邪神-1
今年最後の投稿に間に合いました。ふぃー。2日でなんとかなるものだ……眠いよ……。
「あああああ」
濁点の付きそうなおっさん臭い声を上げながら、アインズは大きく息を吐き出す。それは安堵の溜息であり、溜まっていた──肉体的ではなく、精神的に──疲労を吐き出すようなそんなものだ。
それからソファーにゆっくりと身を沈める。柔らかなソファーはアインズの全身を優しく受け止め、包み込んでくれる。
総革張りのソファーも悪くは無いが、この柔らかなソファーも捨てがたい。
そんなことをぼんやりと思いながら、アインズは頭もソファーに預け、ぼんやりと天井を見上げると、自分に声をかける。
「お疲れでーす」
非常に気の抜けた態度であり、ナザリックの支配者に相応しい態度を取るように時折心がけている男からすれば見っとも無い姿だった。しかしここは帝都内のアインズの私室であり、普段であれば控えているメイドたちも現在は下がらせている。
ならばこれぐらい良いじゃないか、とアインズは考えていた。
自室ですら寛げなかったら、そんなのは自室ですらないとも。
勿論、アインズがこんなに気を抜いているのも理由がある。
それを一言で言ってしまえば、顔を晒してから2日間、貴族達の来襲がぱったりと途絶えたためだ。
今までの忙しさから解放されたがための、空虚感がアインズを包んでいたためだといっても良いだろう。地獄の忙しさを乗り越え、暇になったりするとベッドから離れなくなってしまう現象と同じことである。
勿論、精神的な影響をさほど受けないアンデッドでありながら、こういった状況になるのは、アインズの中に残っている人間の残滓によるものだろう。
アインズは自分の中に残っている人間の精神構造に複雑なものを感じながら、今後の方針をぼんやりと考える。
そうなると2日間押し込めていた不安が滲みあがってきた。
「……うーむ。来ないと来ないで不安に感じるものだな」
顔を晒したのは少々早かったのではないかという思いが駆け巡る。しかし、アインズよりも知恵に優れるデミウルゴスが太鼓判を押したのだ。問題はないはずだ。
そうアインズは思い込むことにし、己の中に生じた不安を無理矢理に霧散させる。
「取り敢えずはシャルティアをナザリックに帰還させておくべきか。貴族達が来ないのであれば、シャルティアをここに置いておく理由も無いしな」
シャルティアにはナザリックの警備を固めて欲しい。確かに彼女はアインズの身を守るために、守護者の一人はここに配置すべきだと意見も出したし、デミウルゴスもそれには賛同していた。
守護者の中でその任がこなせる者はたった一人しかいない。
帝国ではエルフは奴隷とされている場合があるので、ダークエルフであるアウラは警備兵としては置けない。あまりにも異形の姿であるコキュートスも論外。そしてデミウルゴスは色々な仕事に忙しく駆け巡っているので除外。ガルガンチュアなど置けるはずがない。
そういった理由でシャルティアだ。
外見的にはさほど人間と変わりないし──本性は別に──、そして貴族達にも周知されていることだ。彼女が館内にいたとしても変に思う者はいない。そういう意味ではまさに適任だろう。
しかしアインズ自身の考えとしては自身の安全よりもナザリック大地下墳墓の警備の方が硬くしておきたかった。
守護者各員の心配は確かに理解できるのだが、この館にはセバスがいるし、危なければ即座に転移すれば良いのだから。それに敵によって帝都の拠点であるこの館を失っても痛くも無い。ならば出来る限り、兵力をここに置いておくというのは愚策だろう。
そこまでぼんやりと考えたアインズはふとアウラから連想して、奴隷という存在に思いをはせる。
「奴隷……。買うなら筋骨たくましい男の奴隷だな。抑止力として武器を持たせた屈強な男の存在は必要だし……な。女などいらんわ、セバスじゃあるまいし」
ナザリックから兵を連れてくれば問題はまるでないが、そういうわけにいかない。
顔を晒したとはいえ、それはまだ上位貴族達のみだ。平民達の前で晒したわけではない。これは単純にアインズという人物をどの程度知っているかを考えての行いだ。
辺境侯という存在がすぐに攻撃をしたりはしないということを知っている貴族ならば問題はないが、辺境侯を殆ど知らないであろう平民では、アインズが素顔を晒した際の衝撃の度合いは大きく異なる。これは言うまでも無いことであろう。
だからこそ平民達に怯えられる情報をアインズから漏らす気はまだ無かった。勿論、大貴族達が流す可能性は十分に考えるが、それに関しては計算ずくである。
そんなわけで目立っても問題ない、つまりは人間の兵力をアインズは欲していた。
これは抑止という意味でもある。
確かにアインズは強いし、セバスだっている。それに戦闘メイドたちだっているのだから、いまだ存在が不明なユグドラシルプレイヤーを除けば、大概の相手は撃退できるだろう。
しかし、老人や美女を見た目で判断し、舐めてかかってくるだろう相手がいるのも事実だ。
そのために見せ掛けの戦闘力として、屈強な男たちがいると便利だとアインズは前から少し考えていたのだ。
「それに力仕事などもあるからなぁ……。流石に数トンとかのものをセバスが一人で持っていたら不味いだろ……。警備ということで借り受けている騎士たちに雑務をお願いするというのも、人材がいないということを知られるみたいで情けないしな」
アインズの邸宅は確かにレイ将軍配下の騎士達に守られてはいる。彼らの熱意は確かに一級品であり、一部の騎士は死んでも良いというほどの忠義の姿勢を見せる。
アインズの口に出した褒美を狙ってのものだ。
実際、軽く幾つかの褒美を与えている。アイテムを与えては勿体ないので、病人などで有ればペストーニャを呼んだりしてだ。
下位の病気治療の魔法では治らないはずの病人を、アインズが預かって一日で癒して返した日から、彼らの忠誠心は限界を突破していた。
これを現金と見る者はいるだろう。確かに見返りを求めての忠誠は信用できないという人間もいるが、アインズはどちらかといえばそちらの方が信用できると考えていた。メリットがあれば裏切らないということの裏返しだからだ。そういう意味では理性を重んじる男の方がアインズとしては使い勝手的にも嬉しく、感情を優先させる女の忠義は信用できないでいた。
デミウルゴス辺りにすると「感情を掴むと非常に信頼できます」とのことだし、セバスのつれてきた女のことでもそうだと理解できるが、そこまで女の心を掴むすべを知らないアインズからするとやはり女の忠誠は鬼門の部類だった。
アインズが無償での忠義を示してくれる者で信頼しているのはナザリックの存在だけだ。
そんな騎士たちであればアインズの命令に従って汚れ作業や肉体作業を行ってはくれるだろう。しかし、それはあまりにも恥ずかしい。
アインズは辺境侯という地位に就いている。ならばそれほどの地位に就いているだけの力を誇示する必要がある。
大貴族がみすぼらしい格好をしていれば、それは単に嘲笑の種である。それと同じことで、肉体労働させる人材がいないというのも、笑われてもおかしくはない。
「それに奴隷ならば裏を調べる必要も無いだろうし……購入の件は真剣に検討しても良いな。闘技場に出てる剣闘奴隷なんていたら買って良いかも……」
アインズは脳裏に屈強な戦士達を浮かべる。昔見た映画に出演していた、海外のマッチョな俳優たちをだ。
無論、ナザリックのシモベ達からすればゴミ同然だろう。しかしそれでも見せかけの兵力としては、アインズの脳内では合格だった。
もし奴隷を購入したら、どこに住まわせるべきかなどと考えていると、扉が数度ノックされる。
びくりと体を震わせてから、アインズは己の服装を整える。
「セバスです、アインズ様」
「……入れ」
扉越しに聞こえた声に、務めて重々しく答えると、扉が静かに開く。
そしてセバスが部屋に入ると、深々と一礼を示した。対してアインズは支配者らしく鷹揚に答える。
「どうしたセバス。何かあったのか?」
「はい。アインズ様。一つ面倒なことが」
「なんだ? どこかの貴族でも来たのか? いや、それであれば面倒とは言わんか」
皮肉めいたアインズの質問に、セバスは眉を顰めながら答える。
「はい。どうもそのようなのですが……」
「なんだ? はっきりしないな。何があった?」
「はっ。馬車が一台参りまして、辺境侯様――アインズ様に乗って欲しいと」
「爵位に敬称を付ける? ということは相手は貴族ではないのか?」
「はい。御者が使者も兼ねているようでして、どちらかの貴族の御方とお約束でも?」
「いや、そんな約束はしてない。……セバスがそう聞いてくると言うことは、馬車を送るという旨の連絡をしてきた貴族もいないのだろ? それで……セバスは面倒と言ったな? ならばそれで話は終わりではないのだろ? 続けろ」
「畏まりました。実は、問題となるのはその馬車──見事な馬車ではありますが、どこの家紋も刻まれていないようなのです。更には御者に問いかけてはみたのですが、向かう先も不明とのことで……。いかがいたしましょう? 非常に怪しいのですが」
「それは……罠などはありえないな」
「かと思われます。まさか、堂々とアインズ様の別邸まで来て、乗って欲しいまで言うのが罠とは……。極秘の会談と見せかけて、向かった先で罠にかけるなどでしょうか? ならばもう少しアインズ様を誘導するような嘘をついてくるかと……」
「そうだな……なんというか。罠の雰囲気が無いというか……」
「それにどうも非常に礼儀正しい対応を向こうが示すのです。アインズ様を特別なお客様と認識しているような雰囲気もありまして……どういう対応をして良いのか……」
なんだそりゃ、などと思いながらアインズは入ってるか不明な脳みそをフル回転させる。
しかし答えは出ない。
御者に魔法をかけて情報を入手するという線も考えたが、実のところ魔法も万能ではない。つまりは途中で御者が変わってしまえば、魔法で得た情報と行き先は、大いに異なる結果となるだろう。これが魅了などの精神操作系の魔法に対する対策の一つらしいと、アインズが知ったのはつい最近の話だ。
とりあえず断ったらどうなるんだろうか、という好奇心が湧いてくる。しかしロールプレイングゲームのようにセーブやロードが出来るわけでもない。断られたらそれで話が終わりとなってしまう可能性だってあった。
静かに考え込んだ時間はさほど無かっただろう。どうにせよ相手の懐に飛び込まれなければ情報は入手できないわけで、更にはこの謎の馬車の存在はアインズの好奇心を刺激していた。
ならば出てくる答えは一つ以外あり得ない。
「御者に聞け。私以外の者の同行は認めないかを。もし認めるならばソリュシャンを同行させる。認めないならば、私一人で行くとしよう。勿論、どちらになろうが、隠密理に馬車を追ってくる者を選抜せよ。エイトエッジ・アサシンなどを使用する許可を与える」
「畏まりました、アインズ様」
「それでは……今回の仮面はどうする? 落ち着いたものが良いと思うよな? 先方も目立たないものを望んでいるようだしな」
「いえ、ここは辺境侯という地位に相応しい物が良いかと思われます」
「……そうか。でも鳥の羽が生えたのは嫌だぞ?」
◆
途中で馬車を乗り換え、御者が変わるなどを繰り返し、ようやく目的地に着いたらしき時には十分な時間が経過した頃だった。巨大な帝都であっても端から端まで着いてしまうだけの距離を走ったのは、アインズに場所を悟られないという目的ではなく、尾行を警戒してだろう。
アインズは横に乗る美女の耳元に口を寄せると囁く。
「……ソリュシャン。尾行は?」
「はい、アインズ様。6名。上空に2名。地上に4名。全てナザリックの手の者です」
「その尾行が見破られている可能性は?」
「非常に低いかと思われます。三百メートルは各員離れております。これは上空の存在が指令塔として命令を出しているためだと思われます」
「そうか……ならば虎穴に入りに行くとしようか?」
「畏まりました。では私が先を」
「いらん。辺境侯が、メイドを先に送るような腰抜けだとは思われたくもない」
二人がそんな会話をしていると、外を歩く音が聞こえ、扉の向こう側から男の声がした。
「辺境侯様。目的地に到着いたしました。降りていただけますでしょうか?」
「分かった。今、降りよう」
扉は向こう側から開かれ、外気が流れ込んでくる。その中にあったのは土の匂いだ。
アインズは月光にその身を晒し、周囲を見渡す。
戦士達が周囲を囲むなどということはなく、途中で交代した御者がいるだけだ。そしてその場は墓地であった。
「ふむ……夜のデートコースとしては不合格な場所だが、これが帝国風という奴かな?」
御者がアインズの問いかけに苦笑いで答える。
「すまないな。下らない冗談だった」
「いえ、非常に面白かったです。辺境侯様」
「そうかね? それで……私に会いたい御仁はどこにいるのかね?」
「はい。申し訳ありませんが、実はここからもう少し歩きまして……」
「ああ、気にするな。歩くのも健康に良いという奴だ。夜の墓地というのもなかなか乙なものだしな」
御者の作ったような笑顔に罅が入る。その原因となったのは憤怒などではなく、怯えだ。アインズとしては素直な思いだったのだが、不快さから皮肉を口にしたと思ったのだろう。
(実際、墓地というのも悪くはない)
夜空は多少の雲がかかっているために月光は遮られてはいるが、魔法の光源があるために墓地内はさほど暗くない。しかも綺麗に整列されているためか、不吉さなども皆無だった。
ぐるっと見渡しても動く影は無い。いや、アインズは遙か上空に一瞬だけ動く影を見つけるが、直ぐに目をそらす。
「……ナーベラルか」
「は?」
「いや、何でも無い、何でも無い。こっちの話だ。それよりも何処に案内してくれるかね?」
「はい。こちらです、辺境侯様。足元の方、大丈夫でしょうか? 申し訳ありませんが明かりをつけるのは許されておらず」
「問題ないさ。私は意外に夜目が効くんだ。それにもし無理だったら魔法でどうにかするさ」
そういいながらも、アインズは心の中で小首を傾げる。
墓場に馬車で乗り込み、さらには声を潜めるでもなく、ここまで堂々としていれば明かりをつけるぐらい大した問題ではないだろう。
微妙に対応がちぐはぐしていることが気になったのだ。
(……ある程度は口をふさぐだけの力があるが、同格の対抗貴族家があるために派手すぎる行動は取れない。もしくは墓場の管理に関する家か)
アインズはその辺りかと予測し、御者の後ろをソリュシャンを引き連れ続く。
着いた先は霊廟であった。御者は慣れた雰囲気での石の扉を押し開ける。
中から香の甘い匂いが漂い出す。
御者はアインズとソリュシャンを霊廟内に招き入れると、扉を閉める。アインズがここから何をしているのかと考えていると、ソリュシャンが顔を下に向けているのを発見する。
アインズも釣られて下を見るが、石の床があるだけで何か変わったところがあるようには思えない。そんなアインズにソリュシャンが告げる。
「下に大きな空間がございます。恐らくは隠し部屋かと」
なるほどと、アインズは頷く。
盗賊系の能力を持っていないアインズではそういったものを発見することは困難だ。特にこの世界ではそうだ。スキルを持っていない料理を行おうとすると、炭ができあがるのと同じ理論だ。
ソリュシャンの声が聞こえた御者は僅かに驚いたような表情を浮かべながら、奥に置かれた石の台座に近寄ると、石の台座の下の方にある意外に細かな彫刻を押し込んだ。
壊れることなく、それは動くとガチンという何かが噛み合う音がした。そして一拍後、ゴリゴリと言う音を立て、ゆっくりと石の台座が動き出す。その下から姿を見せたのは地下へと続く階段である。
「では、まいりましょう」
そのまま御者に従ってアインズは階段を下りる。
途中で一度折れ曲がった階段を下りきると、そこは広い空洞が広がっていた。壁や床はむき出しの地面ではあったが、人の手が入っているために簡単に崩れたりしそうな雰囲気はない。
空気もまた淀んではおらず、何処から取り入れてるかは不明ではあるが、新鮮なものだった。
ただ、そこは決して墓場の一部ではない。もっと邪悪な何かであった。
壁には奇怪なタペストリーが垂れ下がり、その下には真っ赤な蝋燭が幾本も立てられ、ボンヤリとした明かりを放っている。踊るように揺れる灯りが、無数の陰影を作る。微かに漂うのは血の臭いだ。
そしてそこには三人の人影があった。その内の一人に御者は話しかける。
「公爵様。辺境侯様をお連れしました」
それはアインズがパーティーを開き、貴族達に素顔を見せたとき、最初に向かってきた貴族だ。
(確か、ウィンブルグ公爵だったか?)
「よくぞ、来てくださいました、辺境侯――様」
その言葉にアインズは仮面の下で顔を歪める。公爵に様をつけて呼ばれる理由が思い至らない。しかし、顔を見せたことによって、警戒の意味もあるのかも知れないと判断したアインズはそこには深く追求することなく流すこととする。
「好奇心を刺激されてしまったからね。秘密裏に呼ばれたからには、楽しいパーティーでも始まるのだろ、公爵?」
「はははは。まさに」
公爵は機嫌良く笑うと、隣にいた神官のような服装をした――ただ黒い――男の方を向く。
「行こうか、皆も待ち望んでいよう」
「畏まりました。クレマン殿。私は公と共に皆様の準備をしているので、辺境侯様をお願いします」
「分かりました。では辺境侯様、私が部屋の方まで案内させていただきますので、着いてきてください」
答えたのは猫のようなところのある女だ。紫の瞳がじっとアインズを見つめていた。
「ああ、よろしく頼む」
「ではまた後で、辺境侯様」
「……ああ」
なんか奇怪な敬意を示してくる公爵と別れ、アインズはクレマンと呼ばれた女の案内で別の部屋に通される。
そこは玄室のような作りであり、奥に一つの石製のイスがどんと置かれていた。そんな部屋の中央まで来た辺りでクレマンがアインズに話しかける。
「あれに座って待っていてくれますか?」
口調こそは丁寧ではあったが、その中には先ほどまで微かにはあった敬意が皆無であった。先ほどの態度は公爵の前だったからだということなのだろう。
更にはその目にはアインズを値踏みするようなものがあり、実力を計っているようにアインズには感じられた。
アインズは若干不快に思う。公爵の護衛かもしれないが、そんな目で見られる筋合いは無い。そんな思いをぶつける最適な標的として、アインズはあるものを選択する。流石にクレマンを選ぶことは出来ない。
「いらんよ」
「はい?」
不思議がるクレマンを無視して、アインズは巨大な石の玉座に近寄る。
「薄汚いイスだな」
アインズはそれだけ言うと玉座に手をかけた。軽く動かす。幸運な事に下まで固定されてないようで、僅かに動く。
「まさか、私をこんな汚い石の塊に座らせたいのではないだろ?」
クレマンにじっと視線を向けながら、アインズは石の玉座を――二トンはあるだろうものを片手で持ち上げる。
クレマンが驚愕したように一歩後退し、腰を軽く落とす。それは即座に反応出来る、戦闘態勢だ。
アインズはそんな態度に聞こえるようにわざとらしく鼻で笑うと、玉座を放り出す。放り出すといってもアインズの腕力を駆使した投擲だ。それは剛速球を投げるに等しい。
壁と玉座がぶつかり合い、あり得ないような激突音が響き、大地が揺れるような音がする。
砕け散った石が周囲に飛び散り、壁には蜘蛛の巣のような罅が入っていた。天井からぱらりぱらりと土がこぼれ落ちてくるが、抜ける気配は無かった。
天井が抜けてきた時を考えて準備していた魔法を解除しつつ、クレマンの様子をアインズは横目で伺う。
そこにいたのは単なる女だ。
壁の激突音で「ひっ!」と軽い悲鳴を上げたクレマンは、土埃が天井から落ちてくるたびにびくりびくりと肩を竦めている。
それにまるで小動物のような動きで、横倒しになった大きく欠けた石の玉座を眺めていた。浅く荒い息がその内心を雄弁に物語っている。
先ほどまで腰を落としていたのが戦闘態勢であるとしたら、今の落としている姿は少しでも自分の身を小さくすることで、アインズの視界内に体を入れたくないというもの。
そんな姿にアインズは先ほどまでの評価を一段下げることにする。
(やはり……護衛とかではなく、単なる女か。公爵に気に入られているから私に対して偉そうな態度を匂わせてしまったというところだな。やれやれ、単なる小娘の跳ね上がりに苛立つとは……大人の度量を見せるべきだったか? まぁ、舐められても困るし、妥当な判断だったと思いたいものだな)
「……汚いイスは無くなったな。さて、私は何処に座るとしようか?」
「では私がイスに?」
今まで黙っていたソリュシャンの久しぶりの声を聞き、アインズは軽く脱力する。
「それも悪くはないが――」
「――で、では私が」
クレマンが恐る恐ると問いかけてくる。その瞳にはあるのは怯えた光であり、完全にアインズには単なる平民の小娘にしか思えなかった。
(俺は女に座るような者だと思われているんだろうか? ……結果的に人が苦しむことになっても構わないが、だからといって率先して人を苦しめたいとは思わないのだが……。やはりこれが平民的な反応なんだろうか? 仮面を取るのは避けた方が良いのかなぁ)
「いらん」
かつてのシャルティアを思い出しながら、アインズは言い捨てる。クレマンがびくりと肩を振るわせた。
そこまで怯えなくても良いだろうとアインズは内心でぼやきながら、先ほどまで石の玉座があった場所に指を突きつける。
《上位道具作成/グレーター・クリエイト・アイテム》
魔法の発動と共に、そこには黒曜石で生み出された玉座が鎮座していた。揺らめく蝋燭の光を反射し、黒く輝くその玉座はまさに見事な物であった。
「嘘……本当に魔法使い……あれだけの肉体能力を持った……? ハハ……冗談。あり得ないでしょ……」
呆然としたような女の声を無視し、アインズは鷹揚に黒曜石の玉座に腰掛ける。ゆっくりと足を組みながら、肘掛に右腕を乗せると、手の甲に顎を乗せる。それからゆっくりとクレマンへと顔を向けた。
「何か言ったな? 何だ?」
「イぃ、いえぇ、な、何でもナいでス!」
何かが壊れたような引きつった笑いを浮かべ、幾度も裏返った声で返事をする女に、アインズは鼻で笑う。別に本気でおかしいわけではなく、支配者に相応しい傲慢な態度を演技してだ。
それが見事にはまったのだろう。クレマンがブルリと体を震わせた。そのタイミングを待っていたように、入ってきた木のドアが音を立てて開かれ、息を乱した公爵が顔を覗かせる。
「何事ですか! 何か凄まじい音がしましたが!」
「ああ、大したことは何も起こってないさ、公爵。私が座るべきイスがなかった物でね、準備させてもらっただけだ」
公爵の目が動き、横倒しになった石の玉座に釘付けになる。何か言いたげな素振りを見せ、それから頭を横に振った。
「ならば仕方ありませんね。もうしばらくお待ち下さい、辺境侯様」
それだけ言うと立ち去る公爵に対して、アインズは意外に物わかりがよい、と思う。普通であれば壁や玉座の状況から、もう少し大きな反応を示しても良いところであろう。ただ、冷静に考えてみれば、アインズが強大な力を持つと知る者からすれば、十分に納得のいくところなのしれない。
王国の軍を十万も殺し尽くした男であれば、壁に大きな罅を入れることも用意であろう。それにアインズの開いたパーティーでも、参加した全ての貴族が口々にその財と力を称賛していた。
それらが相まって、この程度アインズからすれば容易いことと判断されたに違いない。
計画していたとおりに物事が進展していることに、アインズは仮面の下で満足げに笑いを浮かべる。
この調子で行けば、アインズ・ウール・ゴウンの名は不偏のものとなるだろう。その時にギルド長としてかつての仲間達に顔向けが出来るというもの。
喜悦をアインズが感じていると、横にソリュシャンが並び、耳元に口を当ててくる。
「アインズ様。こちらを伺う者をおりますが処分いたしますか?」
アインズの視線が、部屋の隅にいつの間にか移動して、小さくなろうとしているクレマンへと動く。それから部屋全体をぐるりと軽く見渡し――
「警備の者だろ? 無視しておけ」
「畏まりました」
一礼するとソリュシャンが離れる。
そのまましばらく時間が過ぎる。クレマンに話しかけようと思っても、一番遠い場所でおどおどとこちらの様子を窺っている女に話しかけるのもなんだかなという気持ちが働いたので、アインズはぼんやりと待つことにした。
ソリュシャンがアインズを待たせるという行為に不快げな雰囲気を放つが、それはアインズ自身が押しとどめた。
待たせた結果を見てから判断すべきなのだから。
やがて扉が叩かれ、そして開かれる。
ついに何か始まるのかと、若干期待した気持ちで扉を眺めたアインズは出てきた者達を見て、完全に硬直した。
入ってきたのは男女交えて、総数二十人ほどだ。
顔は骸骨を思わせる覆面を被っており、うかがい知ることは出来ない。問題はその下だ。上半身、下半身共に裸である。
もしこれが若者のものであれば五歩ぐらい譲って、男の裸でもまだ我慢出来たしれない。鍛え抜かれた体であれば三歩ぐらいで済むだろう。
しかし――違う。
中年というより老人の皺だらけのものであり、弛んだぶよぶよとした皮のものだ。老人で無ければ、あるのは中年のだらしない肉体は油の詰まった肉袋だ。
男がそうなのだ、女だってそうだ。第一の感想は干し柿である。
アインズは仮面の下で目を閉ざす。
見たくなかった。もはやそれは精神的ブラクラでしかなかった。
(な、なんだ、これは……ヌ、ヌーディスト……ビーチではない。グレイブヤード? ヌーディスト・グレイブヤードなのか? ……なんで俺はこんなところに呼び出されたんだ? いやヌーディストとかではなく……噂の乱交とかだったらどうする? それとも仮面を愛する貴族達の集会とか言われたら、俺はどうすれば良いんだ?!)
アインズが仮面の下でアンデッドであるにも係わらず非常に動揺していると、先頭に立つ男――当然、全裸である――が声を発する。
「辺境侯様! 仮面をお取り下さい! そしてその真なるお顔をお見せ下さい!」
公爵の声だ。
こいつ実は狂人だったのか、などと思いながら、アインズはどうするか迷う。正直こんな狂人たちの前で仮面を取ることが良いことなのか、判断があまりにもつかなかったのだ。
アインズの真なる素顔とは公爵の知っているアンデッドの顔であることは間違いない。しかし、真の素顔を晒した場合、なんだか得体の知れないことが起こりうる可能性がある。
「辺境侯様! どうぞ、仮面をお取り下さい!」
繰り返され、アインズは覚悟を決める。
もはやあまりにも理解出来ない事態であり、この仮面を外すことが良いことか悪いことかもは判断つかなかったのだ。
「……ならば見るが良い。私の素顔を」
アインズは仮面を外し、そのアンデッドの素顔を晒す。
動揺が走った。
だが、それはアインズが想像していたものとは違い、マイナスではなくプラスの雰囲気を醸し出していた。
一斉に変質者達はひれ伏す。そして声を合わせて、呼びかける。
「邪神様! 邪神様のご光臨だ!」
おお、という称賛の呻きが響く。
アインズは嫌な予感を覚えつつ、目だけで周囲を見渡す。
いない。
邪神など何処にもいない。
何処を見渡しても、それらしきおぞましき存在はいない。
何処を見渡しても、それらしい絶対者はいない。
ならば残る答えは一つである。ソリュシャンというわけでもないだろうから。
どうみてもそうとしか考えようがなかった。
つまりは――
(――俺が邪神か!!)
そう内心で絶叫する。
そしてアンデッドであるにもかかわらず、アインズは混乱する。
おかしい。
おかしすぎる。
何故こうなった。
王国軍を一撃で崩壊させた強大な魔法使いであり、そして貴族の礼儀を知る人物。アンデッドではあるが、それでも即座に危険をまき散らす存在ではない。
そう理解してもらうよう、腐心した筈ではなかったのだろか。
それなのに、何でこうなった? それとも邪神とはこう……良い意味を持った神様なのだろうか?
しかし、そんなアインズの動揺は一瞬であった。
確かにアインズ一人で立案した計画であれば、失敗したと思っただろう。しかし、デミウルゴスやフールーダの賛成を得た計画が狂うのはあまり無いはずだ。
思案すれば出てくる答えは限られていた。
(この場にいるのは、帝国の中でも一部の勘違いした者達ということだな)
そう結論を出したアインズは薄く嗤う。
さて、どうやってこの勘違いしている者達を利用してやろうか、と。
クレマンさん「良かった。敵対する前に実力を知っておいて!」
次は一月後半を狙っていきたいです。あ、邪神は次で終わりです。
さぁ、3巻の作業に戻るよ! お正月中に大半終わらせないとね!