延期決定
「やっと耳を傾ける価値のある提案が出てきたようですね」
「どうするの、カレン?」
サラとナタリアに尋ねられたカレンは、でも、と飲んだ息を吐き出した。
「いらないや」
「いらないって、どういう意味よ」
マリアンが片眉を跳ね上げる。
そんなマリアンを見つめ、カレンは言った。
「わたし、マリアンいらない」
「なっ!? 私が一体、どれだけの覚悟をしてこの契約書に名前を書いてきたと思っているのよ!!」
「そんなこと言われてもなぁ」
年季労働者になるということは、身を捧げるということだ。
贖罪の念を示す最上級のやり方だと言っていい。
「カレン様は、他にどのような形でマリアンに償わせるおつもりだったのですか?」
サラの問いに、カレンは頬をぽりぽりと掻いて言った。
「わたしはただ、謝ってもらいたかっただけだよ」
「……ごめんなさい。これで満足?」
「うん、満足した」
普段なら、死んでもカレンに謝ることもないだろうマリアンの謝罪だ。
ふてくされたような言い方でも構わないと、カレンはこくりとうなずいた。
「これで手打ちにしてあげる。それでおしまい」
「カレン様、それでは手ぬるすぎます」
「そうよ、カレン。罪を犯した者には罰を与えなくてはならないわ。たとえあなたが気にしていなくとも、名誉を奪われ侮辱されて、そのまま放置するのは面子に関わるわ。カレンを支持するエーレルトの面子もかかっているのよ」
「気にしていないわけじゃなくってね」
サラとナタリアが眦を吊り上げて怒っている。
何か誤解がある気がするなと思いつつ、カレンは言葉を探して首をひねった。
「マリアンが年季労働者になったとして、何をさせるの? わたしの仕事に関わらせるってこと? 嫌だよ。わたしはマリアンを信用していないし、わたしの錬金術に近づいてほしくない」
一度、レシピを盗んだマリアンだ。
謝ったから盗んだ過去は許しても、今後信じられるはずもない。
「……もうレシピを盗んだりしないわ。それが心配なら、契約書にそう書けばいいわ。私に命じてもいい」
「これはわたしがマリアンを信じられないっていう話であって、どうしたら信用できないマリアンに仕事を任せられるかって話ではないよ」
マリアンがぐっと唇を噛んだ。
マリアンがカレンの石鹸のレシピを盗んだのは幼い頃のことだ。
やはり子どもの頃のことだし、それ自体を責め続けようとは思わない。
そして、今もなおそのレシピを使って石鹸を作り続けていることは腹立たしいけれど、でも、原価ぎりぎりの値段で冒険者に石鹸を売るそのボランティア事業をやめろと言うつもりもない。
だから、圧力をかけられているというのなら、それは助けてあげようと思った。
言い訳を引き出し、同情できる点を探った。
だが、カレンの今後に関わってくるというのなら話は変わる。
「わたしに関わらせない方が、マリアンにとっては罰になる気がするんだよね」
「……何よ、それ」
「マリアン、うちにはね、お金がなかったんだ。だからわたしは未だに錬金するとき家庭用の鍋を使っているし、鑑定鏡だって最近まで、コモンのすら持っていなかった。わたしの特別なポーションは……コモンの鑑定鏡でも鑑定できたのに」
表記は揺れるし、曖昧だった。
けれどコモンの鑑定鏡があれば、料理や手作り石鹸がポーションになっていると気づくことは可能だった。
「お金さえあれば、もっと早くわたしは自分の才能に気づけた。あの石鹸をわたしが自分のレシピとして世の中に発表できていたら。その稼ぎで錬金術の設備を整えられたら。わたしはもっと早く、自分が血筋の祝福に効果のあるポーションを作れると気づいただろうね」
「それ、は……」
「もしもわたしが自分の才能に気づかずにいる間に亡くなってしまった血筋の祝福持ちがいたとしたら……それはマリアンのせいだと言えるんじゃないかな?」
「あ――」
カレンは、自分の才能に薄々気づきはじめる前に失われてしまった命のことは考えないことにしている。
怠惰だったわけじゃない。間違いなく、カレンは努力していた。
それでも気づけなかったのだから仕方がないし、気づいたあとは、ジークを救えたのだからそれで満足するべきだろう。
だが、もっと早く気づけたならと思ったときに、思い浮かぶのは石鹸とマリアンのことだ。
マリアンはカレンの言葉に蒼白になる。
たらればの話ではあるけれど、冒険者の兄の話をしたマリアンだからこそ、考えてみてほしかった。
「才能ある人間から我が身可愛さに価値あるものを奪って、才能ある人間の足を引っぱる、ね……」
「まるでご自身の兄を見殺しにした人々のような振る舞いですね」
「う、うちは……才能がないくせに、価値あるものを隠し持っているようなやつから奪うだけで……そんな、私、は、そんなつもりじゃ……!」
ナタリアとサラの言葉にマリアンは頭を抱えた。
虚ろな顔をするマリアンから顔を背け、カレンはサラとナタリアを見やった。
「わたしはこれから、新しいポーションをたくさん生み出し続けると思う。正直、自信がある。自分の力に気づけたからね。だけどそのすべてにマリアンを関わらせるつもりはない。マリアンには遠くからわたしの活躍を見ててもらって、自分が何の邪魔をしていたのか、指をくわえて見ていてほしい」
年季労働者になることが至上の贖罪だとするならば、カレンはマリアンに贖いの機会を与えるつもりはないと言っているのだ。
それが一番マリアンにとって辛い罰になると思うから。
マリアンに能動的に償わせるべきだと考えているらしい二人には理解しづらい考え方なのかもしれないが、カレンはここだけは譲れない。
やがて、先にナタリアがうなずいた。
「ようくわかったわ。それは確かに、マリアンにとってはより効果的な罰になりそうだし、独特でカレンらしいわ」
「カレン様のお気持ちはわかりましたが、対外的に罪を咎めることなく許したように見えてしまうのが問題です」
「まずいのかな」
「カレン様が与しやすい存在だと思われてしまうのもありますし、カレン様を身内としてお披露目した当家もまた、報復する力がないのだとみなされ、軽んじられてしまいます」
「わたしだけならともかく、エーレルトも巻き込まれるのは困るね」
「なので、カレン様の代わりに私がマリアンの年季を引き受けてもよろしいでしょうか?」
「サラさんが?」
「サラですよ――マリアン、構いませんね?」
サラが冷ややかに言うと、マリアンはのろのろと顔をあげた。
「……カレンではなくあなたに年季を売って、グーベルト商会は許されるの?」
「カレン様がよいとおっしゃるのであれば、石鹸のレシピを盗んでこれまで無断使用してきた罪を許し、今後も販売することを許可しましょう」
「わたしは別に構わないよ」
ライオスには腹が立つし、マリアンにもムカムカする。
グーベルト商会の胸ぐらを掴んでぐらぐら揺らしたい気持ちもある。
けれど、復讐よりもやりたいことが目白押しだし、せっかく錬金術が楽しくなってきたところなのだ。
マリアンという不安要素を近づけたくない。この点で妥協するつもりは一切ない。
「だったらこの身をあなたに売るわよ、サラ。カレンに売ったところでカレンがあなたに私の年季を譲渡したら同じことだもの」
「様を付けなさい、マリアン。私はあなたの主人となる人間ですよ」
そう言って、サラは契約書に年数を書き込んで、サインをした。
十年、と書かれていた。
「結構えぐい数字だね!?」
「カレン様がお気になさるといけないと思い、控えめな数字にいたしました」
ちょっとした犯罪者の年季である。
若干マリアンを心配しつつ見やったカレンだが、マリアンは年数を見ても動じていなかった。
「では、こちらの契約書を命をかけた魔法契約に書き換えて、責任を持って管理いたします。マリアン、行きますよ」
「行っちゃうの?」
「はい。名残惜しいですが、私は仕事をせねばなりません」
「今日はもうパーティーという感じでもないし、次の機会に持ち越さない?」
開けたブドウ酒の栓をキュッとしめると、ナタリアが言った。
「サラさん、これは依頼達成の祝いでもあったけれど、カレンが昇級審査に落ちた残念会でもあったの。どうせなら、カレンがきちんと昇級してから、依頼達成とEランク昇級のお祝いをしましょうよ。その時こそ、サラさんも一緒にね」
サラが嬉しそうにパッと顔を輝かせる。
ナタリアはカレンにウィンクした。
「カレン、次こそ受かってくれるわよね?」
「……頑張る!!」
「前途多難ね」
チクリと言うマリアンは全員に睨まれつつカレンの家を出ていった。
「はじめから謝ってくれたらなぁ」
マリアンに石鹸のレシピを盗まれたと気づいてはじめてマリアンを問い詰めた日に謝ってくれさえすれば、カレンはきっと快く許した。
石鹸を固形にするためのアイデアを提供さえしたかもしれない。
「あの女、本当にいい性格をしているわね」
「きちんと教育も行いますので、ご安心ください」
ナタリアに言うと、サラはぺこりとカレンにお辞儀をしてマリアンの後を追っていった。
ナタリアはどかりと椅子に座った。
「じゃ、今日は普通の夕食ってことにしましょうね」
「食べるものはあまり変わらないけどね」
「乾杯だけはサラさんが一緒のときに取っておきましょう」
そう言って、勝手知ったるカレンの家で、ナタリアはいつものように夕飯を食べて行った。