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凱旋-1

後編の開始です。


「あんなものがあるものか!」


 男の野太い声に合わせ、テーブルにコブシが叩きつけられる。

 飲み物の入った複数の――7つのコップが倒れたりしなかったのは、叩きつけられたコブシに絶妙な力が入っていたからではなく、テーブル自体が頑丈なものだったためだ。もしコップが倒れれば大惨事は免れなかっただろう。というのもテーブルには書類を含んだ、濡れやすいものが無数に乗っていたのだから。

 大声に反応した者はいない。男と同じ席に座した他の6人の男たちは、黙って大声を上げた男に同じように視線を向けている。ただ、その瞳には様々な――異なる感情を含んでいた。

 同情、理解、困惑、そして侮蔑――。


 大声を上げた男は数度呼吸を繰り返し、己の体内に宿った熱を吐き出す。それから己の前に置かれたコップを無造作に掴むと、ぐぃっと一息に呷った。充分に中身の入っていたコップが一気に空になるほどの勢いで。

 それだけ飲み干さなくては、己の喉の渇きを癒せなかったのだろう。そんな行為を黙って見ていた1人の男が口を開く。


「取り敢えずは追撃をどうやって行うかを考えるべきでしょう」


 その男の発言は、先ほどの大声を上げた男の激情を再燃させる。


「お前はさらにあれに追撃をしろと言うのか!」


 先ほどよりも強い感情を込めた声は、まるでビリビリと大気を震わすようであり、心弱いものであれば目を伏せて怯えてしまうほどの威圧を兼ねていた。しかし、向けられた男も決して心が弱い男などではない。平然と見返し、その顔には薄い笑みすらある。


「そうですが。何か変なことを言いましたでしょうか?」

「変な? 変とかそういう問題ではない! あれのどこに追撃の必要がある! もはやあれは王国の軍としての体裁も整えてはいない、王国よりかき集められた単なる平民だ! 逃がしてやるのが人間として正しい行いであろう!」

「……その意見には反対させていただきますね、将軍。私たちは帝国の軍を皇帝陛下より預けられたもの。そして今回この地まで来たのは王国軍を完膚なきまでに叩き潰すためです。その絶好の機会が今ここにあるのではないですか?」

「絶好の機会? お前は今が絶好の機会だというのか。あの哀れな者たちの後ろから襲い掛かることが!」

「そのとおりですとも。私たちは帝国の将軍。ならば帝国の民が戦争で亡くなる可能性を多少でも下げるよう行動すべき。それは将軍だって当然と考えていただけますよね? でしたら、何故、今、王国の哀れな敗残兵を後ろから襲ってはいけないので? それとも将軍は王国の兵士たちがエ・ランテルまで戻って、防備を固めてから襲えと言うのですか?」

「そうは言わん! しかし幾らなんでも人の道から外れよう! 大体、もはや大勢は決した。あとは使者を送っておけば大抵の問題は解決するだろう。何も後ろから襲わずともな!」


 この天幕に集まったのは帝国8軍の将軍の内、今回の遠征に参加した7人の将軍たちである。

 大声を上げているのが第3軍将軍、ベリベラッド。顔に無数の傷跡のある、剣の腕が立つことでも知られる将軍である。筋骨隆々であり、1人いるだけで室内が狭くなるような威圧を兼ね備えている。そんな人物であるために、全将軍の中で、最も迫力がある人物として有名だ。

 それに対して口を開いているのは帝国第8軍将軍、レイ。最近皇帝に選ばれて将軍になった人物だ。ベリベラッドとは対照的に優男といっても良い外見をし、貴族の血が流れているのは一目瞭然な端正な顔をしている。しかし、将軍に選ばれたのは血ではなく、その才能だ。そしてその見掛けとは裏腹な豪胆な性格はその采配にも現れる。

 そんな2人の睨み合いに対して、他の将軍は口を開こうとはしない。しかし、その瞳を見ればどちらを応援しているかは即座に理解できる。ほぼ全ての将軍が同意しているのはベリベラッドの方だ。

 レイからすれば嘲笑したくなる甘い考えに、同僚たちが賛同しているというのは笑ってしまいたくなる話だった。無論、すぐさま表情に出してしまうほど、レイは甘い人間ではないが。


「それは少々甘くないですか? まだ使者を送ってないのです。であれば、そうならないかもしれない。私は最悪の事態を考えて行動するべきだと思うのです」

「追い詰められた兵士が何をしでかすかは分からない。王国の戦意は低下しているのは確実だ。ならば徹底抗戦などの結論を出させないように、下手なちょっかいを出すべきではない!」

「今は良いかもしれませんが、都市に帰れば士気も上がるかもしれません」

「あのような虐殺があった状態で、都市に着いたところで士気が上がるはずが無かろう。……それよりは帝国は王国の兵士たちの死を悼むという宣言を出して、行われるであろう交渉を有利に持っていくべきだ」


 虐殺。

 その言葉にレイはあのときの光景を思い出す。

 あの圧倒的な戦いを。魂の奥底から握り締められる圧倒的な絶望の戦場を。


 ――美しかった。


 そしてその後の魂の収穫祭。

 全てが美の光景だ。圧倒的なまでの暴力にこそ許された芸術。人間という劣等種族では到達できない領域での――神話の世界を具現した幕間。

 それを思い出したレイは思わず、色の付きそうなため息を吐き出す。堅くなった股間が、鎧の部分の間で潰され、痛みが走るがそれもまた心地よい。


 レイからすればあれは絶対の美とも呼ぶべき光景であったが、残念ながらその意見に同意してくれるものはほとんどいなかった。帝国軍の誰もがあれは無慈悲な虐殺であり、決して戦争ではないと考えているのだ。

 勝利を喜ぶ声よりも、王国の兵士たちの無残な死を哀れむ声の方が多く聞こえる。

 帝国の圧倒的勝利に同意するのではなく、否定し、嫌悪するという有様だ。


「だからこそ駄目押しです。敗残兵を刈ってやりましょう。麦の穂を落とすように王国の兵士たちの頭を。あの戦いで多くの兵士が死んだのです、ここで追撃をすれば王国の国力の急激な低下は確実。ならば王国の併呑も時間の問題となりましょう」

「貴様! それでも!」


 ガタリと音を立て、立ち上がったベリベラッド。鎧の下の筋肉は臨戦態勢に入っているのが誰もが察知できた。

 将軍たちは各員が武器は所持したままここに集まっている。刃傷沙汰にもなれば、帝国の最も優秀な指揮官が2人失われることは間違いが無い。将軍であるベリベラッドが武器を抜くことは無いと思いたくもあるが、その反面、意外に短気な部分がある男。何をしでかすか分からない不安がある。

 そんな何が起こるか不明という危険を前に、レイは余裕の表情を崩さない。

 別にベリベラッドに勝てるとか、剣を抜くはずが無いとか考えているのではない。あれだけの暴力を見せ付けられた後では、この程度の威圧なんか、微風に等しいためだ。


「待て、両者、落ち着け」


 睨み合う両者を止めたのは今回の遠征に関しての最高責任者である将軍、帝国第2軍将軍ナテル・イニエム・スァー・カーベインだった。

 カーベインに止められてはベリベラッドももはや何も言うことは出来ない。真っ赤に顔を染め上げたまま、ガタンと勢いを立ててイスに座ることで己の意を示すだけだ。


「まずは両者の考えはそれぞれ帝国の将来を考えた重要な意見であり、両者共に帝国の役に立つように考えていると言うのは分かっている。だからこそ熱くなりすぎるな」

「……申し訳ありません。少々興奮しすぎたようです、ベリベラッド将軍」

「……こちらこそだ、レイ将軍。謝罪する」


 両者ともに軽く頭を下げるが、遺恨は決して流れていない。お互いへの憤懣や侮蔑といった感情はその瞳から拭われていないからだ。それはレイにもベリベラッドにも、そして2人を見守っている他の将軍たちにも理解できていた。

 特にお互いを見詰め合う2者には明白だ。

 お前が意見を変えないなら、こちらも決して変えない。そういう意志がベリベラッドから伝わってくるのが、レイには充分すぎるほど感じ取れた。

 微妙な緊張感の篭った静寂の中、ポツリと将軍の1人が言葉をこぼす。


「……あの辺境侯とは一体何者なのだ」


 その疑問は誰もが思い、そして答えの出ないものだった。

 まずはあれほどの魔法。王国の兵士をあれほど虐殺する魔法というのは、将軍たちの知識の中には無い。

 次に魂を喰らう行為。

 そこから考えられる答えは部下たちが口々に話す『魔王』という存在としか思えなかった。


「危険人物だな」

「……違わない。個人であの力は危険すぎる。もしあの力を都市で解放されれば、都市が簡単に滅ぼされるぞ」

「……あのおぞましい化け物が消えるまでの時間を考えれば、都市1つの消滅は確実でしょうね」

「その程度で済めばいいが……私はあれが辺境侯の全力とは思えない。まだ、より凄い力を隠しているのではないか、とさえも思っている」

「その意見には同意する。見せるための力って奴だな」

「辺境侯の連れてきた兵士はどれほどの強さなんだ?」

「……魔法使いに聞いたが笑ってしまうほどの強さだぞ? ショックを受けて夜、寝られなくなるぞ? それでも聞きたいのか?」

「……これ以上ショックを受けることも無かろう。もったいぶらずとっとと聞かせてくれ」

「1体でかの王国最強の戦士、ガゼフ・ストロノーフと同格以上。そしてアンデッドなので疲労しないでいつまでも戦えるそうだ」

「……すまん。笑ってしまいそうだ。つまりはなんだ、無限に戦える最強戦士の群れということか。……帝国の騎士全軍で戦っても持久戦という行為が出来ない以上、敗北する可能性が高いというのか」

「そうだな。たった300人足らずで帝国全軍を相手に出来るっていうことだ」

「……馬鹿にしているな。というか、何なんだ、その桁の違う世界の話は」

「……魔神とかそういう存在を前にした者たちもこんな思いだったのかな」

「魔神なら13英雄によって滅ぼされた。ではあの化け物に対して互角の力を持つ存在はいるのか?」

「……10万を越える兵を一瞬で滅ぼせる存在なんて聞いたことが無い。いや、人間ではいないだろうな」

「あんな危険な人物が帝国にいて良いものなのか?」

「……皇帝陛下はたぶらかされているのではないだろうか……」


 レイはそんな事を聞きながら、手に取ったコップを口に当て、中に入った飲み物を一口含む。別に喉が渇いたからではなく、同僚たちの下らない言葉に対して浮かべた嘲笑を、じっと見つめてくるベリベラッドに悟られないためだ。

 帝国の中でもトップクラスに力と才能を持つ男たちが集まって、安い酒場でくだを巻いている者たち程度のことしか出来ていない現状。これが可笑しくないといったら何が可笑しいと言うのか。


「レイ将軍。あなたはかの御仁に関してどのようにお思いですか?」

「……素晴らしい方です。かの方さえいれば帝国の国防は完璧になるでしょうし、帝国の領土も拡大の一方でしょうな」

「……危険ではないと?」

「さて?」レイは笑いを浮かべる。そのはっきりとした敵意は向けられた将軍たちが全員眉を潜めるほどの。「危険かもしれませんね。辺境侯に対して対策を立てようとしている皆様からすれば」


 沈黙が落ちる。レイを除く将軍たちは互いの顔を伺っていた。


「辺境侯は今回の戦いでの最大の……いえ唯一の功労者です。その方に対しての陰口というのは私は好きではないですな」

「そういうつもりでは……」

「その通りだ。レイ将軍。我々はそういう意図で話をしていたのではない」

「ではどういうおつもりで?」


 将軍たちから返答は無かった。レイが嘲笑を浮かべかけた中、1人の将軍が口を開く。


「帝国の未来のためを考えての話に決まっているだろうが」

「ベリベラッド将軍。帝国の未来と言うのは?」

「決まっている。個人が強い力を持った場合、陛下の絶対的な権力が崩される可能性があるからだ。かつてのように無能な貴族どもが力を持っていた時代に戻ってしまうのは困るだろうが」

「ほう。つまりは無能な貴族と辺境侯が同格ということですか?」

「それは少々、穿ちすぎだな、レイ将軍」

「おや、カーベイン将軍もベリベラッド将軍と同じお考えということでしょうか?」

「近い考えではいる。辺境侯は新しき貴族。その辺境侯に対しての対策を考えておくことは帝国の将軍として、帝国の治安を維持するものたちとして当然ではないだろうか?」

「確かに、仰るとおりですね」


 レイは数度頭を縦に振る。

 言葉でどれだけ覆おうと、その真意である恐怖は隠しきれない。

 単純に辺境侯が怖いから対策を考えているといった方が、人間らしいではないか。そうレイは思いながらも、顔には出さない。

 離れることの出来ない強者に対しての弱者のとるべき手段は、媚びへつらうか、敵対するかだ。この場にいる者たちは全員敵対を主眼においているが、レイは違う。

 あれは敵対して助かるような甘い相手でも、敵対してどうにかなるような相手でもない。皇帝はそれに気が付いているからこそ、辺境侯という特別な地位にあの存在を据えたのだ。

 ただ、将軍たちが敵対行動に出るのは勝手だが、自分まで巻き込まれては目も当てられない。

 どこかで辺境侯と関係を持つ必要がある。

 そうレイが考えた辺りで、天幕の外が騒がしくなる。分厚い天幕は数重にもなっており、中の音を外に漏らさない作りになっている。それは逆もまた同じ。つまりは外の音が聞こえると言うのは、かなりの状況だということ。


「何があった?」

「……見てくるか?」


 将軍たちまで騒がしくなった辺りで、1人の騎士が慌てて飛び込んでくる。


「へ、へ、へ」


 騎士のあまりの焦りが言葉を形取らせない。

 そこにあるのは礼儀を失うほどの焦り。

 つまりはそれだけの事態を引き起こせる、騎士が慌てふためくような人物ともなれば、予測が付く。

 そしてその考えは正しかったことは即座に証明される。


「へ、辺境侯がお出でになられました」


 予期できた答えとはいえ、室内が静まり返り、将軍たちは互いの顔を伺う。先ほどまで話にあったとはいえ、その人物が来るとなると覚悟が必要だ。

 レイを除く全員の目がこの場での最高権力者に向かう。


「お通ししろ」


 カーベインの静かな声に弾かれたように、騎士が外に走り出していく。辺境侯という人物を入り口で止めているのだ。任務とはいえ、白刃の上を素足で歩くような気持ちだっただろう。走り去る後姿にあった安堵の色は、そういった感情の表れだ。

 騎士が走り去った後、外にあったざわめきは一気に止む。まるで人がいなくなったような静寂に、将軍たちは焦りと不安を覚えた。

 辺境侯。

 物理的に絶対なる力を持つ人物であり、皇帝を除き上位者がほぼいない存在。戦時中であれば貴族は将軍たち軍属の人間の下に付くこととなるが、そういった帝国の法律でかの存在を縛れるだろうかという不安がある。

 もし止められたことに怒りを買った場合は?

 不快だと判断し、力を行使する気でいた場合は?

 帝国法はあくまでも法律であり、絶対者たる皇帝の声1つで歪ませることは容易。ならば、辺境侯という人物もある意味法律で縛れる存在ではないかもしれない。絶対的強者を法律ごときでは縛れないのは当たり前だからだ。

 普通に物を考えられる人間であれば、あれほどの強大な力を行使できる辺境侯が帝国法に触れた行いをしたとしても、敵に回すぐらいなら恩赦を与えるであろう。ならば将軍たちの命だって、辺境侯の手の中にあり、絶対に安全だとはいえない。

 ゆっくりと入り口の幕が持ち上げられる。

 将軍たちの喉がごくりと唾を飲みこむ。これより入ってくるのは、危険極まりない、帝国の法でも縛れない可能性のある存在。将軍たちは一斉に立ち上がる。座ったまま迎えるほど、命知らずの者はいない。

 先頭を歩き中に入って来たのはかつての帝国主席魔法使いフールーダ。そしてその後ろからゆっくりと入ってくる人物。アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。その見事な服装はその財力を瞬時に理解させる。

 室内の空気が一気に重くなり、空気が粘液質なものへと変わったように肌に張り付いてくる。そんな中、カーベインは口を開いた。


「ようこそ、辺境侯。わざわざこちらに来ていただけなくても、呼んでいただければ出向きましたものを」

「……それには及ばないとも、将軍。あなた方は戦後処理などで忙しいだろうしね」

「そう言っていただけると感謝いたします」


 この理解力のありそうな穏やかな感じが、逆に将軍たちに気持ち悪さを感じさせる。まるで何か演技をしているようなそんな微妙な違和感が、人間観察にも長けた将軍たちの勘に引っかかるのだ。そのために何か裏で隠しているような異様な雰囲気がある。

 一体何を考えている。そして真意はどこにある。それが読みきれずに、将軍たちもどのような対応で、どのように行動すればよいのかが判断できない。

 そんな同僚たちの困惑が手に取るように分かり、レイからすれば物笑いの種だった。



 アインズ・ウール・ゴウン辺境侯。

 彼の真意であり、将軍たちに対してどのような感情を持っているかというのは少し考えれば理解できることだ。

 まずレイの判断するところでは、あの虐殺は別に王国の兵士を殺すためにやったはずが無い。わざわざあれほどの――おぞましい力を誇示したということには理由があるのは当然だ。何の理由も無く、恐怖されるような魔法を使う馬鹿には決して思えないのだから。

 そうやって考えれば、辺境侯の真の狙いはあの虐殺を見せ付けることであり、敵に回すことの愚を教え込むことだと読める。もちろん、見せ付けるべき対象は帝国の人間だ。

 あれは帝国――より正確に言えば皇帝に対するプレゼンテーション。己の圧倒的な力を見せつけ、歯向かうことの愚を教える行為なのは間違いが無い。

 ただ皇帝という上位者の存在を認める、臣下になって辺境侯という地位に甘んじていることから、お前たちが敬意を示すならばこちらも最低程度は見せようと言葉以上に物を語っている。

 つまりは辺境侯の全ての行動が、敬意を示してくるならば即座に敵意を見せるつもりは無いと語っていると思われた。

 それが何故なのかは分からないが。

 問題となるのは各将軍たちの動きだ。

 彼らはあの強大な力を持つ辺境侯に敵対的な行為を取るような方向で動きつつある。レイからすれば非常に愚かな考えであり、忌避したい動きだ。そんな自殺を望むような行動を取る理由がどこにあるというのだろう。

 いや、レイも将軍たちの取っている行動の理由は理解できなくも無い。

 単純に怖いからだ。

 人間を超越したような力を見せ付けられ、どうにかしないと自分に降りかかってくると考えている。頭を低くし通り過ぎることを祈るでもなく、従うことで慈悲にすがるでもなく。

 そのために辺境侯に対しての敵意という、最も愚劣な選択肢を選ぼうとしている。人間の愚かさ、可愛らしくも無様な姿と言えなくも無いが、そんな沈み行く船に残るつもりはレイにはまったく無い。

 そして同じ将軍だからと、十把一絡げにされては困る。レイは自分だけは他の将軍たちと違うというところを見せなければと考えていた。



 レイは目の奥に宿る輝きを巧妙に隠し、カーベインと辺境侯の話に耳を傾ける。


「それで、辺境侯がお出でになられた理由を聞かせていただけますでしょうか?」

「ああ。それはたいしたことではないとも。今後の予定と私の軍はどこで待機すればよいのか聞かせてもらえればと思ってね」

「おお! これは失礼しました。今回の戦いでの最高功労者に対してお話が行ってないとは。全て私の失態です、お許しください」

「かまわないとも。色々と忙しいだろうしね。……そうそう、王国の兵士の死体の処理はこちらでしておこう」

「……よろしいのですか?」

「ああ、綺麗な死体だしね。こちらで処分しておくよ」


 何が綺麗な死体なのか。そしてこの提案は呑んだほうが正解なのか、間違いなのか。そういったカーベインの困惑がレイには手に取るように読めた。答えは1つしかないだろうに。そう思いながらも声には出さない。実際、カーベインも同じ答えに行き着く。


「辺境侯のお手を煩わせるのはご迷惑だと思いますが、よろしいというのであればお願いしても良いでしょうか?」

「もちろん、感謝するよ。将軍」

「では……取り敢えずこの先どうするかは皇帝陛下と相談してということになりますので、その結果が出次第、辺境侯の方にはご連絡差し上げます」

「了解した。こちらも死体の処理などに時間がかかるだろうしね。ゆっくりでかまわないとも」

「感謝いたします。それでは辺境侯の兵などを休ませる天幕の準備を――」

「それには及ばないとも、将軍。場所さえ貸してくれれば天幕はこちらの方で準備しておくとも」

「左様ですか?」

「左様ですとも」


 ちょっとした冗談のような口ぶりだが、それで笑えるほど豪胆な者はいなかった。まず冗談のつもりか分からない。そして何が機嫌を損ねるか不明な相手に対して、笑えるはずが無い。


「……では将軍。私の軍を置いても良い場所を教えて欲しいのだが?」

「畏まりました。では部下に案内させましょう」

「それであれば私がご案内しましょう」


 レイはゆっくりと立ち上がる。


「はじめまして、辺境侯。私は帝国第8軍の将軍をさせていただいているレイと申します」

 そして深く敬意を込めたお辞儀を向ける。それは自らの最上位の主人である皇帝に向けるものと同等か、もしくはそれ以上のものだ。


「そうか、レイ将軍。将軍に案内を頼むのは心苦しいのだが、お願いしてもよろしいかね?」

「もちろんですとも。辺境侯」

「そうか……カーベイン将軍。レイ将軍を少しばかり貸してもらうがかまわないかね?」

「ええ。ではレイ将軍、辺境侯を駐屯地で開いている場所に案内してくれ」

「はい。では辺境侯参りましょうか」






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