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石鹸の因縁

リンゴのコンポートを完食したあと、ジークは唇を尖らせていた。


「まだ食べられるのに」

「いきなり食べては胃が驚きますので、徐々に量を増やしていきましょう」

「カレンが言うならそうなのかな」


ジークがカレンの言葉を信じはじめている。

とびきりいい兆候だった。

ライオスのときにはカレンの作る料理なんて食えるかと、大暴れして勝手に疲れて死にかけるライオスをなだめることからはじまった。

自分の料理には何らかの力があるとすでに予想していた頃のことだ。

さっさと食べてくれていたら、ライオスはもっと早く治った気がする。


最終的にライオスは死ぬ寸前までいって、フリーダは倒れた。

フリーダが高熱を出して動けなくなったのを見て、やっとライオスは諦めて、カレンにすべてを任せるようになった。


おめでたいカレンがライオスは自分に惚れたのかなと思っていた頃のことである。

ともかく、信頼を得ることは何よりも大事なことである。


「サラ、風呂に入りたい」

「まだ体が弱っていらっしゃいます。お身体をお拭きいたしますよ」

「でも、今なら魔道具を外せそうなんだ……ほら!」


ジークが首飾りを外してみせ、サラは目を丸くした。


「お身体が辛くないのですか?」

「うん。体も熱くない。体が軽いよ、サラ!」


笑みを浮かべるジークに、サラは柔らかく目を細めた。


「でしたら、急いで湯浴みのお支度をいたしますね」


サラが呼び鈴を鳴らすと、複数のメイドがたちどころに現れた。

姿は見えないけれど、控えているメイドたちはいるらしい。

目を真っ赤にしたメイドたちが、できるだけジークに顔を見せないようにとばかりに顔を伏せて準備に向かう。

この家の人々は使用人にこよなく愛されているらしい。

用意された浴室の設備を見て、カレンは首を傾げた。


「石鹸は使わないんですか? 使った方がいいですよ」


カレンは石鹸に関して少々思うところがあるのだが、ジークのために言った。

血筋の祝福は病気とは違うから、ウイルスや菌をまき散らすことはない。

とはいえ、体が弱っているから外から入ってくるウイルスが恐い。

あの体で風邪を引けばひとたまりもないだろう。

魔力が体を蝕みつつも守ってくれるとはいえ、限度がある。


「ジーク様はお肌が繊細で、使うと荒れてしまうのです」

「なるほど。でしたらわたしの手作り石鹸を使いますか? わたしもグーベルト商会の石鹸は顔に使うとピリピリするので、手作りしたんですよ」

「え? 石鹸の製法はグーベルト商会の門外不出の秘だと聞いておりますが」

「あれ、元はわたしが考えたんですよ。まあ、誰も信じてくれませんけど」


正確に言うなら、カレンが前世知識を頼りに作った石鹸だ。

子どもの頃ライオスと出会い、会うたびにライオスが風邪をこじらせているのを見て、ライオスのために石鹸を作ることを思いついた。

この世界には、少なくともカレンが見える範囲には石鹸は見当たらなかったからだ。


前世、夏休みの自由研究で作ったことがある。

油と草木の灰が必要ということで、フリーダに獣脂をもらい、ライオスの家の庭の落ち葉を焼いて、即席の石鹸を作った。

ちょっと獣臭いし、柔らかいまま全然固まらなかった。

でも殺菌能力はあるようで、使うようになってからライオスが風邪を引く頻度が少なくなったとフリーダは喜んでくれた。

ちなみにライオスの肌は強靱で、肌荒れなんかはなかったらしい。


その石鹸が、気づいたときにはグーベルト商会に商品として並んでいた。

石鹸を作る場にいたのは、カレンの他にはライオスとマリアンだ。

マリアン・グーベルト。カレンは当然、彼女にどういうことなのかと訊ねた。


『うちで開発した商品よ。言いがかりはよしてくれる?』


と、マリアンは鼻で笑った。

参考にしただとか、そう言ってくれたらカレンは快く応援しただろう。

なのに、マリアンは「うちの商品を勝手に真似したこと、許してほしかったら騒がないことね」とカレンを盗人扱いした。


それ以来、カレンは前世知識を封印している。

前世知識チートも楽ではないのだ。


「私はカレン様を信じます」

「ありがとうございます、サラさん」

「よろしければカレン様の石鹸を拝見してもよろしいでしょうか?」

「今持ってきますね」


料理を作る前、サラが食材を取りに行ってくれている間に手を洗うのに使ったので、厨房に置いてきている。

カレンが石鹸を持って戻ると、サラは不思議そうに石鹸を検分した。


「……固まっていますね?」

「試行錯誤してたら、何故か固まったんですよね」


カレンが初めて作ったときには全然固まらなかったし、マリアンの家の商会が作る石鹸もずっと柔らかいままなのに。


「それに、嫌な臭いがしません。それどころか、良い匂いです……カモミールティーと同じ匂いですか?」

「鋭いですね。カモミールの精油を使ってるんですよ」


それだけじゃなく、獣脂ではなく植物油を使って石鹸を作っている。

灰も落ち葉ではなく、海藻を焼いたものに変えた。

固まったのは素材を変えたためかもしれない。

それか、長持ちさせようと込めた魔力が理由かも――


「あ、すみませんサラさん。また鑑定鏡をお借りしてもいいですか?」

「どうぞ、お使いください」


カレンが石鹸に鑑定鏡をかざすと、鑑定結果が現れた。



カモミール石鹸

肌の炎症を抑える



「サラさん、石鹸もポーションになっていました」

「カレン様は今の今までお気づきではなかったのですね」

「どうも、勝手にポーションになっているっぽいんですよね。それが幼馴染みには効いたようです。どういう法則によって発生しているのかを確かめているのが今でして」


カレンは情けなくて、つい誤魔化すように笑って言った。


「きちんと調べる前に依頼を受けて現場で試行錯誤することになってしまい、本当に申し訳ないです」

「カレン様が申し訳ないと思う必要はございません」

「サラさん?」


いやに力強く言うサラに、カレンは目を丸くした。


「カレン様が研究を終えるのを待っていては……間に合わなかった可能性がございますので」

「……そうですね」


今日、ジークと会って、カレンも薄々思ったことだった。

多分カレンが堂々と研究成果を発表してから依頼を受けようと思っていたら、間に合わなかった。

ずっと前から貼られていた依頼なので、早く受けないといけないのはわかっていた。

だが、錬金術師としては中々踏ん切りがつかなかった。

ライオスが騎士になったらとは思っていたが、躊躇いは生まれていただろう。


馬鹿の勢いではあったものの、依頼を受けてしまえてよかったのだ。


「間に合ってくださりありがとうございます、カレン様」


まだ一日目なのに、サラは間に合った、と言ってくれるらしい。

ジークを治すこと前提の言葉だ。

カレンはプレッシャーにごくりと生唾を飲んだ。


とてつもなく恐かった。

でも、逃げようとは思わなかった。


もうここに来たら、最後までやるしかない。

手の中にある小さくも確かな手応えを握りしめながら、そう思った。



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