昇級試験
「カレン、薬草摘んでんの? おれたちが売ってやるのにー」
「昇級試験のために使うから自分で摘まないと」
「そうなんだ」
「がんばれよー」
「ありがとー!」
ダンジョンの一階層を公園代わりにする子どもたちに絡まれつつ、カレンは薬草を摘んでいく。
アースフィル王都のダンジョンの一階層はただっぴろい草原だ。
空を見上げれば青空が広がっていて、太陽があり、白い雲が流れている。
森が見えるが森には行けない。
遠くに山が見えるが、そこに行くにはダンジョンの門を通らないといけない。
森のあたりが二階層、山の天辺あたりは十階層だ。
地形的には上に登っていく形だが、階層としては『潜る』という言い方をする。
浅い階層ほど魔物は弱く、階層が深くなるにつれて魔物は強くなっていく。
すべてつながっているように見えて、門をくぐらないと行き来できない。
だが、魔物は門をくぐらない。
一階層の草原にいれば、弱い魔物としか遭遇しない。
だから子どもたちは公園代わりにしているし、カレンは薬草やハーブをこの階層で採取する。
ダンジョンに満ちる魔力を体に溜め込めると信じて、深呼吸する。
「昇級試験、受かるかな……」
カレンは薬草を摘みながらぼんやりと思う。
薬草は自分で摘む方がポーションをつくる時の魔力効率がよくなる、というのは平民学校で学んだことだ。
微々たる差だと聞いていたし、これまでカレンがポーションをつくるときにも、自分の手摘みとそれ以外との違いはまったくわからなかった。
だから、忙しかったカレンはお小遣い稼ぎのために薬草を摘んでくる子どもたちからよく薬草を買っていたものである。
だが、その微々たる差が昇級の分かれ目になるかもしれないのだ。
カレンは薬草を摘むと、薬草が新鮮なうちにと外に出るための門に向かった。
ダンジョンの門は二本の漆黒の柱だ。
その間を通るとカレンたちは一瞬にして建物の中にいた。
あとから人が出てくるかも知れないので、すぐにその場を離れるために進んでいく。
建物の中の二本の柱の反対側には、ダンジョンに入ろうとする人たちが列を成している。
どちらからでも入れるけれど、入る人と出る人が混雑しないように片側から入って、片側から出ることになっている。
まっすぐに進んで出口からカレンは門の神殿を出た。
すると、晴れ渡っていたダンジョンの中とは違い、重たい灰色の空から土砂降りの雨がアースフィル王国の王都に降りそそいでいた。
「……雨に濡れたら薬草が悪くなっちゃうな」
カレンは薬草を摘んだ籠をローブの中に抱え込みつつ、足が重たく感じられてくる。
薬草が悪くなって、それで昇級試験に落ちることが目に見えているのなら、わざわざ受けるのは愚かなことなのではないか。
ローブの帽子を被って準備を終えても中々雨の中に足を踏み出せずにいた時、馬車が神殿の前に止まった。
「カレン、送っていくよ」
「ユリウス様」
馬車で現れたユリウスにカレンは目を丸くした。
ユリウスを待たせるわけにはいかないし、カレンは出口を塞いでいて通行の邪魔になっていた。
押し出されるようにユリウスの馬車に乗ると、馬車は出発した。
「これからEランクになるための昇級試験だと聞いたよ、カレン」
「もしかして、応援に来てくれたんですか?」
カレンはローブの中から濡れずに済んだ薬草の籠を取り出しながら言う。
ユリウスは微笑んで答えた。
「君が昇級試験に落ちてしまったあとで王都に異変が起ころうとも、私が君を守るから心配しなくともいい、と伝えにきた」
ご近所のおばちゃんたちは、ダンジョンの様子がおかしいと言っていた。
だとしたら、Fランクのままでいては危ない。
恐らくエーレルト伯爵家に助けを求めれば助けてくれるだろうとは、ユリウスに言われる前から思っていた。
だが、それは違うだろうとも思っていた。
カレンはくすっと笑いをこぼした。
「とても甘い誘惑、どうもありがとうございます、ユリウス様。命がかかっているのだからユリウス様を頼ったっていいじゃないか、と思えてしまうその誘惑、心がぐらっぐらに揺れますね」
「そう言うわりには、君が私の手に落ちてくれたという手応えが感じられないな」
「ユリウス様のおかげでやる気が湧いてきました」
落ちてしまったらどうしようと思っていた。
所詮はFランクの魔力量では難しいのだと、分不相応な望みだと思い知らされてしまったら恥ずかしい。
己の無能を思い知り、恥をかくくらいなら――と頭を抱えていたけれど、昇級試験に落ちたあとにこれほど甘い妥協の誘惑が転がっているのなら、『仕方なかった』と思えるまで力を振り絞るしかない。
死力を尽くさずして、この男の前に立つ方が恥ずかしい。
「ユリウス様はいつもわたしをやる気にさせてくれますね」
「私との結婚で妥協してほしかったのに、逆効果だったか」
そう言うユリウスの口調はおどけたもので、本心ではないのが伝わってくる。
カレンが笑っていると、ユリウスは目を細めた。
「応援しているよ、カレン」
「ありがとうございます、ユリウス様」
錬金術ギルドの前まで送ってもらい、カレンはお辞儀をすると中に入った。
Eランク昇級試験会場、と書かれた案内に従い奥に入る。
錬金術ギルドの中にある錬金工房に到着すると、カレンと同じように昇級試験を受けようとしている錬金術師がチラホラいた。
十代前半がほとんどだが、中には三十代後半や、おじいさんもいる。
中に入ると、椅子に座っていたナタリアが立ち上がって近づいてくる。
「カレンはあの錬金釜を使ってちょうだい」
「あっ、古いやつだ……」
「誰にどの錬金釜を宛がうかは抽選で決まるのよ」
魔力耐性のある錬金釜の方が、ポーションをつくるときの魔力効率はよくなる。
カレンに宛がわれたのは魔力耐性のコーティングがされた鉄の錬金釜で、正直に言えば錬金工房にある釜の中ではあまりよろしくないものだ。
カレンが自宅で使っているただの鍋よりはずっといいものだけれど。
案内された錬金釜の前で、カレンは椅子に座って静かに待った。
やがて、受験者たちの前に出たナタリアが言った。
「三の鐘が鳴ったらEランク昇級試験の開始よ。合格条件は、明日の三の鐘が鳴るまでに小回復ポーションを五十本作ること。途中退室は不可だけど、隣の洗面所と仮眠室は貸し出しているわ」
「飯はどうすればいいですか!」
「持ち込み可よ。それぞれ持ってきているわよね?」
「エッ、マジで!? 買えないのかよ!」
「初の試験だとよく忘れる人がいるのよね」
受験の少年が慌てている。
カレンも初の昇級試験だが、ありがたいことにナタリアの助言により念入りに事前準備をしてきたので、用意は万全である。
少年は頭を抱えて嘆いている。
だが、試験は定期的に開催されているから、今回落ちてもまた受ければいいのだ。
カレンも、たとえここで落ちたとしても、また試験を受ければいいのだ。
「錬金用の水はなくなれば補充してあげるから、水を飲んでしのぐのね」
ナタリアは嘆く少年に無慈悲に言い渡すと、カレンたち受験者全員に向き直った。
その瞬間、三の鐘が鳴り始める。
「これよりEランク昇級試験を開始します」
カレンたちは一斉にポーションづくりに取りかかった。