挫折-1
薪を集めるという簡単なクエストを消化するつもりが、得体のしれないマンティコアに追いかけまわされるはめになってしまった事件から五日が経過しようとしていた。
ルードが言うに、あのモンスターはやはりマンティコアで間違いないらしい。
とはいえ、普通のマンティコアと比べて異質ではあったようだ。
一度王都へと戻ったあと、ルードは「一刻も早く駆除しなければならない」と戦力を増やし、再度あの森に救助へと向かったが、あの異質なマンティコアとは遭遇しなかったらしい。
残っていたのは、セレスティルのギルド員が装備していた鎧や剣などの遺品のみで、遺体は跡形もなく食い尽くされていたとのことだ。
それを俺に報告してきたリューネもさすがに参ったのか、その日、一日は元気がなかった。
「あれ…………ケツが痒いなぁ?」
まあ正直、もうどうだっていい話だ。
「レベル0で身体が貧弱だからかなぁ?」
「…………最近、このやり取りしたわよね? 私はもう反応しないからね」
リューネは軽蔑の視線を俺に向けて溜め息を吐く。
なんて冷たい奴なんだ。ちょっとベッドに転がってケツを掻いていただけなのに。
「バイトの時間まで暇なんだよ、リューネをからかう以外にすることがない」
「ふぅ~ん? やっぱりあの時、私のことからかってたんだ」
「あ、嘘嘘、やっぱからかってない。からかってないから止まれ、ちょ、やめ、グフェ!」
現在俺は、リューネが借りた家の一室に住まわせてもらっている。
貴族が住む家ほどではないが、広くて、手入れの届いた綺麗で立派な家だ。
最も家賃の高い王都の中央あたりに位置する物件なのに、なんと集合住宅ではなく二階のある一戸建て。セレスティルの本部とも近いためリューネはここを選んだと言っていた。
選んだって何? セレスティルに所属しているだけで、こんな立派な家を借りられる大きな信用を得られるってこと? 俺なんか選ぶことすらできず貧民街で暮らしていたというのに。
「ねえ、本当に……諦めるの?」
俺の腹を一発殴ったあと、ベッドの目の前にある椅子に腰をかけて寂しそうにリューネは呟く。
情緒不安定なのかな?
「はぁ……諦めるとかじゃないんだ。無理なんだよ、単純に、理屈的に考えてな。そりゃミノタウロスは簡単に倒せるようになるのかもしれねえけど……それだけだ」
「それだけって……どういうことよ?」
「この前のマンティコアみたいに、レベル0ではどうあがいても倒せない敵がいるってことだよ。それに俺はリューネのような高レベル連中みたいに頑丈じゃない、毎回死のリスクを背負って戦わなきゃいけないんだぞ?」
俺は自分の限界を知った。
いや、限界というよりか……自分の末路と呼ぶべきだろうか?
臆病に戦っていても、死ぬときは死ぬ。どれだけ強くなろうが、魔素で身体を守る術のないレベル0は、複数の敵に囲まれればどうしようもないのだ。
実際、俺はリューネが助けに来なかったらミノタウロスに握り潰されて死んでいた。
だから俺はもう、戦わないことにした。安全な場所で、安全な生活を送る。
俺は、生きたいのだ。それがこの前のことでよくわかった。
「でも、やっと強くなれる方法が見つかったのに……」
「この前さ……思ったんだよ。強くなってどうするんだ? ってさ」
ベッドから身体を起こし上げ、いつにもなく真面目な顔でリューネに向き合う。
「強くなっても結局、金を稼ぐ効率が上がるだけだ。死ぬような思いをしてまで金が欲しいとも思わない。死んでまで……モンスターと戦いたいとも思わない」
「で……でも」
俺が諦めきってしまっているのがそんなにも不服なのか、リューネは戸惑い顔を強張らせる。
「お前は俺に死んでほしいのか?」
「そうじゃない! そうじゃない……けど」
次第にリューネは残念そうに俯き、暫くの間、何か言いたげに俺の目を見続けた。
「あの時の気持ちは……忘れちゃったの?」
「あの時の気持ち?」
「……なんでもない」
結局頭の中で浮かべている言葉を口にしないことにしたのか、リューネは俺から視線を逸らす。
あの時の範囲とやらが広すぎて、どのことを言っているのかわからなかった。
まだ、強くなれることを信じて努力を続けていたことのことだろうか?
だが、リューネの言いたいことはわかっているつもりだ。
これまで積み重ねてきた努力を無駄だったなんて言ってほしくないのだろう。
自分だけ強くなってしまったことに、責任を感じているのかもしれない。
だが、リューネは一つ勘違いしている。俺は諦めこそしたが、満足はしているのだ。
努力したおかげで、少なくともレベル2か3くらいの奴らとそんなに変わらない強さは手に入れた。そりゃ、最初はレベル0だからって受け入れてくれないかもしれないが、ちゃんと見てくれる人がいれば、すぐにそのことに気付いてくれる。
実際、俺はあの騒動のあと、王都中を走り回り、遂にバイト先を見つけたのだ。
レベル0でも理解してくれる人はちゃんといる、ちゃんとした生活を送れる。
「とにかくもういいんだよ。切り替えだよ……切り替え、ここまで頑張ったからこそ選択肢が増えて違う道にも行けるようになったって考えれば、俺の努力も無駄にはならないだろ?」
「……でも」
それでも俺には強くなろうとする道を歩んでほしいのか、リューネは元気なく顔を俯かせる。
……何故そこまで俺に強くなって欲しいのだろうか?
昔、何か約束でもしたのだろうか? 覚えがない。
そういえば……リューネの両親が亡くなった時、親の代わりに俺がリューネとシルを守ってやる的なことを言った気がする。
言っていたはずだし、言ってなかったとしても俺はリューネとシルに何かがあれば命懸けで守ろうとするだろうが……なんだ?
あの日のことをよく思い出せない。
思い出そうとすると、何故か霞がかる。
思い出してはいけないと警告されているかのような寒気にも襲われる。
どういうことだ? 村に入り込んだモンスターが、リューネの両親を殺したあの日を忘れるわけがないのに……どうしてハッキリと思い出せない?
絶望の顔を浮かべた当時五歳だったリューネがいて、そのリューネに抱かれた当時一歳のシルが居て、その傍に俺がいたはずだ。
何故か……それ以外のことがさっぱりと思い出せなくなっていた。