錬金術師の誘惑2
「ッ! Fランクの錬金術師が、夢みたいなことを言うな!!」
ジークがカレンの誘惑を振り切るように、まくらをカレンに向かって投げつけた。
力ない投球で、まくらはカレンに軽く当たって地に落ちた。
無力なまくらの行く末を見て、ジークは小さな拳を握りしめる。
悔しげなジークを見下ろし、カレンは枕を拾いながら言った。
「すぐにEランクになってみせます」
「ジーク様、カレン様の魔力量はDランクです。その魔力量で錬金術師になれたことが奇跡のはずです」
「Eランクにすらなれないくせに、論文発表なんてできるわけない!」
サラの注釈を受けて、ジークは声を荒らげた。
錬金術師として本格的に活動できるようになるのはEランクからだ。
カレンはまだ、Fランク。
論文を発表するどころか、論文を参照することさえできないし、正式な錬金術師ですらない。
「わたしはかつて魔力効率の高さで天才と謳われた錬金術師です。魔力量はDランクですが、一週間ほど魔力を使わず溜め込めば、昇級試験には合格できる見込みです」
Eランク錬金術師になるためには、最低でも一日に五十個以上の小回復ポーションを作成できるようにならなければならない。
それが、大崩壊などの非常時に錬金術師に求められる最低限の働きであり、その働きをこなす者だからこそ、Eランク錬金術師には相応の特権が与えられる。
魔力量Dランクというのは、本当なら小回復ポーションを五個作るのもやっとという魔力量らしい。
だけどカレンは何故かもっといっぱい作れる。
それでも、ポーション料理を作る傍ら作るには、魔力量が足りない。
一応、レベルアップ――この世界で言うところの階梯を上れば魔力量はあがる。
でも、そのためには強い魔物を倒さなくてはならない。
その当人にとっての強い魔物であればよく、しかも命をかけた戦いでなければならない。
弱い魔物を一方的に蹂躙するだけではダメだし、強い魔物を強い冒険者に押さえてもらったところでトドメをさすのもダメだ。
階梯を上がることは試練を乗りこえた者にしか許されない。
パワーレベリングは女神様に禁止されているのである。
魔法という遠距離攻撃を身につけられなかった時点で、カレンの冒険者としての人生は終わったのである。
元々夢見てなかったので、いいけどね。
「だったら、今まで何をしていたの!?」
「幼馴染みのために、できることはなんでも」
「――ああ、前に言っていたね。幼馴染みもぼくと同じ、血筋の祝福持ちだったんだよね? じゃあ、その人が協力してくれるんじゃないの? その研究が本当に成功するのなら、ぼくの協力なんて必要ないだろう!」
ジークが肩で息をする。
まだ解熱のポーションが切れる頃合いではないのに、その顔が真っ赤になっていた。
「ぼくを励ますための余興のつもり? 面白くない冗談だよ、カレン!」
本当に聡い、賢い子どもだった。
無力感に浸りきった荒んだ目をして言うジークに、しかしカレンは完全なる理論武装を持ち合わせているのである。
「その幼馴染みとは婚約していたのですが、先日振られました」
「えっ」
「騎士になったのをきっかけに、おまえみたいなFランク錬金術師じゃ俺と釣り合いが取れるわけないだろ? と言われまして」
「えっと、そんな」
「はい。あの男の看病をしていたから上のランクに上がる暇もなかったんですけどね? わたしのおかげで治ったくせにって言ったら、騎士侮辱罪で訴えるぞと脅されました。あの男、自力で治った気でいます」
「……本当に自力で治したんじゃないの? カレンの力を借りないで」
「だとしたらわたしが平民学校に通い出して訪問が間遠になった途端に死にかけたりしませんよ」
カレンの平民学校入学に伴い、落ち着いていたライオスの体調は急激に悪化した。
今思えば、血筋の祝福がまだ完治していない状態にもかかわらず騎士になりたいという夢のために無茶をし始めたからだろう。
カレンが側にいれば止めていたし、無自覚にライオスの体にいいポーションを作って与えただろうけれど、その時カレンはそこにいなかった。
「平民学校はやめたくなかったから通い続けましたけど、わたしがいないと死にそうになるし、昼は学校、夜はライオスの家に通って本当に大変だったのに、用済みになったからって捨てるなんてひどいと思いませんか? 普通、幼い頃から献身的に支えてくれた幼馴染みにメロメロになってしかるべきではありませんか!?」
カレンが前世で読んだロマンス小説ではそうなっていた。
ライオスに気負わせまいと自分が好きでやっていたことにはしていたものの、途中、心が折れそうになったことは何度もある。
ナタリアに励まされなかったら、学校を諦めていたかもしれない。
「しかるべきかどうかは、ちょっとよくわからないけど」
ジークは若干顔を引き攣らせつつ言った。
「カレンは、本気なんだね? 本気でここに名を連ねる錬金術師になろうとしているんだね?」
「ええ、そうです」
「きみはぼくがエーレルト伯爵家の誇りになれると、本気で思うの?」
「現実として、今後大勢の人の命が助かるかもしれない血筋の祝福の研究の協力者に名を連ねられるのって、誇らしいことじゃありませんか?」
「もしもきみの夢みたいな話が現実になるのなら、ね」
ジークはきゅっと口を噤んだ。
「……少し、考えさせてほしい」
カレンの研究に協力するということは、自分の命を諦めないということだ。
諦めていたからできたことは、今後できなくなるだろう。
未来に希望を抱くことすら、今のジークには苦しいのかもしれない。
「お返事をお待ちしております。もしもこの話を受けていただけなくとも、ジーク様をお助けすると約束しますけどね」
でも、カレンの未来のためにも研究の協力を受け入れてもらいたい。
カレンが自分のために全力を尽くすことが、やがてジークのためにもなるだろうから。
これまで、カレンの人生は尽くす日々だった。
妥協して選んだ相手に尽くし続けて、だけど報われることはなかった。
彼氏やライオスに尽くすことがいずれ自分のためになると信じていたときとは順番が違う。
手を尽くそうとしたときの手応えが、自分が口にする言葉の重みが違う。
これが自分の人生の責任を自分で取ろうとすることの、そして巻き込もうとしている人の人生の重さなんだ――と、カレンははじめて実感した。