祝杯のそのあとで
真夜中に、ふとカレンは目が覚めた。
隣に眠るサラを起こさないようそっとベッドを抜け出し、弟のベッドで眠るナタリアを起こさないように抜き足差し足で部屋を出る。
上着を羽織って玄関扉を開けると、そこにはユリウスが立っていた。
カレンとユリウスは、しばし見つめ合ってしまった。
「夜中に扉を開けるだなんて感心しないな」
「……何をしていらっしゃるんですか?」
「バレてしまったなら仕方ないか。護衛だよ。君には当家の騎士の護衛が付いているんだ」
「……ありがとうございます。以前からそんな気はしていましたけれど、ユリウス様が護衛はおかしくないですか??」
エーレルト伯爵邸から帰還後、ほとんどの人たちはカレンを詐欺師呼ばわりしなくなったものの、時折当たりの強い人もいる。
だが、カレンが絡まれそうになると見覚えのあるようなないような強面の男性が庇ってくれ、颯爽と立ち去るのだ。
「今日は君にとって喜ばしい祝いの日だったろう? 親しい友人が集まる祝いの場に顔を出すのは邪魔になるだろうから遠慮したが、君の側にいたくなって夜勤の者と代わってもらったのだよ」
まるでカレンのことが好きかのような言い草だが、それは一度本人に確認して否定されている。
だからユリウス流の意味深な言葉の綾なのだろう。
カレンはサクッとスルーして言った。
「ユリウス様なら歓迎しましたよ。ナタリアはキャーキャー言うだろうし、サラはちょっと緊張しちゃうかもしれませんが……さすがに今はもう、うちには女の子が二人寝ているので、入れられませんけどね」
「女性たちの気兼ねない集まりの雰囲気を壊すつもりはないよ」
そう言うと、ユリウスはカレンに向き直った。
「Eランク昇級おめでとう、カレン。まさかここで会うとは思っていなかったので、何の贈り物も用意していないんだ」
「ありがとうございます、ユリウス様。お気になさらず……あっ、ちょっと待っていてください!」
カレンはユリウスの贈り物という言葉で思い出したことがあり、家の中に駆け込んだ。もちろん忍び足だ。
急いで用事を済ませて玄関に戻ると、カレンは手にしていた瓶をユリウスに差し出した。
「はい、ユリウス様にこれをあげます」
「これは……サシェかな?」
カレンはうなずいた。
瓶の中には色とりどりの布で作ったサシェの香り袋が詰まっている。
「実験の結果、サシェは身につけていると香りが薄れるのと同時に魔法効果もなくなることがわかりました。でも、使わずに置いておけば時間経過で今のところ一週間程度は効果が消えないとわかっています。もしかしたら、使わない限り効果はなくならないかも? ちょっとわからないことだらけで、すみません。まだ時間が足りなくて。魔力耐性を付与された瓶に入れたので、もっと効果が持つかもと思うんですけど――」
「どうしてこれを私に贈ろうとしているのかな?」
ユリウスの顔に影が差す。
「これは、きっと鎮静の魔法効果があるサシェなんだろう? どうして贈り物を贈られるべき存在である君が、私にこんなものをくれるんだい? もしや、何かに気づいたのかな?」
「先日いただいたジュエリーのお返しですよ。気づくって何ですか?」
「ジュエリー? ……ええと、ジークの快気祝いの時の?」
虚をつかれたような顔をするユリウスは、カレンの問いに答えなかった。
些細な疑問をすぐに忘れ、カレンは重々しくうなずいた。
「あんなもの、対価もなしにいただけません。ですがお返ししてもユリウス様は受け取らないでしょう。ということで、サシェ一生分を贈呈します」
「サシェ……一生分?」
「はい。ユリウス様は護国の戦士でいらっしゃるので、今後も魔力酔いに悩まされることはあるでしょう。ご家族に、魔力酔いする姿を見られたくないんですよね?」
カレンの問いに、ユリウスはゆっくりとうなずいた。
「ああ。絶対に見られたくない」
「じゃ、受け取ってください。とりあえずのところはこの瓶一個分! これがなくなったら補充するので、言ってくださいね!」
ユリウスはどこかぼんやりした顔つきで瓶を受け取ると、ぽつりと言った。
「……ありがとう、カレン。私にとって魔力に酔う姿を家族に見られることが何より恐ろしいことなんだ……」
「これで貸し借りナシ、ということでいいですね? わたしがあのジュエリーに負うものは何もない、ということで。そりゃ、サシェは簡単につくれるものですけど、今のところはわたしにしか作れませんし――」
「私が借りたものの方が圧倒的に多いよ、カレン」
屁理屈をこねるカレンに、ユリウスが笑った。
「どうしよう、カレン。君に贈り物をしたくてたまらない。今すぐこの場で私にできることで何か、君に返せないだろうか? 私は女性によく口づけを求められることが多いのだが――」
「恩を仇で返す所業!」
「脳は溶けないから耳を押さえるんじゃない」
ユリウスは頑なに耳を押さえる続けるカレンを見下ろし眉尻を下げた。
「――困ったな。カレンに返したいわけではなく、私がしたいだけだな、これは」
「今、何か言いました?」
カレンは耳を塞いでいた手を外して言う。
「何でもないよ、カレン」
「ですが今、困った、と唇が動いたような」
「君の優しさに感激してしまったが、その気持ちを表す適切な方法が思いつかず困っていてね。そのような気持ちはないのに、短絡的な方法しか思い浮かばないんだ。何故だろう?」
「ユリウス様はわたしに贈り物をしたいと思ってくださっている、ということですよね? なら、わたしと同じように動いてくれますか? これならわたしも嬉しいですし」
カレンは右手を掲げた。すると、ユリウスも怪訝な顔をしつつまねして片手をあげる。
その手にパチンッとカレンが手を合わせにいくと、ユリウスは弾かれた自分の手を見てきょとんとした。
「ふふふ。贈り物、いただきました」
「手を打ち合わせたかったのかい? だが、さすがにこれは贈ったうちには入らないよ」
ユリウスは困惑顔だが前世にはハイタッチ会などというものも存在していたものである。
誰のハイタッチでも価値があるわけではないが、ユリウスならば十二分。
「何はともあれわたしは大満足です。そろそろ寝ますね。家の中には入れてあげられませんし、心臓に悪いのでユリウス様が不寝番はやめてください」
「君は今後、人の気配がしても決して扉を開けないように。たとえそれが見知った人物であってもだ。君は女性で、世の中には私のような悪い男もいる」
「ユリウス様が悪い男ですか」
笑うカレンに、ユリウスは表情を消した。
「私は本気で言っているのだよ、カレン。君の心優しさは美徳ではあるが、その甘さは欠点でもある。君は人を許しすぎる。それではいずれ君は危険な目に遭うだろう。護衛はするが、君自身も変わらなければならないよ。君には力があり、やがて多くの人に求められる存在なのだから」
ユリウスを見上げたカレンも笑顔を消した。
しばしユリウスと見つめ合ったあと、カレンは口を開いた。
「これまで変わるべきはわたしではなく、この世界の価値観の方だと思って生きてきました」
カレンの言葉に、ユリウスは虚を突かれたような顔をした。