逆鱗の理由
眠ったペトラをフランクに任せカレンはユリウスを探した。
ユリウスは廊下から先程タンポポを掘り返した庭を見下ろしていた。
カレンに気がつくと、苦笑してみせる。
その姿はいつものユリウスで、激怒していた先程のユリウスが夢幻かと思うほどの落差がある。
「情けないというか、情け容赦がないというか……わたし、色んな効果が出るのが面白くて、くだらないポーションなども作ってきているのですが、以前からもっと役に立つポーションを作れと思っていたんですか?」
「まさか。価値あるポーションを作る力を持つ者が何を作るかは、本人の自由だ。周囲の者がそのポーションを作ってもらいたければ、その者の望む対価を差し出せばよいだけだからね」
「そ、そうですか……」
カレンは半笑いでうなずいた。
弱っているようには見えなかったが、一応は毒に冒されているという触れ込みの少女である。
そんな少女を追い詰めたユリウスの姿は、半ば解釈違いである。
ダンスのおねだりを遮ったカレンの言うことではないけれど……。
カレンを見て、ユリウスは眉尻を下げた。
「先程のは演技だ……と言って信じてもらえるだろうか?」
「演技、ですか?」
「毒白粉を使ったことで私が家にやってきた、という状況をペトラ嬢にとって喜ばしい出来事にしたくなかったのだ。私が見舞いに来るからと、喜んで毒白粉を使い続けかねない」
「ああー……確かに」
ペトラにとっていい思い出のままユリウスが去れば、更に毒白粉を使い込むことで体調を崩し、再びカレンを呼び出してユリウスと会おうとしたかもしれない。
「ユリウス様にあそこまで言われれば毒白粉はもう使えないでしょう。厳しい言葉はペトラ様を思ってのことだったんですね」
カレンはほっとした。
年頃の少女が好きな相手にあそこまで言われればトラウマものであるが、少女の健康を守るためならいたしかたないと思える。
「演技とはいえ多少は本心が混ざってはいるけれどね。ただ、もしもカレンがペトラ嬢の美のために今後も解毒のポーションを作ってやってもよいと思っていたのなら、その邪魔をしてしまったことは申し訳なく思うよ」
「いえ、わたしもそんな虚しいポーションは作りたくありません」
カレンも、賽の河原の石積みみたいな真似はしたくない。
健康という石を積んでも積んでも壊される。
そんな仕事は金をもらってもお断りである。
「正直私も、カレンにサシェを作ってもらうことを申し訳なく思う時がある……他に解決の手立てはあるにもかかわらずカレンのポーションに頼るなど、カレンの時間を無為に奪っているのではないか、とね」
「あれはわたしの趣味なのでお気になさらず」
「ははは、趣味か」
ポーションを渡すことにかこつけて、今後もユリウスとの関係を続けていこうとしたカレンの策略でもある。
ユリウスが気にする筋合いなんてまったくない。
ペトラが病気をつかってユリウスの気を引こうとしたことを、カレンはまったく責められない立場である。
ユリウスは頭を抱えて溜息を吐く。
苦い苦い笑みを浮かべていた。
「情け容赦ない、か。私情がまざって私はペトラ嬢に酷なことをしてしまったのかもしれないな」
カレンの言葉を引いて落ち込む様子のユリウスに、カレンは慌てた。
「いえっ、わたしの察しが悪くてユリウス様のお言葉の意図を掴めなかっただけですから! ユリウス様は当然のことをされただけだと思います!」
「そうだろうか……」
沈んだ面持ちのユリウスに慌てていると、フランクがカレンたちのところにやってきた。
「ユリウス様、先程は失礼をいたしました。カレン様にもご迷惑をおかけしました。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません。この度はポーションを作っていただきありがとうございました。ペトラからは白粉を取り上げて参りましたので、今後再びカレン様をお呼びすることはないでしょう」
「わたしがどれほどお役に立てたのかもわかりませんけれど」
ペトラは結局、終始元気に見えた。
本人は効いたと言ってはいたものの、元から元気だったので、カレンのポーションがどれほど貢献できたか定かではない。
一応、ポーションが劇的な効き方をしていたので、体の中に毒が溜まっていたのは間違いないのだろうけれども。
カレンの謙遜ともつかぬ言葉に、フランクはゆっくり首を横に振った。
「確かにペトラはよくなりました。本人がユリウス様の前だということもあり気を張っていたため、そうは見えなかったかもしれませんが……私が何度ユリウス様はカレン様の護衛でいらしただけだと言ってもペトラは聞かなかったでしょう? 頑是無い子どものように見えたかもしれませんが、あれは耳が聞こえにくくなっていたからです」
「あ……」
てっきりカレンは思い込みの激しい子なのだと思っていた。
だから人の話を聞かないのだと――そうではなく、ほとんど聞こえていないのだとは思っていなかった。
そこまでひどい状態にはまったく見えなかったが、カレンは気がついた。
フランクはペトラを我慢強い、と言っていた。
カレンにその症状を悟らせないほどの我慢強さは、ジークにも見られた典型的な貴族の姿だったのかもしれない。
「体から魔力が抜けていき動くのも辛く、夜も眠れずにいたペトラが泣き疲れて眠っている姿を見て、心の底からほっといたしました」
「体から魔力が抜けていった?」
「え? ええ。体が壊れるとそういうこともあるのですね」
水銀にはそんな症状があるのだろうか? 体から魔力を抜く作用がある?
いや、そんなもの、あってたまるものかとカレンは思った。
「……その症状は、白粉以外の毒でそうなった可能性はありせんか?」
カレンの問いに、フランクは不思議そうにしつつ答えた。
「白粉で間違いありません。それ以外のものはメイドが試しておりますので。白粉だけは貴重な化粧品だからと、ペトラが粉の一粒も使わせることを嫌がったそうです。愚かな妹でお恥ずかしい限りです」
カレンは青ざめた顔でフランクが手にしている白粉を見た。
この白粉は確かに水銀が含まれている。けれど、その分量もカレンにはわからない。
確かなことは、体内の魔力に影響する、別の毒も含まれているということ。
もっとも顕著な症状が魔力の喪失なら、ペトラは水銀ではなく、別の毒に病んでいたのかもしれない。
常日頃から体を動かすのに魔力に頼っていると、魔力がなくなると体が動かせなくなる。
昇級試験以降、カレンは時折実験するのでその手応えを実体験で知っている。
物を見る時や音を聞く時も、魔力を使うとより見えやすく、聞こえやすくなる。
ペトラがこれまで魔力頼りで生きていたなら、魔力を失った時には全身に不調を感じ、痛みさえ覚えただろう。
今回はたまたま、カレンがつくったポーションで別の毒が流れたのかもしれない。
付け焼き刃の知識で、まったく見当違いな理由でポーションを飲ませていた可能性に、カレンは全身鳥肌が立った。
「カレン様、助けていただきありがとうございました」
「……お力になれたのならよかったです」
フランクが深々と頭を下げる。
カレンは苦々しい気持ちで下げられた頭を見た。
偶然に助けられただけだから、自分が助けたという気が少しもせず、カレンは冷や汗をかいた。
心臓が早鐘のように鳴っていた。
もっと勉強をしないといけない。勉強がしたい。
前世の知識はもう学び直せない。だから、この世界の知識を、もっと。
論文を読んでいるだけじゃ足りない。間に合わない。
であれば、カレンはどうするべきか――
フランクは次に、ユリウスに向かった。
「我々の両親はペトラが幼い頃に騎士の職務中に戦死し、それ以来、私たちは跡継ぎとして戦いの義務を免除されてきました。そのためペトラは命をかけて戦う者たちの存在を身近に知らないのです。……私が教育すべきことでした。世間知らずな妹の戯れ言のために、不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした」
「謝罪を受け入れよう、フランク。だが、不必要に強い言葉を使ったことは私の落ち度だ。すまない」
「いいえ。妹を厳しくお叱りいただきありがとうございます。これで、二度とあの白粉を手に入れようとは思わなくなるでしょう。お恥ずかしながら、中々懲りない妹ですので助かりました」
フランクの目から見ても、ユリウスはペトラのためにきつくふるまったように見えているらしい。
カレンが誤解していただけなのだろう。
毒のことも、ユリウスのことも。
――逸る気持ちを抑えようと、カレンは握りしめた拳を胸に当てた。