凱旋-2
半年近く待っていてくれた方。それもこちらにまで感想をくださる方、ありがとうございます。
お陰で御祝儀相場とはいえ、ランキングに載せていただけました。
そんな皆様に飽きられないよう、変な最強ものが書けていければと考えております。
今後ともよろしくお願いいたします。
辺境侯という人物をつれて帝国の陣内をさっそうと歩く。恐怖に彩られた視線がどこまでも追ってくるのが、レイには感じられた。様々な視線を受けることは慣れているが、これほどの恐怖一色の視線と言うのはいままでに経験したことが無い。少しばかり心地良くもあった。
やがて開けた場所が姿を見せる。辺境侯がぼそりとレイに告げる。
「ここかね」
「はい。この辺りであれば辺境侯の兵を駐屯させることも容易でしょう」
開けた場所は本来であれば皇帝直轄の軍や第一軍を駐屯させる、もっとも場所的に良い地区である。2万を越える兵を集める場所だけあって、辺境侯の軍勢ならば逆に広すぎるほどだ。
「ふむふむ……これぐらいならばちょうど良いか」一歩、辺境侯が前に出る。「見よ、フールーダ。我が魔法を《クリエイト・フォートレス/要塞創造》」
瞬時の後、先ほどまで何も無かったはずの陣地には、巨大な漆黒の重厚感のある塔が聳え立っていた。
レイは目の前で起こったことに、口を大きく開ける。
砦などの建築は非常に苦労する作業だ。それが一瞬だ。
「な、なんと素晴らしい! これほどの要塞を即座に構成し、作り出す。クリエイト系魔法の極限を見た思いです、わが師よ!」
興奮したフールーダの声。しかし、いまだレイは言葉を発することが出来ない。レイはただ、その塔を眺める。強固かつ重圧感に溢れたそれは、まさに聳え立つという言葉が相応しい。
両開きの扉は厚い作りだというのが外観からでも判断が付く。さらには5階建てだろうと思われるのに、その高さは30メートルを超えている。つまりは一階分の高さがかなりあるのか、それともそれだけしっかりとした作りだということだろう。
横から昇ってくる存在を追い落とすために、壁面には無数の鋭いスパイクが飛び出している。最上階の部分には四方を睨む悪魔の彫像。
下から見上げるとのしかかってくるような重圧感。塔が立った所為で暗くなったというのは理解できるのだが、闇が光を貪っているようなイメージが浮かんでしまう。
離れたところからでもこの威圧は十分に感じ取れるはずだ。その証拠にこちらを伺っているだろう騎士たちから一切、声が聞こえてこない。辺境侯の異名として定着しつつある『魔王』という言葉が後押しをする感じで、吟遊詩人が歌う『悪魔の塔』という言葉が似合う雰囲気だった。
「少しばかり大きいバージョンで構築させてもらったが問題なかろう?」
「は、はぁ」
掠れたような声でしかレイは返答が出来なかった。あれほどの殺戮の光景を見せられてなお、こんなことまで出来るのかという驚きで思考が支配されていた。
頭の冷静な部分が、辺境侯が1つ魔法を使うだけで、なんでこれほどまでに驚愕しなければならないのかと文句を告げている。しかし、レイの思考の大部分は麻痺するような痺れが襲っていた。特にこんなことを考えると、さらに強くなる。
他の魔法はどれだけ習熟しているのか、と。
「さて、では私たちはこの中に入るとしよう。私の軍は直ぐにこちらに向かうように指示を出すつもりだ。付き合ってもらって悪かったな、レイ将軍」
辺境侯が背を向け、歩き出そうとする。それに慌ててレイは声をかけた。
「お、お待ちください、辺境侯。少しばかりお話が」
今にも門をくぐって塔に入ろうとしていた辺境侯は、ぴたりと動きを止める。仮面の下にあるであろう瞳が、レイを映し出しているのが感じ取れる。
我知らずに喉が1つごくりと音を立てた。『悪魔の塔』の前でこちらを見つめてくる辺境侯に出来る陰影が、非常に似合っていて、それと同時に非常に恐ろしい。
自分が愚かな発言をしたのではないかと、先の発言を撤回してしまいたいほどの後悔すら浮かび上がってくる。
「……かまわないとも。ただ、ここではなんだ。折角、住居を作ったのだから中でどうだね?」
遠慮します。自分の天幕で行いましょう。
そう言えたらどれだけ安堵できるか。そんな夢みたいなことを思いながら、レイは微笑む。引きつってないことを祈りながら。
「あ、ありがとうございます、辺境侯。折角お作りになられたお住まいに、最初に招いていただけ、幸運を神に祈りたい気持ちで一杯です」
「そうかね。それほどでもないと思うがね。……では行こうか?」
辺境侯の言葉に合わせ、扉がきしむような音を立てて開いていく。
なんでこんなに不安を感じさせる作りになっている。
レイは心の中で愚痴をこぼす。
自動で開く両扉を潜り抜けた先には通路が続き、そしてまた突き当りには両開きの扉がある。通路自体には魔法の明かりが灯り、歩く分は全然問題が無い。
ただ、後ろで扉が閉まった時にはレイの心臓が大きく跳ね上がった。幾らなんでも、出てこられなくなるなんて事はないと信じたい気持ちで一杯であった。
通路を3人で歩き、奥の扉が開いた瞬間、レイの目がくらむ。
中から毀れてきた光に目が慣れたレイは、その光景に感嘆の声を漏らした。
そこはエントランスホール。床は白く、天井は高い。
気品と贅を凝らした作りとなっていた。
貴族としてレイは生を受けたが、さほど立派な家系でもなければ、金を持っていたわけでもない。そのために贅沢という単語とは縁の無い生活を送ってきたために、物の価値を見るという眼に関しては非常に劣る。しかし、それでもこの場所がかなりの贅を凝らしているのだろうということの推測は立つ。
「さて、向こうにソファーが置かれているし、そこでどうだね?」
物珍しさと周囲をきょろきょろと見回していたレイは、辺境侯の言葉に我を取り戻す。そして案内された先にある、柔らかなソファーに、辺境侯とフールーダを前にして腰を下ろした。
ふわりとした感触と共に、何処までも沈んでいきそうな柔らかさ。それでいてしっかりと受け止めてくれる堅さを併せ持っていた。
もし誰もいなければ、レイはソファーに座ったり立ったりと子供のように繰り返したかもしれない。それほどまでにソファーを一瞬で気に入っていた。しかし、今はそんなことをする時ではない。
それが理解できていたレイは、後ろ髪を引く思いを断ち切り、ちらりとフールーダの方に目をやる。
その意味合いを鋭く理解した辺境侯は、安堵させるような優しい声でレイに告げる。
「問題は無いとも、レイ将軍。フールーダは私の忠実な弟子。決して私にとって不利益な事はしないとも」
「無論でございます、わが師よ。私はあなた様の巨大な魔力によって支配された者。この身が尽きようとも決してお心にそむくようなことはありません」
深々と頭を下げたフールーダ。その姿はレイに辺境侯という人物の強大さをよりはっきりと実感させる。
言うまでも無く、フールーダという人物は帝国の主席魔法使いという地位にあり、周辺国家において並ぶもののいない力を持つ人物だ。おそらくは13英雄といわれる伝説の人物に匹敵するともいわれるほどの。そんな英雄たる人物が絶対の忠誠を、それも驚くほどの短期間で忠義を尽くすほどの人物――。
レイは仮面の下を覗きたいという好奇心に襲われる。仮面の下が化け物であることを期待して。
逆に単なる人間であるほうが恐ろしい。単なる人間がここまでの強さを得られるというのはある意味非常に恐ろしいことだからだ。
「――とのことだよ、レイ将軍。私も我が弟子の忠誠心は信じるに足ると思うが……君はどう考えるかな? 君がどうしてもと言うのであれば、下がらせてもかまわないがね?」
「いえ、それには及びません」仮面の下の素顔に対する考察を止め、レイは辺境侯に答える。「辺境侯がそう判断されているということであれば、間違いはきっと無いでしょう」
「それは良かった。それでレイ将軍。一体何を話したいのかね?」
レイは一息飲む。ここからは本当に命がけの賭け事となる。だが、これに勝つことが出来れば、自らへのリターンは桁が違うものへとなろう。
レイは覚悟を決め、口を開く。
「辺境侯。私は1つの野望を持っております」
「……話したまえ」
「はい。それは第1軍の指揮官、すなわちは帝国大将軍の地位に就くことです」
「ふむふむ」
辺境侯は頷くだけで決して何だとは言って来ない。自分から言質を取られるようなことや勘違いされるようなことは口には出さない。貴族の処世術にありがちな対応だ。
強大な力を有するだけではなく、そういった目ざとさを併せ持つ。それは非常にやり難い相手ではあるが、その反面レイからすれば望んだ相手でもある。
「その際に、お力添えがあればと思いまして」
じっと、仮面の下で辺境侯がレイを眺めているのが痛いほど分かった。視界の端にいるフールーダの表情に変化は無い。今まで忠誠を尽くしていた皇帝が選んだ将軍が、裏で取引をしようとしているにもかかわらず何の反応も示さない。それは忠誠の対象が完全に皇帝から離れて、辺境侯の下に向かっていることを意味する。
「……私のメリットは何かな?」
正直あるとは言いがたい。
あれほどの力を持つ存在が今更、どれだけの力を欲するというのか。
それにレイ自身、帝国大将軍の地位に執着心は無い。単純にそう言った方が理解されやすいだろうと思っただけだ。なぜならば、レイが本当に欲しているもの。それは――
「――私の忠誠ではいかがでしょうか? 辺境侯が欲するように私も動かせていただきますし、陛下と意志が対立した場合は辺境侯を支援させていただきたいと思います」
――辺境侯の部下となることでの命の安堵であり、あの強大な力への憧れだ。
他の将軍たちは皇帝の臣下として辺境侯への対策を考える。彼らからすればレイの行為は裏切りである。しかし、裏切りを薄汚いと言えるのは、自分の命が失われることが確実と知りながらも大海原に飛び込むような愚か者のみだ。
レイは人間として自分が生き残れる道を模索し、そしてその上で、神話のごとき存在の部下として、己もまた神話の一部となることを望んでいた。レイが美しいと魅了された強大な力の一端になれることを渇望していたのだ。
レイはこの心の動きを知っている。
決して手の届かないモノに憧れる子供のような気持ちの具現。
それは憧憬。
とてもとても高みにある力を目にして、その輝きに瞳を焼かれてしまったのだ。
しばしの沈黙が流れる。
レイはごくりと唾を1つ飲み込んだ。正面からじっと見据えてくる辺境侯。彼が何を考えているのかさっぱり掴めなくて。だからこそ、さらにメリットを続けて言う。
「他の将軍たちは辺境侯を恐れ、対処するための手段を考えておりました」
瞬間、フールーダの元から冷えつくような気配が立ち込める。細めた目の奥に冷酷な感情が見え隠れしていた。
「……それは真実なのかね、レイ将軍」
「無論ですとも、フールーダ様。おふた方が来る前、そういった話がありましたので」
「師よ。これは許しがたい行いです。皇帝に命じて――」
「フールーダよ。命じてではない。私は皇帝の部下であり、辺境侯という地位、彼の下についているものだ」
「こ、これは申し訳ありませんでした」
陛下ではなく皇帝と呼びつけにするところに辺境侯の内心の感情が現れている。レイはそう思い、自らの考えが間違ってないことを知る。バハルス帝国という強大な、そしてより強大になる可能性を充分に持つ国の頂点を、さほどの人物とはみなしていない、と。
「なるほど。なるほど。レイ将軍が私に仕えたいというのは理解できた。しかし私も帝国の臣下。みすみす反逆者を認めるようなことをするとは思っていまい? だいたい君の地位はジルクニフが与えたもの。反旗を示せば即座に奪われよう」
「確かに。しかし、私は辺境侯のおそばに控えるというのは皇帝陛下にとっても良い結果になられると信じております」
「…………」辺境侯の姿勢の変化に、ソファーがかすかな音を立てる。「……なるほど」
しばしの時間の経過、思案の海に沈んでいたであろう辺境侯の声が上がる。
その言葉に含まれている感情を鋭く知覚し、レイは安堵の息を殺す。
賢い人物だからメリットを理解してくれると判断しての行為だが、その賭けに勝った。もし、何も理解できないような知力に劣る人物だったら、自分の今までのすべてが無に帰すところだった。
力のみではなく、英知にも優れる。そのレイの予測は正しかった。顔の筋肉を総動員し、必死に漏れ出る笑みを殺す。己がすべてに対して一歩リードしたと知って。
「確かにジルクニフにも利益があるか」
「その通りでございます、辺境侯。皇帝陛下にしても渡りに船でしょう」
「そういうことでは仕方がないな。レイ将軍。許可しよう」
「師よ、一体どのような理由からでしょう」
フールーダの疑問に満ちた声が横から放たれる。かつての主席魔法使いとは言え、権力闘争などに関して近寄ったことのない人物では悟れないか、とレイは判断する。
「……フールーダ。それを私が答えなくてはならないのかね」
微妙に固い声が辺境侯から響く。
自分の弟子が無知をさらしたのだ。上に立つ者として恥を感じたのだろう。
レイはそう思い、フールーダに僅かな哀れみを込めた視線を送る。それをフールーダも悟ったのだろう。僅かに顔に朱が走る。
「……レイ将軍。私の代わりに答えてくれないかね」
「よろしいのですか?」
「私の考えたことがあっているかの確認もしたいからな」
「はっ。フールーダ殿、簡単なことです。辺境侯のお力は強大です。ですので皇帝陛下はそのお力を簡単にはふるって欲しくはないはずです。そのため力の面で補佐を行い――辺境侯に力を振るう機会を出来る限り少なくしたいと考えられるはずです。その力に私がなればよいのです。もちろん、私たちが結託しているというのは疑りの対象でしょうが、そこは辺境侯に一言言っていただければ問題ないことです」
レイで無ければ力の面での補佐はいらないと言ってしまえば、皇帝に取れる手段はない。
それどころか、皇帝はレイを辺境侯の横に付けた上で、逆にレイを自軍に引き込もうとするだろう。
レイは興奮によって自らの顔が充血していくのが感じ取れた。今、自分は帝国の行方を動かしかねない場所まで上ったと。大将軍すらも足下に置いて。
そんな自分ならば目の前の人物も決して無碍にはしないはず。レイはそう考える。
「ああ、なるほど……。師よ、申し訳ありません。そこまで考えが至らず」
「気にする必要はない。これからも分からないことは聞いた方が良いぞ。特に魔法とは奥の深いもの。生半可な知識で行えば失敗が待っていよう。単なる失敗であれば問題はないが、それが死につながらないとも限らん」
「おっしゃるとおりです」
「だからこそ、おまえに魔法を教える際は時間をもらっているだろう? 私の力では当たり前だが、フールーダの力では当たり前で無い場合があるからな。慎重に教える必要がある」
「やはりそうでしたか。私のつまらない質問にそこまでお時間をかけていただき、師のお心遣いに感謝いたします」
「しかし即座にそこまで判断できる人間はそうはありません。流石は辺境侯です」
レイの賞賛をつまらなげに辺境侯は手を振って答える。
「偶然だ」
「――ご謙遜を」
即座にレイは答える。
この人物の近くにいれば、そして役に立っていれば自分は何処までも高みに上れると確信し。
そこで自分も輝けるのでは、と。
◆
レイが塔を出て行く姿を見送ると、アインズは直ぐ傍に控えていたフールーダに声をかける。
「私は部屋に入る。フールーダよ、お前も好きな部屋を選んで使うが良い、もう良い時間だしな。今日一日は戦争など色々あって疲労しただろう? ゆっくり休むが良い」
「お優しい心遣いありがとうございます。ですが――」
「――良い。お前の知恵はまた明日貸してもらうかもしれない。そのときに頭が回らないでは困る」
フールーダの言葉を遮り、アインズは語る。アンデッドであるアインズに疲労という概念は無いが、人間であるフールーダは別だ。魔法で疲労を回復させるものもあるが、あれは神官などの使う魔法で、アインズの使用できる魔法ではない。
ポーションでならあるが、使用するのは勿体ない。普通に休めばよいのに、緊急時でもないのに消費アイテムを使うなんて馬鹿馬鹿しい限りだ。だいたい、薬漬けというのは聞こえが悪い。
そんなアインズの考えも知らず、フールーダが感謝するような瞳で見つめてくる。
アインズからすると非常にくすぐったく、そして『なんで感動しているのだろう』という思いを隠しきれない。部下の体調管理もある程度は上司の責任ではないか。
「畏まりました。では私も休ませていただこうと思います。それで警備の方はどういたしましょうか?」
「……そうだな。周辺の警備は取り敢えず、デスナイトたちに任せるとしよう。明日にでも死体の回収作業なども含めてナザリックより幾人か呼び集めよう」
「畏まりました」
フールーダの下げられた頭から視線を逸らすと、アインズは部屋の1つに向かって歩き出す。自分が先に行かないと、忠誠心が異様に高いフールーダが動かないことはナザリックでもよくあった。
アインズは扉の1つを無作為に選び、その前に立つ。
この周りにある部屋はどれも同じもの。何を選んだところで変わったところは無い。
アインズは扉を開き、部屋に入る。そこは小さなホテルのシングルルームという雰囲気だった。シングルベッドに簡易の机にイス。そして隣の部屋にはユニットバス。それで一部屋という構成だ。
部屋を横切りつつ、仮面を外し、その骨の顔を外に晒す。仮面に遮られない空気が、心地良く骨の顔を撫でる。
微かに浮かぶ開放感にアインズはため息を吐き出しつつ――無論、肺が無いのだから真似ごとにしか過ぎないが――ベッドに横になった。靴は面倒なので脱いでいない。持っていた仮面は頭の横辺りに投げ出している。
アインズがベッドに横になったのは睡眠をとるためではない。
アンデッドであるアインズの肉体は睡眠や疲労といったものとは無縁だ。しかしながら時折、それらを再び味わいたいという思いに軽くとらわれることがある。睡眠欲、性欲、食欲など喪失した欲望もそれらの類だ。数秒も満たない時間で掻き消える感情であり欲望だが。
ではベッドに横になったのはそういった感情のようなものの表れかというと、いつもであればそうだが、今回はそれでは無い。
単純に横になると肩が楽になった気がするのだ。疲労しない肉体を思えば、それも気のせいだとは理解している。だいたい神経自体走ってないのだから。単純に人間であった頃の残滓が、そんな思いを抱かせるのであろう。
天井をボンヤリと眺めるアインズの考えは、先ほどのレイという男のもの。
アインズはボソボソと独り言を呟く。
昔に比べて独り言が多くなった気がするし、事実そうであろう。
大組織の頂点に立って、未知の世界で間違いないように運営していかなければならないというプレッシャー。そして腹を割って語ることの出来る相手のいないための弊害だ。
「しかし……帝国も一枚岩ではないということか……。困ったものだ。ジルクニフも何をしているんだか。絶対的な権力者じゃないのか? あのワーカーの記憶ではそうだったはずなんだが……」
アインズとしては絶対の権力者――ジルクニフに近い席を得られ、ある意味安泰だと思っていた。しかし、そうではないということが判明してしまった。
「レイ将軍か……。まったく、部下なのに主人であるジルクニフを裏切るなよ。ナザリックでは裏切るような奴は多分いないぞ。しかし……ジルクニフがあいつが欲深い人間だと知って泳がせていた場合、厄介ごとに巻き込まれる可能性があるな。ミスったかもしれないな……」
ゴロリと小さなベッドの上で体を転がしながら、別のことを考える。
「それにどうも騎士たちに怖がられているようだ」
アインズは歩いている最中の視線を思い出す。あれはどう考えても英雄に向けるものではない。アインズが辺境侯という地位――貴族階級としては上位者だから緊張してという線も無くも無いだろうが。
「その辺の方向も修正しないといけないし……。やはり魔法の選択を間違ったみたいだな。あれが一番効率的に良いからと思ったんだが……炎系の魔法で焼き払ったほうが見栄え的に良かったかもしれないなぁ。ユグドラシルであればあの辺の魔法は受けが良いんだが……」
経験したことが無いし、この世界での一般的な人間の考え方も知らない。だからこそアインズはユグドラシルであれば、というイメージで行動するしかない。しかしながら、それがどうもこの世界の常識と強く乖離しているところが多々あるということを、このごろ良く実感できるようになった。
乖離してなければ当初の予定通り英雄と呼ばれる存在になっていただろうから。
「……弱すぎる。なんであの程度の魔法で怯える。単なる超位魔法だろう。課金で発動時間を短縮した。特殊なスキルだって一切使ってないし、強化もしてない程度の」
独り言を呟きながらも、自分の何が悪いのか、当然アインズは分かっている。
単純な一般常識の欠如だ。そして次に人間という生き物の立場に立って考えることが出来ていないという点。
この肉体になってからの人間は『動物』だ。面識の全く無い人間であれば『蟻』と言っても良いほど。好きこのんで殺す気はないが、邪魔をするなら踏みつぶしても罪悪感に駆られることもない程度の生き物である。かつての仲間たちを賞賛したある村娘などの一部の例外を除いて。
そういった意識が生み出す、視線を『動物』視点に上手くあわせていないが故に生じるギャップだ。
「……やはり帝国で一般人として生活をして少し勉強しないといけないな」
アインズはナザリックという場所から滅多に離れることなく、この世界を生きてきた。安全性や目立つことを恐れて。しかし、今それが不味い事態となって降りかかっている。
今後も予測される事態を避けるには、やはりその世界で生きるしかない。
そうなると色々な問題がある。
「しかし住む場所とかどうするか。コネとか無いし、不動産屋とかも無いみたいだし……ジルクニフにお願いするというのも……セバスにこっそり聞くか。一軒屋とか帝国の基本的な価格だと幾らぐらいなんだろう」
ベッドの上で再びゴロリと寝返ると、アインズはさらにぶつぶつと呟く。
「無駄遣いはしたくないしな」
宝物殿には唸るほど金貨はあるし、アインズだって莫大な金額を保有している。しかし、それらを無駄に使うことは出来ない。まずナザリックの運営資金、さらにもしNPCが死亡した場合の蘇生費用、30レベル以上のモンスターを召喚する場合に消費される金銭。そういった諸々の理由に使われる。
だからこそアインズは金が欲しい。
領地をもらったら税収を普通に取って、その金でさらにナザリックを守るモンスターを召還してやろうと画策しているほどである。
しかし、それでも辺境侯という地位にいる者が宿屋の一室では話にならないだろう。
地位に見合った生活という言葉ぐらいは流石にアインズだって知っている。その言葉の意味が本当に成す部分を知らないにしても。
「他に……領地問題は全部デミウルゴスに丸投げで問題ないだろうが、あいつを働かせすぎか? しかしそれ以外に……」
ナザリックの面々を思いだしても、領地を運営管理できそうな顔が頭に浮かばない。アインズに領地管理なんか出来る気がしない。色々と考えていたアインズは面倒になり頭をかく。
「面倒だ。恐怖公に任せるとかどうだ。公とかついている貴族風な奴のことだ、意外に上手く管理するやもしれん。ジルクニフが置いていった秘書官を前に立たせて、恐怖公が後ろから操作する」
そこまで考え、『あー』といううめき声を上げる。さすがに恐怖公は色々な面で不味いかと判断して。
「はぁ。前途多難だな。まずはナザリックに連絡を送り、綺麗な死体の回収作業を命令して、それを媒介に召喚などに用いるようにしないと。雑務がたまっていくなぁ」アインズはベッドに顔を伏せ、呟く。「……ジルクニフの宮殿を見せてもらうのが楽しみだな。本当の宮廷なんかそうは見られないからな」
不幸の中に僅かな楽しみを見いだす。そうすればまだ頑張れるから。
そう考えるとアインズはごろごろとベッドの上を幾度も転がる。その時、懐で何かが潰れるような異様な感覚が走る。そこでようやく入れっぱなしになっていた手紙を思い出した。
「そう言えば読んでなかったな」
アインズは懐から取り出し、蝋を剥がして中の手紙を取り出す。広げて眺めるが、やはり文字が読めない。この世界の法則で言語は自動的に翻訳されているが、文字まではその力は及んでいない。
だからこそあの場では読まなかったのではなく、読めなかったのだ。
「やれやれ」
アインズは空間に手を入れると中から眼鏡を取り出す。セバスがかつて王都に向かったときに使用していた物と同じものだ。
それを着用し、アインズは皇帝の手紙を読み進める。読み進め、数度読み直し、アインズは深く頷く。
「……なるほど。確かに流石はジルクニフだ」
親愛なるアインズから書き始められた文章は、友人であるジルクニフで終わっていた。その中身は要約してしまえば将軍達に対する絶対な命令書だ。逆らうならば国家反逆罪として捕らえるというものであり、命令しているのはアインズの指揮下に入るようにというものだ。
今回は将軍達がアインズの願いを聞き届け、問題なく指揮権を委ねられたが、考えてみれば突然現れた男の命令を聞くはずがない。口頭での命令は受けているだろうがそれでも、だ。だからこそジルクニフは側近に手紙を持たせて送ってきたのだろう。
アインズはジルクニフの細かな手腕に頭が下がる思いだった。
上に立つというのはこういう細かなところまで考える必要がある。
ナザリック大地下墳墓の支配者という地位に立つアインズも、所詮は単なる一般人。こういった細かな部分での行き届きがまるで上手くない。
アインズは強く考える。
ジルクニフは上に立つよう教育を受けてきたのだろう。そんな人物を出来る限り真似をすれば、ナザリック大地下墳墓の支配者に相応しくなれるのではないかと。
「努力せねば。せっかく帝国の貴族に……ジルクニフの友となったのだ。横で観察していれば私でも……立派な支配者になれる……いや演技ぐらいは出来るようになるはずだ」
かつての仲間達がいれば問題はなかった。皆で相談し、色々なことを決めていけただろう。アインズは意見をまとめるだけで良かった。そして幾人かはアインズよりも高い教養を受け、深い知識を持っていた。
彼らがいれば――仲間達がいれば、アインズは何も心配することが無かっただろう。
しかしいない今、アインズこそが――モモンガという人物こそがナザリック大地下墳墓を支配し、維持し、管理していく最高責任者であることを失念してはいけない。
もちろん、それだけではない。ナザリックの代表者であり、アインズを通して全ての者はナザリック大地下墳墓、ひいてはかつての友人達を見るのだ。
友を汚すことは許されない。
支配者に相応しい者へ。ナザリック大地下墳墓の主人として。
かつての友たちが呆れないように。
アインズは虚空を睨み、その意志を強く心に抱くのだった。