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閑話 過去(レヴィン)

「ねぇあんた、私に身請けされないかい?」


 そう言いながら夫人は笑いながら葉巻をふかした。

 赤髪の女性で、美しいとは言えないが、どこか豪快さを感じさせるその女性は、美しい顔立ちをしたまだあどけなさの残る黒髪の青年ににっこりと笑う。

 小さなこの娼館ではわりと豪華な部屋。そこそこ高価な調度品の揃った大きなベッドの鎮座するその部屋に、高揚効果のある葉巻の匂いが充満する。半裸になった女性は笑いながら、青年の首筋にキスをおとした。


 その言葉に青年は目を細めた。


(よくある言葉だ。身請けなどする気もないのに、甘い言葉をかけておけば、サービスがよくなると勘違いしている)

 

 やれやれと、心の中で思うが、客ゆえに青年は嬉しそうな笑顔を浮かべ「そう言っていただけるとは光栄ですね」と笑い、請われるままに唇を重ねた。


 そう、この世界に希望などない。

 男女問わず客の相手をし、相手の望む答えを相手の求めるものを導きだして奉仕するだけ。身請けする、大事にするなど甘い言葉をかけてくる人間も多いが、このような小さな娼館から孤児で身元もわからぬ男を本気で身請けする酔狂な人間などいない。


 どうせ、年を取り捨て値になったところで、どこかの色ボケした下級貴族か商人に買われ奉仕させられることになるのだろう。


 ふらりと店に現れて、自分を指名したその女性は、はじめての客だったが、青年はこの女性が苦手だった。


 他の人は、あれをやれ、これをやれと青年に奉仕させるのにこの人は、命令することなく青年に快楽ばかり与えてくる。たまにそういう客もいないわけではないが、やはりどこか独りよがりで、声をあげさせようと、下手な愛撫をくりかえすだけで、感じたことなど一度もない。いつも客が満足するように感じているように演じていただけだ。


 それなのにこの夫人は手慣れているのか、的確に青年の感じるところばかり選んでくるので困る。本人はそれほど金をもっていない小金持ち程度の衣服をきて騙しているつもりだろうが、身のこなしや小物からそれなりに金も地位もある人物なのは予測できた。

 きっと普段は高級娼館に通い、今日は戯れに小汚い娼館に足を踏み入れたのだろう。

 夜の営みについて熟知しているのは、遊び慣れているのだろう。


 金持ちとわかっているのだから上客としてつなぎ留める努力をするべきなのだが、どうせ戯れにきた、通りすがりの客に期待したところで、二度と来ることもないだろう。下手な期待などしない方がいい。


 そんなことを考えながらどこか人ごとのように女性の愛撫に身を任せた。





「アンタ、甘え方を知らないだろ?」


 事が終わり女性がくすくすと笑いながら青年の髪を指先で絡み取り遊び始める。


「………そう見えますか?」


「ああ、あんたは昔の私にそっくりだ。何も信用せず、それでいて知った風な目をしている」


 その言葉に青年は微笑んだ。情事を重ねるうちに大体この女性の性格は把握できてきた。おそらくこの女性は綺麗な世辞など望んでいない、明け透けな会話をしたいのだろうと察してため息をつく。


「そうですね。このような世界で希望を持てと言われても、ただ仕事として割り切るのみです。お客様こそなぜこのような薄汚い娼館を選んだのでしょうか?普段行かれる高級娼館の方が居心地がいいのでは?」


 と、青年が答えると、女性はにんまり笑う。


「へぇ、やっぱり気づいたかい?」


「衣服だけ平民の小金持ち風を装っていますが、仕草や、小物などは最古級品を使ったりまったく隠す気がないではないじゃないですか。上客だと、必死につなぎ留めるのがお望みですか?あいにく私はこの仕事にそこまで情熱はありませんよ」


 そう、平民の小金持ち相手に媚と身体を売り、同僚の陰湿な虐めに耐えながら、年季があけるのをまつのだろう。幼い時は脱走を何度か試みたが、この娼館街には魔法の結界がはられていて、店の所有物である自分はこの街から逃げられないのだと悟っただけだった。

 いまの青年は年季があけこの娼館街から出る事ができたなら、生き別れた大事な幼馴染を探す事だけが心の支えでしかない。それだけを支えに無気力に現状を受け入れているだけだ。


 その言葉に、女性はばんっと立ち上がった。


(……見誤ったか?さすがに素直にいいすぎただろうか?気を悪くしたか?)

 

 立ち上がり服を着だした女性に、青年が戸惑っていると


「ほら、あんたもすぐに服を着な」


 と、ベッドで裸の状態の青年に服を投げつけてくる。


「……え?」


「さっき約束しただろう?身請けすると。金を払ってとっとと帰るよ。

 あんたには教えなきゃいけない事が山ほどあるからね」


「教えなきゃいけない事?」


 思わずぽかんと聞く。


「そうさ、あんたは私と結婚して立派な商家の当主様になってもらう予定だからね。

 ああ、安心しな、心まで束縛する気はないよ。若い子がよけりゃ、好きなだけ愛人を作ればいい。

 名目上の夫になるだけさ」


 そう言って女性は豪快ににんまりと笑った。



 これが、商家の当主との出会いだった。


 彼女はやり手の商人だった。

 それも裏の世界の。


 もともと彼女は大きな商家の娘だったが、父とは母が死ぬと事業を親戚に乗っ取られ、陰湿ないじめを受け、わずかばかりの金を与えられ家を追い出された。


 家を追い出された彼女は闇商売に手を出しその商才をいかんなく発揮し、伴侶を得て、店を大きくしていった。


 いつか親戚に乗っ取られた商家を乗っ取り返すことだけが心の支えであった。

けれど時は残酷で、彼女は大事にしていた伴侶を不慮の事故でなくし、自分の命の年数に限りがあることを知る。


 死を間際にしたせいか、生物の本能なのか彼女の願いは、復讐ではなく、自分の築いた知識と技術を誰かに託したい、一から鍛えた後継をつくりたいという願いにかわった。そして娼館にいたレヴィンをもらい受けた。自分の後継にするために。


 病で息を引き取る間際、彼女はほぼ骨と皮になりながらも豪快に笑って言った。


「できる事はやりとげた。あんたにも私の得た知識全てを伝えたつもりだよ。

 おおむね満足の人生だった。ただ、あいつらの復讐できなかったのだけが心残りだったけどね。

 私の自己満足に付き合わせて悪かったね、これからはあんたの好きにしな。

 商家も気にすることはない、あんたに任せる」


 そう言って彼女は笑って息を引き取った。




 そして今、彼女のつくりあげた商家はレヴィンが魔族召喚をしていたことでは取りつぶされた。

 レヴィンが死に喜び勇んでレヴィン時代に勤めていた従業員を追い出し、商家をのっとった彼女の親族たちは、魔族召喚に加え、レヴィンがわざと仕込んでいた親族自体の不正の証拠や、でっちあげた密輸の証拠も魔族召喚の書類とともに見つかり、裁かれることだろう。

 


 ――あなたと懇意にしていた部下たちは、別の場所でやっています。

 貴方の知識は、技術は引き継がれるでしょう。

 貴方の忌嫌った親族達は魔族召喚の他にも不正が暴かれ極刑になる。

 この結末に貴方は喜んでくれるでしょうか?


 一人問うが返事はない。


 ―― 願う事なら笑って喜んでくれると嬉しいのですが  ――


 花瓶にさした彼女の好きだった花に視線を向けてレヴィンは一人祈る。

 どうかあの世で愛した人と幸せに――と。


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