臆病者の戦い方-7
「バーニャちゃん!」
バーニャの危機にメイプルが声を張り上げるが、それでもバーニャは動かなかった。
「身を丸めて頭を守れ!」
当然こうなるだろうとあらかじめ駆けだしていた俺は、バーニャに飛びついて地面を転がる。
飛び掛かってきたマンティコアに喰われそうになったが、ギリギリのところで回避できた。
「う……くぅ! ちょ、ちょっと!」
地面を転がった時にどこかぶつけたのか、バーニャが不服そうに声を上げる。
「今は黙ってろ!」
しかし、相手をしている暇はなく、俺は素早くポーチに手を突っ込みながら立ち上がり、既に回避に出た俺たちを追撃しようと動き出しているマンティコアへと向き合った。
「メイプル!」
そして、バーニャが攻撃されないように俺は叫んで注意を惹きながらマンティコアの側面へと駆けだす。
同時に、ポーチから取り出した拳サイズの壺を、マンティコアの頭部へと全力で投げつけた。
壺はぶつかると砕け、ギトギトの液体がマンティコアの頭部へとまんべんなくかかる。
「火をこいつにぶつけろ!」
その行動に何かしらの意味があると判断してくれたのだろう。メイプルは俺の指示に素早く従い、モンスター避けに展開していた精霊術式による複数の火を、全てマンティコアへと放った。
「ゴガ……!? ギギャァァァァアアアアア!?」
火はマンティコアの頭部に触れると、勢いを増して燃え盛る。
元々熱に弱いのもあってか、マンティコアは苦しそうに叫び声を上げた。
「ほら、今のうちに立って逃げるぞ!」
このチャンスを逃さず、俺は倒れたままだったバーニャへと手を差し伸べる。
「あ……ありがとう」
バーニャはキョトンとした顔で俺が差し伸べた手を見ていたが「はよ!」と声をかけると、慌てて手を掴んで立ち上がった。
その後すぐ、俺たちはもがき苦しむマンティコアに目を配りつつ、来た道へと走る。
「メイプル、モンスター避けにさっきの火をまた展開しといてくれ」
「了解です! 臆病に……ですね?」
素直にメイプルは返事をすると、走りながら精霊の力による火を再び周囲に展開する。
ここからは運次第だった。
来る時はモンスターと一度しか遭遇しなかったが、帰りもそうであるとは限らない。
しかも今度は、モンスターが現れたからといって立ち止まることもできないのだ。
立ち止まれば、このあとに追いかけてくるだろうマンティコアの餌食になってしまう。
「ねぇあんた、何を投げたの?」
「油壺。火炎瓶を作る材料にも、火炎瓶の威力を向上させるのにも役立つ俺の常備品だよ。火をつける余裕なんてなかったから、メイプルの精霊術式を頼りにさせてもらった」
「えへぇ~一瞬で意図を汲み取った私、凄くないですかぁ~」
「いや、嬉しそうに笑っていられる状況じゃないからね?」
走りながら背後をチラッと振り返り、マンティコアの様子を窺う。
マンティコアはまだ、燃え盛る火によって苦しそうに暴れていた。
「あれで倒せないですかね?」
「無理だろうな、倒しきるには熱が弱すぎる。今も油が燃えているだけで、あいつ自身は燃えていないはずだ。魔素が身体を守っているんだと思う」
実際、マンティコアの全身に生える体毛には引火しておらず、油を浴びた頭部だけが燃え盛っていた。油の量も多かったわけではないので、長くは時間を稼げないだろう。
マンティコアが苦しんでいるのも、バーニャが負わせた傷を通して火が少しだけ届いているからにすぎないはずだ。
「…………どうして? あれだけ努力したのに、私じゃ……無理なの?」
そんなマンティコアの姿をチラ見し、悔しそうに顔を俯かせるバーニャ。
木にぶつかるから前見て走れ。
「いや……倒せたとまでは言わないが、いい線いってたと思うぞ? やり方が悪かっただけで」
「え?」
仕方がないのでフォローを入れると、バーニャは顔を上げる。
正直なところ放置したかったが、こんな状況で落ち込まれても足手纏いだ。
今の俺に他人を守る余裕はない。
「ほ、本当?」
「ああ、まだ油断してくれているうちに闇雲に当てるんじゃなくて、目を狙っていればなんとかなったかもな。視界さえ奪えば、逃げるのも簡単だったろうし……」
「やり方が……悪かっただけ?」
「お前の精霊術式があんなに威力があるとは思わなかったよ、先に見せてもらっとくべきだった」
言いながら、俺は再び背後を振り返る。火は既に消え、マンティコアは不気味な眼光を真っ直ぐ俺たちへと向けていた。
「ゴガァァァァァァアアアアア!」
直後、咆哮を上げて真っ直ぐに俺たちの下へと向かって走り出す。
「早い……! せめて視界外に出るまで逃げたかったのに……くそ」
どちらにせよ、臭いを辿られて追いかけられてはいただろうが、それでも、距離をできるだけ離して対策を考えられるだけの余裕は欲しかった。
こんなことなら油壺をもう一つ持ってくるのだったと、自分の準備不足を呪う。
「ごめん……私のせいで」
「本当だぜ? 助けたい気持ちはわかるけど、それで自分が死んでたら意味ねえからな?」
「だって……助けられると思ったら、いてもたってもいられなくて……!」
「結局助けられてないし、そのせいで今こんな目に遭ってる」と口酸っぱく言いたかったが、ここで落ち込まれても困るし、長ったらしく文句を言っている暇もないので俺はグッと堪える。
「まあ……まだ生きてるんだ。反省はあとにしようぜ。とりあえず次からはもっと慎重に行動してくれ、俺……はともかく、メイプルが大事ならな」
そこでようやく熱が冷め、周囲を巻き込んでしまった自覚を持てたのか、バーニャは申し訳なさそうにメイプルの顔を見る。
メイプルは気にしていないのか、いつも通りのニッコリとした笑みを返した。
それを見たバーニャは再度、申し訳なさそうに「……ごめんなさい」と呟いた。
「それで、どうするんですかユンケルさん? めっちゃ後ろから迫ってますけど……こっわ!」
「お前は結構余裕あるよね? どんな心臓してんの? 毛でも生えてるの?」
「いやぁ、なるようにしかならないかなって」
当然ながら、マンティコアは猛速度で俺たちに向かって走ってきている。
なるべく俺が木々の密集している場所を選んで走っているため、マンティコアも一々迂回したり、木々を倒したりしているのですぐには追いつけないでいる。だが、それも時間の問題だろう。
俺たちに食事を邪魔されたのが相当ムカついたのだろう、牙を剥き出しにして鬼のような形相で追いかけてきている。ぶっちゃけると、おしっこ漏らしそうなくらい怖い。
「そういうユンケルさんも、かなり余裕があるように見えますけど?」
「ここで慌てても死ぬだけだろ? ……内心かなり焦ってるよ」
油壺も失い、毒ナイフも既に使用したあとだ。どうせ毒なんて効かなかっただろうけど、俺がきれる手札は残り数ない。
まだ火炎瓶が二本残っているが、闇雲に投げてもまず避けられる。
それに下手すれば、草木が燃えて、ここら一帯が火事になる危険性だってあった。
そうなれば余計に生き残れる可能性もなくなるし、多くの人に迷惑もかけてしまう。どうせ死ぬなら誰にも迷惑をかけずに死にたいね、立つ鳥跡を濁さずって言うだろ?
はぁ…………俺良い奴すぎる、天国行けそう。
「とりあえず正面に見えるあの木と……あの木、内側に倒れるように破壊できるか?」
走りながら、俺は正面左右に生える大木を指差した。
「私は無理ですけど……バーニャちゃんなら」
メイプルがチラッとバーニャの顔を窺うと、バーニャは頷き、俺が指差した大木を風の刃で内側に倒れるように綺麗に切断する。
ここで偏屈こねられても困るけど……意外にも素直に従ったので少し驚いた。
「木が倒れる前に走り抜けるぞ!」
ゆっくりと交差するように倒れる大木の間を通って、俺たちは駆け抜ける。
背後に追っていたマンティコアは、進路を塞がれるように大木が倒れてきたため、一瞬だけ怯んで立ち止まった。しかし、すぐに飛び越えて再び俺たちのあとを追う。
「よし……!」
少しだけだが、これで距離を離せたはずだ。
「次はどうすればいいの? 走ることも考えると……あと、二、三回が限界だけど」
背後にいるマンティコアの様子を確認していると、バーニャが俺に視線を向けて指示を仰ぐ。
「なんだ? やけに素直だな」
「私に説教垂れるくらいだもの、あんたの指示は的確なんでしょ?」
俺の指示が的確かと言われれば、あと二、三回しか使えないらしい風の刃を、木を倒すだけに使うという愚行を犯してしまったので全然的確じゃなかったが、口論したくないのであえて黙る。
ぶっちゃけそういう大事なことはもっと早く言ってほしかった。
とはいえ、指示を素直に聞いてくれるということは、少しは信頼を得たということなのだろう。
そこは素直に嬉しいが…………もうここで終わりかもしれない。
「ゆ、ユンケルさん! 前! 前!」
メイプルが慌ただしく前方を指差す。
「わかってるよ……今、考えてる!」
終わりというのも、予想していた通り、別のモンスターと鉢合わせてしまったからだ。
それも最悪なことに、マンティコアの次に厄介なミノタウロスの登場である。
お前……最近ちょっと俺と遭いすぎだろ。