レベル0の使命-10
「ユンケル……どうして!? なんで戻ってきたの!?」
「前見ろ! 前!」
「……え? っきゃ!」
よほど俺が戻ってきたことがショックだったのか、その隙をつかれてリューネは覚醒体に一気に距離を詰められる。そのまま覚醒体の鋭い牙に噛み砕かれそうになるが、メイプルが展開したと思われる白いバリアによってリューネは守られた。
「さっさと距離を取れ!」
メイプルが今にも死にそうな……いや、トイレに行きたくて仕方がなさそうな顔を浮かべていたため、すぐさまリューネに呼びかける。
リューネは俺の声に反応すると跳躍し、俺のすぐ隣にまで一瞬で移動した。
「はぁはぁ……早くも私、力尽きそうなんですけど? もう何回も使えませんよ?」
「悪いな、助かった……リューネと一緒に下がっていてくれ」
俺は一歩前に出て、覚醒体……マンティコアそっくりの化け物を睨みつける。
覚醒体は俺たちのことを覚えているのか、警戒してすぐには襲い掛かって来なかった。
「ちょっと、ちょっと待ってよ! なんで? どうして!? シルは? シルはどうしたの?」
「シルならディーチが守ってくれてる。お前こそ……セレスティルの連中はどうした?」
「皆ダメージを負って、回復するまでの時間を私が……って、そうじゃなくて! なんで戻ってきたの!? あの化け物の強さはわかってるでしょう!?」
「わかってるよ、でも……俺たちがやらねえと駄目なんだよ」
「だからどうして!?」
「あいつにはレベル0の攻撃しか効かない。レベルのある奴の攻撃は何をしても無効化される」
そう言うと、リューネは顔を俯かせた。
ここまでずっと戦ってきたのだ、リューネなら自分の攻撃では何をやっても無駄なことを、とっくの昔に理解しているはず。
「……根拠は?」
だがそれでも俺に戦わせたくないのか、そう問いかけてきた。
「額の傷を見ろ。あれは同じレベル0のバーニャがつけた傷だ、修復されてないだろう?」
根拠として充分な理由だったのか、リューネはそれ以上聞き返さず、唇を噛みしめる。
「でも……それでも、無理よ! 実力が違いすぎる! レベル15の私でも殺されないように戦うのが精一杯なのよ? ユンケルはどうやって倒すつもりなの!?」
「俺は倒せないかもしれないだけど、お前は絶対に倒せないだろう? なら、俺がやるしかない」
「……でも! でも!」
「俺がやらなきゃ……お前は王都の人たちを守るためにまだ無茶するつもりだろ?」
「ユンケルが無茶するよりマシよ!」
既に体力が尽きかけているのか、剣を地面に突き刺して、ふらふらになりながらリューネは立ち上がる。俺はそんなリューネの肩を掴み、メイプルへと投げつけた。
「回復してやってくれ、なんとか一人で粘ってみる」
「ユンケル!」
不服なのか、リューネは叫び散らす。
正直、逃げ出したい。勝てるとも思えない。
いつもの俺なら確実に逃げている……だが、逃げるわけにはいかない。
ここで逃げていれば、こいつより強い敵には挑めない。この世界は何も変わらない。
そうなれば、リューネもシルもいつかは魔王の腹の中へと収まる。
「泣くなよ……どれだけ人類が不利でも、お前だけは守るから」
「……どういう意味? さっきから訳がわかんない!」
「事情ならあとで話す。今は俺を信じてくれ……今度は、俺が約束を果たす番なんだ」
多分、俺がその約束のことを口にするのは初めてかもしれない。
「……ユンケル」
だからだろうか、リューネは驚愕して目を見開き、口元を手で押さえた。
恐らく俺は今、人生で一番と言い切っていいくらいにカッコつけている。
本当は、身体の震えが止まらないくらい怖くて仕方がないのに。
「待っててくれて悪いな……やろうぜ」
俺は鞘から毒の塗り込まれたナイフを抜き取り、右手に持って構える。
覚醒体は、何を狙っているのか、未だに動きを見せなかった。
その理由は簡単にわかった。俺たちの中にいない人物を警戒しているのだ。
自分の額に傷をつけた唯一の脅威が、どこかに潜んで罠を張っているのではないかと。
「残念ながらバーニャはお留守番だ。代わりに俺と踊ってくれよ」
警戒してくれているこの隙をつかないわけがなく、俺はゆっくりと走り始める。
リューネと比べると、止まって見えるスピードだからか、覚醒体は俺に視線を向けるだけで動こうとはしなかった。
……心臓の音がさっきから鳴り止まない。一撃でもくらえば死ぬのだ。
ここからの失敗は許されない。
「間合いに…………入った!」
覚醒体との距離を半分以上詰めたところで、俺はゆっくりと動かしていた足を踏ん張らせ、全力疾走へと切り替える。さすがの覚醒体も、突然速度が変わって警戒したのか、前のめりになって攻撃態勢に変わった。だが、少しだけ遅い。
「ガギャアアアアアアァァァァァァア!」
俺が使ったのは火炎瓶ではなく、煙玉だった。
変速したあとの俺の速さに慣れさせる前に煙を巻き上げ、俺は覚醒体へと一気に詰め寄った。
俺を見失い、尚且つ俺がゆっくりと走っている状態に慣れてしまっている覚醒体は、一気に詰めてきた俺に反応できず、俺の接近を許してしまう。
そして頭部に近付くのは危険なため、俺は覚醒体の横側の胴体部分へと回り込み、ナイフを突き刺した。肉が硬く、毛皮も厚いためほんの少ししか刺さらなかったが、毒は体内に流し込めたはずだ。効いてくれるかはわからないが。
「ユンケル!」
「っつ!」
直後、覚醒体は俺の身体めがけて、胴体を捻って勢いをつけた殴打を繰り出してきた。
攻撃を与えられたことで油断してしまっていたが、リューネが掛け声をかけてくれたおかげでギリギリのところで覚醒体から離れて回避し、なんとかなった。
覚醒体も煙のせいで上手く狙いを定められなかったのだろう。
覚醒体は一度俺から距離を離すため、跳躍して煙のない通路奥へと退避する。
「しかし……あれだな」
覚悟を決めて挑んだはいいが、まるで勝てる気がしない。
これだけ命張って頑張って、できたことはちょっとナイフでチクッとしただけとか。これで毒が効かなかったらいよいよどうすればいいかわからなくなりそう。
「お……でも効果はあったみたいだな」
覚醒体は思うように身体が動かせなくなったのか、少しだけふらつく。
どうやら即効性のある毒が効いてくれたようだ。いくら覚醒体で普通よりも魔素で身体能力が強化されているとはいえ、元々はただのマンティコアということなのだろう。
「毒が効いてるうちに仕掛けたいけど……」
どう攻めたものかわからず、俺は立ち往生してしまう。
同じ手は恐らく通用しないだろう。
火炎瓶があと一本残っているが……これは切り札だ。確実に仕留められるタイミングで使わなければそれこそ打つ手がなくなる。
どうすれば――――
「何モタモタしてるのよ! チャンスでしょ!」
そう頭を悩ませていると、突如、死角である空から炎の球体が飛来し、覚醒体の頭部へともろに直撃する。すぐさま発生源を炎の球体が入射された角度から追って確かめると、そこには屋根へと上って両手を覚醒体へと突き出すバーニャの姿があった。
「お前……!」
俺は思わず笑みをこぼしてしまう。
ここに来るのは相当怖かったはずだ。バーニャの震えを実際この手で確かめたからわかる。
それでもこうして勇気を振り絞り、助けに来てくれたのが俺は素直に嬉しかった。