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学院-1

40kぐらい。二つに分けた方が良かったかな?

 帝国魔法学院。

 魔法という言葉が付くように、魔法を学ぶ専門的な機関である。



 ……と勘違いする者は多い。しかしながら実際のところは違う。

 確かに魔法を教える部分もあるが、所属する生徒の大半は魔法を使う能力の無い者たちである。この学院を現代社会にある機関で例えるのであれば、高等専門学校と高等学校の中間的なものだと表現するのが妥当だろうか。


 大陸に代表される一般的な国家であれば、学問を学ぶための手段として家庭教師を雇うのが、貴族など金銭力を持つ者たちの基本である。優秀な家庭教師ほど高額の依頼料を取る。

 対して教育に回す余裕のあまり無い平民たちは、知識を持つ者が開く私塾に通わせることで、ある程度の知識をわが子に習得させる。もっともその費用すら払えず、子供に教育を施せない平民もいるのが普通だ。村においての教育はもっと別の――その村独自のものになるのが基本なので例外としておく。


 そんな教育手段では一つ致命的な問題がある。

 優秀な子どもが教育を受けずに、地に伏せたままで終わるということだ。そんな不利益を解消するために、帝国前々皇帝が世界最高とも言える伝説級の大魔法使い、フールーダ・パラダインに協力を仰いで作り上げたのが、帝国における最大の教育機関――帝国魔法学院である。

 優秀であると評価されたのであれば無償、場合によっては報酬金まで出る学校である。


 では、なぜ、魔法という名前が付くのか。帝国学院でない理由は何か。

 150年近く、帝国主席魔法使いの地位にいたフールーダが建立に大きくかかわったという点もあるが、それ以上に魔法というのがこの世界──人間社会における大きな役割を果たしているからである。

 ここで様々な知識を習得した学生たちが多種多様な道を進むこととなる。一般的には専門的知識を学ぶために大学院に進学する者、そのまま就職する者──非常に優秀な者は帝国魔法省──などに分類される。

 今後、仮に建築学を学ぶ者が、帝国魔法学院で無理矢理に魔法を学んで――使用できない教育を施されることに――何の意味があると思う者は多いはずだ。

 しかし、だ。

 建築学の一つとして、巨大な石を縁石にする場合、軽量化の魔法があるという知識を得ているのと、得ていないのでは大きな差が出るのは想像がつくだろう。さらには何キロの石にはこの人数での軽量化の魔法が必要であるという知識だって、入り用になる可能性は高い。


 そのために魔法知識は必須の項目として、学院の教育システムに組み込まれていた。

 だからこそ敬意を示すという意味でも「魔法」という名前が付いていた。



 リーンゴーンと鈴の音色が鳴り響く。

 鳴っている先は教壇後ろの壁。天井付近に付けられた小さな箱だ。耳を澄ませば教室の外からも同じ鈴の音色が響いてくる。


「鳴ったな。このクラスでも問題なしということか。では、これで本日の指導を終わりにする」


 教壇に立っていた教師が持っていた本を閉じながら宣言する。それに合わせ、本日の教室担当者の合図に従って、教室内の全生徒が教師に対して感謝の礼を告げた。

 教師が教室の外に出ることで、授業が全て終わったという事実が生徒たちの中に生まれる。徐々に始まったざわめきは大きなものとなる。授業が終わった解放感。これから何をするという楽しみ。そういったものに彩られた空気が教室内に満ち満ちた。

 ただし、そんな明るい空気に水を差すような男がいた。

 顔立ち自体は凛々しいのだが、暗い雰囲気を宿し、どんよりとした瞳をしている。目の下にはクマがあり、それが病んだような雰囲気を放っている。

 着ている服は周りの者たちと変わるところない。その片方の目を眼帯が覆っていることを除けば。

 少年──16歳ほどであり、この年で結婚する者もいるが──は教室内を力なく見渡す。授業が終わった解放感から弛み、あちらこちらで雑談に夢中になっている集団を。

 中でも少年が最も興味を見出したのは、教壇横で上を見上げている生徒3人だ。


「……しかしどんな魔法的理論や魔法によってこの小さい箱から音を流しているんだろうな。鈴がこの箱の中にもあるのか?」

「開けてみればその辺りの謎も解けるんだろうけどな……」

「言うまでもなくやめておけよ? あそこの印を見ろよ」


 一人の生徒が指示した場所へと、少年の目も動く。そしてその箱下部に刻み込まれた、特別な紋様が確認する。印はよく見慣れたものであり、この学院内で知らない者はいない。帝国魔法省──帝国内で唯一、新規の魔法や魔法のアイテムの開発。および魔法を使用した新技術の開発などを行っている機関――でよく使われるものなのだから。

 知られている理由の一つは、帝国魔法省に務めるというのは、帝国の魔法使いが最も憧れる職業コースだ。だからこそ応援している野球選手のサインが見分けられるように、紋様を見分けることも出来る。


(冒険者の道から、より上を目指す人もいないわけでもないけどな)


 少年は憧れていた女性を思い出す。天才という言葉がふさわしく、少年にこの道を教えてくれた人物を。

 彼がノスタルジーに浸っている間も、生徒3人の話は続いていた。


「シールだろ? あれ見るたびに震えるぜ」

「ああ、下手に触ったりすると印が刻まれるぞ」


 そしてもう一つの理由。

 それはシールと呼ばれるものを知らなければ危険であるためだ。

 シールとは封印であり、警報装置であり、犯人逮捕を円滑にするための防犯装置だ。

 魔法学院では帝国魔法省で新規に開発された技術の一部を実験的に使用するために持ち込まれる場合があった。最新技術であるために当然のことながら、防犯対策も施されることとなる。

 これはこの箱だけではない。学院内に幾多もある。

 そしてそれらには一様にシールが施されていたのだ。

 下手に弄れば特殊な魔法を発動し、周囲の存在に特別な印を魔法的に痛みなく刻み込んだ。これは盗人の印と影で呼ばれる物だ。これを押された生徒は帝国魔法学院を退学、場合のよっては帝国スパイ法案違反の罪で重罪となる可能性があった。

 したがってそれらはある意味、カチカチと音を鳴らしている爆弾に近いものだ。知らずに開封しようとすれば、人生を終わらしかねないのだから。

 だが、生徒たちの中に噂がある。

 シールをうまく解除したり、退学されるまでの短い時間の間にその中身を真似るようなことができれば、即座に魔法省に取り立てられると。それも一気に高い地位で。

 もちろん、噂にしかすぎない。学生の身分で、帝国における最大な魔法研究開発機関に所属する者たちに勝れるはずがないのだから。それでも根強く存在する噂でもあった。


(もしかすると、本当にあってほしいという願いなのかもしれない、な)


 一応は魔法を学ぶ身だ。自分たちが絶対に乗り越えることのできない壁なんかあってほしくないと若さが願うのだろう。もう少し年を取り、守るものなどができてくれば決してできない若さが。

 それと現皇帝が能力を重視するという方針を持っているという噂からだろうか。


(どっちにしろ……皇帝……鮮血帝か)


 彼個人としては非常に複雑な感情を抱いてしまう。どちらかといえばマイナス寄りの感情を。実際、少年が苦労しているのも、皇帝の所為とも言えなくもないのだから。


(愚痴を零しても仕方がないか……そろそろ行かないと不味いしな。しかし、遅いな……また何かあったのか?)


 見れば教室に残る生徒の数も少なく、教壇の横手に集まっていた生徒たちもいつの間にかいなくなっていた。

 少年は「どっこいしょ」などという若さに足りない声を上げると、席から立ち上がる。

 少しばかり心にさざ波のようなものが生じているのは、何時もであれば顔を見せるはずの幼馴染が姿を見せないことだろう。もう少し幼かった頃はわずらわしいなどと考えたりもしていたのだが、今では可愛い妹を持つ兄の心境まで行き着いていた。


「探すか?」


 内心の葛藤をぽつりと言葉を零す。

 時間がないために、彼女を探していると下手したら遅れてしまうかもしれない。それはできれば避けたい。しかし、ちょっと前に起こった一つの事件が迷わせる。


(あのときは変わったおっさんのおかげで助かったが……だが、学院内でちょっかいを出してくるか?)


 ありえないという思いと、ありえるという思い。二つの思いが拮抗し、やがて不安感からありえるという思いに傾く。約束の時間ギリギリまで発見できれば、などと彼が考えていると──


「ごめんなさい!」


 声と共に駆け込んでくる人影が一つ。それは一人の少女のものであり、それを目にして彼は張りつめていた心が緩んでいくのを感じた。


「別に待ってないから」


 少年はそう答え、室内に誰もいない現状を思い出すと、少しだけ恥ずかしさから耳を赤くする。しかし、彼女はどうやらそれには気が付かなかったようで、ハヒハヒと息を整えていた。


「ハヒ……そ、掃除でちょっと遅れちゃった。怒ってる、ジエット?」


 いや、怒ってないから、と声を返し、少年──ジエットは納得する。

 学院において教室内の掃除は生徒たちが行うこととなっている。掃除といってもごみを捨てたり、箒で掃いたりなどの簡単な作業で、より綺麗にする行為は長期休暇中に業者が入ることとなっている。

 そんな簡単な掃除当番が回ってきたというのだろう。

 そこまで考え、ジエットはあることを思い出し、疑問を抱いた。


「それより……ネメル。お前の掃除当番はまだ先じゃなかったか?」


 そうだ。彼の記憶ではそうなっている。それに対する反応は苦笑いであった。


「うん、そうなんだけどね。都合の悪い人がいて、変わってあげたの」


 なるほどとジエットは納得する。そういう都合であるならば、彼が知らないのも無理はない。


「だから今度の私の番は飛ばしだよー」

「了解。でもその日は俺が当番だけどな」

「……は! そうだったね……じゃぁ結局一緒に早く帰れないかーってもう時間だよね!」

「まぁな。そろそろギリギリの時間だな。帰るぞ?」

「はーい」


 にこやかな笑顔を向けてきた少女──ネメルに、ジエットは苦笑いを浮かべると教室を出て、歩き出す。

 荷物などは手にはしない。確かに人によっては家で予習復習をするために色々なものを持ち帰る者もいる。しかしジエットはそうしない。別に授業中に全てを覚えることができる──などというわけではない。

 単純に財力の所為である。

 魔法学院の授業には紙で作られた教科書を使用する。この教科書が非常に高額なものなのだ。ジエットのように単なる平民出身の生徒で、教科書を購入できるものは皆無に等しい。そのために学院側は授業ごとに教科書を貸し出しし、図書館で予習復習が行えるような準備を取っていた。

 実際、ジエットと同じクラスでも、教室を出た生徒の半数近くが今頃、図書館で予習復習を行っているだろう。

 本来であればジエットも図書館に行って予習復習を行うべきだ。魔法学院を卒業し、大学院を目指すならば入学試験に合格する必要があるのだから。

 しかしながら時間がないためにそこまでの余裕がなかった。


(それに……俺は就職しないといけないからな……)


 大学院に行けばジエットのような貧しい者には無償奨学金が提供される。無償といっても返さなくてよいだけで、将来的には帝国の行政機関のどこかで働くことが前提になるが。

 しかしそれでは生活できないのだ。


(お嬢様が冒険者になった理由もわかるような気がするな……)


 能力さえ優秀であれば高額を得られる冒険者。今のジエットには魅力的な職業だった。とはいっても、それはあくまでも光り輝く面であって、暗い面に目を向ければ、生きて帰ってこれないという可能性もある非常に危険な職業だということ。


「はぁ……」

「ジエット暗いね。目の下に眉も酷いし……ちゃんと食べている? 無理は仕方ないにしても倒れないようにしないといけないよ?」

「ああ、勿論だよ。今は倒れることもできないからな」


 そうだ。そんな余裕はない。倒れて神官に見てもらうことも、仕事ができなくなることもまずい。


「うーん……お金少しぐらいなら貸そうか?」

「ん? まぁ本当にどうしようもなくなったらお願いするけど……そんな余裕あるのか?」


 ネメルがにっこりと笑った。


「凄いんだよ。お姉ちゃんが大貴族様の方のところにメイドとして雇われたからね!」

「へぇええ! パナシスさんだろ? それは本当に凄いじゃないか」


 ジエットは素直に賞賛の声を上げた。

 実際、大貴族に雇われるというのは、現代における一部上場企業に雇われたようなものだ。


「ごろごろっとしたジャガイモも食べ放題~♪」


 奇怪の音程で歌うように言葉を紡ぐネメル。いや、実際、彼女の心の中で美声な歌声を響かせているのだろう。決してジエットはその音程変ではないか、などとは言わない。すでに諦めた道なのだから。

 それにまぁ、悪くもない。

 洗脳されたかなどと思いながら、ふと浮かんだ質問を口にする。


「それでなんていう大貴族に雇われたんだい?」


 大貴族といえどもピンきりだ。良い噂を聞くものから、逆に悪い噂しかないものまでいる。ブラック企業とホワイト企業があるように。


「それはね~♪」

「何をそんなに機嫌よくしているのかね?」


 作ったような男の声が聞こえ、ジエットは瞬時に浮かんだ表情を隠す。ただし、その一瞬の動きすら見抜いたようで、声をかけてきた男は微笑んだ。ただしその微笑みはひどく冷酷なものであり、こちらにわかるようにわざとらしく浮かべた嘲笑があった。もし本気で隠すならば、ばれないようにすることも出来ただろうから。


(クソッタレの登場か)


 ジエットはさりげなく半歩だけ前に出る。ネメルが自分の後ろに隠れやすいように。それに気が付いているだろうが、男は相手にもせずにネメルへと礼儀正しい挨拶をする。


「こんにちわ、ネメルさん」

「あ、こ、こんにちわ」

「ふふ、どうされたんですか?そんなに縮こまっていて。何かあったんですか?」


 整った顔立ちの男であり、あちらこちらに品というものがあった。

 目を細めた彼から、うかがい知れない悪意のようなものを感じたのはジエットだけではなく、隣に立つネメルも感じたらしい雰囲気を放っていた。いや、末端とはいえ貴族である彼女の方がジエットよりも鋭敏かもしれない。


 ランゴバルト・エック・ワライア・ロベルバド。

 それが男の名前であり、ジエットと同じ魔法学科に所属する生徒だ。

 問題は彼の家がそれなりに力のある貴族であるということだ。

 帝国魔法学院にその者が優秀であれば無償での入学を認める。その際は厳しい試験に突破する必要があった。その一方で普通に金銭を支払うことで、ある程度は簡単な試験を受けられ、それの結果でも入学を許可された。

 そのために帝国魔法学院には貴族の者も多い。

 帝国魔法学院という場所で教育を学ぶということは、自分たちの家にあった教育ということができずに、貴族家からすると迷惑な部分がある。場合によって洗脳教育を施される場合だってあるためだ。そんな自分の家よりも皇帝に絶対の忠誠を尽くすように、指導されるかもしれない場所に入学を許可するのには当然訳がある。


 コネクションを作成する場所という面で考えれば、非常に有益な場所ともいえるためだ。


 人はどうしても共通の話題がある方が仲良くなれる可能性がある。例えば同郷。同じ趣味。家族構成を持っているなどだ。そして同じ学校を卒業したというのは大きなアドバンテージになる。

 だからこそ帝国魔法学院には多くの貴族たちが在籍していた。ただし貴族出身で魔法学科に所属する者は少ない。それは魔法学科は魔法が使用できる者にしか入学を認められない学部であるためだ。

 魔法の使用できるできないは生まれ持った部分が大きいため──神官系統などは別だ──所属する貴族の数は少ない。そのためか、ある意味選ばれたエリート的な部分を影で見せる者がいる。


 彼もその内の一人だ。

 家柄も考えれば将来は羨望されるような地位に昇れる片鱗を示していた。


 ただしだからといって、好きになれるかどうかは別問題だ。

 同じ学科に所属し、貴族の末席に連なるネメルに対して、好意を抱くというのであればまだ良い。しかし彼はそれなりの貴族家の跡取りで、それに対してネメルは木端貴族の娘。地位があまりにも釣り合っていない。貴族家の婚姻を含む男女関係はある程度同レベルのところで行われるのが基本だ。

 それでももし彼が、純粋な気持ちでネメルを愛しているというのであればここまで敵意を強く出したりはしないだろう。しかし、実際は違う。遊び半分の気持ちであり、ジエットと仲が良いからというくだらない理由のためだ。

 それを目の前に言われた時に、たとえ冗談でも決して許したりはしないとジエットは心に強く決心した。


 実際、それからいろいろと情報を集めたりもしたが、録でもない男だという評価はこれっぽちも翻っていない。


「い、いえ、なんでもないです。はい……」


 ペコペコと頭を下げるネメルの姿にジエットは腸が煮えくり返るような気分を抱く。

 貴族家としてかなり格下なネメルの家では、たとえ学友といえども目の前の男が不快に思うような行動はとれない。だからこそ頭を低くした対処しか取れないのだ。


(平民ごときに貴族様が力を使われるんですか、っていう技が使えないからな)


 ジエットはそれを使うことで幾度か切り抜けたが、ネメルでは難しい。それが地位によって救われる分、地位によって迷惑をこうむる部分だ。


「そんなに頭を下げないでください。それよりもお話があるんですか、ちょっとよろしいですか?」

「あ、すいません。彼女は急な用事があるんですよ。ですから帰らないと不味いんですね」


 ジエットが割り込む。

 彼女が断れば角が立ち、家の問題に発展する可能性もある。相手がそういった問題にしようとした場合だが。しかし平民である彼であれば傷つくような家柄は持たない。問題は就職の際に不利益を被るかもしれないと言うことだが、騎士団所属の――つまりは軍人になれば、貴族の力も届かないだろう。

 流石にどれほどの貴族家だとしても、皇帝直轄の騎士に圧力をかけるほどの馬鹿はいないのだから。


「君には話していないんだがね?」

「ネメルが急いで帰らなくてはならない理由を教えただけなんですけど? 感謝してもらうのはあっても、つんけんされる覚えはないんですが?」

「……ああ言えばこう言うとはまさに君みたいな奴なんだろうね」


 先ほどまでオブラートに包んでいた侮蔑を、もはや隠すことなく、その面にランゴバルトは現す。整った顔立ちであるために、その冷たい表情は一変したような感じさえあった。しかしジエットに怯えはない。


「親にも言われてます。口から先にこの子は生まれてきたってね」

「……ちっ」

「それじゃ、失礼しますね。ほら、早く帰らないと不味いんだろ?」

「う、うん」


 ジエットはネメルの手を握ると急いで通り過ぎようとした瞬間、ランゴバルトの顔に勝ち誇ったものが浮かぶのを発見する。嫌なものを感じ、声が聞こえる距離から全力で離脱すべきかと判断するが、ランゴバルトの方が早く叫ぶ。


「待ちたまえ」


 待てと言われて待つ奴が何処にいる。

 ジエットは心の中で罵声と共に吐き捨てながらも、足を止める。


「どうかしましたか? 大声出したりして」

「いや、君たちに言っておくことを忘れてしまっていてね。学院の昇年試験の件なのだが……ほら、君たちが組む話をしていた生徒達が別のメンバーと組んだらしくてね。一応、知り合いのボクがそれを言いに来たんだ」


 最初から言えよ。

 ジエットは口の中でその言葉をかみ殺す。続いて――

 てめぇが圧力かけたんだろう、この糞やろう、と。


 ランゴバルトの性格は兎も角、権力や魔法の力はこの学院の生徒の中では群を抜いている。既に第一位階を使いこなし、第二位階も使えるのは間近というだけの能力だ。

 それはまだ第一位階がやっとのジエットや無位階のネメルよりも遙かに上だ。だからこそ、この学院の第二年次においては幅を利かせ、己の目的のために人を動かせることも出来る。


「そうなんですか。僕たちも実は別の人と組むことになっていたんですよ」

「そうなのかい? それは知らなかったな。そうであれば別に言いに来る必要も無かったね」


 ジエットが睨み、ランゴバルトが冷笑を浮かべる。それはどちらが勝っているかを共に理解しているからの態度だ。

 言葉でどんな強がりを言おうとも、ジエットが追いつめられているのは事実だ。後ろでネメルがおろおろしているのは気が付いていたが、どんな罵声を飛ばそうかと思考を巡らせていると、突然声が掛かった。


「何をそんなに睨み合っているのかしら?」


 女性の声であり、初めてランゴバルトの顔が固まる。

 全員で声のした方を向き、記憶通りの人物がいることを確認する。

 動揺したのは刹那のことだ。即座にランゴバルトの顔には好意に溢れる笑顔が浮かんだ。その対応の良さは、敵意を抱いているジエットですら感心してしまう。

 これが貴族という奴なんだろうな、と。


 ランゴバルトからは――作った――笑顔を、ジエット達から満面の――心の底からの――笑顔を向けられた女性は艶やかに笑う。


 帝国魔法学院には生徒たちによって構成される生徒会というものがある。とは言っても帝国行政機関傘下の機関であるということもあり、さほど権力的には強くない組織だ。しかしながらそこに所属する者達は選りすぐりの力を持つ者達ばかりである。

 貴族としての権力を持つ者、知力に長け者、多くの者達から人望を集める者など、だ。逆に言えば貴族達が在籍する魔法学院に置いて、それらの上に立つにはそれだけ評価を受ける者が必要と言うことでもあるのだが。


 ではそんな中で、生徒会長と呼ばれる眼前の女性はどうなのか。


 彼女――フリアーネ・ワエリア・ラン・グシモンドは魔法学科に所属し、学院でも三指に入る力を持つ女性である。呼ばれる二つ名は「秀才」である。本当は天才とも呼ばれていたのだが、「真に天才と呼ばれるに相応しい女性を知っている以上、私の能力は才能ではなく努力し、その努力が報われる程度の才能を持っているにしか過ぎない」と言ったがためだ。


「ほらほら。二人が睨み合っている理由を、この会長に言ってみなさい」


 公爵家の令嬢でもある彼女にはランゴバルトの権力なども届かないためどころか、下手な対応を取れば彼の方が不利に追いつめられる。この学院の中で、彼を叩き潰すことの出来る唯一ともいえる生徒は、好青年然としたランゴバルトに再び問いかける。

 そんな彼が口を開くよりも早く、ジエットが叫ぶ。


「生徒会長! ランゴバルト君に虐められたんです!」

「な!」

「あらあら」


 ランゴバルトはそんなことを言うかという驚きの表情を浮かべる。貴族からすると恥ずかしい態度だろう。もしかすると男としても。後ろに立つネメルからも、がっかりされているかもしれない。

 それでも最優先すべきは幼馴染みがこの男の毒牙に掛からないように守ること。そして敵意を自分に集めることだ。

 ならば何処にも恥ずかしいなどと思う部分はない。例え、虎の威を借りる狐だとしても。


(大体、分かってることじゃないか。お前が俺に敵対心を抱いているのは、後ろの影に対してなんだろ? だったらそういう人間だと思っておけよ)


 ジエットは鼻でランゴバルトを笑う。

 平民に笑われるという完璧な挑発を受け、ランゴバルトの目尻が痙攣している。恐らくは被った仮面が剥がれ落ちそうなほど内心で煮えくり返っているのだろう。


「そうなんだ。じゃぁ、ちょっと聞かないと不味いわね。ほら、そっちの二人は今度話を聞くから先に帰りなさい」

「はい! よろしくお願いします、生徒会長」


 去りざまにウインクをしてくれるフリアーネに心の中で感謝を送りながら足早にその場を離れる。


「大丈夫かな? フリ姉さん」


 学院の門付近で速度を落とすと、ネメルが不安を吐露する。


「まぁ、大丈夫だとは思うけどな……」


 ありとあらゆる部分でランゴバルトの上に立つ先輩だ。問題は何もないはずだ。自分が何が出来るかを知っている分、相手が何を出来るかを知るために力押しなどの手段には決して出るはずがない。

 何よりも今は時期が悪い。現皇帝によって幾多の貴族達が凋落している中で、自分よりも上位の家の人間に対して、醜聞になるような騒ぎを起こすわけがないだろう。


(ありがとうございます)


 ジエットは感謝の念を送る。フリアーネがジエットたちに好意的なのは理由がある。全て後ろの影――彼女の加護のお陰で、今の自分がいると言っても過言ではない。しかし、その加護も薄れつつあった。

 ジエットは顔が歪みそうになるのを精神の力で押し止める。

 問題は――


(それより一番やばいのはお前なんだよ……)


 出来る限りは守ってやりたいが、それでも手が届かない部分がある。それはジエットがあくまでも力のない平民でしかないという部分。もし仮に向こうが貴族としての手段に出始めたら、ジエットでは助けることが出来ない。

 今のランゴバルトは鼠を弄んでいる虎だ。本気を出せば対処できないと知りつつも、からかい半分で弄んでいる。

 だからこそ本気で怒らせてはいけない。無様な姿を見せ、貴族として本気で相手をしてやるには不快だという――貴族としてのプライドを突っつかなくてはならない。


(フリアーネ先輩がいる内は問題ないだろうけど……卒業されたら……)


 自分が騎士団に所属し、牽制するばなんとかなるかもしれない。しかし、それまで持つだろうか。

 怖気が走る。

 妹のような幼馴染みが、ゲスに好き勝手に弄ばれる姿に。


「それとさ……あの人がいっていたけど昇年試験なんだけど……」

「大丈夫だ。俺に全て任せておけ。お前はのんびりいつもみたいに過ごしていれば良いんだ。自分が犠牲になればとか言う考えは捨てろよ? 物語に出てくるような聖女様プレイはいらないから。……お前は何も考えず……まぁ笑ってるのが似合う」

「う、うん!」


 ぱっと明るくなったネメルを横目で伺い、心の中に滲み上がる不安を押し殺す。

 ランゴバルトは貴族だ。権力闘争という面で優れた能力を持つ。恐らくは周囲を完全に潰した上での発言だっただろう。

 帝国騎士団たちが守りを固める横を通り、門から帝都に出ながらも、笑顔を浮かべながらもジエットの心は決して晴れなかった。


 ◆


 幼馴染みを家に届け、自分の家で着替えるとジエットが最初に向かったのは商会だ。それも香辛料などを扱っている店だ。

 ジエットはそこで魔力が続く限り、塩や香辛料などを生み出す魔法を使い続ける。

 これが彼のアルバイトだ。ジエットのような程度の低い魔法使いでは生み出せる香辛料などの量は少ないが、それでも高位の魔法使いがこんな仕事をするはずがない。そのためにこの手の仕事は非常に需要があった。

 需要があると言うことは当然給金も良いと言うことだ。もちろん、良いとは言っても肉体労働よりも若干色が付く程度。ただし、時間給で直すと非常に良い。魔力が枯渇すれば仕事にならないためだ。

 第一位位階魔法一回、もしくは二回分を残して、全魔力でもって生み出した香辛料が測りにかけられ、それにあった金額が皮袋に入れられ、渡される。


 意地汚いとは思うが、小さな皮袋の詰まった硬貨の感触にジエットはにたりと笑う。ただしそこでは受け取らない。いったん預けると、次の商会の仕事を行う。

 行うと言っても帳簿を付けたりなどの仕事ではない。幾つもの店に香辛料を運ぶ仕事だ。雑用であり、賃金は遙かに安いが、それでもしないわけには行かない。

 取引先の店舗を指示通り回り、香辛料を渡すと同時に、注文用紙を受け取る。場合によっては代筆し、サインをもらう。それの繰り返しだ。

 届けた数――場所なども多少考慮されるが――で給金が変わるのだから休む時間は無いに等しい。魔力に続いて体力も無くなりかけるほど、帝都内を駆けめぐる。

 日が暮れれば仕事は終了だ。


 例え寒い時期といえども真剣に走り回れば、汗が噴き出る。風邪を引かないように乾拭きすると、服を別のものへと着替える。ぐっしょりと汗を吸った服は持ってきている袋に丸めて詰めておく。


「はぁあああー」


 軽くにじみ出す汗を乱暴に拭いながらジエットがぐったりと座り込んでいると、この商会の長が皮袋を持って現れた。


「ご苦労様だね、ジエット君」

「あ、ありがとうございます!」


 慌てて立ち上がると頭を下げる。

 そんなに畏まらないでくれと言われるが、雇い主に舐めた態度がとれるはずがない。全然姿勢を崩さないジエットに笑みを向けると、商会の長は皮袋を手渡してくる。

 いつもの重みだ。


「ありがとうございます!」


 再び頭を下げるジエットに、商会の長が口を開く。


「どうだい? うちに本格的に就職する気はまだ生まれてこないかね? そうなら給金も弾むし、もっと別の――やりがいと苦労に見合った給金が受け取れる仕事も覚えて欲しいんだがね?」


 帝国魔法学院は基本的に卒業生を帝国の行政機関に組み込もうとする。これはそう言った目的で作り出されたのだから当然だろう。しかし、そればかりでは民生に魔法使いが回らなくなってしまう。それを避けるために多少の金額を納めることで、ある程度は自由に将来を決めることが出来た。

 商会の長の幾度かジエットにこの話を持ちかけていた。違約金とも言うべき金銭であれば、自分たちが支払うとまで。

 ただ、それに対するジエットの反応はいつもの通りであった。


「申し訳ありません! 卒業したら騎士団に所属しようと考えていますので、そのお話はなかったことでお願いします」


 そして頭を下げる。

 商会の長は仕方がないかと笑う。

 ジエットとしても悪いとは思う。しかし実際、騎士団などに所属すれば命の危険はあるが、支払われる報酬はそれなりに多く、商会で得られるだろう額よりも高い。

 ならばジエットにはそれ以外の道を選ぶのはありえなかった。

 商会の長が立ち去り、ジエットは帰路につく。


 念のためにちょっとした防御魔法を発動させるのは金を持つからであり、ランゴバルトと睨み合っているためだ。

 つい最近、ネメルが幾人もの男達に絡まれた。その前後にあったことを考えれば、ランゴバルトと何らかの関係が合ったはずなのは間違いようがない。


「名前に傷さえ付けなければ、家の力を使うことはないと思っていたけど……」


 個人でも学院の外にまでのばせる手を、持っているとは思ってもいなかった。金銭で雇われたのかもしれないし、個人のコネクションで何かあったのかもしれない。少しだけ甘く見ていた自分をあざ笑う。


(もう少し相手の動きに注意を払っておくべきだったな……)


 とは言っても個人では出来る限界があるし、下手に動くと他の貴族の駒になりかねない危険があった。権力闘争の刃物の一本として利用されるのはまっぴらごめんだ。しかし、もしどうしようもなくなったならば、自分の人生を売り渡す覚悟でフリアーネに頼むしかないだろう。


 とぼとぼと夜の帝都を歩く。一応は明るい道や人通りの多い道を歩く。

 ざわめきを受けながら、思考の一部を潜らせて考え込む。問題は他にもあるのだ。


「昇級試験……どうするか」


 昇級という名の通り、魔法学院では一年ごとに試験がある。基本的にペーパー試験や実技試験が基本であり、魔法学科は団体試験という実技試験である。

 人数にして最高八人。最小五人の班を作り、試験に挑むのだ。

 では人数が作れなかった場合はどうなるか。言うまでもない試験不合格。留年で済めばマシ、下手すれば退学だ。

 これは就職するにしても団体行動を是とする組織に入る可能性が高いためだ。それに一年間の学院生活の中で、誰とも組んでくれないような人物に魔法という――抜き身の刃物よりも恐ろしい力を与えることへの不安があるためだ。

 逆にこういったことがあるからこそ、生徒達は上手く自分を隠し、仲良くやっていく。これが将来の団体行動への練習になっていくのだ。


「俺とネメル……最小であと三人……」


 八人で受ける試験だ。五人では優秀な成績を取ることは難しいだろう。しかし、それでもある程度の成績を残す自信はある。ジエットはこれでも第一位階までならば使えるのだ。……香辛料作成の魔法を除いても幾つか使える魔法は習得している。


「なんとかしないといけないな……」


 呟き、前を歩く者達を通り越し、道を横手に入る。数度曲がり、着いた先は集合するように小さな家が乱立している区画だ。その中の一つがジエットの家である。

 着替えた服を入れた袋を担ぎ直し、家の扉を数度叩く。


「かあさん、ただいま。俺だよ」


 声に反応し、扉の向こうで誰かが動く。そして扉が開かれた。

 魔法で作り上げられた光源を背に、やせこけた女性の姿が浮かぶ。


「お帰り、ジエット」

「はい、ただいま。さぁ、もうベッドに入ってよ」

「ええ、悪いわね」


 コフコフと咳をしつつ、ジエットの母は家の奥へと歩き出す。その弱い、へし折れそうな背中を眺め、ジエットの心にささくれ立つ。その一回一回の咳ごとにどんどんと命を吐き出しているよな気がして。


 いや、そうなんだろう。

 実際に命を吐き出しているのだろう。

 ジエットは心の中から込み上げる恐怖と戦う。

 金銭をためている理由は母親の病気を癒す魔法のアイテムをどうにかして手に入れるためだが、それが手に入る前に亡くなったりはしないかと。

 父親は若く亡くなってしまい、二人だけで生きてきたのだ。生きている以上死ぬのは当たり前だが、それでもまだ亡くなるには早すぎるとジエットは思う。


 しかし、どうすれば母を癒せる魔法が手に入るか分からなかった。

 神殿で聞いた話では魔法の発動に、非常に高額がかかるとのことだった。その金額はジエットがどれだけ努力しても通常の手段では稼げるとは思えなかった。もし稼ぐとしたなら、冒険者――いや、ワーカーしかないだろう。


 冒険者になるのであれば、神官に些少で癒してもらえばよいと考える者はいるかもしれない。しかし、神官達はそれを決して行わずに、適切な額を要求するはずだ。これは神殿の方針に従っているためである。冒険者ギルドも適した金額での治癒を推奨している。

 不当廉売を避けるという意味でもあり、これを破って癒している神官は突如謎の死を遂げる場合があった。実際、癒しを求めている人が金銭を持たないからと言って治癒しないのは可笑しいと、冒険者を脱退してワーカーになる神官もいないではないが、数ヶ月以内に不測の事故で命が失われる場合が多かった。

 とはいっても冒険者仲間の親を癒す、泊めたもらったお礼に魔法をかけるなどまで厳しくチェックされているわけではない。ようはあまり派手にやるなと言うことだ。

 そのためにもし仮にジエットが冒険者になれば、仲間が母に対して無料で魔法をかけてくれる可能性は高い。

 しかしジエットが組めそうな単なる神官では駄目なのだ。

 確かに神官の使える《病気治癒/キュア・ディジーズ》であれば、殆どの病気を瞬時に癒すことが出来る。しかし何事にも例外というものがある。ジエットの母が煩っている猛病と言われる特殊な病気は、その一部の例外であり、より上位の治癒魔法を使用する必要があった。


 ジエットは寝所から届く、静かな寝息に混じって聞こえてくる、辛そうな呼吸音を耳にする。

 太股の辺り縛り付けていた皮袋を取り出し、中身を覗く。銅貨ではあるが、全部合わせれば銀貨二枚は軽い。ジエットぐらいの年齢であればかなりの額だと言えよう。

 しかし、これでは少なすぎるのだ。


「学院を止めて冒険者の道か……」


 それしかないだろう。しかし出来ればそれはしたくはなかった。ジエットが学院に入れたのも、母親が務めていた貴族の家の令嬢がいたためだ。彼女の親切を無にするような事はしたくなかった。


「お嬢様に会ってないけど、お元気なのかなぁ」


 貴族の端くれであるネメルと出会ったのも、その貴族の家でだ。考えてみればジエットを構成する全てがあの家のお陰で与えられたような気がする。

 ジエットが魔法で作った明かりに目をやり物思いに耽っていると、突如断ち切るように扉がノックされる音が響く。

 突然の音に身を震わせ、ばくばくと暴れる心臓を服の上から押さえると、ジエットは扉に目をやる。

 再び、数度ノックが繰り返され、扉の向こうから声がかかる。


「ジエット・テスタニアの家で間違いないか?」

「……どちら様?」


 聞いた覚えの無い声だ。


「帝国騎士団に所属するレイと言う。ジエット・テスタニアに会いたいという人物を連れてきた。開けて欲しい」


 騎士団のレイ。言われてぱっと浮かぶ名前はない。大体、レイなどという名前など幾らでもあるだろう。

 一瞬だけランゴバルトの手の者という思いも走るが、それでも騎士団の名前を借りるような人物を利用するとは思えない。次に浮かんだのは何かの犯罪に巻き込まれたなどによる捕縛だ。

 数秒迷ったジエットの背中を押したのは、母親の辛そうな咳。ここで問答していては母親を起こしてしまう。


「ちょっと待ってください」


 ジエットは皮袋を家の中に巧妙に隠すと、扉を僅かに開けて誰がいるのかを確認する。

 そこにいたのは優男といっても良い外見をし、貴族の血が流れているのは一目瞭然な端正な顔をしている男だった。年齢もジエットよりも上。服装は非常に綺麗なもので、知識にある騎士団の高位者のものだ。

 ジエットは心の中にあった警戒心が若干溶けたのを感じる。ランゴバルトの手の者ではないだろう。


「君がジエット・テスタニアで間違い……ないようだね。この中にお呼びしても問題ないかい?」


 レイなる人物に問われ、自分に会いたい人がいるという先ほどの話を思い出す。


「え、えーっと、ちょっとだけ中は不味いんで、外でよろしいでしょうか?」

「そうか。ならば直ぐ近くに馬車を止めてある。そちらで構わないかね?」

「あ、分かりました」


 レイの案内に従って歩くと、大きな馬車が一台止まっていた。横手に刻まれた紋章は見覚えがないものではある。一応紋章学は勉強しているので知らないということの方が珍しいぐらいだ。新興の貴族家だろうかとジエットは予測する。

 馬車の扉を開け、入ってみるとそこは見事な作りのものだった。

 もちろん、貴族御用達の馬車など礼儀作法の実地訓練以外で乗った事がないので、これが凄い馬車なのかどうかまでの判断は付かない。ただ、ジエットでは到底乗ることはないだろうなと言うだけの財力か権力を感じさせた。


「こんばんわ、テスタニア――君と呼んでもよろしいかね?」


 声をかけてきたのは馬車の中にいた老人だ。鋼のような人物である。ただ、どことなく貴族とは違った感じがした。いうならば戦士だろうか。

 ジエットの名を確認する際に、老人の視線が向けられたのは目の眼帯だ。それを知って、どうして自分に会いたいと言ってきたのか、その一端が掴めた気がした。


「はい、問題ありません。それであなたは……」

「……私は主人の代理で来たセバスと……言います、よろしく」


 にこりと老人が朗らかに笑う。男から見ても魅力溢れる笑顔だった。今だ僅かに残っていた敵対心や警戒心というものが抜け落ちていくようなそんな気分を抱かせる。


(これがカリスマという奴なんだろうか)


 貴族の中でも一部の人間は本当に品の良い空気を放っている。この老人からもそれに近いものが漂っていたのだ。


「さぁ、中に入ってください。もしあれであれば近くのお店で飲み物を飲みながらでも構いませんが?」

「あ、いえ、この中で結構です。あんまり家を留守にもできませんので」

「なるほど了解しました。ではどうぞ」


 セバスの指示に従ってジエットは馬車に乗り込む。後ろからレイがそれに続いた。

 席に座ると早速セバスが話しかけてくる。


「時間もないとのことですので、単刀直入に言わせていただきます。テスタニア君。私の主人に仕える気はありませんか? もちろん、報酬等は非常に高額なものをお約束させていただきます」


 それだけでは判断出来ない。じっと伺ったままのジエットを目にし、セバスは続けて話し始める。


「私の主人は新たに領土をもらいまして、今後起こるだろう領土の管理に関して、人員を募集していたのです。それで貴方の名前が出たと言うことですね」


 何故、このセバスは主人の名前を出さないのか、それがジエットが最初に抱いた疑問だった。

 次に自分である必要性だ。ジエットはあくまでも魔法学院の一生徒にしか過ぎない。正直、統治に関する知識など自信がない。ただ、これにはおおよその検討がついている。


(俺の目が狙いなんだろうな。自分の手元に置いておきたいと言うところかな)


 さて、ではどうしようか。

 ジエットは頭を働かせる。ただ、これだけは最初に聞いておく必要がある。


「えっとこんな事をお聞きするのは非常に失礼だとは知っているのですが、教えて頂けると幸いです。給金は正確なところ幾らぐらい何でしょうか?」


 質問に対して、セバスの提示した金額は想定の三倍の金額であった。その高額さが警戒心を引き起こす。どうしてそんな金額なのか、もしかすると非常に危険な場所に領土がある線が考えられた。例えばカッツエ平野付近。もしくは亜人などの集落があったり、モンスターが頻繁に出現する辺境の地などだ。

 危険性の高い騎士団に所属するよりも高いのだから、それなりの――劣悪な環境下などは想定してしかるべきだろう。

 うまい話には裏があるし、報酬が高いならそれなりの理由があるものだ。

 黙ったままのジエットに金額が足りなかったと判断したのであろう。セバスは更なる上乗せとして計四倍にもなる金額を提示してきた。

 それが更なる不信感を抱かせる。


(……おいおい、単なる学生にそんだけの金額を提示するって……どんな家なんだよ。ざる勘定? それともこの目にそれほどの価値があると判断しているのか? もしくは第一位階まで使えることを重視しているとか? もっとやばい理由?)


 普通であれば貴族家の名前を聞くべきだろう。しかし相手が告げてこないということと、やけに高い給金がジエットの口を重くさせる。


(……やばい案件っぽいな)


 断った方が良い。確かに提示された給金は非常に魅力的であり、今のジエットにとっては喉から手が出そうなほどだ。しかしながらジエットはそういった結論に達する。

 どう考えてもやばい。

 だとしたら断る際も非常に注意が必要だ。下手な断り文句はとてつもない不幸を招きかねない。そこまで考えたジエットは頭の中でポンと手を叩く。


「申し訳ありません。まだ学院に所属する身でして、お言葉に応えることは出来ません」

「なるほど……あと二年でしたか? 飛び級で卒業するというのはどうでしょう?」


 どんだけ自分の情報を知っているのか、と背中に汗をジエットは走らせる。その割りにはあまり学院のことを知らないな、とも。

 飛び級などは本当に優秀な人物だけでジエットにそんな事が出来るはずがない。その辺りは自分の情報に書いてなかったのだろうか。そんなジエットの疑惑は次のセバスの言葉で氷解する。


「私のご主人様に告げておきましょう。そうすれば飛び級どころか、最高の成績で学院を卒業したという評価を約束しましょう」


 それだけの権力の持ち主と言うことだろう。

 ただ「眉唾だな」とジエットは思う。

 帝国魔法学院は帝国直轄の教育機関だ。そのためにコネクションでどうにかしようとしても難しい部分がある。下手すれば皇帝の逆鱗に触れる可能性が高い。

 今のこの時代に鮮血帝の怒りを買うような真似を、たった一人の平民のためにする貴族がいるとは思えなかった。


(もちろん、相手が皇帝であるというのであれば別だけどな)


 そんな筈がないのは至極当然だ。皇帝であればなんだかんだという必要はない。取り立てるの一言で全て終わりだ。世間知らずなどが妥当なところだろうか。ジエットはそう判断する。


「……申し訳ありませんが、自分の力で卒業したいと思っておりますので結構です」


 執事の顔に変化はなかったが、隣のレイが驚愕の表情をしたのはどうしてか。恐らくは断ったからだろうと予測する。


「左様ですか……。では……卒業の前に進級ですね。再来年には卒業出来るので? そうであるならばその年にもう一度声をかけさせていただきます」

「そうですね……もしかすると難しいかもしれません」

「それはどうしてでしょう?」

「実は――」


 喋りだしてジエットは後悔する。何とも恥ずかしいことを告げているのだ。執事の柔らかな雰囲気に飲まれて口を滑らせすぎた。自分の現状。下手すると進級も難しいかもしれないという話を。

 しかし頭を回転させてみれば、全てが愚かな行動とも言えない。というのもこれで少しでも興味が逸れてくれれば、向こうが自分を忘れている間に、騎士団なりなんなり、自分でまともそうな道を選べるだろうから。


 ジエットにそう思わせたのは、レイという騎士は微妙な――評価が下がった相手に対してお世辞的に浮かべそうな――苦笑いを浮かべていたこと。

 そしてセバスの反応もさして芳しいものではなかったためだ。まるで「ふーん」という相槌が正しいような、そんな態度だったのだ。

 だからこそジエットはのんびりと考えていた。この老人にとってはその程度の話にしか過ぎないんだろうな、と。


 そして話を終え、馬車を降りたときには、自分も貴族から声をかけられるほどの価値があるのか。勿体なかったかな、などと気楽に考える程度であった。


 ◆


 明朝、何時も通り学院にネメルと共に行き、教室に入る。ネメルは別のクラスなので、教室は別だ。

 入れば半分程度の生徒達が真面目に勉強をしている。それ以外は友達同士でお喋りをしていた。話は様々だ。魔法に関する話題、昇級試験に関する話、そういったかなり真面目なものが殆どである。

 これは別にこのクラスだけの特徴と言うことではない。魔法学科の生徒は大抵がこうだ。平民などの出身が多いために、自分たちが最も上の地位に昇れるのが、持って生まれた魔法を使用出来るという才能を伸ばすことなのだから。

 この学院内での生活によって自分の将来の着地地点が大きく変わってくるとなれば、真面目にならざるを得ない。もちろん、例外というのは何処にでもいるように、全員がそうではないが。


 級友の幾人かが教室内に入ったジエットに対して簡単な挨拶をしてくる。それに対してジエットも返すと、自分の席に座った。

 回りから話しかけられる雑談――ジエットは第一位階魔法を使用出来るために、そっち系の話題は良く振られる――に乗じていれば直ぐに朝礼となる。

 生徒全員が誰一人としてかけることなく、席に座って担当教師が来るのを待つ。


 そのまま時間が流れる。


 普段であれば授業が始まって可笑しくない時間を過ぎても担当教員の姿は教壇の上にはない。

 徐々に教室内が困惑からか生じたざわめきによって支配される。


 何かの非常事態。誰もがそんな言葉を脳裏に描いた頃、扉が静かに開かれた。普段であればがらっと勢いよく扉を開ける担当教員の姿を認め、室内の誰もが安堵の息を飲む。

 しかし、それは一瞬だ。

 それは担当教員の顔が青かったためである。

 何処から見ても体調の良い人間のする顔色ではない。まるで今にも倒れそうなのにも必死で動いているようにすら見える。


(――無理して学院に来たのか?)


 そうだとしたら遅くなった理由も分かるというものだ。

 担当教員は教壇の昇ると室内を見渡す。狂人の目とでも言いそうな、血走った目で見渡され、小さく息をのむ音があちらこちらで聞こえる。

 担当教員――いや魔法学科の教師は誰もが第二位階以上、第三位階までの使い手だ。人によっては騎士団でモンスターと戦ってきた経験があるだけの実戦を積んできている。

 そういった人物の視線だ。

 ジエットを含め、生徒達の心の内に小さいながらも恐怖が生まれたのは仕方がないだろう。


(……一体、何があったんだろうか)


 ジエットが疑問を抱いていると、担当教師が引きつった顔で口を開く。


「み、みなさん、きょうからあたらしいせいとがみなさんといっしょに、いっしょに」


 ゼイゼイと深呼吸を繰り返す。青ざめた顔の額には脂汗がびっしょりと垂れていた。そのあまりの態度に、生徒達が全員不安を感じる。一体どうしたのかと、好奇心と言うよりも恐れから固唾をのんで見守る。


「よ、よくきいてください。いっしょにあたらしいせいとがべんきょうを……べんきょうをまなぶそうです。でははいっていただきます……絶対に失礼の無いように!」


 最後の瞬間、今まで見たことがないほどの真剣な表情で警告を発すると、担当教員が扉を開いた。外の人物に一礼すると、招き入れる。

 誰が入ってくるのか。

 不安と期待が入り交じった状況下、その人物を見た瞬間、まるで時が消し飛ばされたような感覚を抱く。

 あり得ない。

 それが全員が同時に抱いた思考だ。いや、それ以外の考えなど頭に浮かぶはずがなかった。

 その人物は教壇にあるボードに文字をつづる。書かれた文字は誰もが知っているものであった。いや、知らないはずがない。この帝国魔法学院において、その人物を知らない人がいるはずがないのだ。

 生きる伝説。英知の御仁。帝国最強の魔法使い。本数冊はあるだろう偉業をなした人物。今なお横に立つものがいないほどの大魔法使い。

 その人物は生徒達に向き直ると、自分の名前を小さいが、誰の耳にでも聞こえる声ではっきりと告げる。




「今日より諸君と同じく、この教室で勉強をすることとなったフールーダ・パラダインだ。よろしく頼む」



 白髭をたたえ、髪も雪のように白い老人が同級生達に軽く頭を下げた。



次回は15kぐらい? 本当は一気に纏めちゃった方が良かったかも。

5月中に更新したいです。2日で書き上げたせいで脳みそポーン。というか1年近く前か……。その頃に考えてたこと一部忘れてるな……。ちょっとミスってたら、優しく教えてください。

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