違和感 ライオス視点
「やっぱり、カレンちゃんに悪いことをしちゃったんじゃないかしら」
スープの器を置きながら言うフリーダに、ライオスはうんざりと溜息を吐いた。
王国騎士団の訓練は、さすがに体にこたえる。
血筋の祝福を乗りこえて常人よりも頑健な肉体になったとはいえどもだ。
疲れた体を引きずって帰ってきたというのに、母親のフリーダが終わった話をまた蒸し返した。
「母さんだって、カレンでは俺とは釣り合わないと認めたはずだろう?」
「そうね。あなたは立派な騎士になったんだもの。だからFランクの錬金術師では釣り合わないわね。でも、あの子は本当によくしてくれて――」
「ハッ。カレンにはそれ以外に何もできることがなかっただけだと、何度も言ったはずだろう?」
まともな錬金術師になることも、ライオスのような騎士になることもできなかった。
マリアンの言う通りだ。
「カレンが俺のためにしたことなど、雑役人を雇えばいくらでも肩代わりさせられるようなことだけだ。それを恩着せがましく……もしもあの女と結婚していたらあれを一生を言われ続けるのかと思うと吐き気がする」
支えてあげたのに。助けてあげたのに。
挙げ句の果てには『わたしのおかげで治ったくせに』と言い出した。
たかだか幼少期を共に過ごしただけの分際で、Fランクの錬金術師ごときが騎士の一生を縛ろうとしたのだ。
この女を罰する法律が何かないかと考えて、騎士侮辱罪しか出て来なかったことが嘆かわしい。
「あの女がうちの周りをうろついていたら即憲兵隊に突き出すんだぞ、母さん。実害があればあの女を護国妨害罪に問えるからな」
「そんな重罪、可哀想よ」
「初回は警告くらいだろう。あの女が取り返しのつかない真似をする前に警告してやるのが親切だと思わないか?」
国を守るために命をかけて戦う騎士や冒険者を妨害する罪。
妨害したのが貴族でも、王族でも罪に問われることがある。
戦う者の功績が重ければ重いほど罪が重くなるのだ。
「未練がましくあの女が俺の前に現れた時に重罰が下されるほどの功績を積み上げてやる」
これ以上話す気はないことを示すためにさっさとスープに手を付けた。
食事をして、明日のための力を取り戻さないといけない。
だが、鶏肉と豆をスプーンいっぱい口に入れ、咀嚼して飲みこんだライオスは眉をひそめた。
「……母さん、なんだ? このスカスカの料理は」
「スカスカ? どういう意味かしら」
「味が……薄くないか?」
言いながら、ライオスは何かが違うと感じていた。
味が薄いわけではない。むしろ、味覚の衰えた若くないフリーダが作っていることによって味は濃いくらいだ。
だが、いつもなら一口食べるだけで体中に染みわたるように力が行き渡っていく充足感があるが、それがない。
「これは、いつもの筋肉増強料理と同じものなのか?」
「ええ。カレンちゃんが作っていた通りのレシピよ。もしかして、カレンちゃんのレシピは嫌だったかしら?」
「いや、料理のレシピに罪はない」
筋肉を付けたいならタンパクシツ、とわけのわからないことを言いながら作っていたカレンのレシピだ。
気に食わないが、体に合うのだから仕方ない。
いや、これまでは合っていたが――これはどうも違う気がする。
「……騎士団の訓練で自覚以上に消耗しているのかもな」
「疲れると塩みが欲しくなるものよね。もっと濃い味にしてあげるべきだったわね」
フリーダがかいがいしくライオスのために塩をわざわざ持ってくる。
塩が追加された鶏肉と豆のスープはやたらと塩辛いばかりで、食えたものではなかった。
だが、味にケチを付けたのは自分だ。
ライオスは無表情でスープを飲み干した。
これが食える味だと感じているのなら、いよいよこの母に料理は任せられない。
「……母さん、雑役人を雇ったらどうだ?」
「それね。カレンちゃんももういないし、マリアンさんはグーベルト商会のお嬢さんだから、家事を一緒にしてもらうわけにもいかないものね」
フリーダが寂しげに笑う。
父親はすでにない。財産はあるが、だからこそ得体の知れない人間を近づけるなと、この母親にはいつも口を酸っぱくして言っている。
そのせいで、もしかしたら孤独なのかもしれない。
孤独な老人の話し相手としてはカレンはぴったりだった。
そこで、ライオスは妙案を思いついた。
「もしもカレンを哀れに思うなら、カレンを雑役人として雇ってやったらどうだ?」
「そ、そんな。お嫁に来るはずだった子を雑役人なんて……」
「案外喜ぶかもしれないぞ? 魔力ランクもDランクでは今後錬金術師として出世する望みもないだろう。雇用して金を払うと言ってやれば飛びつくかもしれないぞ」
ライオスならそんな誇りが傷つく真似はとてもできないが、カレンならヘラヘラ笑いながら引き受けそうなところがある。
それに、ライオスとの長年の婚約を破棄したために、カレンはいわば傷モノとなった。
次の婚約などしばらく見つからないだろう。
「どんな形でも、カレンちゃんとまた一緒にお料理できたら私は嬉しいけど……」
「母さんがそう言っていたと知れば泣いて喜ぶんじゃないか?」
「そうかしら……?」
「相手はFランクだぞ、母さん」
「そうよね……Fランクだものね」
母親の顔に笑みが戻りライオスはほっとした。
カレンを雇うと訊けばマリアンは顔をしかめるかもしれないが、カレンは雑用係としては便利だ。
八年も婚約していただけあり、ライオスの機微もよく理解している。
何なら相場の二倍くらいの報酬は払ってやってもいい。だとしても端金だ。
雇い主として毅然とした態度で接し、生意気なことを言わないよう言い聞かせれば、使えるだろう。
寝入り際も、ライオスは自分の思いつきを自画自賛した。
「何度考えてもカレンほどうちの雑役人にふさわしい人間はいないな……もしもよく働くようだったら妾くらいにはしてやるか」
切り捨てたとはいえ、情がないとは言わない。
マリアンをどう説得するかと考えつつ、ライオスは気持ちよく眠りについた。
だが翌日も、翌々日も、その次の日も。
フリーダが何度カレンの家を訪ねても、カレンは仕事に出ていると周囲の家に言伝をしたまま、家を留守にし続けた。