は8月……無理じゃね?