夢の終わり2 ライオス視点
「ライオス、別れましょう」
「なっ、何をいきなり」
日が落ちた庭園まで連れてくると、ランプの明かりで照らされた庭園の闇の中でマリアンが唐突に言った。
「おまえが顔に出すから、あの場であのガキに咎められられないよう助けてやった俺に対して、よくも!」
「助けてなんて頼んだ覚えはないわ。あんたが勝手に私を助けたのよ!」
マリアンの言い分にどこか既視感があり、ライオスはぞっとした。
非があるのはマリアンのはずなのに、マリアンは怒りをあらわにして怒鳴った。
「あんたと結婚して得られる利益よりも、不利益の方が多いと判断したわ! ジーク様の目を見た!? あんたを知ってた! あんたを憎んでいたわよ!」
「誤解があるだけだ! 貴族のくせに、詐欺に遭ったことにも気づいてない。弁明すればいい! カレンに血筋の祝福を癒やす力などないと、俺が証明できる!」
「どうやって?」
「俺は自力で治したんだ! カレンの助けなど借りていない!」
「そもそも、本当に自力で治したの?」
「なっ……!?」
「自力で治したと言うあんたの言葉を信じて、カレンを退けたのに――もしもあんたを治したのがカレンだって言うのなら、完全に話が変わるじゃない」
マリアンが爪を噛む。みっともないマリアンの癖だ。
いつもならその不快な癖を見れば指摘するが、今は言葉が出てこなかった。
「もし、あんたが助けられたくせにカレンを振った恩知らずなら、あんたなんかと結婚したらうちまでエーレルト伯爵家に睨まれるわ」
責任をすべて押しつけようとするマリアンに、ライオスはカッとなって怒鳴った。
「おまえだってカレンから石鹸のレシピを盗んだだろう!」
「十歳かそこらの頃よ。まだ子どもだったわ。いくらでも言い逃れできる」
「そ、それだけじゃなく、おまえは普段からカレンを馬鹿にしていただろうが――!」
「成人してる上に騎士になった途端にカレンを捨てた、あんたなんかと私は違う」
「だが、あの子どもは、カレンの正当な権利を取り戻すと言っていたぞ!」
「許しを乞うわ」
マリアンは淡々と言った。
あまりにマリアンに似合わない単語に、一瞬ライオスは何を言ったのか理解できなかった。
「……たとえ許してもらえなかったとしても、私だけ切り捨てればいい。父や兄たちは、商会は関係ない。あんたと別れさえすれば、グーベルト商会は傷を負わずに済む! それでもどうにもならなければ、考えがあるわ」
自分を切り捨てることさえ折り込んだマリアンの言葉に気圧されて、ライオスはたじろいだ。
「うちの商会は、冒険者のために、王都のために、この国のために働いているのよ! グーベルト商会がこの町を守っているの! 潰れさせるわけにはいかないのよ!!」
「マリアン――!」
「婚約解消を渋るようなら、あんたがカレンを捨てた張本人だと王国騎士団中にバラすわ」
ゲルルフが気づかなかったのは、不幸中の幸いだった。
だがもしも王国騎士団中にこのことが露見すれば、どうなるか。
騎士は高潔であることを求められる。
もしもカレンこそがライオスの血筋の祝福を抑え込み、生き延びさせたのだという噂を流されれば――その恩を仇で返したということにされたら、ライオスは騎士失格の烙印を押されかねない。
幼い頃から生きる心の支えだった騎士を辞めさせられるかもしれない。
目の前が暗くなるライオスに、マリアンは吐き捨てた。
「カレンにその命を助けてもらっておいて、それをわかった上でこれまでの振る舞いをしていたなら――私はあんたを心底軽蔑するわよ」
マリアンの底冷えする眼差しに、ライオスはカッと目の前が真っ赤に染まるのを感じた。
マリアンの腕を掴んで引き寄せる。自分が何をしたのか、何を言いたいのかもわからない。
ただ激しい怒りの感情に支配されていた。
「この――!」
「ッ、やめて、離して!」
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!」
「誰か――」
叫ぼうとしたマリアンの口を押さえた。
もがくマリアンを黙らせなければいけないという一念だけがあった。
さもないと、ライオスはすべてを失うことになる。
その首に手をかけようとしたとき、後頭部に何かがぶつかった。
「こらっ、何してるの!?」
息を呑んで声のした方を見れば、テラスにいるカレンと目があった。
テラスから、カレンがライオスたちを見下ろしていたのだ。
ライオスに向かって靴を投げたらしい。片足が素足だった。
その高さがライオスとカレンの今の立場の違いを表しているようで、ライオスは目眩がした。
その瞬間、手の力が緩んだのか、マリアンがもがいて逃げ出した。
一瞬、追いかけようかと思ったが、ライオスはカレンに言わねばならないことがあった。
忸怩たる思いでカレンを見上げ、ライオスは吠えた。
「俺はおまえに助けられてなどいない!」
「……そう」
カレンは何を考えているのかわからない表情でライオスを見おろしている。
馬鹿にしているに決まっていると、ライオスは怒りで体が震えた。
「おまえなんかのおかげで血筋の祝福を乗りこえたわけじゃない! 俺は! 自力で治したんだ!! 俺は俺一人の努力でここまできた! 騎士の座まで自分の力で登りつめたんだ!! おまえなんかのおかげじゃない!!」
「いいよ、それで」
「……何だと?」
いつも、カレンはライオスが何か言えばそれを肯定した。
ヘラヘラと笑いながら受け入れた。ライオスならば決して受け入れないような屈辱を、カレンは気にもしなかった。その程度の人間だからだろう。
だが、今ライオスが見上げているカレンはいつもと同じように肯定しているようで、何かが違っていた。
カレンはライオスを見下ろしている。
庭園のフェアリーライトに照らされるせいか、その水色の瞳に強い光が宿っているように見えた。