魔法契約
「カレン様、旦那様がお呼びです」
「父様、帰ってきているの? ぼくも会いたいのにな」
ヘルフリートは仕事で外に出ている日が多いらしく、ジークの面会予約が中々通らないのだ。
ジークに羨ましげに睨まれつつ、カレンは執事のフォルカーについて行った。
「こちらが旦那様の執務室でございます。どうぞお入りください」
「失礼します……」
どうして呼び出されたのだろうと思いつつ、カレンは案内された部屋に入った。
シックで落ち着いた雰囲気の、明らかに高級そうな家具に囲まれた部屋の中、奥にある机の前に立ち、にこやかな笑顔を浮かべる男性がいた。
金髪に、灰色の目はつり上がっていて、神経質そうな印象を与える。
ユリウスの兄のはずだが、顔立ちはユリウスよりもジークと似ていると感じた。
それなのに、笑顔なのに、何やらものすごく威圧的で恐ろしい。
「ジークが世話になっているな。私はヘルフリート・エーレルト。ジークの父だ」
「お、お初にお目に掛かります、伯爵様。錬金術師のカレンと申します」
「そこにかけなさい」
「失礼いたします」
ソファを進められ、カレンはカクカクとした動きで腰かけた。
「君については報告を受けている。無魔力素材のポーションを扱うそうだが、どこかで素材について学ぶ機会があったのかな? 君の経歴を調べる限り、学ぶ当てなどなさそうに思えたのだが。平民学校で良い師を得たのかな」
「ど、独学です……」
嘘を吐くことも一瞬考えたものの、カレンについて調査をしている貴族相手に嘘をついたところで無意味だろう。
痛くなかったはずの腹を探られて、逆に痛みはじめかねない。
「だとしたら、扱いには気をつけるといい。無魔力素材の持つ君も知らぬ思わぬ効果によって、とんでもない災いを引き起こす可能性もある」
「ご子息に使うのは、やめた方がいいでしょうか?」
「血筋の祝福に回復ポーションは効かない。だから君の新しいポーションをありがたく思う。ただ、扱いには気をつけてほしいということだ」
万が一のことがあったらわかっているな? という脅しだろう。
カレンはコクコクとうなずいた。
だが、このことはさして心配はしていない。
前世から知っている素材を使えば、まずおかしなことは起こらないはずだ。
「それと、ジークを君の研究の協力者に誘ってくれたようだね」
つい先程の話である。
耳が早いなと思いつつ、カレンはうなずいた。
「はい。まだお返事はいただけていませんが――」
「その研究に失敗してジークが死んだ場合、君には死んでもらうことにした。だから、心して研究するといい」
そう言い放ったヘルフリートがずっと笑顔を浮かべ続けているので、カレンは最初聞き間違いかと思った。
だが、動揺をあらわにするカレンを見てもまったく変化のないその笑顔を見ていると、じわじわと実感が襲ってくる。
「ジークが手の施しようもない状態だということは理解している。だからこれまでの依頼の受理者たちがジークを診て、その結果匙を投げようと、私はその命を取ろうとは思わなかった。働いた分の報酬も渡した。だがな、カレン」
ヘルフリートはカレンの腰かけるソファまでやってくると、その向かい側に座ってカレンを正面から見据えた。
「ジークを利用して利益を得ようとした者には罰を与えてきた。君がジークの体を使って実験し、その実験が失敗したとしよう。だが、失敗も研究においては成果と言えるだろう。私は、その成果を持って君を凱旋などさせるつもりはない」
「わ、わたしはジーク様で実験をするつもりなんて……!」
「君はエーレルト伯爵家の誇りを引き合いに出してジークを煽ったのだ。ジークは健気な子だ。たとえ死ぬとしても、エーレルト伯爵家にとっての成果となるために力を尽くして死んだと言われたいがために、君の研究に協力する道を選ぶだろう」
ジークは躊躇っているようだったが、結局カレンに協力する道を選ぶだろうとヘルフリートは予言した。
「エーレルト伯爵家の誇りをかけた以上、君にはその命をかけてやり遂げてもらおう」
ヘルフリートはずっと笑顔だった。
恐すぎてカレンの心臓はドコドコと音を立て、だらだらと冷や汗が流れ続ける。
「あ、あの、申し訳――」
「何を謝る必要がある。ジークを助けてくれればよいだけだ。君が、ジークにそう約束したように」
糸のように細められていた目が、ゆっくりと開いていく。
「それともまさか、約束を反故にする予定でもあるのか?」
「ございません!」
「ならば構わないだろう。この上に手を置きなさい」
そう行ってヘルフリートが机の上に紙を置いた。
魔法文字が幾何学的に描かれている。
平民学校でかじりはしたものの結局カレンには理解できなかった魔道具の分野だ。
見るからに禍々しい、赤黒いインクにカレンはごくりと息を呑みつつも、命令に逆らえずに手を置いた。
「あの、これは一体なんでしょうか……?」
「魔法契約書だ」
ヘルフリートがそう言ってカレンの手の上に自分の手を重ねた瞬間、魔法文字が金色に輝いた。
「錬金術師カレン、もしもジークを助けられなければ君も死ね。よいな?」
「か、かしこまりました」
カレンは半泣きでヘルフリートの命令を受け入れた。
すると魔法文字が動き出し、カレンとヘルフリートの手の下で組み変わる。
ヘルフリートが手を離すとカレンの手の甲には契約書にあった幾何学的な模様が赤黒いインクで刻まれていて、契約書には『錬金術師カレンはジーク・エーレルトを助けられなかった場合、死を受け入れる』と書かれていた。
「自動で契約書が作成されるなんて、便利ですねえ」
「自分の命をかけた契約書にそのような感想を持つとは、変わっているな」
カレンの言葉に、ヘルフリートは呆れた顔をした。
「恐ろしくはないのか? カレン」
「恐いですが、でも、これはいいお考えですね」
「いい考えだと?」
カレンはヘルフリートの顔色が変わったことにも気づかず、笑みを浮かべて手の甲に血のような色で刻まれた契約印を掲げた。
「これがあるのにわたしが平気な顔をしていれば、ジーク様も自分が助かるって考えやすくなるはずです。そうすればわたしの研究も……いえっ、何でもありませんよ? えっと、ジーク様は魔法契約についてすでに学んでいらっしゃるでしょうか?」
「あ、ああ――」
「では、さっそく見せてきます! あ、御前を失礼してもよろしいでしょうか?」
「……行きなさい、カレン」
「失礼します」
カレンはぺこりと頭を下げて、むしろ弾んだ足取りで部屋を出ていく。
その後ろ姿を、ヘルフリートは目を丸くして見送った。
「フォルカー……あれは、何だ?」
「錬金術師のカレン様でございます。変わった方だそうですが、東館の使用人たちの評判は悪くはございません」
「……まさか、ジークは助かるのか?」
ヘルフリートはカレンに引導を渡したつもりだった。
自分の立身出世のためにジークを弄んだ罰を与えたつもりだったのだ。
あの反応は予想だにしないものだった。
ヘルフリートの言葉に、フォルカーは「ふぉふぉふぉ」と白い髭を揺らして笑った。
「さっそく旦那様がカレン様の策に引っかかりましたので、きっとジーク様もご自身の命が助かるのだと、信じられるようになりましょう」
ヘルフリートは東館のある方角を見やった。
窓の外に広がる空の青さが、目にしみるほど眩しかった。