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学院-2


 静まりかえった教室内に、教師が黙々と黒板に文字を書き込む音が響く。

 張りつめた空気を支配しているのは緊張感。

 授業に集中しているようであって、してはいない。なぜならば全員の注意はたった一人の生徒に向けられている。目を向ける者はいないが、それ以上に針のごとく研ぎ澄まされた意識が向けられている。

 そこにいるのは新たな学友と素直に認めることが難しい一人の男。いや老人というべきか。

 フールーダ・パラダイン。

 二百年以上とも言われる時を生きた、帝国最強の魔法使いにして、幾多の伝説を持つ偉人。

 彼の偉業をこの学院で知らない者はいない。

 帝国史を紐解けば幾たびも出る名前であり、魔法史を書いた物であれば最初のページに必ず賛辞と共に名前が載っている人物だ。入学して一週間以内読むのは確実であり、このクラスの誰もがそうであった。

 そんな人物をすぐ近くに迎え、緊張しない人間がいるはずがない。


「……ということになります」


 一通り文字を黒板に書いた教師はくるりと振り返ると、フールーダを正面から見つめる。


「何か問題があったでしょうか? パラダイン様!」

「……問題ないな」

「ありがとうございます! では次になります」


 ぺこりと頭を下げる――それも九十度ぐらいは頭を下げる敬礼だ――と、再び教本の説明に入る。

 この教師は普段であれば誰かに教本を読ませるという授業を行うのだが、今日に限っては一度たりとも誰かに読ませようとはしてなかった。それどころか質問すら投げかけようとはしない。

 一人で説明し、一人で本を読みあげている。それも教本通りの決して脱線のしない授業を。

 ある意味、教師の独り相撲だが、ジエットを含め教室内の一人の人物を除き、誰もが感謝の念を送る。もし仮にフールーダの前で質問に答えられなかったときはどうなるというのだろうか。

 即座に魔法学院を退学になる可能性が無いとは決して言えない。

 彼自身がそういった行動をしようとしなくても、偉人が眉を片方でも顰めれば、それは色々な責任問題に派生する可能性だってある。生徒を退学にすることで問題をもみ消せるならば、それぐらいしかねない怖さがある。

 ジエットは額に浮かぶ冷や汗を拭う。

 そんな簡単な行為一つでも、信じられないほど精神力を消耗させる。

 横目で窺えば、教室内の生徒たちの幾人かの顔色は悪い。


(誰か倒れるかもな)


 ジエットがそう考えたあたりで、再びある程度黒板に文字を書き込み、説明を終わらせた教師は振り返る。


「……ということになります。何か問題があったでしょうか? パラダイン様!」

「……ふむ、問題はない。非常に教科書通りの説明だ。しかしながら強いて言うのであればその変換方式には無駄があるので、第四位階より上位の魔法を使用するのであれば、もっと別の式を組み込んだ方が良いと思うな」

「も! も、も、申し訳ありません! わ、私の無知をお許し下さい!」


 ガクガクと青白い顔で教師がペコペコとフールーダに謝る。

 その姿はあまりにも哀れみを誘った。

 悪い教師では全然無い。それどころか非常に親切で詳しい説明を行ってくれる教師だ。大体第四位階など普通の魔法使いには到達不可能な領域。その領域での話を基本でされてはどうしようもない。

 哀れんでしまうのは無礼だろう。しかし、生徒達はそうとしか思えなかった。

 しかしながら流石のフールーダも同じような感情を抱いたようで、手でそれを差し止める素振りを行うと口を開く。


「そ、それほど謝罪することはない。私はあくまでも一介の生徒。何かする度に問いかける必要は一切無いのだ。そうだ……普通の生徒として扱ってくれれば問題ない」


 出来るわけないだろ!


 ジエットは心の内で叫び、そして教室内の全学生が同じ思いを抱いたと確信を持って言える。いや、きっと教師だってそう思ったはずだ。

 帝国における伝説の魔法使いに教科書を読ませることが出来るだろうか?

 かの魔法の深淵をのぞき込む偉人に簡単な質問を投げかけるだろうか?

 ましてや授業に集中しなさいと叱咤することが出来るだろうか?


 では同じ学生として、帰りにどこかによらないかと誘うことができるだろうか?

 昨日の宿題難しかったよな、と話しかけられるだろうか?

 今度のテストは俺の方が成績良いと思うぜ、など言えるだろうか? 


 絶対無理だ。

 ジエットはそして教師、生徒は全員が自信を持って断言出来る。

 何かが引っくりかえろうが──彼がここにいるということが既に引っくり返っている気もするが──そんなことが出来る人間がいるはずがない。出来るはずがない、と。

 もしそんな事が可能なのは非常に無知な人間か、はたまたは狂人の類である。


 そのまま、授業は進み、鐘の音色が引いた辺りで教師は精も根も使い果たしたように、がくがくと崩れ落ちる。汗が流れ落ちる顔に浮かぶのは、やりきった漢が浮かべそうな見惚れる爽やかな笑顔だった。

 そんな男の口が小さく動く。


「終わった」


 ジエットは別に読心術を有しているのではない。本日、今までの三人の教師が指導してくれたが、全員が全員同じ言葉を呟いていたためだ。


「で、では……これで授業を終わりにします。ご静聴、ありがとうございました」


 教師が感謝の礼をする。

 もちろんジエットたちに向けたものではなく、フールーダという伝説の魔法使いに、だ。


 ◆


 休み時間にもなれば、他のクラスから友達に会いに来る者もいるだろう。しかし誰一人として扉を開けて入ってくる者はいない。これはこの時間だけではない。今までの時間――フールーダという人物は級友になってからだ。

 それどころか、喧噪すら聞こえてこない。まるで扉が数百センチの鉄板で出来ているかのように、周囲の教室からも声が聞こえてこなかった。ただし、誰もいないはずがない。

 廊下を本当に静かに歩く気配のような者はあるし、隣のクラスで出入りする微かな音が聞こえる。

 しかしまるで何かに怯えるようにすべての者たちが息を殺している。

 本来であれば昼食の時間であり、一日の中で最も活気に満ち満ちた時間だ。だが、そんな雰囲気は皆無であった。食堂に行きたいという気分はあっても、それを行うだけの勇気は何処にもない。現状が変化することのみを静かに待つだけであった。

 静かに椅子を動かす音が聞こえる。

 その瞬間、緊張感が一気に高まる。誰もが動くことを望んでいたとはいえ、本当に行動を開始されると唾を飲み込んでしまう。


 立ち上がったフールーダは隣の学友に話しかける。


「さて、君」

「ハ、ハイ! 何でしょうか! パラダイン様!」


 ジエットはばっと立ち上がり、手を後ろに回して微動だにしないポーズを取る。

 そう、ジエットこそがフールーダの隣の席であった。

 当然そこはもともとは空席ではない。別の級友が座っていた席だ。それを押しのけて座るというフールーダの発言は、横暴という単語こそが最もふさわしいだろう。しかし、伝説の魔法使いの言葉に異を告げることのできる者がいるだろうか。

 凡人ではおよびつかないような、何か深い意味あって可能性だってある。

 それまでその席に座っていた者が、教室内の別の場所に移動するという運びとなったのは当然の展開だろう。


 フールーダが少しばかり苦笑を浮かべ、再び話しかける。


「……そこまで硬くならずとも良い」

「ありがとうございます! ですがこの格好でお願いします!」


 フールーダは白い髭を数度しごき、それからしょうがないという風に肩を竦めた。


「なんでも昇格試験というものがあるそうだが?」


 昇格試験と言われて昇級試験のことかと即座に理解する。しかし、訂正することは出来ない。出来るはずがない。思わず周囲で静かにしているクラスメイト達に視線を送る。

 誰か助けて、と。

 しかし誰一人としてこちらを見ている者はいない。全員静かに席に座り、瞑想にふけるかのように微動たりともしてなかった。普段であればふざけた行動で笑いを取る男も、服装や化粧などで騒がしくしている女も、誰も何も言わない。


 助けはない。


 全員耳を大きくしているはずなのに、誰一人として何か発言しようとかする者はいない。頭を抱えてしゃがみ込んでいれば、天災がどこかに行くと信じている子供のようだった。

 ジエットは一人で立ち向かう必要がある。


 覚悟を決め、問題に立ち向かう。

 まずはフールーダのミスを訂正するかだ。


(しない方が賢いだろうけど……)


 当たり前の答えにジエットは行き着く。

 だが、もしそのまま訂正しないで、後日真実を知った際、かの大魔法使いは不快に思わないだろうか? だからここは勇気をもって踏み込む。

 ブルリとジエットは震える。

 それはこれから行うことがどのような結果になるのか未知であったためだ。


「ハ、はい。知っております。昇級試験は近日行われる予定です」

「……ふむ、なるほど。昇級試験か。ではその試験なんでも幾人かで組むものだと聞くが……君は既に組んでいるのかね?」

「は…………はい! あの、一人だけおります!」


 ごめん、とジエットは心の中で謝る。巻き込んでしまった人物に対して。


「そうか……それはある意味ちょうど良いな」


 何がでしょう、などと聞くことはできない。そして次にフールーダが何を言うのかと固唾を飲んでいると、教室のドアがノックされる。

 授業中でもない教室のドアがノックされることはない。しかし、なぜ、ノックをしたのかというのは誰にだってわかる。

 このクラスにいる偉人に敬意を示してだと。

 ドアが開く。それの向こうにいた一人の女性が、頭を下げた。


「失礼します、パラダイン様」


 ジエットの位置からその女性の後ろにいた生徒も頭を下げているのが見えた。


「私、当学院、生徒会長をさせていただいております、フリアーネ・ワエリア・ラン・グシモンドと申します」


 顔を上げたその女性の面持ちには微笑みがあった。媚を売るのとは違う、心から浮かべた好意的な笑顔だ。

 その物怖じしない姿はまさにこの学院でも最も不可侵たる生徒会長に相応しい姿のように他の者たちからは見えたはずだ。しかしながらジエットからすると、今まで見たこともない女性が目の前に現れたようだった。

 それは大貴族令嬢という存在が姿を取った──なるほどと、ジエットは理解する。

 魔法使いとして伝説の魔法使い、フールーダ・パラダインの前に立つことは非常に気後れするのは当たり前だ。彼はそれほどの偉人なのだから。

 魔法使いとして学習を始め、10年程度の経験しか積んでいない子供が、数百年の経験を積んだ古老相手にまともな対応ができるはずがない。

 しかしながら貴族の令嬢であれと育てられているのは産まれた時から。ならば貴族として対応した方が気後れも少ない。それに大貴族の令嬢として様々な政治の化け物たちと遭遇した経験を活かすつもりなのだろう。

 そしてもう一つ。

 フールーダ・パラダインという人物は大魔法使いではあるが、貴族としては高い地位にはなぜか就いてはいない。一説ではフールーダという人物の能力を恐れてのためという噂があると、ジエットの読んだ眉唾系の書物に記載されていたのを読んだ記憶があった。


 そういった面も考え、相手の有利な土俵ではなく、不利な──もしくは自分に有利な土俵で戦うための武装だと予想できた。


「これはご丁寧に、御嬢さん」


 軽く頭を下げたフールーダにフリアーネは誰もが魅力的に思える笑顔を向けた。


「よろしければお昼をご一緒したいと思っております、どうでしょう。フールーダ様?」

「……できれば学友と一緒に食事をしたかったが……まぁ構わないか。では今日はご一緒させてもらうよ、御嬢さん」


 ちらりと生徒会長の目が動き、ジエットを見据える。その瞳に浮かぶ感情は、今までの付き合いの中で初めて読むことができなかった。優しげで好意的なものではあったが、決してそればかりに思えないものを直感的に感じれた。

 友人の知り合いの少年でも、学院の生徒に向けるものでもない瞳だった。


(これが……大貴族令嬢としての先輩の姿か)


 ジエットがまじまじと見ていると、それに対して軽く微笑んだフリアーネはフールーダを先導し教室から出て行く。


 扉が閉まり、それから三分以上が経過した頃、誰かのため息が聞こえる。それは心の奥底から漏れ出た、深い深いものであった。

 その瞬間、魔法が解けたとはまるでこのことを言うのかと思えるほど、見事に教室内の空気が弛緩していく。ぐにゃぐにゃになった生徒たちが机に突っ伏し、そればかりか教室内に横たわる者たちもいる。

 さらに数分ほどの時間を費やし、精も根も尽き果てたような生徒たちがヨロヨロと立ち上がる。

 緊張感から胃がむかむかしているが、食事をしないと午後の授業を耐えきれる自信がなかったためだ。


 学院では学生食堂による食事を勧めている。そのため、様々な面で生徒の負担にならないようにされていた。

 まずは貧しい家庭の生徒を考え、一般的なランチならば無料で飲食できるようになっていた。金銭がかかるのはより豪華な料理を注文した場合だ。

 次に魔法による毒感知などを行っているため、外から持ち込む弁当などよりは安全であることを保証していた。


 それらの理由あって、ほぼ100%に近い生徒たちが学食を使用していた。


 問題はたった一つ。非常にごった返すということだ。

 学年を隔てた関係を作り上げてほしいという学院の狙いがあって、学食はたった一つしかない。敷地自体は広いため、全生徒が押し寄せても席がないということはないが、流石に人気の食事は売れ切れてしまう。

 それらの理由で、昼食ダッシュなどが行われるのが基本となるのだが、このクラスの生徒でそれだけの気力をいまも持つ者はいない。どんな飯でも腹に入ればいいや、その程度の欲求しかもはやなかった。


 生徒の一人がヨロヨロと立ち上がる。

 それに釣られるように、くたびれ果てた生徒たちが動き出す。それはまるでゾンビの群れのようだった。そして勿論、ジエットもその一員である。



 ジエットは学食を手に、空いている席に腰を下ろす。

 それから大きく息を吐き出す。


「つかれた……」


 あまりの精神疲労で、食欲が沸かない。しかしこれを食べなくてはこれからが乗り切れない。

 ジエットはフォークを持つと、揚げた肉に突き刺し、口に運ぶ。

 肉体的な疲労であれば受け付けられなかったかもしれないが、今のジエットの疲労は精神的なもの。ニンニクを下味に使った肉が美味しく食べられる。


「あー、うまい」


 あー、うまい。あー、うまいなどと繰り返し呟きながら、パン、肉、野菜、水、パン、肉と三角食べの要領で食事を口にする。多少機械仕掛けにも似た動きではあったが、それは仕方がないだろう。

 本来であれば級友と一緒に食べる場合が多いのだが、隣に座る者は誰もない。というのも皆、できれば一人で食べたいらしく

、食堂に入った段階で無言で散っていったためだ。

 誰もが同じことを考えていた。


 できればクラスのことを思い出したくはない。せめて食事の時間ぐらいは、と。


 ジエットは胃の辺りを抑える。食事を食べたことによる負担以外の何かを感じたためだ。

 人は環境の変化に慣れる生き物だ。しかし、与えられた状況によって慣れるまでの時間は大きく変わる。


「それまでに胃が絶対に荒れるよな……」


 隣にフールーダが座ったジエットの負担はクラスの中でも、とびぬけているはずだ。おそらくはそれ以上のプレッシャーと戦っているのは教員ぐらいだろう。彼らの青白い顔は極度の緊張の中で戦っている戦士を思わせたぐらいだ。

 ジエットはため息を吐き出しながら祈る。せめてこの幸福な時間を噛みしめさせてほしいと。


 しかし、祈りは神には届かない。静かなひと時というのはそこまでしか許さなかったらしく、ジエットの向かいの席にかちゃんと食事を乗せたお盆が置かれる。

 料理を運んできた女生徒はニンマリと笑顔を浮かべる。


「やほー、ジエッちゃん」

「失せろ」

「ひど!」


 耳が少し出る程度のショートヘアをした少女は、一言で切って捨てられたことに対して、ショックを受けたらしき言葉を発する。しかし態度や表情にそれらの気配は一切なかった。口調もあまりにも軽い。

 実際、ショックを本当に受けるようであれば、たとえ疲れているからといってもそんな乱暴な口調で切って捨てなかっただろう。ジエットは先ほどとは違ってわざとらしく「はぁー」とため息を吐き出し、目を細めて眺める。


「何か用か、ディモイヤ? 今は疲れてるんで、あまり付き合ってられないぞ?」

「んー、ふふふ」


 女生徒──ディモイヤはワザとらしい笑顔を作って椅子に座ると、薄い色のついたメガネを持ち上げる。

 年齢の割に幼い感じのする彼女は決して、知的な雰囲気を持っていない。そのためか、子供が大人ぶっているような微笑ましさがあった。


「疲労しているんだー、ふふふーん」

「何がそんなに楽しんだ?」


 問いかけながらもジエットはその理由を薄々とは気が付いていた。将来、外務などの省に所属したいと願っているディモイヤは色々な情報を集めるのを日課としている。集まった情報を分析し、多角的に判断することが将来の自分の役に立つと信じているからだ。そのためにディモイヤは学院内の驚くような情報まで入手していることがある。

 学院内で情報屋的な活動をしているのは、その一環である。

 ジエットも実際、彼女に幾つか情報を求めたこともあり、対価としてディモイヤから情報を求められたことがあった。いうならば持ちつ持たれつの関係を作っているということだ。


「凄い情報を得ちゃってさー。それで確認に来たってわけ」

「ああ……話の中身に予想はつくが、言ってみろよ。どんな情報だよ」

「……フールーダ・パラダインが入学したっていう噂」

「事実だ」

「……なるほどなー。帝国最高の魔法使いが、学生にねー。笑っちゃうなー」


 ニコリとも笑わずにディモイヤは告げる。


「それでジエット。なんで、かの偉人は学院に入ったの?」

「しるか」ジエットは言い捨てる。彼だって答えを知りたい質問だ。「お前は何か聞いてないのか?」


 目を閉ざした彼女を見て、ジエットは「おや?」と思った。彼女のその行動は持っている情報と提供した場合のメリットを秤に乗せた際のもの。つまり何らかの情報を握っているということだ。


「……噂であれば、勧誘とか聞いているよ」


 その言葉は軽い脱力をジエットにもたらした。ディモイヤは確かに情報を集めるが、その全ての信頼性が高いわけではない。下手すれば単なるゴシップでしかない場合もある。彼女自身はそういった物の中に、宝石が埋まっているんだと口にはしているが──。


「はいはい、それは眉唾眉唾。というか完全な嘘だろ? 大体なんで学生なんだよ。特別教師とかで全然問題ないし、自分のところに呼びつけるのが普通だろ? というかあれほどの御方が直接動くような人間がこの学院にいるはずが……あ!」

「ど、どうしたのよ、ジエット。何か思い当り点でも?」

「いや……一人だけいたか」


 その人物が誰を指すか、ディモイヤにも理解できたようで、ポンと手を叩く。


「なるほどね。あの先輩ってわけ?」

「ああ、あの人であれば、動いてもおかしくはないよな。でも……今はもういないけどな」

「冒険者になったんだよね? あの学院始まって以来の天才。自主退学する際には第三位階まじかとまで言われていたんだっけ?」

「……そうだな」


 今なお、彼女の名前は学院内で木霊のように響き渡っている。現在この学院内の生徒、トップ三の誰もが「彼女にはいまだ到底届かない」と悔しげながらも認めるぐらいなのだから。


「第三位階まじかって……あり得ないよね。いや、嘘とかそういうんじゃなく。自分と同じぐらいの年齢の人が一般人の最高位階まで到達してるなんて……」

「お嬢様は本当に天才だったからな!」

「……今はどうしてるの?」


 憧れの女性に向けられた敬意に、自分のことのように喜ぶジエット。そんな彼にやけにディモイヤがつまらなそうに話を振る。

 彼女の心境の変化をこれっぽちも理解せず、ジエットは首を横に振ることで答えとする。


「そう。……まぁ、知っていたところでもう世界が違うか」

「言っている意味がよくわからないが……冒険者とかにはなれないな……。俺にはそんな勇気はないよ」


 冒険者。

 モンスターと戦うある意味、人の守り手だ。一攫千金を目指す者や食い詰めた者もいるが、全員に共通するのは強大なモンスターと戦うだけの覚悟をしているということ。もちろん、危険の少ない仕事を選んで受ける者もいるが、これは非常に例外的な部類である。

 ではそんな冒険者に自分はなれるだろうか、とジエットは考え、頭を振る。

 無理だ。確かに欲しいものはある。しかし、命を懸けて、とまで考えると尻込みしてしまう。


 そんな自分に勇気があるはずがない。しかし否定意見は目の前の女性から出た。


「そんなことないと思うけどね。ジエットは勇敢だよ」

「買い被りってやつだな、それは」

「……いや、そんなことあるんだよ……」


 小さな声で呟くディモイヤにジエットは眉を潜める。一体どうしたのか、何か心当たりでもあるのか、と疑問に思って。

 二人の間を微妙な沈黙が支配し──それが自分たちだけでないことに同時に気が付く。

 食堂内には奇妙な沈黙があった。

 見渡せば、ほぼ全員の生徒たちの視線がある一点にくぎ付けとなっている。

 その奇怪な静寂。緊張感が入り混じったようなそれはジエットの記憶に新しい。


「うわ、本物だ……」


 目の前に座る女性のその言葉がジエットの予想が正解だと告げてくる。ジエットはそちらに目を向ける。そこにいたのは三人の男女。一人はフールーダ。一人はフリアーネ。一人は学長である。

 学長はフールーダに似ているところがある白髪の老人だ。この国の魔法使いの年配者が大抵フールーダを憧れて髭を伸ばすように、学長もまた髭が伸びている。違うのは長く伸びているのではなく、下顎を覆うように綺麗に整えてあるところだろう。

 ジエットは噂話で聞いた「一部の年配者は髭をどのように整えるかを自慢している」という話を思い出してしまう。


「……ビッグスリー」

「ああ、まったくだ」


 ディモイヤの言葉にまさに思わずジエットも相槌を打つ。その三者を示して、それほど当てはまった単語はなかったためだ。この国最高の魔法使い、学院の生徒代表、教員代表の三者を。

 彼らは何かを話しながら食事を受け取り、歩き出す。


 そして──


「うわー」

「うわー」


 ジエットとディモイヤは同じ言葉を口から発する。ただしそれは本当に小さい。決して横に誰かが座っていたとしても聞こえない程度の大きさでしかなかった。というのもその三者が自分たちのすぐ横に座ったためだ。


 ジエットは思う。

 すぐにこの場を立ち去りたいと。幸運なことに自分の食事は既に終わっている。席を立ってもおかしいことは何もないだろう。

 ディモイヤもその考えに至り、ジエットの次の行動に気が付いているらしく、縋るような目を向けてくる。


(悪いな。これ以上胃が痛くなるような事はごめんだ)


 見捨てるということに罪悪感がこみ上げるが、クラスに帰ればまだ同じ地獄が待っているのだ。ここは許してもらいたいとジエットは心の内を目に宿す。

 それを鋭敏に読み取ったディモイヤが幼子のような表情を作った。

 見れば誰もが庇護欲を刺激される表情ではあったが、ジエットには通用しない。自分の表情が他人にどう思われるかを知っている女の態度だと、ある程度の付き合いの中で学んだためだ。


(しかし、相手が席に座ったタイミングで立ち上がるのは、失礼に思われないだろうか?)


 心配しすぎかもしれない。しかし、しすぎて損はないだろう。ならばどのタイミングで席を立つべきだろうか。

 迷うジエットに対して、ディモイヤが我好機を見つけたりといわんばかりの対応を取る。それは食事を食べるスピードが一気に速くなったのだ。

 その姿はジエットにとって天啓を得たようだった。


 彼女が食事を終わらせたタイミングこそ最高ではないだろうか。


 そう決めたジエットは彼女が食事が終わるまでと、隣で談話をする者たちの話を聞くとはなしに聞いてしまう。それはちょうど昇級試験の話をしていたためでもあったかもしれない。


「パラダイン様であれば昇級試験はパスということでも構いませんが?」


 学長にフールーダは苦笑いで答えた。


「それはまずいな。私は生徒としてこの学院に入ったのだ。それが特別な待遇で扱われてはいろいろと差し障る」

「パラダイン様ほどの方であれば、多くの方がチームに入って欲しいとお望みになると思われます」

「だろうね」


 その後に呟かれた「それが師のお望みであろう」という言葉は誰にも聞こえずに空中に溶けていく。

 フールーダは優しげな老人が浮かべそうな微笑みをフリアーネに向ける。


「それもまた好むところではないのだよ、御嬢さん。フールーダ・パラダインだからという考えでメンバーに入れてほしくはないのだ」

「ですが、この時期にもなりますと、メンバーが決まっていない方が珍しいぐらいです」

「だからこそ、少しばかり困っているのだ……」


 困惑しているとフールーダは眉を顰めた。

 ジエットは目の前の少女の瞳に悪戯な輝きを見つけ、目を細くする。


(食べる速度が遅くなっているぞ。くだらないことを考えないで、とっとと食べろよ。いや……もう先に行くか?)


「……やはり規則の一つに途中入学は認めないということを記するよう、陛下に進言した方が良いのですかな」

「それは分からないとも、学長。かつてその規則が作られなかった理由は飛び級する生徒や、優秀な生徒たちのことを考えてと聞いたことがある。私一人の所為で禍根を残すのは望むところではない」

「なるほど……」

「とりあえず、色々な者に声をかけてみるとしよう」

「かのパラダイン様から声をかけられるとは……その者はきっと喜ぶと思われますよ」

「そうかね、御嬢さん。そう思ってもらえると私もうれしいのだが」

「ところで……」


 ずいっと身を乗り出した学長の姿に、思わずジエットは横目ではなく、顔を動かして話をしている三人を伺ってしまう。しかしそれはジエットだけではなかったらしく、同じような姿を幾つも見かけることができた。


「パラダイン様にお聞きしたいのですが、パラダイン様は長い時を生きておられますが、それはどのようにして行っているのですか?」


 周囲はもともと喧騒などなかったが、耳が痛くなるほどの静寂が押し寄せる。

 フールーダ・パラダインが長く生きている方法。それはあり得ないほどの好奇心を招く。ジエットですら胃の痛みなどを忘れてしまうほどだ。

 しかしながら予感もあった。決して喋ったりはしないだろう、と。

 ところが──


「私の開発した魔法で、第六位階相当のものによる働き……だな」


 ──息を呑む音があちらこちらからする。


「そうですか……では第六位階を使える物であれば誰でも不老になれると?」

「理論的には、だな。最低でも私が全力で絞り出すだけの魔力を持つことも前提の一つだな。私でもその魔法を使った日はほとんど何も出来ないだけの脱力感に襲われるのだから」

「……では重ねてご質問が。では若返ることは可能ですか?」

「……これは奇妙なことを問うな」


 フールーダは髭を扱きながら、目を閉ざす。やがて答えが出たのだろう。見開くと正面から学長の顔を見据えた。


「はっきり言わせてもらおう、学長。今の帝国に存在する魔法技術では不可能だ。もしそれを行えるのであれば神などの領域に立つ者だけであろう……多分だがね」

「なるほど……そんな方がいらっしゃったら、魔法学院の長として敬意と崇拝を捧げたいものですな。いえ、誓わせていただきますとも」


 その直後、ジエットはフリアーネが手が一瞬だけ握りしめられたのを発見する。


(何かあったのか?)


 表情にも雰囲気にもジエットの目からは変化があったようには思えなかった。これも貴族令嬢として内面を隠すすべに長けた人物だからだろう。


(では、そんな生徒会長が何を感じて、手を握ったんだ?)


 心当たりがあったのか、はたまたは貴族派閥に関しての何かを悟ったのか。

 貴族でなく、その辺りの情報を全く持っていないジエットは及びもつかない世界での何かだろうと思われた。


「……そうだな、学長。私もそう思うよ」


 答えたフールーダと、向かいに座る学長の笑顔が重なるような奇怪な気分をジエットは抱く。これは外見的に似ている部分があるというだけでは決してないだろう。


(……なんだろうな? 知り合って……いやパラダイン様な学長を知っているだろうから……うーん、違う気もするけど、さっぱりわからないな。誰か共通の知人でもいる? だとしたら先の会話はその辺にかかわって……)


 そこでジエットは自分が的外れな想像を抱いていることに気が付く。


(若返りとかできるはずがないって、パラダイン様も言っていたじゃないか。なら別の話題に関係した人物?)


 先の話を思い出そうとするが、若返りと不老の印象が強く、他の部分がぼやけてしまっていた。しかしそのことをジエットは残念に思わない。なぜなら、フールーダという大魔法使いと自分の人生がこれ以上重なるとは決して思えないかったからだ。

 どうせ、フールーダ・パラダインという最高位の魔法使いからすれば自分など、その辺の生徒と同じにしか見えないはず。それがその日の彼の考えであった。そしてそれが引きつるような笑いとともにひっくり返るのは数日後のことである。



「なんという鬼才! そのような手に出るとは!」


 その言葉は報告を受けた誰もが同時に抱いた感想であった。

 フールーダ・パラダイン──魔法学院入学。

 最初に聞いたときは耳を疑った。しかし、それがどういう意味を持っているかを理解すれば、怒号も上げたくなる。それがたとえ新たに作り出された皇帝の執務室であったとしても。


「いや、狂人の発想だ! かの伝説の魔法使いを学院に入学だと!」

「狂人? ふん! この手がどれほど効果的かは問うまでもなかろう! 狂人というのは凡人である我々の言い分であって、そのような手段に出たアインズ・ウール・ゴウン辺境候は天才と呼ばれる人物だ!」


 それらの言葉には驚愕があり、畏怖があり、憤怒がある。しかし決して軽蔑など相手を侮るものはなかった。常人には考えられない奇策を打ってきた。というのがその場にいる者たちに共通した認識だったためだ。

 帝国では並ぶ者がいない大魔法使いを学校に入学させるなどいう手段を考える帝国の民はいないだろう。それが常識だからだ。しかし、それを平然と破る。

 ならばそれは鬼才や天才などの領域に立つ者。まさに化け物と呼ぶべき異才。

 それがアインズ・ウール・ゴウンという化け物に対する、彼らの共通認識であった。


「まさに奴は化け物だな」


 ゆっくりとジルクニフが立ち上がる。


「これが怖いのだ。奴の最も恐ろしいところはその魔法でも部下たちでも、居城でもない。叡智溢れる、切れすぎる頭だ」


 ジルクニフの顔が憎々しげに歪む。


「今まではこちらの手を見破り、軽く脅し……もしかしたらあれは脅しではなく忠告や、見破っているぞという世間話程度だったかもしれないが、ついに攻勢をかけてきたな」

「はい。確実にフールーダど……いえ、フールーダを使用した勢力拡大でしょう」

「それ以外考えられません。そしてフールーダを使うというのがどれほど効果的なのかは言うまでもないでしょう。フールーダが敬意を示す辺境候の偉大さを、多くの学生に宣伝する働きとなるのは間違いありません」

「そればかりか、フールーダほどの帝国に尽くした人物が座る場所を変えたという情報は……陛下の評価の低下を……」

「その通りだな……。もともと大貴族たちには伝わっていたが……これで平民の中でも教養のある者たちに知れ渡るわけだ……」


 苦虫をかみつぶし、ジルクニフは椅子から立ち上がる。


 アインズ・ウール・ゴウン。強大な力を持つアンデッド。

 では最も恐ろしいのは何か。

 ジルクニフは容易くその答えを口にできる。それは情報がないことだ。

 どこまでのことができるのか。どういった組織形態なのか。どんな部下がいるのか。対策を考えるのに必要な、それら重要情報の全てが厚いベールに包まれ、見通すことができない。

 勿論、相手からすれば知られたくない情報だろうから、アインズが巧妙に隠しているのは間違いないだろう。

 だからこそ、様々な手段で少しでもベールを剥ぐようにジルクニフは行動してきた。

 スレイプニールに蹴らせることも、婉曲な手段を使ってメイドたちを送り込んだのも、領土の支配に官僚を貸し出そうかと打診しているのもその一環だ。

 しかしそれら全てをあの智謀に優れたアンデッドは見抜き、逆にジルクニフに皮肉をいう有様だった。


「本当に恐ろしい相手だ」


 智謀に優れた強敵を待ち望んでいたのは事実ではあったが、ここまでとなると枯れた笑いが浮かんでしまう。


「策謀にセンスというものがあるとするのであれば、たった一つの手で複数の影響を与える奴のセンスはどれほどの高みにあるのか」


 訝しげな表情を浮かべた部下が幾人かいることにジルクニフは苛立ちを覚える。なぜ、そこまで見抜くことができないのかと。あと一歩踏み込むだけだろう。

 そこでジルクニフは頭を振る。気が付いている部下もいることに喜びを覚えるべきだ。


「……アインズの手の者の影響を受けた者を、帝国の主要機関に取り込んで問題ないのか?」


 ようやくその意味を悟った者から擦れたような声が上がった。

 そうだ。

 フールーダという人物によって優秀な者がアインズの手の中に引っ張られる。そこまでは許容の範囲内だ。逆にそこを使用して攻勢をかけれる可能性だってある。しかし、問題になるのは声をかけられつつもそこに残ること。埋伏した毒の危険性だ。


「陛下、フールーダを退学という扱いにしては」

「バカか、貴様!」


 ジルクニフは進言した部下に対して怒鳴り声を上げる。抑え込んできていた蓋が外れてしまったような急沸騰ぶりであった。


「帝国皇帝がたった一人の生徒に対して権力を行使して、退学にしろというのか! それが例えフールーダといえどもな!」


 確かに出来る。ジルクニフの権力であれば容易だ。しかし何の理由もなく、アインズの手の者を退学にするというのは正面から喧嘩を売ったと思われても間違いないし、アインズという人物に対してどれほどジルクニフが警戒しているかを明確に宣伝することとなる。

 確実に貴族たちへの権威は薄れるだろうし、アインズに強大な派閥を作らせる理由ともなりかねない。


 ジルクニフは知っている。

 アインズとの熾烈な戦いを。決して目には見えない権力闘争を。

 だからこそ貴族の力を削ぐための粛清は、アインズに辺境候としての地位を与えてから一切行っていない。それはアインズの元に逃げ込む貴族たちを少しでも減らすつもり狙いでだ。


 それらの甲斐もあってアインズの素顔を見た大貴族たちの一部は、ジルクニフに対する更なる忠誠を約束した。それはジルクニフがアインズと対等に渡り合っている──もしくは友好的に対応していることを舞踏会で目にし、知っているからだ。


 強大な力を持つアンデッドを警戒し、その対抗馬、旗印としてジルクニフを強く認めたということだ。もしくはアンデッドに媚を売るよりは、ジルクニフに忠誠を誓った方が安全だとみなしたか。

 では、そんな者たちが実はジルクニフも非常に警戒していることを知った時、もしくはジルクニフでも相手にならないと悟った時、反アインズ・ウール・ゴウンの旗印に不安を抱くだろう。


 そればかりではない。


 アインズ・ウール・ゴウンの派閥は小さい。

 それは彼が自ら作ろうと行動していないこと。それと生者を憎むとされるアンデッドであることの不安によるものだ。それとアインズの派閥の属せば、治癒などを司っている神官たちを敵に回す可能性があると知っているからである。

 だからこそ、アインズの派閥に所属しようとする者はその絶対的な力に引き寄せられたものが多い。そのため、この帝国最大の権力者であるジルクニフが警戒していると知れば、彼らは頭に乗るだろう。


 つまりはジルクニフが警戒している、または対抗できていないという事実はジルクニフ派閥を弱め、アインズ派閥を強大化させるという二つの面を同時に持つ。


 それらの事実がジルクニフに齎した反応は劇的なものだった。


 鮮血帝と言われ、冷やかな微笑で多くの貴族に血を流せた男が、その顔をまだらに染めたのだ。

 心に吹きあがった激しい熱を、怒鳴り声という形でジルクニフは吐き出す。


「これがアインズという策謀家の恐ろしいところだ! 教師として入り込んだのであれば、幾らでも追い出すことはできた。教育が不適切である、偏った思考を植え付ける恐れありとしてな。そうであれば他の貴族たちも自分の子供を入れている関係上、素直に理解しただろう。しかし、生徒一人に、なぜ皇帝が動く。それがたとえフールーダであろうとも、な! 大体放校させる理由はなんだ。不適切? バカか、そんなのが通じるわけがない。後ろにいるアインズに怯えたと誰もが思うだろう! だからこそ、あいつはフールーダを生徒として送り込んできたのだ!」


 ジルクニフは憎々しげに顔を歪める。


「このタイミングで仕掛けてくるとは。まさに機を見ていたな、奴め! アインズ・ウール・ゴウン……智謀の化け物! ……王国を馬鹿にしてきたが……同じ状況下になってみると……。やはりあの男の前に餌を与えて……。いやまずはそれよりも先にすべきことがある! ……おい!」


 声をかけられた部下の一人が頭を下げる。ジルクニフは矢継ぎ早に命令を下す。


「学院の諜報員に命令を伝達させろ! フールーダの動きを、そして狙いを監視させるんだ! 次に──」




 ナザリック大地下墳墓には強大な存在は珍しくない。確かにフールーダは人間としては最上位の存在ではあるが、そんな彼程度のモンスターは呆れんばかりにいる。もしこの墳墓の主人が蓋を開ければ、散らばるモンスターたちによって世界は滅ぶだろうと確信しているほどだ。

 そんなナザリックのモンスター群の中でも一際強大な者たちがいる。


 ナザリック大地下墳墓における守護者と呼ばれる究極の「魔」だ。


 フールーダは彼らがどの程度の強さを持つかはさっぱり知らなかった。というのも彼の目による知覚はあくまでも魔法の位階を知ることができるだけだ。そのためフールーダはこの目で見抜いた強さは、実際の戦闘能力とは関係ないと生まれてから二百年以上経ちし、初めて理解した。

 普通であれば何位階を使えるかというのは強さの基準になるのだが、このナザリック大地下墳墓では第十位階の魔法を使用できる者の姿は珍しくない。初日墳墓内を連れまわされた後、与えられた部屋で自分の今までの知識と墳墓内のありとあらゆることのギャップに興奮を通り越し、転げまわったのは懐かしい思い出になったぐらいだ。

 つまりは守護者たちが十位階の魔法を使用したとしても、それぐらいなら──世界の危機がそれだけいるということではあるが──驚くほどではないということだ。……このナザリック大地下墳墓においてはという注釈はつくが。


 それに上位のモンスターがそこにいるだけで全身を走る震えと同時に圧力を感じるのに対して、彼らからは威圧されたりはしなかった。「魔」の一人に、アウラというダークエルフの少女がいるが、話していても普通の少女にしか思えなかったぐらいだ。ただしその瞳の奥の光を考えなければ。


 それが台風の目のようなものだということは知っている。

 それでも普通に対話ができるというのはフールーダにとっての安らぎでもあった。

 つまり、フールーダは師と司書長を除き、彼らと非常に親しくさせてもらっていたのだ。話しかけるのすら躊躇う強大なモンスターたちが多い中、まともに話しかけられる存在は彼らぐらいだったのだ。それに彼らの対応も非常に紳士的で好意すら感じるものだったというのも大きい。


 ──ただし。

 フールーダは確かに魔法研究に自分の人生を捧げてきたためもあって、人の観察に長けているわけではない。それでも自分への好意的な対応は、自らが師と仰ぐ、アインズ・ウール・ゴウンへの忠誠心への裏返しですらないことも分かっていた。

 彼らは主人が弟子としているからこそ、人間という下等な生物にすら好意的な反応を示しているだけだと理解していたのだ。


 主人が飼っている虫だからこそ、従者たちが好意的に接しているということ。


 だからこそフールーダは彼らにも敬意を示した対応を取ってきた。もちろん、彼がいまだ到達できない領域の魔法を使う偉人というのもあった。そして今後、このナザリックで魔法の深淵を探求しつつ、働いていきたいと考えていたので、繋がりを作りたいという野望もあったためだ。


 それらの甲斐もあって、「面白い」程度の好奇心もあるのだろうが、デミウルゴスという叡智あふれる悪魔と、時折酒を酌み交わす程度の友好関係は築き上げていた。もちろん──それが人間を玩具としか思っていない、おぞましい悪魔との仮初の物だというのは理解したうえでだ。


 そんなデミウルゴスという大悪魔と、ナザリック内にあるマイコニドがやっているバーで飲んだ時の話を思い出す。

 話は共通の話題であった主人のことではあったが、そこから色々と話が飛び、行き着いたのは命令を受けた際の心得だ。


「必要なのは主人が何を考えているかを予想し、下準備をこしらえておくことです」


 もちろん、と悪魔は続けて言った。


「天才的な人物というのは得てして説明が下手であったり言葉が足りない場合があります。自分は優れた能力で考え付くのですが、他人も同レベルあると思ってしまい、それで通じるだろうと見做すためです」


 それはフールーダの胸にすとんと落ちた。自分も過去同じような経験があると思い出して。

 弟子たちが自分に説明を聞きに来た際、親切丁寧に教えたはずなのに理解した素振りを見せない者たちが多かったからだ。聞き返し、何が理解できていないかが掴めたとき、幾度となく「なんでこうした発想に行き着かないか」と疑問を覚えたことは頻繁にあったのだから。


 そして最後にデミウルゴスはこう言って話を締めた。


「アインズ様は洞察力に長け、優れた叡智をお持ちの方。そのために言葉で語ることは少ない。なぜならばそれぐらい気が付くだろうと思われるためだ。だからこそ、命じられたときはその裏を、アインズ様が本当に考えられているところを見抜く必要がありますよ?」


 その会話を思い出しながらフールーダは頭を下げ、自らの師に報告を始める。


 フールーダが疑問に思っていたのはたった一つ。なぜ、自分を魔法学院に送り込むのか、である。

 確かに理由は聞いている。

 それは一人の学生を卒業させるように、という指令。

 素直に言うならば、師がそう命じたとき、フールーダは自身の耳を疑った。正直、あまりにもあり得ない命令だとフールーダは感じたのだ。


 自分は帝国随一の魔法使い。それがなぜ魔法学院に入学しなければならないかと。しかも教師という形ではなく、生徒としてだ。

 即座に思い至ったのは「お前の能力はその程度だ」という侮蔑であり、フールーダの才能の無さに師が幻滅したのかという二点だった。しかし、自らの師の智謀に対する敬意がそれを握りつぶした。


 そんな単純な命令であるはずがない。フールーダが気が付いてないだけであり、ちゃんとした理由があるのだ、と。


 そしてようやく気が付いたとき、恥をかかなくて済んだという安堵がフールーダを包み込んだ。もし、あの場で問い返していたり、自分が最初に思ったことを問いかけていたら、説明は受けれただろうが、その程度の智謀の持ち主と評価を下されただろう。

 自分は師により優秀なところを見せなければならないのだから。


 結局のところ、フールーダが師の望んでいる真意はこうではないかと判断しているのは二点。帝国内で名高い自分を送り込むことで青田買いをすること。そうでなければ辺境候の自分を使った知名度の急上昇を狙ったものだと。


 報告を終え、それが正しいのかを師に問いかける。

 自らの師がゆっくりと椅子から立ち上がり、窓から外を眺める。その後ろ姿を黙って見ていたフールーダに声がかかる。


「……さ、流石だ、フールーダ。ワ、私の考えを読むとは……な」

「はっ! ありがとうございます!」


 やはりそうだったのか、とフールーダは頭を下げながら満足感を覚えた。

 もしかするともっと別の狙いも同時にある可能性はあるが、それを聞くのは自分の底の浅さを伝えるようなもの。十分に検討しておく必要がある。


「しかし……あと二人か」

「はい。あの調子ですと声をかける覚悟を決めるまでに若干の時間がかかるかと思われます」

「そうか……分かった。お前はそのまま命令に従って行動をしておけ」

「畏まりました。それと今後、声をかけてきた、つまりは自分に自信があるものたちのリストを製作する準備もしておきます」

「ああ、よろしく頼むぞ」




 フールーダは部屋を退出する。その瞬間、小さな声が聞こえた気がするが、空耳だろうと考える。しかし、それは違う。部屋の主人、アインズの本心からの呟きだった。それは──



「……あと二人か……ついに俺の出番が来たな」



6月中にもう一回更新したいです……。

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