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第16話 神藤と桜




『ひより、あらゆる面で秀でてこそ古宮家の人間だ。富、家柄、容姿、そして才能。お前はそれら全てを兼ね備えていなければならない』



 父はよく口癖のように私に言っていた。


 私はその言葉に答えられるように努力してきた。

 入学するのも困難と言われている碧嶺学園の小等部・中等部入学試験の時も主席合格した。

 他の子は合格しただけで親にとても褒められていたけど、私は違った。



『下らない。そんなものは出来て当然だ』


 

 そう吐き捨てた。

 

 何かを成し遂げて誰かに褒められたくても、認めてもらいたくても、全部飲み込んできた。


 だけど、中等部1年の期末試験で私は学年首席を取れなかった。

 古宮家では主席が当然なのに……私にとってはこれは初めての挫折だった。

 

 その日以降、父の口癖は一切聞かなくなってしまった。


 父の興味が私から離れていくのが肌で感じた。

 

 私は誰からも必要とされないんだと全てに嫌気が指していた。


 一番ではない私に価値なんてない。


 一度そう思ってしまったら何もかもどうでも良くなった。

 授業をサボって、不良生徒みたいに言葉も素行も荒くなっていき、ついには学年末試験では赤点を取り春休みに補習を受けることになった。


 本当は行きたくなかったけど、家にいるのはもっと嫌だったので桜坂の前まで歩いて。


 だけど、一歩が踏み出せなくて。


 補習に行かなかったら退学になってしまう。わかっているのに足が前に進めない。


 満開に咲く桜の坂をだた見つめるだけ。


 いっそのこと補習もサボってしまおうかと思った瞬間



『大丈夫か?』



 声をかけられた。

 その男子は碧嶺学園中等部の制服を着て、襟元には金色の菊のバッチをつけていた。



『は? 何、あんた。誰?』



 そう威嚇しながらいうと彼は笑ってこう言った。



『俺の名前は神藤一樹』




 目覚めた私は、寝ぼけながら上半身を起こした。



「懐かしい夢……見ちゃったなぁ」



 思わぬ形で再会してしまったからかな……あの日のことを思い出すなんて。

 倦怠感を感じながらスポーツドリンクを飲む。


 私は以前、神藤先輩と出会ったことがある。


 先輩は私のことを『桜』と呼んでいた。原因は私が名前を教えなかったせいだ。あの時は古宮の名が重責に感じていたから名乗りたくなかった。

 

 多分、『桜』という仮名も先輩が気を遣って付けてくれたのだろう。

 


 春休み初日、桜坂前で初めて声をかけられ虚勢を張っていた私を見て彼は笑って言った。



『嘘、下手なんだな』



 まるで心を見透せているようで、居た堪れない気持ちになった。

 気が付いたら私は自分のことを公園のブランコで話していた。

 

 大きな挫折をしてしまったこと。

 父とのこと。

 何もかもどうでもいいと感じてしまったこと。

 補習の最終日の試験で7割以上取らなければ退学になること。


 ぽろぽろと吐き出す私の言葉を彼はちゃんと聞いてくれた。


 それが神藤先輩との出会いだった。


 今でも鮮明に覚えている。


 春休み中補習が終わった後、生徒会室で神藤先輩に勉強を教えてもらう日々を。


 下校時間まで名前も知らない私に親切丁寧に教えてくれた。

 

 あなたの優しい声。

 生徒会室の匂い。

 筆記の音。

 

 全部、覚えている。



『先輩っていうのは後輩が精一杯頑張っているのをちゃんと見てやるものだ。桜はよく頑張ってるよ』



 あなたはそう言っていつも私の努力を褒めてくれた。

 今まで人に褒められたことなんてなかったから、『こんなの当然だろ』とか言ってそっぽを向いてしまっていたけど、私はとても嬉しくて。

 

 だからまた褒めて欲しくて勉強を頑張れたんだ。

 全部どうでも良くなった筈なのに。


 補習最終日の試験で満点を取った時なんてまるで自分のことのように喜んでくれて。



『この1ヶ月間よく頑張ったな。おめでとう』


 

 私が欲しくてやまなかった言葉をくれた。


 この先もずっと私のことを見てくれると思っていた。

 だけど先輩は春休みが終わると同時に姿を消してしまった。

 心のどこかで私は隣に神藤先輩がいるのが『当然』だと思ってしまっていた。


 『当然』なんてあるはずがないのに。


 いつかまた出会えるかもしれない。その時に恥ずかしくないような自分でいたいと思った。

 あなたの背中を追っている内に私は生徒会長になり、気がつくと聖女様なんてと呼ばれ学園内でも良い意味で有名になっていた。


 そして今日、神藤先輩と再会した。


 ……まさか隣に住んでいたなんて。


 あの顔、あの声、絶対に神藤先輩だ。

 髪は整えてないし、猫背気味だし、死んだ魚のような目をしていたけど。間違いない。


 佐藤という名字だったけど、おそらく何か事情があるのだろう。



「それはそうと、先輩……絶対に私が桜だって気づいてないっ」



 もしかしたら私のことを桜だと気づいて助けてくれたのだと思っていたのに、それは思い違いだった。


 ただ困っていたから助けてくれただけ。

 

 初めて出会った時のように。

 

 確かに『桜』の時と比べ髪も伸びたし雰囲気もわかってるだろうけど、そこは気づいてよっ! 


 そもそも髪を伸ばし始めたのも先輩が伸ばした方が綺麗に見えるって言ったからだし!


 私はすぐに神藤先輩だって気づいたのに〜!!


 思わず地団駄を踏む。


 いや、もしかしたら「桜」のことも覚えてないのかも。

 

 段々と膨れ上がる神藤先輩への不満。



「だけど……大好き」


 

 う……自分で言っていて恥ずかしくなってきた。顔が熱い。まだ熱があるのかな?


 正直、思い出して欲しいけど忘れているのなら忘れたままでいい。

 重要なことは神藤先輩にまた出会えたということ。

 この出会いは運命なんかじゃなく偶然で。色々な歯車がうまく噛み合ってこうして再会することができた。


 一つでも欠けていたら私は神藤先輩と二度と会えなかっただろう。


 そんな気がする。


 だからこの偶然を無駄にしないようにずっと先輩の隣にいたい。

 もうあの時のように後悔なんてしたくない。

 この先もずっとそばで見ていて欲しい。


 それくらい私は神藤先輩が大好きなんだ。


 私は覚えてるのに忘れちゃうなんて……ほんと仕方がない人ですね。

 

 そんなことを思いながら私は再び眠りについた。






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