第35話 一歩ずつ
茜を無事見つけ出し、とりあえず手を無理やり引っ張り自宅まで招いた。
そして今茜にはシャワーを浴びさせている。
まだ暖かいとはいえ全身ずぶ濡れ状態なのはあまり良くないからな。
服は俺のシャツを貸すことにした。
「……シャワーありがと。あとシャツも」
「ああ」
茜は俺の顔を一瞬見ると気まずそうに顔を逸らしながら窓側に向かい、三角座りをした。
「今、服を乾燥機に入れた。乾くまでホットレモンでも飲むか?」
「……のむ」
作っていたハチミツ入りホットレモンを茜に渡す。
俺からコップを受け取った茜は暖をとるように両手で持ち、ずずっとホットレモンを飲む。
俺は何も言わず、茜の隣に座り、自分の分のホットレモンを飲んだ。
「……なんで、あんたは……その……」
俺の顔を見ることなく、床を見つめながら茜は言った。
曖昧な聞き方になっているのはまだ、自分の今の気持ちを言葉に昇華できていないのだろう。
「葵さんから電話があったんだよ」
「……お姉ちゃんが……あ、そうだ連絡」
「お前、スマホ家に置いて来てるから俺が代わりに連絡しておいた」
「あ……ごめん」
茜はそう言うとしゅんと見るからに落ち込んだ。
……大分弱っているみたいだな。どうやら今回の立候補者演説での失敗が相当響いているのか。
俺は何も言わず、ただ茜の隣に座り続けた。雨の音だけが室内に響き渡る。
そこに気まずさは存在せず、どこか懐かしさすら感じさせた。
新条茜という人間は弱みをあまり見せたがらない人間だ。だが、心許した相手にだけは自分から何かしらのサインを出す。
だから、俺はそれを待てばいい。
「……ねぇ、何があったのか聞かないの?」
「……何がって?」
「だから、その……大雨の中なんで家を飛び出したのかとか、なんで泣いていたのかとか」
「教えてくれるのなら、聞きたい。どうして一人で大雨の中泣いてたんだ?」
ここで重要なのは自分の言いたいことを言い易い言葉を選択することだ。
だから最後は必ず質問する形で終わらせる。
「……自分の弱さと情けなさに嫌になって」
「弱さと情けなさ? どういうことだ?」
「……あんたは気が付いてるのかもしれないけど、私、あがり症が治ってないのよ。いまだに大勢の人の目が……怖いの。どう思われてるのか不安で頭がいっぱいになる」
「だから、演説で倒れたのか?」
俺の言葉にこくりと頷いた。
あがり症は自分にとって大事な状況ほど症状が強くなる傾向があると言われている。
「私は、あんたや古宮ひよりみたいに堂々と出来ない。自信がない。強がってばかりで、ほんとはいつも不安で……情けなくて、今回だってあんたに尻拭いさせて、迷惑かけてばかりで……」
茜の声が、体が、段々と震えていく。
「私は……みんなを引っ張っていけるような人間じゃない」
違う。多分、茜が本当に言いたいことはそれじゃない。
「応援して貰ったのに、こんなザマでごめん」
「まだ、負けが決まったわけじゃない。選挙管理委員会も立候補者演説の代日を用意してくれる。きちんと演説ができたら勝てる可能性は大いにある」
選挙管理委員長の紫音には話をつけてあるし、生徒達の茜に対する反応も失望というよりも心配をしていたものだった。
しかし、茜は諦めるかのように首を振る。
「違うの……変えたいのはこの学園じゃなくて私自身なの……笑っちゃうでしょ? 自分すら変えることも出来ないのにね」
「私は自分を変えたくて、この選挙に立候補した。生徒会長になれば理想の自分に近づけると思った。みんなの前で堂々として、人気があって引っ張っていく。そんな強い人になりたかった」
違う、これじゃない。
「でも、今回で思い知ったわ。私には無理だって。私は……あのお遊戯会の時から何も変われてないのよ」
これだ。本当に茜が言いたかった言葉は。
「……それは、違うよ」
茜の視線が上がる。
ここで初めて俺たちは見つめあった。
そっと茜の頬に触れる。
驚きと恐れが混じったような表情。
それはまるで泣きそうな子供のようだった。けれども茜は俺の手を振り払うことはしない。何も言わず、俺の言葉を待っている。
「子供頃に負った傷っていうものはいつまでも引きずってしまうものだ。普通は目を背けてしまう。でも茜は辛くても前を向き、進んでいるじゃないか」
「……違う」
「違わないだろ。幼稚園の時は逃げ出したのにこの前の朝礼は逃げ出さなかった」
「それは……あんたに助けを求めたから」
「でも逃げなかった。それは立派な成長だろ」
「でも、でもっ! 私は今回の演説は」
「今回の演説だってそうだ。俺がいなくても舞台上に立った。これも立派な成長だ。人はそう簡単には変われない。だけどお前は変わっているよ。少しずつだけど」
俺の言葉を聞いて茜の瞳が大きく揺らいだ。
「大丈夫、茜なら絶対できる。かっこいい茜を俺に見せてくれ。いつもみたいに。茜が自分を信じられなくても俺が茜を信じてる」
そう言って泣いている茜の頭を優しく撫でた。
茜の消えかけていた瞳の奥にある意志に火が灯る。
「……なんか、あんたって不思議なやつよね」
茜はそう安堵しながら呟いた。
「そうか?」
「そうよ。あんたの言葉は……声は本当にできるんじゃないかって本気で思わせてくれる力があるのよ」
「……そうか」
「そうよ」
クスと茜は笑う。
先ほどの俺の言葉が茜に力を与える。風船のようにだんだんと膨れ上がる自信は茜を復活させた。
弱々しかった表情はなく、いつも通りの表情だった。
「それで? どうするんだ? 俺は最後まで付き合うぞ?」
「……そうね。うん。やるわ。だからさ、付き合ってよ最後まで」