解毒の証明
東館の厨房まで辿り着き、いつものように扉を押し開こうとした瞬間、後ろからぐんっと腰を引かれた。
まだ押していない扉が内側から開き、中から外に出ようとする太った男とカレンは目が合った。
血走った目をした、料理人の格好をした男――その手に短剣が握られている。
切っ先が、カレンに向けられている。
気づいた瞬間には、ユリウスが突き出した剣がその男の肩を貫いていた。
男は避けるために肩を引いたからこそ、心臓には刺さらなかった。
でも、肩の負傷は明らかに重傷だった。
これで終わった、とカレンが安堵したのもつかの間、ユリウスの手によってカレンは放り投げられた。
「キャアッ!?」
「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
男が獣のような咆哮を上げた。直後に、何かが割れる音。
直後に刃がぶつかり合う金属音が響く。
カレンは転がった先で急いで体を起こした。
最初、埃がモヤモヤと漂っているのかと思ったが、すぐに違うと気づいた。
高密度の粒子化した魔力がきらきらと輝きながら漂っていた。
その中で、男は左肩から血を流しながらも、男は痛みを感じないかのように右手で短剣を構えている。
左腕をだらんと垂らしているから、怪我が浅いわけではないだろうに。
男はにんまりと笑っていて、カレンはゾッとした。
その男に向かって剣を構えたユリウスは、カレンに背を向けて言う。
「カレン、例のものを取って、先に戻りなさい」
「ユリウス様を置いてなんて」
「サラが待っているだろう? それに、君にそこにいられる方が困る」
確かに、とカレンは即座に納得した。
ユリウスはカレンに配慮してか言わないが、カレンがいる方が邪魔だろう。
「騎士を呼びます!」
「ああ、そうしてくれ――早く応援が来てくれないと、困るんだ」
ユリウスは無傷で、剣を持っていて、剣術大会で優勝するほどの強さで、これからカレンというお荷物も消えるのに?
カレンは怪訝な気持ちでユリウスの顔を覗き込んで、息を呑んだ。
「見るな、カレン」
そう言うユリウスは、ぎりぎりと歯を食いしばるような獰猛な顔をして、笑っていた。
ユリウスが男を引きつけている隙に厨房の戸棚から隠していた鍋を引っ張り出すと、カレンは走って食堂に戻った。
戻る途中にいた騎士にカレンは走りを止めることなく「東館の厨房に犯人ぽい人がいてユリウス様が交戦中です!」と伝えた。
「了解した!」と騎士が大声で答えて即座に動き出す気配がした。
騎士が答えたときにはもう通り過ぎていたカレンは振り返りも答えもせず、鍋を手にサラの元へ急いだ。
食堂に入ると、ヘルフリートとアリーセはいなかった。各々自分の役目を果たしているのだろう。
カレンが鍋を手に控えの間に入るとすでに鑑定鏡を手にしたジークがいた。
「ジーク様、鑑定をお願いします」
「うん、任せて」
ジークが鑑定鏡で鍋の中身を鑑定して、笑った。
「小万能薬だ。ぼくがサラに食べさせてあげるね!」
「ジーク様にそのようなことをさせるなど」
「ゾフィーはサラを支えてあげて。ぼくじゃ支えられないからね」
さすがに、ジークにやらせるべきことじゃないだろう。
カレンは自分がやろうと手を伸ばしかけて、自分の手がガタガタと震えていることに気づいて引っこめた。
今更ながらに全身が心臓になったかのようにバクバクと音を立てはじめていることに気がついた。
カレンは先程、殺されかけたのだ。
その事実に、やっと頭と体が追いつきはじめた。
これでは満足に手伝えない。
ゾフィーがサラの体を起こして支え、ジークが匙でサラの口許にカレーを運んでいくのを、カレンは見ていた。
ただ見ていたわけではない。頭をフル回転させていた。
カレンが作った万能薬だ。それがサラに効くのか、どうか。
効いたとして、足りるかどうか。わざわざかっこ書きで小とあるのだ、足りなかったら作らないといけない。
でも、再現できる気がしなかった。それでも再現しないといけない。
更に効果の大きい万能薬を作らないといけない。
五口ほど食べたとき、サラがぱちりと紫色の目を開いた。
ゾフィーに支えられた格好から、遠慮するように自力で起き上がり、自分に食べさせていたジークに恐縮したように頭を下げる。
「サラさん! 大丈夫なの?」
「さすがはカレン様のポーションです。体の不快感が消えました」
「よかった、サラさん……!」
「カレン様、残りはジーク様に食べていただいてもよろしいですよね?」
「もちろんいいですけど、ジーク様も毒に触れてしまったんですか?」
それなのにサラの介助をさせてしまったのか、と慌てるカレンに、サラは首を横に振った。
「この何年もの間、毒か薬かもわからぬものをずっと、どんな味でも文句の一つも言わずに、お飲みになっていらっしゃいました」
そう言うと、サラはジークに向き直った。
「さあ、カレン様が作ってくださったポーションを食べてください」
「……こんなに貴重なポーションをいいの? カレン」
「もちろんですよ、ジーク様。ジーク様のために作ったんですからね」
「カレン自身が食べたかったからでしょ」
見抜かれてカレンは思わず笑った。
「また作りますから、どうぞ食べてください」
「……ありがとう、カレン」
ジークも笑って食べ始める。
サラは汚れた格好で側近くにいるのを遠慮するように下がり、ふらついた。
その体を支えようと近づいたカレンに、サラは言った。
「カレン様はご存じないことですが、かつてとても恐ろしい、悪い薬をジーク様に飲ませて、見せかけの健康を与えて報酬を得ようとする悪人がいたのです」
それは恐らく、ジーク本人から聞いたことのある話だ。
サラがいない場で語られた、ジークが治ったように見せかけるためにたちの悪い薬を飲ませた医者の話。
結局悪事は露見して、ヘルフリートが処分したと言う。
「毒味の私が防ぎ切れなかったために、ジーク様には解毒のポーションを飲んでいただくこととなりました。それでも悪い薬がお体に与える悪い影響は、完全には消えなかったのです」
解毒のポーションは万能ではない。
サラにも効かないし、ジークにも効かなかったらしい。
一体何に効くのやらと思いつつ、カレンはサラの言葉に耳を傾けた。
「ずっと心配でした。ジーク様のお加減がよくなってからも、ずっと」
「万能薬ですけど、小と書かれていました。治るでしょうか?」
サラがカレンにそっと顔をよせ、耳元でささやいた。
「ここ数年、毒味をしていて重くなっていくように感じられた体が、今は軽く感じられます」
カレンは息を呑んでサラの顔を見た。
ジークが毒を飲まされていたのなら、毒味をしていたサラもまた同じ毒に犯されているということだ。
サラはジークにその事実を隠すように声をひそめているから、カレンはせり上がってきた言葉を飲みこんだ。
そして、そのサラの体が楽になったのなら――!
「カレン様のポーションですから、きっと治るに違いありません」
サラがそう言って柔らかく目を細めた時、「ぐすっ」と泣く声が聞こえ、サラもカレンも一斉にそちらを見やった。
「ジーク様!? どうなさったんですか!?」
「何か、わたしのポーションに問題が……!?」
カレーの小鍋を抱えて泣いていたジークが、真っ赤になった顔をあげた。
「まだまだ全然、からいよこれ! 味見のときは少しすぎてわからなかったよ! 美味しいけどさっ!!」
ヒーヒーと思うさま文句を言いながら涙を流して食べるジークに、カレンは思わず笑ってしまった。
笑っていたら涙が出てきた。
隣でサラもポロポロ泣き出して、いつしかカレンとサラは手を取り合って泣いていた。