舞踏会-4
漆黒教典がwebでは正解の筈ですが、書籍に統一して聖典に変更します。ご了承を。
辺境侯の登場を待ち望んでいた貴族達は、己の目を疑った。姿を見せたのが謎の貴族ではなく、6人の女性たちだったためだ。
彼女達が何者か。それはその身に纏う服が雄弁に語っている。
メイドである。
彼女達が着ている服はメイド服と呼ばれるものに酷似していた。決して貴族が社交界で着るものではない。そんな彼女たちがその場にいることはあまりにも場違いなはずだった。しかしその光景を目にする誰もがその言葉を発することが出来ない。
脳の冷静な部分はこれがありえないことだと、叫び声を上げている。
通常メイドのような地位の低い者が、階段の上に姿を見せることはありえない。貴族を下に見るとことが──こういった場で──許されるはずが無いからだ。
しかし――しかしだ。
声を上げることが出来るだろうか。
その圧倒的な美を前に。
どんな貴族のどんな血を引く女よりも美しい顔立ちをした娘達。それも姉妹などの血縁ではなく、それぞれが違った美を放った6人の美姫。彼女たちほどの美しい女性であれば、メイド服を着ていたとしても貴族と同等の扱いをしても良いのではないだろうか。そんな思いすら込み上げる。
美しい女は見てきた。そして抱いてきた。そういった男であっても、これほど美しい女たちが一同に会した光景を目にしたことは無い。
自分の美貌に自信を持つ女達は、自分が完全に敗北したことに対して嫉妬の念は起こらなかった。何故なら、超一級の芸術家がクリスタルを削りだして作り出した美に負けたとして、何の悔しさが生じるだろうか。既に基礎の段階で勝敗は付いているのだから。
その場に集まった貴族達は息を飲み、美しさを少しでも目に焼き付けようと、6人の女性をただ黙って眺める。
恐らくはこの場にいたのが単なる平民であれば、ここまでの反応は示さなかったであろう。しかしながらこの場にいるのは美しいものに見慣れてきた審美眼確かな貴族達である。そのために衝撃は平民よりも遙かに大きかった。
楽団ですら演奏することを忘れてしまい、静寂の場と変わった会場へ、メイドたちはゆっくりと左右に並んで階段を降りはじめる。ただし、かなりの間隔を開けて、だ。
2人のメイドが階段下まで降りたのに対し、次の2人のメイドは階段中腹。そして残りの2人のメイドは最初の位置から一切動いてなかった。
その奇怪な行動はメイドたちが、その手に真紅の絨毯を持っていることで氷解される。
並んでいたメイドたちが左右に別れて絨毯を広げると、階段にそれが敷かれた。
その次に互いあわせに向き直ると、背筋を伸ばし、綺麗な姿勢で頭を垂れる。それはまさに主人の登場を待つ、メイドの見事な姿である。
顔が隠れたことで魔法が途切れたように──一部の貴族達はいまだ視線を外せなく、人によっては臀部などに視線を釘つけにしているが──貴族達の視線が動き、新たに姿を表した男女を捕らえる。
1人は見事なまでに美しい、純白のタキシードでスラリとした肢体を纏った男だ。
白金を使っていると思わせる輝きを放ち、汚れは当然のように無い。一着で大貴族一族の一年の生活を支えることすら余裕であろう服だ。
その顔はやはり仮面に隠れているが、その人物こそ辺境侯であるのは明白だ。
ただし、本来であればこの場の支配者になるべき人物であったが、この瞬間においては添え物にしか思われなかった。
その横に並ぶ銀髪の女性。いやもっと年若く、成人になったばかり程度の年齢に思われた少女の存在があるためだ。
それは女王──支配者の雰囲気を漂わせる少女だった。
距離があるというにも関わらず、その顔に傲慢な、そして真紅の瞳には嘲りの感情が浮かんでいるのが感じ取れる。しかしそれが少女にはそれが非常に似合っていた。
「おおぉ!」
幾人かの貴族達がうめき声を上げた。
全てを下に見下す1人の女王が、視線が隣に立つ辺境侯に動いた瞬間、1人の可憐な少女へと変わったためだ。
それは男として羨望したくなる視線だった。自分には決して向けられない、辺境侯のみに向けられる感情をそこに感じ取り、幾人もの男が嫉妬の念を抱く。
思わず頭を垂れたくなるような2人組み──特に少女の方──が、真紅の絨毯が敷かれた階段をゆっくりと降りはじめる。少女が辺境侯に手を預けながら降りてくる光景は、まさに女王の降臨を思わせた。
そして2人が通り過ぎると、メイドも頭を上げて、その後ろを静々と歩き始める。
1人の女王と男、そして美しい6人のメイドからなる一行が階段の下まで降りた。
基本、こういった場にあっては、男が女の替え添えに回る場合は多い。それは男と女、どちらが派手で金の掛かった服を着ているかを見るだけで一目瞭然だろう。だからこそ、男1人でこういった会場に来る者は無く、必ずパートナーを見繕うのが基本だ。勿論、例外はいないわけでもないが。
ただ、だからといって男が下に見られるなどのことは絶対にありえない無い。
こういった集まりでの際、女というのは男の身を飾る宝石のようなもの。女が輝けば輝くほど、それを連れた男の力を誇示する面がある。女の美しさも、男の代理戦争の一面に過ぎないのだ。
だからこそ全ての貴族達が理解する。
辺境侯という男が──これ以上無い宝石でそれも無数に身に飾っているということが、どの貴族もが足元に及ばないだけの力を持つと言うこと。
幾人もの貴族達が男としての敗北を知り、目線を下げた。
貴族達が道を作る中、辺境侯の一団はゆっくりと歩き出す。向かった先で座していたジルクニフがゆっくりと立ち上がると、壇上から降りる。
そして柔らかい笑顔と共に両腕を広げた。
「良く来てくれたな、我が友。アインズよ」
まるでその辺りの貴族が友人を迎え入れるような、そんな気楽な態度であった。対して辺境侯も答える。
「招いてくれて嬉しいよ。ジルクニフ」
互いに抱き合い、軽く背中を叩く。それは貴族としての態度ではなく、男友達の姿だった。
その光景に貴族達がジルクニフの言いたいこと、そして見せたいことを十分に理解した。
「さぁ、最も大切な友人も来たことだし、舞踏会を始めよう」
そのジルクニフの声に我に返り、楽団が曲を奏で始め、静かなざわめきが戻りだす。しかしながら、殆どの者の目が、壇上の席に腰掛ける4人とその後ろに付き従う6人のメイドたちから離れることは無かった。
■
「かはっ」
同じ部隊に所属する仲間が息を吐き出す。それはまるで溺れていた者がようやく水面に上がったときにあげるものと酷似していた。
見事な体躯を持つ、漆黒聖典第7席次『巨壁万軍』エドガール・ククフ・ボ-マルシェは仲間の背中をその分厚い手で叩く。
「おいおい、大丈夫か? こんなところでマウス・トゥ・マウスはしたくはないぞ」
並びの良い白い歯をむき出しに笑うエドガールに対し、男は苦笑いを浮かべるだけだった。その微妙な笑いに真剣なものを感じ取り、エドガールも表情を真剣なものへと変える。
「……それで辺境侯の強さはどんなもんだった?」
漆黒聖典最下位の席次――つまりは最弱の――第11席次である彼が、ある意味危険な場所であるここに連れてこられた理由はたった1つだ。その彼の特殊な力を期待してである。
「その前に……あの6人のメイドだ」
「ほほぉお。あの美女たちか。なんだ、惚れたか? そりゃ確かに国でも見ないような……」そこまで軽口を叩いた辺りで、仲間の顔に浮かぶ真剣な表情にもはや完全に冗談を言える空気ではないと悟る。「……あれがどうした?」
「私たちよりも強い」
言葉を溢そうとし、それを飲み込む。数度繰り返してエドガールは問いかけた。
「おいおい……本気か? あの娘っこたちがか? ……いや、嘘のはずが無いわな。そいつがお前の力だし、冗談を言う性格ではないからな。しかし……あれがか……それにしても6人全員がか? 1人ぐらいだよな?」
一握りの期待を込めての問いかけは即座に否定される。エドガールは天を仰ぐ。
漆黒聖典。
それは11人からなるスレイン法国最強の特務部隊の名である。
彼らを知る者は、大抵が暗殺部隊だと思っているが、実のところは違う。
彼らは人類最強の守り手である。当然、守るべき対象は人類というか弱き種族である。
600年も昔、強大な他種族との生存競争に敗れ、滅びつつあった人間種族を救った神々――6大神の教えを強く体現した存在である彼らは、自分たちこそ人類最強であるという自負を抱いて、今なお上を目指して鍛錬を積んできている。
かの周辺国家最強の戦士ガゼフ・ストロノーフ。彼が最強と言われるのはあくまでも漆黒聖典の者達が表舞台に出ないためにしかすぎない。もし仮に出れば最強の座は容易く奪えるだろうと、彼らは考えており、そしてそれは事実でもあった。
流石にフールーダに匹敵する魔法使いはいないが、並ぶだけの――第六位階の魔法を使用可能な――神官などが極秘ではあるが、所属しているほどだ。
特別な例外を除き、彼らに勝てる人間はいないはずだった。
そんな漆黒聖典のメンバーを容易く越える存在が幾人も出てくれば、その衝撃は信じられないほど大きい。
「そしてあの少女」
「ふむ」
もう何を言われても動揺しない。そういった意気込みは彼の話を聞いて一瞬で吹き飛ぶ。
「あの少女は私達の隊長なみに強い」
「……だと! それはまさか……ありえん……いや、こればっかりは信じられん……」
嘘の筈は無いと理性が叫ぶが、感情が信じてくれない。こればかりは同僚の誰に聞いたとしても信じるものがいないだろう。漆黒聖典最強の存在たる第1席次。つまりは6大神の血を覚醒させた唯一の存在。竜王と対等に戦える存在と同格だというのだから。
それもあんなに美しい少女が。
エドガールは必死に感情を押し殺す。今重要なのは冷静な思考であり、凝り固まった考え方ではない。それに縛られてはすべき任務を見失う。
「……もしやあの少女も神人か?」
「その可能性が無いとは言い切れないが……真なる竜王の可能性だってある」
「500年の――世界盟約を破ってだと? いやそうか。確かに、この状況下ではまだ盟約は破られていないな」
エドガールは眉を潜める。世界を汚す猛毒に対する同盟。スレイン法国がかたくなに守る最強の契約。それが最悪な事態でも破られて無いと知って。
「エドガール。少しだけ注意して欲しいんだが、彼女と隊長。どちらが強いかまでは分からないんだ。両者とも私より桁外れに強いと感じ取れる程度で……」
「そうだったな……」
小銭しか使ったことがない者では、9億と10億どちらも大金としか思えないようなものだ。その微妙なニュアンスを上手く受け取り、エドガールは頷く。ただ、どうにせよ。あの少女は容易く国を滅ぼせるような存在だということだ。
「それで辺境侯も隊長なみに強いのか?」
仲間が困ったように表情を歪める。その微妙な表情にエドガールは困惑した。普通に考えればあれほどの強さを持つ少女を連れているのだから、同格程度の力を持っていてもおかしくはない。何を迷う必要があるのだろう。
「どうした?」
「いや……実は全然強さを感じなかったんだ」
疑問を抱き、首を傾げる。
「それは一体いかなるわけだ?」
「辺境侯が影武者を出している。辺境侯は何らかの手段で強さを隠している。実は辺境侯は強くない」
男が指折りながら可能性を羅列していく。
「最後はありえんだろ? 10万を超える軍勢を殺しつくしたと言うし、実際、その光景は騎士に潜り込んだ風花の人間が見ているのだろ?」
「マジックアイテムと言う線がある」
「ああ、なるほど。規格外品。神々の残せしアイテムか」
うんうんとエドガールは頷く。
「それ以外に実はあの少女の方が本命という可能性だってあるだろ?」
「ふむー。ちと良くわからんな。その辺は頭脳担当の仕事だ。取り敢えずはまだ情報が不足している以上、辺境侯に接触を持ったりアクションを起こしたりするのはやめたほうが良さそうだな。というか隊長なみにあの少女が強いと聞いて、金玉がきゅうっと縮み上がったぞ」
「それは悪かったな」
顔を顰めた友ににやりと男らしい笑いを向けると、エドガールはジルクニフと話しているアインズ・ウール・ゴウンを眺める。
「さて。その仮面の下はどんな顔をしていることやら」
■
ジルクニフはまさに完璧なホストであった。
というのも話が上手く、面白い。
身近な題材を会話のネタにしながらも、引き込まれるような話の展開や描写だ。そして上手いタイミングでこちらにも話を振って、会話を引き出してくる。本来であればそのまま何時までも話をしていたかったが、完全にのめり込めなかったのは、これから待っているダンスのためだ。
それを考えるだけで胃が痛い。
勿論、アインズに胃は無いのだから、そんなのは気のせいである。気持ち悪いのも緊張などの所為ではなく、気のせいである。
そんなのは嘘だ!
アインズは叫びたい衝動に駆られる。胃がむかむかとし、きりきりと痛みが走っているのに、これがアインズの思いこみであるはずがない。
それともこれが幻肢痛と呼ばれる奴なのだろうか。
恐らくは残滓のごとくある、人間の精神が緊張のあまりに叫び声を上げているのだろう。
これほど多く集まった観客の前で踊るなど、どんな拷問なのか。仮面の下で視線を動かし貴族達を眺めれば、談話をしながらアインズたちに注意を払っているのが丸分かりだった。
恐怖公の監修の下、ダンスの練習はみっちりと積んだ。
アンデッドであるアインズもシャルティアも、休息や睡眠といったものが必要でないために短い時間ではあったが、その内容は非常に濃い。数日の訓練は、普通の人間であれば数週間にも匹敵するものだっただろう。
それだけの訓練をこなしたために「人事尽くして天命を待つ」と言う言葉があるが、ここに来るまでのアインズの心境はそんな感じだった。それだけの自信と僅かな諦めがあった。
しかし、こうして貴族達を前にすると不安がこみ上げる。
アンデッドであるために、精神の大きな変動は抑止される。しかし、その波が連続して起こる場合は完全な抑止が不可能。
アインズはちらりとシャルティアに視線をやる。シャルティアがどのようにしているかで自らの不安を紛らわせようというのだ。
視線を送った先でアインズは頭を抱え込みたくなる気分に襲われる。
アインズのホストがジルクニフなら、シャルティアのホストはジルクニフが連れた女性──名前はロクシーというらしい──である。そのロクシーが幾度もシャルティアに話しかけているのだが、冷笑を浮かべて軽く流す程度を繰り返している。
人間ごときと馴れ合う意志を持たない。そんな態度が完全に読み取れた。
確かにペロロンチーノと言うアインズの友人である男に創造された、ナザリック大地下墳墓の守護者シャルティア・ブラッドフォールンとしては正しい態度なのかもしれない。それに対してアインズは強く言うことはできない。
しかし帝国の辺境侯アインズ・ウール・ゴウンのダンスパートナーとしては失格な対応だとしかいえない。
アインズはコツンとテーブルを叩く。
手袋で包まれてはいるが、アインズの骨の指が鋼鉄よりも強固な硬さを持つために、意外に良い音が響く。
その瞬間、後ろに控えていたメイドたち、そしてシャルティアの視線が集まった。何時の間にか直ぐ後ろまで控えたメイド──ユリを下がらせ、シャルティアに軽く顔を向ける。
「シャルティア。私に恥をかかせるな」
シャルティアは何も言わずに頭を軽く下げると、満面の笑顔を浮かべた。それはまさに夜薔薇が咲き乱れるような光景を幻視できそうな美しさだった。
シャルティアの微笑を目にした貴族達の一部から「ふわー」とかいう気持ち悪い類の声が起きたり、「ぎぎぎ」などという歯軋りと殺意の視線がアインズに向けられたりもするが、ジルクニフが頭を抱えていることだし、この際それらは無視する。
「失礼いたしました。ロクシー様。ちょっと入場までにお時間があったもので、すねてしまいましたわ。大人気なかったですよね」
「いえ、そんなことはありません、シャルティア様。私もその気分は本当に良く分かりますわ」
少しばかり背伸びした──演技だが──少女と、大人の女性の穏やかな会話が始まる。
それを聞きながら――
シャルティア、すげぇ。
――アインズはそんなことを思いながらも決して態度には出さない。代わりに軽くため息をつくと、微笑を浮かべながら見つめてくる──ただ目の奥が笑ってない気がする──ジルクニフに話しかけた。
「シャルティアが失礼したね、ジルクニフ」
「いや、なんでもないさ。確かに長く待たせたことは事実だ。今度はもう少し考えるとしよう」
「いや、いや。シャルティアの我が侭に過ぎないとも。気にしないでくれ」
「そうかい、それは嬉しいな。それでこれから主賓に代表して踊って欲しいのだが……本来は私達も一緒に踊るのが基本なんだが……」
「ああ、言いたいことは分かっているとも。今回は私達だけで踊らせてもらうよ」
アインズはそう告げると、ゆっくりと立ち上がる。後ろに控えていたユリがイスを動かした。
「シャルティア」
「はい。アインズ様」
頬を微かに赤らめたシャルティアの手を引き、ゆっくりと立ち上がらせる。アインズは無数の凝視をその身に浴びながら舞踏会場の中央へと歩く。
突然、楽団が奏でる曲が変わった。
彼らが真剣という表情を通り越し、必死に奏でる姿は失敗した場合何が起こるかを知っての形相だ。
流れ出した曲は静かな曲であった。
アインズは何気ない態度で見渡し、この曲に奇妙な反応を示す者がいないか、確認する。
貴族達ははじめて聴く音楽に首を傾げていた。帝国で一般的に奏でられる曲とは完全に違った系統だ。幾人かはあまり良い反応を示していないが、こういったものには個人の好みというものがある。
デスメタルを最高だという者がいれば、クラシックしか聴きたくないという者だっているということだ。
アインズは微かな笑いをかみ殺す。
どこの世界にこんな曲でダンスをする者がいるのだろうと。
会場に流れる曲こそ、ユグドラシルのゲームサウンドだ。
ユグドラシルもサウンドを搭載しており、場所に応じた曲が響く作りとなっている。しかし、モンスターの移動音など細かなサウンドエフェクトも同時に存在するために、音楽を聞くことによって重要な音を聞き逃すことを嫌う人間は非常に多い。
そのためにユグドラシルの音楽は聞く者が殆どいない、誰もいない辺境を旅する際に暇つぶし程度に聞くという程度の扱いでしかなかった。アイテムとの抱き合わせ販売のミュージックデータ集で初めて聞いたという人間は多いほどだ。
アインズはシャルティアの手を引いて、部屋の中央に出る。そして音楽に合せて、シャルティアと踊り始める。
この曲を恐怖公が選んだのは、帝国で一般的に使用されている曲では、ダンスの荒さがばれる可能性があると考えてだ。今までに聞いたことが無い曲であり、かなり違った形式の踊りであれば、致命的な失敗さえ見せなければ、そういったものと誤魔化されるだろうからだ。
アインズは恐怖公に言われたことを思い出しながら、動く。
もっとも重要なのは姿勢。指の伸ばし方や顔の動かし方。そういった細部こそが重要なのだ。大きく派手な動きも目を引くが、それはこじんまりとした程度でなければ良い。逆に練習の度合いが足りない場合、派手は動きは雑に見える。
アインズはシャルティアと優雅──水面下では必死に足をばたつかせているが──に踊る。
幾度も──いや幾百度も練習した動きを。
「あれはどこの舞踊の礼法なのですかな? 何かの決まった流れがあるように見受けられますが……」
「さて……浅学でして……。この曲も聴いたことが無いですな」
「辺境侯のご出身の地の曲では?」
「でしょうな。奇怪……といっては失礼ですが、変わった曲ですな」
「そうですか? 私はこの静かな感じが好きですがね」
幾人かの貴族達がアインズの踊りを眺めながら、小さい声で呟きあう。一挙一動を見逃さないような鋭いものをその瞳に浮かべて。
十分に観察し、1人の貴族がこぼす。
「なるほど。やはり貴族の礼儀はご存じの様子」
曲もダンスも何処か見慣れないものでは在ったが、それでも練習を積んだ動きかどうかぐらいの判別はつく。彼らの判断ではアインズの動きは十分にダンスに触れたことをある者のものとしか思えなかった。
確かに厳しい目で見れば拙い部分もあるとは言えよう。しかし、そこまで厳しく見る必要もない。実際、彼らだってそこまで上手く踊れる自信はないのだから。
この場で最も重要なのはそういった教育、つまりは貴族社会の生き方を知っているかどうかだ。
そしてそれが合格と見なした貴族達は続く手段に思いをはせる。
「ふむふむ。であれば……辺境侯とお話する際はこちらも油断は出来ませんな」
「全く。貴族としての礼儀を知らないもので在れば、言葉での戦いで勝てると思っておりましたが……かの御仁はその辺りも修めているご様子」
「隙が無いとは……流石は辺境侯と称えるべきでしょうかね?」
「まさにおっしゃるとおりです。しかし……厄介ですな」
「何がですか?」
「彼女ですよ。辺境侯のダンスパートナーを務めている」
「……年齢の割に胸が大きいですな。のわりに動きがダイナミック。下着を着ていてあれだというのであれば、作り物のにおいが――」
1人の貴族のことを視界の外に追いやり、その場に集まっていた貴族は静かに話し合う。
「あれほどの女性を連れてこられるとは……困ったものです」
「然り。あれほどの美貌を持つ女性を側に控えられては……なんとも……。親の欲目を入れたとしても私の娘では彼女には勝てませんな。侯爵様のご息女では?」
「無理を言わないで欲しい。あの少女には勝てませんよ」
「そればかりか、あのメイド達。辺境侯と婚姻関係を結ぶのはかなり難しいですな。見てください、女達の諦めきった顔」
「まぁ、こればかりは仕方がないでしょう。一踊りされた後の辺境侯に、ダンスを申し込む際はあれだけいる美姫たちと比較されることは確実。確実な敗北に飛び込み、更にそれが嘲笑のタネになるなど、女性からすれば我慢出来ないでしょうな」
「しかし、あの少女とはやはり婚姻を結ばれているのでしょうかね? どなたかあの少女について何か知っておられる方はおりますか?」
全員が顔を横に振った。
「情報を集めた方がよいですな」
「ええ。しかし……あれほどの美少女であれば噂ぐらいは耳に入っても良いはず。この曲といい、辺境侯はやはり遠方の国から来られたのかな?」
「もしくは昔から外に出さずに、自分の手元で育て上げていたという可能性もありますぞ」
「掌中の珠ですか。まぁ、あれほどの少女であればその価値はありますな」
「……しかし、あれほどの美しい女性……夜闇の女神というべき少女がどこのどなたなのか。せめてお名前ぐらいは聞かせて欲しいものです」
美に対して懇願するような、そんな熱い感情を滲ませた青年貴族の言葉に、年いった貴族達は苦笑いを浮かべる。
彼の心を支配する少女への思いを理解して。ただそれはあまりにも不味い。
辺境侯の連れた女性を称えるのは良くても、彼の感情はその先までがある。辺境侯を不快にさせる可能性の高いものが。しかし止める気はなかった。派閥内でも権力闘争はあるし、誰かがミスをすればそれを踏み台にするチャンスも生じる。
1人の若手貴族を失うことがさほどの犠牲ではないのであれば、必要な犠牲ですむ。
互いの目の奥に宿る物を読みとり、他の貴族達は彼を焚きつけようと話し始めた。
ただ1人、シャルティアに視線を動かし、ぽつりと言葉をこぼす貴族がいた。
「魔性の美か……。恐ろしいな……」
その貴族は真紅の瞳が自分を射抜くように動いた気がして、身を震わせると人混みに隠れるように移動していった。
■
一度の失敗もせずに、アインズとシャルティアはダンスを終える。万雷の喝采を全身に浴びながら、アインズは仮面の下を拭いたくてしょうがなかった。もちろん、アンデッドであるために新陳代謝は無いが、それでもべっとりと汗で濡れているような気がしてたまらない。それだけプレッシャーを感じていたのだろう。
アインズは安堵の息を軽く吐き出しつつ、再び用意されている席へと戻る。
そこではジルクニフとロクシーも笑顔で拍手していた。
「お見事でした」
「全くだよ、アインズ。素晴らしいダンスだった。それにそちらのレディも」
「ありがとうございます」
シャルティアがスカートの端を軽く持ち上げ、無邪気な少女が浮かべそうな無垢な笑顔を見せる。さきほどから思っていたことだが、改めてアインズは思う。まるで別人だ、と。
二人が席を座るやいなや、ジルクニフが問いかけてくる。
「それでは悪いんだが、そろそろ貴族に君を紹介したいんだ。共についてきてくれるかね? 多くの者達が君と話したいとうずうずしているようでね」
「もちろんだとも。同じ帝国貴族と面識を持つのは重要だからね」
アインズは一も二もなく頷く。
恐怖公とアルシェ。二人から聞いたこういったパーティーの基本を思い出す。
これから始まるのは自己紹介を兼ねた顔つなぎだ。
本来であればパーティーの主催であり、貴族との面会で多忙のはずのジルクニフが先導する例はあまりないそうだが、そうでないところをみるとそれだけ重要視してくれているのだろう。
友人になろうというのは本気だったのかもなぁ。
アインズはジルクニフの心配りを嬉しく思う。ただ――アインズは目だけを動かして、こちらを伺っている貴族達を眺める。どれだけの時間がかかるのだろう。仮に1人数分だとしても時間単位でかかることは間違いがない。アンデッドであるために疲労はもはや縁の無い言葉だが、それでも顔を顰めたくもなる。
本当に名刺無しにどうやって彼らは名前と顔を覚えているんだ?
アインズは既にその疑問の答えを得ている。アルシェ曰く「顔と名前の記憶は貴族の必須技能ですから」とのことだ。そうアインズが考えている間に、ジルクニフに続いてロクシーまでもが立ち上がる準備を始める。
仮面を被っているために表情が読まれたわけではないが、微妙な空気を読みとったのか、説明するようにジルクニフが告げる。
「女性の方もいるからね。私と君以外にも女性がいた方が良いだろからさ」
「……そういうものかね?」
「そういうものだとも。シャルティア嬢は君にとってどんな関係と言うことでよいのかね? 婚姻相手などであれば共に連れ立って歩くべきだろうし、そうでないのであればあまり一緒に来て欲しくはないんだ。悪いね」
「ふむ……」
それが貴族社会の礼儀だとしたら、婚姻関係でも無いシャルティアを連れて行くことは不味いだろう。
アインズとシャルティアは互いに目を交わせ、それからアインズが小さく頷いた。
「畏まりました。では私はこちらで待っております」
「すまないな」
「いえ、滅相もございません。アインズ様はごゆるりと」
アインズはシャルティアに軽く手を挙げ、挨拶を送ると二人と連れだって壇を降りる。後ろからは壇の周囲を守っていた武装した兵士達が追従する。
確か、帝国4騎士とか言ったか。
そんなことを頭の片隅で思い出し、それを振り払う。いま考えねばならないことは、もっと重要なこと。こういった場で注意しなければならないことだ。
ジルクニフに先導されながら、アインズは必死に思い出す。
最重要なのは言質を取られないことだ。
こういった大勢の前での言質を取られるのは、時には厄介な事態を引き起こし、場合によっては辺境侯はその程度の人間だと侮られる可能性に繋がる。
御しやすいと思われるのはアインズとしても癪だ。
アインズは仮面の下で貴族達を睨む。
ここから始まるのはアインズの不得意な場での戦い。
ただし、敗北はナザリックの名を傷つけることとなる。
アインズはダンスの成功で緩んだ兜の緒をしっかりと締めた。
■
顔ごと動かして、シャルティアはアインズの後ろ姿を追う。今もジルクニフを仲介に白髪の老人と会話している。話が弾んでいると言うより、互いの腹を探って上辺での挨拶をしているようだった。
しかし、そのために深くまで話が入り込まず、別れの挨拶を始めている。
これで何十人目だろうか。
すこしづつアインズの動きに精細が欠けてきたような感じがした。これはずっと後ろを眺めてきた――身近に控える存在だから気が付いたのだろう。
「アインズ様もお疲れのご様子。何かしてこちらに戻ってきていただいた方がよろしいかしら」
シャルティアは唇に指を当て、ボンヤリと呟く。そんな時――
「失礼します」
シャルティアの前に1人の貴族が進み出た。
髪は金色。瞳の色は青。整った顔立ちに見事な衣装を纏っている。身長は高く、すらりと伸びた肢体は鍛えられた雰囲気があった。
青年貴族が優雅に会釈をする。それに対してシャルティアも静かに微笑む。
興味はこれっぽちも無かったが、自らの崇拝している主人の意志を受け止め、それはおくびもださない。
シャルティアの微笑みを受けて微かに頬を赤らめた貴族が問いかけてくる。
「お手をお借りしても?」
つまりはダンスに自分を誘っているのだ。
――この私を?
シャルティアは内心で嘲笑する。
――人間ごときが?
この私の手に触れたいと?
「――くきっ」
思わずシャルティアの口から奇怪な音が漏れてしまった。一瞬、青年貴族の表にも僅かな困惑の色が浮かんだようだった。しかしそれを誤魔化す気はなかった。
――バカめ。
この身に触れることが許されるのは至高の方々のみ。いや、まぁナザリックの仲間やシモベも許してあげましょう。ただ、それはゴミには許されない行為。
殺すか? 右手を軽く振るだけで終わる。
いやここで殺すのはアインズ様をご不快に思わせる。それは絶対に避けなくては。
シャルティアは顔を動かさないように、周囲の目を伺う。
視線が幾つも集まって来ている。それがシャルティアにどのような手に出ればよいのかを迷わせる。
ここで騒ぎが起こっているの皇帝は知っている筈。
にも係わらず主催である男が何故、動かない? これ自体が何かの理由がある? ……面倒だな。
邪魔をする人間であれば殺せばよい。しかしここではそれは出来ない。
だが、本当に出来ないのだろうか。自分の今の立場は人間を1人殺すことすら許されない地位なのだろうか。
シャルティアの目が細まると、その視線を遮るようにユリ・アルファがその貴族の前にすっと立った。そればかりか、シャルティアの身近に他のメイドが近寄ってきている。
「シャルティア様はご遠慮したいとおっしゃっております。お下がり下さい」
「シャルティア嬢か良い名だ。さて、彼女は何もおっしゃってはいないと思うのだが。下がるのは君の方だろう。メイド風情が」
思わず、シャルティアは嗤う。
ユリ・アルファは確かにメイドである。しかしそうであれと至高の存在に生み出されたのだ。ならばシャルティア・ブラッドフォールンとユリ・アルファに立場の差は大きな問題だろうか。どちらもその使命を尽くすために生み出されたというのに。
「ユリ、下がって」
「よろしいのですか? シャルティア様」
「ええ、構わないわ」
「そうだとも、下がってくれないか?」
ユリが一歩下がると、シャルティアは勝ち誇った表情を浮かべた青年貴族に微笑みかけ、真紅の唇を開く。
「――失せろ、糞。お前の臭い息を私に吐きかけるな。そして私の名を呼び、至高の御方々に付けていただいた、尊き名前を汚すな」
何を言われたのか理解できないと、青年貴族が目をぱちくりさせる。そんな態度により一層、シャルティアは酷薄な笑みを強いものへと変え――青年貴族の横に並んだ人物を目にして表情を一瞬で緩める。
「私の連れに何かようかね? これに何か言いたいことがあるなら私を通してくれると嬉しいのだが?」
「アインズ様!」
シャルティアは背筋をぞくぞくと震わせる。一瞬、自分がアインズの所有物になった気がしたためだ。
いや所有物はそうなのだが、普段は自らの主人は慎み深く、慈愛の心を持って創造物たる自分たちを相手をされる。しかし、今の一瞬だけ、己の所有物に対する雰囲気がそこにあったのだ。
先ほどの極寒の表情を一瞬で変え、瞳を走ったのは情欲の色。アインズが望むのであれば、この場で何をされても構わない。そんな狂ってもいる感情が瞳からこぼれだしてしまう。
それを目にし、青年貴族は言葉をなくす。最初から相手にもなってない、つまらない独り相撲と知って。
もはや戦う気力すらない。
口の中でもごもごと青年貴族はわびを入れると、アインズとシャルティアの前から立ち去る。
「やれやれ。私たちはダンスが苦手だというのに、な。上手く捌けていたのであれば邪魔をしたな」
「アインズ様」
シャルティアは席から立ち上がると、アインズの腕にもたれ掛かる。アインズが一瞬だけびくりと動くが、シャルティアの体をしっかりと受け止める。
そんな態度に喜びを感じながら、シャルティアは体をこすりつけるように動かしながら甘えた口調で話しかける。
「怖かったんですよ、アインズ様。あの男がいやらしい目で私を見て……」
「えー? んん! そうか、それは……、シャルティア許せ。お前を怖がらせてしまった、私の過ちを許してくれ」
「駄目です。許しません。ですから、今日は一緒にいてくださいね」
「……ああ、分かったとも。今日はこのまま一緒に行動するとしよう」
緩やかな時間はこうして流れていった。