舞踏会-1
なんか久しぶりの気がする……。
アインズはナザリック大地下墳墓に帰還を果たし、己の自室に戻るとイスにどかりと腰をかけた。
その乱暴な態度はアインズの内心を強く物語っている。
「……舞踏会か」
ぽつりともらした呟きには複雑なものがあった。その中で最も大きいのは「踊れるわけ無いでしょ、この馬鹿ぁ!」という絶望にも似たものである。
単なる社会人であるアインズは今までに踊りなどを学んだ経験は無い。従って今からでも未来に起こりえる可能性の予測は立つ。
しかし、だ。
アインズ・ウール・ゴウン辺境侯が踊れないと聞いたならば、それはどのような目で見られるか不安が残る。貴族という生き物がどういうものか漠然とだが知りつつあるアインズは、貴族が品位、そしてそれに連なる様々なものを重視しているというのを理解している。場合によっては見栄を張るぐらいなのだから。
その様々なものの1つがダンスである。
特に今回の舞踏会には他国の人間も来るはずであり、その場での失態は大きな余波を生むだろう。辺境侯という今まで作り上げた立場が瓦解することは無いにしても、それに匹敵するだけの何かが起こったとしてもおかしくは無い。
それに凱旋の際にあの派手な格好をしたアインズが、実は貴族の作法は全然出来ません、などとなったらどのようになるか。今ある評価が一気に地の底にまで落ちるのは間違いが無い。
「盆踊り……いや何を考えている……。時間はいま少しある。その間にダンスを覚えればいいんだ。最低でも基礎を」
アインズは強く決心し、ぼそぼそと呟く。
しかし、不安は大きい。
世の中には2種類の社会人がいる。
1つは社会に出てからも勉強する社会人。そしてもう1つが社会に出ると勉強しなくなる社会人である。アインズは後者であり、勉強は学生の頃しかやってなかった。脳みそ──この肉体にあるのか不明であるが──が固くなっているのは間違いなく、ちゃんと覚えられるのだろうか、という不安だ。
無いはずの胃が痛くなるほど不安を覚えながら、アインズはさらに何かに気が付くと、空虚な眼窟の奥に真剣なものを宿した。
「しかし……その前の典礼なども知らないぞ? そのあたりもやはり一般常識なのか?」
貴族社会を垣間見てきたがそこまでは詳しくは知らないアインズは、頭を抱えようとしてぐっと堪える。やはり貴族などという立場に立つべきではなかった。という思いがそこにはあった。
だが、もはや逃げることは出来ない。
恨みをぶつけて良いなら、セバスに凱旋の時あれほど目立たなければ、もう少し立場的に楽だったかもしれないと言いたいぐらいだった。
アインズは机の上にあった小型の鈴を鳴らす。
遅れて扉がノックされた。
アインズはドア横に立つメイドに1つ頷いた。メイドは頷き返すと扉を開け、外の人物と何かを話している。
そして扉を閉ざすと、アインズの前まで歩いてきた。
「セバス様がおいでです、アインズ様」
「入室を許可する」
「畏まりました」
アインズがセバスを呼んだのだから、来た人物がセバスなのは当たり前である。しかしこういった形式がアインズという絶対的支配者には必要だ。
アインズがトコトコ扉の前まで向かい、ガチャっと開けてはいけない。
支配者はイスに座ったままシモベを顎で使うべきだと考え、それをナザリックの全NPCたちは望んでいるからだ。
アインズの一般人的思考ではこういった形式も眉を顰めたくなるが、上司的思考では部下の望みを叶えるのも当然という考えが浮かぶ。結果、文句を言えずに七面倒な対応を余儀なくされるわけだった。
「失礼いたします、アインズ様」
セバスが部屋に入り、アインズに忠誠を向けてくる。その姿に鷹揚に頷き、自らの元に来るようにアインズは指示を出した。セバスが目の前まで来ると口を開く。
「良くぞ来たな」
「お呼びとあらば即座に」
アインズは少しばかり口ごもった。ダンスが出来ないと発言した場合の、自らへの忠誠心が変動する可能性を考えて。しかし、もはやアインズには手はない。これで忠誠心が一気に下がったらその時は記憶でも操作してやると、内心で決意を固めてから問いかける。
「セバスよ……。私は実はダンスというものが出来なくてな。それでお前の助けを借りたいのだ……。失望するか? ナザリック大地下墳墓の主人たる私がダンスを出来ないことを」
「いえ、そのようなことは決してございません」
セバスから即座に返答があった。
「アインズ様に苦手とする分野が無ければ、私たちが存在する意味が無いというもの。私たちの喜びはアインズ様のお役に立てることなのですから」
「……そうか、それは礼を言わせて貰おう。それでは続けてセバスに問う。……ダンスは出来るか?」
「いえ、申し訳ありませんが、私もその分野は習得しておりません」
「まぁ……そうだろうな……」
予測された答え。というよりもナザリック大地下墳墓にダンスが出来そうなNPCは記憶に無い。
アインズは内心では奇妙な雄たけびを上げながら、床に転がりたい衝動を一瞬だけ覚えた。
何故、俺はパンドラズ・アクターにダンスが出来るという設定を書いておかなかった。あんなオーバーなアクションとか、意味の無いキャラ設定なんて作っておくべきじゃなかっただろう。
後悔とはまさに『あとにくいる』ものだ。アインズはそれに心から納得する。
「では、セバスよ。ナザリック内にダンスが出来そうなものはいるか?」
「であれば、デミウルゴス様はどうでしょうか?」
「デミウルゴスか……。知識としては確かに持っていそうだな。しかし、何から何までデミウルゴスに頼るというのもな……」
デミウルゴスには命令を与えナザリックの外で任務に付かせているのだが、あまりにも頻繁に呼び戻している。振り返ってみれば、本当に些細なことで呼び戻しているような気さえしてくる。
これはデミウルゴス以上に知恵があり、ナザリックを指揮できる者が欠けているためだ。戦闘指揮においてはコキュートスをその任に就けようとしているが、知略の面でのナザリック運営を補ってくれる人材の欠如が大きな問題となっている。
この問題を大きく感じているのがアインズだけだというのもまた問題だ。
シャルティア、アウラ、コキュートス辺りは力で解決しようという傾向が強く、敵がいるなら自分が1人で落としてくるという守護者──管理職にあらざる思考を持っている。
もう少し考えてくれよ、などとアインズは思うが、守護者の性格や思考の設定はかつての仲間達の行った結果であり、叱咤するべき対象はかつての仲間たちであろう。
それにアインズ自身、単なる社会人であるために、実際に守護者達の考えが間違っているのかどうかという点に関しては自信がない。
だからこそデミウルゴスにおんぶに抱っこという形が出来上がっていた。
(フールーダがナザリックに所属したことで大きく変わるかと思ったが、あれは魔法キチな面があるから……微妙に役立たないし……)
フールーダは自らがより強大な魔法の力を得るという点に固執している部分があり、微妙に帝国の一般常識──特に貴族社会に関しては無知な部分がある。今までの人生でそんなことに労力を割かずに、魔法の深淵を覗き込むことに集中していたためだ。そしてそれを歴代の皇帝たちが認めてきたからでもある。
そんなフールーダだからこそ、強大な魔法の力を持つアインズには心底敬服しているのだが、時と場合によっては良し悪しということだろう。
「仕方が無い。デミウルゴスに聞いてみるか」
「それがよろしいかと。それと私はナザリック内にダンスが出来る者がいないか、色々と当たってみたいと思います」
「そうだな……そうしてくれ。私が知らないだけで誰か踊れる者もいるかもしれないからな」
「はっ!」
◆
《伝言/メッセージ》の効果時間が切れて魔法が解除され、アインズはゆっくりと頭を抱え込もうとし、それを途中で止める。アインズの執務室には先ほどと同じようにメイドが控えているからだ。
確かにこの部屋にいるメイドは空気であり、一切気にする必要がないとセバスからも言われているが、それでも支配者に相応しい行動を出来る限り取って行きたいとアインズは考えている。だから頭を抱えるなんて行動は取れない。
しかしどうしてもその行動が取りたかったアインズはゆっくりと立ち上がると、扉の近くに立っていたメイドに声をかけた。
「席を離れる。寝室にいるつもりだ。誰かが来たならばここで待たせて、呼びに来い」
「畏まりました、アインズ様」
深々と頭を下げたメイドから視線を外し、アインズは寝室に向かう。
部屋には天蓋付きベッドが1つ鎮座している。そのキングサイズのベッドにアインズは身を投げ出す。
身が沈むような柔らかな感触に擁かれながら、アインズは靴を脱ぎ捨て、もぞもぞと尺取虫のようにベッドの中央へ進む。
そして「あー」などと言いながら右へ左へ転がった。
「やばいな……デミウルゴスもダンスに関しては詳しくないとは……これは想定外だぞ……」
不味い、不味い。などと言いつつもさらにごろごろと転がる。
唯一の救いは典礼であればどのようにするべきか、儀典官などからの指示があるはずなので、そのリハーサルで覚えれば問題ないだろうと言われたことだ。
ただし1つ脅されたことがあった。それは舞踏会などは最初に皇帝、もしくはそれに準ずるだけの地位や働きをした者などが踊る場合が多い。そのために下手すれば貴族達が周囲で見守る中、アインズがトップバッターとしてパートナーと一組だけで踊る可能性を示唆された。
不安がもっと強くなれば感情が抑止されるのだろうが、いまだそのレベルには達していない。アインズは「あー」や「うー」などと言いながらベッドの上を再び転げ回る。もはやおっさんの行為ではない気もしたが、子供に戻って転げ回りたい気分だったからだ。
きちんと伸ばされたシーツや毛布がしわくちゃになるが、それ以上に頭が一杯のアインズにそちらに回す余力はなかった。
「あとはセバスに任せた俺が知らない奴に期待するしかないが……そんな奴いたか?」
頭の中で色々なNPCを思い返すが心当たりは一切無かった。
そうやってアインズがベッドの上で転がっていると、慌てて走ってくる音がアインズの鋭敏な聴覚が捉える。アインズの部屋のみならずギルドメンバー41人、全員の部屋はしっかりとした防音が施されている。それにも関わらず音を捉えられたのはアインズの聴覚が優れているだけではなく、その人物が大慌てで、しかもかなりの速度で走っていることを意味している。
「……これは……メイドか?」
アインズの推測は当たり、すぐに寝室がノックされる。ノックのリズムはさほど慌ててはいないが、それはアインズの寝室だから最低限の礼儀を思い出したというところだろう。
アインズはもぞもぞとベッドから降り、靴を履きなおしてから自らの服装を見下ろす。
多少、皺が寄っているが、ちょっと引っ張ることでそれらは直ぐになくなる。アインズは頷くと、ドアを開いた。
「何用だ? 忙しないようだが?」
「はっ! アインズ様、お休みのところ申し訳ありません。ある方がダンスの件でお話があるとのことでいらっしゃってます」
「何!」
アインズは目に宿る灯火を明るいものにする。
「そうか! 直ぐに案内せよ!」
案内せよと言っても、いるのは執務室なのは間違いが無い。アインズはメイドをすり抜けるように寝室の外に出ると廊下を歩き出す。
慌ててメイドが後ろを付いてくるが、それを気にも留めない速さで歩いたのはそれだけアインズが期待に胸を打ち震わせていたからだろう。
執務室の扉を大きく開く。
そして期待を込めて見渡した。いたのはユリ・アルファ、シズ・デルタ、ナーベラル・ガンマの3人、そしてセバスの姿だった。
確かに女性ならばダンスなどのそういった設定を組み込まれている可能性は充分にありえる。アインズはなるほどと思い、お辞儀をしてきたその3人に対して大きく頷く。
まさか3人もいるとは、と思いながら話しかけようとし──
「──これはアインズ様、お久しぶりに会えて、我輩嬉しく思います」
突如、第三者の声がした。男の声だが、セバスのものとは違う。
慌ててアインズが視線を向けた先、執務机の後ろにいたために見えなかった者が横から姿を現した。
そこにいたのは30センチほどのゴキブリだ。
豪華な金縁の入った鮮やかな真紅のマントを羽織、頭には黄金に輝く王冠をちょこんと乗せている。手には頭頂部に純白の宝石をはめ込んだ王杓。直立しているにもかかわらず、頭部が真正面からアインズを見ている。
それが誰かアインズが知らないはずが無い。
「恐怖公!」
「ははぁ! アインズ様。忠義の士、恐怖公でございます」
すっと礼儀正しいお辞儀を見せる。デミウルゴスに匹敵するだけの優雅さだ。
アインズは内心「どうやって腹の辺りで体を曲げた」などと驚愕しつつも、冷静に答える。
「良くぞ来たな。それで……何用だね?」
「おや? セバス殿から聞きましたが、ダンスを指導できる人物と探していると聞きまして、我輩、これは駆け参ぜねばと思い、シルバーに乗ってここまで参りました」
メイドが慌てていた理由がなんとなく理解できた。
「そ、そうか……。だが、シルバー? なんだ、それは?」
「はい。我輩の騎乗ゴーレムである、シルバーゴーレム・コックローチでございます」
「…………そんなのいたの?」
「はい。るし★ふぁー様がお作りになってくださったゴーレムでございます。ちなみになんでもボディは超希少金属のあまりをちょろまかして、そして希少貴金属スターシルバーを溶かして作ったコーディング剤で覆っているそうです。強さは我輩を遥かに超える70レベルだとか」
アインズの視界の隅でぐらっと戦闘メイドの誰かの体が大きく動いていた。その動きは充分に内心の驚きを語っている。
それはそうだろう。
アインズは頷く。ゴーレムとはいえ、自分よりも遥かに強いゴキブリなど微妙なショックを受けるに充分だ。
しかしそんな可哀想なメイドたちにアインズは慰めの言葉を掛ける余裕は無かった。というよりもそれ以上に聞き逃せない言葉があったためだ。
「…………やぁろぉう…………。あれをちょろまかしたとか……」
あの希少魔法金属の採掘所はある事件で奪われ、アインズ・ウール・ゴウンが独占していた希少金属は市場に流通するようになった。その際はアインズ・ウール・ゴウンに売らないようにという宣言付きで。そのために非常に入手が困難になった経緯があった。
もちろん、最初に発見して鉱脈をあらかた掘っていたので、再発生する金属の生産量など遙かに超えた量を懐に蓄え込んでいたが、ゴーレムの作成にあらかた回っていたので、ギルド内でもあまり出回らない金属であった。
アインズ自身、そのためにあるアイテムの作成に使う金属を別の金属に変えたぐらいなのだから。
しかし憤怒は即座に収まる。それにいまさら言ってもしょうがないことだ。それどころか、振りかえってみればそれも懐かしい思い出。怒っているのも馬鹿馬鹿しい。
それよりは今しなくてはいけない問題は別にある。
アインズは恐怖公を眺め、複雑な感情を抱く。
どの世界にゴキブリにダンスを教わる者がいるのだろう。
アインズは言いようが無い感情に襲われるが、抑止される前にそれらを全て飲み込んだ。それしかないのであれば、そうするほかないのだから。
人類始まって以来のゴキブリに物を教わる人間――いやアンデッドというのも乙な物だ。などとアインズは必死に自分を誤魔化す。
「……よろしく頼むぞ、恐怖公」
「畏まりました、アインズ様。我輩、アインズ様がゴキブリの舞踏会に出ても問題無いレベルまで教えますぞ」
アインズは一部の聞きたくない台詞は頭の中から除外する。
「……そうか、それは本当に心強いな! それで私のダンスの相手は……恐怖公なのか? それとも別のメスゴキブリなのか? 流石に1人でエアダンスというのはちょっと厳しく感じるが?」
「いえいえ。私や他の同族では流石にサイズが違いましては問題がありましょう。そしてお一人では成長が鈍ります。やはりパートナーあってのダンスですとも。それで、どなたか他にダンスを得意とする方はおられないのですか? 出来ればアインズ様が踊られる国の社交事情についてある程度の知識がある者がよいのですが?」
そんな相手はいない。フールーダは先の通り、その辺の知識はない。
アインズは必死に考え、いないことを確信する。
貴族を1人ぐらい浚ってくるか。
そんな危険な考えを遂行する手段を頭の中で練りだしたとき、セバスが声を上げた。
「そういえば、シャルティア様の所に1人、帝国貴族の娘がおりませんでしたか?」
止まっていた作品が一話だけ更新する。エターフラグ!
短くてごめんなさい……次回は9月中頃以降? 書籍化の進行具合によってはもっと早くにも遅くにもなるかもしれません。