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取り込む ユリウス視点

「万能薬を人の手で作れるものとは知らなかったな」

「カレンは再現する自信はないと言っていましたが――」


執務室の扉が叩かれて、ヘルフリートとユリウスは口を噤む。

滑るように中に入ってきたのはアリーセだった。


「ゾフィーには口止めをしておきました。ジークは今カレンさんとともにサラについています」


あの場にいた者たちには箝口令が敷かれた。

人払いをしておいたため、万能薬について知った者が最小限で済んだのは不幸中の幸いだった。


万能薬が作れると周知されれば、カレンは普通には生きられなくなる。

カレンにはその自覚はないようで、気にもしていなかったようだったのが危なっかしい。


「ユリウス、おまえはよくカレンを信じたな。私はジークを励ますための方便だと思ってしまったが……」

「私もカレンさんが何か勘違いをしているのだと思ってしまったわ。きっと悪気はないのだろうけれど、と」


ヘルフリートとアリーセは顔を見合わせる。

無理もない話だ。万能薬とは本来、ダンジョンの深層でのみドロップすると言われる女神の贈り物。

人の手で作れるという話など聞いたことがない。


「報酬となる者として彼女の味方をしよう、と思ったのもありますが……どういうわけか彼女の言葉を真実の可能性もあると考えてしまったのです。すでに一度、ジークのために奇跡を起こしてくれた女性ですから」


あの場で、ユリウスだけはカレンの言葉を信じてしまった。

万能薬を作ったというカレンの言葉を信じ、ならば早く取りに行こうと考えたとき、周囲の者たちが信じていないことが意外だった。


「そうだな……疑った私が愚かだったか」

「愚かというわけではないでしょう。普通は信じられないことですもの」

「彼女はエーレルトにとっての女神の祝福だな」


毒を盛られたのがカレンの料理でなければ、気づかず食べていただろう。

魔力がないからと、何の力もないとみなされていた動植物。

打ち棄てられていた無魔力素材を闇で研究して、鑑定にも引っかからず何に混ぜてもポーションのようには壊れない、毒として扱う者たちがいる。


ユリウスたちは、無魔力素材の扱いに長けていてその理由を明かそうとしないカレンをその者たちの仲間ではないかと疑ったこともあった――だが。


「私は彼女をエーレルト伯爵家に取り込むべきだと考えるが、アリーセはどうだ?」

「賛成ですわ、あなた」

「ユリウス、おまえは?」

「もちろん兄上のお望みのままに。というより、元より取り込む予定でしたでしょう」


カレンの望んだ達成報酬こそがユリウスだ。

依頼を達成してくれたからには、最高の報酬を与えなくてはならない。

以前から決まっていたことである。


「ただユリウスに娶らせるだけではない。エーレルト伯爵家の一員として迎えるということだ」

「きっと、ジークも喜ぶでしょう」


エーレルト伯爵家の誰もがカレンを歓迎している。

もしカレンに何かしら後ろ暗い事情があろうとも、ヘルフリートはその事情ごと受け入れると決断したのだ。


そのとき、扉の音が重く響いた。


「入れ」


ヘルフリートが命じると、騎士が部屋に入ってくる。


「こちら、調査結果です」


騎士はそう言ってヘルフリートの机に資料を置く。

ヘルフリートは中身を確認し、溜息を吐いた。


「紹介状からだけでは辿れないか」

「申し訳ありません。私が殺してしまったために、首謀者の足取りを追うことができなくなってしまいました」

「カレンを守るためだったのだろう? 致し方ない」


実力的には、生かしておくこともできただろう。

ユリウスがわざと下手人を殺したと思われても仕方がない状況だ。

それなのにヘルフリートは疑いもせずにユリウスの言を受け入れる。

現場の惨憺たる有り様も報告を受けて知っているだろうに、きっと何も気づいていない。

ユリウスは口を噤んでヘルフリートから資料を受け取った。


長らく本館で働いていた者の仕業だった。

借金や特段の事情も見受けられない。

あの身ごなしを思い出しても、急ごしらえの暗殺者ではありえない。


「ジークを狙う者の犯行でしょうか?」

「恐らくは、そうだろう」


ジークが生まれた当初から、必要な時には消せるように計画があったのだろう。

だが、ジークは血筋の祝福に倒れ東館にこもるようになり、迂闊には近づけなくなった。

あるいは、放置しておくだけで目的は達成されると思ったか。


ジークの快復の兆しを見て取り、行動に移したのだろう。

この一連の状況を見れば、ジークが狙いとみてほぼ間違いなかった。


「ジークを亡き者にしようともユリウスがいるというのに、愚か者どもめ」


ヘルフリートが吐き捨てる。

ジークを亡き者にしてまっさきに利益を得るのがユリウスとなるのは自明の理だ。


「ユリウス、ジークのためにおまえが遠慮してくれていることは知っている。だが、ジークのためにもおまえの力を周囲の者たちに見せつけてやってはくれないか?」

「ジークを毒殺しようとも無意味である、と知らしめるためですね」

「やってくれるか? ユリウス」

「私からもお願いいたします、ユリウス」


ユリウスを疑うことのないエーレルト伯爵夫妻を前に、ユリウスは目を細めてうなずいた。


「かしこまりました。私にできる限りの力を尽くしましょう。ところで、カレンの様子を見てきてもよろしいでしょうか?」

「ああ、彼女には悪いことをしてしまった。衝撃を受けただろうから、側で支えてやるといい」


ユリウスはにこやかにうなずくと執務室を出ていった。

執務室を出ると――笑みを深めた。


「……ダンジョンにまた潜れるのか」


ユリウスは、ジークの立場を脅かすつもりがない。

だから、今後は控えねばならないと思っていたダンジョン探索。

それを、続ける理由ができてしまった。


続けてもよいのではないか? とささやく己の内側から響く声に抗う理由がなくなってしまった。

ユリウスは自嘲の笑みを噛みしめた。


「最低だな、私は」


甥が毒殺されかけ、忠実な使用人が犠牲を払ったというのに、今後も魔物を殺し続ける理由ができたことが嬉しくて笑みがこみあげてくる。


本館からジークの居室のある東館へ向かう回廊を歩いていたユリウスは、一幅の絵画の前で足を止めた。

ヘルフリートとユリウスの父である、コルネリウスを描いた絵だ。

ドラゴンの首を斬り落とし、血の滴る首を得意げに掲げる笑顔のコルネリウスの姿が描かれている。


実際にドラゴンを殺したわけではない。

コルネリウスは生涯、自分がドラゴンを殺害するモチーフを好み続けた。

家族の肖像画など、ほとんどない。


「私もこんな顔をしているのかな」


血なまぐさい絵の中、喜悦の笑みを浮かべる父の絵を見ていると、ユリウスの血の滾りは失せ、顔に浮かんでいた笑みは消えていった。


カレンたちのいる部屋に向かう。

すると、和気藹々とした雰囲気が廊下の端にも伝わってきた。

先程まで陰惨な笑みを浮かべていただろう自分には場違いな明るい声音に、ユリウスは苦笑した。


「こんな私ですまないが、正体を知りもせずに望んだのは君自身で……恐くないと言ったのも君だからね」


兄の望み通りにカレンをエーレルト伯爵家の者とするために、ユリウスは蠱惑の笑みを貼り付けて部屋に向かっていった。


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