仕事内容 マリアン視点
商業ギルドで会議室を借り、ギルド員の立ち会いのもと、マリアンは魔法契約を結んだ。
マリアンの手の甲が赤く輝き、契約印が現れる。
手の込んだことだ、とマリアンは契約印を見下ろしながら思った。
平民同士だと勝手に魔法契約を結べば強要を疑われた場合、裁判で魔法契約の解除を命じられることもある。
だから商業ギルドで証人を立てるのが普通だ。
だが、サラはエーレルト伯爵家の人間だ。
貴族が平民に魔法契約を結ばせる場合、誰の許可も必要ない。
平民が不当な契約だと騒いだところで誰も気にはしないのに、手順を踏んだ。
「では、あなたの主人として命じます。今後決して、カレン様のためにならない行動をしないように」
曖昧な命令だった。こういう曖昧な命令にどの程度従わなければならないかは、命令の受け手であるマリアンの知能によって決まる。
アホには具体的な命令をしないと伝わらないが、命令の機微を理解できるマリアンのような人間にこの手の命令を投げかければ、命令一つでかなり行動を制限できる。
「そろそろ私に任せる仕事というのを教えていただけないでしょうか、サラ様?」
会議室からギルド員が出ていくのを見計らい、マリアンは微笑んだ。
カレンに身売りするとなればナタリアが横から口を挟んでくることは想像できていた。
だが、エーレルトまでもが口出ししてくるとは予想していなかった。
それでも、カレンのもとで無為に時間を浪費させられるくらいなら、むしろエーレルトのサラを主人に持てたことはよかったのかもしれないと、マリアンは気持ちを切り替えた。
カレンが本当にこれからもポーションを作り出せるかなんてわからないのだ。
錬金術師の誰もが新種のポーションを生み出せるわけじゃない。
そんなカレンの側で働くより、エーレルト伯爵家の関係者の下で働く機会を得られるなんてありがたいくらいかもしれない。
十年後でも、マリアンはまだ三十代。
いくらでもグーベルト商会のために働ける年齢だ。
持ち帰れるものは多ければ多いほどいい。
「今はまだカレン様の手がけるポーションは日の目を見ておりませんが、いずれは世の中を席巻することとなるでしょう」
「商売が絡むお話でしたら、私の得意分野ですわ」
マリアンは内心笑みを浮かべた。
カレンの力が本物なら、何が何でも償ってみせる。
錬金術の現場におらずとも、カレンのためにできることなどいくらでもある。
自分はバカバカしいほどのお人好しの兄を見殺しにしたケダモノたちとは違う。
――久しぶりに思い出した兄のあの底の抜けたような人の良さが誰かに似ていることに気づかずにいられるよう、マリアンは作った笑顔の裏で奥歯を食いしばった。
はじめてカレンを見た時から苛々した。
あの当時、生きている価値もなかったライオスを甲斐甲斐しく世話するカレンの姿が憎らしかった。
泥遊びだの火遊びだのと言いながら、たまたまできた石鹸をライオスに与えるカレンを見た時、許せない、と思った。
役立たずに価値あるものを与えるなんて許せない、と。
価値あるものを隠していたなんて許せない、と。
あの瞬間のカレンは、死んだ兄にも兄からもらったポーションを隠す流民たちにも見えて、気づいたときにはマリアンは石鹸のレシピをグーベルトに持ち帰っていた。
あの時は、流民が兄から奪ったものを取り返したような気分だった。
だがもしも、自分がしたのがまったく反対の行為だったなら――。
「マリアン、あなたにはこれからの十年で、カレン様の邪魔となるグーベルト商会を潰していただきます」
サラが口にした仕事内容に、マリアンは笑みを強ばらせた。
「お待ちください。何かの比喩ですよね?」
「比喩などではなく、あなたのご実家の商会を叩き潰す予定だと言っています」
「は……!? うちは関係ありませんよ!?」
すべてはマリアンのやったことだ。
この身一つから出た錆であり、グーベルト商会は無関係である。
そういうことにするために、マリアンは自分の身まで売ったのだ。
「関係あるのですよ、マリアン。あなたの父も兄たちも、石鹸を考案したのがあなたではないことなど最初からご存じでした。調査した当家の者の話によれば、もう何年も前のことですから、まさかご自分たちが調査をされているなどと気づきもせず、娘は、妹はよくやったと、とんだ間抜けがいたものだと、盗んだものであることを承知の上でそれをよしとして扱ってきたのだと、ペラペラと白状してくださったそうです」
「そんな……!」
エーレルトの快気祝いから帰ってから、真っ先に父と兄たちには面倒事が起きたことを知らせた。
だから、それ以降は誰もが石鹸にまつわる事柄については貝のように口を噤んでいたはずだ。
ならばそれ以前からグーベルト商会にはエーレルト伯爵家の目が入り込んでいたということだろう。
いつから睨まれていたのか、マリアンは冷や汗をかいた。
「私が年季労働者になったんだから、許してくれる約束でしょう!?」
「石鹸の作成と販売については許しましょう。それとは別に、ただ存在を許せないという理由で潰すこともあるでしょう?」
「こ、こんなこと、カレンが望むはずないわ。あの甘ちゃんが! だからカレンに言え、ば――っ、ぐ!?」
ドクン、と心臓が異様な音を立てて、激しく痛んだ。
言葉を続けられなくなり、マリアンは脂汗をかきながら胸を押さえて体を折りたたむ。
そんなマリアンを見下ろして、サラは淡々と言う。
「命をかけた契約に抵触しかけると、心臓がひどく痛むのですよね……とてもとても、痛いですよね? 私も昔、同じ魔法契約を結んでいたことがあるからわかります。その痛みがより激しくなるのを我慢して、それでもなお魔法契約を破ろうとすると、次は肺が潰れて息ができなくなるのです……もしも勇気があればやってみてください。とてもとても、苦しいですけれどね」
「ウウ……ッ」
マリアンは体をくの字に折ったまま、胸を押さえてボタボタと涙を落とした。
今だって死ぬほど痛いのに、更にひどい痛みに耐えることなど、マリアンには想像もできなかった。想像したくもなかった。
「あなたが賢い方でよかったです、マリアン。それをカレン様に言うことがカレン様のためにならないことを理解できる方でよかった。そんなあなたであれば理解できますよね? カレン様のものを奪ったにも関わらず、開き直ってのうのうと存続している商会の存在がカレン様のためにはならないと」
「邪魔にだって、ならないわ……!」
「いずれグーベルト商会がカレン様を邪魔に思う日が来るのではありませんか? 競合する商会を食い潰して大きくなった商会ですからね」
「ッ……!」
父も、兄たちも、みんなヨハンを愛していた。
だからヨハンの死を皮切りに、グーベルトの者は慈悲の心を捨てた。
弱者を切り捨て、時には踏みにじってでも強くなることだけを追い求めた。
ただ、冒険者のために。戦う者たちにとっての最高の商会となるために。
だからサラの言葉通りになる可能性はあると、マリアンは気がついてしまった。
「命をかけて戦う騎士や冒険者のための商会という理念には大変心が打たれました。グーベルト商会が潰れることで護国のために戦う方たちが不利益を被ることがないようには配慮させていただきます。ですから安心して叩き潰していいですからね」
青ざめたマリアンを見下ろして、サラは紫の目を細めて微笑んだ。
「自分の罪から目を逸らすために、カレン様のためになる仕事がしたかったのでしょう? 存分に腕をふるってくださいね」