前へ次へ
54/77

祝杯のそのあとで2

以前なら、ナタリアにしか言えなかった。

けれど何故か、ユリウスになら言える気がした。

とはいえ受け入れてもらえると思ったわけではなかった。

案の定、ユリウスはまるまると目を見開いている。


「わたしにはエーレルトという後ろ盾があるので、グーベルト商会という大商会を後ろ盾に持つマリアンを罰することができる……それはマリアンが悪だからではなく、わたしが強者だからです。でもそれって、おかしいだろうと思うんです」

「おかしいだろうか」


極端に言えば、役に立たない弱者は無実でも生きる価値がないからと叩き潰されて、役に立つ強者は何をやっても許される世界だ。

そんなのおかしいに決まっている。


「わたしはおかしいと思ったから、謝ってもらって、金輪際近づかないでもらって済ませようとしたんですけど……マリアンを無罪放免で解き放つのはグーベルト商会の他の被害者の人たちを見捨てることと同じだって、わたしはもっと早く気づくべきでした」


カレンが強者の鉈を振るわなくとも、グーベルト商会が鉈を振るうことをやめるはずもない。

強者に手出ししたことを後悔して、強者に対して媚びただけで、罪を罪だと認めて反省したわけじゃない。

だから弱者に対して、カレンにしたのと同じようにふるまうはずもないということが、抜け落ちていた。


「被害者の会のことなら、君がそのように気にする必要などないことだろう」

「強者に弱者を守る義務なんてないですもんね」

「そうだよ、カレン」

「でもわたしは、強者は弱者を守るべきだと思うんですよ」

「……戦えずとも別の方法で国を守る力を持つ者を武力を持つ者が守るべき、と言っているわけではないようだね」


カレンが言っているのは、何の力もない人だって守られるべきだということだ。


「そのような考えを他者に強制することはできないよ、カレン。ましてや強者に」

「エーレルトは被害者である弱者を救済しようとしてくださっていますけど」

「被害者救済の名目で、グーベルト商会に圧力をかけているだけだよ」

「まあ、そういうことなんだろうなとは思っていました」


サラとも微妙に話がすれ違っていた。

カレンの中にある価値観も、倫理観もカレンだけのもので、この世界の人にわかってもらうのは友人相手でも難しい。


「だったら、わたしが戦わないとダメみたいですね」


それが、カレンが変わるべきだと思っているこの世界のルールにのっとることであっても、まずは戦わないと何も変わらない。


ならば先にカレンが変わるしかない。


「君が甘さを捨てるという話なら歓迎するよ。理由はなんであれ」

「理由はなんであれエーレルトの方々が被害者を保護してくださってよかったです。後から気づいたらわたし、罪悪感で辛かったです」

「……グーベルト商会の被害に遭った者たちに君が罪悪感を抱くいわれなどないだろう? 君は何を言っている?」


信じられない、と言わんばかりのユリウスに、カレンは苦笑した。


「これはわたしの考え方の問題なので、お気になさらず」

「……この世界の価値観はおかしくて、自分の考えの方が正しい、か。恐ろしく傲慢な考え方だ」

「そう思いますよね」


理解されるわけもない、と内心息を吐いたカレンに、ユリウスは言った。


「その傲慢を貫き通したいなら、君はもっと上に行く必要がある」


カレンは息を呑んでユリウスを見上げた。

ナタリアだって、カレンの話を聞いてはくれるけれど、具体的にどうすればそう(・・)なれるかを一緒に考えてくれたことはない。


「女神に近づいた者の言葉は、女神の言葉と等しく扱われる」

「それはつまり、階梯を上がらないといけない、ってことですね」


魔物を倒して魔力の器を成長させた者は階梯を上った、と表現される。

階梯の先、はるか高みにいるとされているのは女神である。

カレンは眉をひそめた。魔物と戦わなければいけないのはかなり厳しい。


「魔力のランクを上げることだけが階梯を上ることになるわけではない。錬金術師の場合は、女神の神秘に触れた者もまた、階梯を上がったために手が届いたのだと言われている」

「女神の神秘……」


つぶやくカレンの耳元に、ユリウスが唇を寄せた。


「たとえば君の万能薬」


びくっとして身を引いたカレンを見下ろし、ユリウスは言った。


「それこそ女神の秘匿する最上の神秘の一つだろう」

「……だとしたらわたしは、すでに意外と高いところにいたりして」

「それを他の者たちに証明し、認めさせなくてはならない」


照れて冗談めかして言ったカレンに、ユリウスは生真面目に答えた。

だからカレンもまた、冗談めかすのをやめた。

ごくんと息を呑み、真剣に答えた。


「……じゃあわたしは、Sランクの錬金術師を目指します」


強者絶対の世界を変えるためには、強者にならなければいけないとは矛盾だが、まずはそこからしかはじまらない。

口にすることすら恥ずかしく、緊張した面持ちで言うカレンに、ユリウスは苦笑した。


「君は思っていたより恐い人だな」

「恐い、ですか?」


ユリウスはカレンの考えを傲慢だと言った。

そう言われて当然だろうと思ったし、恐れられるのも無理はないだろう。


「君の考えは特異だ。側で見ていないと何をしでかすかわからなくて危険な目に遭うのではないかと恐ろしいし、Dランクの魔力量であるはずなのに本当にSランクの錬金術師になるだろうと私に思わせてくれるところが、なんとも恐ろしい」

「……え?」

「だから、君の側で守らせてほしい」


ユリウスは跪くと、手にしていたサシェの瓶を置いて、カレンの手を取る。

目をまん丸にしたカレンの手を取ったまま、ユリウスはカレンの目を見上げて言った。


「君がSランクの錬金術師になるのなら、私はSランクの錬金術師を目指す君の行く手を阻む茨を断ち切る剣となろう」


そう言って、カレンの手にユリウスが口づける。

カレンはぽかんとユリウスを見下ろした。


ここには、誰も見ている人などいない。

パフォーマンスなどする必要はどこにもないのに。


カレンの心臓がじわじわと、これまでとは違う音を立てはじめる。

ユリウスの綺麗すぎる顔を近づけられたり、求婚の演技を見せられたときとも、贈り物に口づけを示唆されたときとも違う。


口づけられた指から、くらくらするような熱い高揚感が体中を血のように巡るのを感じる。

油断するとうっかり涙が出そうだった。


「もう夜遅いから家の中に入りなさい、カレン」

「……はい」


ユリウスは立ち上がると、空を見上げて月の高さを確認して言う。

カレンはこくりとうなずいた。


「おやすみ、カレン」

「おやすみなさい、ユリウス様」


家の中に戻り、カレンはサラの眠るベッドの中に滑り込む。

目を閉じるとまぶたの裏に黄金の星がいつまでもきらきらと瞬き続けていた。


前へ次へ目次