9話 哀れなマリオネット (1)
「第二皇子がお会いしたいそうです」
セシリアが公爵家にきて20日目。そう執事が切り出してきた。
すでにあれから公爵家の使用人はだいぶ入れ替えており、食事の毒があるか魔法で鑑定するという条件で公爵家にて過ごすようになっている。
新しい侍女達はセシリアに友好的で何不自由ない生活を送っている。
だがおそらく全てシャルネの息のかかったものだろう。
侍女に話した事は全てシャルネに筒抜けになっていると思っていい。
(第二皇子に合わせようということは、邪魔な私を神殿から遠ざける計画か)
セシリアは思いながら紅茶を飲み干す。
セシリアはこの帝国の第二皇子と婚約させられていた。
セシリアが聖女だった場合、シャルネの邪魔にならないように神殿から追い出すために結婚させるつもりだったのだろう。
本来なら白銀の聖女が一国の皇子と結婚するなどあり得ないが、愛し合っていた場合特例として認められてきた。セシリアを第二皇子の妻にすることで神殿から遠ざけるなどたやすい事だ。
第二皇子の後ろに控える第二皇妃がシャルネと通じている。
(そのために事前に婚約させておいたのだろう。もしセシリアが『金色の聖女』だった場合、本当の『金色の聖女』を神殿においておかないために)
この世界は 魔力も聖なる気も生まれたときにその総量が決まっている。
魔法や聖力も使えば使うほど減っていくのだ。
その人間のもつ力を消費していっているのである。
だが稀に、新たに魔力や聖力を新たに作り出す体質のものもいる。
もしも、セシリアが、新たに聖力を作り出すタイプだった場合、その新たに生み出した力は『金色の聖女』の力となる。セシリアが再び金色の聖女の力を作り出してしまった場合、本来世界に一人しかいないはずの『金色の聖女』が二人存在してしまう。
その為、神殿に置いておくのは危険と判断したのだろう。
皇帝になるのが不可能で無能な第二皇子の妻としておけば、公務にだすこともなく飼い殺しにできる。それがシャルネたちの計画。
思いながらティーカップをセシリアは置いた。
「わかりました。行きましょう」
セシリアの言葉に露骨に執事がほっとした表情になる。
その様子が滑稽でセシリアは笑みを浮かべる。
(どうせ戻ってきたら頭を抱える事になるだろうに)
「それでは行きましょう」
セシリアは執事に嬉しそうに微笑むのだった。
「聖女セシリア様、皇子様は自室でお待ちです」
城につくなり、案内されたのは第二皇子の部屋の前だった。
案内した文官はセシリアに仰々しく頭を下げるとそのままそそくさと立ち去る。
『この国は聖女を中にも案内しないのかい?』
セシリアの隣にぽんっとメフィストが現れる。
『お前はまた』
『いいじゃないか。なんだかおもしろそうだし。開けてみようよ』
ニコニコ顔で言うメフィストをセシリアは薄目で睨んだ。
確かに、このような扉の前で女性を置いて去るというのはおかしい。
本来なら丁寧に中までエスコートするはずだ。
不可解な状況に警戒するが、この男がわざわざ出てきたのは危険がないと遠回しにセシリアに知らせているのだろう。危険があるなら契約者である彼に説明するはずだ。
ノックをし、「入れ」という声とともに扉を開け――そして閉める。
『え、なんで閉めるの?』
メフィストの言葉にセシリアは心底嫌そうな顔で、『中で男と女が取り込み中だ』と言って、そのままずかずかと城の出口に向かって歩き出す。
『ずいぶん怒っているようだけど君純情なんだね』
『……娼館で働いていたんだ男女の肉体関係など見飽きている。
だが、セシリア様にあのような汚いものを見せていたとなると話は別だ。
……戻っていますぐ殺すか』
そう言って殺気を放つセシリアにメフィストはやれやれと肩をすくめた。
『僕は別にかまわないけど、何か計画があるんだよね?』
その言葉に、セシリアがぐっと唇をかみ、大きく息を吐く。
『……ああ、そうだったな』
★★★
「セシリア!!」
第二皇子は抱いていた女性を体から引き離すと、そのままベッドからはい出した。
――セシリアが記憶を失った。演技でないか調べなさい――
そう第二皇妃である母に言われ、いつもの通りセシリアが来るタイミングで女性と関係をもっていた。
いつものセシリアならそのシーンを見せたなら酷く傷ついた顔をしたのに、今日のセシリアはどうだろう。
心の底から――気持ち悪いという表情をして無言で扉を閉めたのだ。
侮蔑した眼差しと、冷え切った瞳。その姿に第二皇子は、苛立ちを覚える。
白銀の聖女になったからと俺を見下すつもりか!?
あのオドオドしてつまらない女が俺を見下すなんて許さない。
平民の薄汚れた血の入った女。
母親の命令でいやいや婚約者にしてやった恩も忘れて。
怒鳴りつけてどちらが上かわからせてやらないと!
「セシリアっ!!!」
ドアを開けたその途端。
「……あん?」
酷く不機嫌なオーラをまとわせたセシリアが扉の前に立っていた。
殺気すら感じるセシリアの気迫に一瞬たじろぐ。
(なんだ、こんな威圧的な態度のできる女だったのか?
少し怒鳴り憑ければいつも委縮していたあの女と同一人物だというのか?
記憶をなくしたというのは本当だったのか!?)
第二皇子はたじろぐが、ここで弱みを見せてはだめだ。
威嚇で睨みつけてやるが、セシリアは薄ら笑いを浮かべただけだった。
「気安く名前を呼ばないでいただきたいですね。
今日この時、この瞬間をもってあなたの不貞を理由に婚約を破棄させていただきます」
そう言って、セシリアが鼻先で笑う。
「な!?そんなことが許されると思っているのか!?
皇族の血を引く俺がお前をもらってやるというのに!」
「皇族の血? たかが皇族風情が白銀の聖女より上だとお思いで?
さすが昼間から婚約者以外を抱いて、婚約者に見せつけると頭の悪い行動をする馬鹿なだけありますね。常識もなければ教養もない。この国の皇族の教育レベルは一体どうなっているのでしょう」
やれやれと腕を組んでセシリアが流し目で呆れたようにつぶやいた。
「なんだと!?たかが白銀の聖女になったくらいで!!平民風情が俺に逆らうというのか!!!」
「それは神殿への侮辱と受け取りますがよろしいですか?
下手をすると神議会にかけられますが」
「屁理屈を言うな!!ああいえばこういう!!!」
「貴方こそ、馬鹿の一つ覚えで私の生まれを馬鹿にすることしかできないのですね。
ああ、教養も常識ももちあわせていないから皇族の血くらいしか誇れるものがないのかしら。本当お可哀……」
ばしんっ!!!
セシリアが言う前に、体が動いていた。気が付いたら使用人にやるようにその頬を思いっきり叩いていたのだ。
そうだ。こんな下賤な血を引く女が俺を馬鹿にするなんて許さない。
お母さまだって言っていた。この女は所詮皇位につくための踏み台に過ぎない。
哀れな小娘と結婚してやるだけだと。
なのになぜこんな屑に馬鹿にされないといけない。
そう思った途端。
「……馬鹿が」
腫れた頬を隠す事もなくセシリアがにやりと笑う。
その勝ち誇った表情に心からぞくりする。
まるで自分のすべてを見透かしたようなその瞳と、心の底から侮蔑と軽蔑を含んだ笑い。
そして妖艶ともいえる立ち込めるオーラのような何かに、全身が身震いするのがわかった。
(なんだ、なんで俺はこんな女にたじろいでいる?)
見据えられただけで体が動かない。
その緑色の瞳に吸い込まれてしまったかのように体が言う事をきかないのだ。
「不貞くらいなら証拠などないのだから、なかったと言い張ればすんだものを、わざわざこちらに有利になる証拠をくれるとは本当に貴方は頭の弱いお坊ちゃまで。激高したまま魔力も抑えずに叩けば証拠が残るのもご存じないおバカなのかしら」
セシリアの威圧で動けなくなった第二皇子の顎をくいっと持ち上げると、セシリアは優しく耳元でささやいた。
その甘い吐息にぞくぞくとした何かを感じ、第二皇子は視線すらうごかせず固まってしまう。
「どうせ、いままでママが全部なかったことにしてくれていたのでしょう?私は貴方のママじゃないから甘くないわよ」
動けなくなった皇子を残してセシリアは歩き出すのだった。