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魔力酔い

ジークが問題なくカレーを食べ終えるのを見届けて、カレンは東館の厨房に戻ってきた。その場は騎士たちが制圧していた。

廊下の端には血だまりができていた。

血の海の中に倒れている男がいて、カレンは悲鳴をあげかけた。


遠目にも、無残なありさまだということがわかった。

流れすぎている大量の血、あらぬ方向に向いた手足、切り刻まれた体からはみ出るうねうねとしたものは――カレンは視線を切って、騎士を見上げた。


「あのっ、ユリウス様はご無事ですか?」

「ユリウス様はご無事ですからご安心ください、錬金術師様」


騎士の穏やかな顔つきに、カレンは一先ず安心した。


「では、どちらへ?」

「体を洗い流すため、厨房の裏に向かわれました。あのままでは浴室にも行けませんので、井戸で直接汚れを洗うとのことです」

「わたし、厨房に入ってもいいですか?」

「もちろんです。錬金術師様を疑う者などこの場にはおりません。あの男が仕掛けた毒物の有無は確認して撤去ずみです」


カレンが疑われてもおかしくない状況でありながらありがたいことにそう言ってもらい、カレンは厨房に入っていった。

水瓶を覗き込むと、中身が空になっている。

毒物が仕掛けられていたのか、ユリウスが使ったのか。

戸棚の奥から鍋を引っ張り出し、その中にまだ魔力をこめていないハーブをぶち込み、カレンは魔力をこめながら歩き出す。


厨房の裏口を出てすぐの井戸にはユリウスはいなかった。

井戸の側にいた騎士に井戸の安全性を確認し、そこで鍋に水をそそぐと、カレンは魔力をこめながらユリウスを探した。騎士たちは聞けば教えてくれた。

ユリウスはまるで隠れるように、ひと気のない庭園の裏の井戸で水を浴びていた。

すでに血の大半は洗い流されているように見えた。


だがユリウスは何度も、何度も、何度も水を汲んでは被った。

その何かに取り憑かれたような動作には鬼気迫るものがあった。


「ユリウス様」

「近づくな、カレン。私は今気が立っている」

「魔力を吸い込んだせいですよね?」


魔力の密度が濃くなるほど、人は好戦的になる。

だから魔物を恐がっている人も、魔力の密度の高いダンジョンの中に入りさえすれば冒険者としてやっていけたりするのである。


人の体の中には魔核がある。魔力を作り出し溜め込むための、前世にはなかった器官だ。

魔核の魔力の密度が濃くなりすぎると、魔力酔いになる。

魔力酔いは一時的な肉体の強化と共に、副作用として痛覚の麻痺や異様な興奮状態を引き起こす。


先程のあの男は魔力を溜める魔道具か何かを割って、わざと魔力酔いを引き起こして痛覚を麻痺させていたのだ。

ユリウスも、その魔力にあてられたのだろう。


「わかっているのなら私に近づくことは危険だとわか――」


井戸水をかぶる手を止めたユリウスが、黄金に輝く瞳でカレンを睨みつけたところに、カレンは手にしていた鍋一杯のポーションをぶちまけた。

ユリウスの顔にハーブの花がぺたりとくっついている。


「――カレン、気が立っている人間にこういう真似をするのは、危険だよ?」

「大丈夫です。これ、気持ちを落ち着かせるポーションになっているはずなので。気分はどうですか?」

「そういえば……落ち着いている」

「よかったです」


ふんっ、とカレンは得意げに胸を張った。

ユリウスはきょとんと目を丸くした。


「これは一体……? 安眠の薬香と同じ花、か?」

「安眠のポーションと素材は一緒です。効果はちょっと違いますけどね」

「君は私が恐くないのか?」

「わたしが暮らしていた場所、冒険者街なので、階梯を昇る寸前の冒険者がそういうふうになるの、見慣れているんですよ」


階梯を昇ると魔力量が増える。

それは魔力の器である魔核の容量が大きくなるということなのだ。

容量が大きくなる寸前が一番魔力の密度が高まり、興奮状態で、魔物を殺害して早く階梯を昇りたくてたまらなくなるという、非常にヤバイ状態なのだ。


そういう人には周囲の人がこぞって水をかけて正気に戻すのが恒例で、カレンは昔からそういう人には鎮静のハーブ入りの水をぶちまけてきた。

カレンが水をかけると我に返る人が多かったのは、あれがポーションになっていたからだろう。


幼いカレンが冒険者街のみんなのアイドルだからではなかったのかもしれない。

カレンは数年越しに悟った真実に目頭を押さえた。


ちなみにジークのような血筋の祝福持ちの人々は、生まれながらに大容量の魔核を持ち、そこから生み出される魔力を扱いきれずに体を傷つけてしまうようである。


「……こんなポーションもあるんだね」

「お役に立ちましたか?」

「ああ、とても助かったよ。このような醜態を晒したことはどうか、兄上たちには黙っていてほしい」

「わかりました」


冒険者やその家族同士だと慣れたものだけれど、身内に戦う人が少ないと、あの興奮状態になるのが恥ずかしいのもうなずける。

傍目には完全にヤバイ人なのである。前世見かけていたら通報ものだ。


「……本当に私が恐くないのかい? あの男を生かして首謀者の名前を聞かねばと思っていたのに、結局私は殺してしまったんだよ」

「血に興奮するのは知っています。それでも、敵味方の区別がつくことも知っていますよ」


だから早く騎士たちが来ないと困ると言っていたのか。

来ないと、殺してしまう、と――死体が惨憺たる有り様だった理由を知り、カレンは苦笑した。


「わたしの父も弟も冒険者ですよ? 慣れてますって」


胸を叩くカレンに、ユリウスは疑り深い目を向けた。


「それにしては顔色が悪いね、カレン」

「え? いやー」


ユリウスが顔を逸らしかけたカレンの顎を捕らえた。


「殺されかけたのだから無理はない、か? だが、他にも理由があるのではないかな?」


カレンの顔をユリウスが金色の目で見つめ覗き込む。

近づく顔に黄色い悲鳴をあげるよりも前に、ユリウスの妙に疑わしげな表情に気がついて、何か疑われているのだろうかとカレンは驚いた。

どうしようもないことだから黙っているつもりだったのにと思いつつ、カレンは仕方なく言った。


「あの人、知らない人、ですよね?」

「うん?」


間違いなくあの男がカレーに毒を盛ったのだろう。

カレンの厨房までやってきたのは、大方、厨房に毒を仕込んでカレンに罪をなすりつけるためだったのだろう。


この家の、料理人の格好をしていた。


「料理人の服を盗んで忍び込んで来た、ジーク様たちの知らない人、ですよね?」


自分の体調には関わらないことだったからと、ジークが元気になったあとで、やっと教えてくれたことがある。

使用人たちの痛ましげな顔を見るとジークが辛い思いをするので、遠ざけるように――そう仕向けたのはジーク自身であったこと。


いつかジークがいなくなったときに、ジークを慕い、側で仕える人たちが必要以上に辛い思いをしなくて済むように。

サラだけはどうしても言い訳のしようがなくて遠ざけられなかったと、ジークは笑っていた。


そんなジークが守ろうとした使用人のうちの誰かであってほしくない。

願うカレンの問いに、ユリウスが切ない表情を浮かべて、それでわかった。


「はあ……」

「……本館の料理人だよ。ジークと顔を合わせた回数は少ないはずだ」


肩を落とすカレンに、ユリウスは慰めるように言う。

東館の人たちでなくてよかったと、そう思うべきなのだろう。


「君は優しい人だね、カレン。君も恐ろしかっただろうに、まさかジークの心配をしているとは思わなかったよ……自分のことばかり考える者もいるというのに」

「そんな、大したことではないですよ。殺されかけたとは言ってもユリウス様が守ってくださいましたから」


謙遜するカレンに、ユリウスは淡く微笑んだ。

それが妙に苦い笑みに見えた気がしたが、瞬くうちに気のせいだった気がした。


とりあえず囚われていた顎は解放されたので、濡れてシャツが体に貼りつくユリウスの姿からカレンは慎み深く目を逸らした。



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