足掻く者 ヘルフリート視点
「ヘルフリート、久しいな」
「これは、義父上ではありませんか。領地を空けても大丈夫なのですか?」
「息子に仕事を任せてある。手紙でも言ったが、領地のダンジョン攻略お祝い申し上げる」
「祝いの言葉いたみいります。弟が無茶をしてくれたおかげです」
ヘルフリートは苦い笑みを噛み殺して乾杯に応じた。
妻アリーセの父であるヴァラハ侯爵、エマヌエル。
顔つなぎのパーティーで思わぬ人物と遭遇してしまった。
ヘルフリートは今日繋ぎをつくる予定だった貴族たちとの面会を諦めた。
「噂で聞いたぞ。おまえの弟は次は王都のダンジョンを攻略するつもりだと……その報酬として、王家にレジェンド級の魔封じの魔道具を求めていると」
ユリウスが王都のダンジョンを攻略したからといって、王家がすんなり魔封じの魔道具を譲るとは思えない。
彼らが権力を用いて溜め込んだ魔道具は、いずれ王家に生まれるだろう重い血筋の祝福に悩む王子のために使われる予定のものだ。
たとえ王女が血筋の祝福に苛まれても使うことはない。
それだけのものを、容易に下げ渡すことなどありえない。
しかし譲り受けなければならないのだ。
そのために、ヘルフリートが広めている噂だ。事実でもある。
王権の象徴とも言えるダンジョンの攻略を果たした護国の戦士の願いだ。
王家は必ず叶えなければならない。
他の報酬を与えて茶を濁すことなど決して許さない。
そのための根回しをするのが、ヘルフリートの役目だ。
「できた弟だな、ヘルフリート。ジークがいなければユリウス殿が次期エーレルト伯爵家の後継者だ。だというのに、欲もかかずにジークと兄のために献身しているとは驚きだ。あれだけの強さがあればどこでも引っ張りだこだろうに。あの顔もあることだしな」
「私にはもったいないほどよくできた弟です」
美しく気高く、力強い。まるで叙事詩から飛び出してきた英雄がごとく光輝く弟の姿を、ヘルフリートはまぶたの裏に思い描いて目を細めた。
「いい加減、諦めたらどうだ」
「……義父上? それは一体、いかなる意味でしょうか」
「ジークを諦めろ、と言っている」
ヘルフリートは目を見開き、灰色の目を丸く瞠った。
「あなたの孫ですよ、義父上」
「アリーセはまだ若い。次の子を産ませればよいだろう。ユリウス殿のあれだけの忠誠心があれば、ジークがおらずとも今更欲をかいてエーレルト伯爵の地位を求めることはあるまい」
「なんということを……!」
「こんな場所で声を荒らげるつもりか? ヘルフリート。私がおまえを気に入ったのは、いついかなる時も平静を失わない冷静沈着さだ。父親の葬式で氷のように冷たい目をして親戚共を睥睨しているおまえを見たとき、私はおまえを買ったのだ。だから娘との結婚を許した」
ヘルフリートは歯を食いしばった。
表面上は冷静に見えるのだろう顔を取りつくろいつつ、身のうちでのたうつ炎の塊のような感情をどうにか抑え込む。
「貴族として、我々には義務がある。今おまえが払っている労力は、その義務を果たすために使われるべきものだ。ユリウス殿にしてもそうだ。たかだか子ども一人のために浪費させてよい力でも、命でもない」
「……失礼いたします」
ヘルフリートは声が震えないように万力を込めて言うと、その場から立ち去った。
馬車に乗り込むと、馬車で待っていた従者がヘルフリートの早すぎる帰還に怪訝そうに言った。
「ヘルフリート様、いかがなさいましたか?」
「何でもない。出してくれ」
ヘルフリートは固く目を閉ざし、唇を引き結んだ。
貴族の家に血筋の祝福の強い影響を受ける者が生まれた場合、まずは祝う。
強大な力を持つ子が誕生したということだ。
その子の体が強大な魔力に病むようであれば、全力で支える。
だがそれでもどうにもならないようなら、諦めるのだ。
義父であるエマヌエルが言うように、次の子を作り後継者を差し替える。
それが一般的な貴族のやり方だ。
だが、アリーセはそんなやり方には耐えられない。
ヘルフリート自身もだ。
「何が冷静沈着か……」
ヘルフリートが十四歳の時に父が死んだ。
領都のダンジョンが崩壊しかけたので、それを防ぐために自らダンジョンに潜った末の戦死だった。
貴族として立派な最期だと知らぬ者たちには褒めそやされるが、ただ父は血を見るのが好きな戦闘狂だっただけだ。
血に飢えた父にとって家族などただの飾りでしかない。
自分にとっていてもいなくとも同じ父が死んだぐらいで、涙など流すはずもない。
父の後釜を狙う者たちを牽制し、弟と母を守るために必死だっただけだ。
今もまた、息子と妻を守るために必死で足掻いている。
だがエマヌエルの言う通り、貴族の力を家族のためだけに使うのは間違っている。
国を、領地を守るために与えられている力だ。
エマヌエルの言い分が正しい。私利私欲と言われても仕方ない。
弟の命を浪費していると言われても、否定のしようもない。
だが間違っていても、どうしても足掻かずにはいられない。
「ヘルフリート様、屋敷に到着いたしました」
馬車を降り、屋敷に入ると、執事のフォルカーに出迎えられる。
「アリーセはどうしていた?」
「食事も喉を通らないようで、またお痩せになりました。医者にも見ていただきましたが、食べないことにはどうにもならないと。今は力尽きて横になっていらっしゃいます」
「……そうか。ジークの様子は?」
「今は錬金術師様と共にいらっしゃるかと」
「ジークの顔を見に行こう。ついでに、錬金術師の様子もな」
「では、先触れをお出しいたします」
「必要ない。例の錬金術師の普段の様子が知りたい」
状況によっては一ヶ月も様子を見るつもりはない。
そのためにも、ヘルフリートを前に取りつくろっていない姿を見ておきたい。
「かしこまりました」
ヘルフリートは暗い目つきで寝室に向かい、服を着替えるとジークのいる東館へ向かった。
そこでヘルフリートは、息子を希望で誘惑する魔女を見た。