臆病者の戦い方-10
「ねえ……あのマンティコア」
バーニャも気付いたのか、マンティコアを指差して立ち止まる。
さっき倒されたマンティコアは、足をルードとその仲間たちに斬り落とされたはずだった。なのに、いつの間にか足がマンティコアから生えているのだ。
それだけでなく、死んでいるはずなのに、マンティコアは紫色のオーラを纏ったままだった。
というより、どうしてあのマンティコア、死んだはずなのに――
死骸が残っているんだ?
そうだ、思えば途中で襲ってきたアサシンカメレオンも、死体が残ったままだった。
まだ実は生きていて、魔素を放出しないケースはよくあることだが、アサシンカメレオンもマンティコアも、身体を引き裂かれて確実に死んでいた。
実際、首をリューネに斬り落とされたミノタウロスはすぐに魔素を放出して消えている。
「おいおい……どういうことだよ」
とはいえ、アサシンカメレオンも変ではあったが、目の前のマンティコアほどではないだろう。
少なくとも、アサシンカメレオンは死骸のまま変化しなかったが、目の前のマンティコアは徐々に斬り裂かれた肉体を元通りに修復していたからだ。
「リューネ! こいつまだ生きてるぞ!」
俺の叫びに反応して、ルードとリューネは振り返る。
一瞬「何を言ってるんだ?」と苦い顔を浮かべていたが、マンティコアの姿を見るや否や、顔色を変えて剣を鞘から抜いた。
「馬鹿な…………確実に倒したはずだ!」
「でも生きています! 私が惹きつけるのでルードさんは後ろに回り込んでください」
マンティコアが完全に回復するよりも早く、ルードとリューネは踵を返して走り出す。
二人の動きに合わせて俺たちを護衛していた三人も、武器を構えて飛び出した。
「ユンケルさん……私たちはどうしますか?」
「どうしようもねえだろ、下がるしか」
俺が攻撃を仕掛けたところでダメージが通るわけもないし、バーニャの精霊術式も今はもう頼れない。俺たちにできることは、リューネたちの邪魔にならないように身を守ることだけだった。
「……こっちを見なさい!」
素早くマンティコアの目の前へと移動したリューネは、目元を狙って剣を振るう。
回復して一瞬のうちに視界を奪われたマンティコアは、苦しそうに雄叫びを上げた。
「どうやって蘇ったかは知らんが……これで終わりだ!」
その隙を見逃さず、ルードはリューネもよく使う魔素を斬撃に乗せて飛ばす攻撃を、十字の形でマンティコアの背後から放った。
……速い。
もたもたと油壺をぶつけて怯ませていたのが馬鹿らしくなるくらいに無駄のない連携。
当たり前だが、俺とリューネが一緒にモンスターを狩っていた時でも、これほどテンポよく攻撃できたことは一度もない。俺がどれだけ足を引っ張っていたのか、これを見ればよくわかる。
「もう……起き上がるなよ」
今度は縦だけではなく、縦横に肉体を斬り裂いたマンティコアを前に、剣を鞘に戻しながらルードはそう吐き捨てる。だが――――
「ルードさん! 危ない!」
引き連れていた名前も知らない三人の仲間のうち、一人の男性が、ルードを突き飛ばす。
直後、ルードを突き飛ばした男性は、マンティコアの鋭い爪の生えた前足によって吹き飛ばされた。もろに攻撃を受けたのか、男性は大木へと叩きつけられ、口から血反吐をぶちまける。
「ば……馬鹿な」
信じられない光景を前に、ルードは引きつった顔で後ずさりする。無論、それは見ていた俺たちも同じだった。
「どうして……生きてるのよ?」
ありえない光景を前に、バーニャは腰を抜かす。
どうやらお前が喧嘩を売った相手は、俺たちなんかが手を出していい相手ではなかったらしい。
「ゴガァァァァアアアアアアアア!」
マンティコアは生きていた。
先程とは比べものにならない速度で肉体を修復し、再びルードへと襲い掛かったのだ。
リューネがつけた目元の傷までも修復してしまっている。
「馬鹿な……仲間と連絡がつかないのも……こいつのせいで?」
「下がっててユンケル……!」
すぐさまリューネは魔素を斬撃に乗せてマンティコアへと放った。
ルードほどの威力ではなかったが、それでもマンティコアの目元を深く傷つける。
しかし――――
「……どうなってるの!?」
マンティコアは一切怯まなかった。目に深い傷が残り、周囲が見えなくなったはずなのに、まるで効いていないかのような落ち着きぶりで、すぐに目元の傷を修復してしまう。
「この……この!」
間髪を容れず、リューネは斬撃を繰り返し放ち続ける。だが、マンティコアは一切怯むことなくリューネへと飛び掛かった。マンティコアの鋭い牙がリューネの胴体を噛み砕こうとするが、俺の幼馴染がそんな簡単にやられるわけもなく、跳び上がってマンティコアの背へと乗り込み、逆に攻撃チャンスへと変える。
「遠距離が駄目でも、直接なら…………!」
そのまま、剣をマンティコアの背中へと突き刺した。
「なんで? なんで効かないの!?」
しかし、血しぶきは上がらなかった。
ここからでは見えないが、リューネの焦りの表情から効いていないのがわかる。
何度も何度もリューネは剣をマンティコアの背中へと突き刺しているのに、マンティコアは苦しむ素振りを見せない。
剣はちゃんと刺さっているはずなのに……何故ダメージがないんだ?
「っきゃあ!?」
無論、いつまでも背中に乗せてくれるわけもなく、リューネはマンティコアに振るい落とされる。
「リューネ君! ……くそ、こっちを見ろ!」
地面に転がり体勢を崩したリューネを守るため、ルードと護衛の三人がすかさず斬りかかるが、四人の攻撃は刃を通せても効いてはおらず、マンティコアに殴り飛ばされた。
だが今ので、マンティコアの背で何が起きていたのかは理解できた。
剣が刺さったことでちゃんとダメージは入っているが、ダメージなんてなかったと錯覚してしまう速度で、マンティコアは自身の傷を修復しているのだ。
「おいおい……傷の治る速度が上がってないか?」
「どうなってるの……あれ?」
最早、レベル0の俺たちが手を出せる相手ではなかった。
力も速度もあるリューネたちだからなんとか耐えられているだけで、俺たち……いや、レベル10以下の者が挑もうものなら、手も足も出ないだろう。
「ならば……魔法はどうだ!? 神の怒りをくらうがいい!」
物理的な攻撃が効かないと判断したのか、ルードは剣を鞘に納めて手元に魔素による紫色の光を灯らせる。その間、リューネを含める三人が動きを止めるために斬りかかり続けた。
「喰らえ! サンダーブレイク!」
直後、ルードの手元から眩い光を放つ雷撃がマンティコアへと放たれる。
サンダーブレイク、肉体を崩すほどの衝撃と熱を同時に与える高等魔法だ。どうやらあの男、俺に偉そうに説教をかますだけの実力はあるらしい。
「ば、馬鹿な……!?」
しかし、それすらもマンティコアには通じなかった。むしろ、剣で攻撃していた方がまだ動きを封じられるくらい、何も意味を成さなかった。
自信のある一撃だったのだろう、ルードは焦燥した顔つきになって再び剣を構える。
「もしかして……覚醒体?」
その時、青ざめた顔でメイプルがボソッと謎の言葉を呟いた。
「なんだよ、覚醒体って?」
「え? あ、その……私は何も言ってませんよぉ~?」
「誤魔化し方、下手すぎでは?」
すかさず問いただすと、メイプルはやってしまったと言わんばかりの顔で口笛を吹き始める。
口笛、カスカスで全然鳴ってないけど。
「知ってるんなら教えろ、あれは何なんだ?」
「わ、私も詳しいことはわからないです。ターゴンさんが、もし覚醒体に出会ったらとにかく周りの人間を見捨ててでも逃げろって」
「……なんであれが覚醒体だって思ったんだ?」
「……それは」
目線を合わせると、メイプルは気まずそうに口籠もる。
こいつ……実は何か知ってるな? そういえばターゴンと一番付き合いが長いのもこいつだし、ターゴンに口止めでもされているのだろうか? 何のために?
そもそも何で話そうとしない? 知ること自体に何か問題があるということか?
くそ、気になるが……今は問いただしている状況でもない。
「あんたたち! 下がってくれ!」
俺は叫ぶと、ポーチから最後の火炎瓶を取り出し、火打ち石で素早く着火する。
そして、リューネの攻撃で動きを止めた瞬間を狙い、マンティコアの頭部へと投げつけた。
「逃げるぞ! 相手していても、いつかこっちがやられる!」
火炎瓶が割れてまきちらされた油により、マンティコアの頭部は勢いよく燃え盛る。
傷は回復してしまうのかもしれないが、油が燃え続けている限りはマンティコアを苦しめることができるだろう。さっきも効いていたし。
とにかく、ターゴンが逃げろというほどの相手だ。これ以上、倒せない敵を相手にし続けて疲弊すれば、いずれこちらの誰かが殺されてしまう。
「まだ仲間が見つかっていないが……やむをえまい」
ルードも同じように逃げることを考えていたのか、素直に剣を鞘に納め、大木に叩きつけられて横たわっていた仲間の一人を担ぐ。
その後すぐに、俺たちは森の外へと向かって走り始めた。
「グゴァァァァァアアアア!」
マンティコアの、炎で苦しむ叫び声が森中に響き渡る。
「んな!?」
だが、最初の一回目で熱に慣れたのか、マンティコアは頭部を燃やしながらも目を開き、俺たちのあとを追ってきた。
「あいつ……どれだけ化け物なんだよ」
「そもそもマンティコアなの、あれ!?」
俺とバーニャの顔が恐怖で歪む。
リューネたちがいるため、さっきよりはマシだが、まずい状況だ。
足の速さが、俺たちとリューネたちでは段違いだからだ。このままだと追いつかれて、俺たちのせいでまた戦闘に持ち込まれるだろう。そうなれば頼みの綱の火炎瓶も、油壺も使ってしまったレベル0の俺たちに逃げる手段はない。
「火力が足りないなら…………足せばいいんでしょ!?」
走っている途中、バーニャが突然立ち止まって振り返る。
「これが……最後!」
精霊の力による光を纏わせると、バーニャは手元から、俺と初めて会った時にも見せた炎の球体を飛ばす魔法をマンティコアへと撃ち放った。
「ギャァァァアアアアアア!」
炎の球体はマンティコアの頭部に命中すると、火炎瓶の火と合わせて激しく燃え盛る。
そして、強まった熱に耐えきれなくなったのか、マンティコアは動きを止めて苦しみもがいた。
「怯んだぞ! 今のうちに!」
「ま、待ってユンケル! 私もう、精霊術式使えないから……は、走れない!」
走るために残しておいた精霊の力を使ったのだろう。軽快だった足取りが途端に鈍くなり、バーニャは息荒く俺に助けを求めた。
「あなた……やるじゃない! 誰かは知らないけど」
無言のまま俺がリューネに視線を送ると、リューネは何も言わずにバーニャを担ぎ上げる。
「ええ、素晴らしい魔法でした。まさかあのマンティコアに効くなんて……レベルはおいくつで?」
「えっと……秘密です」
バーニャのナイスなアシストに、ルードも笑みを浮かべて褒め称える。
そんな中、あまりにも不可解な事態に俺だけが眉間に皺を寄せていた。
というのも、今バーニャの放った精霊術式が効いた意味がわからなかったからだ。
今の精霊術式が効くのならば、ルードの魔法が効いていないとおかしい。
思えば、バーニャが最初に放った風の刃も効いていた。
となると、精霊術式だからあのマンティコアに通用したと考えるべきだが、その理由がわからない。…………いや、待てよ?
バーニャが風の刃で最初につけた頭部の傷、修復されずに残ったままじゃなかったか?
「…………どうしたんですか? ユンケルさん」
「いや、さすがに走りっぱなしで疲れただけだ」
考えれば考えるほど、意味がわからないモンスターだった。
身体も一際大きかったし、紫色のオーラを纏っていたし、そもそもマンティコアかどうかも怪しい。メイプルは覚醒体とか言っていたが、正直、今回逃げ切ればもうどうでもよかった。
ターゴンならあれが何なのか知っているのだろうが、聞こうとも思わない。
強くなりにこの王都に来たわけだが、強くなったところで意味がないことを俺は知った。
どれだけ強くなる方法があるといっても、それは結局、レベル0の範囲内での話なのだ。
リューネやルードのようになれるわけもなく、強くなったところで今回のマンティコアのように、リューネたちでも手の出しようのないモンスターがいる。
強くなったところで、結局これまで通り、死のリスクは付き纏うのだ。
「……強さか」
そもそも、俺はどうして強くなろうと思ったのだろう?
リューネの寝返りで殺されそうになったから……なんて理由で、十三年間も頑張れたわけがない。
いつまで経ってもレベルが上がらないのに、しつこく強くなろうとあがけるわけがない。
今回もこうやって諦めているのに、昔の俺は……何故諦めなかった?
「……どうでもいいか」
だが強くなろうと思った最初のきっかけを思い出すのも面倒なくらい、俺は打ちのめされていた。
今回は、故郷の村で強くなれないから諦めてしまった時とは違う。
俺という存在が得られる強さの限界を知ってしまった。
ただ……それだけだった。