日々-4
長いよ。
ニンブルが人混みの中に消えていく姿を目で追いかけながら、3人は揃って果実を口元に運ぶ。しかしそれを噛み砕くようなことはしない。
「さてあの男は信じたかな?」
「恐らくは」
「愚かなこと。私達がアインズ様のご命令を無視してついて来たと思っているとは」
ソリュシャンとナーベラルが微かに目元だけを下げる。
「しかし三つの利点まで考えた上での行動とは流石はアインズ様」
「まぁ、内一つはデミウルゴスに言われたからの行動だがな」
ちらりとアインズはナーベラルに視線を送り、それを受けてナーベラルが目で礼を示す。
「上手く誘導しろ」
「畏まりました。上手く演技してみせます」
「ジルクニフがそんなことをする男とは思わないが……デミウルゴスの言うことだしな」
「しかし嫌な役目です。例え演技とは言え、アインズ様の圧倒的な力のみで支配が成り立っているなどとの嘘をつくのは」
「……本命はアウラ様のお仕事とか?」
「そうだ。アウラはエルフの権利を勝ち取るという目的で私の支配下に入っているという情報を流す。ナーベラルの行為はその前準備だ。……ではソリュシャン。尾行はいまだちゃんと付いてきているか? こちらを見失ってないな?」
ソリュシャンは果実を少し齧ると、口をモゴモゴと動かす。しかしまるで別のところに口があるかのように、明瞭に言葉を発した。
「はい。これだけ目立っておりますので問題ないようです」
アインズは果汁で顔が汚れたと言わんばかりの態度で、顔を手ぬぐいで乱暴に拭う。特に下あごの辺りを。
「念を押しておくが、もしかするとアノックの手の者が後ろから警護しているという可能性もないわけではない。こちらからの攻撃は決して許可しないぞ。それと尾行者はこのまま泳がせるつもりだ。撒いたり……ましてや見失ったりしないようにな」
「それは問題ございません。隠れているつもりでしょうが、既に私のスキルでロックしておりますので、見失ったりするようなことは距離が離れない限りはございません」
暗殺者でもあるソリュシャンは自信を持って答える。
「ならば全ては順調だな」
「まさに。しかしアインズ様の帝都見学。それにこれほどの無数の策謀があったなど、誰が気付きましょう。まさにアインズ様の英知には並ぶ者がおりません」
「よせよせ。まだこれからが勝負だ。ちゃんと人ごみに紛れて分断するぞ」
2人が目のみで了解の意を示すのを確認し、アインズは布を乱暴にポケットに押し込む。2人は果実を完全に食べ終わり、汁で汚れた指を清潔なハンカチで拭う。
「しかしやはり食べることはできんな」
歯で果肉をかじることは出来ても、口底がないために下に落ちてしまうのだ。いや有ったとしても喉も胃も、更には舌だって無いのだから味わうことすら出来ない。
すこしばかり残念に思いながら、アインズは歯形が小さく付いたフルーツを眺める。
「捨てるか」
持ち前の貧乏性が勿体ないと大声で叫んでいるが、有効活用する手段も何も頭に浮かばない。持って歩くのも果汁で汚れるので遠慮被りたい。アイテムボックスに放り込むのもなんだか嫌だ。
露天で食べ物が売られていた以上、どこかにゴミ捨て場があるはずだと、周囲を見渡したアインズは、己を凝視する視線に気が付く。
それは目の前の2人からだ。
「私の食べ残しだが……いるか?」
「はい!」
「是非とも!」
「……もっと欲しいなら買ってきてもらうぞ?」
「違います!」
「それを頂きたいのです!」
アインズは2人の剣幕に若干引くが、それでも差し出す。
「1つしかないから2人で半分にして――」
その言葉が言い終わるより早く、ソリュシャンが手を伸ばした。
アインズの持つ果実に、上から手をかぶせる。その手が退かされた時には、アインズの手の上にはもはや何も残っていなかった。
「うわ……」
「ご馳走様でした」
ナーベラルの呆気に取られた声とソリュシャンの満足げな声。そこにはまるで正反対な感情が篭っていた。
「ソリュシャン。貴方は素晴らしい友人でした」
「……ナーベラル。これは仕方が無いことです」
「何がでしょう。納得できないことであれば、全力で戦闘を仕掛けさせてもらいます」
おいおい。
アインズが止めようとするよりも早く、ソリュシャンが口を動かさずに語る。
「あの男が帰ってきます。演技の関係上、あなたがアインズ様の果実を食べるのは不味いでしょ? それにそうやって喋るのは如何なものかなと」
ナーベラルが大きく目を見開き、ぐるっと顔を回す。そして急いで帰ってくるニンブルに凄まじいまでの憎悪を込めた視線を向けた。
ちっ。
やけに大きく舌打ちを一つ。それから鋭い視線をソリュシャンに向け、口を動かさないように喋る。
「次は譲りなさいよ」
「仕方ないわね」
少しばかり勝ち誇ったソリュシャンを一瞥すると、ナーベラルの表情は直ぐに先ほどのものに戻った。
「遅くなりました。エイノック羊の焼き串です」
ニンブルが手に持ってきた数本の串を差し出す。大降りの肉が数切れ刺されたもので、肉の表面には程良く脂が滲み、焼き加減もちょうど良さそうだった。肉の焼ける腹の減るような良い香りにまじって、タレの甘い香りが立ちこめる。
「いやいや、アノック殿。すまないな、走らせてしまって。ナーベラル、私の分も食べると良い」
「ありがとうございます」
遠慮という言葉を忘れたようにナーベラルはニンブルの手から串を奪っていく。
それを次から次へと胃に収めていく。そのあっぱれな食べっぷりに、ニンブルは微かな驚きを顔に宿した。
美しい顔立ちを考えれば似合っていそうもない食べっぷりだが、それが逆に違和感なく感じられる。その奇妙な似合い方への驚きだ。
「さてアノック殿、これからどこに案内してくれるのかな?」
「そうですね。大学院や帝国魔法学院を見学してみては如何でしょう。許可を得られないと内部に入ることは出来ませんので、今回は外からということになりますが」
「それは素晴らしい。帝国が誇る学院は非常に興味深い。フールーダとも相談したのだが、私の領地を上手く管理してくれる人材を募集したりしたいとも思っていたからね」
「そうでしたか。そうと知っていれば許可をお取りして置いたものを。見学が終わりましたら帝国美術館や練兵所を覗きに行ってみましょう」
「ほう。美術館などもあるのか。少しばかり興味が引かれるな」
やはりキンキラのものばかりあるのだろうか、そんな疑問を抱きながらアインズは告げる。
「はい。辺境侯のお目にかなうものが有ればよいのですが」
「アノック殿、楽しみにさせて貰うよ」
「畏まりました。ではナーベラル様も食べ終わったようですし、移動しましょう」
「ああ、そうしよう」
そして――
■
「――分断したわけだがな」
ナーベラルとニンブル。2人と別れたアインズは裏路地で周囲を見渡す。静かな路地に活気は無く、日差しが遮られている箇所もあるために、昼時だというのに少しばかり暗い。
さらに禿げた石畳やそこから伸びる雑草などが、管理が行き届いていないことを証明していた。
それら全てが相まって、寂れた雰囲気と治安の悪さを感じさせる。
流石にどんな世界であろうと貧富の差をなくすことは不可能だと実感させてくれる光景だ。
「予定通りですね」
後ろからソリュシャンが語りかけてくる。
アインズは鷹揚に頷くと、歩き始める。取り立てて目的地を定めたものではない。というよりここが何処か、帝都の知識が皆無なアインズにはさっぱり見当が付かなかった。
見渡しても取り立てて目印になるようなものは無く。代わり映えの無い家屋が続くばかり。
だがアインズはここがどこか知っていると言わんばかりの自信に満ちあふれた態度で歩く。
これは別に演技ではない。魔法を使えばどのような場所からでも帰還することは容易だと知っていれば、誰だって迷い無い態度で歩くことが出来よう。
「それでソリュシャンよ。尾行はまだ問題なく続けられているか?」
「……はい。問題ございません。一定距離を維持したまま、後方からこちらに追従しております」
「追従……まぁ、良い。護衛とはぐれるなど、ここまで隙を晒したのだ。仕掛けてくるとしたらそろそろだろう。どのような者が来るかは未知数だが、決して実力を十全に発揮するな。相手にこちらの底を知られるような行為は厳禁だ」
「畏まり……」ソリュシャンが途中で言葉を奇妙に途切れさせ「アインズ様。前方に複数の人間の気配がございます」
「……たまたまの可能性は?」
「無いとは言い切れませんが、ピリピリとしたものがございます」
「ふむ……」
アインズは前方を眺めるが、その人影というものをみつけることは出来ない。そしてそのピリピリとしたものを感じることも出来なかった。
しかし暗殺者であるソリュシャンの持ちうるスキルであれば間違えようがないだろう。
「仕掛けてきたか?」
「可能性はございます。どうなさいますか?」
「愚問」アインズはにやりと笑う「こちらからその罠に乗り込んでやろう。こちらとしてもどのように仕掛けてくるかは興味がある」
「畏まりました。ではアインズ様。その先の通りを左手に曲がっていただけますか?」
「なるほど、そちらか」
アインズはソリュシャンに先導させ、複数の人間の気配というものの場所に向かう。
そして目を疑った。
予期していたのはアインズ達に襲いかかるための包囲網。しかし実際にあったのは小汚い格好をした男達5人と、それに囲まれた1人の少女という状況だった。
男達は体つきはよいが、さほど警戒する危険性を感じはしなかった。実際、腰にも手にも武器らしく物は所持していない。
対して少女は10代中頃だろう。容姿はそこそこだ。元の世界では目を引かれるだろうが、この世界であれば平均よりも少し上というところか。
そんな中、アインズが目を引かれたのは少女の着ていた服だ。それは先ほどニンブルの案内で外から見た帝国魔法学院の生徒達が着ていた物である。
「……どうやら仕掛けて来たわけではないようですね。無視しますか?」
興味を無くしたようにソリュシャンは告げる。それに対し、アインズの考えは違った。
「罠だな」
断言した主人の物言いに、ソリュシャンは困惑を隠せなかったようで不思議そうな表情をする。
「罠ですか?」
「確実にな。常識的に考えて、たまたま裏路地に入ったら少女が男達に囲まれているなどと言う状況に遭遇すると思うか? それはどんなタイミングだ。ふん、馬鹿馬鹿しい」
「なる……ほど……?」
「これは尾行者の罠だな。少女を助けろと言わんばかりではないか。つまりは向こうの狙いは少女を私たちに助けさせることだろうな」
「では無視しますか? それとも少女ごと葬りましょうか?」
「いや、ここはあえて罠に乗る。少女を助けることが相手のどのような利益に繋がるか不明だ。相手の手に乗ることで、そこから敵の狙いを引きずり出すのも悪くない」
「流石はアインズ様。そこまでのご判断とは」
「見ろ、こうしていても一切少女に危害を加える様子がない。確実に私たちを待っているのだろうよ。へたくそな演技だ。仕方がない、主演が舞台に登場してやろうじゃないか」
「はっ!」
アインズはゆっくりと姿を見せると、侮蔑するような口調でその場にいた全ての者に告げた。
「少女一人を囲んで何をしているんだ?」
囲んでいた男達の顔に困惑の表情が浮かんだ。まるで予期していたのはと違う人物が登場したとでも言いたげに。
帝国4騎士が登場すると思っていたのか?
アインズは男達の顔に浮かんだ表情に、既にお前達の策略が狂っているのだと内心で思いつつ嘲笑を送る。
「失せろ」
アインズは親指を立てて、命令を下す。その自信に溢れた表情は圧倒的強者だから出来るものである。
「な、なんだ、おめぇ」
男の一人。最もがたいの良い男が困惑した声を上げてから周囲を見渡す。誰かを捜すような態度に、アインズは浮かび上がってくる笑いを隠しきれなかった。
「残念ながらここにいるのは私たちだけだぞ。ほら、かかってきても良いんだぞ? しかしチャンスをやろう。失せろ」
完全にバカにされていると理解したのだろう。男たちの顔が怒りから紅潮し、憤怒の表情へと歪む。
それを敵対行為と捉えたソリュシャンがすっと流れるような動きで、アインズの前に踏み出る。そして両手を広げたと思うと、手には大降りのナイフが握られていた。
鋭いナイフは誰が見ても実用性を重視したもの。それも決して身を守るための物ではなく、相手に致命傷を与えるために作り出された物だった。
「なっ!」
その男達の驚きはソリュシャンがナイフを構えたことか、はたまた何処からともなくナイフを準備したことに対するものか。それともそのナイフを用いる目的が理解できたためのものか。
「……殺しますか?」
「ふむ……まぁ構わないかもな。死体は我々の実家に送るとしようか」
「承りました」
人を殺す。
平然と言える内容では無いはずにも関わらず、世間話のように言う2人を見る男達の表情が変わった。
薄々とは気が付いていたではあろうが、明確に生きる世界が違う危険な存在に喧嘩を売ったと悟ったのだ。
「お、おまえら、いったい……」
「今から死ぬあなた方が知る必要はありません」
男達の表情にはっきりとした恐怖が宿った。
絶世の美女であるソリュシャンの冷徹な言葉に、それを実際に行うだけの力を持つと本能が感じ取ったためだ。
それだけで無い。無造作に詰め寄っていくソリュシャンに得体の知れない感情を抱いたのだろう。及び腰になったその姿は、逃げるタイミングを伺っているのが丸分かりだった。
やれやれ。
アインズは内心で肩をすくめる。その男達の反応で、アインズ達がどの程度の存在か一切知らされず雇われたというのが明白になった。所詮は捨て駒ということだ。
ならば必然的に少女の方が本命である可能性は高い。
「さて、ここまでを冗談にするか、本当にするかはお前達次第だ。これが最終警告だ。失せろ」
男達は互いの顔を見合わせ、脱兎の勢いで逃げ出す。
殺そうと思えば姿が消えるまでに幾度も殺せただろう。実際、ソリュシャンが殺害を許可する視線をアインズに向けてきた。しかしアインズは縦に頭を振ったりはしなかった。
殺す価値すらない。
アインズの男達への評価はその程度だ。逃がしたところで困ることなど何一つとして無い。
そしてアインズは男達のことを忘却する。
アインズ・ウール・ゴウンという強大な存在が、体格が良いだけの人間にそれ以上の思考を割く必要すらない。アインズは少女に向き直ると、優しげに語りかける。
「それで怪我はないかな?」
「あ、ぁ、あ、ありがとうございます」
少女が感謝を口にする。顔色は若干悪く、事態のあまりの急変に思考が付いていっていないという態度だった。それだけでなく、恐怖から来る怯えもあった。恐怖の対象はソリュシャンがメインで、アインズがサブと言うところ。恐らくはソリュシャンとの会話で「殺す」などの言葉を使ったことに対してだろう。
アインズは反省をする。
男達から救った相手がもっと薄暗い社会の人間だと思っても可笑しくはない会話だった。もう少し濁して伝える方が良かった。相手がどのような策を練っているか不明な以上、出来る限り法に触れる行為は避けるべきだった。
後で悔いるから後悔という。
そんなことをぼんやりと思いながらアインズは少女を眺め、浮かび上がってくる困惑を隠しきれなかった。
あまりにも自然な怯えかたなのだ。
本当に単なる少女が恐怖に捕らわれているようで。
……もしかして本当に単なる一般人?
アインズは頭を横に振りながら、心の中で生じた疑惑を必死に塗り潰す。ゲームのイベントじゃ有るまいし、そんな偶然があるはずがない。たまたま裏路地に入って、たまたま少女が屈強な男達に絡まれている。そんなことが起こりうるはずがない。
これは全て何者かの陰謀である。そう考えた方が納得がいく。
だが、完全に疑問を消すことは難しい。
もしそうだったら、先ほどまでの自分の説明はなんだったのか。
ソリュシャンをチラリと横目で伺い、アインズは少女からより一層の情報を引き出そうと話しかける。
「そうか。それはよか……」
突如、ソリュシャンがアインズの耳元に口を近づけ、本当に小さく告げる。
「……アインズ様。こちらに駆けてくる者が」
「失礼」アインズは少女にそれだけ言うと、少し離れソリュシャンに尋ねる「……尾行者か?」
「いえ。それとは別口です」
アインズは何がなんだかと思いながら、新手が来るという方向に視線を向ける。
ほんの少しの時間が経ち、姿を見せたのは一人の少年だった。年のほどは少女と同じか若干上。息を切らせているのはここまで全力疾走したからだろう。秋の空気は涼しげなものを宿しているが、少年の額には汗が滲み流れていく。
凛々しい顔立ちではあるが、目を最も引くのは左目を覆う眼帯だ。
魔法によって肉体的な欠損すら癒えるこの世界において、眼帯をしていると言うことは、それほどの金銭的は余裕がないか、はたまたはそれがマジックアイテム。そう言ったところだろう。
そう考え、アインズは少年の服を見て、後者だろうと判断する。
着ている服は少女と同じ帝国魔法学院の服だった。
少年は少女を目にすると、安堵の息を吐き出し、表情が一気に緩む。
「無事だったのか!」
そして少女の怯えを察知すると、アインズに警戒の視線を送ってきた。敵意すら含まれた少年の視線に反応し、ソリュシャンがゆっくりと前に出ようとする。殺意などは何処にもなく、先ほどまで持っていたナイフは握られてはいない。
しかしナイフなど無くてもソリュシャンは人間を容易く殺せる存在であるし、人間ごとき劣等生物に自らの敬愛する主人へ敵意を向けられて許すほど慈悲深い性格もしていない。
さきほどの男達よりも少年は危険な場所に立っている。
それが理解できたアインズは、ソリュシャンに対して手を軽く持ち上げることで意志を示す。
即座にソリュシャンはアインズに頭を下げると、元の位置に戻った。
「ち、違うの!」
その時になってようやく少女は少年の表情に含まれた考えを悟り、慌てて叫ぶ。
「この人たちが助けてくれたの!」
少年の顔に困惑が生まれ、数度アインズと少女を見比べる。
アインズは戯けるように肩をすくめた。
そのポーズでようやく少年の顔に浮かんでいた険しいものが溶けて消えていった。
「そうでしたか、勘違いして申し訳ありません」
「い、いや、構わないとも――」
「こんな治安の悪いところに一人で来るなよ、バカ」
アインズが言い終わるよりも早く、少年は少女の方に向き直ると叱咤する。
「うん……ごめんね」
頭を下げ、少年に謝る少女。そのまま2人はどうしてここに来たとか、そんな会話を始め出す。
アインズは何となくだが、とてつもない場違い感を全身で受け止めていた。
2人の間の空気におっさんには入れない、精神的な空間障壁のようなものが張られているような感じがしたのだ。一言で言えば『むず痒い』。
ああ、俺もこんな青春を送ってみたかった。
そんな憧憬をアインズに感じさせるが、その感情の波は即座に収まる。
それがアインズには苛立ちを覚えさせた。
この肉体に変化してからは強い感情が生じた場合、強制的に沈静化させられる。つまり今のように冷静さが急激に戻ってきたと言うことは、あの2人を眺めてそれだけ強い憧憬を得たということの証明になる。
それほど強く憧れてなんかいない!
アインズは己の心を叱咤する。確かにアインズは高校を卒業すると同時に働きだしたため、学生生活は若干短いと言えよう。さらに中学、高校生活もさして明るいものではなかった。
しかしそんな暗い生活を払拭するように、ユグドラシルでの日々は素晴らしかった。まさに黄金のように輝いていた。
そう――アインズの青春は遅れて来たユグドラシルでの仲間達との冒険にある。そしてその輝きはあの2人を見て、羨ましがるようなちんけな物ではない。
ならばあんな関係を見て羨ましがるなど、かつての仲間達との素晴らしき日々を汚す行為だ。
アインズが己の無様な心に怒りを感じながら眺めていると、2人の会話は終わりを迎えたようで、揃ってアインズに向き直る。
「助けてくださってありがとうございます!」
「……あ、ああ。良かったな……」
「では私たちはこれで」
「ああ、気を付けるんだぞ」
物分りの良いおじさんと化したアインズを尻目に、2人は歩き出す。
2人で去っていく姿――少年と少女は並んではいるが、完全にくっついてはいない。その微妙な空間が2人の関係を如実に示しているようだった――を見送りながら、アインズは呆然と呟いた。
「……まさか、本当に関係ない……単なる遭遇だったのか……。嘘だろ……」
ソリュシャンがはっきりとした驚愕を表に浮かべる。自らの主人のぐったりと倒れこみそうな姿を前にして。
「ど、どういたしましょうか?」
「お、驚きだぞ、ソリュシャン。これは本当にまるで関係ない遭遇だったみたいだぞ……」
「いえ、そうであると決まったわけでもないかと愚考します! 全ては今後の布石としての陰謀という可能性もございます! 決してアインズ様の予測が外れたわけではないと考えます!」
「……その可能性もあるか」
なさそうな気配を感じるが、そうでも思いこまないとやってられない。
それにソリュシャンが必死に慰めてくれているのだ、落ち込んでばかりもいられない。
しかしアインズのやる気メーターは完全に空だ。もはや何をするのも億劫だった。
強い精神の動きは抑圧されるが、そこまで行かないレベルの波は押さえ込まれたりはしない。弱い怒りが長く続いたりするのはそのためだ。その例で言うなら今のアインズは弱い脱力感が長く続いている状態と言うことだろう。
アインズは肩を竦めると、ソリュシャンに話しかける。
「もう、とっとと帰るか」
転移魔法で帰って、屋敷からナーベラルに魔法で命令を送れば良い。
そんなことを考えていたアインズに対し、ソリュシャンが引き締まった表情を向けた。
「アインズ様。現在、何者かが周囲に展開するように包囲網を形成しております」
「……ほう」
「……包囲網を縮めてきております」
「その中には私達しかいないのか?」
「はい。私達が包囲網の中心となっております」
今度は確実だ。そう思いながらもアインズは自信が持てない。というよりもなんだかどうでも良くなっていた。
「ならば待っていてやろうじゃないか。どんな手で来るか興味がある」
「でしたらアインズ様、こちらに」
ソリュシャンに言われ、アインズは壁を背にするように立つ。
それから数十秒後、半円を描くようにアインズたちを包囲したのは、家々から飛び降りてきた総勢8名の男達だった。
飛び降りたと言うのに、音も無ければバランスを崩したりもしない。まるで猫か何かを彷彿とさせる姿だった。しかしながらかつて闘技場でアウラの見事な着地を見たアインズとしては驚きは何もなかった。
それどころか見苦しいとも言える。
アインズは冷めた目で男達を観察する。
全員が都市迷彩を思わせる色の服を着て、着地の際も金属の音がしなかったと言うことは隠密行動を主眼に置いた武装で整えていると言うことだろう。
顔はすっぽりと布で覆っており伺う事は出来ないが、隙間から覗く瞳はいやに輝きが無い。暴力に慣れていると言うよりも人を殺すことを職業としている雰囲気。
さきほどの男達とはまるで違う、異質な気配を放った者たちだった。
少しばかり何故かアインズはほっとした。
今までの辛い空気が拭われていくような気がして。
「なんとも直線的な手だ……」
アインズの呟きに答えることなく、その中でも中心人物と思われる男が口にする。
「……辺境侯とお見受けする」
「そうだが……サインでも――」
言葉が終わるよりも早くきらめきが起こり――複数の金属音が高く響き渡る。アインズの前に躍り出たソリュシャンが抜き放ったナイフで、投擲された飛び道具を迎撃したのだ。
大地に落ちた長い針のような武器は、数にして8。
両手にナイフを構えたソリュシャンが薄い笑いを湛えながら宣言する。
「アインズ様に対する攻撃をこの私が許すはずが無いでしょう」
全員からの奇襲を完全に迎撃したその姿は驚くべき光景であり、常人であれば目を疑うものである。実際、男達の瞳に初めて人間的な感情、驚きが宿る。
「……強い」
「……むっ」
思わずという感じで毀れ出た言葉が、放った攻撃に自信があったことを示している。しかしそれを破られながらも、それでも撤退するという気配は無い。
まだ切り札があるのか、それとも職業的なものか。
アインズはそんなことを考えながら相手の動きを伺う。
「……流石は辺境侯のメイド。その女は強い。幾人か死ね」
「畏まりました」
了解の意を示し、男達は一斉に刃物を抜き放つ。
ソリュシャンのナイフを肉体で受け止め、残った男達がアインズに殺到すると言う手なのだろう。男達は良いポジションを得ようと、じりじりと動く。
張り詰めた空気。
小さな呼吸音でさえ、全てが崩壊するのではと思えるような静寂の中、ソリュシャンが問いかける。
「アインズ様。全て殺すべきでしょうか? それとも幾人か瀕死で留めますか?」
決死の覚悟を決めている男達に対し、ソリュシャンの言葉は何処までも場違いなほど軽く聞こえる。男達が突貫してきても容易く仕留められる。そんな余裕がそこにはある。
しかし決してそれは油断ではない。
歴然たる事実。
単なる人間の男達と、ナザリックの戦闘メイドであるソリュシャンの間でははっきりとした差があった。
それを感じられるからこそ、男達は襲い掛からない。いや襲いかかれない。
決死の覚悟ですら届かない、そんな巨大で高い壁が前に立ちはだかったような気がして。
「むぅ……」
「これは……」
「つっ!」
男達の瞳に焦りが浮かぶ。
目つき険しくソリュシャンを睨む。
「なんとも、これは……」
「8人でも……勝てぬ」
「倍は……いる」
男達の目にはソリュシャンに容易く迎撃される自らの像が浮かんでいた。
決死ではなく必死。
獅子の前のネズミ。
逃げることも攻撃することも出来ず、立ち往生した男達にアインズが問いかける。
「さて……聞かせてくれないか? 私は魔法使いだぞ? 私を自由にした時間が長ければ長いほど、お前達を容易く殺せると思わないのか?」
「…………」
「もしかしてそれを教えられてないのか? ……私の暗殺許可は何時出た? まさか今さっきとは言わないよな?」
「…………」
「……ソリュシャン、尾行者は?」
「まだ……おります」
「はぁ。答えは出たな……とっとと失せろ」
冷ややかな声が響く。発したのはアインズだ。
「…………」
「お前達は私の力を見るための捨て駒だ。ならばここでお前達を殺すことは私にとっての不利益。それにお前達も死にたくはないだろ? ほら、互いの利益は一致する」
「……愚か。死など」
ヒュンという音と共に、言葉を発しようとした男の一人の首がぱっくりと裂ける。
噴き上がる大量の血が、雨のごとく石畳を染め上げていく。
「かっ、かっ」
男は喉を押さえるが、噴き出す血が止まるはずがない。そのまま男の目はぐるりと動き、白目をむき出すと崩れ落ちた。
「……な、なに?」
「伏兵……?」
何が起こったのか、それを理解できる者は男達の中にはいなかった。しかし、ソリュシャンの腕を見た者はその目を大きく見開く。ソリュシャンの持っているナイフはいつの間にか鮮血に染まっていた。
ならばそのナイフで切り裂いたのは明白。だが、男との距離を考えれば、ナイフが届くはずがない。投擲し、回収したというのは無理がある。
では何故か?
その疑問はナイフの先に目をやれば即座に解消されるものだった。
男達は目を大きく見開く。そのあまりな光景に。
腕が伸びていたのだ。元々ソリュシャンの腕は細く繊手という言葉が似合いそうなものだ。それはメイド服の上からでも十分に悟れる。
しかし今のソリュシャンの腕は骨や筋肉などの人体の構造を無視したように、細くくねった物へと変わっていた。その長さは2メートルを超えよう。決して人間に出来るとは思えないような変化である。
その腕ならばどうやって男の喉を切り裂いたかは理解できる。その鞭のようにしなる腕が、男達の動体視力では捕らえることすら出来ない動きを可能としたのだ。
驚愕の表情を色濃く残し、男達は大きく飛び退く。
その腕の攻撃範囲から逃れるように。
ごくりと唾を飲み込む音が大きく響く。
それを合図にしたように、ソリュシャンのぐにゃりと曲がった腕が鞭のようにしなり、人の物へと戻る。しかしその異質さはもはや隠しようがない。
「英知に長けたアインズ様に対し、『愚か』などと最も相応しくない暴言を吐くとは……」
ソリュシャンが鼻で笑い、それから顔をぐにゃりと大きく歪める。それを目にした男達の覆面から覗く目が大きく見開かれる。整った顔立ちが嘘のようにグニャグニャと変化したのだから。
「……不快だったために思わず攻撃してしまいましたが……抱擁を与えるべきでした。己の皮膚が溶け、肉が焼かれていく苦痛を味あわせるべきでしたでしょうか、アインズ様? その『愚かさ』を後悔させるべく」
濃密な血の匂いが周囲に立ちこめる中、ソリュシャンの言葉は何処までも軽く聞こえた。
しかしその口調に含まれた思考は、男達が一斉にナイフをアインズから反らし、ソリュシャンに向けるほどのプレッシャーがあった。いや、その前から――顔の形が変わった頃から男達はナイフを向ける意志を持っていたのかも知れない。ただ、タイミングを逃していただけで。
「……困ったものだ。私のメイドは危険だな。君たちが持つナイフよりも恐ろしい」
「お戯れを。それよりアインズ様、どういたしましょう?」
「……ソリュシャン、後は私が片づけるとしよう」
「畏まりました」
アインズは一歩前に進み出ると、ソリュシャンが前に出ていた間に準備していたものを取り出す。
「これを見ろ」
掲げたのは巨大な宝石だ。
これほど大きいものが本当にあるのかと思えるものであり、イミテーションだろうと考えてしまうほどの。
しかし別にこれを見せつけることがアインズの狙いではない。男達がこちらを向いてさえいれば良いのだ。
その宝石を掲げると同時にアインズは魔法を発動させる。
《サイレントマジック・マス・ドミネイト・パースン/無詠唱化・集団人間種支配》
無詠唱化した魔法が男達の意識を縛り上げる。
「さて、準備はよしだな」
最初に行わなければならないのは男達の正体だ。
一応、正体に心当たりはあった。しかしアインズは先ほどの失態が記憶に新しいために、今まで問いかけることが出来ないでいた。ここでまた外れたらと思ってしまい萎縮していたためだ。
アインズは咳払いを一つ。
「さて、お前達が何者なのか聞かせて貰おう」
魔法によって完全に支配されている男は、通常であれば拷問をされたとしても話さないことを即座に答える。
「我らはイジャニーヤ」
「ほう! やはりお前達がイジャニーヤか!」
「ご存じなのですか、アインズ様?」
「ああ。フールーダより聞いたことがある。かつての13英雄の1人にイジャニーヤという名の暗殺者がいたという。その弟子達が技術を受け継いで今なお暗殺集団を形成していると。雇うのにはかなり金がかかるそうだが……ではお前達を雇ったのは誰だ?」
「知らぬ」
「……何故だ?」
「我らは辺境侯を殺すように命令を上の者より受けただけ」
「ああ、そうか。なるほど」
当たり前だ。あくまでもこの者達は実戦部隊でしかない。
そうなると知りたいことは何も知っていない可能性が高い。
ふーむ、とアインズは考え込む。
殺すつもりは元より無かったのだが、これで完全になくなった。
イジャニーヤという暗殺集団のような隠密系スキルを持っていそうな存在は欲しかった。ナザリックの強化という面でも、コレクター的視点からしても殺すのは勿体ない。
では無傷で解放というのも、アインズを狙ったと言うことを考えれば面白くない。
「取り敢えずはお前達は解放する。しかし、私を狙った罰は与えなくてはならないな」
アインズは良いことを考えたと、ニンマリと笑った。
ある通りに2人の人影があった。
「役に立たないなぁ」
片割れである女が戯けるように言いながら、男のように短い金髪をかき上げる。
顔立ちは整っているが、それは猫科の生き物の可愛らしさだ。瞬時に肉食獣としての素顔を見せ付けるような。さらに筋肉が乗ったすらりと伸びた体格が、猫科の獣の持つ優美さを強くイメージさせる。
そんな猫のような女が着用しているのは皮鎧であり、腰にはスティレットと呼ばれる刺突専門の武器を四つほど下げ、それ以外にも双頭モーニングスターを下げている。
その姿は戦士と見なして間違いではないだろう。
己に対する強い自信とそれに釣り合うだけの能力を感じさせる女だった。
細められた青い瞳は愉快げな色を宿し、女の心の内を十分に物語っていた。
「そう思わない? イジャニーヤとか言って、結構な金払っているのにさ」
「……………………」
女の質問に対し、聞き取り辛い返事が返る。
女の直ぐ横にいた人影。それは非常に小さく、異様な男だ。
まず服装が腰に布を巻き付けているだけである。ただ、異様なのはその服装ではない。肉も脂肪も無いほど痩せており、さらにしわくちゃな姿はミイラを彷彿とさせる。
ぽっかりと開いた眼球の無い目が女に向けられ、歯の抜け落ちた口がもごもごと動く。
声は小さく嗄れているために、何を言っているのかさっぱり分からない。しかしその女には十分に聞こえているようで、即座に返答した。
「ああ、まぁね。捨て駒だけどさ。噂に聞いた辺境侯の力の一端を見るための」
角度的には女のいる場所からではアインズ達の姿は一切目にすることは出来ない。しかし、女はまるで先ほどまで見ていたような素振りで口にする。
「……………………」
「うーん、そりゃ確かに。それで結局、あいつらを操ったのはどっちだと思う?」
女の言っているのはアインズの掲げた宝石だ。
「辺境侯は魔法を使える。でもあのアイテムの力によるものかも知れない」
「……………………」
女は大きく頷く。
「ああ、そうだね。そう思うね、私も」
「……………………」
「さて、どうしようか?」
「……………………」ミイラのような男に何を言われたのか、女が顔を堅くした。そして舌打ちを1つ「……………………」
「マジで? 漆黒とか陽光とかが動いた場合、私でもちょっと厄介……。貴方も苦手でしょ? 特に英雄クラスしかいない漆黒教典の連中はね」
「……………………」
「え? 風花? なんだ教典内のマジものの情報収集担当じゃない。ならサクっと殺しちゃおうか?」
「……………………」
ミイラが強い物腰で言葉には思えない言葉を告げる。それに対して女が頭を掻く。
「はいはい。さくっと殺っちゃいますよ。遊んだりしないって。流石に法国の特殊部隊相手にそこまで遊ぶ気はしないから。大丈夫、信用してよ」
「……………………」
「ああ、そうだね。ここでの仕事が終わったら次に風花の皆さんが探す姫さんから奪った秘宝を使える奴を捜して、それから行方不明のバカの捜索か。まぁあいつはどうなってもいいけど超レアアイテムの回収ぐらいはしないと」
「……………………」
ミイラが肩を竦め、女が朗らかに笑う。
「全くだよね。人数が足りないって。漆黒教典の十一神徒を真似ているなら、それだけ増やしてくれればいいのに。うちの教祖も人使い荒いから」
「……………………」
「ああ、うん」女は満面の笑みをたたえる「私が裏切ったから今じゃ十神徒か。いやいやご苦労様です」
「……………………」
「あいよー。うんじゃ行動開始しようか。まずはぶち殺しからね」
アインズは駆けてくるニンブルを目にすると、軽く片手を上げる。
それを目にすることでより速度を増したニンブルがアインズの元に辿りついたのは直ぐのことだ。
ニンブルの息は荒く、どれだけ必死に走ったのかが一目瞭然であった。呼吸を整えようとするニンブルから視線を動かし、ナーベラルに視線を送る。
50レベルを超えるナーベラルも、魔法職である関係上肉体能力値はそこまで高くない。恐らくはニンブルよりも高い程度。さらにマジックアイテムでの強化もされてない関係上、若干息を乱し、顔を紅潮させていた。
そんなナーベラルは走った影響とは別の意味で、微かに頭を動かす。そこに含まれた意味合いを掴んだアインズは、浮かびそうになる笑みを必死に堪える。
「はぁ、はぁ、辺境侯。はぐれてしまい申し訳ありません」
額に滲んだ汗を拭いもせずにニンブルは謝罪を告げる。
「ああ、気にしなくても良いとも。ゆっくりと好きな速度で帝都内を散策できたからな」
案内人兼警護が逸れるという失態は非常に大きいもの。しかしながらアインズの計画ではぐれるようにし向けた以上、ニンブルを責めるのは少しばかり可哀想だ。
だからこそ話を変えて誤魔化す。
「しかし……あちらの方が騒がしいようだが、何か催しごとでも行っているのかね?」
アインズはニンブルが駆けてきた方に目をやりながら問いかける。先ほどよりは収まってきたが、アインズの視線の先は騒がしい。
ニンブルがはっきりと嫌そうな感情を表情に浮かべる。幾度か口を開きかけ閉ざすという行為を繰り返し、ようやく覚悟が出来たのか言葉を発した。
「……なんでもあちらの通りで頭のおかしい集団が姿を見せたようで」
言葉を濁したニンブルにアインズは重ねて問う。
「頭がおかしい……? 一体どのように頭がおかしいのかな?」
アインズの口元に微妙に浮かんでいる笑みに気が付かず、ニンブルは答えた。
「詳しくは分かりませんが、集団で裸になって卑猥な踊りを踊っているようでして。しかも騎士が捕らえようとすると見事な動きで回避してそのまま……。周囲には人だかりが出来ておりましたし……何を考えた者たちなのか……」
「そうか。そうか」
アインズの表情に浮かんだ笑みをニンブルはどう受け取ったのか、慌てて擁護する。
「お待ち下さい、辺境侯。普段であればこのような変なことは決して起こったりはしないのです。それが何故か今日に限って……」
「……いやいや、気にするほどのことではない。酔った人間が踊っているのだろうよ。よくあることだとも。酔いが醒めれば自分が何をしたのか嫌悪で涙を流すだろうよ。本当に元気なのは良いが、風邪を引かないといいな」
機嫌良く笑うアインズに、ニンブルは追従の笑みを浮かべた。
■
館に帰ったアインズ、そしてソリュシャン、ナーベラルの3人を戦闘メイドの4人とセバスが出迎えの挨拶を送ってくる。
これはいつものことだ。ただ、ナザリック大地下墳墓の場合はこれに儀仗や親衛、アインズの近辺警護を行っている守護者やそのシモベたちなどが加算され、非常に派手なものとなる。下手すればアインズがその声で威圧されそうになるほどの。
それからすれば寂しげなものだが、アインズとしてはこれぐらいの方が肩が凝らなくて良い。
挨拶に軽く頷くことで答えると、アインズは自室へと歩き出す。後ろに控えていたメイド2人はエントランスホールで別れ、各々の仕事を始める素振りを見せた。
アインズの歩運びにあわせるように、セバスが横手に並んだ。
その行為にアインズは違和感を感じる。セバスがアインズの後ろに続くことは珍しいことではなく、極当たり前の行為だ。しかし大抵の場合、アインズの横に並ぶことは無い。
「どうした?」
アインズの疑問に対し、セバスは即座に囁いた。
「お客様がお見えです」
アインズは館に帰ってきた際に馬車が止まってなかったことを思い出す。
ただ、巨大な館に相応しく、馬車を止める場所も広いため一台、二台程度ならその屋根つきの駐車場にすっぽりと隠れてしまう。
だから見逃したかとアインズは顔を顰め、セバスに問いかける。
「……何? 誰だ? ジルクニフか?」
「いえ、違います。皇帝よりの使者だとのことです。既に4時間ほどお待ちです」
「……使者だと? 何をしに来たんだか。しかし4時間も待たせているとは……もしかして私達が帝都見学に行ってからすぐか? これは少しばかり不味いな。直ぐに行くとしよう」
「その前に御召替えを」
「……そうだな。確かにこの格好は不味いな」
皇帝の使者であるならば、辺境侯に相応しい身なりをする必要がある。流石にアインズもそれぐらいは分かる。
直ぐに自室に戻ると身支度を整え、幻影から仮面へと顔を隠すものを変えたアインズは使者が待っている部屋まで向かう。
部屋に入ったアインズを前に、立ち上がりかけた使者をアインズは手で差し止める。そして向かいのソファーに腰掛けると開口一番謝罪の言葉を述べる。
「ジル……皇帝陛下の使者である君を待たせたことまず謝罪させてもらおう」
「滅相もございません、辺境侯! 頭を下げていただかなくても結構です!」
頭を下げかけたところで使者に止められ、アインズの頭はそのまま直ぐに上がる。
「それは感謝させていただこう。それで使者殿が来られた目的は何になるのかね?」
「はい」
使者は一枚の羊皮紙を広げ、その文面を読み上げる。
それは3日後に城で行われる授与式や戦勝祝いなどの式典の案内だった。そこでアインズが内外に対して辺境侯という地位を公式にアピールすることになっている。
流石のアインズも自分がその式典の主賓の1人だというのは理解できる。上手くこなせるか不安な所があるが、3日にもあればだいたいの流れは暗記できるだろう。
そんな思いで聞いていたアインズは続く使者の言葉に息を飲んだ。
「そしてその後、各国の大使を招いた舞踏会が開かれることとなっております」
「…………何?」
動きを完全に止めたアインズに対し、使者は怪訝そうな顔をした。自分が何か変なことを言ったのか、辺境侯の不興を買うようなことを言ったのか。そういった不安が滲み出るような表情だ。
だからこそ慌てて問いかける。
「どうかなされましたか、辺境侯? 何か?」
慌てふためいた使者に、アインズは溢すように問いかけた。
「武……道……会?」
「? あ、いえ。失礼しました。舞踏会です」
自らの言い間違いかと理解した使者は再び、今度ははっきりと一言一言を区切るようにアインズへと語る。
それによって己の聞いたことに間違いが無いことを確信してしまったアインズは、血を吐くように呟く。
「…………なん……だと?」
アインズ「罠だな」ドヤァ!!
アインズ「確実にな」ドヤァ!!
TUEEEE系の主人公で社交ダンスをマスターしているキャラは絶対いないでしょう。というかこういう式典に出席できるような知識ある主人公っているのかなぁ。
というわけで次回は『舞踏会』です。やっとあのキャラが出せるよ!
書籍化作業により6月末更新は難しいと思います。7月に大きくずれ込むでしょう。のんびり待っていただけると助かります。ではでは。