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元老会の英雄たち

サラに怒られたこともあり、カレンは馬車での発言は控えていた。

白粉自体も毒ではあるが、それ以外の何かが白粉の中に含まれている。


それが何なのか、カレンには皆目見当もつかない。


「カレン、すまないがしばらく口を閉ざしていてほしい」


ずっと無言だったカレンに、ユリウスは馬車の窓から外を見つつあえて言った。

カレンも同じ窓から外を覗くと、エーレルトの停留所には見覚えのない紋章のついた馬車が停められていた。


「エーレルト領の元老会の貴族が来ているようだ。エーレルト領の運営を担う貴族だが、エーレルト伯爵家にとって必ずしも味方というわけではない」

「かしこまりました」

「たとえどれほど不快な言葉を投げかけられようともだ」


カレンはうなずくと、口を噤んだ。

馬車を降りて屋敷に入ると、ちょうど出ていこうとする見知らぬ貴族たちと行き会った。


三人連れで、一人は五十代ぐらいの紫髪の男だ。ぎょろぎょろと目の大きい男で、カレンをじろじろと見てくる。

もう一人は痩せ細った背の高い男で、その黒い目はどこを見ているのかわからない。

中央にいるのはダークグレーの髪をオールバックにした四十代ぐらいの背丈が低く杖をついた男だ。


口を開いたのは、中央の一番小さな男だった。


「久しいな、ユリウス殿」

「お久しぶりです、ブラーム伯爵」

「たった今、ヘルフリート殿から毒の化粧品の話を聞いてきたところだ。すぐに家門の者たちにも禁止令を広めよう。まったく恐ろしいことだね」

「手配をお願いします」


なんてことのない、無難な会話だ。

カレンの鑑定により毒が出回っていると判明した後、狩猟祭を抜けて急遽戻ってきたヘルフリートが対策を取るために元老会の人々を呼び出したのだろう。

毒白粉の説明を受けた元老会の人たちは、それを身内に伝えるために帰るところのようである。

だが、それで話は終わらなかった。


「そういえば、彼の姪は気の毒なことにあの化粧品を愛用したばっかりに倒れてしまったのだそうだ」


ブラーム伯爵の隣にいた、紫色の髪の男が悲しげにうなだれた。

どこかで見覚えのある髪色だな、とカレンが首を傾げていると、ブラーム伯爵は言った。


「ヘルフリート殿が領主らしからぬ振る舞いをしているせいで、毒なんぞがエーレルト領に入り込んだために、とんだ災難を被ったものだよ」


ブラーム伯爵が溜息を吐く。ヘルフリートのせいだと言いたいらしい。

身近な人が毒に冒されたならそう言いたい気持ちもわからなくはないが、感じの悪い人だな、とカレンはむっとした。

ユリウスは眉間にしわを寄せた。


「貴族の首長らしからぬ振る舞いとは? まさか、ジークのために王都に滞在していたことを言っているのですか?」

「治ったからいいものの、エーレルト伯爵が我が子可愛さに治めるべきエーレルト領を蔑ろにしていたという事実は変わらないだろう。その間は、我々元老会が力を合わせてエーレルト領を守ってはいたがね」

「……兄上は力ある後継者の救える命を救おうとしただけ。領主として正しい判断だと言えると思いますが?」

「それは方便だろう? たとえ無駄な足掻きだとしても助けようとせずにはいられなかった――結果だけ見れば有能な後継者を守った有能な領主とも言えるかもしれないが。言っていて恥ずかしいとは思わないのかねえ?」


ユリウスはぐっと押し黙る。

まるで図星を突かれたかのような反応だったし、実際図星だったのだろうなとカレンでもわかった。

ジークを助けたいという気持ちが何よりも先行していたに違いない。

そして、それが貴族内では責められることだというのがカレンとしては驚きだった。


「しかも、彼の姪が毎日毒白粉を顔に塗りたくっていたのは、ユリウス殿に綺麗だと思われたかったからだという……彼の姪が倒れた責任はユリウス殿にもあるのではないかな?」

「なっ」


口を開きかけたカレンをユリウスが体で遮った。

憤慨のあまり、口を開くなと言われていたのを忘れかけていた。


「可哀想だとは思わないかい? 責任を取ってあげてはどうだろう、ユリウス殿?」


勝手に毒性のある化粧品を使った女が勝手に倒れた事の経緯のどこにユリウスの責任があるのか、口さえ開ければ問い質したい。

そもそも責任を取るとはどういう意味か。

だが、禁じられているのでカレンはやむなく口をモゴモゴさせた。

ユリウスは淡々と答えた。


「ライヒ卿の姪のペトラ嬢でしたら、先程錬金術師のポーションを飲んで、症状の改善を確認したところです」


彼の姪とはペトラのことだったらしい。

道理で見覚えのある髪色だったわけだ。

ユリウスの答えに、ブラーム伯爵は溜息を吐いた。

ひどく癇に障る溜息で、カレンはむっと警戒の姿勢をとる。


「はぁぁ。君には悪気はないのだろうけれどねえ、昔から君には女を誘惑して奇行に走らせる才能がある。その責任は、悪気はなかろうと多少は取らねばならないんじゃないかなあ。そうは思わないのかい?」


カレンは身を乗りださんばかりだった体を引いて、すっと気配を消した。

依頼の報酬にユリウスとの結婚をねだるという奇行に走った女の一人として、それについては何も言えない。


「くれぐれも|ダンジョン連れ込み事件・・・・・・・・・・・の時のようなことにはならないようにしてほしいものだね」


何のことかはカレンにはわからなかったが、ひどく嫌みたらしい。

言うと、ブラーム伯爵と呼ばれた男は杖を突いて出ていった。

彼らがいなくなるとカレンは顔をしかめて言った。


「あの人たち、何なんですか? エーレルトのダンジョンを攻略した英雄であるユリウス様に、偉そうにもほどがないですか?」

「彼らもまたエーレルトにおいては英雄(・・)だからね」

「英雄?」

「かつてダンジョンが崩壊しかけた時、父と共にダンジョンに潜り戦ったパーティーだと言われている」

「言われている、ですか」


微妙なニュアンスを感じて復唱したカレンに、ユリウスはうなずいた。


「実際にダンジョンに潜ったかは怪しい。彼らにそれほどの実力があるようには見えない。ただ、父のパーティーメンバーではあった者たちだ」


カレンは先程の人々の姿を思い返した。彼らは誰も強そうには見えなかったが、一見、強そうには見えなくとも強い冒険者というのはいる。

だが、実力者のユリウスが言うのならそうなのだろう。


「もしかして、英雄ということになっているから、あの人たちは元老会に所属しているんですか?」

「その通りだよ、カレン。ヘルフリート兄上を英雄の息子として支持する勢力に、彼らはより強く推されて今の地位に就いている。彼らは父亡き後も権力を握るため、父を讃え、その影にヘルフリート兄上を追いやろうとする」


貴族たちが出ていってしばらく経ってもなお、ユリウスは彼らが後にした玄関を見据え続けた。


「父が亡くなり十年以上経ってもなお、領民にエーレルトのあり方を見せるための新年祭では、父の巨大な肖像画が誰よりも目立つように飾られるのだから、笑えるだろう。領民たちがそれを支持するように誘導され、私たちはそれを撥ね付けることさえできないのだよ」


エーレルトを実質的に支配している貴族たちの幻影を見ながら、ユリウスは自嘲した。


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