第17話 聖女様の恩返し
「……腹が減ったな」
今日はいつもよりお腹が減っていた。栄養食ではなくスーパーで惣菜でも買おうかなと思いながらエレベータを降りる。
自宅に繋がる廊下を見ると俺の部屋の玄関の前に、古宮が立っていた。
まるで誰かを待っているかのように。
「先輩、お帰りなさい」
こちらに気づいた古宮は聖女様のような暖かな微笑みでこちらに手を振る。
見たところ、以前とは違い可憐な容貌には生気があり、肌も血色がよさそうだ。
「もう体調はいいのか?」
「はい。おかげさまで完全に回復しました。ですので、恩返し。しにきました」
そう言いながら食材袋を持ち上げた。
というわけで。
古宮を自宅に招き入れ、晩御飯を作ってもらうことになった。
まさか、本当に実現するとは……
この状況はあれか。タイトル風に言うなら『学園で人気者の聖女様を看病したら恩返しで料理を作ってもらうことになりました!〜なぜか聖女様がものすごく俺に懐いているんだが?〜』みたいな?
いや、そんなあほなこと考えてないでやることをやろう。
こちらは料理が出来上がるまでクッションやテーブルの準備をすることにした。食器やお箸は……予備で買った未使用品があるから大丈夫だろう。
「それにしても先輩の冷蔵庫なんですか? 水と栄養ゼリーしか入ってないじゃないですか……ちゃんとご飯食べてます?」
「ああ、ちゃんとー」
「栄養食とゼリーはちゃんと食べたことにはなりませんからね」
「……………」
鋭い釘を刺されてしまい、気まずくなって古宮から目を逸らした。
「もう……それに荷解きもちゃんと終わってないじゃないですか。状態でよく一人暮らしができますね」
呆れたようにリビングを見渡しながら言われてしまう。
「ぐっ……」
痛い事実をつかれてしまった。
そう、神藤家から引っ越して家具とかは一通り設置できたものの器具や小物。衣服などはちゃんとしまえていないのだ。
なので、いまだに段ボールがあちこちに置いてある惨状なのである。
ここ来る前までは自室はこまめに掃除とかして綺麗にしていたんだ。気分転換にもなるから。
だけど
「一人暮らしをすると……こう……誰もいないし来る予定もないからやる気が出ないんだ。料理も……うん。なんか自分のためだけに作ると考えると作る気が湧かないというか」
「やる気だけの問題じゃない気がしますけど」
ジトっとした目でそう言い放ち、古宮は料理を開始する。
手際がいいのか1時間ほどすれば、テーブルに料理が並び始めた。
煮込みハンバーグにエビフライ、コロッケ、マカロニサラダ。まるで洋食レストランのような豪華なラインラップに思わず口が開けっ放しになる。
偶然だろうけど、全部俺の好きな料理だった。
「え、すごい……めちゃくちゃ美味そう! それになんかめちゃくちゃ力が入っているというか、豪華というか」
「ご、ご迷惑をかけてしまったので」
古宮はそう言いながら対面に置いたクッションを持ち上げる。
何をするんだろう? と思いながら見つめる俺の隣に来た。
「あ、悪い」
「いいえ」
席を詰めたらすっと古宮はさも当然のようにクッションを置いて俺の隣に座った。
……ん? え!? 隣!? 普通は対面だよな!?
「どうかしましたか?」
なんでそんな至って平気そうな顔をしてるんだ?
俺がおかしいのか?
「え、い……いや……対面で食べた方が良くないか?」
「そうでしょうか?」
「くっつき過ぎというか、距離が近いというか」
一人暮らし用のテーブルなので隣に座られるとどうしても距離がかなり近くなってしまう。
実際、甘い香りと体温が感じてしまうほど古宮との距離は近い。腕が触れ合うほどのこの距離はいかがなものだろうか。
「問題ないと思います」
「え、いやでも–」
「問題ありませんよね?」
「あ……ハイ」
何があっても引かないという強い意志がそこにはあった。
その強い(怖いほど)の意志に気圧されてしまい首を縦に振ってしまう。
満足そうな顔をする古宮に苦笑しながら二人で手を合せいただきますと手を合わせた。
う、うまい
煮込みハンバーグは肉汁たっぷりでジューシーさがあり、そして何よりもトッピングに目玉焼きを乗せているのがわかってる。
エビフライもプリプリで特にこのタルタルソース。ピクルスと玉ねぎ、ゆで卵多めの俺が大好きなタルタルだ。
他にコロッケとマカロニサラダも口にして思ったが、聖女様……すごく料理がうまい。
「いや、ほんと全部非常に美味しいです」
「そう言ってくださると作った甲斐がありました」
古宮はほんのり照れ臭そうに笑う。その笑顔に少し見惚れてしまいそうになる。さすが聖女様……なんというか……可愛い。
「箸が進んでないけど食べないのか?」
「美味しそうに食べてくれている先輩をもう少し見たくって」
まるで聖女のような優しい微笑みでツンと頬を突っつかれた。
「そ、そうか……」
それはそれでこちらが食べづらいんだけど。それを言うのは野暮だな。
少し……いやかなり距離感がバグっている古宮に見られながら晩御飯を口に運んだ。
無事完食し、平らげられたお皿を二人で洗い上げる。
「流石男の人ですね食べ切っちゃうなんて」
「うまかったから加減できなかった……ほんと毎日食べたいほどだ」
なんて少し冗談めいたことを言ってみたがお世辞なんかじゃなく、本心からの言葉だった。
こんな腹パンパンになるまで食べたのは本当に久しぶりだったから。
「そうですね……材料費とか折半して先輩の家で……たまには先輩の料理を食べさせてくれるのなら……」
「……え」
古宮は口元に手を当てて真剣に考え始める。
軽く流されると思っていたのでまさか本気にされてしまうとは思わず戸惑ってしまう。
「いや、ごめん……流石にそれは申し訳ないから気にしないでくれ」
「そうですか? 私はいい案だと思いますけど。ところで先輩。週末は何か予定はありますか?」
「ないけど……なんで?」
「荷解きするんです。どうせこのままにしておくつもりでしょう?」
「うっ……! いや……ちゃんと片付けるつもり……だったぞ?」
「なら目を逸らさないで言ってください」
古宮さんの鋭いツッコミが入る。
「折半の話はその時に詰めましょう」
「なんでそこまで……普通さ、隣に住んでいるだけの赤の他人にこんな世話焼くか?」
その理由が俺には分からなかった。
「その言葉、あなたにだけは言われたくないですね……人が人を気にかけるのに特別な理由なんてないでしょ? きっと理屈じゃないんです」
その言葉に思わず、面を食らう。
中野に言った言葉が自分に返って来るとは……なんだか胸に釘を打たれたみたいだ。
「それにだらしない先輩が悪いんです」
だらしないという意見にはぐうの音もでないほど正論なので黙るしかなかった。事実というのはこんなにも酷なものなのか。
「予定……空けておきます」
「よろしい」
満足げに頷く古宮を見ながら頬を引き攣る。
こうして今週末の予定は荷解きに決まったのだった。