予告と取引
パーティーの開始時刻は夜九時半頃だ。
その時間になると、ジークは客人の出迎えに向かった。
今頃アリーセと共に玄関ホールに立っているだろう。
手持ち無沙汰になったカレンはユリウスと共にジークの部屋に取り残され気詰まりな時間を過ごしていた。
「君に話しておきたいことがある」
不意にユリウスが切り出した。
無言の時間がいたたまれなかったので、なんであれ話題があるならありがたい。
「何でしょう?」
「今日、君とジークのファーストダンスを終えたあと、私は君に求婚する」
「……はい?」
我が耳を疑うカレンに、ユリウスは微笑んだ。
いつものからかいの微笑みとは違って、真剣な目つきだった。
「君が当初、私との結婚を報酬に望んでジークの依頼を受けたことが噂として広まってしまったことは知っているだろう?」
「はい。それで快気祝いを開くんですよね」
ユリウスにエスコートしてもらい、快気祝いの招待状をもらって調子に乗っていたあと、カレンは大変な目にあった。
まずはご近所中の人たちに詮索された。
それについては、正直カレンは得意だった。俗物なので。
激ヤバ案件のお見合いをすすめてきたおばちゃんたちも、「十番目の妻でも百番目の妻でもしがみつくのよ!」と応援してくれたし、気の良いおっちゃんたちには冷やかされつつも祝われた。
詳細については錬金術師の守秘義務で乗り切った。本当に守秘義務もある。
だがその後、どこからか例の噂が背びれや尾びれを付けて流れてきた。
カレンがジークの命を盾に取りユリウスに結婚を迫り、まんまと運良くジークが治ってしまったことで、ユリウスは泣く泣くカレンの相手をするしかなくなっている。
カレンは詐欺師! 三国一の護国の戦士の足を引っぱる害悪! と……悪意ある噂のせいで家にいられなくなり、エーレルト伯爵家に逃げてきたのだ。
とりあえず、このパーティーで恩人だと紹介されることで、噂は落ち着く見込みだった。
「我々エーレルト伯爵家は君が真に求めるものを与えたわけだが、他者から見れば、やはりそうは見えないということが問題だ」
「あ……それも噂になっているんですか?」
ユリウスがうなずいた。
それがエーレルト伯爵家にとってどれほど不利益な噂なのか、カレンも承知している。
「こちらが結婚を拒んだわけではないと示すために、君に求婚させて欲しい。君は結果的には他の報酬を選んだが、私は君に惹かれるこの心を止めることはできないとね」
「わたしにどのような対応をお望みですか?」
「結婚してくれるのが一番だね」
「へ……?」
カレンはすでに報酬をもらった。
だからユリウスがカレンと結婚する理由など一つとしてなくなったのだ。
それなのに、噂を払拭するための求婚まではわかるものの、結婚?
まさかの可能性が浮上して、カレンは顔を真っ赤にした。
「も、もしかしてユリウス様、わたしのことが好きなんですか?」
もしそうなのだとしたら、妥協などと言って、ユリウスを傷つけてしまったのではないか。
ユリウスはきょとんとした顔をしたあと、優しく微笑んだ。
「カレンが私の気持ちを望んでいるのならば、この心のすべてを明け渡す用意があるよ」
「その言い方はつまり好きではないやつですね……」
カレンは羞恥心で顔を覆った。顔どころか全身が赤くなっている自信がある。
ユリウスはすまなそうに言った。
「嘘を言うこともできたけれど、あとで嘘だとわかるとさすがに信頼関係にヒビが入りそうだからね」
「そうですね。わたしは臆病者なので、そんなことになったらもう立ち直れません」
嘘を言われたわけでもなく、勝手に惚れられていると思っていたライオスのことだってもう辛い。
意図的に嘘を吐かれたらカレンの自尊心は粉々である。
「カレンの錬金術師としての腕を買って、ぜひともエーレルト伯爵家の人間になってほしくなったんだよ」
「はあ……そうですか……」
万能薬の件だろう。
再現はできないが、カレンにそれを作れるポテンシャルがあることをエーレルト伯爵家の人々は知っている。
彼ら曰く、王家さえも知ればカレンを取り込もうとするという。
錬金術師として認められたのはありがたいが、羞恥のあまり投げやりな返事しか出てこない。
「気乗りしなくとも、求婚を断らないでもらえないかい? 受けずとも、保留にしてほしい」
「お断りしてはいけないんですか?」
結婚したら気が散るどころの話ではなくなる。
カレンは恋愛脳だ。間違いなく人生のすべてがユリウスで染まる。
彼氏が変わるたびに趣味が変わるタイプの女なのだ。
自分の本当の望みなんて、あっという間にどこかへ吹き飛んでしまうだろう。
「万が一君の能力が露見し断れない筋から所望された場合でも、私という先約が君を守るだろう」
完全にカレンのための提案だった。
よく考えてみれば、カレンに求婚した状態で返事を保留にされるなんて、ユリウスにとって利益があるとは思えない。
「君が錬金術師として邁進することを、決して邪魔するつもりはない」
錬金術師としてのカレンを求めているなら、錬金術師としての栄達を推進するだろう。
「結婚を無理強いするつもりはない。しかし断らないでほしい」
「聞けば聞くほど、わたしにしか利益がないように思えますが、ユリウス様にとって何か利益がありますか?」
「君のような希有な能力を持つ錬金術師と第一の交渉権を持つことができる」
「交渉権って結婚のことですか??」
「そうだよ、カレン。それだけ近い距離感を保てるならば、今後もよい取引ができる関係であり続けられるだろう?」
ユリウスは笑顔でうなずいた。
結婚における考え方が違い過ぎて理解が追いつかないが、今後自分がうっかりどこかで万能薬を作ってしまった時の保険は欲しい。
何しろ、本気でどうやって作ったのかがわからないので、どうやったら作らずに済むのかもわからない。
「てっきり、ユリウス様はわたしを惚れさせた上で無残に振ろうとされているのだと思っていました」
「とんでもない誤解だね?」
「ユリウス様から誘惑されているような感覚がありましたが、妥協したくないとか上から目線で言い出したわたしに報復するためになさっているんだろうと」
「そういえば、報復だなどと言っていたね。私はただ君との距離を縮めようと努力していたつもりなのだけれどね?」
ユリウスはそう言っておかしげに金色の瞳を輝かせる。
この人はカレンを錬金術師として買ってくれていただけらしい。
今もユリウスは錬金術師としてのカレンの価値を重く見て、取引を提案してくれている。
すべてが腑に落ちた上で提案されたのは、あまりに美味しい取引である。
「……正直、わたしにはとても美味しい取引に感じられます」
「それはよかった」
「ユリウス様に求婚された上でそれを保留にするだなんて、きっと女性の方々から羨ましがられるでしょうし恨まれるでしょう。それを気持ちいいと感じる性格の悪い人間なんです。わたし、俗物なので」
「私を伴うことでカレンが得意な気持ちになってもらえるならありがたい。私を好いた女性に睨まれるのを辛く思われたらどうしようかと思ったよ」
むしろユリウスは安堵の表情を浮かべた。
てっきり閉口されると思ったカレンにはあまりに意外な反応だった。
イケメンすぎるとカレンのような図太いメンタルの女性がありがたいということがあるらしい。特殊事例である。
「……でもわたし、ユリウス様と結婚するつもりないですよ? 絶対に」
「脳が溶けてしまうから?」
「はい」
「それは困るな」
ユリウスと結婚する気がないことか。
それとも結婚したら脳が溶けてしまうことか。
どちらを困ると言っているのだろうとカレンがぼんやり思っていると、ユリウスがカレンの髪を一房すくいあげて口づける。
カレンは悲鳴を飲みこんだ。
「今はそれでも構わないから私に君を守る権利を与えてほしい」
「わかり、まし、た」
ユリウスの真剣な目つきに射貫かれて、真っ赤になったカレンは気づいたときにはそう答えてしまっていた。
ユリウスはにっこりと微笑んだ。
「では、取引成立ということでいいね」
ユリウスがカレンの手を握り、強制的に握手の形にする。
カレンはぽかんとしたままその手とユリウスの顔を見比べた。
カレンは愕然とした。
「よすぎる顔面に押し切られた……!」
「あはははは!」
ユリウスは声をあげておかしそうに笑う。
その笑顔はいっそ無邪気なほどで、妖艶なまでの美しさは薄れていた。
そうなると、やっとカレンもユリウスをまともに睨みつけることができた。
ますます笑っているユリウスの手を、カレンもドレスグローブ越しに握り返す。
ユリウスの手は大きくて、少し心臓がざわついたものの、取引が成立してしまった以上、カレンは錬金術師として気持ちを立て直した。