第30話 忘れたくない温もり
「神藤君。応援演説でお疲れのところ最後までお手伝いいただきありがとうございました」
「今回、紫音には色々と協力してもらったからな。片付けくらいはさせてくれ」
応援演説の片付けを終え、私と神藤君は二人並びながら校舎へと歩いています。
「それにこうでもしないと紫音とはゆっくりと話せないしな」
「……ふふ、そうですね」
他の生徒は一足先に教室へと戻っており、今は私と神藤君以外誰もいないのです。
そう仕向けたのはこうして二人きりになる時間を作りたかったから。
校舎に戻るまでほんの数分しかありませんが、それでも私は神藤君と一緒に居たかった。
1秒でも長く神藤君と一緒に居たい。そう想うがゆえに自然と歩く速度が遅くなってしまう。
神藤君は歩く速度の不自然さに気づいていますが何も言わず、私の歩く速さに合わせてくれています。
私の心をどれほど察しているのかは分かりませんが。
「それに答え合わせもしたかったし」
「答え合わせ……ですか?」
「ああ、今回の応援演説。紫音が仕向けたんだろう?」
神藤くんは私の顔を見ず、そう言った。
なるほど、答え合わせとはそういうことですか。
「葵さんに俺のことを教えて茜の生徒会選挙に関わらせ、あいつが応援演説を依頼するであろう人物に情報を流して、俺が応援演説をせざるを得ない状況を作った」
「お見事です」
神藤くんの言う通り、この状況は全て私が仕向けたもの。
ある目的のために。
「ただ、分からないことが一つだけある」
「あら、神藤くんでも分からないことがあるんですね」
「そりゃ、神様じゃないからな。なんでこんなことをしたんだ?」
「簡単です。あなたの今の実力を見極めたかったんです。そしてそれを多くの生徒達に共有したかった。実際、今回の応援演説は改めて神藤君がいかに優れているのかが実感出来ましたよ」
「別に、大衆の心を動かすことくらい大したことじゃない。お前や葵さんにも出来ることだろう?」
「ふふ……」
神藤くんはクスと笑う私を驚いたような表情で見ます。
なぜ笑っているのか理解できないようですね。
「バカにしているわけではありません。あの場に居た生徒たちは将来国を背負っていく者達ばかり。それを大衆に言ってのける貴方に安堵しているだけです」
「……安堵?」
「ええ、私が支えた神藤一樹は何一つ変わっていないと」
私がそういうと彼は苦い表情をしながら顔を逸らしました。
「……教室に帰ったらすごいことになりそうだ」
神藤くんは校舎を見ながら少しげんなりした様子で言った。
おそらく、この先神藤君に待ち受けるのはクラスメイト達の好奇と称賛に満ちた声でしょう。
しかし
「おそらく、クラスの皆さんはあなたが神藤であることを察していたんじゃないでしょうか?」
「……え?」
すると神藤くんはきょとんとした顔をしました。
思ってもみなかったと言いいたげな顔に少し笑みが溢れます。
「似ているとか、面影があるとか言われたことはありませんか?」
「あ、あるけど……でもちゃんと否定して」
「それはあなたの事情を察して納得した形をとっていただけではないでしょうか?」
名字を変えているところや突然転校して戻ってきたとなると色々と察せられることもあるでしょう。
そして、そんなことを聞けるのはよほど親しい仲だけでしょうし。
「え、えぇ……」
姿は違うかもしれませんが、そんなもので誤魔化せるほど皆さんにとって『神藤一樹』という存在は軽いものではないということです。
当の本人は自覚していないようですが。
「どうせ、あなたは姿や名字が違うから気付かれていないと思っていたんじゃないですか?」
「……ぐ」
気まずそうに視線をそらされる。どうやら図星たっだようですね
「神藤くんの唯一の欠点は自身をきちんと評価できていないところです」
そしてそれは時に致命的な欠点となります。
「……紫音には敵わないな」
「ふふ、これでも貴方のもとー」
「流石、オレのパートナーだ」
神藤君の言葉に鼓動が高まりました。
「ん? 忘れたのか? オレとお前は一蓮托生のパートナーなんだろう? 初めて出会った時、君がオレに言った言葉だ」
「……ええ、よく覚えていますよ」
あなたと出会った時のことは今でも鮮烈に覚えています。しかし、よりにもよって今、その言葉を言ってくるなんて……
貴方の一言一言に喜憂している私もどうかとは思いますが。
本当に貴方は……
「まぁ、貴方は一蓮托生のパートナーである私に何も言わず、突然姿を消したわけですが……」
「いや、ほんとにごめん……その件については悪かったと思ってる。だからここの帰ってきてすぐに手紙を送ってこの学園に戻ってきたことを伝えただろ?」
「ええ、貴方の想いが込められたラブレターは今もたまに読ませていただいていますよ?」
「ら、ラブレターって……やっぱりまだ怒ってるだろ?」
「ふふ……どうでしょうか?」
少し意地が悪かったかもしれないですが、中等部の時に忽然と姿を消したことについてはもう怒っていません。
神藤家で何かあったのだという考えに辿り着くのは容易なことですから。
だた、もう少し貴方には私のことでモヤモヤして貰いましょう。
気がつくと校舎まであともう少しのところまで来ていました。
楽しい時間ほど早く過ぎてしまうのは本当のようですね。
「神藤君」
最後に私は立ち止まり、彼の頬に右手を伸ばします。
「……紫音?」
彼の頬に触れるとそこには確かな温もりがありました。
その温もりに安堵してしまいます。
ああ、神藤くんはここにいるのだと。
「いえ……すいません。ただ……この温もりを忘れたくないだけです」
神藤くんは私の言葉を聞くとぎゅっと私の右手を握り締めました。
「……安心してくれ。もう俺は突然消えたりはしないよ」
まるで私が抱いている不安を取り払うかのような言葉に少し驚きます。
「……不安か?」
「えぇ……不安ですよ。言葉だけでは」
あなたはいつも掴んだと思ったら消えてしまう。そんな人ですから。
思わず溢れた想いは口には出さず、心の内に止めた。
今回の応援演説はあくまで前振りに過ぎません。私の真の目的はさらに数手先にあります。
しかし、神藤くんには絶対に分からないでしょう。
そう確信しながら校舎へと再び歩き出しました。