臆病者の戦い方-8
「グモ…………」
当然ながら、ミノタウロスは接近する俺たちに気付いている。そりゃ背後でマンティコアがうるさいほどに叫んでいるのだ、気付かないわけがない。
止まればマンティコアに殺されるし、このまま進んでもミノタウロスに殺される。
ミノタウロスの動きを熟知している俺はこの場を切り抜けられるが、この二人がミノタウロスの振るう斧の挙動を予測して、回避しきれるとは到底思えない。
「バーニャ! ミノタウロスに向かって風の刃を頼む! 狙う場所はわかるな!?」
一か八かに賭け、俺は叫びながら速度を上げて、二人よりも前へと出た。
バーニャが「任せて!」と返事した二秒後、風の刃が俺の頭上を通り抜ける。
「グモォォォォォォォ!?」
風の刃は見事ミノタウロスの目元へと直撃し、ミノタウロスは悲痛な叫び声を上げて斧を握る手を緩めた。その隙を狙い、俺はミノタウロスの股の間を通り抜けようとする。
この後の動きはこの間と同じだ。
短剣を突き刺して背中から駆け上り、火炎瓶を頭部に直接叩き込むのだ。上手くいけば、視界を失ったミノタウロスがマンティコアの進路を妨害して…………!?!?
「……は?」
ミノタウロスの股をくぐると同時に、予想していなかった事態に直面し、俺は間抜けな声をだしてしまう。
このミノタウロスのすぐ背後に、もう一体のミノタウロスがいたからだ。
「……っ!?」
このミノタウロスと、周囲の木々が視界を遮って見えていなかった。だが、いつもの俺なら気付けたはずだ。足音や草木を分ける音から発せられる気配を確認してさえいれば。
背後に迫るマンティコアに焦って、その可能性を考慮しなかった俺の致命的なミスだった。
しかもミノタウロスだけじゃない、この騒ぎを聞きつけて傍にまで寄ってきていたのか、アサシンカメレオンまでもが近くの木々に一体張り付いている。
「くそっ…………たれぇぇぇぇえ!」
早速、俺の姿を捉えたアサシンカメレオンが、俺を殺そうと槍のように鋭い舌を伸ばした。
一瞬早く、アサシンカメレオンの存在に気付いていた俺は、寸でのところで首をひねり、頭部を貫こうとしていた舌による攻撃を回避する。
しかし次に、背後に控えていたミノタウロスが、俺を握り潰そうと大きな手を伸ばしてきた。
俺は慌て、叫びながら手に持っていた火炎瓶を、手を伸ばしてきた方のミノタウロスへと投げつけるが……頭部に命中しても、伸びる手は止まらなかった。
「グモ…………ォォォオオオ!!」
「が……っは!?」
内臓を口から全てぶちまけてしまいそうな締め付けが俺を襲う。火炎瓶を頭部に受けて、少し苦しそうにしてはいたが、俺の身体を掴んだ手は握られたままで放されない。
苦しい……呼吸がままならない。
脱出を試みようと全身に力を入れてみるが、ピクリとも動く気配がなかった。
「っ……!? 待ってて……今!」
すかさずバーニャが俺を助けようと風の刃を連続で二回放つが、視界を奪われてもがき苦しむミノタウロスが間に入ってしまい、放たれた風の刃は遮られてしまう。
視界を奪われたミノタウロスは更に胸部と右腕に深い傷を負うが、それだけだ。
状況は何も変わらない。
そして今の攻撃で恐らく、バーニャは精霊の力をもう攻撃に回せなくなった。
「ぐ……ぁ、うぁぁぁぁああああああ!」
苦しい、意識がもっていかれそうだ。
今はまだ頭部が燃えているせいか握る手も弱く、なんとか生きているが……この状況、俺は恐らく助からない。
それならいっそ、一思いに苦しまないよう殺してほしかった。そう思えるくらい、きつい。
「ぁぁぁ…………があああああああああああああああああ!」
思えば……つまらない人生だった。
強くなるためにひたすら毎朝トレーニングして、村の連中に「まーた無駄なことやってら」といびられて、レベルを上げようとモンスターに何度も何度も挑んで、リューネに全部魔素を奪われて、それでも頑張って努力し続けた。
結果、村の連中に良い的だと囮に使われて……いや、本当にろくでもないな、俺の人生。
なんかいいことあった俺の人生? シルが可愛いかったくらいしかなくない?
「た、大変ですバーニャちゃん! ユンケルさんの顔が! 顔が!」
「死ぬことに未練がさそうなふっ切れた顔になってる! なんで!?」
そりゃ、貧民街が似合うわけですわ。
なるほど、あの馴染みっぷりは、そういうことでしたか。
「…………諦めるなんて」
だが、意識が遠のく瞬間のことだった。
少し怒っているのがわかる、毎日のように聞いてきた声が聞こえてきたのだ。
「ユンケルらしくないんだから!」
直後、締め付けられていた俺の身体に自由が戻り、俺は地面へと転がった。
ミノタウロスの身体が真っ二つに割け、地に伏したからだ。
ミノタウロスは断末魔を上げる時間すら与えられず、身体を魔素へと変化させて、駆け寄ってきた、長い赤髪を編んで、おさげにした少女へと全て吸収される。
少女の手には、ミノタウロスを一撃で葬り去った両刃の剣が握られていた。
「…………俺らしさを勝手に決めつけないでいただきたいんだが?」
地面に横たわった我ながら情けない姿で、駆け寄ってきた少女へと視線を向ける。
少女……リューネはどうしてか、少しご立腹な様子だった。
「問答無用! 何よさっきのあの顔? 完全に諦めてたじゃない!」
いや、あれは別に死んでもいいとかじゃなくて、自分の人生の色の無さをただ嘆いていただけでな? 言ってもどうせ反論されるから言わないけど。
「なんでお前が…………ここにいんの?」
引き続き寝転がったままの状態でリューネへと問いかける。
起き上がろうにも、ここまでずっと走っていたせいもあってか、身体に力が入らないのだ。
「それはこっちの台詞。この森……ろくに下調べもしてないでしょ? なのに、こんな奥深くに入り込むなんてユンケルらしくないよ……どうしたの?」
「色々あるんだよ……俺にも」
「……とにかく、あとは任せて」
リューネはそう言って俺の前に立つと、両刃の剣を両手で握りしめてもう一体のミノタウロスへと構えた。視界を奪われたミノタウロスに、リューネを倒す力はもうないだろう。
「悪い……そこにいる白と黒のローブを着た女の子二人も助けてやってくれないか?」
「……誰よ、あの二人?」
丁重にお願いしたのに、リューネは何故かチラ見で俺を睨みつける。
ひえぇ……今そんなこと言っている場合じゃなくない?
「俺の連れだよ、死なれると寝覚めが悪いだろ?」
幸いにもマンティコアは、ミノタウロスを一撃で倒したリューネを警戒してか、バーニャとメイプルに襲い掛かることなく立ち止まってくれていた。
今ならまだ助けられる。
「なるほど……あの二人のせいね。大丈夫、私も一人でこの森に来たわけじゃないから!」
リューネはそう叫ぶと前へと駆けだし、握っていた剣を振るう。
予想通り、視界を奪われたミノタウロスは抵抗もできず、一撃で首を落とされた。
そのまま肉体が崩壊して生み出された魔素が、リューネへと吸収されていく。
「各員! 万が一にも反撃を受けないようにタイミングを合わせろ!」
それとほぼ同時に、リューネではない男性の叫び声が響き渡った。
「「「了解!」」」
すると、いつの間にマンティコアの周囲を囲んでいたのか、男性三人、女性一人のパーティーが一斉に木々から姿を現す。
直後、目で追うのがやっとな速さでマンティコアへと距離を詰めると、それぞれ一斉に剣を振るい、マンティコアの足を斬り落とした。
「止めだ!」
最後に、どこか見覚えのある、厚手の白い鎧を装備した金髪の男性が剣を振るう。
するとマンティコアはミノタウロスと同じように、真っ二つに斬り裂かされて地へと伏した。
「ふむ……サイズが異様に大きいから四人掛かりで挑んだが、一人で充分だったか?」
確かあの男……リューネをギルドに誘いにきたルードだ。となると、周りのメンバーはセレスティルの連中だろうか? だとしたらあの速すぎる動きにも納得できる。
さすが王都一のギルドなだけあって、全員とんでもない身体能力だ。
リューネ以上に動ける奴を初めて見た。
まさかマンティコアまで一撃とは……バーニャのプライドはズタズタだな、こりゃ。