臆病者の戦い方-6
少しバーニャと離されてしまったが、まだ視界内にいるので問題ない。
これ以上、モンスターに遭わないことを祈ろう。
「あれぇ? どうしたんですかね?」
「こっからだとわからんな」
その時、先を走っていたバーニャの動きが突然止まる。
目線が上に行っていることから、何かに遭遇したようだが……ここからじゃ見えない。
恐らくモンスターだとは思うが、すぐに襲われないのは妙だ。
「急ぐぞ!」
すぐに俺は、走る速度を上げてバーニャの下へと駆ける。
そして、俺の顔は一瞬で青くなった。
「なん……ですか、あれ?」
あとを追いかけてきたメイプルも、その異様な存在を目の当たりにして顔を歪めた。
「何よ、これ、こんなモンスター…………知らない」
自信過剰に先を走っていたバーニャも、普通の敵ではないと判断してか後ずさりする。
圧倒的強者の余裕か、それは俺たちの姿を視界に入れても、威嚇することすらしなかった。
ただ静かに、顔を血で赤く染め上げて「くちゃくちゃ」と音をたてながら、赤い血の滴る肉を貪り続けている。恐らくは、十数分前に悲鳴を上げたであろう者の肉を。
「マンティコア……なのか?」
とてもそうは思えず、俺は顔を引きつらせる。
しかし、全身から放たれる強烈な獣臭、瞳孔の開いた目、肉を簡単に引き裂く鋭い歯、そして四足歩行する巨体はマンティコアの特徴そのものだった。
なのに、マンティコアと呼ぶにはかなり変だった。
俺も実際にマンティコアと遭遇したことはなく、本で読んだ知識しかないが、本ではここまで凶悪なモンスターと記されていないのだ。
まず、大きさがおかしかった。
本で記されていた情報では、少なくとも、フェロシティーファンゴよりもほんの二回り大きい中サイズのモンスターのはずだった。
なのに、目の前のこいつはミノタウロスよりも一回り大きい。
そして何故か、目が光り、紫色のオーラのようなものを纏っている。
全身から魔素でも漏れ出ているのだろうか?
「ヴォ…………ォォォォォオオオオオオオ!」
そんな化け物の低い唸り声と睨みで、俺は情けなくもすくみあがってしまう。
同時に後悔した。
精霊術式さえあれば、もしかしたら倒せるかもしれないとか、いざという時はこれまで培ってきた知識を駆使すればなんとかなるだろうと考えていた己の浅はかさを。
俺は、メイプルに精霊術式を使わせてバーニャの足を負傷させてでも、森の中に入らせるべきではなかったのだ。何がなんでも止めるべきだったのだ。
俺も心のどこかで、悲鳴を上げた者を助けたいと思っていたのかもしれない。
危険だ、危険だと考えていても、いざという時はなんとかできると驕っていた。
バーニャにあれだけ説教しておいて、間抜けすぎだろ……俺。
「…………どうするんですか?」
視線だけを動かして、メイプルが声を震わせながら俺に問いかける。
正直、ミノタウロスなんか比べものにならない殺気のせいで俺も参っていた。
さっきから全身の汗が止まらない、立っているのも精一杯だ。
直感でわかるのだ。こいつには俺の全てをぶつけても、小細工にしかならないと。
「落ち着け……とにかく刺激しないようにするんだ」
不謹慎だが、今は犠牲になって喰われてくれている者がいる。
マンティコアが食事を終えるよりも早く、この場から逃げればなんとかなるかもしれない。
「バーニャ……俺たちの傍までゆっくり下がるんだ。声を出すなよ」
俺はそう言ってバーニャに指示を出す。
早いとこなんとかしないと、最初に犠牲になるのは一番前で棒立ちしているバーニャだからだ。
バーニャを犠牲にして今すぐ逃げ出せば、俺とメイプルは助かるかもしれないが、さすがに故郷の村では糞野郎で有名な俺でも、他人を犠牲にして生き延びるのは寝覚めが悪くなる。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を荒くしながらも、バーニャは指示通りゆっくりと下がり始める。
バーニャにとってもこの光景は強烈だっただろう。
モンスターが人を貪る残酷なこの光景は後々トラウマになるかもしれないが、バーニャには良い教訓になったはずだ。闇雲に突っ走れば、こういう事態になるのだと。
教訓になるかどうかは生きて帰れたら、の話だが。
「はぁ……はぁ………………ふぅ」
「お、おい……? バーニャ?」
しかし、それまで動揺し、息を乱していたバーニャが急に落ち着きを取り戻す。
深い呼吸を繰り返し、顔つきを変えると、バーニャは両手をマンティコアへと向けた。
「二度と……あんたみたいなのに好き勝手にやらせない」
「…………おいおい……まさか」
再び嫌な予感がよぎる。
「ば、バーニャちゃん、さすがにそれは……!」
メイプルも慌てて声をかけるが、バーニャはその動きを止めなかった。
「そのために……私は!」
直後、バーニャを中心に風が渦巻く。
様子の変化に気付いたマンティコアも、咀嚼を止めてバーニャへと向き直る。
「ばっか……止めろ!」
吹き荒れる風を押し進み、俺はバーニャへと手を伸ばす。
だが思いは届かず、バーニャの両手に淡い光が集中した直後、精霊の力によって淡い黄緑色の光を纏った風の刃が、マンティコアへと向けて一直線に放たれた。
「ガ……!? ガァァァァァァアアアアア!」
「な……!?」
予想外の事態に、俺は拍子抜けした顔を浮かべてしまう。
レベル0が何をしようと、こんな化け物相手にダメージなんて通らないだろうと慌てたが、予想外にもバーニャは、木を切り倒した時とは比べものにならない大きさの風の刃を放った。
風の刃はマンティコアの顔面の中央にぶつかると、深く傷をつけて血しぶきを上げさせる。
「……まじかよ」
俺がどうあがいても与えられないだろうダメージに、素直に驚く。
「まだまだぁぁぁああ!」
バーニャは一撃目が命中するや否や、再び追撃のために精霊による光を集中させた。
一人で勝手に飛び出すだけの実力はあったということなのだろう。
今のバーニャの攻撃は、リューネの飛ぶ斬撃ほどではないが、それに迫る威力だった。
その証拠に、マンティコアがダメージを受けてもがき苦しんでいる。
「すげえ……すげえけど」
だがそれでも、バーニャが森の中に入ったことも、今の攻撃も、迂闊だったと言わざるをえない。何故なら、傷をつけただけでマンティコアを戦闘不能にできていないからだ。
このあとの展開は、容易に想像できた。
「これで……止め!」
再び、バーニャはマンティコアへと風の刃を放つ。
それと同時に俺は、バーニャの下へと駆けだした。
「……え?」
予想外……だとでも言いたいのだろうか? 目を見開いてバーニャは呆け面を見せた。
ご自慢の風の刃を、マンティコアにあっさりと回避されたからだ。
「嘘……どうして!?」
そりゃそうだろうと、思わずツッコミたくなる。
マンティコアは目の前にまで接近した風の刃を、バーニャの側面へと跳躍して回り込むことで回避してみせた。最初の一撃が当たったのは、マンティコアが油断していたからでしかない。
目の前の対象を脅威と認識してしまった今、同じ技はそう簡単には通じないだろう。
「グググ…………ガァァァァァァアアアアア!」
無論、ただ避けるだけではなく、側面に回り込んだマンティコアはバーニャへと襲い掛かった。
「…………え、え?」
かなり自信があったのだろう。
想定外の事態にショックを隠し切れずにバーニャは茫然と立ち尽くし、マンティコアが迫っているのに動こうとしない。