再会未満 ライオス視点
エーレルト伯爵邸に入るとき、ジーク・エーレルトが母親とともに招待客を出迎えていた。
話す機会が作れないかと思ったが、王国騎士団の団員たちと共に入場したため団体で処理されて、声をかけることさえままならなかった。
その前を通り過ぎることしかできず、ライオスは内心溜息を吐いた。
かつてどん底にいる自分を嘲笑うかのように、毎日健康な体を、その体で謳歌できる人生を見せつけてきたカレン。
今度はライオスがカレンを嘲笑う番だった。
嘲笑い、だが慈悲の心でどん底から掬いあげてやろうとしたというのに、そこへユリウス・エーレルトが現れた。
まるでカレンに懸想をしているかのような物言いを残し、混乱するライオスたちを置いて去っていった。
どういうことなのかと調べてみれば、カレンがおぞましい詐欺を働いたという噂が出てきた。
FランクはFランクらしく、ついに落ちるところまで落ちたらしい。
エーレルト伯爵家はFランクの錬金術師に騙されたと恥をさらすこともできず、やむにやまれず報酬を与えているのだと言う。
とはいえ、ユリウス・エーレルトというカレンが望んだ最大の報酬は与えずに、他の報酬で話を濁したという噂だったが、だとすればユリウスの態度は一体何だったのか……。
ふと、ライオスがエスコートしているマリアンの暗い面持ちが目に入り、ライオスは思考を中断してマリアンを見やった。
「マリアン、今日は折を見てエーレルト伯爵家の方に、俺はカレンとはまったく無関係であることを説明するつもりだ。だから安心しろ」
「ええ……」
カレンがエーレルト伯爵家に自分を売り込むとき、自分には血筋の祝福を治した実績がある、と売り込んだ可能性があると聞いたときには、ライオスも目の前が暗くなった。
婚約者が詐欺の片棒を担いだ仲間だと思われている可能性があるのだ。
マリアンも気分が落ち込むだろう。
ライオスも、その話を聞いたときには耳の奥で、カレンの『わたしのおかげで元気になったくせに』という叫びが悪夢のようにこだましたものだ。
頼んでもいないのに何かをした気になって恩に着せてくる。
その図々しさには吐き気がする。
エーレルト伯爵家は王国騎士団に借りがあり、ライオスもこのパーティーの招待状を入手することができたのは幸運だった。
この場で何が起ころうと、ライオスも弁解の機会を持つことができる。
「……ねえライオス、今日はカレンがエーレルト伯爵家の貴賓として現れるという噂もあるのよ。どう思う?」
「詐欺師を恩人として正式にお披露目するはずがないだろう」
公の場で発表すれば、それが事実として広まるのだ。
ライオスが聞いた信憑性のある噂によれば、たとえカレンが登場するとしても、ジークが治った場にたまたまカレンが居合わせた、という紹介の仕方になるだろうとのことだ。
一番可能性が高いのは、カレンが紹介すらされないことだ。
それが一番平和だが、果たしてどうなるか。
ライオスは広々としたエーレルト伯爵家の舞踏室を見渡した。
「そう暗い顔をするな、マリアン。ここで踊れるんだぞ? せっかくドレスアップもしてきたのだから、楽しむといい」
「ええ……そうね」
騎士団の訓練はきつく、騎士となってからはずっと体が重かった。
だが、こういう特権を味わうとすべてが報われる心地がした。
マリアンが商会を通じて用意させた燕尾服を着る自分はまるで貴族のようだ。
コネを得るためにいそいそと参加する同僚の王国騎士の中には貧乏貴族の次男や三男がゴロゴロいるが、彼らよりも自分たちの方が貴族らしいと、ライオスはほくそ笑んだ。
こうしているとただの平民たちとは住む世界が変わったことを実感する。
「エーレルト伯爵家の令息は余命宣告まで受けたそうだけど、そこまでいって自力で回復することなんてあるのかしら」
「俺もそうだったぞ、マリアン」
「そう……だったの?」
「ああ。十一歳頃に急激に体調が悪化したが、乗りこえられた」
「……そのとき、カレンは何をしていたの?」
「毎日平民学校帰りに俺のところへ来ては、俺に学校に通える自分の姿を見せつけてきた。まるで羨ましがらせようというかのようにな。何度、二度と顔を見せるなと怒鳴ったことか……」
それなのにカレンはやってきて、頼んでもいないのに甲斐甲斐しくライオスの世話をした。
同じ年齢の、婚約者の少女に世話をされるなど、そんな屈辱は受けたくなかった――だがライオスの看病の果てにフリーダが倒れ、カレン以外にはライオスを見る者がいなかった。
親切顔で近づいてくる大人もいたが、フリーダの金目当てで、ライオスを逆に殺しかねなかった。
ライオスはカレンの世話を受け入れる以外の選択肢がなくなり絶望した。
「血筋の祝福のせいで、死ぬ人もいるという話だけれど……」
「俺もエーレルトの令息も、受け継いだのは大した祝福ではなかったんだろうよ」
ふん、とライオスは鼻を鳴らした。
王国騎士団に入り、ライオスもはじめて知ったことだ。
自力で乗りこえられたということはそもそも受け継いだ魔力量が大したものではなかったのだろう、というのだ。
それを団員の貴族に言われた際、当初は侮辱されたと思ったライオスだったが、貴族は血筋の祝福の専門家だ。
複数人の貴族から話を聞き、血筋の祝福について知れば知るほど、彼らの言葉が事実だということがわかってきた。
自分は困難を生き延びた選ばれた人間だと思っていた。
だが蓋を開けてみれば、ライオスはみそっかすだから生き残れただけだと言う。
死ぬよりはマシだと今では納得しているが、面白くもない話だった。
そのとき、音楽が一際高らかに奏でられた。
「エーレルト伯爵家のご入場です!」
カレンの名はない。ライオスはひとまず胸を撫で下ろした。
「来たわね――ああ」
マリアンは失望の切ない声を零した。
二階の部屋からバルコニーに進み出てきた一家の中、その中央の最後尾に、今夜のパーティーの主役にエスコートされてきたカレンの姿に、ライオスは目をきりきりと見開いた。
艶やかな宝石のように磨かれた髪、マリアンの着るドレスよりも明らかに仕立てのよい豪奢な水色のドレス。
少し身じろぐだけでドレスが、華奢な首と耳を飾る重たげな黄金の宝石が、舞踏室を照らすランプの輝きを反射し七色の光を放っている。
反射的に、ライオスは叫びそうになった。
「みなさん、本日はぼくの快気祝いにお集まりいただきありがとうございます」
カレンをエスコートしてきた燕尾服姿の子どもが口を開いた。
舞踏室に拍手が満ち、ライオスは口を噤んだ。
口を噤めてよかったと、冷や汗をかいた。
「先祖から受け継いだ類い稀な魔力により、ぼくは死の淵に立たされていました。まずは、そんなぼくの命を諦めずに奔走してくださった父様と母様に、どうか温かい拍手をお送りください」
貴族の男女が進み出てきて手を振った。
良い生活をしているだけあって、その見た目は恐ろしく若い。
みっともなく老いた自分の母親を思い出すと嫌になり、ライオスは顔をしかめた。
「次はぼくを助けるために注目を引くべく、剣術大会で優勝を飾り、領都のダンジョンを攻略し、ついには王都のダンジョンまでも攻略しようと戦ってくださった、ユリウス叔父様にどうか敬愛の拍手をお送りください」
進み出た男の姿がバルコニーから見えるや否や、そこかしこから熱い溜息がこぼれた。
ライオスは舌打ちした。剣術大会の時から思っていたが、相変わらずいけ好かない男だ。
まさかマリアンもそこらの女と同じような顔をしていないだろうなと見てみれば、マリアンは固い表情でバルコニーをじっと見据えていた。
マリアンの反応にライオスは一端の安堵を覚え、再びバルコニーを見やった。
「そして最後に、ユリウス叔父様のご活躍に背中を押されて依頼を受け、見事に血筋の祝福を乗りこえる力をぼくに授けてくれた若き優秀な錬金術師――カレン姉様に、大きな拍手をお送りください!」
カレンがぎこちなくお辞儀する。
付け焼き刃の礼儀作法はひどく滑稽だった。
それなのに、万雷の拍手が轟いた。
一体何が起きているのか、姉様と呼ばれていたのはなんなのか、同じ名前の別人ではないのかと、ライオスは食い入るようにカレンを見つめた。
ライオスが見ているというのに、カレンの視線がライオスに向くことはなかった。
まるで住む世界が違ってしまったかのようだった。