挫折-7
それから、特にこれといって語ることのない日々が一週間ほど続いた。
これまでの強くなることを目標にしていた日々とは別れ、その日を生きるための稼ぎを得るために働き、家で待ってくれているシルと安らぎの日々を送っている。
最初はしつこく「頑張ろう! 諦めるなんてユンケルらしくないよ!」と言っていたリューネも、さすがに諦めたのか何も言わなくなった。その代わり、リューネとの口数は減った気がする。
シルはそんな俺たちを見ていつも悲しそうな顔をするが、リューネのことだ。あと一週間もすれば機嫌を直して今までのように接してくれるようになるだろう。
「これください」
「へい、毎度! ついでにトマトはどうっすか? 今日もおまけしますよ!」
太陽が真上に昇る晴天の下、俺は今日も仕事に勤しんでいた。
ちなみにこの一週間、ターゴンのいるアジトには足を運んでない。
本当にこれでいいのか? と、バーニャの顔がチラつくこともあるが、やはりもうあの場所に行く気にはなれない。行けば、決断した意志が揺らぎそうな気がするからだ。
だが気にしたところで何も始まらない、だから今日も昨日と変わらない日を過ごそうと思っていた矢先、
「もらえるか?」
薄汚れたフードマントを被った赤髪のおっさんが現れる。
「へいらっしゃい! ……って、お前」
久しぶりに見たので一瞬気付かず、素で接客してしまったが、姿を見せたのはターゴンだった。
右目に負った傷とボロボロのフードマントのせいか、不審者にしか見えない。
「思っていたよりも元気そうだな」
「ターゴン……バーニャに聞いたのか? 俺がここにいること」
「いや? 俺は元々ここにいることを知っていた。その口ぶりだと、バーニャが来たんだな」
ターゴンは売り物のリンゴに手をつけると、銀貨を一枚弾いて俺へと渡す。
「釣銭はいい、この間の件のバーニャの迷惑料だと思ってとっておけ」
そしてそのままリンゴを口へと運んだ。
気前がいいのは結構だが、あまりにも風貌が怪しすぎて他のお客さんが引いてるから、さっさとどっか行ってほしい。
「そう怖い顔をするな。別に俺は、お前が拠点に来なくなったのはどうでもいいんだ。別にそれについてとやかく言うために今日は来たわけじゃない」
「どうでもいいなら放っておいてくれよ。ただのお客として来るなら歓迎するけど」
「それはできんな、どうでもいいと言ったのは……お前がどうせ戻ってくるからだ」
ターゴンはそう言うと、見透かしたかのような不気味な笑みを浮かべる。
当然、その発言が気に食わず、俺は眉根を寄せた。
「どういう意味だよ?」
「そのままの意味だ。いずれお前は気付いて戻ってくる……俺の見込み通りの男なら、だが?」
「見込み違いだよ」
「そうかな? お前は気付き始めているんじゃないか?」
その言葉に、俺は無意識のうちに額に汗を浮かべてしまう。
俺の脳裏に一瞬、英霊の森で起きた出来事が浮かんでしまったからだ。
「なんのことだ?」
しかし俺は白を切るように、素っ気なく問い返した。
「何故……何も聞いて来なかった?」
「……何の話だよ?」
「あの森に行った日、お前は何故、一方的に諦めると伝えるだけで……何も聞いて来なかった? 覚醒体のことをメイプルから聞いたのだろう? 何故聞いてこない?」
「…………もうどうでもいいと思ったからだよ」
「違うな」
そう言うと、否定する俺が滑稽にでも見えるのか、ターゴンは鼻で軽く笑い飛ばした。
「お前があの日、何も聞かなかったのは……どうでもいいと思ったからじゃない」
「…………やめろ」
「怖くなったのだろう? 真実を知るのが」
「……違う、俺は」
何も言い返せず、俺はターゴンを睨みつけて口を閉じてしまう。
「察しのいいお前は、答えに辿り着きかけている。これまでお前はレベル0だけで戦ったことがなかった……故に、レベル0だけで戦うことの異変に……簡単に気付いてしまったのだろう?」
「なんだよ、異変って……?」
馬鹿々々しいと言わんばかりに、俺は苦笑を返す。
だが、ターゴンは見透かしたかのような表情を一切変えず、俺の目を見続けた。
「強くなっても仕方がないと思ったからどうでもよくなったんだ。それ以外に理由なんてない」
「……それも一つの理由ではあるのだろう。成長に絶望を感じるのは、レベル0ならば仕方のないことだ。それに加えて覚醒体と出会ったのだろう? そうなる気持ちはわからんでもない」
「そういうこと。ほら、もう用が済んだのならとっととどっかに……」
「だがお前は強くならなければならない」
「…………はぁ?」
「強くならなければならないと、いずれ気付く」
まるで、この先に何が起きるのかを知ったかのような口ぶりだった。
「お前が大切にしている幼馴染を守りたい……ならな」
「おい、リューネとシルに何かしたのか?」
二人のことを口にされ、俺はターゴンに詰め寄って顔を睨みつける。
そして、勝てるわけがないのに身体が勝手に動き、ターゴンの胸倉を掴んだ。
「俺は何もしない。俺は、な」
「どういう意味だ……!」
胸倉を掴む力が自然に強まっていくのが自分でもわかった。
冷静さを欠いている自覚はあるのに、何故か俺は二人の身が危ないと聞いて抑えられなくなる。
これだけ誰かに敵意を向けるのは久しぶりな気がする。こんなことで何故?
それにこの「なんとかしなきゃ」って感覚……どこかで。
「……もう時間がないな。そろそろ本題に入ろう」
「本題……?」
「どうして俺が今日、ここに来たかわかるか?」
「は?」
「お前なら、俺が言うまでもなくわかるはずだ」
「……たまにはお前の口から言ってもいいんじゃねえの?」
自分で気付かせるような言い方に、俺はそろそろうんざりしていた。
だが、それでもターゴンは説明するつもりがないのか、表情一つ変えず俺を見続ける。
俺は諦めて舌打ちを一回鳴らしたあと、胸倉を掴んでいた手を放した。
「これから……何かあるのか?」
正解なのか、ターゴンは嬉しそうに笑みを浮かべる。
確かに少し考えれば、簡単にわかることだった。
ターゴンは俺がここにいることをずっと前から知っていた。
知っていたのに来なかったのは、俺に会う目的がなかったからだろう。
今日も、ただ俺と話すためにきたわけじゃないはずだ。さっきまでの意味ありげな会話も、ついでに聞いた程度でしかないのだと思う。
話すのが目的なら、この場所を知った段階で俺に会いに来ているからだ。
「どうしてそう思う?」
「俺が働いてたことを知ってたんだろ? なら用事があるにしても、わざわざ俺が働いている時間に来る必要はないはずだ…………ってことは、今じゃないと駄目ってことだろ?」
「正解だ。まあ……今じゃないと駄目だから会いに来たというよりかは……」
言いながら、ターゴンは晴れた空を見上げる。
何かあるのかと、俺も追って空を見上げた。
「事が起きて、お前を見失ってしまう前に会いに来たという方が正しいが」
「…………っ!?」
その瞬間、俺は目を見開いて顔を強張らせた。
バザーの建物に挟まれた俺たちの真上を、巨大な何かが横切ったからだ。
「来たようだな、予想通りの時間だ」
「おい……今のって!」
「言うまでもないだろう? モンスターだ」
横切ったのは一体だけではなかった。最初の一体が見えたあと、二体、三体と次々に様々な種類の飛行型モンスターたちが横切っていく。
「な、何よあれ!」
「きゃぁぁぁあああああああああ!」
周囲にいたバザー内を歩いていた人々も、次第に真上を通る存在に気付き、悲鳴を上げた。
間もなくして、危機が迫っていることを知らせる鐘の音が、王都中に響き渡る。
「なんで今頃……!? もっと早くにモンスターに気付いていたはずだろう? なんでここまで入り込まれてから鐘を鳴らしてるんだ!? 遅すぎるだろ!」
「王都が昔に比べ広大になりすぎたせいだ。特にここは王都の中心地近く、情報伝達が遅れるのは仕方のないことだろう?」
「そんなわけあるか! 魔法での伝達とか、何かしら方法はあるはずだろ! 広大になりすぎたなんてわかりきってることに、王都が対策してないわけがねえ!」
「ふ…………はははははは! やはりお前はいい!」
何が面白かったのか、ターゴンは笑いながら真上から接近してきたモンスターを鷲掴みにする。
鳥と狼を足して割ったような見た目をしたモンスターは、ターゴンに嘴を掴まれて身動きが取れなくなると、そのまま勢いよく振り下ろされ、地面へと叩きつけられた。
直後、肉体が消滅し、魔素となってターゴンの身体へと吸い込まれていく。
「そうだ、それはただの建前だ。パニックになるよう、故意に情報の伝達を遅らされている」
「何のために? いったい誰が!?」
暫くして、今度は空からではなくバザー内の長い通路を通って四足歩行のモンスターが俺たちの下へと接近する。それは、長距離を簡単に走りぬくスタミナと、狙った獲物を逃がさない跳躍力、そして肉を引き裂く鋭い牙が持ち味のライガーウルフと呼ばれるモンスターだった。
恐らく、そのスピードを生かしていち早く王都の中心部まで走ってきたのだろう。
俺は慌ててトマトを投げつけ、ライガーウルフの視界を奪う。
そして、その一瞬怯んだ隙をついてターゴンはライガーウルフを蹴り飛ばし、壁へ叩きつけた。
「聖魔教団だ」
「……は?」
一連の動作を終えたあと、ターゴンはありえないことを言葉にする。
答えが想定外すぎて、俺は間の抜けた声を出してしまった。
世界中に勢力を伸ばし、小さな諸国よりも世界に対して大きな権力を持つ、実質このファーミングの世界を管理しているといってもよい組織。それが聖魔教団だ。
「何のために聖魔教団がそんなことをするんだよ……!」
「説明している時間はもうない。聞きたいならモンスターから身を守りつつ聞くんだな」
そう言うと、ターゴンは俺に背を向けて走り始める。
店に置きっぱなしの野菜を放置していいのかと一瞬迷ったが、シルの姿が脳裏に浮かんだ瞬間、それどころではないと判断し、俺は着用していたエプロンを脱ぎ捨ててターゴンのあとを追う。
俺が追ってきたのを一瞥して確認すると、ターゴンは――――
「さあ、大狩猟の始まりだ」
笑みを浮かべてそう言った。