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研究熱に水

「つまりこれは毒なのだね? カレン」

「はい、ユリウス様」


はっと気を取り直してカレンは答えた。

カレンを後ろから引っぱったのはユリウスだった。

ユリウスに万が一にも毒の白粉を付けないよう、手にしていた白粉の小皿をカレンはそっと机に置いた。


「だったら今すぐ手を洗いなさい。集中していたせいか触れていたし、顔を近づけすぎて吸い込んでいた。問題はないのかい?」

「うわっ、本当ですか? 少しなら大丈夫だと思いますけど、あの、ユリウス様?」


好奇心がそそられて、つい身を乗り出しすぎていたらしい。


「早くここに手を。洗ってあげよう」

「いやいや、自分でできますので」


少し触れるくらいなら問題はないはずだ。

問題があってもポーションを飲めばいい。

だからもう少し毒白粉を見てみたい。観察したい。

感触を確かめるために、もっと触ってみたい。


笑いながら辞退しようとしたカレンをユリウスがじろりと見下ろした。

眼力でねじ伏せられたカレンははたと口を噤んだ。


「目を爛々と光らせながら毒を撫で、顔を近づけ、そのまま吸い込まんばかりだった君が? さっさと水盆に手を浸すように」

「……はい」


顔の綺麗な人間が怒りを滲ませると迫力が倍アップするのは、いささかずるい気がする。

不公平感を覚えつつ、カレンは大人しく両手をユリウスに差し出した。

容赦なくゴシゴシと手が洗われていく。


「毒の白粉、と出ているな。体を壊すとある」


ヴァルトリーデが自身の鑑定鏡で鑑定している。

カレンの鑑定鏡のように、毒の正体や壊れる体の部位はわからないらしい。

毒の正体を知らせるべきかどうか、と悩んでいたカレンだったが、目が合ったサラがカレンの鑑定鏡を胸に抱いて、ゆっくりと首を横に振っていた。

何も言うな、ということらしい。


「無魔力素材でポーションを作るには、素材に対する並大抵ではない理解が必要になるはずだが……カレン、そなたは暗夜の子、なのか?」

「アンヤの子? ですか? 父の名前は違います。あっでも、母の名前は知らないんですよねえ」

「ふむ。どうやら違うらしい」


カレンの答えを聞き、ヴァルトリーデはひとり合点した。


「何はともあれ、この白粉が毒であることはこれで証明できたというわけだ。カレン、礼を言う。これがあれば美を求めるあまり正体不明の白粉を手放せないエーレルトの令嬢たちを説得することができるだろう」


ヴァルトリーデはにっこりと笑った。

療養で世話になっているエーレルトのために喜んでいるらしい。


役に立てたなら、多少なりとも罪滅ぼしはできただろうとカレンが笑顔でうなずいたとき、フランクがカレンの足元に跪いた。


「錬金術師カレン様! この毒をどうしたら解毒できるのか教えていただけないでしょうか!?」

「えっ!?」

「カレンが驚いています、シラー卿。どうか落ち着いてください」


ユリウスに体を抱き起こされたフランクは、ガタガタ震えながら泣いていた。


「解毒のポーションを飲ませても効かないのです! これまで大勢の医者や、治癒術師、錬金術師にも見せましたが、治らないのです!!」


半ばユリウスに取り押さえられたような格好で、フランクは叫んだ。

カレンはその必死の形相に息を呑んだ。


「妹です。私の、たったひとりの妹が……! どうか解毒の方法をお教えください!」

「解毒のポーションが効かない、ですか……」


カレンは解毒のポーションを作れない。

つまり、解毒のポーションのことを何も知らないということだ。

首を傾げるカレンの横で、ヴァルトリーデが言った。


「解毒のポーションは毒の魔法を無効化するだけで、体に害のあるただの物質にはあまり効果がないのだと聞いた覚えがある。もしやそのせいか?」

「へえ、そういうものなんですね」

「どうして錬金術師のそなたが知らないのだ?」

「まだEランクの錬金術師になったばかりで、やっと先達の論文を読めるようになったところなんです」


EランクになってすぐにEランクに許可された棚に走って論文を読みあさったけれど、そこまで有用な情報は得られていない。


「なるほど。Eランクでは読める論文の質もたかが知れているだろうな。試してみたが何の成果も得られなかった、という論文ぐらいしか読めぬであろうし。可能性を潰すという意味では無意味な研究ではないがな」

「そうなんですか!? いえ、確かに、そんな感じの論文ばっかりですけれども……!」

「安易に知識を広めると、社会に混乱をもたらすだけゆえな」


水銀製の白粉を見たばかりなので、ヴァルトリーデの言葉は深く刺さった。


「誰でもポーションを作れる世界では、誰でも毒が作れてしまいますか……」

「そういうことだ。だからそなたたちに与えられる知識は制限され、試されるのだ」

「嫌な世の中ですねえ」


カレンは溜息を吐くと、ヴァルトリーデからもらった知識をもとに考えてみる。


「おそらく、殿下の予想が当たっているのだと思います。この毒のポーションの素材は、ポーションにならなくとも体に悪影響で、猛毒なんです。だから解毒のポーションを飲んで、毒の魔法を解除しても、あまり効果がないのだと思います」


以前、サラを蝕んでいた毒も同様だったのかもしれない。


「この毒を解毒する方法は、自然に排出されるのを待つ方法しか知りません」

「そんな……! 何か、解毒の薬などはないのですか!?」


万能薬が思い浮かぶが、あれは作ろうと思って作れるものではない。

試してみようとは思いつつ、カレンは頭をおさえてうんうんと唸った。

前世のお医者さんならもっと違う方法を知っているのかもしれない。

だが、カレンは前世の近所の妊婦さんが水銀を避けるために好物の魚を食べ控えていた話しか知らない。


つわりで辛そうなときにお使いを買って出ていた妊婦さんだ。

魚には微量の水銀が含まれているが、大人なら自然に排出できる程度で問題ない。

だが赤ちゃんは自然に排出できないから、水銀が多めに含まれるとされる好物の魚を食べられないと嘆いていた。


「どうか妹をお救いください。私のたった一人の家族なのです」


フランクは、妹を助けるためにヴァルトリーデに協力していたのだ。

女神を呼びつつカレンに向かって祈るように手を組み合わせて、フランクは涙を流した。


「ひとまず、妹様のご様子をうかがいたいです」

「ぜひお願いします」


カレンは一端部屋に戻りフランクの妹のところへ向かう準備をした。

その準備を手伝いながら、サラが言った。


「カレン様、暗夜の子、というのは、とある組織の名前です」

「組織の名前?」

「……主に、捨てられた子どもたちを集めて使う犯罪組織です。この組織は主に毒を扱います。無魔力素材の毒を扱うために、子どもたちを教育するのです」

「わたし、王女様にその組織の人間だって思われたんだね」


無魔力素材について詳しすぎて、ということなのだろう。

犯罪組織に関わっていると疑われたのは恐いものの、会話の中で自然と疑いは解けたようだったので、カレンは胸を撫で下ろした。


「カレン様が暗夜の子であるはずがないのですけれどね……あそこでは、毒への『理解』を深めるために、たった一つの毒しか与えられないのです。カレン様のように、様々な無魔力素材への理解があるはずがないのです」

「たった一つの毒を……与える?」


妙なニュアンスにカレンが首を傾げると、サラが無表情でうなずいた。

その紫色の目が暗い。


「組織は子どもに毒を与えます。育てさせ、触らせ、食べさせて――ありとあらゆる方法でその毒への理解を深めさせ、体に叩きこむのです。そうすることでやっとその毒をポーションとして扱えるようになる子が出てくることもある……死ぬ子がほとんどですけれどね」

「……そんな」


愕然とするカレンを、サラが感情のない目で見つめた。


「ですから、どうか、決して素材の名前を口になさらないでください。毒になる素材だとあの組織の者に知られれば……無魔力素材の毒ポーションを扱える子どもを育てようと、新たな毒を与えられる子が出てしまいます」

「ごめん、わたし、軽率だった」

「あの場であれば問題はないでしょう。皆様身元の確かな方々です。ですが今後はお気をつけください」


サラは無表情のまま言うと、カレンの荷物を持って先に部屋を出た。

カレンはその後を慌てて追っていった。


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