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舞踏会-2

ちょっと長めで。

 ブレイン・アングラウス。

 それはシャルティアによって生み出されたヴァンパイアの名前である。生者であった頃は剣の腕を高めることのみを追求した男であったが、現在では自らの主人であるシャルティア・ブラッドフォールンのためにその全てを捧げることに喜びを感じるようになっていた。

 そうなった理由の1つとして、当然シャルティアによってヴァンパイアに変えられたからと言うのがある。

 そしてもう一つは己が誇りに思っていた剣の腕は所詮はより強大な存在の前ではゴミ同然で、ガゼフ・ストロノーフによって知った敗北など糞みたいなものだと知ったためだった。


 そんな男が第2階層にあるある玄室の前で不寝番を行っていた。アンデッドであるヴァンパイアには疲労や睡眠欲などがないために最も適した仕事の1つといえよう。

 扉の前で不動の姿勢を維持しつづける。

 無造作に立っているように見えて、その実、意識は周囲に拡散し蟻一匹も見逃さないだけの警戒ぶりだ。

 突如、そんなブレインの目の前の空間が揺らいだ。


「むっ!」


 ブレインは刀に手を伸ばす。

 もちろん、ナザリック大地下墳墓は強固な魔法によって守られているために、侵入者などは考えにくい。しかしブレインとしては念のために僅かに腰を下げ、構えを取る。かつての失敗が頭の中をよぎるが、もしかしたらという可能性が極微少でもある以上は注意は怠れない。

 空間の揺らめきが1人分の姿を取る。


「──!」


 ブレインは転移してきた人物を目にして、口を大きく開く。

 自らの主人に連れられて──それも数度しか会ったことがない、ナザリック地下大墳墓の最高支配者である天上人──アインズ・ウール・ゴウンが自らの前にたった一人で姿を見せたためだ。

 何故、1人なのか。

 ブレインは困惑する。

 支配者が供を連れずに歩くという行為は聞いたことが無い。供を連れるという行為は警護という意味もあるが、それ以上に権威を示すという意味がある。

 もしアインズという至高の存在が供を引き連れて歩くならば、行列となり目の前を過ぎるのに1時間ぐらいかかる方がブレインとしては納得がいく。

 しかし、周囲を見渡しても従者の姿は無い。


 まさか、何者かが偽装しているのでは。


 そう考え、それ以外の理由に思い至る。

 国を容易く滅ぼすような超級の化け物──自らの主人であるシャルティアを含め──を従える存在が、警護という意味であれば供を連れる必要などあるはずが無い。何故なら、そんな化け物たちよりも強いのだから。

 個にして万を蹂躙できる存在が、周囲に煩わしい存在を侍らすだろうか。


 そんな思いからブレインは目を凝らし、本当に天上人かを判断しようとして唐突に悟る。

 放たれる異様な気配が自らの主人であるシャルティア・ブラッドフォールンを上回るほどの『死の気配』だと知り、ブレインはそれが誰かを知性ではなく、感情で確信し、我知らず声を上げてしまう。


「げぇ! アインズ様!」


 そして即座に直立不動の姿勢を取ると同時に、己の口を押さえる。今、慌てて、思わず口にしてはいけないような発言をしてしまった。最高支配者の名前の前に「げぇ」などと。もし聞こえていれば自分の首が切り飛ばされてもおかしくは無い。

 ブレインはチラリと視線をやり、自らの主人の主人から吹き上がるようなプレッシャーを全身で感じる。

 自らの主人、シャルティア・ブラッドフォールンに代表される守護者は皆、ブレインでは勝てないと即座に理解できる存在感を放っている。ヴァンパイアとなり恐怖を感じなくなったブレインでさえ、怯えてしまうほどの鬼気を。


 転移してきた超越者は無言でブレインを眺めていた。

 それがどういう意味を持っての行動か分からず、我知らずブレインの呼吸は荒くなった。アンデッドであるために呼吸は意味を成さない作業でしかないが、人間であった頃の肉体の記憶がそうさせた。

 ブレインは慌てて跪く。


「ひ、平に、平にご容赦を」


 ブレインの額が床に音を立てて叩きつけられた。

 自らとリザードマンに剣を時折指導してくれる、第5階層守護者であるコキュートスが謝罪の究極の形として教えてくれた土下座である。

 そのまま凍るような時が流れる。ヴァンパイアになってなければ冷や汗が全身をびっしょりと濡らしただろう。


「――良い」

「ははぁ! 感謝いたします!」


 重く静かな声に、いまだ顔を上げずにブレインは感謝を告げる。

 重圧が溶けていくような開放感をブレインは頭を下げたまま感じていた。


「……シャルティアに会いに来た。今、室内にいるのか?」

「ははぁ! 少々お待ちください!」


 ブレインはばね人形のように跳ね上がると、即座に後ろの扉に向かって全力でダッシュ。

 そしてしっかりとした装飾の施された扉を激しく幾度も叩く。連打という言葉こそが最も正しい勢いだ。主人の扉の叩き方ではないと知りつつも、それ以外の叩き方は全て非礼に値するような気がしたためだ。

 もし仮に礼儀正しくノックした場合、それはアインズ・ウール・ゴウンというナザリックの最高支配者を僅かでもドアの前で待たせるよ、とブレインが判断していると見なされる可能性がある。ブレイン1人の失態で許されるならば、それは構わないかも知れないがシャルティアの失態に繋がった場合、それはどうやって謝罪を請えばよいのか分からない。

 そんな混乱がそこにはあった。


 やがて重い音を立てながら扉が開いた。


 顔を見せたのはシャルティアの側女の1人である。非常に美しい顔立ちではあるが肌の色は白蝋であり、瞳の色は真紅。ヴァンパイア・ブライドと言われるシャルティアのおもちゃ兼従者だ。


「シャ、シャルティア様にお会いしたいと──」

「――騒がしい。シャルティア様のお部屋をそのように騒がしく叩くことを誰が許すというのですか」


 ブレインの言葉に被せるようにヴァンパイア・ブライドは平坦な声を発した。この部屋にいるヴァンパイア・ブライドはシャルティアの側女であるために、立場的にはブレインよりも高い。そんな女性であるためにブレインを見る目は下等な存在を見下すようなものであり苛立ちすらあった。


「それにシャルティア様はただ今、入浴中です。お取次ぎは――」

「――アインズ様です! 至高の御方であられるアインズ・ウール・ゴウン様です!」


 逆にブレインが被せるように声を発し、そしてヴァンパイア・ブライドの目が訝しげに細まる。言われた内容がピンと来ないようであり、その真紅の瞳がゆっくりと動いて、少しばかり離れたところに立つ人物を捉えた。

 変化は劇的なものがあった。

 まず細められていた眼は転がり落ちそうなほど大きくなり、閉ざされていた口はオーに広がる。


「う──」


 ヴァンパイア・ブライドは口を押さえると、ブレインを睨み付ける。


「それを先に言いなさい!」


 扉の前に立つブレインを押しのけるようにヴァンパイアは外に出ると、深い敬礼を送った。


「よ、ようこそ、偉大にして至高なる死の王たるアインズ様! シャルティア様のお部屋までおいで下さいまして、か、感謝いたします!」

「ああ……。それでさきほどもその男に言ったのだが、シャルティアに会いに来たのだが……」

「はい、いらっしゃいます! 直ぐにアインズ様が御出になられたことをお伝えしてまいります!」

「そうか、よろしく頼む。入浴中ということならば少しばかりここで待つが?」

「い、いえ! アインズ様をそのような場所で待たせるわけには参りません。どうぞ、中へ!」

「……そうか? ではそうさせてもらおう」


 ヴァンパイア・ブライドがきっ、と視線をブレインに向け、非常に小さな声で怒鳴りつけた。


「手が足りないからあなたも入りなさい! そしてアインズ様に失礼無いようにお相手をして! 貴方をシャルティア様の眷属と認めての大役よ、絶対にミスをしないように!」


 正直、ブレインとしては遠慮したかった。桁の違う領域に立つ存在をもてなせなどと言われても、逃げたいぐらいだ。しかし、そんなことをいえる状況でもないことは充分に理解できた。

 せめてシャルティア様に対して不快に思われないようにしなければ。

 その決死の覚悟でブレインは1つ頷いた。



   ■



 アインズはヴァンパイア・ブライドに先導され、シャルティアの住居に入る。シャルティアの家は幾つもの玄室からなっており、先ほどまで外に立ち込めていた死と腐敗の匂いは一切無かった。あるのは濃密で甘ったるい匂いであり、香を焚いているためなのか僅かに空気に色が付いているようだった。

 室内の照明は若干落とされて、室内に薄絹がつるされている。その薄絹にピンク色の光が当たり、僅かに輝く様は淫靡なものがある。

 全体的に室内を評価して、ハーレムか何かを想像して間違いなかったが、現在はその気配は一切無い。


「シャルティア様は!」

「湯浴みから出られて、いま大急ぎで乾かされているところよ!」

「不味いわ! これ以上アインズ様をお待たせするわけにも!」

「シャルティア様が分かってない筈がないでしょ! そんな事よりも手を動かしなさい! もしこちらに来られたら恥よ!」

「アインズ様には何をお出しすればいいの? 新鮮な血?」

「ちょっと! そこの拷問道具、片付けて! 急いで!」


 扉一枚を隔てても聞こえるほど、バタバタと忙しい。

 室内に唯一置かれたイスにアインズはもたれ掛かりながら、横でピンと背筋を伸ばしているヴァンパイアを眺める。

 その男の顔は完全に引きつっていた。やたらと緊張しているのが伝わってきて、アインズとしても座り心地が悪い。

 空気を読める人間であれば、何か適切な声をかけてやるのだろうが、そういったスキルをアインズは持ってないために、両者とも黙ったままの時間が過ぎていった。

 アインズがこのヴァンパイアに付いて覚えているのは、シャルティアが捕らえた捕虜でそこそこの情報を持っていたと言うこと。名前は――と考え、頭に浮かばない。

(ブレイン? プレイン? 確かそんな名前だったはずだ)

 あまり真剣に覚えなかったために、時間の経過と共に記憶から滑り落ちている。


 やれやれとアインズが頭を振ると、横のヴァンパイアがびくりと動いた。このまま微妙な空気を維持していても、無いはずの胃に厳しい。話題を作る良いタイミングだとアインズは考え、口を開く。


「……どうした? 何かあったか?」


 アインズが周囲を見渡しても特別な変化はない。耳をすませば、ヴァンパイア・ブライド達が別の部屋で右往左往しているのが聞こえる程度だ。


「いえ、何もございません、アインズ様!」

「そうか? ……ブレ……インだったな?」

「はっ!」


 先ほども名前を思い出そうとしていたのだが、ようやく思い出せたことに安堵する。これまでに色々とあったとはいえ忘れかけるとは、とアインズは己の記憶力に不安を抱く。

 痴呆などアンデッドのこの身に起こりえるのだろうか?

 そんな下らない考えを追い払い、ブレインに問いかける。


「少しばかりお前に聞きたいのだが……アルシェという帝国貴族の娘の事は知っているか? このナザリックに侵入した罪によって捕縛され、シャルティアに与えられた娘なのだが」

「…………!」

「どうした?」


 アインズはブレインの顔に微妙な困惑が浮かんだのを見抜く。


「シャルティアには一切傷を与えるなと命令してあったために生きていることは間違いないなのだが……何か知っているようだな」

「あ、はぁ。確かに……知っておりますが……」

「どうした?」

「……あ、いえ……その、なんともうしますか……。いえ……はい……」

「ブレイン、答えろ。アルシェについてお前が知っていることを隠さずに言え」

「はっ! 私も詳しくは知らないのですが、その娘はシャルティア様のペットで……私が見たのはその……シャルティア様のご命令で自分で……その……なんと申しますか……慰めてと言いましょうか……」

「…………? …………! …………そうか…………」

「はい。それを見るようにシャルティア様に命令されたとき位でして……そのう……」

「あ、その辺で充分だ。話しづらいことを聞いたな。了解した……」


 調教の一環で見たんですね、分かりました。などと言えないアインズは話題をそこでうち切る。

 結果、男2人で視線を一切合わさずに、気まずい時間をボンヤリと過ごすはめとなった。その沈黙がアインズにとって心地よくもある。

 やがてバタバタという音が近づいたと思うと、アインズたちのいる部屋への扉が大きく開いた。


「遅くなりまして、申し訳ありませんでした、アインズ様!」


 複数人のヴァンパイア・ブライドを引き連れた銀髪の少女が開口一番謝罪の言葉を投げかけてくる。

 言うまでもなくシャルティアだ。風呂に入っていると言っていたのは冗談では無かったらしく、髪の毛は濡れてぺたりと額に張り付いている。さらに普段であれば結んでいる髪もそのままストレートに流していた。


「いや、いや、湯浴みの最中に急に来て悪かったな。本来であれば《伝言/メッセージ》の魔法でも使って、アポイントを取ってから来れば良かったにもかかわらず」

「何をおっしゃいますか。ナザリック大地下墳墓はアインズ様の物。ならば何処に何時、赴かれようとご自由であり、私たちにそれをお止めする権利はございません!」

「……そうか。それは感謝するとも」

「感謝などと止してくんなまし、アインズ様。それで今回いらっしゃったのは何ようでございんしょうかぇ?」


 言葉使いが変わったことにシャルティアの余裕が戻ってきたことを悟り、アインズは本題を尋ねる。


「昔、シャルティアに渡した人間の娘がいただろ? アルシェという少女だが、彼女に利用価値が出てきたのでね、あわせて欲しいのだ」

「アルシェ……ああ、あの犬でありんすね」


 ニンマリとシャルティアが笑う。心の底から楽しげであり、アインズに少しばかり自慢したがっているような、子供っぽい部分も見え隠れしていた。


「アインズ様のご指示通り、一切の傷は与えておりんせん。例えあの娘が奪ってくれと泣き叫んでも決して純潔は散らしておりんせんし、裂傷が出来ないように尻尾も徐々に大きくしていきんした。充分に調教し終わった頃でして、完璧な仕上がりとして充分に楽しんでいただけると思いんす!」


 脱力がアインズに襲いかかった。

 しかしシャルティアを叱る事は出来ない。シャルティアをこのように設定したかつての仲間である、ペロロンチーノこそが諸悪の根元だ。それにアルシェを渡せばこのような未来の可能性はあった。実際、あの時のシャルティアの会話を断ち切ったアインズこそ悪い。


「……いやそういうことが聞きたいのではなく……利用価値というのはあれの経験……違う。貴族に関する知識という面で力を借りたくてな……。……まともな思考回路は残しているのか?」


 アインズが恐る恐る尋ねると、僅かにシャルティアの顔が引きつる。それを目にし、アインズもまた引きつるような思いを抱いた。


「……べ、別に問題はないかと思います。多分ですが……」

「……そうか……。ならば連れてこい。少し聞きたいことがある」

「畏まりました!」


 慌ててシャルティアがヴァンパイア・ブライドを連れて部屋を出ていく。再びアインズはブレインと視線を交え、そしてどちらとも無く反らした。

 聞くとも無しに隣の部屋からシャルティアの慌てふためく声が聞こえてくる。


「犬を連れてきなんし! 尻尾は外して!」

「――汚れは?」

「風呂に投げ込んで最低限の汚れを落としてくんなまし! 直ぐに! アインズ様がお待ちよ!」

「服は、服はどうしましょう?」

「……ああ! 今まで着せて無かったわぇ。 適当に準備!」

「サイズがあわない場合は詰めますか?」

「そんな時間は無いわ。魔法のかかった服であれば、サイズは合うはず。それを持ってきなんし!」

「それではシャルティア様のご洋服でよろしいですか?」

「しかたありんせんでありんすね! それより急いでくんなまし!」


 パタリと音がすると、シャルティアが現れた。その顔には微妙な笑顔が浮かんでいる。媚を売るような、もしくは相手の出方を窺うようなものだ。


「アインズ様、急いで準備をさせておりんすによりて、その間、わたしの部屋にどうぞ」

「……そうさせて貰おう。ご苦労だった、ブレイン。下がって良いぞ」

「はっ! ありがとうございます! アインズ様!」


 ブレインが微かに安堵の息を吐き出すのをアインズは鋭く知覚した。無礼だという思いはない。ブレインの今の立場が親会社の会長が突如来社したために、それを必死で接待する系列子会社の新入社員というところだろうと理解できたためだ。

 アインズの瞳に宿る灯火に優しげな物が混じる。

 数度、うんうんと頷き、アインズはブレインの肩に手を置いた。びくりと震えたブレインにアインズは優しく声をかけた。


「ご苦労だった」


 俺は殺されるのか。

 そんな顔をしたブレインを後ろに、アインズはシャルティアの先導に従って歩き出した。



   ■



 シャルティアの部屋は外見とは裏腹にと言うべきか、はたまたは外見通りというか、少女らしいものであった。可愛らしい机にイス、天蓋付きセミダブルベッド。壁紙はクリーム色であり、アインズが警戒していた様々なおもちゃが散乱していると言うことはなかった。

 先ほどまでの部屋からすればまるで違った光景だ。

 アインズはイスに座って、ベッドに腰掛けたシャルティアと向かい合う。机の上にはコーヒーが置かれているが、アインズはそれに手を出したりはしない。というよりも飲食が出来る体ではないからだ。


「シャルティアはこういったものが飲めるのか?」

「はい。私は飲めます。ですが、普通の人間が食べるようなものはさほど美味しいとは思えませんし、食べたからと言って成長したりといったことは一切無いのですが」

「なるほど。アンデッドの中でもヴァンパイアは特別か」


 血を吸うのだから当たり前だな、などと思いながら、物を食べられるということが少しだけ羨ましくもあった。帝国の市場に並んだ様々な食べ物。それがどのような味をしていたのだろう。

 アインズはそんなことを思いながら、良い香りを漂わせるコーヒーを指で押して遠ざける。


「それでアルシェを必要とされる理由をよろしければ教えていただけんすか?」


 アインズは鷹揚に頷くと、シャルティアに一連の話を行った。神妙に聞いていたシャルティアは話が終わると、大きく1つ頷く。


「なるほど……舞踏会でありんすか……。しかしそうなりんすとパートナーはどうされるんでありんすか?」

「う……む、アルシェがまともならば任せようかと考えていたんだが……」


 舞踏会で問題となるのは最初にアインズ達だけで踊るときだ。それ以降は別の人間に誘われても拒絶すれば良いだろうと考えている。アインズという存在に強制できる人間はジルクニフぐらいしかいないだろうから拒否は簡単だ。


「それは止めた方がよいでしょう。あれをナザリックの代表とするのは少々問題かと思います!」

「そうか? しかしそれ以外に私のパートナーをこなせる者がいないからな……」


 言うまでもなく舞踏会はパートナーが必要となる。しかしそれをこなせる者はナザリックにはいない。流石に恐怖公の眷属をパートナーとして連れて行くことはどんな状況下でも不可能だ。気が狂ったと思われるだろうし、アインズだってそう思う。

 そのためにパートナーをアインズと同様に1から鍛えるか、アルシェが踊れるならばという前提が付くがアルシェを選ぶしかない。

 アインズ的には何らかの魔法でアルシェを支配して連れて行くのが一番だろうと考えていた。

 アインズがアルシェを選ぶ理由は、経験者であればアインズが失態を犯したとしても直ぐにサポートしてくれるだろうという考えがあったためだ。もしこれが互いに1から訓練を受けた者同士では、サポートは困難だろう。


「私がアインズ様のパートナーを勤めさせていただきます!」

「何! まさかシャルティアは踊れるのか?」


 確かにシャルティアの外見は姫といっても過言でない。もしかするとペロロンチーノがそういった設定を組み込んでいる可能性がある。しかし、そんな希望ははかなく消えた。


「いえ、私も踊ることは出来ません」

「そうか……」

「しかしアンデッドである私であれば、時間を最も上手く活用することが出来るでしょう。睡眠を不用とし、疲労を感じない私であれば」

「……なるほど……それも道理か。了解した。ではシャルティアに私のパートナーを頼もう」

「畏まりんした、アインズ様」


 ぐっと握りこぶしをシャルティアがさり気なく作ったのを、アインズは努めて見なかったことにする。そのとき、扉がノックされる。


「入りなんし」


 シャルティアの返事に従い、一人の少女が入ってきた。

 着ている物はゴシックドレスではあるが、その顔立ちはアインズの記憶にあるものだ。


 アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト。


 若干、堅かった表情は柔らかく崩れ、頬が染まっていたり瞳が濡れているなどの点はあるが、あの時から殆ど変わっていない。

 五体満足の姿にアインズは満足感を得る。

 彼女には傷をつけないというのが約束であり、それが守られているからだ。

 首の周りが円を描くように色が変わっているような気がするが、怪我は無いようなので努めて無視をする。


 アルシェは部屋に入ると、一直線にシャルティアの前まで歩く。そして足元にひざまづいた。いや、より正確にいうなら、その姿勢は這い蹲っているというほうが正しい。その動きはやたらと慣れた動きで、違和感が一切無かった。

 シャルティアが無造作に足を上げると、アルシェの体の上に乗せる。

 ふわぁ、という息とも声とも言えるような音がアルシェの口から漏れた。

 続いてシャルティアの指が伸び、アルシェの口の中に差し込まれると舌を摘んで引き出し、2本の指でもてあそぶ。アルシェもそれに答えるように舌を動かし、シャルティアの指に透明の唾を塗りつけて、舐め取っていく。


 恐ろしいのはその間、無意識のように両者が行動していることだ。シャルティアはアインズに視線を向けたままだし、アルシェもそれが極当たり前のように指の動きに合せて舌を動かしている。

 まるで授業中にシャーペンを指で回転させているような自然な動きだった。


「……ペロロンチーノ。お前が望んでいた光景がここにあるんだろうな。つーか……ドン引きだわ」

「ペロロンチーノ様がどうかされんしたかぇ?」


 指をアルシェの舌から離れ、銀色の橋が途切れる。アルシェの舌が惜しむように動いてから、口腔に戻る。


「いや、なんでもないが……アルシェ・イーブ・リリッツ・フルト。お前に問いたいことがある」

「……はい。大ご主人様」

「大ご主人様? ……まぁ、良い。お前は帝国の皇帝主催の舞踏会に出席した経験はあるか?」

「ございません。ですが規模は違いますが、舞踏会には出席したことがございます」

「そうか。ではその際のマナーや、その他諸々を教えてくれ」


 じっとアルシェがアインズを見つめる。それから口を開いた。


「大ご主人様……畏まりました。その代わりにお願いがあります」


 すっとシャルティアの指が伸び、アルシェの顎を軽く持ち上げると覗き込むように顔を近づけた。アルシェの頬が赤く染まり、唇が若干突き出されるが、シャルティアの行動はアルシェの望んでいたものではなかった。


「犬の分際でアインズ様にお願い? 不快だわ」

「良いのだ、シャルティア。働きには等価を与えるべきであろう。それが例え、犬だとしても、な」

「……なんと、お優しいのでありんしょう 。流石はアインズ様」


 感激に目を潤ませるシャルティアから視線を動かし、アインズはアルシェを見つめる。


「願いを言うが良い。等価であるが故に不可能なこともあるだろうがな」

「畏まりました。では私の純潔をシャルティア様に奪って欲しいのです」

「…………」


 アインズは自分の耳に指を入れ、何か詰まってないかを確認する。それから大きく溜息を吐いた。


「……本当にそれで良いのだな?」


 アルシェがこくりと頷く。アインズは肩を落とし気味に了解した。


「……好きにするがいい……」



   ■



 客を見送り、レイは草臥れたようにソファーに身を沈める。いや、レイは心身ともに非常に疲れていた。瞼ごしに目を揉み解し、大きく溜息を吐き出す。

 それから側に控えている執事に声をかけた。


「次の客は少しで良いから待たせておけ」


 レイは今日、既に6人の貴族と面会している。かかった時間は9時間以上。時間の長さも疲労の原因ではあるが、それ以上に話に無駄があるというのがレイの精神力を削った。

 恐らくは本題のみで終わらせてくれれば、その1/10になっただろう。将軍としてどちらかといえば手短な話を愛するレイとしては貴族の社交辞令に満ちた会話は苦手ではあった。

 勿論、やろうと思ってできないわけではない。だからこそ、これほどまでに時間が掛かったのだ。


「ふぅ」


 再び溜息を吐き出し、首を回す。固まっていた首がゴキリと小気味いい音を立てた。


 今まで会って来た貴族は、みなアインズ・ウール・ゴウン辺境侯に近寄りたい貴族達だ。

 現在のバハルス帝国は皇帝を頂点に擁いた絶対君主制の国である。そのために皇帝の関心を得るということは、力を得るということに直結する。

 才能がある貴族は良い。しかし才能無く、貴族としての家柄だけで地位を維持してきたような貴族は皇帝に媚びへつらう位しか家を維持する手段が無かった。

 しかしながら媚を売ったところで、数多の貴族の1人として埋没してしまう可能性がある。だからこそ、現在の帝都では様々な手段によって家を安泰せしめようとする者たちが暗躍する場合が多かった。

 そしてそんな貴族達の目の前に放り出された巨大な宝石の輝きこそ、辺境侯だ。


 帝国の貴族家が潰されていく中、新たに最高位として作られた家に座る謎の貴族。

 膨大な魔力を持ち、その力のみで王国を蹂躙できるという噂の主。

 さらには皇帝が最も信頼し、高い地位を与えたといわれる存在。


 媚を売るには最適の相手だろう。

 そしてそれを考えるのは吹けば飛ぶような木っ端貴族ばかりではない。かつては帝国の重鎮とも言われていた大貴族たちもそうだ。

 実際、レイが今日あっている貴族達は全てが大貴族といわれるような家柄の者たちである。それよりも下の貴族たちからも会いたいという旨は受けてはいたが、時間が無いことから断るぐらい、様々な伝から会いたいという大貴族達のメッセージが届いていた。


 大貴族達が辺境侯に最も期待しているのは、その武力だ。

 皇帝は自分が帝位に就くに当たって、その武力を背景に苛烈な改革を行っていった。


 独自の軍隊を持つ大貴族家は皇帝の勅命で王国との戦争に借り出され、軍事費を搾り出された。その結果、体力を奪われ、いまでは無残な有様な家が多い。

 反旗を翻した家や、そこまで行かなくても皇帝の命令に逆らった家はある。

 しかし、そんな家はもはや残っていない。一族郎党なで斬りである。

 その過酷さこそが、鮮血帝と呼ばれる所以だ。


 だからこそ各大貴族は皇帝の帝国軍に匹敵する武力を欲していた。それこそ単騎で万を殲滅できる人物ということだ。

 もしどこかの貴族派閥に肩入れすればそれだけでその派閥が一気に力を取り戻すだろうし、下手すれば皇帝に対してもある程度の要求を通せるようになるかもしれない。

 そういった「昔の夢よ、もう一度」という狙いを持って、貴族達がレイに近寄ってきているのだ。


「個人的には迷惑な話なんだがな……私はあくまで辺境侯の従者のようなものであり、主人に意思を告げる力は無いと分かってくれれば嬉しいんだが……」


 レイは確かに大貴族が見抜いているようにアインズの下に潜り込んでいる。しかしそれはアインズがレイの価値を見出して配下に取り込んだというより、レイがなんとか足元に座させてもらったという方が正しい。

 決して大貴族達が思うように、辺境侯派閥に属しているわけではないのだ。


 そして主人の意志が何処にあるか分からないうちに、勝手に貴族派閥に属するとも属さないとも決めることは出来ない。更には会いたいという願いを叶えられる権利などあろうはずがない。また大貴族たちを相手にしないわけにもいかない。

 本来であれば面会してどのような考えを抱いているか問いかけたかったが、現在は辺境侯は屋敷の方にはいないようで連絡を取る手段がなかった。確かに言付けを願ったが、その返事は未だ来なかった。


 レイは暗いため息を再び吐き出す。

 勝手に行動して不興を買えば、レイごとき容赦なく切り捨てるだろう。そうなれば皇帝に睨まれているレイは容赦なく殺される。レイが生きているのは後ろにいる辺境侯がいるからだ。


「……さて我が身を守るという意味でも、次の方を呼んでくれ。確か、これで最後だろ?」

「はい。明日、会いたいという方々はいらっしゃいますが、本日は最後となっております」

「そうか……」


 明日もあると知り、多少草臥れた声を出すが、レイは最後という言葉に気力を取りもどす。


「で、最後の貴族の名前はなんだった?」

「グランブレグ伯でございます」


 よく見知った貴族の名前を出され、レイの顔に安堵の色が浮かんだ。


「伯が! ……そうか、あの御仁なら意外に早く終わりになりそうだな……」


 執事に通された貴族は立派な体躯をした人物であり、見ようによっては戦士とも思える人物であった。ただ、その品位は確かであり、貴族の中の貴族といっても良いだろう。

 そんな人物が礼儀正しく、レイの前のソファーに腰掛けた。


 互いに挨拶を行うと、開口一番にグランブレグ伯は王国との戦いの勝利を祝ってくる。それに対してレイも感謝の意を伝えるというごくごく当たり前の会話だった。

 これはレイが既に本日だけで6度繰り返したパターンである。しかし今までの人物とはここからが違った。


「将軍もお疲れのようですし、本題に入りましょうか?」

「これはありがとうございます」


 レイは破顔した。まさに自分の知っているグランブレグ伯らしい行動だ。 


「数日後行われる式典で、エ・ランテル近郊から王国は撤退し、帝国の領土になることを宣言されるそうです」

「早すぎる!」


 レイは慎みを忘れ、大きな声を上げた。

 エ・ランテルを譲渡するように、帝国の外交官が王国と交渉しているのは知っていたが、結果が出るのがあまりにも早すぎた。

 交渉は規模が大きくなるほど時間がかかる。数ヶ月単位は基本であり、今回のような一件であれば1年かかったとしてもおかしくはない。しかし、冷静に考えれば分かる気もした。


「辺境侯のあれほどの力を全面に押し出されれば、それも仕方がないと言うことか」


 王国が全面的に白旗を振ったと言うことだ。


「そればかりではありませんよ。帝国は代わりとして王国との数年に及ぶ不可侵条約を締結します」

「何故……。辺境侯がいらっしゃるのだから、王国の運命は風前の灯火でしょう?」

「さて……陛下が何を考えていらっしゃるかは分かりません。ある時期で約を破棄するつもりなのか、はたまたは肥え太らせてから食べる予定なのか。どうにせよ結ぶことで帝国に利があるのでしょうな、陛下が考えられたのでしょうから」

「なるほど……それでその話はどの程度まで漏れているので?」

「噂というレベルでならばある程度の貴族なら知っているでしょう。それ以上の貴族であれば詳しい話も知っていると思われますよ」

「そういう理由があって面会を求める者が増えたと言うことか」


 レイはようやく貴族達が自分に擦り寄ってきた最大の狙いを知った。

 皇帝に選抜される将軍に貴族はあまり近寄ったりはしない。皇帝という絶対権力者が後ろにいるために、不興を買うのではと恐れるためだ。

 そのために将軍達は貴族社会とは距離を置いた場所に立っている。高い貴族位を持つ将軍であれば多少話は異なるが、レイのような弱小貴族位では殆ど秘境に住んでいるような物だ。レイがそういった話を知らなかった理由はその辺のパイプがないためだ。


「でしょうな。エ・ランテルは3国の要所。あの地を守りきるだけの力がある独立貴族が手にすれば、それがどれだけの力と富を生むかの想像は容易です。そんな御仁とパイプを持ちたいのは誰もがそうでしょう。今回の舞踏会は無数の欲望が渦巻くお祭りになりますよ」


 レイもグランブレグ伯も思わず軽い笑い声を上げる。今からでもその光景が目の前に浮かぶようだった。


「いや、いや面白い話でした。伯との会話はつまらない貴族のおべんちゃらを聞くよりも何倍も楽しい。さて……それで伯は何をお求めかな?」

「おやおや、単刀直入ですな、将軍」

「伯の場合もそちらの方がよろしいでしょう?」


 違いないとグランブレグ伯は笑った。


「何、お一つ聞きたいことがありまして、将軍。……あなたには正妻がいらっしゃいませんでしたね? 私の娘はどうですか?」


 レイはまだ10歳ほどの少女を顔を思い出す。


「辺境侯にでは無く、私にですか? 将軍位は陛下より授かったもの。陛下のお心次第で私は罷免ですよ?」

「辺境侯が将軍に価値があるとお考えでしたら、他の将軍の方よりも安全と思われますが? 陛下も辺境侯と正面切って抗争される気が一切無いのは今までの対応で透けて見えております」


 グランブレグ伯は帝都凱旋での、辺境侯と皇帝の仲の良さのアピールを語る。

 そしてそこでの辺境侯の素晴らしい姿を。

 レイもその辺りは今までの貴族達との会話で幾度も聞いている。自分も知っているが、第三者の話として聞くとそれもまた面白い。特に何処に目を引かれたかで、その人間の欲望が透けて見えるために。


「だからこそ貴族の方は辺境侯と面識を持ちたいのでしょうね」

「全くですな。そんな方々だからこそ、辺境侯に娘を差し出したいのでしょう。正妻の地位を得ればその貴族家は安泰ですので」

「伯もそうされれば……」

「ははは、将軍もお人が悪い。私は他の大貴族の方々と正面切って喧嘩をするつもりはありませんよ」

「なるほど。だから私と言うことですか」


 グランブレグ伯は何も言わずに微笑む。暖かい笑顔だが、一枚捲ればもっと別の顔が隠れているのがはっきりとわかるものだった。


「そうなると、今度の舞踏会にはかなり綺麗所が集まるのでしょうね」

「でしょうな。辺境侯に面識を持てるところまで行かない貴族からすれば、その場で娘を紹介出来る良いチャンスでしょうから」


 今までの舞踏会では皇帝に娘を紹介する場でもあった。それが今回は辺境侯に紹介する場ということだ。


「今回の舞踏会は本当に面白くなりそうでしょ、将軍?」



webのアインズは書籍のアインズに脳みそを吸い取られている気がする……。でも丸山的にはこっちの方が好きだなぁ。お馬鹿で。

次回は9月中にあと1回ぐらい更新したいです。


それと感想をくれる優しい方々。本来であれば全員に返したいのですが、ちょびっと忙しいために手を止めさせていただきます。本当にごめんなさい。目は通しておりますので、変なところ等ありましたら、ばしばしとどうぞ。

どうしても何かありましたらメッセージを下さい。そちらなら返せると思います。

皆さんの感想こそ丸山の原動力です。本当にありがとうございます。

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